「神の粒子」は「悪魔の粒子」だった!?:あまりに素粒子物理学は調子こきすぎだヨ!

みなさん、こんにちは。

さて、ここでは珍しくちょっと平凡な話題「ヒッグス粒子」のことをメモしてしまったが、正直言って、ヒッグス粒子があろうがなかろうがこの世界にとってはどうでもいいのである。まったく何も変わらない。人の進化論の話でいえば、二足歩行し始めた類人猿が人類になったというようなもので、すでに二足歩行している我々には何も影響はない。古代の物語をいかように解釈するかだけの問題なのである。

しかしながら、二足歩行し始めた類人猿が人類だという定義をとることによって生じる問題というものもある。

例えば、じゃ、二足歩行できる他の動物は人類になるのか、ならないのか? あるいは、超古代の恐竜の時代にも二足歩行した爬虫類はいなかったのか? もしそういうものがいたとすれば、そいつらは人類のような知的動物に進化しなかったのか? こういった問題を問う必要がなくなるからである。

これと同じで「ヒッグス粒子」が質量の起源だという定義をとると、UFOなど、質量を自由自在に操ることができる反重力の存在はまったく無視することになるということになるわけである。論外だとなってしまうのである。したがって、こういう場合には、UFOなど存在しないという誤った結論を導くのである。

私が素粒子物理学のどこが間違っているか、どこが嫌いか(どこが嫌いになったか)、といえば、やはりこれは一種のカルト宗教だと考えたからである。要するに、著名な代表的研究者(もちろん、いま思えば、大半がユダヤ人なのだが)の唱える構想や着想に異を唱えると、職場を失うという現実を幾多も見て来たからである。素朴な反論を許さないのである。

あえていえば、一人だけ例外がいる。それが、例のアンダーソン教授であった。このフィリップ・アンダーソンだけが、いまの素粒子理論など時間の無駄で不必要に金食い虫の最悪の学問だと反論したのである。もちろん、アンダーソンはユダヤ人の1人だが、素粒子にくれてやる金を物性や他の分野へ回せば、もっと世界は進歩すると考えたのである。これができたのも、アンダーソンはノーベル賞を5、6個取ってもおかしくない、物性物理学分野の巨人だったからである。いまでは、複雑系のサンタフェの創立者の1人として知られている。

アンダーソン博士のことはどうでも良いのだが、それほどまでに、素粒子物理はカルト化しているのである。

私がこれまで見て来た中で、一番驚いたのは、素粒子の理論家(というより、理論屋)は、数学の一種としては統計物理学や熱力学の数学や概念を使うのだが、あまりその本質が理解できていないということなのである。実際には、量子力学すら理解できていないのではないかと思う場合がほとんどであった。この理由は、素粒子論の世界があまりに抽象数学化したために、物理的な内容を理解する前に、数学モデルを扱う方が先に来るという、本末転倒な教育スタイルから来ているのである。

我々は物性物理学理論出身者はその点が健全である。物性物理では、実験で検証できるために、数学概念と現実の間の架け橋をとることができる。それゆえ、自然から現実を学ぶことが可能である。だから、その大家であるアンダーソン博士のような立場が現れ得るのである。

ところが、素粒子物理学では、せいぜい原子核、あるいは、ヒッグス粒子までで終焉である。これ以上の概念は、数学なのか現実なのか判別できない。論理的整合性というが、それなら、別にプトレマイオスの天球図でも良かったわけである。粒子でうまく話ができなければ、粒をヒモに変える。そのヒモでもだめなら、今度は膜に変える。それがだめなら立体に変える。というようなことは、数学的にはいくらでも可能なのである。おかげで「万物の理論」(この言葉の定義からすれば、万物なのだから、理論はただ1つのはずが)は、いまでは無数に存在する。人それぞれに万物理論を構築できるのである。

何より、私が一番困った、というより、ひどいナアと思うところは、昔、朝永振一郎博士が南部陽一郎博士に「素粒子物理は天才でないとできない」といったという話があるが、もし本当にそうなのであれば、もっと簡単なシステム(例えば、生物のシステムや、この自然界のありふれた世界の物理学の分野)を、暇な時の余興程度であったとしても、何がしかの貢献をしてくれるはずだと考えられるのだが、これまでまったくそういうことがなかったのである。せいぜい物性物理や統計物理学の数学的問題に若干の貢献があった程度なのである。それも、数学的アナロジーが効く分野だけのことにすぎない。要するに、4次元を2次元に変えるとか、4次元の世界線を2次元の時空や2次元格子に変えるとかそんな程度のことなのである。それでも大きな貢献だという風に言って、自画自賛してきたというわけである。

しかし、私にいわせれば、それはおかしな話である。なぜなら、別に素粒子のモデルを簡略化して応用できるものだけが問題ではなく、まったく新しい問題をまったく素粒子の世界とは違った斬新なアイデアや手法で解いてもらって結構だからである。

例えば、マックス・デリュブリック博士

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は、かつて素粒子の理論家だった。デリュブリック博士は、ボーアのところで、素粒子の分野のデリュブリック散乱という有名な研究を残していた。しかし、ボーアの晩年の講演に感銘して、素粒子から生物学へ転向し、いまでは「分子生物学の父」と呼ばれるまでになった。

