「日本人とは何者か?」:やっぱり古代イスラエルの失われた10支族の可能性大ですナ!

みなさん、こんにちは。

このブログも早5年。最初は私個人用の個人メモだった。それを公開したところ、豚インフル事件とともに人知れず知られるようになり、いまでは世界中の人が見るようである。人口の割に見ないのは、中国と韓国と北朝鮮ぐらいのもので、ほとんど世界中で見ている。きっと翻訳マシーンがついているからだろう。

さて、例のアメノウズメに実に面白いものがあったので、それをメモしておこう。以下のものである。
アメノウズメ塾上級サバイバル編⑩日本人とは何者なのか?①


アメノウズメ塾上級サバイバル編⑪日本人とは何者なのか?②


アメノウズメ塾上級サバイバル編⑫日本人とは何者なのか?③

いずれにせよ、神道は天皇家の祖先とともに日本にやって来たことは事実だから、その神道の伊勢神宮などが明治より遥かに昔から存在したことは明白なる事実である。

最近、韓国朝鮮人系の顔をした鬼塚英昭という、謎の人物の繰り出した「明治天皇家陰謀史観」がはびこってきたようである。おかげで、これまでかなり良心的だったと思われたブログを書いていた人も完全に心を乗っ取られ、正気を失った感がある。

素人さんが陰謀論に手を染めると往々にしてそういうふうにして病気になるからお止めになさいと私はずっと言ってきた。下手をすれば、同じ情報を手にしてもこんな感じになってしまうからである。
これを知ったら国歌はもっと歌えなくなる

というのも、陰謀論とか、陰謀暴露というものは、右を左、左を右、上を下、下を上、前を後ろ、後ろを前、裏を表、表を裏というような具合で、物事の座標の名前の付け替えを頻繁に行う。その間で行ったり来たりする。したがって、自分にその直線方向とは直交した別の視座がないと、あれ〜〜どっちがどっちだったっけという具合に、今いる自分がどっち向きになったかわからなくなるからである。こうやって精神を病んでいく。実は陰謀論を流行らせたCIAの本当の目的はこれだとも言われているのである。

さて、仮に今の天皇家が山口県の田布施に端を発したとしても、それが伊勢神宮やら日本人の祖先の神道に関する歴史が嘘だったということにはなろうはずもない。古代イスラエルの失われた10支族が日本人の大和民族のルーツだという話と、明治期の明治政府の天皇の問題とはまったく別物だからである。

仮に田布施の人たちが朝鮮人であったとしても、それが朝鮮半島のどこから来た人々だったかということが、実はもっとも本質的なのである。百済か、高句麗か、新羅か、任那かではまったく異なるからである。決して朝鮮人問題を味噌糞にしてはならない。これが私が最近気づいた視点である。

新羅と任那は倭国とほぼ親戚、高句麗(高麗)は北朝鮮のルーツ。百済が現韓国人のルーツである。

田布施の人たちはどこから来たのか?  

この場合の「どこ」とは、もちろん、場所ではない。どの民族から来たのか?という意味である。

それが問題なのである。

今でも、北朝鮮人には仁義や恩義があるが、韓国人には仁義や恩義は存在しない。そういうことからも分かるように、彼らは別人種なのである。別の宗教国と呼んでもいいかもしれない。それほど異なっているわけである。

我々日本人は、姿形が似ているからという理由で、一緒くたにすると、またまた痛い目にあうに違いない。

いずれにせよ、江戸時代、江戸末期、明治初期に来た西洋人が書き残したように、皇族公家士農工商で少なくとも4種類の日本人がいたというのはほぼ間違いないことである。これは、顔形の意味である。見かけ上ははっきり違っていたということである。

中でも、公家以上の身分の高い人達は、イスラエル顔やユダヤ顔であったというのである。サムライは侍顔。そういうはっきりした特徴が当時は残っていて、だれにも分かったということである。

この顔形からすれば、鬼塚の主張はかなり怪しい感じがするのである。明治天皇と皇族にははっきりしたイスラエル顔の特徴が残っていたからである。

この場合でも明治天皇が田布施の乗っとり事件だったとするのであれば、そもそも田布施の人間もまた朝鮮人というよりはユダヤ的イスラエル的な顔形だったということになる。実際、伊藤博文も当時の大半の皇族もまたかなり髭が濃く、ユダヤ的な、いわゆる「ニビルひげ」を持っている。

新羅や任那の王を見ても分かるように、朝鮮人としては特殊な例というほどに、髭が濃い。朝鮮人の中にも日本人の皇室のように髭の濃い人達が古代の王朝では存在したことになっている。
ヒスイの勾玉だらけの新羅王の王冠
e0171614_1475472.jpg

乃木将軍の顔もやっぱり「イスラエル顔」だった!:宇宙戦艦大和の司令官のモデル!?

しかしながら、今現在の韓国人や北朝鮮人にはそういうものは非常に少ない。

こういうことから、昔の朝鮮半島には日本人の子孫が住んでいた(事実、新羅の王には何度も倭国から行っている)と考えるほうが自然なのである。だから、ちょっと前に朝鮮から来たとしても、それが百済から来たという意味には必ずしもならないのである。

古代の歴史書にもあるように、百済の人間ほどたちの悪い人間はいなかったようで、隣国の新羅も高句麗もあまり百済の人間を信用していなかった。このことこそ問題なのである。

いったい百済の先祖がどこから来たのか?

これが実は朝鮮半島の問題の一番の火種なのだろうと私は感じるんですナ。

新羅や高句麗の人間はまだ比較的話が通じる感じがするが、百済には話が通じない。ちょうど今の韓国人と実に似た気質があったらしいのである。

田布施は百済なんでしょうか? それとも、高句麗なんでしょうか?
鬼塚は百済なんでしょうか? それとも、高句麗なんでしょうか?
私はそういうことを知りたいんだよ。

まあ、俺にはどうでもいいがネ。


いずれにせよ、古代大和は古代イスラエルと実に深い関係があったことだけはもはや疑う余地はない。

我こそは、いにしえの大国古代イスラエルの子孫だったのであるぞ! 頭が高い!

というところですナ。現代シオニスト(偽ユダヤ)の言い方で言えばネ。

なかなかおもしろい展開になってきたようですナ。



ーーーーーーーーーー
[PR]

  by kikidoblog | 2013-10-12 16:02 | 失われた10支族

<< 今日は私の誕生日:「清王朝崩壊... 「すんません、南部博士からパク... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE