岡潔 「民族の危機」(1969):俺「民族の終焉」(2014)、もはや手遅れだナ!」

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父の言葉
日本人が櫻が好きなのは其の散り際が潔いからである。
−− 岡潔


みなさん、こんにちは。

いやはや、「STAP細胞」の顛末を見るにつけ、ここまで日本の科学が凋落し、在日害人汚染がひどかったかともう見るに忍びない感じである。小保方さん個人の能力が欠如していたのは明らかだが、問題は、

そういう人が
どうして大学に入れたのか?
どうして卒業できたのか?
どうして博士になれたのか?
どうして留学できたのか?
どうして論文が出せたのか?
どうして論文チェックできなかったのか?
などなどの方である。

そして、小保方さんは「氷山の一角」でしかなく、この何千倍もの同じようなタイプの科学者たちが素知らぬ顔をして「日本の科学技術」云々を言って、高額所得者として日本社会に君臨しているということである。言い換えれば、すでに「新たなる日本社会の構造的問題」を創りだしたのである。

実はこの問題を日本社会で冷徹に分析し、本や講演で痛烈に警鐘を鳴らし続けた科学者がいた。それが、岡潔博士であった。岡潔博士は、「民族の危機」という本や論説を1960年代から続けたのである。時代としては、ちょうど学園紛争たけなわのまっただ中であった。

つい最近、高知の横山賢二さん主宰の
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数学者岡潔思想研究会
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にその1969年の「民族の危機」と題する、大阪新聞への寄稿記事が連載されていたので、今回はそれをメモしておこう。以下のものである。

岡潔 「民族の危機」の解説 大阪新聞

横山 賢二
はじめに
 今回は少し趣きを変えて、岡潔先生の大阪新聞への連載をご紹介したいと思います。これは1969年(昭和44年)の1月〜2月にかけて30回にわたり発表されたものでして、この時期における岡先生のご主張と日本への警鐘がわかりやすくコンパクトにまとめられています。
 特にこの時期は「岡の教育論」の結論篇ともいえる「教育の原理」が完成された頃であり、多岐にわたる岡の思想分野の中でも「教育論」がこの頃の中心テーマとなっていまして、やはり先生はその「教育論」によって直面している日本の混迷の打開と、ひいては人類の滅亡を何としても喰い止めようとの思いがあった訳です。
 しかし、残念ながらあれから40年、教育界の現状はより酷くなることはあっても、基本的には今日もなお当時とほとんど変わらないというのが実情でしょう。
 その「岡の教育論」に関しましては、先生ご自身が述懐されていますように、1949年(昭和24年)に奈良女子大学に奉職されましてから、女子大教授の立場上必然的に本格的な教育論の研究に入り、「心の発達曲線(次元は全く違うが今日の発達心理学)」、並びに「岡の大脳生理」という教育における二本柱を順次解明していきつつ、1969年には先程の「教育の原理」とその補足版である「教育の新原理」(共に岡潔著「曙」に掲載)を発表することにより完結しているといっても良いと思います。
 つまり、「岡の教育論」は岡先生の晩年初期、中期、後期とわけて、晩年初期の中心テーマという位置づけになる訳です。
 さて、今日の世界各国は当然ながら、「教育」を国家存亡の最重要課題としているように見えますが、我が日本にとりましても「岡の教育論」が混迷を深める日本社会の再建と、世界の未来を荷う真に日本人らしい人材の輩出のためにも何よりも待たれるのでして、文部科学省をはじめ今日の日本の教育界は全力をあげて、この「岡の教育論」に遅れ馳せながらも早急に取り組まなければならないと私は思うのです。

【1】 均衡を欠く日本 (共産化した大学自治会)
【2】 戦後消えた愛国心 (心の安定と生きがいをもて)
【3】 自然科学 (〝生命〟の疑問には沈黙)
【4】 無差別知 (人は物質的自然に住めぬ)
【5】 真我(しんが)と小我(しょうが) (仏教の根底を信じよ)
【6】 愛国とは真我 (物質主義は小我ふやす)
【7】 義務教育のあり方 (だれが教えるかが大事)
【8】 教育は師道なり (教える先生で左右される)
【9】 大切な男女問題 (人の中核は生後3年で)


