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「腐っても鯛、太ってもロナウジーニョ」:ぜひヴォルティスに来てくれ!

みなさん、こんにちは。

アルゼンチンのマラドーナ
も、ブラジルのロナウド
も、そして、ブラジルのロナウジーニョ
も引退前になるにつれて、デブになってきた。

これが、肉とナス科(=トマト、じゃがいも、ナス、ピーマン、キュウリ、とうがらし)を主食とする民族の宿命である。だから、俺はナス科を自らに禁じたのである。「俺の辞書にはナス科の文字はない」のだ。(ナス科でブログ内検索)

ナス科をはやらせたのは、バチカン=カソリック教である。信者の寿命を短くするためであった。

というのは、私個人のものの見方である。

さて、そんなロナウジーニョ、すでに南米ブラジルでも太りすぎて買い手がつかない。それで、ついにアフリカのアンゴラに行くらしい。これである。
ロナウジーニョにアンゴラ1部からオファー

 メキシコ1部ケレタロに所属する元ブラジル代表MFロナウジーニョ(34)に、アンゴラ1部カブスコルプがオファーを出していることが分かった。

 スペインのアス紙(電子版)など、複数のメディアが報じた。

 カブスコルプのベント・カンガンバ会長は、ポルトガルの通信社であるLUSAに、「1年間の契約を結ぶため、ロナウジーニョの代理人と交渉を行っている」とコメントし、ロナウジーニョの獲得を目指すことを明らかにした。【超ワールドサッカー】


腐っても鯛、太ってもロナウジーニョである。

カモン、ロナウジーニョ!ぜひ日本の徳島ヴォルティスに来てほしい!



# by Kikidoblog | 2014-11-28 18:18 | サッカー&スポーツ

「もうノーベル中村のことは忘れよう」:「虫の良すぎる」→「粘着愛」中村になるか?

みなさん、こんにちは。

いやはや、頑張る産経新聞にちょっとおもしろい記事があったので、それをメモしておこう。以下のものである。
虫が良すぎる?ノーベル賞・中村氏の“復縁”申し出、“大人の対応”で拒絶した日亜化学…わだかまり示す証拠を発見

 過去は忘れましょう-。ノーベル物理学賞に決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授が、発明の対価をめぐり法廷闘争を繰り広げた元勤務先の日亜化学工業(徳島県)に関係修復を呼びかける一幕があった。両者の関係は歴史的な雪解けを迎えると思われたが、日亜化学側は中村氏との面談を“大人の対応”で拒否。和解から10年近く経てなお残る天才研究者と企業のしこりが浮き彫りになった。一方、日亜化学の二の舞を避けようと、製薬業界などでは優秀な人材の流出を防ぐ動きが広まりつつある。(板東和正)

虫が良すぎる?

 「互いに誤解していた」

 中村氏の日亜化学に向けた「仲直り宣言」が飛び出したのは11月3日。文化勲章の親授式後に行った記者会見だ。中村氏は会見で「人生は短い。けんかしたまま死にたくない。(日亜化学と)共同研究など将来のことを話したい」と述べ、同社に訪れて関係を修復したい意思をのぞかせた。

 中村氏は昭和54年に日亜化学に入社し、平成5年に青色発光ダイオード(LED)の製品化に成功した。だが、退職後の13年に特許の正当な報酬を求めて日亜化学を提訴。16年に東京地裁が日亜化学に200億円の支払いを命令し、翌年に約8億4千万円に減額して和解した。ただ、裁判が決着しても中村氏の怒りは収まっている様子はなく、ノーベル賞受賞の決定後にも「日本の会社で発明したとしてもボーナスをもらうだけ」などと発言。日本企業への不満を隠していなかっただけに、突然の態度の軟化に業界関係者からは「奇跡のような展開」と驚きの声が上がった。

(以下省略)

