アキレタ八百長監督アギーレ追放の前に、まず大仁邦弥会長を追放すべきだ!
今朝のメモで日本サッカー協会は
「いやはや、もはや日本男子サッカーに希望はない!上が腐っているわけだから、下も全部が腐る。これが「韓の法則発動」というものである。」とメモしたが、その証拠が早速出てきたので、これをメモしておこう。以下のものである。
「サッカーにシークレットはない!」:日本代表世界ランク80位以下に陥落か!?
大仁会長「手腕評価」と監督責任問わず
日本サッカー協会の大仁邦弥会長は24日、日本代表のアギーレ監督が関与したとされる八百長疑惑の告発が受理されていないことを確認したとシドニーで明らかにした。関係者から日々、情報を得ているそうで「まだ受理されていない」と明言した。
その上で「受理されたら、それに対する考え方を説明する」とし、確認後に対応する方針をあらためて示した。スペインの複数のメディアは告発が受理されたと14日に報じている。
2連覇を狙ったアジア杯は準々決勝で敗退し、5大会ぶりに4強を逃した。それでも大仁会長は「いいチームになっている実感はある。手腕は評価している」と成績面で監督の責任を問わない姿勢を示した。
[2015年1月24日8時34分]
かつての旧陸軍大本営と同じで、結果責任を問わなくなれば、もはや暴走。もうそういう組織は終わりでしょ。後は、玉砕戦法しか残らない。
この大仁邦弥氏のアギーレ続投宣言。もはやつける薬なし。この唐変木を出世させた川淵のお出ましだろうヨ。他に暴走を止めるブレーキはなさそうだ。
「ふてぶてしさが売り」の呆れた日本サッカー会長の大仁邦弥さん
プロの世界に結果責任を問わない組織、そんなものは存在しない。無責任の代名詞となっている日本の政治家や官僚でも少なからず選挙結果に責任を取る。しかしながら、プロサッカーの世界では責任を取らなくていいらしいナア。アキレタ日本サッカー協会だヨ。
ところで、この大仁邦弥(だいに くにや)さん、俺と一日違いの誕生日である。10月12日生まれ。一緒でなくてよかった。こんな人といっしょの誕生日だったら、首吊る他はない。
さて、この大仁邦彌氏の経歴と戦歴を見てよくわかった事がある。それは、この御仁がいわゆる「壊し屋」「潰し屋」だったということだ。
実は日本社会にこういう「壊し屋」さんが時々いる。結構見るのである。
「壊し屋」さんとはこういう人のことである。
例えば、政府官僚のある省をそこを引退して、どこかの天下り先に天下る。ところが、そういった公益団体が、発展するどころか逆にどんどん不祥事を起こしたり、運営が悪くなって、結局国民にその悪さが知られることになって、その公益団体の大事な仕事や職場が廃止されてしまう。
こんなことが時々あるだろう。
ところが、面白いのは、そういって廃止される職場が、実はその同じ人物がどんどん天下っていった先々で起こるのである。
こういう御仁を「壊し屋」と俺は呼ぶ。
だから、こういう人間がある組織のトップになると、そういう職場はすぐに潰されるのである。自滅して潰れるのだ。
ちょっと前のサンヨーや今のソニーやシャープがそうである。「潰し屋」「壊し屋」に取り憑かれたら最後、100%の確実さで潰れるのだ。
実は、どうやら、大仁邦彌はそういう「壊し屋」だった可能性が高い!
来歴[編集]
千葉県銚子市生まれ。神戸市立本山中でサッカーを始め、神戸高校を卒業後1年の浪人を経て慶應義塾大学に入学[1]。激しいマークを持ち味とするディフェンダー(右サイドバック)として活躍。2年留年のため6年間在籍し、関東大学サッカーリーグでは6年連続全試合出場[2]。卒業後は三菱重工に進み日本リーグ、天皇杯での優勝を経験。日本代表としても44試合に出場した。現役通算212試合で1得点を挙げている。
現役引退後は指導者となり、日本代表コーチや三菱重工サッカー部監督などを歴任。三菱重工監督時代の1989年にはチーム史上初の2部落ちを経験している。また、解説者として三菱ダイヤモンド・サッカー(テレビ東京/第二期)に出演した。
1992年に日本サッカー協会に入り、施設委員会委員長や女子委員長を歴任。1996年より強化委員長を務め、1998年の加茂周監督更迭から岡田武史監督への交代、および2002年のフィリップ・トルシエ監督就任に関わった[3]。また、川淵三郎会長の下で2006年より副会長を3期6年にわたって務めた。
2012年6月24日、第13代日本サッカー協会会長に就任[4][5] 。2014年3月29日再任され現在2期目[6]。所信表明では「不安はあるが、覚悟を決めて重責に取り組んでいく」と述べた[7]。
この大仁の経歴を見ると、一見非常に良い経歴のように見える。ところが、どうもそうではなかったのである。
例えば、例のドーハの悲劇。1994年の悲劇の後、2年後に強化委員長になった。ところが、当時三浦和やラモス全盛期でアジアカップ優勝し、アジア最強だった日本代表が、加茂周監督のもと、どんどんレベルが下がり、ついに悲願のワールドカップ出場を逃しかけた。そして、だれもWカップ予選敗戦の危機のリーダーになりたがらず、苦肉の策で、岡田武史が監督就任した。
結局、ジョホールバルの歓喜でフランスワールドカップに初出場したわけだ。これはひとえに、中田ヒデの踏ん張りの結果だった。
というわけで、どうしてその時にダメになったかというと、その裏でこの大仁がいたからだということになる。
その証拠がこれだ。選手として名門三菱重工に入った(今の浦和レッズの前進)が、全く振るわず。
(通算得点1。たったの1だよ。ジョークですか?)
次に監督となったが、これまた全くダメ。
優勝経験ゼロ。せいぜいベスト8止まり。
こんな人物が日本サッカーのレベルを上げる?不可能である。
俺は、即刻、この人物を責任取らせて止めさせるべきであると思う。自民党の政治家が動くべきだ。この人によって生まれるサッカーの人気低落、サッカー界のイメージダウンは計り知れない。ワールドカップで優勝すれば、日本のGNPの4割がアップする。そういうご時世にワールドカップ出場すら危うい。
こうなった責任はすべてコヤツのせいですナ。
この人物はベスト8止まりの経験しか持たないのだから、今回日本代表がアジアでベスト8で上出来だと、ひょっとしたら考えてしまう馬鹿野郎なのかもしれないのである。
いやはや、世も末ですナ。
by Kikidoblog | 2015-01-24 19:12 | サッカー&スポーツ