さて、その第一回目の記事は、こんなものである。
【1】 均衡を欠く日本 (共産化した大学自治会)

日本民族は狭い島々にいっしょに永く住んでいる。人には必ず両親がある。両親にはそれぞれ両親がある。それで900年遡(さかのぼ)れば、一番遠い祖先の数は1億になる。2000年遡れば天文学的数字になる。昔は日本の人口は1000万か500万ぐらいであっただろうから、日本民族は全体が非常に濃い血縁なのである。

それが1つの国をつくって、この狭い島々に仲よく住んでいるのである。他に行く所とてもない。

ところで、終戦後の日本の有様を見ると工業的生産力においては、いまや世界第3位である。やはり勤勉な国民だと思って、大いに心丈夫になる。

しかし精神面はあぶないところばかりが目に付く。これはたとえていえば船がいま大海の真中にいて、エンジンだけは丈夫であるが、船体はぼろぼろで、いつ浸水するかわからないようなものである。

エンジンだけでは、大海は渡れない。危いなあと思っていると、はたして大浸水が起こった。いま日本という舞台で演出中の大学生劇がそれである。これはいま演出中で、見ようと思えば誰にでも見えるのだから、よく見ておいてほしいと思う。

輪郭をいうと、いま日本に大学生が130万くらいいる。ところが、大学自治会は、ほとんど全部が共産主義である。彼らの行動はどんな風かといえば、東京でみんながメキシコのオリンピックで、日の丸が1本でも多くあがればよいと思って、テレビに食いいっている最中に、「祖国ソビエット」と叫びながら、日の丸を焼いたのである。これは、大学生という地域全体に、浸水したようなものである。まずこの浸水に関してよく考えたいと思う。

この時に国立大学や有名私立大学の大学自治会のリーダーとなって、学生運動を起こし、東大安田講堂の天辺から火炎瓶を投げたのが民主党の仙谷由人であり、東工大で学園紛争を指揮したのが民主党の菅直人であった。

紛争終結後は、仙谷由人はそういう学園紛争起こした左翼学生の裁判を弁護する弁護士となったのである。そうやって、国会議員への足がかりを作ったわけである。

今では、当時「共産ソビエト」に入れ込んで、日本社会を崩壊させようとした学生たちはほとんどが北朝鮮系(現韓国系)の在日朝鮮人、現在は法的には韓国一本しかないから、在日韓国人と称する在日北朝鮮人系の学生だったことが分かっている。

日本の学生を運動に刈りたて、社会を混乱させ、大学を破壊し、火の海にし、日本人のエリート校を崩壊させ、その間隙をぬって(つまり、入学試験無試験になった時に)大学になだれ混んだり、あるいは、そういう左翼系学生を弁護することでによって、日本社会のエリート組織や政治に入り込むようになったのである。

まさにマッチポンプだったわけである。

それが、現在の野党=民主党や共産党や社民党の政治家だったのである。与党には公明党がそういうものであった。これが真実である。

岡潔は今から半世紀前にこれを見抜いて危惧していたというわけである。


二番目の記事では、その学園紛争の時期を境に「愛国心」が失われてしまった。代わりに偽の右翼が登場したということを指摘していたのである。
【2】 戦後消えた愛国心 (心の安定と生きがいをもて)

人類進化の現状は、口ではいろいろりっぱそうなことをいうが、実際は一つも行なえないのであって、つまりまだまだ非常に野蛮やばんなのである。それで世界の各民族は生きていくために、みんな国をつくっている。そうしなければ生きていけないというのが現状である。

国をつくり続けていようと思えば、国を結束する力を働かせ続けなければならない。これが愛国心である。いま世界で愛国をいわない国は、終戦後の日本だけであろう。

終戦後の日本は、愛国ということばを禁句のようにいわなくなった。これで国の結束が保っていけるものと、朝野共に思っていたらしい。もし国という防壁が破れたならば、個人の自由も幸福もないものだということを忘れていたらしい。

