ディラックとスカラー波:ディラックの「量子力学」にまつわるお話

ポール・ディラック(1902年8月8日・ブリストル - 1984年10月20日)
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人々はこのゆらぎによって生ずる無限大を自己無撞着な方法で除去するある種の規則を設定することに成功し、実験と比べることができる結果を計算できるような、実験に使える理論を得た。そしてこれにより実験と非常によく一致する結果が得られた。このことは、この規則がある程度正しいことを示している。しかし、この規則は特殊な問題、通常衝突問題にしか適用できないし、量子力学の論理的基礎とも調和しない。従って、これは困難の満足すべき解決であるとは考えられない。

我々は、出来る限り、現在了解されている量子力学の考え方の論理的展開の筋道に沿ってきたつもりである。この困難は、非常に根深い性質のものなので、理論の基礎に、ある根本的な変革、多分ボーアの軌道理論から現在の量子力学に移ったときと同じくらいの根本的な変革を加えることによってのみ取り除くことができるのであろう。
−−「量子力学第四版、§81理論の困難」より抜粋。


みなさん、こんにちは。

今回は物理のまともな話である。だから、普通の人は理解できないだろうから、スルーしてほしい。

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最近、私はディラックの「量子力学」、英語では、P. A. M. Dirac, ”The Principles of Quantum Mechanics”(量子力学の原理)、という本をアマゾン経由で買った。売り手はなんと明倫館。あの御茶ノ水の神田にある老舗である。私も学生時代、また関東にいた頃にはよく行ったものである。

さて、そのディラックの教科書にまつわる話をメモしておこう。

(あ)まずその教科書そのものについて。
この教科書は、1930年5月29日が初版である。これは、ディラックが量子力学の原理原則について、ハイゼンベルクとシュレディンガーの量子力学の発見以来、自分が地道に追求した方式、すなわち、有名なディラックのブラケット表示に基づいた研究をフル動員して書いた、量子力学の傑作である。だから、1930年以来版を重ねて、今日に至る。

1957年の5月11日のディラックのまえがきを持つ第四版が1958年に出版された。それ以後は、その最後の第四版を再版するだけであった。

そんなわけで、この第四版の日本語訳が、朝永振一郎博士のグループによって出版されたのが、1968年3月30日であった。日本語の「量子力学」になるまでにおよそ10年の歳月がかかったのである。それゆえ、この日本語版もまた名著のほまれ高い。

私は、すでに大学に入った当時1977年にこの第四版を勉強していた。英語で読み書きできるようにと、ディラックの教科書を自習していたのである。まだ当時はサッカー部で現役であった。そして、密かにこのディラックの英文を真似て、英語で講義ノートを書き始めたのである。将来のことなどなにも考えていなかったが、ディラック流に自分の大学ノートを書いていたのである。逆にいえば、それほどディラックの英文は理路整然で名文であったのである。最近私が翻訳したマックスウェルの英文とは比べていえば、同じイギリス人同士だが、マックスウェルとはまったく違うのである。

そんな私には馴染みのあるディラックの教科書なのだが、最近、自分の本を書こうと計画しているために、出来れば、ディラックの教科書のような形式を真似したいと密かに目論んでいるわけである。そこで、一度日本語訳も読んでみようかな、というわけで、大金はたいて買ったのである。

そうして自分のもつ英語本と日本語本を比較すると、意外なことに気づいたのである。今日初めて気づいた。

(い)第四版にも2つあった。
まず、私は英語の本も2つ持っていた。学生の頃買ったものと、比較的最近の18年前にここに来る前、理化学研究所にいた頃に買ったものである。両方第四版であった。最初のものが第四版、後のものが、第四版(改訂)というものである。

ながらく今日まで私は、両方特に大した差はないだろうと考えていた。だから、改訂もちょっとした間違いを直した程度に違いないと油断していたのである。それが油断であったことは、今日分かったのである。お粗末な話ではある。

(う)ディラック「第四版」の何が変わったか?
さて、その朝永の日本語訳とディラックの第四版改訂版はどこか違うのか?