中村修二博士の「和解提案」騒動には実に驚かされたが、日亜化学の「紳士的応答」にもまた驚かされた。
ジャイアンをなだめるしずかちゃんという感じだろうか。

中村さんは、とにかく意固地になるとほかが見えなくなるというところがあるようで、実はこれが半島系の遺伝子を遠くに受け継ぐ人に共通である。

戦後以降に日本に不正移民したものが、いわゆる「在日韓国人」だが、明治時代に日本に入国し、日本人に帰化した朝鮮人(=南北朝鮮人)も数知れない。そういう人たちは名前も顔つきも言葉も国籍も日本人である。しかしながら、血筋は争えない。今現在の半島人と共通する性格がある。同様に、古代の百済から来た坊さんたちもまたそうである。

この人々は、iPS細胞の山中教授もそうだが、特有の「朝鮮ハゲ」をする場合が多い。まさに中村さんのように禿げる。遺伝子は正直である。

さて、そんな中村さんだが、その記事にある日亜化学の主張という「格外の待遇を処した」というのは、これまた事実であった。

中村博士が、まだ博士でも何でも無く、大卒で日亜化学に入社した頃の、日亜化学は従業員200人以下。それでも地元阿南の大企業であった。それが今では従業員5000人。毎年数百人の新入社員が入社する。

その当時の日亜化学の社長さんが、手厚く中村博士の面倒を見た。いわば、守護霊であった。その御蔭で自由気ままにできたわけだ。だから、1億円以上もする(20年前の金額で)高額の装置も、またそれくらいの費用を掛けて留学もさせてもらえたのである。

なぜなら、博士号も何もない人間がアメリカのトップレベルの大学の研究室に入るということは普通は事実上不可能だからである。そういう場合には、1人の社員を学生にしてもらうために多額の寄付をしなければならない。これが常識の、正統的な決め事である。だから、そういう多額の寄付の下に中村さんが米フロリダ州立大に行けたというのは事実である。私のように、個人的に米大学のTA奨学金を得て留学するのとはわけが違うのである。

だから、そういう途方も無いことを先代の社長さんが果たしてくれたということは、中村さんは最初から「破格の待遇」をもらっていた証明ということである。会社の中では「エリート中のエリート」だったのである。だから、逆にそれに嫉妬するものもいたはずである。今の社長もそういう一人だったかもしれないのである。

幸い、それから何年かして中村博士が青色発光ダイオードを発明した。企業としては当然その特許は会社のものになると当然考えたはずである。何億円も投資しての開発だったわけだから。

ところが、中村さんは特許は自分で密かにとったものだということで、ご周知の「特許裁判」に持ち込んだ。その後は我々のよく知る展開になった。

アメリカの在日韓国系の弁護士が、日本企業に揺さぶりをかけるために食いついた。そして、将来のノーベル賞級の中村さんをたぶらかして、日亜化学を悪者にし、その漁夫の利が米UCSBに行った。本当は、米企業がスレーブ中村さんを獲得するはずだったが、結局高額の給料で、サンタバーバラ校がゲットしたのである。そして、そこには中村博士がトップの一人である専門の研究所ができた。周りは全部シオニストのユダヤ系の学者である。もちろん、彼らの背後にはサムソンもアップルもその他の米企業がくっついている。

ノーベル賞を取るまでは、中村さんは日亜化学を目の敵にしていたのである。ノーベル賞を取ってからもさらにヒートアップしていた。

ところが、中村さんは韓国に行った直後から、雲行きが変化した。

なぜ?

俺の個人的印象では、南朝鮮人に入れ知恵されたのだろうということになる。つまり、仲直りして、「俺達南朝鮮人のトロイの木馬になれ」と。そうして、日亜化学と仲直りして、後々サムスンやLG電子と提携を結ばせ、一気に乗っ取る。

とまあ、そんな戦略に来たのではなかろうか?


