大不況は必ずしも悪くない!?:我々人間には「長考力」がある!

みなさん、こんにちは。

前回の地震電磁波の最後に東大の話が出たついでに、東大の学者のことや科学研究のことについての私見をメモしておこう。私の個人的意見だから、関心の無い人、意見を異にする人、東大の人などはスルーして欲しい。得るところはないし、理解できる事もないに違いないからである。


さて、一般にはあまり知られていないが(もちろん、大手マスゴミで公表されたものだが)、東大は10年以上前から論文1通につき、平均で2000万円研究費を浪費しているという話である(ここ阿南では結構素敵な一戸前の家が買える)。これは、科学技術基本法(1995)のお陰であるが、いわゆる、「科学研究費(通称、科研費)」というものである。東大の研究者の中には、1年に50〜100通以上も論文を出版する馬鹿者もいるらしいから、何億円も年間に浪費しているのかもしれない。

私など、何本論文を出そうがすべてゼロ。人件費ゼロ、研究費ゼロだから、研究というものは、頭次第でいくらでもできるという好例となっている。いわば、東大型御用学者の反例にあたるだろう。研究というものは、要は、何を重要と見るかという発想の問題なのである。

スーパースーパーコンピュータの「京」も大事だが、それは一昔前の「軍拡競争」と同じで、かなりブルートフォース、馬力(つまり、人力と金力と時間)の問題にすぎないというところがあるわけである。日本の場合は、日本人が必死でお茶とおにぎり片手に日夜製作するわけだろうが、「京」を最近抜いたアメリカの場合は、手先の器用で勤勉なアジア系科学技術者が、ハンバーガーとコーラ片手に頑張っているというのが相場であるだろう。だから、双方の中身を見れば、結局はアジア人が世界の科学技術を今では担っているというわけである。その間、偽ユダヤ人科学者は、指揮官として、良いとこ取りだけするわけですナ。まあ、そんな感じだろう。

私はいくつかの分野でスーパーコンピュータを駆使して研究する理論物理学者と戦争して、全勝している経験からして、やはり科学というものは、思考力、それも構想力や発想力が何よりも大事だと考えている。そして、同時に、問題にはその問題特有の個性というものがあり、その部分を一極集中的にうまく捕らえる手法を確立する事、これが特に大事な事なのである。

したがって、「何でもできる」、「何にでも応用できる」という「汎用性」では、科学の問題に太刀打ちできないということがしばしば存在するのである。まあ、科学者ではない人や研究をしたことがない人や、スーパーコンピュータに勝ったことがない人にはまず理解不能だろうが。

その意味では、やはり「物事の本質を見ぬく目」が一番大事だが、これをやり遂げるには、非常に長い時間の集中や読書やリサーチが必須となるのである。つまり、それまでの「忍耐力」が必要になるわけである。つまり、一言で言えば、時間がかかる、のである。

しかし、スーパーコンピュータの場合、時間がかかるほど経費やお金がかかるが、人間の場合は、時間がかかってもまったく経費がかからない。普通の人程度の食費程度ですむわけである。ここに人と機械の本質的違いがあるのである。

この私の観点からすると、科学研究で何より大事な能力とは、「長考できる能力」であるということになる。何年でも平気で考えることができる能力である。これは、何年か前に私が朝日新聞の「私の視点」に書いたことである。

テレビを見れば分かるが、何かをすると時間の制限がある。だから、新聞と比べたら、テレビラジオには報道に制限がつく。これに似て、科学の場合も、大学や研究所の職員になると、自分が考える時間に制限がつく。だから、無限に時間をかけるかのような研究はやれないことになる。むしろ効率よく研究するために、だれもが関心を持っている問題だけに向うようになってしまうのである。したがって、学校の学者や研究者や先生になるには、「長考力」は不必要になる。いらないのである。むしろ、邪魔にすらなる。だから、ブレイクスルーができないのである。

ところが、アルバート・アインシュタイン、トーマス・エジソン、ルドルフ・ディーゼル、バックミンスター・フラー、岡潔、アンドレ・ワイルズ、などなど、初等教育としての、学校教育の有無は若干の差はあったとしても、ほとんどが大学や研究所に所属しないで一人で研究した時に大研究や大発見をなしとげたのである。日本の湯川・朝永にしても、一番良い研究は、まさに戦時中のだれも研究などできなかった時代のことである。こういう比較的自由な時期に自由にそれも長考したことが、大研究の基本だったのである。

そんなわけで、世の中はリストラの嵐で首切られて経済的には大変なのかもしれないが、科学の歴史から見れば、あるいは、人類史から見れば、こういう時にこそ大発見や大研究が生まれるという可能性も非常に高いのである。

かつて、バックミンスター・フラーが、1930年代の世界恐慌で事業が潰れて自殺の一歩手前で思い留まったが、その時「考える事は自由だ」、「考える事にはお金がかからない」という発想で「シナジー原理」を発見したというのは、20世紀の有名なエピソードである。これと同じようなことが今後誕生しないとも限らないのである。

どこかの企業を追われて、自殺の一歩手前まで行くが、そこで思いとどまり、ふんだんにある時間を利用して、ある問題を考え続ける。そして、いつしか世紀を変えるような大発見を行う。こんな人が出て来るだろうということである。もちろん、私自身その候補の1人として頑張っているわけですナ。

「宇宙考古学」、「宇宙人類学」、「重力発電機」、「真空エネルギー利用」、「零点エネルギー利用」、こういったものはそういった候補の最有力候補に違いない。

ちなみに、「重力発電機」というと、オカルトとか眉唾だと思う人がいるかもしれないが、簡単に言えば、重力発電とは、どこか地球上のある地点の左右で重力の大きさが違っている場所があれば、そこでものを回転させると永久に回るということである。普通の発電機が温度差や風力差や水力差や高度差を下に火力発電、風力発電、水力発電するように、重力の差があれば、そこで発電できるという、よく知られたことなのである。問題はそういう重力の差を作り出せないから困っているだけで、もしそういう場所やそういうことができる装置がありさえすれば、重力発電はいつでも可能なのである。重力はなかなかなくならないから、ほぼ永久発電ができるというわけである。眉唾でもオカルトでもなんでもない、よく知られた事実なのである。

はたして来るべき世界恐慌が凶とでるか吉とでるかは我々次第ということのようである。


おまけ:
東大の生産性
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  by Kikidoblog | 2012-06-21 13:59 | アイデア・雑多

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