個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?3

ヒトの双対性

保江邦夫博士「ヒトを見たら神様と思え」
井口和基博士「ヒトを見たらヒトモドキと思え」

保江邦夫博士の秘技「ハトホルの神降ろし」
井口和基博士の秘技「奥さんの髪下ろし」

保江邦夫博士の格言「明日できることは今日するな」
井口和基博士の格言「明日死ぬと思って今日生きろ」

保江邦夫博士「物事はいい加減ほどいい」
井口和基博士「物事は徹底的ほどいい」

保江邦夫博士「周りは変わらずとも自分が変わる」
井口和基博士「自分は変わらずとも周りが変わる」


みなさん、こんにちは。

今回は私の個人メモである。普通の人にはどうでもいいことだろうから、無視無視。スルーして欲しい。



いや〜〜、それにしても私、井口和基
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と同じ理論物理学者であり、数理物理学者である保江邦夫博士
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は面白い。何が面白いかといえば、何から何まで私と「裏腹」「相反的」「双対的」だからである。

最近なぜ私が保江邦夫博士の全著作に目を通そうかと考えるようになったかというと、それは、前に
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?2
でメモしたように、私と保江邦夫博士というのは何から何まで逆、裏腹のように見えるからなのである。

その意味で、比較すればするほど絶妙にその裏腹関係が面白いから、いったいどこまでそれが通じるのか、どこかに例外が出てきて、両者が一致する場面があるのか、というようなことを探すためなのである。

さて、そんな我らが天才数理物理学者の保江邦夫博士、この偉大なる博士に関して、私が同じ数理物理学者理論物理学者として、どうしてもわからないことがある。どうしても理解できないことがある。

何か?

というと、保江邦夫博士は
ほとんど本も論文も読まないのに、非常に優れた研究論文を矢継ぎ早に出した!
ということなのである。まさに謎めいている。

前回のメモにもメモしたように、私は図書館で手に入った保江先生の一般本を全部目を通そうと必死で読んでいる。がしかし、かの保江博士というお方はこれまで一度もそういうことがないらしい、ということをそれらの本から知ったのである。

例えば、
「読気開眼」:この寒い冬は保江先生の本を並列読書で乗り切る!?
でメモした、以下のような本である。
合気開眼―ある隠遁者の教え
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(合気道の植芝盛平の合気道をまだ道半ばだと言える人はなかなかいない。)

量子の道草―方程式のある風景
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(昔に数セミに出た記事を集めたこの本はとても素晴らしいゾ!)

下の「量子の道草」の最終章「6.数学的補講」の最初のセクションにはこうあった。ここが一番価値ある面白いところ、そしてもっとも重要なところだと私は思う。
1.僕の本棚は空っぽだ

僕の本棚をみる限り読んだ本は少ない。読みたいなと思って買うには買ったが、そのまま10年以上放ってある本がほとんどだ。昔から本を読むのは苦手だ。大学では天文学科に進んだため、教科書のない講義が普通だった。教授たちは自分のノートに沿って黒板を密に埋めていく。おかげでますます本を読まなくなった。結局、読もうと努力した本は卒業までにたった一冊だけだった。萩原雄祐「天体力学」(河出書房)という古い本をたまたま図書館でみつけた。概周期関数から始まるこの本の導入部は僕にとってはまるで初めてみる宝石箱のようだった。そこらに見られる位相数学を基本とした力学の展開は、僕にとってはあまりにも衝撃的だった。これこそ学問だと思った僕は、いつかこのような本を書きたいと考えるようになった
で始まる。つまり、保江先生が若かりし頃に東北大学の天文学科に居られた時のことである。だから、この時期に、保江先生は天体力学のたったの一冊しか読んでいなかったというのだ。あとは、当時の東北大学の素晴らしい数学者の講義ノートだけだったと。

そして、その次にこうあった。
 そのため、大学院では数理物理学をやろうと思い物理学科に転向したのだが、気持ちだけが先走って中身がついてこない。といって、位相数学や力学系の理論を初歩から勉強するほど真面目ではなかったし、こつこつファインマンダイヤグラムを計算する普通の理論物理学をやる気もなかった。同級生は皆修士論文のテーマをみつけて着実に進んでいるように見えた。
 くじけかかった僕は少しの間岡山に帰ってぼんやりと過ごしていた。そんなとき、ふと入った岡山の文左衛門さんの本屋の棚に薄い洋書を見つけた。黄色い表紙にタイプ印刷の粗末な本は確か970円だった。これが僕とE. ネルソン"Dynamical Theories of Brownian Motion(Prinston University Press)"
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との出会いだ。何気なく手にとって開いてみると、中には一応位相数学らしきものもあればヒルベルト空間のようなものもあり、それに力学系や量子力学の話もある。それになんといったって薄くて安い。手ぶらで岡山に戻っていった僕は、軽い気持ちでこの本を買った。
ちなみに、この時のこの本は、その後2000年頃に東大の学者さんたちが輪講か何かで読みながら、テキスト化し、再販されたらしい。それが以下のもの。ただで読めるよ。私も全部コピーしてやっと念願のこの本をなんと35年ぶりに手に入れることができた。
Dynamical Theories of Brownian Motion


それから保江博士が昔を振り返って正直に言う。
 正直に言おう。僕が真面目に読んだのはこの本だけだ。関数解析も作用素半群も、そして偏微分方程式や確率論、さらには量子力学から観測問題まで、すべてはこの本の内容を通して身につけた。何度も読み返しているうちに、英語表現まで真似するようになっていた。測度論のハルモスにいわせれば、著者ネルソンは古き良き時代の東海岸を彷彿させる英語を使い、もっとも簡潔で美しい数学の論文を書く人だ。確かに、その後本屋で偶然みつけた"Topics in Dynamics I: Flows"
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や"Tensor Analysis"
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(どちらもPrinceton University Press)も芸術作品のように映った。

