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平井憲夫の「原発がどんなものか知ってほしい」:まさに「大器晩成」である。

大器晩成

大きな器を作るには時間かかる。
大きな仕事をするには時間が必要である。
また、真の大人物は、才能を発揮するまでに長い年月を費やすものである。
大器は晩く成る。

大器は晩く成るといふ事有。
二十年、三十年にして仕課する事にならでは、大功はなきもの也。
−−− 葉隠(1716年)


みなさん、こんにちは。

さて、日本の原子炉のことを如実に語るものを見つけたので、以下にメモしておこう。

「原発がどんなものか知ってほしい」の平井憲夫さん 完全版


まあ、皆さんは新聞記者や新聞社というものを知らないから、有名新聞がどうやって新聞記事を作っているか知らないだろう。もちろん、私も知らない。だから、著名な新聞社の書いた記事であれば、全部きちんと取材した上で行った、それなりにリサーチを行って作った記事だろうと思うことだろう。ましてやNHKなどの主要メディアの作る報道ニュースならなおさらのことだろうと思うに違いない。

しかしながら、それは「幻想」、「虚構」である。イルージョンなのである。

かつて武田信玄が死んだ後、まだ信玄公が生きているかのように見せるために、「影武者」をおいた。いわば、そっくり物まねさんを信玄公に見せたのである。それ以来、イラクのサダム・フセインも北朝鮮の金正日も影武者を作ったと言われている。いま現在では、少なくとも4人のヒラリー・クリントンがいるとこの筋では噂されているほどなのである。

これと同じで、いまの新聞社やメディアも、実際にはそういう確かな取材や調査も裏付けも行っていないのにも関わらず、それをあたかもそうした結果の記事や取材であったかのように演技しているわけである。

では、実際に何をやっているかと言えば、下請けやら海外のもっと有名な報道(たいていは、米CIAが作ったロイターや共同などの報道機関)の記事をまた受けして、さも自分が取材したかのような顔をして(関西で言う、えーかっこうしい、をして)流しているだけのことなのである。それでいて大金を稼ぐ。(まあ、詐欺の一種だな。)

もう一つは、それなりの専門家になってやっと分かるか、そんなことに気づくか、ということなのだが、新聞記事やテレビニュースのほとんどは、「報道してもらうために自分で金を払って報道してもらう」のである。ここを間違ってはならない。

あっち側(新聞社やテレビ)がこちらが黙っていても取材に来て報道してくれるなどということはないのである。もしそういう場合には、そうすることで連中にメリットがあるからに過ぎない。

具体的に言えば、例えば、よく大学機関の「この度、〜〜の発見をした」というようなニュースがあるはずである。一般の世間の人は無知だから、そういう記事を見ると、新聞社やテレビが大学に行って取材して記事にした、と勝手に思うにちがいない。しかし、そんなことはあり得ないのである。あなたがいくら大発見をしたとしても、あっちからあなたのところに来ることはない。私自身いくつか素晴らしい業績をあげたが、これまで一度も私自身の科学研究についての取材に来たものはないのである。

では、どうしてそういう発見のニュースが新聞やテレビに出るのか?

あたりまえじゃないか。お金を払うからである。「報道料」を払うからである。一種の「広告料」なのである。広告費を大学が自分の名誉のために新聞社に支払うから報道されるのである。あるいは、それに代わるコネを使って、しかるべき地位についている取材陣に依頼するわけだ。さもなくば、一生無視されるのである。

こういうことをあなたは知っていて新聞やテレビ報道を見ているかい?

まあ、そうではないだろう。しかし、これは事実である。

私個人よりもっといい研究を行った人々もたくさん知っているが、そういう人々さえ日本の新聞テレビのいわゆるマスゴミが報道したということはない。皆無である。

それは、マスゴミはマスゴミと呼ばれるように、金儲けのための「ダシ」に日常生活、この世界の出来事を見ているからである。この世界を金儲けの道具にしているだけのことなのである。しかし、最初からそういうと身もふたもなく儲からないから、あたかもそれらしくカモフラージュしているわけである。

マスゴミがそうなら、東京電力やら、日本の官僚やら、政治家はどうか?

まったく同じことなのである。むしろそれに輪をかける。もっとひどいのである。

以上のことをもっと簡潔に一言でいうなら、「日本社会はド素人が運営している」ということである。

物理学を物理の分かっていないものが教えている。物理の素人が教授になっている。見よう見まねで研究をしている。まったく科学をしたことも学んだこともない人間が、公務員試験に合格したというだけのことで国家公務員になり、法律を作っている。まったく人間社会を知らない人間が、単に国家試験に合格したというだけで弁護士やら裁判官になっているということなのである。

その昔、正岡子規の時代には、旧制中学時代や旧制高校時代にお互いに切磋琢磨し、喧嘩したり、競争したり、そういう生の経験を積んで大学に入り、それなりの人間になった。これを「末は博士が大臣か。」という言葉に込めたのである。

しかし、今は違う。戦後初期はまだ”まし”だった。それが高度成長期、バブル全盛期、そしてバブル崩壊、空白の20年と経つうちに、気がつけば、あらゆる専門分野が「ド素人ワールド」に変わってしまったわけである。問題が起こる場所、分野はほとんどがそういうことなのである。

公平の為に言えば、まだうまくいっているところ、いまも成功しているところというのは、いま述べたこととは逆に、本物がまだ残っているところなのである。本物の専門家が残っているところは未だに大成功しているのである。

私は大分前に日本物理学会を退会したが、私の統計物理の分野の衰退はひどく、もう見る影もないと噂されている。もう本物の世代は死に絶えるか、老化したかで次の世代、そして次の世代はほとんど学生レベルのが主流の位置にいるらしい。そんなわけで、いまとなってはやめて良かったとすら思うのだが、そんな時代なのである。

だから、みなさんは今の専門家に期待してもだめだということである。医者が欲しければ、自分たちで地元で育てなくてないけない。学者が欲しければ、自分たちで育てる他ない。国に期待してもダメだ。政治家に期待してもダメだ。なぜなら、彼らは素人さんなんだから。そういう時代になったということである。これをまずは認識しないと、確実に日本は滅ぶだろう。

平井憲夫氏の話はこういうことを如実に語っているのである。


おまけ:
「うけ狙い優先」マスメディアの正体

  by KiKidoblog | 2012-02-23 12:06 | 真の歴史

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