西村肇の「変わりゆく研究環境 どうしたら独創的研究ができるか」

みなさん、こんにちは。

最近偶然、西村肇さん

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という学者さんのホームページを見つけた。「南部陽一郎博士の研究」を調べているときであった。非常に興味深いものなので、今回はそれをメモしておこう。

西村肇博士のホームページ:Jim Nishimuraの中に、次のものがある。
変わりゆく研究環境 どうしたら独創的研究ができるか
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 「本気で研究している人は誰も「独創的」と評価される研究をしたいと思っていると思います.現在の日本の科学技術の政策決定者たちもそれを強く求めています.そこで「独創的研究はいかにして可能か」について,私の考えを以下に述べたいと思います.ただし,それは「独創的研究の振興のための原理と方策」というような為政者風のものではありません.「独創的な研究はしたいが,はたして自分にその能力があるだろうか」と迷っている若い研究者の立場に立って一緒にこの問題を考えようとするものです.題名に「独創的研究はいかにして可能か」ではなく「どうしたらできるか」を選んだのはこのような理由からです.
 私が編集部の依頼に応じてこれを書く気になった理由は,私が30年の大学教員生活を通じてもっとも努力したことは「教える」ことでもなく「自分の研究をする」ことでもなく,学生の「独創的研究能力を伸ばす」ことだったからです. そのため,私は独創性について年中考える破目になりました.「独創性とは何か」,「どうしたらそれを育てることができるのか」,「独創力が直接には独創的成果に結びつかないのはなぜか」というような問題です.以下では私がそのように考え,悩み,探し求めていることをそのまま紹介したいと思います.ただし読者と私の経験の差を考慮して二つのことには少し注意を払って述べるつもりです.一つは「独創性」に関して定識,定説あるいは神話になっていることは紹介し,それを全面的に肯定も否定もせず,実例と照らし合わせることによって読者の頭から固定的な思い込みを取除くことを意図しています.もう一つは,人の能力と特性には大きな違いがあることを正しく注意することです.
 もちろん若い人々の場合は,その能力や特性がどんなものであるのか,確信をもって判定できる人は誰もいないし,まして本人はわからないのですが,人によって大きな違いがあることは,はっきり認識しておく必要があります.それは天才に関する逸話を独創性一般に通用するように思う間違いが一般的だからです.それを避けるため、ここでは天才の話ばかりではなく,普通人の例も取り上げました.筆者の例が出てくるのはそのためです.筆者は「独創的」とはいえなくても「独走的」という点では多少参考になると思われるからです.

これは「現代化学2005年11月号」に掲載されたものらしい。その再録である。

この解説は実に面白くかつかなり有用な事実がそれとなく満載されている。そこでここのエッセイにジャンプできるように、目次を先にメモしておこう。
0。どうしたら独創的研究ができるか
1。独創とoriginality
2。独創は難しい、なぜ
3。独走と社会
4。研究費と最初の研究
5。生活費とパトロン
6。許される研究と許されない研究
7。独創は二人の仕事
8。WhyとHow、WhymanとHowman
9。PowerとControl、ClimerとRouter
10。人間関係としての師と弟子

この論説は、西村肇博士の研究人生を通じての教訓がちりばめられている。それを「独創的な研究がなぜできないのか?」というテーマを中心に語られている。ぜひ研究というものに関心のある人は一読してもらいたいものである。

ところで、私がこの論説に興味を惹かれたのは、「独創性のある研究」の部分ではない(もちろん、独創性に関する部分も実に興味深いものがあるが、それはまたのことにする)。むしろ、その中に具体例として引用されている、西村肇博士の過去の研究に対してである。

この西村肇博士は、昨年の福島第一原発事故に関連して、「御用学者」のレッテルを張られた1人に数えるものもいるようだが、それはちょっと違うのかもしれない。どうやらこの人は研究経歴からすると、その逆である。

「自動車の排気ガス研究」、「公害水俣病の研究」など巨大基幹産業にもの申す研究を東京大学という「御用大学」の中で行ったのである。その時に、これらの研究が「独走的」かつ「独創的」研究であったにもかかわらず、いかにして企業や政府から妨害工作が起こったかを自分自らに体験したというわけである。そういう経験、実体験から、いかに独創的研究を行うことが、いわゆる「社会」の中で行うことが困難であるのか、ということをこの論文で論説しているというわけである。

