「1枚の写真」 高倉健:「戦後の日本が蓄積してきた経済や社会のシステムがパンクした瞬間でした。」

みなさん、こんにちは。

日本経済新聞に出ている高倉健さんの記事は実に素晴らしいので、ここにもメモしておこう。以下のものである。
1枚の写真 俳優 高倉健

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3月11日。私の胸によみがえったのは、遠い少年時代につぶやいた言葉だった ((C)2012「あなたへ」製作委員会)


 去年の桜を、私は重く沈んだ気持ちで見つめていました。

 3月11日。あの日、いつもの理髪店を出た私は、次の約束の場所へ向けて車を走らせていました。白金台に差しかかった時です。ガクンと大きな衝撃を感じた私は「パンクか?」と思い、車を止めました。

 しかしそれは、戦後の日本が蓄積してきた経済や社会のシステムがパンクした瞬間でした。

 おびただしい数の尊い命が失われ、ささやかな夢や希望が砕かれ、政府や大企業への信頼が失墜してゆく惨状を目の当たりにする中で、私の胸によみがえったのは、遠い少年時代につぶやいた言葉でした。

 「日本が戦争に負けたらしいばい」

■震災と終戦

 1945年8月15日。疎開先の福岡県遠賀郡香月(当時)で学徒動員に駆り出されていた私は中学2年生。水泳用の黒いフンドシ一丁で、近くの寺の池で泳いでいた時のことです。天皇陛下のお言葉があるらしいと聞き、仲間たちと急いで駆けつけた寺の本堂では、雑音混じりのラジオが鳴っていました。それを囲むように座り込んだ大人たちの中には、泣いている人もいました。

 「えー? 日本が降参したとな? 負けたんか、日本が…」

 それまで信じていたものが足元から崩れ、暗闇に突き落とされたような想い。終戦の時に似た絶望と寂寥が、私の胸をおおっていたのです。

 2010年の秋にオファーを受けた「あなたへ」の出演。すでに具体的な動きが、始まっていました。しかし、俳優に何ができるというのだろう?

 自分の中に生まれた問いかけが、暗雲のように体中に広がっていきました。

■絶対に負けない

 そんな弱りかけた気持ちに、ビシッとムチを入れてくれたものがあります。それは、雑誌に掲載されていた一枚の写真でした。イタリアにお住まいの作家の塩野七生さんが、現地の週刊誌に載っていたと紹介している写真でした。
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気仙沼の被災地のがれきの中を歩く少年の写真を「あなたへ」の台本の裏表紙に貼りつけた (写真は共同)

 気仙沼の被災地のがれきの中を歩く少年は、避難所で支給されたものでしょうか?

 袖丈の余るジャンパーにピンク色の長靴をはいています。両手には一本ずつ、焼酎の大型プラスチックボトルを握っています。彼は、給水所で水をもらった帰りなのです。その水を待っているのは幼い妹でしょうか?

 年老いた祖父母なのでしょうか?

 私の目をくぎ付けにしたのは、うつむき加減の少年のキリリと結ばれた口元でした。左足を一歩踏み出した少年は、全身で私に訴えかけてきます。

 「負けない。絶対に負けない…」

 私は、その少年の写真をB5版のサイズにしてもらいました。映画の台本の大きさです。「あなたへ」の台本の裏表紙にその写真を貼りつけた時、胸の奥からほとばしった熱情。クランクインは、数日後に迫っていました。

■やはり不器用だから…

 「不器用ですから」というのは、昔のコマーシャル用のせりふです。自分が不器用なつもりはないのですが、何か事を成し遂げようと決めたとき、人智を超えた畏敬のものに頼りたくなるのは、やはり不器用だからでしょうか?
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日本の映画史上類を見ない過酷な撮影といわれた「八甲田山」。それまで1日80本も吸っていたタバコをきっぱりとやめた (中央が高倉健氏、(C)橋本プロ・東宝映画・シナノ企画)

 日本の映画史上類を見ない過酷な撮影といわれた1977年の「八甲田山」では、3年間冬山に通いましたが、最初のロケは25日間でした。

 冬山に慣れているという現地の人が8人加わってくれましたが、彼らはたった一週間で、橋本忍プロデューサーに辞退を申し入れたといいます。それくらい危険を伴う無鉄砲な撮影だったのでしょう。この映画に入った年の初詣で、私はそれまで一日80本も吸っていたタバコをきっぱりとやめました。

 それくらい自信がなかったのでしょう。自分が途中で「やめさせてください」と言い出すんじゃないかという不安を断ち切るため、私は嗜好の楽しみと引き換えに何かの力を求めたのだと思います。

 1983年の「南極物語」のときは、コーヒーを断ちました。

 この作品の前作「海峡」は、青函トンネルにかけた男たちの物語で、身も凍る寒いロケが続きました。次の作品は、もっと寒い極地での撮影だと聞いて、冗談じゃないと断ったのですが、縁あった女性の死へのやり切れない想いが、日本を離れ極寒の地へと向かわせたのでしょうか、ふと気づけば私は、何も見えないブリザードの中に立っていました。好きなコーヒーをやめたご褒美は、命の危険と隣り合わせの限界の地から生還できたという余りあるものでした。

 自分には、芸がないのだと思います。

 もっとうまい映画との関わり方や演じ方もあるのでしょう。そうした俳優になれない私には、勢いで一年に15本も撮った東映の任侠映画時代は別として、己の魂を揺さぶり、叱咤(しった)し勇気づけてくれるものが必要だったのです。

 芸がないことを、恥とは思っていません。むしろ、芸がないところで飯を食ってきたことは、自分自身のひそかな矜持(きょうじ)になっています。

 今回も、この写真の少年のおかげで「あなたへ」の75日間、総移動距離9050キロを走り続けることができました。

 坊や、ありがとう!

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  by KiKidoblog | 2012-03-16 12:01 | 人物

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