検索「井口和基とは?」:ひまな奴もいるものだ?

ボブスレーってこんな乗り物
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みなさん、こんにちは。

今回はちょっと個人的なことをメモしておこう。

最近ときどき「井口和基とは?」とか言うキーワードで検索をかけて来る人がいるが、こういうのを何というべきか。「まあ世間知らず」とでも言っておこうか。あるいは、「怖いもの知らず」とでも言うべきか? まるで「この人だれ?」とでも言うかのように、私を知らない(おそらく、見たことがない)というだけの理由で、自分が高みから見下ろすかのような気分なのだろう。今や世の中の大半は私より年下だろうから、こういう精神状態を見るのは面白い。

そもそも私が我が家のHPを作ったのは、日本にインターネットのアクセスポイントができ始めた1996年の秋である。徳島では一番初期のものである。まだ当時無名のホリエモンがオンザ・エッヂで我が家のHPと同じようなものを作っていた頃のことである。この意味を込めて、わざわざまったく形態を変えずにいるのである。まだ当時は、ヤフーも楽天もブリックスもインターネットショップを始めたばかりの頃である。

だから、私のインターネット歴は非常に長い。

そもそも、私が1986年にユタ大学に留学し、1990年の秋に帰国して次の春に私は富士通に入った。私が入社した部門はこれまで日本企業のどこにもなかった部門で、スーパーコンピュータを必要とさせる需要を生み出すための部門だったのである。そのための計算科学部という新部門設立のために私が餌になって誕生したのである。

これが契機となり、以後、日本の東大を始めとする国立大学や電総研や物性研や理研などを皮切りに日本全国にいわゆる「計算科学部」という部門は流行したというわけである。

私はぜんそくアレルギーに悩まされたことともう2年でほぼその部門かでき順調なスタートを切ったことから、空気を変えようと和光の理研に移ってそれまでに目標としていたDNAの電子論の構築へ向ったのである。そこで1993〜96年の3年間を過ごしたのである。

この頃、私は頻繁に日経サイエンスの投書欄に個人的意見を送り続けたものである。また、富士通時代から日本の大学研究のあり方や日本社会の構造的問題についての意見を物理学会の有志の主催する雑誌などに投稿し、いまでいうところの「秋入学」の勧めなどをしたのである。
(この頃の論文はここにある。)

ところで、私がユタから帰り、富士通にいた頃、すでに社内ではイントラネットが存在し、社内Eメールなどはやっていたのである。これが1991年〜93年のことである。当然、理研でもイントラネットやインターネットで電子メールをやっていたわけである。ここ徳島に来て個人として使えるようになったのが、冒頭にあげた1996年のことなのである。

この当時は、いまとは全く違って、インターネットに繋ぐにはすべからく本と首っ引きになり、プロバイダー契約からすべてを自分で行わなければならなかったわけである。だから、パソコンを繋げばインターネットができる今の時代とはまったく違っていたのである。しかしそれもほんの16年ほど前のことである。

さて、私が理研にいた頃、その理事長はその2、3年後に文部大臣になる、有馬朗人博士であった。私は1991年に公表した日本社会の問題に関する論文をその頃本にして自費出版したのである。それを理研で有馬博士に直接手渡し、ぜひ読んでくださいと言ったのである。
(この本は、「三セクター分立の概念:日本社会の構造的問題とその解決の方向」というものである。この本のほとんどはすでに有識者たちの潜在意識に常識として組み込まれているから読む必要も買う必要もない。)

その後、有馬博士が文部大臣になった時、「1995年に科学技術基本法」が誕生し、省庁再編があり、科学技術庁と文部省が合体し今の文部科学省になったわけである。そして、その頃から国立大学の法人化、大学の法人化、ポスドク増員の流れが生まれたのである。

