伊藤智義博士の「GRAPE」と「3Dテレビ」と「栄光なき天才たち」

夢を持てることは一つの才能であり、
夢を追い続けることは一つの勇気であると思う。

–––伊藤智義博士
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みなさん、こんにちは。

今回はちょっと毛色の違った、独善の回顧録。大半の人にはたわごとにようなものである。スルーして欲しい。

さて、私が1990年に米国から帰国し、最初に会った研究者は当時親友であった東大工学部(当時)の永長直人君である。まだ結婚前だった妻といっしょに東大を散歩した時のことである。彼に帰国の挨拶に行った時、そういえば、と気がついて思いだしたのが、理学部の故和達三樹教授であった。(最近早世された)。というのも、私の指導教官であったBill Sutherland教授からその仕事のことは知っていたからである。もっとも私が大学院生の頃の夏の学校で会ったことがあったので、お名前もソリトンの話もある程度聞きかじっていた。だから、そういう縁もあって、最近の論文をもらいに行ったのである。たまたま私の帰国後の職の話が出て、プー太郎ですというと、そういえばと言って、2、3紹介してくれた。

それで後々、ダメもとで一応見学をかねて東芝と富士通を見に行った。富士通では新しい部を作るからそこで研究してくれということで、すでに化学計算をする部門の出来上がった東芝より、何もない方が面白そうだなということで富士通に採用されたのである。

その部門は「計算科学部」というもので、日本初のスーパーコンピュータ計算を専門にやる人材を集めるための場所だったのである。富士通のスーパーコンピュータの需要を増やすためのものである。化学、物理、建築、工学などこれまでシステムエンジニアとしてそれぞれバラバラにいた人たちを結集させて、うまく行けば、富士通の内部からも良い研究が出せるような部署を作るという上司たちの思惑、というより、システムエンジニアの夢の実現といった方が良いかもしれないが、そういう場を会社の中に誕生させたというわけである。たまたま当時富士通は米国のユタ大学にスーパーコンピュータを導入する時期でもあり、私がそのユタ大出身ということが気に入られたのだろうと思う。

この部門は私が富士通にいた2年の間に蒲田(昨日終わったばかりのNHK朝ドラの梅ちゃん先生の場所)から幕張システムラボというところに移転したのである。そして最初は普通の机をいくつか向かい合わせて並べただけの10人程度から、20人そして数十人へとあっと言う間に大きくなったのである。同時に私の咳アレルギーはひどくなる一方で、大会社の空気は自分の身体には合わないということで、どこか他へということで捜すうちに、理化学研究所の基礎科学特別研究員というポストがあることをこれまた偶然に日経サイエンスの広告で知り、そこに応募してみたら、意外にも採用が決まったということで、結局私は富士通には丸2年しかいなかった。

さて、その2年の間に私が特許を取ろうと一応は頑張ったものに、おそらく今ではどこにも記録が残っていないだろうが、こんなものがある。
(あ)3次元テレビ
(い)ミクロ複写機
(う)学研の電子ブロックのように組み立てられるスーパーコンピュータ


(あ)の3次元テレビは今では大企業のどこでも挑戦中のものだが、1991年当時、私は富士通のスーパーコンピュータを使えば、リアルタイムで架空の世界のレーザー光でホログラムをとる実験を行い、そのホログラムを液晶面でリアルタイムで表示し、そこに今度は現実のレーザー光を当てれば、コンピュータ内の3次元映像をリアル映像に変える事ができるだろうというものであった。

実は、3次元テレビというものは、私が中1の頃からいつか作りたいと気長に考えて来たもので、まさに今やチャンス到来と考えて、特許を取り、それを実現しようとちょっと頑張ったのだが、社内の周りも特許部門の人もみなほとんど興味を感じずにぽしゃってしまったというわけである。

(い)のミクロ複写機というのは、その当時(というより、私が阪大の院生だった1982、3年頃から知っていたのだが)、トンネル顕微鏡というものが当時IBMのドイツの研究所で作られた。後々その制作者はノーベル賞をとった。これは原子1個ずつをタングステンの針先にぶら下げて移動する事のできる装置である。それで、IBMという字を書いたわけだ。