俺が中村さんに聞きたいのは、
あんたが入社できたのは、日亜化学という会社は基本的に徳島出身地元出身者しか採用しないという鉄の掟を持った会社だったからではなかったのか?あんたはそれをもう忘れてしまったのか?
ということである。

私が中村さんと初めて面会した時(1996年夏)、中村さん自らの口から
この会社は一切すべてにおいて同業他社と提携しない会社として有名なんだよ
と俺は聞いたよ。

もしこの言葉が今も生きているはずであれば、当然、「和解したい」といったって無理だ、そういう問題ではない。それは会社の性格の問題であって、企業の精神の段階から「同業他社とは手を結ばない会社」だったはずなのである。それを悪くいうことはできない。

自分が無名の頃にはこの会社精神で救われたのに、今度自分がノーベル賞をとって有名になれば、今度は「その精神を捨てろ」というのは、これは「虫がよすぎる」以前の問題だと俺は思う。他社への「内政干渉」である。「や・り・す・ぎ」であろうということになる。

一度離婚した男女が、「もう一度やり直したい」といったってどだい無理。それよりは「お互いに別々の道を歩もうよ」ということになる。

俺もそれに大賛成である。売国奴には売国奴の人生を歩んでもらう他ない。

残念ながら、それが自分が選んだ人生なのだから、いまさら寄りを戻そうというのは、ガキの戯言ですナ。


もう我々日本人はこの人のことは害人として忘れた方がいい。近づくと「韓の法則」発動となるだけだろうナア。俺はそう感じるヨ。

問題は、半島人特有のメンタリティーの例の「愛」というものである。「略奪愛」「サイコパスの異常な執着粘着愛」である。俺はこれを恐れる。

たぶん、中村さんは、しつこく、まるでストーカーのようになっていくんじゃなかろうか?

うわ〜〜こわ〜〜、というやつだ。


くわばら、くわばら。

ノーベル賞も「終わってます」ナ。いやはや、世も末ですナ。




# by Kikidoblog | 2014-11-28 15:02 | アイデア・雑多

「訓読み」と「音読み」の話:音訓で意味が逆転する!→「こっち見るな、愛さないで!」

みなさん、こんにちは。

ここ最近、徳島は比較的暖かく、北米の寒さの人には気の毒に思いつつ、秋のような日々。それゆえ、実に頭が働く。そこで、連日長文のメモとなっている。ついでに、最近気づいたことをメモしておこう。

(あ)「君が代」の「君(きみ)」意味
まずねずさんこと小名木善行さんの「君が代」の話はまさに目からうろこの話であり、すでに「古典」である。これである。
「君が代」の真の歴史1:「君(きみ=き・み)」とは、日本男女の意味だった!
「君が代」の真の歴史2:「君(きみ=き・み)」とは、日本男女の意味だった!


つまり、「訓読み(くんよみ)」(古代日本の大和言葉由来)と「音読み(おんよみ)」(古代支那の漢字由来)で読み方と意味が異なるということである。

我が国の古来からの訓読みでは、「君」=「きみ」=「き・み」となり、その意味は「き=男」、「み=女」、すなわち、「きみ=男女」となる。つまり、「きみがよ」とは、「日本男女の子子孫孫の唄」という意味になる。

そのルーツは実に古く、古事記のイザナとイザナ
の時代に由来する。このため、日本では、おじいさんを「おな」、おばあさんを「おな」と呼んだ。したがって、老若男女すべてをいっしょにして「きみ」と呼ぶ。

ところが、これを「音読み」すると、意味が全く違うことになり、むしろ意味が逆転する。「音読み」は古代支那中国由来の発音であり、「音読み」の「君」=「くん」は、日本語の「暴君」の時の「君」の意味に近い。ねずさんの説明ではこうなる。
もともと「君」という漢字は、「尹」に「口」で成り立っている字です。
「尹」というのは、横棒の部分が人間の手の形の象形文字からきています。
その手に「|(棒)」を持っています。
よく見ると、その棒が、ぐにゃりとしなっています。
これが何かというと、要するに「鞭(ムチ)」です。

つまり「尹」は、手にムチを持っている姿です。
そしてその人が「口」を空けて何か言っています。

要するに「君」という支那漢字の持つもともとの意味は、手にムチを持った人が「お前たち働け〜!」と大きく口を空けて、民衆をムチでしばいている姿をあらわした字なのです。

