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「危機に瀕する日本」より:”セイ、ノー”トゥーコリア!

40 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2012/12/08(土) 09:30:13.36 ID:Aal4HSv2
日本人「最近、美人になったってよく言われます」
韓国人「最近、美人になったってよく言われます」
インド人「我々が発明したものは0である」
韓国人 「我々が発明したものは0である」
アメリカ人「我が国は世界と戦っている」
韓国人  「我が国は世界と戦っている」
アメリカ人「ホットドッグが大好きです。」
韓国人  「ホットドッグが大好きです。」
日本人「犬が大好きです」
韓国人「犬が大好きです」
日本人「人の嫌がることを進んでします」
韓国人「人の嫌がることを進んでします」
日本人「日本人らしく振舞うように教育されました。」
韓国人「日本人らしく振舞うように教育されました。」
日本人「息子は小さいんですよ」
韓国人「息子は小さいんですよ」
日本人「犯罪を犯して捕まるなんて馬鹿だな。親はどういう教育をしたんだ」
韓国人「犯罪を犯して捕まるなんて馬鹿だな。親はどういう教育をしたんだ」


みなさん、こんにちは。

いやー、上のジョークは実にセンスがいい。面白い。これは私が10年ほど前に「意味逆転化症候群」と言っていたものと同じである。何事も意味を逆に解釈するものがいるということである。「止めろ」といえば、それを「やれ」といったふうに理解してしまうのである。

この現象は、どうやら脳の左右脳の認識のアンバランスから生じるものだと思うが、いまのところその本質は分からない。

一般に、左脳が言語的な認識を行い、右脳が感性的な認識を行う。左脳は物理的論理的なものを時系列的に扱うとすれば、右脳は非物理的非論理的なものを並列的に扱う、と考えられて来た。

そして、比較的最近では、左脳が実世界の時間方向をそのまま認識していくとすると、右脳はあかたも時間を逆回しにしたように左脳と同時に認識するということも分かって来たようである。

ちょうどDNAラセンの左右の分子鎖が、DNA配列がまったく逆であるかのようにである。左が善を認識すると、右脳は悪を同時に認識する。左脳で善いことや良いことを考えるそばから、右脳で悪いことを考えるというのである。

どうやらそういう傾向があるらしい。

そこで、我々の前頭葉がどちらを採るべきかの判断を下す。もし前頭葉の働きが悪いと、左右のどちらの認識を正しいとするかが分からなくなり、迷う。下手をすれば、多くの場合、左脳を無視するようになる。こうなると、現実との接点が切れてしまう。

と同時に、これらの大脳の働きによって抑えられている下部脳、いわゆる「恐竜脳」(レプティリアン脳)が暴れ出す。こうなると、本能に支配され、本能の命じるままの弱肉強食の世界を生きることになる。

今の日韓、韓日、日本vs在日本の関係はまさにこの左脳と右脳の関係に何か似ている。そして、NWOと一般地球人の関係は、恐竜脳と前頭葉の関係に似ている。

酒池肉林、弱肉強食、金と名誉と性の何でもあり、すべては序列と上下関係だけの世界と、人間的情緒や機微に富み、人の世のわびさびを感じ、すべては平等と並列関係だけの世界との対比にどことなく似ているのである。

物事にはやはり禁じ手というものがある。それをやればできないことはないが、やはりやってはならないということがある。それは人の名前を盗むことである。もちろん物の名前もその中に入る。

「成り済まし」、「偽名」、「通名」、「整形」、こういったものには、名前をないがしろにする精神が入っている。どことなく人間をロボットのようなものと見る精神が込められている。

もし我々がこういうことがまかり通る世界や社会に住むとしたら、発見の喜びも冒険の喜びもなくなってしまうに違いない。なぜなら、自分の行った発見も冒険も後からきたものによって根こそぎされてしまうからである。

先人の努力を無に帰すことになる。

とまあ、そんなことを彷彿させるもの、以前ここでも取り上げたが、それをもう一度メモしておこう。以下のものである。

危機に瀕する日本」より



日本国民よ
今、私たちは、毎日韓流ドラマやK-Popがテレビ
にあふれる国に暮らしている。

かの国の本当の姿は何も報じられないまま。
島は奪われ、海の名前は書き換えられ、歴史は
ねじ曲げられ、金は巻き上げられ、技術は盗まれ、
伝統文化は横取りされながら、2006年以来、
私たちは親切に彼らのビザまで免除して自由に
私たちの国への出入りを許している。

戦後、私たちの国に我が物顔で居座り、またあとから
侵入してきた彼らの同胞は、私たちの国にのさばり、
政治や経済やマスコミの中枢にまで入り込み、
自由に私たちの国をコントロールするまでに至っている。

百年後の日本を思い描いてほしい。
私たちの子や孫はどんな日本を生きていることだろう。
自由に意見が言える国に生きているだろうか。
努力の成果を横取りされない国に生きているだろうか。
国旗が高々と掲げられる当たり前な国を生きているだろうか。
誇りもって国を愛することを、許される国に生きているだろうか。

彼らがどんな国を生きることになるのか、
今現在の、私たち日本人一人一人の決断と具体的な行動に
委ねられている。

私たちの国日本は、今、大きな歴史的危機に瀕している。

  by KiKidoblog | 2012-12-08 12:22 | 韓国・ウリナラ・法則

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