加藤和彦さん追悼文:「加藤和彦さんは正真正銘の天才だった」

みなさん、こんにちは。

これもまた私の個人的メモである。特に得るものはないので、スルーして欲しい。

「ザ・フォーク・クルセダーズ」の3人
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の1人の加藤和彦さんは、昨年暮れ自殺で亡くなってしまったのは記憶に新しい。この死亡に際して、メンバーの北山修氏とはしだ氏の追悼記事があった。以下のものである。

「すべて一流のプレーヤー」~加藤和彦さんを悼む~
加藤さん自殺に盟友はしだのりひこ「どうしたんや、おまえ」

北山修さんの追悼記事の中にこうある。

『趣味は一流、生き方も一流だった。ギタープレーヤーとしても一流で、プレーヤーすなわち「遊び手」としても一流。グルメであり、ワインに詳しく、ソムリエの資格をとるほどで、何をやらしても天才の名に値するレベルだった。
 それがゆえに、凡百とのおつきあいの世界は、実に生きにくいものだっただろう。しかし私たちには、そんな背の高い天才の肩の上に乗ったら、見たことない景色が遥か遠くまで見えた。』

私も加藤和彦さんは正真正銘の天才であったのだろうと思う。しかし、私の感じ方は北山修さんとはちょっと異なる。

まず「The Folk Crusaders(民族十字軍)」という命名、これが興味深い。それとともに一番初期の作品にいきなり「イムジン河」


という曲を持って来たこと自体が天才であったと私は思う。

私はこの年になり、いまでこそ「アジアのへそ、アジアのハートランドはイムジン河である」(ひょっとしたら「世界のへそ」なのかもしれないが)と考えるようになったが、それもごく昨日今日のことである。

しかし、おそらく加藤和彦さんは最初からそれを理解していたのだと思う。だからデビューの最初の曲が「イムジン河」だったのだろう。イムジン河でボート遊びしたり、カヌーやセーリングできる平和な水辺であることが出来れば、アジアの緊張が解け、さらに世界は発展可能なのである。

1960年代、米軍の原子力戦艦の寄港に対して当時の日本の若者たちはいわゆる「安保闘争」を行ったわけだが、そもそもの問題は「イムジン河」にあったわけである。米ソのイルミナティーがこの川をもとに朝鮮半島を分断したから、結果として米軍が日本へ寄港することになったわけである。

そんな時代のデモ行進まっさかり時代に「イムジン河」を歌っていたわけだから、その先見の明には恐れ入る。この加藤和彦さんの意志はだれかが引き継ぐべきだろう。

心よりご冥福を祈りたい。そして天から我々のアジアと世界をお守りいただきたいところである。
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  by Kikidoblog | 2010-04-23 18:53 | 人物

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