君が代を否定する恥ずかしい人たちより

要するに漢字の「君(くん)」とは、「手にムチを持った人が「お前たち働け〜!」と大きく口を空けて、民衆をムチでしばいている姿をあらわした字」
(地獄絵の鬼さながらのものが「君」なのだ!)
だったのである。

したがって、「君が代」の意味も「君」の意味が、日本式=大和言葉の「訓読み」で理解するか、中国式=漢字の「音読み」で理解するかでまったく異なった意味になるわけである。これがねずさんの指摘である。

ははーー、誠にごもっともでござる。

とこういうことになる。

(い)「民主」の「民」の意味
次にねずさんは「民主主義」の「民」の意味もまた、「訓読み」と「音読み」でまったく意味が異なることを指摘する。

大和言葉由来の「訓読み」では、「民」=「たみ」。この意味は、「田畑で働く人々」
(これが、日本の「民=たみ」のイメージである。)
の意味である。

ところが、これが古代中国の漢字由来の「民=みん」となると、意味が全く逆になる。ねずさんの説明はこうだ。
ちなみにその民衆の「民」ですが、これは字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないのかという理由が、下にある「十」の部分で、これは古代の支那にあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
その道具で眼球を突かれ、目を見えなくさせられているから四角の中に目玉がないのです。

そして「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀を表します。
つまり城塞都市の塀の内側で、針で目を潰された人たちが「民」です。

その「民」に、「働け、働け〜!」と口を大きく空けて大声をあげてながら、「民」をムチでしばきあげている人たちが「君」です。
「君」は、ムチでしばきあげている人たちですから、「民」より上の人です。
だから「君」は偉い人、人に命令する人を意味します。

君が代を否定する恥ずかしい人たちより

つまり、奴隷商売の時に、逃げられないよう縄につながれた奴隷が「民=みん」であり、それを鞭打つものが「君=くん」

の意味なのである。

したがって、同じ「民主」という言葉でも、日本人は「民主=みんしゅ=たみが主=たみが上=男女が上→社会の上につくものは、社会に下につくものたちのためにある」という意味になる。

しかしこれが、半島人や中国シナ人には「民主=みんしゅ=みんが主=みんが上=エリートが上→官僚や両班が奴隷大衆を鞭打って痛い思いをさせて従わせる」という意味に変わるのである。

言い換えれば、日本語の「民主」の意味は、「シラス国」(つまり、すべてを老若男女に知らしめる国)の言葉であって、漢字の「民主」の意味は「ウシハク国」(つまり、わずかの王族貴族が奴隷大衆を統治する国)の意味である。

ところで、西洋はもちろん中国支那、南北朝鮮と同じ思想である。つまり、「ウシハク国」である。

どうやら、これは明治の頃には、我々の先祖の福沢諭吉やその同時代人が漢字を使ってさまざまな現代語を生み出し、それが当時日本に留学に来たたくさんの中国人や韓半島人に伝授されたから、それなりにオリジナルの意味(日本人の使う意味)が伝授されたのだが、戦後の中国韓国の「反日教育」の時代になると、日本人の「訓読み」のもともとの意味から程遠いものに変わってしまったという可能性が高い。

というわけで、今現在では漢字を使うと、ますますその意味が混乱を呼ぶのである。

(う)日本の政治団体名は「民主」を取り除くべきだ!
というわけで、私は最近、「自由民主党」とか、「民主党」とか、「共産党」とか、「次世代の党」とか、「公明党」とか見た場合に、どうもこうした政党名の中にある「民主」は取り除くべきだろうという結論になるというわけである。

正しく使っているのは、「民主党」だけだろう。もちろん、日本の民主党は在日韓国人主体の韓半島系の帰化人のパチンコ政党だから、この場合の「民主党」=「みんしゅとう」=「エリートが一般人を奴隷扱いする党」という意味で、古来の中国の漢字の意味を正しく使っているということになる。

しかし一方の「自由民主党」=「じゆうみんしゅとう」は、この漢字をそのまま中国人やら南北朝鮮人が見れば、「エリートが自由気ままに一般人を奴隷にするすばらしい党」という意味に誤解されかねないのである。

というわけで、私は「自民党」は英語名を前面に押し出すか、名前を変えるべきだろうということになる。「共和党」とか「日本党」とか、そんな類のものに変えたほうが海外のアジア人には受けが良いのだろうということになる。

ちなみに、今の自民党にもっとも近いのがアメリカの「共和党」である。この際、「日本共和党」に変えた方が良いのではなかろうか?