というと、どうやら一番最後の部分、冒頭に紹介した部分を含む「§81理論の困難」のセクションがなくなってしまったことである。この部分は、「第四版改訂版」では、「§81解釈」と「§82応用」となると同時に消滅した。

比較的最近までの発展を同じ観点から批判するという部分に変わったのである。
これらの他の解釈に関していえば、我々は先ボーア時代にあるといえる。

唯一この部分だけが、前のニュアンスを直接に残しているといえるだろうか。

(え)次に、スカラー波について
俗に「スカラー波」というと、日本人の大半は科学オンチでおめでたいB層とそれに毛の生えた程度の「と学会」のようなB+層で占められている。だから、「スカラー波」という言葉を聞くと、麻原のオウム真理教やパナウェーブの白装束を思い出して、まゆつばものとか、トンデモとかいって、拒絶する。これは、いわゆる「集団ヒステリー」というものである。

こういう人たちの共通項は、まず「自分が知らないこと=存在しないこと」だという認識形態にある。まず「自分が知らないこと=自分が知らないだけ」とはいっさい考えることがない。朝鮮系の血筋の濃い日本人にその傾向が特に強い。だいたい顔を見れば、この系統はすぐに分かる。しかしこの認識は、明確な間違いである。

次に、そういう人達は、「存在しない」と切り捨てたわけだから、自分で探したり、学んだりしない。そもそもそうする必要がないのである。逆に言えば、そうすることでそういう手間を省けるから、わざわざそういう認識を発達させたとも言えるのである。

実は、この問題は、1970年代にかの
岡潔博士
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が著書でずっと繰り返し批判し、警鐘を鳴らしてきたものである。
日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。

自分がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。そして、自分に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。

これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。

秋宵四話:日本にも面白い若者たちがいるようですナ!?

したがって、こういう人たちは、もちろん「スカラー波」の中の「スカラー」という意味もよくわかっていない。残念ながら、これが事実である。「と学会」のトウシロウちゃんもそうである。

さて、そんなことはどうでもいいが、「スカラー」というのは、温度とか、気圧とか、水面の高さとか、その場所ごとに決まった値が付けられる量(物理量)のことである。だから、この世の中のほとんどすべてはスカラーである。それを「スカラー量」という。

ところが、「スカラー量」は、差がでると意味がでる。こっちとあっちで違うと、その値の高い方から低い方へ伝達するものが現れるのである。簡単に言えば押し出される。気圧の差が、高気圧から低気圧へ空気の流れ(=風)を作り出す。温度差が熱流を生み出す。水圧の差が水流を生み出す。こういうものを「ベクトル量」という。

問題は、こういう大きな差がないという場合である。この場合には、若干のゆらぎがいつも生じる。水面のゆらぎ、気圧のゆらぎ、振動とも言っていい。こういうものがいつも存在する。このゆらぎは普通はそのまま揺らぐだけだが、もう少し大きな変動が、ある場所に起こると、四方八方にゆらぎが伝わる。これが「波=波動」と呼ばれるものである。

気圧の波ならそれは音波である。水圧の波ならそれが水の音波である。地殻の圧力の波なら、それが地震波である。ついでに付け加えれば、普通の水面の波は、「表面波」である。こういうものは、その起源がすべてスカラーからきている。だから、こういうものがすべて「スカラー波」というカテゴリーに入る。だからスカラー波という言葉自体にヒステリーを起こしてはならないのだ。ごくありふれた現象にすぎない。

問題は、スカラー波には3種類ある、ということだ。波は進む方向に振動するのが「縦波」、進行する方向に垂直に振動するのが「横波」である。横には上下左右があるから、2つの方向がある。だから、1つの縦波と2つの横波が必ず存在する。3次元の波では、これが普通のことである。

というわけで、「スカラー波」には3種類あることになる。

普通のスカラー波の場合、たいてい縦波の速度のほうが横波の速度より速い。この一番有名なものが、地震波である。縦波が「P波」であり、横波が「S波」と呼ばれるものである。P波のほうがS波より速い。だから、先に来るP波で予測し、本震のS波を予知しようというのが、地震学者の古典的手法である。それを「P波」の代わりに普通の電磁波(横波)でやろうというのが、地震電磁気学者の古典的手法である。

(お)電磁場のスカラー波は2種類しか見つかっていない。(縦波=テスラ波、横波=ヘルツ波)

そこで何が問題か?

