私の「謹賀新年:今年は波乱の年か?」は当たったか?

みなさん、こんにちは。

良い機会だから、私が今年の年頭に何を書いていたか? どんなことを予見していたか?をここにメモしておこう。これを見れば、私の予想や予感がどの程度当たったかが分かるだろう。以下のものである。

謹賀新年:今年は波乱の年か?
(前略)

初心者への注意書きはこれくらいにして、はたして今年はどんな年になるのでしょうか? 
これは誰にも分かりません。しかしながら、昨年までの話題の中心にあった「アングロサクソン・ミッション」や「世界人口削減計画」などの文脈からすると、もしこれらが真実であるのなら、2012年の1年前である今年から、本当に厳しい状況が現れて来るだろうという予感がします。世界政治、国内政治も善かれ悪しかれ、欧米白人層の奏でるこのミッションの影響を受けるだろうと思います。

この意味では、我々はある意味で「覚悟を決めて」生きる必要があるでしょう。どんな事態に陥っても驚かず、どんな状況でも何とか対処する。そういう臨機応変な生き方が必要になるでしょう。そして例えどんな状況になったとしても生きる希望を失わず、人々で手を携えて乗り切る。そんなことが必須となると見ています。

人類の歴史上、最高に興味深い1年になるかもしれません。あるいはごく平凡なありきたりの1年になるのかもしれません。それは分かりませんが、自分の頭、自分自身の判断を信じて、行動して行くことが大事となることでしょう。

(後略)

どうだろうか? 私の予感は当たっていただろうか?

もし当たっていたと見る場合、かならず私が”あっち側の工作員だから知っていたんだ”というような本末転倒な捉え方をするものが必ず出て来る。しかし、それは当たらない。この1年というもの、私は家族以外のだれ一人ともこういった話題を話したものはないからである。

私の予感や予見は、超能力でもなければ、だれかから得たり知らされた情報からでもない。ましてやETの手を借りたものでもない。ただひたすら、人の書いた物を読み、人の作ったYouTube番組を見て、見聞きし、自分なりに考えて得た結論にすぎないのである。

「人類の歴史上、最高に興味深い1年になるかもしれません。」
ということが、悪い方の意味で当たってしまったのは残念だったが、私の予見のような1年になってしまったのではないだろうか? この意味では、今年に関して言えば、私の予見は当たっていたと言えるだろう。

「予言能力」というのは、真の男としての最低限の能力である。そう、私は信じている。だから、毎年、私自身への練習やトレーニングの一貫として、未来を予知する訓練をしているというわけですナ。
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  by kikidoblog | 2011-12-28 23:22 | アイデア・雑多

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