とっておき日本:「日本は情緒の国である」、はてさて外人に解るかな?

みなさん、こんにちは。

いやはや、ここ最近2012年12月24日のマヤの予言以後のいわゆるスピリチュアル系の有名サイトの人たちの動向を観察してきたが、さぞや世界滅亡や世界経済崩壊が起こらなくてがっかりしたようである。たいていは、スピリチュアルから転向して災害ショックサイトに打って変わってしまったようである。いまでは世界中の災害だけをピックアップして、世界の崩壊は近いというやり方である。さぞやストレスがたまるにちがいない。

もともと悪名高きイルミナティー企業のトップリーダーのゴールドマンサックスの社員だった金玉氏などは、これまでさんざん地震や災害で煽ってきたが、いまでは農業に転向し、確か10kgのコメを6000円で売るという詐欺まがいの商売までやっている。ここ徳島ではその半額以下で米が買える。すでにだいぶ前からTPPのことを知っていたのじゃないかというほどの先手必勝の先物買いである。「感じるんだ」、「金など意味が無い」と叫んだご本人が、いつの間にか、ツアー開催、飲み会開催。「考えるな」、「感じるんだ」、「このコメを買うんだ」と、いつのまにか立派なキャンペーンをしているようである。この目を疑ったほどである。

まあ、世の中の阿呆はどうでも良いのだが、ちょっと手口が汚いようですな。

さて、そんな日本だが、日本に来て外国人が感じることというのが、またすごい。「すごい」というのは、その感性がすごいという意味だが、外人は自分の頭に去来したことをすぐに実行して人に自慢することができるからすごいという意味である。

これぞ、岡潔博士が「西洋人は6識の人種」といったそのものである。ちなみに、「5識」とはいわゆる「五感」のことであり、第6識とは「意」、すなわち「意識」のことである。前頭葉の働きである。そして、東洋人は7〜8識であるという。

これに対して、古来の日本人は、最大で「15識」まで行っていた。松尾芭蕉が15識の達人超人であり、道元禅師が14識の超人であった。そして、我々普通の日本人は9識であるという。

彼ら外人が感嘆するのは、9−6=3〜9ー8=1の「1〜3識」の差に由来するのである。

これが「情緒」である。「情緒の差」。これである。

しかし、彼ら外人にはこの差が何なのか理解できずにいる。だから、ただ驚くのである。そして、YouTubeにその驚きをアップする。しかし、その理由は理解できない。そして、「日本人て不思議ですね」という結論で終わってしまう。

前置きが長くなってしまったが、そんなものをいくつかメモしておこう。以下のものである。
とっておき日本 ~外国人が見つけた素晴らしい日本の街



(外人はセックスのためにシャワーするだけだから、「湯を楽しむ」という発想がない。「湯」という情緒は存在しないわけですナ。)
(外国人に)日本に来て住んでみて驚いたことは?



(この青年はコンビニで何も買わなくて出て行っても「ありがとうございます」と日本人店員がいうことが理解できず、驚いた。なぜそういうことを日本人が言うかといえば、「たくさんある店の中でわざわざ我が店を選んで足を運んでいただきまして、ありがとうございます」。そういう意味である。江戸時代以前からある「お仙ちゃん精神」である。これが「情緒」である。もちろん、ロボットのように効率だけで応対する西洋人や現代の朝鮮人や中国人には理解不能である。「買わないのに何で来るの?」そういうことになる。)
【雑学2ch】外国人観光客が驚く!日本の凄いところ



(もはやこれは論外。いったいどんな惑星の話をしているんだか?君はどこの星から来たんだい?プレデター星か?逆に我々日本人は、観光客や外人が起こす犯罪に合わないことを願っているわけですナ。)
外国人観光客急増中の日本



(はてこの中の何人が日本人の「情緒」や「9識」までたどり着けるだろうか?まあ、無理だろうヨ。すべては「6識」で見聞きし感じるだけだからネ。日本では「6識」しかわからないのが、マスゴミ。マスゴミと外人はとにかく波長が合うというわけですナ。マネーだけが世界ではない。それが理解不能というわけでしょうナ。)


いやはや、岡潔博士の慧眼には脱帽である。1970年代にすでに正確に外人と日本人の違いを本に書き、講演していたのである。
岡潔研究会
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世界は情でできている。日本は情緒の国である。

これが岡潔博士の結論であった。


おまけ:
日本にはこんなものまであるゾ!
「パワードジャケットMK3」世界初の搭乗型パワードスーツ


ここにもちょっと「情緒」があるだろ?

おまけ2:
試しにこのページを英語翻訳してみたが、「情(じょう, jo)」や「情緒(じょうちょ, jocho)」の部分が全部英語の"emotion"と訳されてしまった。しかしながら、「情」や「情緒」がエモーションではない。これは我々日本人には明らかである。明らかすぎる。エモーションの日本語は「感情」や「熱情」になる。「情」とは「感情」の意味ではない。

岡潔博士もそれを人生の大半をかけて説明したのである。感情は脳に宿るものだが、情は文化に宿ったものだからである。つまり、この自然界や風物や歴史などすべてと共鳴した脳の活動の意味である。脳と自然界やこの現実世界の共存共栄に根ざしたものが「情緒」である。

この意味では、むしろ西洋人に分かりやすいのは、エーテルとか、宇宙の魂というようなものである。情緒とはそういうものに近いのである。だから、日本人はお湯と一体化することによって「湯を楽しむ」ことができるのである。自然を、セックスという、身勝手な「自分」という個の行為のための道具に劣化させないのである。湯を通じてこの自然と一体化することによって、この世界と興じるのである。それが「湯を楽しむ」という情緒である。

日本人はすべてがそういう調子なのである。いちいちそういうことを言わなくても理解できるのが日本人なのである。

西洋人には分からんだろうナア。
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  by kikidoblog | 2013-08-24 11:54 | アイラブとてつもない日本

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