私はたまに22年前を回顧する:「3セクター分立の概念」の時代を!

みなさん、こんにちは。

先日「ここの読者を激減させる話:今回の選挙は自民党しかないヨ!」にメモしたが、そこにあるように、今回は「復古」「保守」が必須なのだと私は理解している。

改革派、「コンクリートから人へ」は、結局、「日本人から外人へ」という意味だったからである。西洋,朝鮮中国外タレを見ても分かるように、現実問題としての「東京文明」はすでに在日外人に乗っ取られてしまったのである。「もう東京はすでに死んでいる」、「お前はもう死んでいる」のである。

その証明があんな都知事でも永年都知事が出来ているという事実であろう。青島時代にもすでにそうだったのだ。私は都内にも住んでいたことがあるから分かるが、東京都の地方公務員のたちの悪さは群を抜いている。まだ日本全国から東大などを経て国家試験を受けた国家公務員の方がましなのだ。都庁、区役所などの地方公務員の鈍感さといまだにリッチにバブル全盛期そのままに生きている様をみるだけで反吐が出る。

だから、本当の問題は「東京時代」、「東京中央集権」をいかに終わらせるかが本当の問題なのだが、全国のおばか層の「B層」や首都圏で国や東京都のおいしい汁を吸って、おこぼれにあずかっているコバンザメのような「B+層」にはそのことが分からない。

まあ、こういう連中には、福島の風でお陀仏になれ、というわけである。だから、「福島第一は神風だ」と私は比喩したわけですナ。はたして連中に放射能を防御する科学を生み出すほどの知性があるかないか、そこを私は観察しているわけだ。まあ、100%無理と私は見ている。

こんなふうに、私は基本的には「東京主導政治」には反対なのである。「反NWO」、この延長に「反東京」がある。「反東京時代」である。(「今の東京に住むこと=NWO」なのだが、どうもそれが連中には分からんらしいナ。自分たちがNWOそのものであるのに、東京で「反NWO」とか言っている。狂っている。)

もうこれは、20年以上前の拙著にそう書いている。

今回も前回もそのまた前もそうだが、山中博士のように、ノーベル賞でももらうと、「どうやったら日本もアメリカのように科学者が社会に認知されるような社会になるのだろうか?」などという。科学者のいうそういう意見は「ノーベル賞でも得ない限り社会で発言権がない」かのようですらあるわけだ。同じノーベル賞学者でも海外に行ったことがない、住んだことがないと、そういうことは理解不能。だから、問題にもならない。

しかし、私も4年米国に留学し、向こうの無名の若者たちと寝食を共にし、いっしょに生活し、いっしょに働き、いっしょに競争し、正々堂々と博士になった。こういう生活をすると、初めて本当の姿というものを見ることができる。

こうして書いたものが、拙著の
「日本社会の構造的問題とその解決の方法:3セクター分立の概念」
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という本だったのだ。これは1990年夏にソルトレイクのアパートで書いた。そして文芸春秋に送った。帰国後の1991年に初公表。1995年に本として自費出版したわけだ。500冊を全国の図書館や大学図書館、当時の教育関係者、後の文科省を作った有馬朗人博士などにことある度に送りつけたものだ。これが基で、大半の大学には私の本が図書館に眠っている理由である。もちろんハワイ大学へも送った。

これは、日本とアメリカの社会構造の違いを明確に比べたものである。だれもそれ以前に指摘したものはいなかったし、いまもいない。この本がもとになって、日本に「大学セクター」という呼び方が一般化したことはほとんど知られていない。

さて、この本の主張は極めて単純である。すべてはこの一枚の模式図で理解できるだろう。本邦初公開(?)。まあ、知っている人は20年以上前から知っているがね。知らずに今だに日米がどうのこうのとほざく馬鹿は絶えないがナ。
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基本的に今もアメリカと日本の社会構造はこのままである。

ついでに付け加えると、独裁者国家は、この一番右に入り、「丸が1つしかない」。すべてはその丸の中に治まる。封建社会とはそういうものである。王様や独裁者がすべてをコントロールする。

アメリカは、これにもう1つ宗教セクターがあり、これまではちょうど「四面体」の構造をしている。少なくとも、法律的にはそういう構造を持っている。だから、政府の持つ軍隊が他の3つのセクターに無断で行動をとることが出来ない。非常に多次元的構造を持っているのである。簡単に言えば「大人の国」の構造である。

しかし、NWOやシオニストはそれが好きではない。そこで、さまざまな法改正を行って、徐々に日本型、そして独裁者型へとシフトバックしようとする最中にあるわけである。(これを行うために、アカデミズム、宗教、企業などのそれぞれのユダヤ系,偽ユダヤ人と裏で結託して一体として動くわけである。そのために、CFRやら秘密結社やらを利用するわけだヨ。)

さて、一方の日本では、この上の丸のすべてが東京にある。江戸時代にその基礎が作られ、明治維新も結局江戸の土台に乗っかっただけだから、基本的な構造はまったく変わっていなかったのである。そして、第二次世界大戦後も今度は米進駐軍が都内をベースキャンプにしたため、まったく戦後も変わらなかったのである。

そしてそれを起点に「戦後55年体制」が進んだから、結局、
江戸時代 → 帝都東京時代 → 戦後東京時代
と進んだだけで、社会としての本質は何も変わらなかったのである。

