2015年、きっと来る、保江博士のお弟子さん!?:悪魔の「数理物理学方法序説」

みなさん、こんにちは。

以下は理論物理学に関する個人的メモのためのエッセイであるからして、普通の人には興味ないだろうからスルーして欲しい。時間の無駄である。


(あ)保江博士の「数理物理学方法序説」(日本評論社)
昨年暮れに徳島の紀伊國屋書店で、お金がなくて、保江先生の「愛の宇宙方程式」しか買わなかったということをメモした。
保江家元の「愛の宇宙方程式」は「宇宙=愛」だった!:愛は宇宙原理だった!?
天才教育法の2つの秘伝:「キリストの活人術」vs「中国の科挙」


その後、この本を読んでからというもの、保江博士が末期がんになったその一番の原因が、40台最後を記念するために、「一ヶ月で一冊の教科書を書く」という大事業を手がけたことだったということを知り、どうしてもその数理物理学シリーズを読んでみたいと思うようになったのである。ちなみに、そのシリーズとはこれである。




そこで、このシリーズを手に入れようと、早速アマゾンで調べたところ、中古本は、1冊2300円程度で出版された本が、みな数千円以上、中には9000円近くにまでなっていた。「ヒルベルト空間論」など8000円を超えていた。

いったい「日本評論社」は何を考えているのだろうか?ドル箱路線を無闇矢鱈と無視しているようである。

というわけで、とてもではないが、このシリーズを1冊2300円台で買うことが出来ない。しかも全部「絶版」であった。

そんなわけで、大変がっかりしていたのだが、よく見ると、何やら「別冊」というものが、9番目に存在した。それがこれである。
物理数学における微分方程式:保江邦夫

どういうわけか、まだ在庫が少々残っていた。そこで、早速、この本を地元阿南の宮脇書店に注文し、すると今日入荷したという電話があって、早速取りに行ったのである。

今日はよく晴れた快晴のいい天気だったが、気温がかなり低いので、その近くのミスタードーナッツによって、この本をほっとカフェオレを飲みながら読んだのであった。

カフェオレ3杯、の間に、あっという間に1冊読み切ることが来た。

いや〜〜、実に面白い本だった。

私は数理物理も理論物理も数学もかなり得意だから、詳細の計算を50台後半ではだいたい頭の中でできる。だから、この本は、シリーズの1〜8巻の要点を集中的にまとめたものであることが分かり、しかも、そのそれぞれの巻が、どういう顛末に基いて書かれていたのかというその理由が書かれていたから、実に興味深く読めたのである。

私個人は、大学2年生の時、2年から3年になる前の春休みに、
スミルノフ高等数学教程全12巻
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を買って、春休みの間に全部勉強するぞと、一日4,5時間睡眠で頑張ったのである。未だかつてこの時ほどの集中力で勉強したことがなかったが、これが私の数理解析力の基礎となった。結局全部は読めず、半分ちょっとの6巻、7巻で春休み終了になったのだが、はっきり言って、それ以前とそれ以後では、私は別人になったのである。それまでは、サッカー部の井口くんだったが、それ以後は、数学の結構できる井口くんに変わったのである。

だから、それ以後、電磁気学、量子力学など、数学的な部分ではまったく困らなくなった。

また、それ以後の長年の勉学の歴史の蓄積で、複素関数論から多変数複素関数論に至るまで、独学したせいで、保江博士の本も特に問題なく読めたのである。

さらにまた、昨年のブラジルワールドカップへ行く際に、持っていった保江博士の「量子力学と最適制御理論」をその後、全部真剣に読んだり、保江博士にもらった「論文集:It Appears!」のほとんどを精読したために、このシリーズの主題の1つである「確率場の量子化の問題」は、どこか懐かしい感じで読めたのである。

さて、そこで、せっかくだから、忘れないうちに、その本を読んで気づいた点をメモしておこう。

(い)物理学者が大学で学ぶというのは嘘だ!
まあ、実際に大学大学院に行ったことのない素人さんは、我々物理学者は、学者になるために、大学や大学院で良い講義を受けて、良い先生から色々学ぶことができるから、学者になれたのだろう、というように考える、というより、想像するだろう。