また、シーモア・ベンザー博士

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は、かつて第二次世界大戦中に固体物理学の分野の実験家として、半導体のゲルマニウムの研究を行っていた。この時の技術が、後にIBMのワトソン研究所やATTのベル研究所(近年廃止された)に渡り、戦後の半導体産業や固体物理の基本となったのである。しかし、ベンザー博士は、戦後ショウジョウバエの研究者になった。そこで、遺伝子地図を世界最初に作ったのである。ベンザー博士は、分子生物学の遺伝子研究の父の一人になったのである。さらには、行動の遺伝子や時間遺伝子や愛情遺伝子を発見した。このベンザー夫妻はともに研究者であり、研究する対象は研究する前に食ってみるという習慣を持ったため、人間の脳みそまでなんでも研究の前に試食したという。そして何度か死にそうな目にあったというエピソードが残っている。

私が言わんとするのは、もし素粒子物理学者が本質的に頭がいいのであれば、このようなことがもっと頻繁に起こって良いはずだということなのである。暇つぶしにやってもそれなりの業績を残していいのではないかということである。本当に頭が良いのであれば、本来何をやってもうまくできるはずなのである。南部陽一郎博士は、そういう1人であったにちがいない。だから、超伝導の分野でも優れた業績を残している。しかし、現実は寂しい。実にお粗末なのである。これはどうみても異常である。

実際には、分野が変わると至極凡才に見えるようになることがしばしば起こるのである。だから、私は「カルトだ」と思うわけである。あまり科学が分かっていないのだ。あまり物理が分かっていないのに理論をやっていると感じるわけである。まあ、1つの職業だからそれでも良いのだが、そうなると「職業病」の一種なのである。

高校の先生や大学の先生になると、道行く人だれもが自分の生徒や学生であるかのように見るようになる。医者や看護師になると、道行く人だれもが、患者や病人のように見えて来る。政治家になると、道行く人だれもが、B層に見えて来る。タレントになると、道行くだれもが、自分のファンのような気がして来る。これが職業病なのだが、素粒子物理学者も同様に、すべてが素粒子物理の片割れのように見えて来るというわけである。これでは困る。

ましてやこの世界、この地球上を現実にUFOが飛び回っている。自由に反重力を駆使している。我々の知らない方法によってどこかから莫大なエネルギーを得ているのである。こういう問題を、そういう謎を究明するには、いわゆる「標準」から外へ飛び出さなくてはならないのだ。

反重力の問題を前にした時、私はやはり我々はファラデーの時代やマックスウェルの時代に舞い戻る必要があると考えた。むしろ、いまの素粒子物理学者が小馬鹿にしたアインシュタインの重力電磁統一理論に戻るべきなのである。最初に重力と電磁力を統合すべきなのである。なぜなら少なくとも宇宙人はそうやっているふしがあるからである。

昔の科学者は、磁力線や電気力線について、これは何だ?と考えた。そこからマックスウェル方程式が生まれたのである。しかし、いまの物理学ではマックスウェル方程式は最初から存在する自明なものであるとして始める。いくらそこから理論が発展したとしても、もしマックスウェル理論が間違っていれば、いわゆるゲージ理論は間違っていることになる。電磁場に縦波が見つかれば、則お陀仏である。これまで縦波(スカラー波)が見つかっていないのは、単に我々が扱える電圧が非常に小さいからである。唯一それに挑戦したのは、ニコラ・テスラだったが、それ以来、高電圧物理学は封印されたのである。なぜ?

しかし、軍事兵器である、ステルス戦闘機は、その機体に劣化ウランの膜を張り、そのコーティングに内部の強力な電圧によって頭をプラスに後尾をマイナスに帯電させて飛ぶ。そうすると、機体の表面に電磁誘導が働き、空気抵抗が一気に下がるからである。これが、俗に「エイリアンから来たテクノロジー」と噂されているものである。劣化ウランは有害な放射性物質である。ゆえに、パイロットは被爆する。それでも軍事技術だからと開発したということである。

もしCERNのような加速器ビジネスの半分でも高電圧物理や超高磁場物理に予算がつけば、おそらく物理学はもっと早く進歩したにちがいないと私は感じるのである。もちろん、感電死する研究者もかなりいることになったのかもしれないが。

「ヒッグス粒子」を自惚れて「神の粒子」などと言って、調子に乗るのはいいが、そのお陰で発展が阻害されて来た分野も無数にあるということもまた事実なのである。「神の粒子」は「悪魔の粒子」でもあったというわけですナ。


おまけ:
どうやら、このメモが以下のサイトに転載されたようだ。
ヒッグス粒子発見ニュースは嘘!CERN・イルミナティの茶番だった!井口和基氏が痛烈な批判!

まあ、大筋ではあっているが、私は、「ヒッグス粒子は存在しない」といっているわけではない。「ヒッグス粒子は素粒子理論にとってあらねばならない粒子だ」といっているのである。ヒッグス粒子があってもなくても我々の世界が何か特に変わるわけでもない。理論上の問題、認識の問題にすぎないヨと言っているのである。あまり大げさにいうほどのものではないと言っているに過ぎないのサ。
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  by Kikidoblog | 2012-07-05 21:24 | コンスピラシー

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