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「生きものの仕組みを知りたい!」:ある書評「「総量」から「効率」へ」

みなさん、こんにちは。

昨日、以前のメモ
有言実行2:「最適制御過程における非平衡熱力学の理論:最大原理の物理学的理解」が完成!?
に「おまけ」をしたのだが、それが結構興味深い。そこで、ここにもそれを今度は全文を再掲させてもらおう。以下のものである。
「総量」から「効率」へ

科学 | 01:11 |

高校一年のとき、生物学の授業で、光合成の化学反応式が淡々と板書されるのを見て、心の中の何かが弾けた。「生きものの仕組みを知りたい!」と強く思った。中学の頃は、物理のオハナシに興味を持ったが、そのあまりにも地道で厳しい入門的段階に愚かにも躓き、高校でも物理はスルーしてしまったのだが、生物には見事にやられた。ブルーバックスや岩波新書など、生物や生化学関係のわかりやすい本を物色した。

そして、生化学の偉大な成果に圧倒されつつも、その背景に流れる還元論的な暗黙の前提に、いつしかなじめなくなり、特に、モノー
偶然と必然
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には、魅力を感じつつも、強く反発する自分を発見したのだった。心中に隠れた暗黙の宗教性が抵抗していたのかもしれない。以後、一般システム論的なマクロの視点がある生態学に、興味が移っていった。

結局、研究者になることは諦めて、全く別の道を歩んでいたのだが、清水博
生命を捉えなおす
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を読んで、また何かに感電してしまった(笑)。還元論を踏まえつつもそれを超えた視点で、生命のしくみにアプローチしている学者がいることに、衝撃を覚えた。一番印象に残っているのは、「あとがき」の冒頭部分。学部卒業前に、教官に言った言葉が綴られている。
生きているとはどういうことかという問題を研究してみたいけれども、化学的方法による研究では、生きものを分解してしまうために、生きている状態の特徴である動的変化のからみ合いを知ることができない。そこで系の動的変化を追求できるような物理的方法によってこれを研究したいと考えている
後に、松岡正剛が、「こんな日本人の科学者がいることに誇りを感じた。」と書いていることを知ったが、読了後の私も全く同感だった。

しかし、その後の清水先生のご著書においてクローズアップされる「場」という概念には、自分の興味の方向性が共鳴してこない。清水先生は別の世界へ行ってしまったというのが、自分の勝手な感想。実際には、私の方が別の世界へ行ってしまったということなのだろう。

清水先生の進まれる方向にではなく、その出発点をウロウロしつつ、非平衡熱力学というキーワードがリフレインしていたが、自ら真剣に勉強することもなく無為に歳を重ねていた。自分の無力さに絶望しながらも、何かわからないものに、強い興味を漠然と向けていた。

ぼんやりと考えていたのは、物理学の歴史だった。力学と電磁気学を統一的に理解するために、多くの秀才が、実績のある力学の故地を基礎として、電磁気学を取り込もうとして失敗。逆に、粗削りの天才が、電磁気学に基礎を置き、そこに力学を埋め込むようにして取り込んでしまう。その延長にあって、宙に浮いた熱力学だが、どう考えても、これが一番本質的だと思える。時代の流れからすれば、力学や電磁気学に基礎をおき、統計力学を組み立てていくのが自然なのだろうけれど、どうしても、逆なんじゃないかと漠然とした抵抗感をもっていた。

その後、「真核物理」というエントリにも書いたが、大野克嗣
非線形な世界
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を読んで、その現象論に基礎を据えた思考の確かさに、とても感動した。「統計力学が熱力学を正当化すると読者は言うかもしれないが、これは本末転倒の議論である。」「熱力学との整合性が統計力学を正当化するのである。」といった記述に強く共感。しかし、大野先生の着実な歩みをトレースしようとしても、どこか、掴もうとする指の間から、大切な何かが抜け落ちるような無力感を覚える側面もあった。手の中に残ったもの、掴めたものも大きいのだが、反面、僅かに漏れる何かに、最重要のエッセンスがあるような…。