実は、これは真っ赤なウソなのである。

大学や大学院にはたくさんの授業があって、もちろんたくさんのことを学ばなければならない。しかしながら、そういうものはあくまで授業の単位取得や進級に必要な最低限のものにすぎないのである。学位や博士号のためには、どうしても必須科目の授業単位を取らなければならないという要請のために勉強するものなのである。

どうしてそういうことをするかというと、これは将来大学や何処かに就職した時に、一応の専門家として最低限の知識を学生に伝授できる、教えることができるようにという配慮からくるのである。日本で言えば、大学受験のための受験勉強を教える塾の先生のようなものである。

ところが、実際の研究というものは、それではだめなのだ。研究は、これまでにない新規なもの、未知のもの、証明のないものをテーマに取るわけだから、正直、研究には何が役に立つかわからないのである。

つまり、研究というものは、受験勉強のように、受験勉強したからいい成績を取れるとか、大学に入れるとかというようなものではない、のである。

どうも保江先生は、ちょうど自分が東北大の学生の頃、「学園紛争」に見舞われて、まともに授業を受けてこなかったこと、授業を受けられなかったことから、ご自分をあたかもアウトサイダーの出来損ないのように言う場面がしばしばあるが、それもまた間違いなのである。

その理由は、上のことである。仮にまともに授業を受けたところで、そんなものから後々のオリジナル研究に直接に役立つというようなものはあまりないからである。

私自身、多変数関数論も、スケール変換群、自由群、など数学は全部人知れず勉強した、独学である。それは、大学生の時も、日米の大学院生の時も、企業にいた時も、理化学研究所にいた時も、今現在までいつも同じことである。自分で計画的に勉強する他ないのだ。

つまり、どこぞのだれかが悠長に教えてくれるということはこの世界には存在しない。みな、自分の問題で忙しいからだ。残念ながら、そういうことになる。

したがって、大学であろうが大学院であろうが、だれかから教わるという消極的手法では何も得られないのである。

私のこの解釈からすると、保江博士はやはり王道を歩いてきたのであって、けっしてアウトサイダーではない!ということであろう。それは、保江博士の合気道の道でも全く同様で、保江師範はけっして合気道のアウトサイダーではないのである。


(う)大事なことは、だれかと出会うことだ!→保江博士はけっしてアウトサイダーではない。
さて、では、物理学や科学の世界(および、スポーツや武芸など)の世界で何が一番大事なのか?

というと、月並みになるが、出会いなのである。人との出会い、それもその道の一角の人物との出会いである。これに尽きる。

人は人によって成長するのであって、人は授業で伸びるわけではない。

良い授業を聞いたとしても、結局いくらノートをとってもその後自分で真剣に勉強しなければ、宝の持ち腐れだからである。

しかしながら、人の出会いというものは、瞬間的に脳に働く。言葉では言い尽くせない何かを受け取ることができるのである。それが、その後、自分の人生を決めたり、脳みその働きを決めたりということが起こるのである。

本であっても、それを人との出会いのような深さで読む場合、この場合には、同じことが起こる。今私が1人になってやっているのがこれである。

こういう解釈で、保江博士のシリーズに書かれたことをみると、ヒルベルト空間論は、かつて学園紛争の時代、東北大の鶴丸先生が一世一代の講義を行ったという、それがそっくりそのままその後の保江先生の人生を決め、そして、このシリーズの「ヒルベルト空間論」となって蘇ったのだ。

この意味では、ヒルベルト空間論は、値が高くなるのは仕方ないことかもしれない。

同様に、この鶴丸先生が、若かりし保江博士に
これでディラックの「量子力学」やフォン・ノイマンの「量子力学の数学的基礎」くらいは読めるでしょ
といった、この一言によって、その後の保江博士の人生が決まったのである。

実は、良い大学、良い研究所に行くという意味は、こういうことが起こる可能性がわずかでもあるからである。だめな大学や悪い研究所では、まず100%そういう可能性はない。

保江博士の場合、東北大では、こういった鶴丸先生等との出会い、京都大学では、湯川秀樹博士による薫陶、確率微分学の創始者の伊藤清博士との出会い、名大では、恩師高林武彦博士との出会い、スイス留学中では、エンツ博士との出会い、アメリカプリンストンでは、ネルソン教授との出会いなどなど、日本や世界のオリジナリティーのある最高級の人たちの指導を受けてきたのである。

どこがアウトサイダーなのかいナ?

