「兼容並抱」の山が動く!?:中国のツァイユワンペイの人脈に動きあり!?

いま、保守的になっている人も昔は進歩派であった。
いまの革新派も将来は保守派になる可能性がある。
…保守と革新は相対的なものであり、新旧の争いは絶え間ない。
各派の個性の発展を阻害しないのが、学術の自由である。
−−蔡元培(ツァイ ユェンペイ)
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みなさん、こんにちは。

いやー、これは興味深い。いつも一応目を通している、日本の「超能力者」というよりは「神人(カミンチュ)」の1人と言うべきだろうが、「世見」の照氏のブログに実に興味深いものがあった。それをここにもメモしておこう。以下のものである。

ちなみに、「カミンチュ(神人)」とは、沖縄の言葉で、「ユタ」ともいい、「自分の神を持つ=神につながる=神の役目として生きる道のことを定められた人」のことだという。

<世見> 2011/05/26 「ツァイユワンペイ」

今日は朝から頭の中がゴチャゴチャです。
「ツァイユワンペイ」って云われる人がいて、その人を凄く尊敬している人達が今度、大きく動くって言っている人がいてネ。
勿論私にしか聞こえない言葉なのですがネ。
ツァイユワンペイって誰なのだろう?
それと、何処の国の人なのだろう 中国?
分からない。
でも、物凄い信念の持ち主のような人のお話でした。
学生達の間では、この人の考え方を学びたがっているみたいです。
ただ、「ツァイユワンペイ」って聞こえたのですが、聞き違いだったらどうしよう。



この「ツァイユワンペイ」という人はだれか?

と調べてみると、私も全く知らなかったのだが、中国の歴史的偉人の1人であった。その名は、蔡元培。日本語で「さいげんぱい」と読み、原音に近い発音は、「ツァイ ユェンペイ」であるという実在の人物であった。

どうやらこの大人物の最大の功績とは、「思想の自由」と「兼容並抱の思想」であるようである。兼容並抱(けんようへいほう)とは、「全てのものをことごとく包容するという意味」だという。今の言葉で言えば、バックミンスター・フラーの思想とまったく同じで、「包括的思想」ということになるだろう。なんでも取り込んでしまうということである。インテグリティー(integrity)ということである。まさにフラーと同じことを抱いた中国の思想家であったようである。この人物は後に北京大学の学長になったというから、社会的役割からすれば、日本の新渡戸稲造のような人物だったと言えるかもしれない。

どうやらこの中国のフラー、蔡元培の薫陶を受けたり、その思想的影響を受けた中国の人々が政治的社会的に動き出すということを、その存在は「照」氏に伝えたようである。

いやー、実に面白い!

いずれにしても、その方向性は間違っていないわけだから、中国が良い方向へ動き出す第一歩となることを期待したいところですナ。


おまけ:
ついでに付け加えておくと、この蔡元培氏にもっとも思想的影響を与えたのが何を隠そう「明治維新」であったという。

昨今では日本のマスゴミや電通CIAの手先化したNHKが「歴史の書き換え」や「歴史の改変」事業を行って、必死で「明治維新」を安っぽい陰謀論的なドラマや出世成金ドラマに仕立て上げようとしている。

が、吉田松陰公や勝海舟公、そして高橋泥舟公や山岡鉄舟公などの思想は、電通CIAやNHKなど日本の朝鮮系マスゴミや創価学会や統一教会などの思っているようなちっぽけなものではない。もっともっと根が奥深いものである。このところをつかみ取らないと何も分かっちゃいないということになるわけである。

確かに伊藤博文や坂本龍馬が大英帝国の金銭的思想的影響はあったのは確かだったかもしれない。坂本龍馬がフリーメーソンであったことも確かだろう。しかし、やはりそれとは別個に「和魂洋才」に見る思想に、一種の「包括的思想」の芽を見て取れるのである。

東洋の精神と西洋の合理主義的科学技術を和合統一するという思想である。NHKはこれすら陳腐に演出したがる昨今だが、もし陳腐なものであったなら、そんなものが中国人にまで影響を及ぼすはずが無いのである。

実際、明治から昭和まで日本の大学は名前に「大日本帝国大学」を冠していたが、その中身は実に自由闊達、進取の精神、学問思想の自由を謳歌していたのである(拙著、「何が科学を潰すのか」にある)。その伝統が「科学者の自由な楽園」と呼ばれた、戦前の「理化学研究所」に受け継がれ、ここから仁科芳雄、湯川秀樹、朝永振一郎他、そうそうたるノーベル賞級の学者が育ったのである。

逆に、戦後になり、「学問の自由」を失った東大が、いまご覧のような「御用学者」の育成機関に成り下がったのである。こういう戦中の東京帝大における学問の自由の衰退に嫌気がさした連中が東大を去り、京都帝国大学を生み出したのである。その歴史的伝統の恩恵を小出博士に見るのである。

このことからも社会にとって「思想の自由」、「言論の自由」、「学問の自由」がいかに大切なことであるかということは自明であろうヨ。だいたいこれがなければ、NWOであろうが、フリーメーソンであろうが、イルミナティーであろうが、およそ組織というものは維持できないはずだからである。要するに「考えることの自由」ということである。「これこそ人間に特有の能力である」ということである。妄想、想像力、連想、大いに結構。どんどんやりたまえというところですナ。

事実、ソクラテスの師匠であったパルメニデスは、何でも白黒をつけ、つまらないものにかかわり合うのは時間の無駄だというソクラテスに対して、一見良さそうなものも一見怪しいものもどんなものにも一応は接してみて、その中をうまく歩き回り、その中から取捨選択し、最終的に正しい物事を見つけられるようになる力を身につけることが大事だと説いたという。

私自身は蔡元培については今日まで何も知らなかったが、この人物の遺産を観察して行こうと思う。実に興味深い話である。
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  by Kikidoblog | 2011-05-26 09:59 | 人物

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