そこで、私は、22年前に「日本の政府セクターからアカデミズムセクターを独立させよ」、という主張をこの本を武器にしてインテリたちに論争を吹っかけたのであった。主に物理学者の間で。それが曲がりなりにも「大学の法人化」、「大学法人」や「独立行政法人」という一種の「折衷案」のような形で実現したのである。そして、有馬朗人氏が文部大臣の時に文部省と科学技術庁が合体して文科省になった時に「科学技術基本法」が誕生し、これが基で、「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズが誕生したのである。それから森首相の「情報ハイウェー時代」になり、インターネットの時代に突き進んだのである。

結局何が生じたかと言えば、それまで赤字財政でどうしようもなくなっていた東京都の黒字化と一人勝ち。2兆円の黒字とかいうことになったわけだ。「東京が破綻の危機から勝ち組に残った」のである。これはすべていま都内の人たちが反対する「自民党時代」に行われたことである。自民党のおかげだったわけだよ。

そこで、これじゃあいかんということになって、日本全国、そして地方の痴ほうのおばあさんたちまでもが、それまでの自民党一点張りから泣く泣く「民主党」の鳩山・小沢に入れたわけだ。しかし、実はそれは「東京大阪京都」の朝鮮人政党だったというわけだ。

そして今回の選挙を迎えた。はてどうなるか?

まあ、選挙結果自体よりも何が本質かと言えば、それはTPPでもなければ、原発でもなければ、経済でもなければ、教育でもない。官僚支配でもない。その本質は「東京一極集中」を終焉させることなのだ。言い換えれば、「東京時代」を終焉させることだ。すなわち「東京支配を終焉させること」である。

これが私が22年前から主張して来たことである。東京は一地方になるべきだということである。

これは、大前研一のいう「道州制」と似ているがそういうものではない。日本社会を本質的に構造を変える(構造改革ではない!)こと、これによって日本を「大人の国」にすること、これである。

そのためには、どうしても地方に「東大クラスの総合大学が最低8つ必要だ」というのが、私がこれまで主張して来たことなのである。実は、山中博士の
「どうやれば科学者がJリーガーのように社会で尊敬される存在になれるのか?」
という問いの答えがこれなのである。

四国、九州、中国、北海道、東北、中部、近畿、紀伊半島、三陸、など、こういう場所に東大クラスの総合大学を作って、地域を活性化させるべきだというのが22年前の私の主張であった。こういう形で大学を段階的に増設すべきだという主張だった。

しかし現実に行われたのは、ピック真紀子事件で見たように、小粒な各種学校レベルの大学の跋扈である。こうなると、ことは単純になる。確かにオリジナルの大研究も必要ないから働く学者も職員も楽だ。頭を使って日夜賢明に努力する必要はない。天下って、定年退職後から年金までの腰掛けにできる。そして退職金をもらい、地方の学生は適当にあしらっておけばいい。これが今の全国の高専の先生たちの態度だが(まあ、中にはまともなのもいるが)、そういう前例に見習えば良いというわけだ。

だから、確かに大学の数は増えたのだが、本質的な大学がまったく増えなかった。だから、今問題になっているのは、東大、京大など有名国立公立私立大学を経た学者の働き場所がなくなってしまったわけだ。私は20年前からこういうふうになると予想していたが、有馬朗人博士は予想できなかったようで、結局「ポスドク1万人計画」の末路は悲惨の一言。博士号をもった若者たちが、大半が無職になってしまうのである。

もしまっとうな知性のある官僚がいて、私の主張どおりのことを22年前に行っていれば、日本はどうなったか?と私はいまもときどき回想することがある。

四国の子供たちは四国の世界レベルの東大のような大学にほとんど無試験で入学する。だから、高校までやりたいことをできる。大学に入ったら、一気に学問芸術音楽にシフトし、世界レベルの学者たちから学べる。しかし卒業するのは大変だ。これまでにないほど勉強しなければ卒業できない。そうやって学部を卒業し、今度は実社会に進む。あるいは、さらに大学院に進み、学者や科学者や技術者を目指す。博士を目指す。ここで人口は10分の1に激減する。だから、だれからも博士課程の博士候補生は軍隊の士官候補生のようなまなざしでみられる。そして博士をとれば、今度はみんなから祝福されて、歓迎される。そして地元の四国でポスドク(博士研究員)を得る。ここで一気にノーベル賞級の研究にチャレンジする。

とまあ、こんな社会になっているはずであった。

しかし、現実は?というと、まったく逆。

東大級の大学が四国にはない。だから、高校まで塾やら予備校やら何やらでストレスによるいじめに絶えながらやっと受験。うまく有名大学に合格できればいいが、できなければ、下手をすれば引きこもりだ。合格しても良い大学は外にしかないから、結局物価の高い東京に出て行く他はない。そして職も東京にしかないから、地元のまれに出て来る優秀な若者は全部東京に根こそぎされ,地元に残るのは痴ほうのばあさんや不自由に歩く老人ばかり。これでは地方の未来は暗い。

こんなことはすでに40年以上前から出て来た問題だったが、結局その問題が日本全国に波及し、いまではだれにも見えるようになったにすぎなかったというわけである。

多少は日本の問題が分かったかな、「B層」の人たちヨ。

日本の問題は「東京の人が下手に頑張ることにある」のだヨ。これ以上「東京時代」が続いても日本にとって良いことは何も無いというのが、私が22年前に書いたことだったというわけだ。22年も延命されてしまったようだし、有名ブログやら都内でデモしている連中はいまだに東京一極集中の恩恵をむさぼることばかり考えているようですナ。

いやはや、世も末である。

まあ、放射能で東京がなくなった後の次の22年後を期待すべきでしょうナ。
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  by KiKidoblog | 2012-12-16 11:35 | アイデア・雑多

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