そんなわけで、そういうものだけいくつかここにピックアップしておこう。

まずは5。生活費とパトロンの中の次の部分。
 芸術に対する社会の無理解のため,芸術から生活費を得るのが難しいなら,過去純粋に芸術を追求した人々はなぜそれが可能だったのでしょう.それは理解者であり支援者であるパトロンの存在です.研究者と芸術家の類似から考えると,今まで言われたことはないのですが,独走的研究にも理解者であり支援者であるパトロンの存在は不可欠と思います.理解者,支援者はいるのに,それがパトロンと呼ばれないのは,支援といってもふつうは個人のお金を出しての支援ではないからでしょう.でもそれが支援の大事な形と思います.私は月給3万5千円の助手時代,匿名の篤志家から月額2万円の援助を3年間受けました.でもこれは生活費に使わず,当時公務員には不可能だったソ連と東欧諸国への出張を個人資格で行うのに使いました.このときの1ヵ月の旅行こそが,それまでまわりを知らず一人で考えて走ってきた私に自分で考えて進むことに自信を与えてくれました.学者との討論も有益でしたし,ソ連に暮らしてみての経験は,官僚主義が国を滅ぼすであろうことをはっきり予感させてくれたからです.この旅行は本から知ることと,体験することの違いを嫌というほど教えてくれました.

企業にもの申す、大学にもの申す、世界的権威である科学者にもの申す、というような場合、大学に職を持っていれば、即座に解雇されかねない。だから、たとえそうなった場合でも経済的に大丈夫となるような経済支援者(=パトロン)が必要だという真理である。

かつて17、8世紀の偉大な作曲家たち(現在では科学者にあたる)バッハにせよ、モーツアルトにせよ、パトロンがいた。偉大なダーウィンは、名家に生まれたために莫大な遺産金があった。そういうものを見つけておけ、ということである。一説には、まず医者になりなさい、そうすれば金の心配なく、自分の科学研究を行うという道もあると言われている。バーの美人マダムでもいい、美人キャスターでもお天気お姉さんでもいい、何でも良いから「”お金持ち”の良き理解者」を得ることだということである。

次は、6。許される研究と許されない研究の中の公害研究の話。ここが現実上もっとも重要な話だと私は考えている。ここは重要だから、全部を引用しておこう。
6。許される研究と許されない研究

 独走が社会と基本的に矛盾するため独走的に研究し続けることが非常に困難な生き方であることが理解されたと思います.するとこれに対し,「独走なんて必要なのか」という冷やかしの声がすぐ聞こえるように思います.もっと真面目な反論の声も聞かれます.「独創はoriginalityとすれば社会と対立しての独走は必要ないのではないか.つまり社会が期待する方向でハイウェイも準備されている研究テーマに乗り,世界的にoriginalityを高く評価される仕事をすればそれこそ独創ではないか」という主張です.
 必要かどうかは価値観の問題ですからここでは議論しません.しかし今後この問題を考えるために表面的でない事実=真実を伝えておきたいと思います.まず考えてほしいのは社会とは何かです.研究に関するかぎり社会とは単なる社会世論ではありません.それは国家です.社会が指向する研究とはつまりは国家が指示する研究です.国家は国家に望ましい研究を指示すると同時に望ましくない研究を阻止します.方法は,はじめは研究費抑制ですが,それでも効き目がなければ研究者の追放です.