この頃に私が物理学会に送ったちょっと長めの論説が
「日本の物理学--明日への展望」に異議あり!:戦後の日本におけるアカデミズムの問題点
である(これは日の目を見ることはなかった)。これは、信州大学のある学者がこれに感銘しそれ以後ずっと掲載し続けてくれているものである。この中の一部はかつてとある受験雑誌の問題に使われたこともある。そこで私ははっきりとこう主張している。
   我々が大学生や大学院生になるときのことを考えて見よう。
すぐに分かることは、第一に日本と欧米における入学時期の違いで
ある。第二に日本と欧米の間で授業構成や単位取得構成がまったく
異なるということである。これらは留学に関するものである。次に
国内で学ぶ場合に関するものとして、第三に指導教官の選択の自由
の問題、第四に教科書の選定とレベルの問題などがある。
   第一の日本と欧米における入学時期の違いの問題を考えて見
よう。日本では4月に入学し、3月に卒業する。欧米では9月に入
学し、6月に卒業する。これを単に文化や伝統の違いとすることも
できる。しかしそれは浅はかである。というのは、この差による我
彼の学生たちの被る時間的、金銭的損失は計り知れないものがある
からである。もし日本の学生が欧米へ留学する場合、4月から9月
まで半年ほどブラブラしていなくてはならない。そして、学生が欧
米の大学を卒業し日本国内で職を得るとき、6月から次年度の4月
まで一年近く失業していなくてはならない。さもなくば、中途採用
しかない。一方、欧米の学生が日本へ留学する場合、日本ではすで
に新学期が始まっているため、やはり6月から次年度の4月まで一
年近く待つか、あるいは途中から始めなくてはならない。このよう
に留学生たちは不当に時間的、金銭的に損させられているのである。
これは明らかに、日本と欧米の学生たちがどの国で学ぶかというと
きに生じる基本的権利を損なうものである。同時に、自国内で学ぶ
学生たちと他国で学ぶ留学生たちとの間の不公平であるといえる。
つまり一個人の学生としての権利が不当に犯されているということ
である。

(ついでに加えておくと、日本の文部省、そして文部科学省は、外国で取得した学位を日本の学位(最終学歴)とは認めていない。だから、かなりの日本人が欧米の大学で博士になったり、卒業したりしているが、日本に帰国後に企業や大学に入った時、その学位は名誉としては利用されるが、給与体系の中では無視されるのである。これは一般人にはまったく知られていないことである。だから、私の場合も、アメリカのPh.D.であるが、入社した富士通では修士卒の給料だったのである。海外の有名教授の下で学位をとって日本の大学に勤務する人々も、この点は同じであり、その後の昇進が非常に遅れるのである。もっとも嘆かわしいのは東大にあり、海外のノーベル賞級の学者の下でPh. D.になったにも関わらず、ずっと助教授のままでおり、あげくの果てには自分の大学院生が先に教授になって自分の研究室の横に研究室を構えるなどという、喜劇も生まれている。だから、「秋入学」も大事で、それもさることながら、もっと大事なことは、つまり一番最初に行わなければならないことは、文科省は「海外の大学で取得した学位や博士号や単位を認めなくてはならない」ということなのである。つまり、同等に扱え、ということなのである。ましてや、東大より上のランクの大学の学位も認めないなどというのは馬鹿すぎて恐れ入るのである。これをやっているから、「御用学者」が生まれるのである。まあ、みなさんは世間知らず、世界知らずだから、こういうことは知らないだろうが。)

この頃から、大学の秋入学は問題視されていたのだが、つい最近でもいまだに邪魔するものがいる始末である。大学の秋入学とTPPなど何の関係もない。むしろ欧米の中でもっとも話が分かり合えるアカデミズム同士が結束を結ぶことで、よりいっそうの権力者や政治家や財界への牽制ができるようになるのである。

それからしばらく経って、私は徳島に来た。そのころはすでにインターネットを使っていたのである。そこで当時はインターネットを使ってどんなことができるかという論説を岩波の「科学」や日本物理学会誌に送ったのが、以下の論説であった。
「インターネット時代の研究と研究助成はどうあるべきか」、 フォーラム、岩波 科学、第67巻、第8号、577(1997)。*
「インターネット時代の研究と研究助成の在り方」、 会員の声、日本物理学会誌、第52巻、第6号、367(1997)
これも結構当時の日本の科学者にはそれなりの衝撃を与え、在宅勤務やスイミングに通うなどという流行が出たのかもしれない。

そしてこのちょっと後から、東大の松田良一という学者の掲示板「高等教育フォーラム」というものに、非常に多くの意見を乗せ、いくつかのブームを引き起こしたのである。その後、私自身が掲示板というものを使ってみる実験として「Kazumoto's scientific BBS」というものを作ったのである。これは当時ですでに何十万ものアクセスを得た人気サイトになった。その頃私が書き込んだものを集めたものが、このブログのいくつかの本にしたものである。

このサイトはにはあまりに多くの人が見るようになったことやその結果としてあまり人の時間を奪うのもまずいな、と私が考えるようになり、2001年過ぎた頃に閉鎖したのである。その頃、私に意見をくれないか、という誘いが朝日新聞からあり、それで出したものが、
井口和基,「官僚的適性測る一発入試」, 私の視点,朝日新聞,7月14日(土)(2001).
という記事であった。これには当時ノーベル賞を受賞されてすぐの白川博士からも手紙が来て、賛同してもらったものである。

これは私個人の妄想かもしれないが(まあ、しょっていると思われるだろうが)、この意見が出た頃から、「一芸入試」や「AO入試」、そしていわゆる「推薦入試」という形態が日本の大学にも普及し始め、それが後々、高校入試にも普及して現代に至ったというわけである。この結果、いまやどこの地方でも見るように、子供たちはスポーツで大学へ行くこともできる時代になったというわけである。