一方、「民主党」はそのアメリカオバマの民主党の内容からして非常に似ているからそのままでもいいかもしれないですナ。「民主党」とは、まさに「ウシハク党」ということになる。

ちなみに、「次世代の党」は「日本党」か「シラス党」とか、あるいは「日本シラス党」とか、そんなものが良さそうである。

(え)政界再編はこうすべきだ!
さて、今の政党名で考えるとして、どう政界再編すればよろしいかというと、おおよそこんな感じだろう。

今は
与党→「自民党+公明党」
野党→「民主党+次世代の党+エトセトラ」。

これはこうなるべきだと俺は思う。
与党→「自民党+次世代の党」
野党→「公明党+エトセトラ」
民主党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
共産党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑
社民党→解散消滅→内乱誘致罪→刑務所行きか死刑


いずれにせよ、国内の政治において「民」という言葉や「君」という言葉、「民主」や「君主」など、こういった漢字適用の専門用語は使用する場合に「但し書き」で、かならず「訓読み」の意味を添付して伝達しないと正しい日本語の意味が伝わらず、大方意味が逆転するらしい。

(お)あれ〜〜、「愛」も意味が逆転するとか?キモいナ。
最後の例が「愛」=「あい」である。

ねずさんによると、日本語の「愛」=「あい」の意味は、「愛」=「いとおしく思うこと」だという。これは我々には常識だろう。だから、我々日本人は、「愛」という漢字を見れば、だれもがそういうふうに読んでいる、解釈していると思っていた。ところが、やはりそれは間違いだった。

ねずさんによれば、こうなる。
同じことは、たとえば「愛」という漢字にもあります。
昔の人は、この「愛」を「おもひ」、「いとし」と訓読みしました。
ですから日本人にとっての愛は、対象を「いとしく思うこと」です。

ところが漢字の字源の意味する「愛」は、久みたいな部分が足を引きずるで、家の中にある何かに心を惹かれて後ろ髪をひかれる思いで心が寄せられたなら、それを奪うという意味の漢字です。
昔、「愛は惜しみなく奪う」というタイトルの日本映画がありましたが、「愛=奪う」という発想は、まるごと漢字圏の人たちの発想です。

つまり、大陸のアジア人にとって、つまり特亜の人間には、「愛」とは、「サイコパスが何かに粘着してそれを奪う」という意味だというのである。

つまり、かつてのサイモンとガーファンクルの唄のダスチン・ホフマンの「卒業」の他人の嫁さんを略奪したサイコパスの異常な執着心、そういうものが「愛」だというのである。

要するに、いま中国人や韓国人が日本の仏像をおねだりしたり、欲しがって、盗みに入る。これが連中の考える「愛」だというのである。特亜の害人さんが「愛しちゃったのよ」という時の意味は、「略奪しますよ」という意味に近いらしい。

いや〜〜、これには恐れいった。脱帽だ。まさにそのとおりだからである。

彼ら韓半島人は、我々を愛しているのである。ぞっとしますナ。

「こっち見るな、愛さないで!」

というしかない。


いや〜〜、実にいい勉強になった。ねずさんに感謝。

ひえ〜〜、という感じである。なぜなら、私は「愛100%の男」だからである。
うそこメーカーで発見:「人類愛100%」の愛の男!

(これは日本語大和言葉の愛の意味ですぞ!俺は物欲ゼロ、粘着ゼロ、略奪ゼロのスーパーゼロ男なんですナ。特亜の君、きみらの愛といっしょにしないでナ。)


困った世の中ですナ。



# by Kikidoblog | 2014-11-28 09:25 | 反日・在日の陰謀

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