その結果、大学生という地域で、国という結束がすっかりばらばらになってしまったのである。

終戦まで日本は愛国ということをしきりにいった。しかし終戦直後に諸外国から、愛国とは全体主義か、でなければ偏執狂だといわれた。実際そのころになれば、そんな不純物もまじっていたにはいたのである。それでみんなが、そうかと思って愛国といわなくなってしまったものらしい。

しかし、真の愛国とはそんなものではないのである。無心に遊ぶこどもたちを見ては、よしこのこどもたちのためにも、身を犠牲にしても国という防壁を固めよう。そう思うのが真の愛国である。真の愛国は、心臓の柔らかな人たちだけに許された特権なのである。真に国を愛していれば、人は心が安定し、生きがいを感じる。

そうした広瀬中佐を見て、ロシアの娘さんが、これこそ人の本当の生き方だと、深く中佐を思慕するようになったと、司馬遼太郎さんは書いている。(拙注:これが、最近もNHKのドラマになった「坂の上の雲」のストーリーのことである。

これが、マッカーサー元帥の起こした「ウォー・ギルド・インフォーメーション・プログラム(戦争罪悪感プログラム)」というものである。

いまでは、「日本人は精神年齢12歳だ」といった「ダグラス・マッカーサー自身が精神年齢12歳だった」ことがあきらかである。マッカーサーは、アジアの歴史も何も知らなかった。だから、悪党のフリーメーソン李承晩を初代大統領に据えたのである。
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この選択ミスの結果「朝鮮戦争」が勃発したわけである。もっとも、当時からNWO(イルミナティーのこと)はすでに存在していたから、マッカーサーは自分が彼らの駒の一つでしかないことがわからなかった。

この朝鮮戦争の結果、500万人の朝鮮人が死に、怒涛のエクザイルがチェジュ島を経て日本に流れ込んだ。この時にやってきた朝鮮共産党が、今の野党のご先祖様たちである。だから、基本的に唯物史観であり、共産主義者であり、天皇制反対なのである。

そして、いま従軍慰安婦にされたと言っている婆さんたちは、この朝鮮戦争時の女性たちである。だから、ジープ
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で連れ去られたと言っているわけである。日本軍にはジープはなかった。ジープは米軍のために作られたクライスラー製である。

またマッカーサーは数多くの間違いを起こした。今のマスゴミの基本ができたのもこのマッカーサーの「戦争罪悪感プログラム」のせいである。この時、朝鮮進駐軍を名乗り、闇市時代の一等地を力づくで奪いとった連中が、創価の池田大作、電通の成田豊、笹川良一や児玉誉士夫や小佐野賢治に代表される朝鮮系の連中だったのである。この朝鮮進駐軍が戦後の朝鮮ヤクザのルーツである。

だから、神奈川や東京は朝鮮マスゴミの支配下となって、その代表格に電通とNHKがなったのである。
マッカーサーの力を利用して、戦後の日本を乗っ取ったのである。だから、実質的には(残念ながら)日本は「朝鮮日本」なのである。詰んでいたのである。

それゆえ、私は「銃刀法改正して、自主防衛できる国民になるべきだ」と主張しているわけだ。銃を所有するというのは、核を保有するの個人版なのである。抑止力になるのである。

さて、その1969年頃にすでに岡潔は、その当時の教育の欠陥、問題点を描き出している。それがこの部分である。
【7】 義務教育のあり方 (だれが教えるかが大事)

私は終戦後、奈良の女子大(拙注:奈良女子大学)で数学を教えていた。そうすると、そのうちまったく教えようのない学生ばかりが私の教室へ来るようになった。私はおどろいて、いったいどのような教育をしているのだろうと、それまでの教育を調べはじめた。

まず驚かされたのは、児童、生徒、学生の顔がまったく変わってしまっていることである。私は悪い教育の恐ろしさをつくづく知った。新学制をよく調べて、著書
春宵十話
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を書き、教育は根本から変えなければならないといった。

