カウフマンの「物理学から記号論へ」:生物学者カウフマンから哲学者カウフマンへ
このゴールデンウィークはいかがお過ごしだったでしょうか?おそらく楽しい日々をお過ごしだったのでしょうナア。
さて、スチュアート・カウフマン博士といえば、「複雑系」の創始者であり、サンタフェ研究所の草創期メンバーとして有名である。アメリカのアシュケナージユダヤ人(我々がいうところの偽ユダヤ人)の巨匠として、その世界の巨人の一人としても知られている。
久しぶりにカウフマン先生はお元気なのかと探していると、偶然、以下のサイトの講演を見つけたので、ここにもメモしておこう。以下のものである。
「物理学から記号論へ」
Stuart Kauffman "FROM PHYSICS TO SEMIOTICS"
このカウフマン博士もフェイスブックを行っていたようである。以下のものである。
https://www.facebook.com/pages/Stuart-Kauffman/20287352562
カウフマン博士の「還元論を超えて」というインタビューもあった。これ。
Stuart Kauffman on Beyond Reductionism
「還元論を超えて」というと、やたらに「神(=ゴッド)」という言葉が出てくるようですナ。
しかし、「ゴッド」という言葉はあまりにさまざまな定義があって、使う人によって全部意味が異なる。だから、あまりいい単語とはいえないと思う。ユダヤ・キリスト・イスラムの世界観と我々日本人の考える世界観における神はまったく異なるからである。
私の個人的印象としては、ユダヤキリストの文化圏の人が、ゴッドという単語を科学や自然認識において用いると、結局は聖書の世界観を近代化するということ、旧約聖書の世界観を科学的に再現するということ、こういったことになってしまうという感じがするからである。
「ビッグバン」は聖書の「はじめに光あり」にすぎないし、「宇宙論」は聖書の「宇宙創世」、地球物理学は聖書の「地球創世」にすぎない。
つまり、バイアスがかかりすぎて、かなり強烈な偏見をもって自然を見ることになるはずだからである。
かつてクリスチャンが、神の存在を見つけようとして自然研究をしたように、ユダヤ人は旧約聖書が正しいことを証明しようとして自然科学をやっているにすぎないように見えるのである。
自然はそんなものだとすれば、科学など必要ない。そうではないからこそ、面白いのである。
ということは、一切の偏見を捨て去ってこの自然を見るべきだということになる。
しかしながら、これが一番むずかしいところである。
はたして、この宇宙の本当の姿、本当の真実とはどんなものだろうか?
by kikidoblog | 2014-05-08 10:25 | 人物