というと、光や普通の電磁場の場合、2つの横波しか見つかっていないということである。

これは、19世紀のファラデーマックスウェルの時代に遡る。当時のまだエレクトロニクスができる前のかなりインチキ実験で見つけた実験事実では、電磁波には2種類しかみつからなかったということである。単にそれだけにすぎない。むしろ、そうであるほうが不自然なのである。なぜなら、自然界では全部3次元波動には3種類の波が存在するからである。

そこで、物理学者は電磁波の縦波成分に関してのみ、わざと「スカラー波」という誤った印象を植え付けるために、そういう変な命名を行ったのである。これが「スカラー波」の由来である。しかし、むしろ、これを実験で発見したニコラ・テスラの名前をつけて「電磁場の縦波=テスラ波」と呼ぶほうが歴史的にも科学的にも適切なのである。

ファラデーやアンペールやキルヒホッフや、マックスウェルやウェーバーや、トムソンやヘルムホルツの時代の実験は、本当にお粗末なものである。今から見れば、精度において現代と比べれば、1億倍程度の差がある。それほどまでに現代の科学技術は進歩している。

そこへ、どうやらそんな時代にアインシュタインが登場してしまった。アインシュタイン自身は「思考の人」である。だからまったく実験はしない。せいぜい特許局でやった程度である。そのアインシュタインが、それまで電磁波は「エーテル(=空間そのもの)」というスカラー量の生み出す波であるという考え方を一蹴してしまったのである。ここから歴史も話もややこしくなる。多くのことがまぜこぜにされたのである。アインシュタインによってひっちゃかめっちゃかにされたともいうことができる。

電磁波は空間を伝わるのに、空間には何もない。なぜなら空間そのものが物質のようなものなら、その場合には縦波も存在するからである。アインシュタインは、苦肉の策として、特殊相対性理論を生み出した。さらには何も空間にはないのに、空間自体が曲がると重力理論を生み出したというわけである。

アインシュタインの苦悩は、電磁場の解釈にあったことはまず間違いない。

(か)ヘビサイドの罪?
そもそものこの解釈は、マックスウェルの生み出した電磁力学の理論を現代流に焼き直したオリバー・ヘビサイドに由来する。ヘビサイドは、電磁場こそ物理量であり、マックスウェルがファラデーの実験的洞察から得た「電気緊張状態(electrotonic state)」という概念を根拠なしと退けた。どうも最近の研究によれば、独学の変人数学者であったヘビサイドには、あまり良くわからなかったというのが原因の一端であったようである。

当時(今もだが)、いわゆる「アマチュア科学者」という人がたくさんいた。今もたくさんいる。「と学会」の大半もアマチュア科学者にすぎない。ほとんど研究実績がない。若干大学職員がいる程度である。それも理論系のSFオタク組にすぎない。本流は皆無である。

有名なエジソンもそういう一人であった。むしろテスラのほうが学があった。エジソンは交流が理解できなかったし、同様にヘビサイドはあまり本質的な物理はわからなかったようである。かなり形式学的な方法に関心を持つアマチュア数学者だった。

そのヘビサイドが作ったいわゆる「マックスウェル方程式」を、これまたアメリカのギブズが加担した。そうして最終的には当時の学会で、まるで最近でも単位系をどうするかとか、放射能の除染レベルをどうするかとかいうように、当時の欧州の科学者の間で電磁気の公式理論をマックスウェル流にするか、ヘビサイド流にするかの議論があったのである。

そして、最終的には、ヘビサイド理論を公式の「マックスウェル方程式」とすることで決着したのである。ここに、ファラデーとマックスウェル、そしてそれ以前のウェーバーの理論は葬り去られたのである。

そして、上述のように、アインシュタインなどの当時の若い世代の学者たちが、こぞってその「マックスウェル方程式」に飛びついたのである。だから彼ら当時のヤングには最初からファラデー−マックスウェルの電気緊張状態の概念は馴染みなかった。

(き)ファラデーの「電気緊張状態」とは何か?ゲージ場のことだ。
さて、その「電気緊張状態」とは何か?というと、今で言う、「ゲージ場」のことである。ベクトルポテンシャルAのことである。マックスウェルはこれを「電磁運動量」と呼んだ。

実はこれが問題となるのは、量子力学が発見され、その理論がハイゼンベルグ、シュレディンガー、ディラックなどによって完成してからである。そして、さらに、ベクトルポテンシャルが真にマックスウェルの言った意味の「電磁運動量」という意味合いを持つようになったのは、1957年の超電導のBCS理論ができてからのことである。まさに外部磁場がかけられた超電導体には、その中の粒子である電子対(クーパーペア)たち、電子対の持つ運動量を変化させる余分の電磁運動量として入ってきたのである。さらには、1980年代の量子ホール効果の発見によりまさにその側面が明確化したのである。