そうすると文部事務次官(当時)の内藤誉三郎さん
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が新聞に、新教育を根本から変える必要はないと書き、今の教育は
デューイ
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の教育学に基づいているといった。私はその反論を新聞に書くとともに、すぐデューイの教育学を調べた。そして何がデューイの教育学に欠けているか、したがって義務教育は如何にあるべきかを著書
紫の火花
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に書いた。(拙注:日本の大学人にはいまだにデューイの教育学は良いと思っている馬鹿者が支配しているのである。

その後文部省に行くと、内藤さんは私をはげまして「義務教育に要望するところをできるだけ手短かに書いて私あてに送れ。教育審議会に出すから」といった。私は次の3ヶ条を要望した。

1. 人の中心は情緒である。そのつもりで教育すること。
2. 大脳前頭葉を充分使わせること。
3. 小我を抑止すことを教えること。


この要望がその後どうなったか、杳(よう)として私は知らない。

その後、参議院議員になった内藤さんが私の宅に見えた。そして「教育は根本から変えなければならないが、官庁の対面ということもあり、どうすればよいのだろう」といった。

私は「義務教育は、何を教えるかということよりも、誰が教えるかということの方がはるかに大事だ」といった。これが一番主なことであるが、その他色々話した。その献策がどうなっているか、いちど内藤さんに会って聞いて見ようと思っている。

しかし、結果は御存知の通り。

日本は徐々に朝鮮化し劣化の一途をたどったのである。

さすがの岡潔も、さすがに日本のお隣の朝鮮民族の特徴やその血筋がどれほど日本に悪質なものを持ち込んだかについては知らなかったように見える。それもある意味当然であった。それは朝鮮人問題はGHQによってタブーだったからである。

しかし時代が変わった。

もはやそういうタブーは存在しない。この意味は、そういうことを論じる制限はないという意味である。

まあ、岡潔博士は、ながながしく同じこと繰り返し論じたが、実は問題は一言で言える程度に自明なことだったのである。

それが、「韓の法則」というものである。

戦後の日本に「韓の法則」が発動されたのである。だから、社会のすべてが劣化した。

いまのテレビ番組は在日韓国人だらけである。彼らがユダヤ人のように優秀であれば、何も問題はない。だれも文句は言わないだろう。しかし現実は見た通り。何も知らず、何も出来ず、ただ欲望のために生きているだけ。これが朝鮮半島を劣化させた民族の特質だった。それが、マッカーサーのせいで、日本に取り憑いた。

すべてはマッカーサーの置き土産だったのである。

とまあ、そういうことですナ。

結論は、もはやどうしようもないということに尽きる。日本は100%滅ぶだろう。これは運命である。
韓の法則とはそれほどとてつもないものである。

しかしながら、これは日本人が滅ぶという意味ではない。日本という国体は韓国人のせいでかならず滅ぶという意味である。たまたまこれが早稲田大や理化学研究所に起こったというだけの話で、これからますますあらゆる場所で現れるだろう予兆の一つに過ぎない。もはや手遅れである。

少なくとも岡潔博士が警鐘を鳴らした1969年に対処しなければ止めることが出来なかっただろうと私は思う。この問題に関しては何一つ救いがない。

できることは、銃刀法を改正し、自分の子どもたちを自衛、防衛することだけであろう。

原発よりはるかに朝鮮人のほうが危険なのである。当時の日本人は何も理解していなかったのである。

まあ、どうしてもそういう結論になりますナ。


くわばら、くわばら。


ちなみに、どうして朝鮮半島では、歴代の国々が短い期間で崩壊し属国化したのかを調べると、やはり今の日本と同様に「劣化」したとしか考えられないのである。これについてはまたいつかメモすることもあるだろうヨ。


おまけ:
1975年にすでに同じことを言っていたのがこのユダヤラビ、マービン・トケイヤ−さん。
日本人は死んだ―「仕方がない」の哲学では蘇生できない
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何事にも寿命はある。「日本」にも寿命があるのは当然である。滅ぼされないためには、自衛する知恵と力しかないのである。アセンションとは死という意味である。まあ、韓国と中国を道連れに一旦日本も滅んでみるのもいいのかもしれないですナ。





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  by kikidoblog | 2014-03-15 17:26 | 岡潔・数学・情緒

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