その後、科学への興味は中途半端に萎えたまま、また無感動に過ごす日々が続き、本を買うことも少くなっていたのだが、年末に何気なく書店で手にとった以下の本が、久しぶりに琴線に触れた。

井口和基
ニコラ・テスラが本当に伝えたかった宇宙の超しくみ
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タイトルといい、版元といい、学部レベルの科学の素養のある人なら、5メートル以内に近づかないような本だろうなぁと、思わざるをえない。しかし、井口先生は、しっかりとした研究歴のある物理学者だ。現在はどこにも所属せず、徳島で研究を続けていて、ブログはなかなか有名だが、これも普通の学者を遠ざけるに足る雰囲気に満ちている。

現在の井口先生の研究テーマは、生命の物理学的基礎で、そこに至る遍歴が興味深い。非平衡物理学を適切に評価しながらも、それを越えて進まれている。

生命を物理学的に見たときに、開放系という特徴があることは、周知のことだが、それを記述するために、物理学者はやはり伝統的な物理の手法から離れ難いものだ。しかし、井口先生は、エンジニアのアプローチに着目した。死んでいる物質の中で一番生命に近いものが、電気回路だと気づいたのだ。電流が絶えず流れる開放系であって、自動制御している存在。これが、コペルニクス的転回の端緒だった。

物理学者は、電磁気学を勉強しているから、回路なんか分かるだろうとも思うのだが、実際には、電気回路屋さんとは発想がかなり違うものだ。もっとも、
『物理学汎論』
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の高橋秀俊先生なら、一挙に見渡せたのかもしれないが、こういった碩学はどこにでもいるものではない。

物理畑の井口先生は、エンジニアの視点で電気回路を徹底的に学び直し、電力(時間あたりのエネルギー供給)の重要性に気づく。エンジニアには当然過ぎて、その認識の重要性が汲み取れないかもしれない。物理学者は、総量としてのエネルギーで考えるが、それは孤立系を暗黙の前提あるいは出発点としている。開放系を対象とするなら、正面からパワーに着目すべきなのだ。
開放系にはエネルギー保存則はあまり意味がない。むしろ、それに代わるものとして、効率、すなわち、パワーがより重要になるのである。
ということである。なかなかここまで、手にしたものを潔く放擲できるものではない。しかし、「放てば手に満てり」なのだ。

物理学を普通に学んでしまうと気づきにくいが、そもそも、開放系を相手にしていたカルノーは、「保存則」という視点で考えていたのではなく、虚心坦懐に「効率」で見ていたのだという。そのカルノーの原点に立ち返り、開放系の物理学の背景を探ると、そこには、ポントリャーギンの「最大原理」とベルマンの「最適性の原理」があり、両者は数学的に等価で、前者は「ハミルトン原理」の拡張、後者は「最小作用の原理」の拡張になっているとのこと。なお、ポントリャーギンの最大原理に登場する保存量としての「ハミルトニアン」は、エネルギーではなく、その時間変化、すなわち、エネルギー効率(パワー)なのだそうだ。

開放系モデルの土台が現代制御理論というのは、意外だけれど、大きな流れとしては納得できる。その詳細をトレースする能力が今の私にはないが、孤立系のハミルトン-ヤコビに対応させて、ダイナミック・プログラミングに至る開放系の体系は、とても魅力的に思える。物理学と現代制御が見通せる人には、是非とも上巻p.260あたりを読んで頂きたい。

あまりにも癖の強い世界で、ほとんどの学者が素通りすることは分かっているが、ちゃんとした基礎のある人に、一人でもいいから読んでもらいたいと念願する。

いや〜〜、私が読んだ書評の中では、この人物のこれが一番私の真意を見抜いていたようですナ。まさにそのとおり。お見事!

あなたはぜひ科学者の道に戻られることをお勧めしますヨ!
こういういい捉え方や感性の持ち主が科学者世界には必要なんですナ。





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  by kikidoblog | 2014-01-26 10:56 | フリーエネルギー

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