問題は、そのゲージ場であるベクトルポテンシャルは、横波の電磁場を生み出すためのものであるから、大本のベクトルポテンシャルも横波成分しか存在しないということなのである。だから、これまた3次元の波動であるのに、2つの横波しか存在しない、という奇妙なことが起こるのである。

そうしてみると、「スカラー波=テスラ波」というものは、最初から非常に不思議なものであったのだが、ヘビサイド流のやり方以外にはないように見えた。だから、多くの人々は、テスラ波やスカラー波というと、そんなものは眉唾ものだよ、と思うようになってしまったのである。

(く)ディラックとスカラー波
そこで、ディラックの登場となる。ディラックの量子力学の教科書には、いくつかの場所で非常に意義深い考察を行った部分がある。その1つが、「スカラー波」を扱った部分である。もちろん、ディラックは、つまり、ディラックの時代(1930年代)では、ばかにするような意味の「スカラー波」という言い方はなかった。それが出てきたのは戦後である。だから、ディラック自身は、スカラー波ともテスラ波とも呼ばず、単に「ベクトルポテンシャルの0成分、A_0」と呼んでいるにすぎない。これ以外の外部ポテンシャルは、Uとか、Vとか呼んでいる。

ディラックは自分が発見し、発達させた「量子電気力学理論」をその整合性を徹底的に追求すると、ヘビサイド流の電磁気のようにやってもうまくいかない。ましてやアインシュタインの特殊相対性論の帰結である「ディラックの相対論的電子論=ディラック理論」とも整合できない。「電磁場の量子化」問題と「ディラック理論」との整合性を満たすためには、ハナからA_0をゼロとするのではなく、最初は理論に入れておいて後で消すべきだという論法を行ったのである。

問題は、その帰結である。

そうやっていくと、縦波の電磁場成分(=テスラ波)も含めておくこと必要があり、もっとも数学的に自然に分析していくと、縦波の電磁場のもつ量子場と横波電磁場の持つ量子場の2つが残るが、どうあがいても、縦波電磁場のエネルギーは「負のエネルギー」になってしまう。とまあ、そういう結論になったわけである。

そこで、ヘビサイド流のマックスウェル理論に合わせるために、なんとかして量子場に制限(付帯条件)をつけることにして、横波成分だけの理論になるようにしたのである。これは結構うまくいった。そして、理論は一見完成したかに見えた。

ところがどっこい、そうは問屋がおろさなかった。横波の電磁場だけで電子と電磁場の相互作用エネルギーを計算すると、無限大の自己エネルギーの問題という難問題が出てしまったのである。この部分を書いたものが、冒頭の言葉である。そして、ディラックの研究は、ここで第一線から退き、表舞台、檜舞台から去る。

しかしその後の発展をつぶさにみながら、ディラックは今の学者は大事な問題に答えないといいつつ不満や皮肉をいうようになった。こうやって追加されたのが、第四版改訂版である。そして、その2年後にこの世を去った。

とまあ、そんな話がディラックの「スカラー波」の歴史なのである。この続きはまたいつか。

(追記2月3日:ちなみに、日本のB層は、「常に他人も自分のようだと思うという癖がある」から、あえて書いておくと、ディラックがいくら「不満や皮肉をいうようになった」といっても、それはその辺の日本のおばさんや朝鮮人が韓流ドラマでやっているように、いつも不平不満をがみがみ言ったというわけではないのはもちろんである。ディラックは正々堂々と公式会議で講演を依頼された時(めったにしなかったらしいが)や、本や解説を書くというような時に、「自分の観点からの意見として批判を述べた」ということを意味する。物理学史には「1ディラック」という単語がある。この意味は、「1ディラック=ディラックがその1日に1回だけしゃべった」というものである。ディラックは、超寡黙な人で有名で、ほとんどはスマイルだけで話すことや声を発することはなかったという風変わりな偉人だったのである。まあ、なんでも言わないと分からない、想像もできない、想像もしないというB層ばかりになったから、あえて追加したわけサ。自分の馬鹿さをまず恥じなさい!オレは毎日毎日自分の馬鹿さ加減を心底恥じ入っているがネ。)
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  by Kikidoblog | 2013-01-31 14:50 | 人物

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