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いやはやACL日本予選敗退!:あれから20年、はや日本サッカーの危機!?

みなさん、こんにちは。

いやー、ALCの試合、FC東京0ー1広州恒大(中国)の試合を今見終わったが、ひどい試合だった。まさにトゥーロン国際の日本代表と同じ問題が敗退の原因だったからである。柏も蔚山現代(韓国)3-2柏と同じような試合をして予選敗退。アジアのプロサッカーの中でももはや日本は、ベスト8にも至らない、3番手レベルに落ちてしまったのである。

Jリーグが開幕してほぼ20年。もう「Jリーグ100年構想」は頓挫したように見える。今後は、この問題をどのようにして解決して行くかが本質的な問題になるはずである。さもなくば、日本サッカーに未来はない。

その問題とは、
トゥーロン国際はひどかった!:「子供横綱問題」が見え隠れする!?
でメモしておいた、私の言うところの「子供横綱サッカー」のことである。

この深刻な問題を解り易くするために、FC東京を例にとると、FC東京には、MFに梶山

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(一番左)

という選手がいる。梶山選手がFC東京のゲームを作る。この試合の敗因は、この梶山選手がほとんどなにもできなかったことにある。というより、「何もしなかった」というべきだろう。

この梶山選手は、本来なら(つまり、幼少年期の活躍の記録からすれば)こんなところにいる選手ではないのである。かつて高校時代、同じMFの本田圭介選手と梶山陽平選手を比べた場合、梶山が勝ったのである。本田選手はいつも梶山選手の陰に回り、2番手であった。

ところが、その後どうなったか?

誰もが知る通り、梶山など普通の人はほとんど知らない無名の選手。その他大勢の1人にすぎない。一方、本田圭介選手は日本代表の中盤の司令塔に育ったのである。

この差は何か?

ここに私の言うところの「子供横綱サッカー」の大問題が潜むのである。

本田圭介選手は、自分の未熟さのために単身欧州へ武者修行に旅立った。最初はほとんど目立たなかったが、徐々にフリーキックや中盤のボール処理やパス変化など、自分流のリズムを身につけるようになった。意表をつくパス、無回転シュートを引っさげ、今では本田圭介の代名詞になった。

ところが、Jユース時代から、中盤の子供横綱でエリート選手として育った梶山選手は、どこへいっても才能あるエリート。そこそこ強いFC東京に入った。そこで、それなりの司令塔の域に達した。そして、Jリーグではそこそこに活躍するようになった。右サイドへのパスは非常にすばらしいものがある。今日の試合でもそれは十二分に発揮した。

しかしながら、梶山選手には、このプレーは梶山だというものが育っていない。すべてがそこそこ、英語で言うところのミディオクレ。凡庸なのである。パス出しもそこそこ、走りもそこそこ、シュートもそこそこ、体力もそこそこ、すべてが80%の出来のエリートなのである。

ちょうど学問で言えば、東大エリートと同じで、すべてが偏差値65。80%の優だけというのといっしょである。強烈な個性、突出したものがないのである。

日本では「子供横綱」になると、同じ年齢層で試合を戦う限りにおいて、いつも適当でも良いプレーができるのである。なぜなら、回りが良いからである。仲間もそこそこにうまい。平均的に相手チームに勝っているわけだから、そのチームの個々人は必死でやる必要性がない。適当に中盤でジョギングし、適当に位置取りし、適当にパスを出し、適当にシュートすれば、相手は自滅し負けてくれるのである。

これが、今の日本のユース世代のサッカーシーンなのである。これがサッカーにおける「格差社会」サッカーの現実なのである。

そんな中では、突出した選手は育たない。いわゆるサッカー観から逸脱した天才は出て来ない。そこに今現在のJリーグ開幕して20年目の日本サッカーの問題があるのである。

こういうぬるま湯のような育成環境下でいくら才能ある選手がいたとしても、結局は梶山選手のようなふがいないタイプに育って、成長があっという間に止まってしまうのである。同じFC東京の平山選手もそうであった。192cmの平山選手はその恵まれた身体能力が少しも試合に生かせない。

ところが、一番小さく、一番ハンディキャップがあるはずの、長友選手だけが、インテルの左サイドバックになり、日本代表の欠かせない左サイドバックに育ったのである。

おかしいと思わないか?

というのが、わたしの言いたいことなのである。

小中高と恵まれた体格や才能や技能を持った選手たちが途中で伸び悩み、成長せずに終わる。一方、身長が低い(長友選手)とか、足がのろい(本田圭介選手)とか、非力(香川選手)とか、むしろハンディキャップを背負っている選手たちの方が、その後自分の個性を磨いて、大選手に育ったのである。

長友選手は、無尽の基礎体力で100mを何回も行ったり来たりできるダッシュ力を身につけた。これだけ動き回れば、身長の低さは問題にならない。
本田選手は、中盤での混戦状況でもボールキープをできる力とセットプレーのフリーキックによる得点力やシュート力を身につけた。シュートには足の速さは必要ない。
香川選手は、肉体的には当たり負けるから、相手の空隙を縫うようなスピーディーなドリブルやフェイントとシュート力を身につけた。これなら、相手にぶつかる必要がないから華奢な身体でも十分に通用する。

ところが、子供横綱サッカー選手たちは、それまでの自分の過去の良かったプレーのままに留まってしまう。ついこの間の高校時代、Jユース時代のちんたらプレー、怠慢プレーでも、俺様はうまかった。俺は活躍できた。当たり勝った。競り勝った。だから、それで良いんだ、というようなプレーなのである。

梶山選手と同じことは、FC東京の石川選手にも言える。石川選手は、岡野選手同様に、極めて俊足の選手だった。だから、技術を身につけなくても、前にボールを「適当に蹴れば」だれにも負けなかった。ユース時代ではそれも良かった。

しかし、ユースを過ぎれば、相手は国内ではなく、国外になる。最終的には世界チャンピオンを目指すわけだから、結局、相手は自分より大きく、自分より足の速い選手たちとの戦いとなるわけだ。競り負け、スピードで追いつけず、高さでも負け、キープもできなくなる。

大人になって、成長が止まり、日本代表となって、世界相手に戦うようになって、やっとそれに対処するというのが、今の「子供横綱サッカー選手」たちなのだが、誰が考えてもそれでは遅いだろう、ということなのである。

だったら、なぜ最初から、そういうことを想定して、足の速い選手でも、正確なセンタリングや精密なシュート力、細かいドリブルや正確なトラップ、教科書通りのキックフォーム、そして、サッカー理論通りの戦術的鉄則を身につけておかないのか? 指導者たちはどうしてそういうふうに育てないのか? どうしてそういう当たり前のことを選手に期待しないのか?

そこが私には理解不能なところなのである。

石川選手がもうちょっとシュートがうまければ、梶山選手がもうちょっと必死でパス&ゴーや自分でシュートしようとする気力があれば、DF高橋選手(今回日本代表になった)が、縦パスの精度やラインコントロールができていれば、今日の試合は楽勝だった。少なくとも私にはそう見えた。決して勝てない相手ではなかった。

しかし、いくら足りない部分が見つかったからといって、今からシュート力を鍛えたってうまくはならない。もうその学習年齢は過ぎているからである。

三浦和良選手がなぜ45歳の最年長ゴールを決められたのか?

それは、やはり三浦選手が、16歳で単身ブラジルに渡り、その厳しいプロ予備軍生活を送った時に、日々基本技術、シュート力、ダッシュ力、トラップ技術、センタリング技術などの反復練習を積み重ねたからである。そしてそれを今も忘れずに日々トレーニングを続けているからなのである。

今時、我々が学び練習したような、見事なウィングプレーのできる日本のサッカーチームはまったくない。センタリングすらトップの頭にどんぴしゃりで合わせられない。そんなレベルである。

ましてや、
肛門を締めてシュートする、
シュートはGKのいない場所へのパス、
バックパスはダイレクトで蹴る、
パス&ゴー、
パスしたら必ずサポートする、
味方のシュートは必ずリバウンドを狙って詰める、
センタリングはマイナスほど得点確率が増す、
ヘディングはゴールラインに叩き付ける、
サッカーはピッチ上でバスケットボールをすることだ、
けっして自分が審判してはいけない、
ホイッスルが鳴るまでプレーを切らない、
サイドはラインの外を走れ

などというクラマーコーチの言葉を知っているものはいない。ドイツの美しいサッカーでは未だにこれらの鉄則通りにやっているのである。

まあ、今の選手が我々の時代の選手たちよりうまくなったのは、不必要に中盤や終盤でパス回しするというところだけである。これでは、美しいサッカーはできない。サッカーは美しいサッカーほど強いのである。そこがバスケットボールと似ている最重要点なのである。

柏のサッカーもFC東京のサッカーも中盤で細かくパスを回して得点するという似たサッカーである。いわば、そのチャンピオンである「FCバルサ」のコピーチームである。

サッカーの基本技術はだれでも同じであるから、基本を学ぶことは同じようにプレーすることにつながる。しかし、それは真似とは異なる。インステップキックというものはだれが蹴っても同じである。同じ基本に従うからである。しかし、どこまでその基本通りにできるかに差が出る。トップスピードでも基本通りにプレーするには、基礎体力がいる。そういうところで大選手と凡選手の差がでるのである。子供はまだ大人のスピードで基本プレーを行うことができない。だから相手の大人に負けるのである。

早くバルサのような華麗なパス回しサッカーがしたいからといって、そういった基本プレーをおろそかにすれば、結局大人になって、トップスピードでのパス回しサッカーはできないことになるのである。

梶山選手は、シュートできる場面でも、いつもルーカスにパスして、自分ではシュートしない。困難を自分で背負い込んで打開しない。これではチャンスが来ない。石川選手はいつも適当にシュートする。ケツが割れている。ケツが割れた、肛門が緩んだシュートは枠に行かない。もし渡邊選手のヘッドがゴールラインに叩き付けられていれば、おそらくゴールしただろう。

すべては結局、プロ選手なのに何一つ基本がなっていないから負けたのである。恥ずかしい限りのサッカーであった。負けるべくして負けたのである。

これが、私の見た「20年目の日本サッカーの限界」なのである。

今の日本サッカーは、日本代表の海外組を除けば、いつ何時再び土壷にハマらないかもしれないというかなり危険水域にいるのである。

まあ、分かる人にしか分からんだろうがナ。

  by Kikidoblog | 2012-05-31 00:12 | サッカー&スポーツ

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