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 私は大学院のとき(1967年),先輩の遠藤一夫(北大教授)から,この仕組みを聞きました.彼の忠告は「君,国家にそむいちゃいけないよ.国家はなんでもできるんだから.何も書けないようにすることもできるし,職を奪うこともできるのだから」でした.でも結局,私は忠告を聞かず政府の技術施策が科学的に間違っているときは,それを鋭く追及する仕事をいくつかやりました.自動車の排ガス規制を技術的不可能を理由に政府がさぼろうとしたとき,計算上可能であることを立証して政府の審議会を総辞職に追い込んだこともありました.
 不思議に何の圧力も受けなかったので世の中が変わったのだなと思ってましたら,ある日突然,恩師ですでに退官していた矢木栄から呼び出しを受け,今後いっさい公害環境の研究をしないように言われました.なぜ信頼する恩師から理不尽な命令をされるかはわかりませんでしたが,やがてわかった真相はこうでした.東大助教授が政府審議会を辞職に追い込む事態を見て驚いた政府と産業界の意向を受けた当時の工学部長が,私を東大から追放するよう学科に強い圧力をかけました.学科は私のまったく知らない間に私を関西の小さな大学の助教授に移す人事を決め,相手の教授会も通してしまいました.そのあと学科の創設者である矢木のところに報告に行ったら「なぜ出すんだ」ということになり,事情説明の挙句,公害研究をしないことを条件に東大に残すことを矢木が提案し,私を呼んで命令したのでした.この真相は,その数年後,会合で隣り合った大阪市大の先生から「あなたが西村さんですか.あなたは私の助教授に来るはずだったんですよ.それが突然東大の事情で中止になったのです」と聞いてわかったのです.
 環境の研究を禁じられたため,中止になったのが5年近く続けていた水俣病の原因の研究です.チッソ水俣工場が排出したメチル水銀が水俣病の原因というのは社会の常識になっていて,裁判でも確定していますが,実はこれは単なる推定で,科学にもとづいた結論ではないのです.チッソ工場と同じアセチレン水添反応でメチル水銀が副成するという実験報告もないし,チッソの排水にメチル水銀が含まれていたという実測結果もないからです.そのため科学者,特に海外の科学者はこの常識を信じていません.チッソが水俣湾に排出した大量の水銀が環境中でメチル水銀に転化したと見ていました.でもそうすると不可解な謎が残ります.チッソ工場は1933年から操業しているのに20年後の1953年になってなぜ突然水俣病が発生したのか,チッソと同じ反応を使う工場は世界で40ヵ所もあるのになぜ水俣だけで水俣病が起こったかという謎です.
 私がこの研究を始めてすぐ気づいたのは,これほど大きな問題であるにかかわらず,また毎年数万の化学論文が発表されているにかかわらず,工場内でのメチル水銀生成の可能性を研究した論文は皆無ということです.1報だけ例外がありましたが,それはメチル水銀の生成はないとする昭和電工の論文です.不思議に思って調べてみると,大学でも企業でもメチル水銀について化学的に研究することは厳しく禁じられていることがわかりました.研究費が出ないことはもちろん,自費でやっても上司や周囲からストップがかかることを知りました.私の場合しばらく続けられたのは,すでに独走していて上司も周囲もなかったからでしょう.そこで最後の手段として追放が考えられたのでしょう.
 結局私が水俣病の研究に戻れたのは定年後,どこにも所属せず,自宅で研究を始めてからです.もし組織に所属して給料をもらっていれば,必ず給料を餌にして抑えこまれたと思います.50年前,遠藤一夫が言ったことはいまも本当です.たとえ国家にそむかなくても上司にそむけば同じ運命が待っています.独走は困難です.でも私は遠藤と同じ忠告を君たちにするつもりはありません.君たちの何人かは上司に示された道を無難に進むよりも自分の考えで切り拓いた道に上に小さいが歴史に残る発見か発明を残したいと思っているのがわかっているからです.こういう人は忠告を聞かないと思います.その理由は「自分は困難を乗り越えられます」という自信なのか「自分の生涯ですから」という覚悟なのかはわかりませんが.

これが、どうして科学研究者がだんだんと「御用学者」になっていくのかという理由である。御用をこなさないと研究費が下りないからである。つまり、自分の研究で研究費を受けているような研究者の研究はあまりたいしたことがないということなのである。これが私がフリーでいる基本的理由の1つでもある。「権威を信じるな。権威を叩き潰せ!」というのが、我々真の科学者の古代からの戒めの言葉である。これが「パラダイムシフトを生む原動力」なのである。

次は9。PowerとControl、ClimerとRouterの中のこの部分。
 第二は研究期間の長さの違いです.現役時代の仕事はほとんど1~2年が一区切りですが,この二つの仕事は5~7年トンネルを掘り続けてやっと抜けた仕事です.これは二人の仕事ということに関係します.いずれの仕事もClimberは私でしたが,Routerは別にして「化学プロセス工学」では教授の矢木 栄,