その後、私はハワイで過ごすチャンスがあり、そこで今でいう「ネットワーク理論」の論文をハワイ大学に毎日通って集めて帰国した。それを勉強し読みふけって、いくつか論文にしたのだが、その頃から、私はこれでは生命は無理だなという結論に達し、それ以後かなり方向性を変えて、「生命の原理」、「生命の物理学的基礎」を作ることをここ数年目指しているというわけである。

そしてこの頃から、私は掲示板からブログに変えることにして、旧ブログ「KiKidoblog」を持つようになったのである。ここで数年いろいろ書き貯めたが、まずは2001年911、2008年サブプライム崩壊などを観察して行くうちに、いわゆる「陰謀論」というものの真偽、「UFOや宇宙人問題」などを自分の手でインターネットだけでどこまで知ることが可能か、という実験をするようになったのである。

ところが、ある時期にNTTのdoblogは急に閉鎖して使えなくなったために、これを機会に「陰謀論」や「UFOや宇宙人問題」の専門の、この世の怪しい情報ばかり集めたブログを作ってみようかと、このブログを密かに始めたのである。最初は非公開で作っていたが、ある時期に「鳥インフル」が流行った頃にこれはまずいなということで、公開に踏み切ったのだが、案の定、だれかが「阿修羅」に流した為にいっきにこのブログの存在が知られることになったというわけである。それ以後は大方のご想像の通りである。昨年の311でいっきにまた知られることになったのである。

さて、インターネットというものは面白いもので、かつての掲示板に書いた冬のスポーツの話はその後、日本のボブスレーチームの目にとまった。その監督が私に交流を求めて来たため、都内や周辺にいるその筋の専門家に問い合わせて、数年前に
「ボブスレー工学研究会」
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というものが立ち上がったのである。

ここで、ボブスレーは科学的に計測しながら、現代工学技術の粋を使ってやらなくては欧米、特に米露、ドイツ、イギリス、カナダ、スイスなどには太刀打ちできないということを私が主張したわけである。そうして、今では東京の有名私立大学や国立大学にもボブスレー工学を研究する研究室も誕生し、いつの日か「日の丸ボブスレー」を自前の日本製ボブスレーを作るべく研究する時代になったのである。

(何を隠そう。私は、日本で最初の公式ボブスレーに乗った一般人3人の1人で、日本で4人乗りボブスレーに一番最初に乗った理論物理学者である。一番危険な最後尾を選択。尻が持ち上がる怖さは何とも言えないものがあった。最高時速120km。斜度90度。パイロットは今年で10連覇の強者の鈴木さん。)
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この成果が一昨年のバンクーバーオリンピックで出たのである。日本男子は不幸にも2回目に転倒し最下位に転落したが、女子は一世一風靡したのである。
Bobsleigh Two-woman sled Vancouver 2010【さくらさくら咲く】
男子はその直前の大会で何度か入賞。歴史上初めてを繰り替えしたのである。オリンピック本戦でも15位につけ、2回目がよければかなりいいところに付けることができたのである。
Vancouver 2010 Olympic Winter Games,bobsleigh 4-men Japan national team vol.1

また、このバンクーバーの直前になり、読売新聞の記者が私の冬のスポーツの本を読み、どういう観点でウィンタースポーツを見たらいいかということで我が家に来て、いろいろ雑談したのだが、それが基になって生み出されたのが、読売新聞2010年の「超人の科学

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だったのである。

私は金のために生きているのではない。私は必然性のために動く。これらの企画も「必然性」を感じたから無償で協力したのであって、それで飯を食うためではない。私がここで何かをメモするのも何らかの必然性を感じたからそうしているに過ぎないのである。


おまけ:
ちなみに、私は、結婚したら子育ての本を書き、得意になってベスト夫婦賞をもらい、その後離婚。すると、離婚相談の専門家になる、というような輩が大嫌いである。わざわざ女優になって売春婦役をしてみたり、男優になってヤクザ役をするような輩も嫌いだが、何より自分が何かをしたらその都度ご報告するという類いのおこちゃまは、ヒットラーが言った「永久に大人になれない人間」というものである。岡潔博士も言っていたが「自分より相手が先」というのが情緒である。自分が何かを研究したら自分が一番という学者もまた困るのだ。大事なことは人知れずだまって行い、しかるべき時にそれをそれとなく告げればいい。それが情緒というものである。ついでに付け加えると、この意味では私はNPOとかNGOという組織も嫌いである。たいしたこともせずていよく政府にたかっているだけのことだからである。場合によっては、この税金がその背後にいる政治家や得体の知れない連中の懐に入るわけだからである。
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  by KiKidoblog | 2012-02-18 23:31 | ボブスレー

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