しかしこの方法では、字を書いたり絵を書くには遅すぎる。そこでそういう針を2次元的に並べて最初からミクロの印字面を作っておく。そこに原子を最初からパターンを作ってぶら下げる。それで別の表面に一気に絵を描いたり印字したりする。トナーが原子1個ずつというミクロ複写機である。

しかしながら、これまただれも興味を引かなかった。というわけで、これまたポシャってしまった。

(う)の学研の電子ブロックとは我々が子供の頃に学研から発売された優秀な玩具で、表面にある電子素子を回路図に合わせて並べると、ラジオができるという実にすぐれた発想のおもちゃであった。今は大人の科学として復刻されている。
大人の科学
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(まあ、昔の子供が今の大人というより、今の大人が昔の子供程度ということですナ。)


これと同じ発想で、いくつか基本ユニットボードを小型の箱形のピースにしておき、自分の計算したい方程式に合わせて、それらをいくつか組み合わせて並べてくっつけておけば、それを自分のパソコンにつなげると世界最高速の専用スーパーコンピュータになるという優れものを作るというものであった。これなら富士通の巨大なスーパーコンピュータを買わなくても安価に自分の目的専用計算機ができるというわけである。いまでもこんなものがあればと思っている。

しかしながら、これまただれも興味を引かなかった。というわけで、これまたポシャってしまったわけだが、私の体調が良くなく、すぐに会社を止めざるを得なかったために、中断したというべきかもしれない。

ところが、昨日放送大学をたまたまずっと見ていたら、元東大の
杉本大一郎

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という天文学者とその弟子の1人の
牧野純一郎博士

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のGRAPEを使った数値天文学の話をやっていたのである(牧野さんはもうすこし噛まずにしゃべる技を研鑽すべきですナ)。そこで、インターネットで調べて行くうちに、実に面白い話を見つけたというわけである。今回はこれをメモしておこう。

実はこのGRAPEというのは、実際に作ったのは、もう1人の一番最初の杉本教授のお弟子さんだった、
伊藤智義博士

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だったのである。この人が学生の頃に作ったという。以下のものが興味深い。
GRAPE本、伊藤智義著「スーパーコンピューターを20万円で創る」
GRAPE本、杉本大一郎著「手作りスーパーコンピュータへの挑戦」と「シミュレーション天文学」 ― 2008年02月14日 07時21分17秒

そこで、この人の研究室のHPを調べて見たのである。以下のものである。
伊藤研究室(千葉大学)
(実はこの人のここに至ったのは、以下のものを偶然見つけたからでもある。
「栄光なき天才たち」との日々雑感 by Tomoyoshi Ito
これらを読んでみると、意外や意外の面白いことに、GRAPEというものは、基本的に私が富士通時代に考えた「電子ブロック型スパコン」と似たような発想をしているのである。私のアイデアは、計算ボードを電子ブロックのように組み立て変形できるものだが、伊藤博士のものは、半導体計算チップの中にそれを埋め込んでしまうというものである。実に興味深い。

この伊藤博士の研究を見ていくともっと驚くべきことが分かったのである。というのも、伊藤博士はいまでは3次元テレビ、それもリアルタイムで動くホログラフィックなカラー3次元テレビを製作中だというのである。以下のものである。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001216
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私の富士通時代のアイデアとまさにほとんどいっしょだということになる。言わば、私の夢を実現してくれつつあるのである。ありがたいことである。

問題は、カラー化にあるが、3色のレーザー光を当てればそれは実現可能である。この場合には、波長の異なる3つのレーザー光それぞれの出すホログラムを計算し、それらを時間的に3区分してディスプレイ表示しタイムシェアリングでレーザー光を当てる方法を取らなくてはならないだろう。計算量は増大する。

いずれにせよ、私が昔考えたこととほとんど同じようなことを本当に実現してしまった人がいるのだから面白い。

ところで、さらに面白いのは、この伊藤智義博士は、伝記マンガ作家として、大学生時代にすでに年収1400万円も得ていたというからすごい。この作品はちょうど私が米国に留学中と重なるから、まったく私の記憶から抜け落ちている。だから昨日まで知らずにいたのである。以下のものである。

『栄光なき天才たち』(画・森田信吾 集英社ヤングジャンプ・コミックス)

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原作をここで読むことができる。

なかなか多才でユニークな人のようですナ。今後を期待したい。
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  by KiKidoblog | 2012-09-30 16:21 | 人物

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