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「水俣病の科学」

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では友人の岡本達明

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でした.二人の性格はまったく違いますが,Climberへの要求の厳しさは共通していました.矢木は貪欲な人で,私にまったく不可能と見えるピークへの登坂を求め,私が辛くも成功して登頂の満足に浸っていると,ここはまだ頂上ではないとその先に見えるピークを指示し,これが際限ないのでした.岡本は貪欲さのほかに厳密さが加わりました.水俣病の原因解明は,人々の記憶以外には当時の状況をあらわすデータがまったくない中,仮定と実験と科学的推論だけで当時の状況を完全に再現する試みでした.私が数カ月の辛苦の結果,ある状況について推論をレポートにして岡本に送ると「これは経験と違う」「この仮定は認められない」と根本的否定の返事が返ってきます.気を取り直し,また数カ月かけて再挑戦するとまたもや根本的にダメです.何についてもこれを3~4回繰り返すので,集中してやっているのに5~7年かかったのです.
 第三は課題の大きさと問題設定の深さの違いです.Howmanである私が一人でやった課題は研究者の間で懸案になっていた問題について何か卓抜な(?)解決法を思いつき,それを実行したというのが多いのですが,この二つは違っていました.課題の字面だけからは課題の大きさはわかりません.水俣病の原因は研究をしてみて初めてそれがトンデモない怪物であることに気づくはずです.でも怪物にもいろんな対処の仕方があります.耳を切ってもシッポを切っても一応の成果です.Howmanである科学者の凱歌とは大体そんなものです.ところが私には運悪く岡本というRouterがいて,そんなものでは許してくれませんでした.岡本は私と同じ年に同じ大学の法学部を出てチッソに入った単純人間ですが,チッソという怪物会社に徹底的に人間を踏みつけられたのを機に,50年怪物への復讐だけに生きてきた男です.水俣病が発生した状況もすべて経験しているので,Whyという疑問に突き動かされ,あらゆる研究資料を渉猟して考え続けてきた男です.二人は30年前初めて会ったとき,互いに何か魅かれるものを感じ,徹底的役割分担をした共同研究が始まりました.よいRouterの第一条件は情念の深さだと思います.

とまあ、こんなふうなお話であった。

私が主張したいのは、大学や高専の先生もいいが、科学者たるものいつかは「独立しなくてはならない」ということである。精神的独立はおろか、経済的独立もである。この場合の独立とは、権力からの独立という意味であることは言うまでもない。

そもそも科学者は商売をしない。だから基本的に貧しい。それゆえ、経済的に完全に独立することは非常に難しいのである。しかしながら、その経済基盤を政府や国や大企業などにおけば、自ずと権威批判はできず、最終的には「御用学者」に成り下がってしまうのである。

例えば、「ヒッグス粒子の発見」と自称しているグループは、何兆円産業である。したがって、すでに世界政府の御用学者と言って良い。さもなくば、それほど巨額の研究資金を諸国からせしめることなどできない。また、そういうことをしても平然としていられるというのは、いわゆる「エンパシー(感情移入)のない人々」であることは間違いないだろう。他人が死にものぐるいで稼いだ金から何兆円も分捕っても何とも感じないわけだ。たいへん素晴らしい物理学者たちである。むしろこう思っているに違いない。「馬鹿な人々に何兆円も使わせて霧散してしまうより、こっちで使った方がずっとましだ。」

これに関して、南部陽一郎博士の話はまたいつかメモしようと思っているが、南部博士の時代以前には、物理学者同士でかなり痛烈にお互いの研究を批判しあったものだが、いつからかあまり批判し合わなくなったように私は感じるのである。むしろ、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の衆愚政治のような研究協力体制に傾いて来たようである。物性でも統計力学でも素粒子でも大方は、お互いに褒め合っているという有様である。いわゆる「劇場型政治」のような、「劇場型科学」と言えるだろう。要するに、お互いに芝居しているのである。

お互いの研究の暗黙の前提はなにか? 何が分かっているのか? 何が分かったのか? その理論研究の意義は何か? そもそもそんな研究をやる意味があるのか? できるからやるのか? それともできないことをやるのか? いくら理論的に厳密でもたいした結果がでないではないか? 物理量を計算できるか? 解釈は正しいか? なぜその描像を使う必要があるのか?
などなどの愚問(その昔のニールス・ボーア博士の研究会から始まり、日本の仁科芳雄博士を通じて日本に伝来し、朝永振一郎博士が作った「愚問会」の精神ですナ)の数々をお互いにぶつけ合えるような研究スタイルが大切なのである。

やはり「昔は良かった」のである。
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  by KiKidoblog | 2012-08-20 11:00 | 人物

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