俺には理解し難い。

というわけで、やはり、一流の人物の下で学ぶこと、これが秘伝中の秘伝なのである。

(え)武芸やスポーツでも同じこと。
翻って、武芸や武道の世界、スポーツの世界でもまったく同じなのである。

ノーベル賞に輝く学者がノーベル賞学者の下からたくさん誕生する。これと同じように、サッカー高校選手権で優勝する監督は、やはり高校サッカー選手権で優勝した経験を持つ監督の下で選手だったということが実に多い。甲子園でも同じである。

最近、たまたまYouTubeで見たのだが、合気道の創始者の植芝盛平先生


のお弟子の中から、後の合気道の達人、塩田剛三先生
Aikido MasterGozo Shida vs JF Kennedy's SP 合気道塩田剛三vsJFケネディのSP




が現れた。


(お)保江博士は物理のお弟子を取らない→残念
さて、最後に、どうやらこの本の中の序文に、このシリーズの出版後に東大京大などから保江先生の物理のお弟子さんになりたいという若者がたくさんいたらしい。が、それを保江博士は、まず
ここは女子大だからダメ
と言ってお断り。しかし食い下がるしつこい連中には
俺の弟子になりたければ、シリーズの章末の問題全部解いてこい
といったらしいですナ。おもしろい。

これは、ランダウが、自分のランダウ教程を全部読んで来たら試験してやるから勉強してこいといったのを真似たとか。

いや〜〜、カッチョイイ。

大学の先生たるもの、こうでなくっちゃいけませんナア。

合気道は先生の動きを自分の目で盗み見るもの。理論物理は、先生の本の問題を全部解いて、
先生、先生の本には、何もむずかしいものがね〜〜よ
という。こういう連中でなくては、次世代を生み出すことは出来ない。

とまあ、これが本当のアカデミズムの世界というものなんですナ。

おまけ:
世の中にはこういう人がいる。これが自然。
200冊の理数系書籍を読んで得られたこと
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物理や数学の教科書や専門書を読んだことがない人は次のように思っているかもしれないから、この膨大な読書体験で何が得られたか、僕がどう感じたかなど感想を書いておくのもいいかもしれない。

- これだけたくさんの本を読むと、どのようなことがどれくらいの深さで理解できるようになるのか?
- いろいろな疑問が解決することで、自然や宇宙を不思議に思う気持ちは減っていくのか?
- 200冊も読まなくても、もっと近道があったのでは?
- 読んだ内容をちゃんと覚えていられるのか?
- どのような順番で読む本を選ぶのか?
- 理解できない箇所はどうすればよいのか?
- 大学で物理を学んでいなかったことはデメリットになるか?
- 同じような本を読んでいて飽きないのか?
- 学生の立場で学ぶのと、社会人の趣味としての勉強はどう違うのか?
- なぜ、いちいちレビュー記事を書くのか?
- ブログでレビュー記事を書いてよかったことは何?
- 物理の本を書いて出版しようと思わないのか?
- このような読書をしてもお金にならないのに、どうして続けるのか?
- いつまでこのような読書を続けるのか?

僕が想定しているこれらの質問には、この記事の最後でお答えすることにしよう。
しかしながら、蛇足を承知でコメントすると、批判的に学ばないと、逆に「深い洗脳」を受けることにもなるから要注意。いまではアインシュタイン理論を真に受けるものはまともな物理学者にはいない。あれは単なる数学的トートロジーなんだよ。

鎧や鉄兜でがちがちになると、今度は自分が動けなくなる。学問にはそういう面もある。



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  by Kikidoblog | 2015-01-09 19:24 | 保江邦夫博士

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