この本との出会い、これが保江先生の人生を決めたのである。
本との出会いが人の人生を決める
なんとロマンチックなことか。

私も正直に言おう。実は、私は誰の本を読んでも一度もそういう経験がない。本で感動したことがないのである。私が大学で一番最初に読んだ英語の本はディラックの
"The Principles of QUANTUM MECHANICS"
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であった。しかしながら、私には保江博士のように、これは宝石箱のようだとか、感動したとか、そういった感動はおろかなんの感銘も受けなかった。むしろ、何度読んでもそこに書かれたこと以上のことを察するということはなかった。これはおそらくサッカーのヘディングであまりに頭を強打してきたことから来ているのかもしれない。が、いまもってこれはそうで、面白い、素晴らしい、優れているとか、そういうことはわかるが、本で感動するということはなかった。

ところが、昨年の夏のブラジルワールドカップで日本の初戦のコートジボワール戦を見に行き、
2014ブラジルW杯
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前半日本が1−0で折り返した時のハーフタイム、不思議なことにこれまで一度も涙を見せたことがない私の両目からじわ〜〜〜と涙であふれたのである。
これまで生きていてよかった。
ここに来られてよかった。
ついに日本もここにこれたんだな。
もちろん、こういう言葉はあとから今つけたものだろうが、こういう気持ちで感動の涙という言葉では表せない何かのために目が潤んだのだった。

そして後半が始まり、ドログバが出場、そしてあのヘッドで同点、目が覚めた、かのように、私の涙も止まって、さらなる応援をしたのであった。

おそらく、その時に私は本当は
俺はあそこに立ちたかった。
ということだったのだろうと思う。やはり、本来ならサッカー選手としてあの場、W杯のピッチに立ちたかった。そうした単純な気持ちから涙が出たのだろう。

私の場合には、残念ながらこういうことしか感動というものを感じたことがない。私が感動するのはこういうものだ。
pele over head kick escape to victory


話を保江先生に戻すと、その後の保江先生の行動が大事である。
 是非ともこの人の論文を読んでみたいと思った僕は、図書館に行かずに数理解析研究所の荒木不二洋先生の研究室を目指した。数理物理学の論文の宝庫でもあるからだ。ご多忙な先生のお邪魔にならない時間に、世界中から集った論文が詰まったキャビネットのイニシャルNのところを開けていただいた。すると出るわ出るわ、僕にとっての大判小判、ネルソンの書いた論文の数々だ。出世作"Analytic Vector"から最新の"Markov Field"まで。少しずつ貸していただいて、その論文を読んでいた頃が懐かしい。多分一番幸せそうな顔をしていたにちがいない。

普通はこういうことをしない。普通の大学院生は、同じような場合に必ず図書館に行く。それでだめなら、しょうがなく専門家のところへ行こうとするはずである。私もそうだった。

しかし、

保江博士はそうでなかった!!!

ここが大事な行動原理なのである。

保江博士のどの本を読んでもそうだったのだが、保江先生は、一番最初に最もその分野のボスやトップや本質を知っているはずの人物のところへ出向くのである。合気道なら合気道の達人に弟子入りする。天文学なら天文学の第一人者から学ぶ。出来なければ場所を変える。この行動原理こそ、保江博士を保江博士にしたものであると思う。また、他の素晴らしい業績を遺された多くの方々に共通の行動原理である。
若者よ、かならずその分野の第一人者から学べ!

実は、ビジネスでもそうなのだ。これは、かつてバックミンスター・フラーが、自分が成功した秘訣として語っていたことだが、
かならず会社なら社長、プロジェクトならプロジェクトリーダー、政治家ならトップの政治家とはなしをつけろ
こういっていた。

同じことは、「成功哲学」のディール・カーネギーも言っていた。米カーネギーホールやカーネギーメロン大学を作った大富豪のカーネギーである。

ところが、普通の人は、必ず最初に受付から入る。会社の受付。役所の受付。大学の受付。こういう場所から行く。すると、こうなる。
当社ではそういうことは承っていません。
当役所ではそういうことは承っていません。
当大学ではそういうことはちょっと〜〜。
ということになって、結局自分の目的は果たせない。それは人類にとってどんなに素晴らしいことであってもそれを理解できない人物に会って拒絶されてそれで終わり。

だから、無理を言っても会社の社長と会え、会社で会わせてくれなければ、その社長の自宅や行きつけの場所で会え、そして直に一対一で話す。これが秘訣だとフラーは言ったのである。

もしそのトップが「あいつは特別だ」と言ってくれたら、すべてが動く。

私は保江博士がどこでこの行動原理を知ったのか知らないが、保江先生のすべてにおいて流れる基調となる行動原理がこれであると思う。これが真髄である。
若者よ、決して遠慮するな!次世代はあなた方の時代なのだから!

さて、再び保江博士の本の話に戻そう。その後はこう続く。
 結局、僕はネルソンの本と論文だけで育った。修士も博士も、最初に出会った"Dynamical Theories of Brownian Motion"の内容を基にして、無事いただくことができたし、外国にいたときもこの同じテーマで院生に博士をとらせた。
 しかし、確率過程に変分学の考えを持ち込んで確率変分学なるものをでっち上げたときは、急に不安で一杯になった。はたしてネルソンの本と論文だけで育った僕の考えが通用するのだろうか。そんなとき、確率論の大家、ストラスブールのメイヤーとパリのマリアヴァンが褒めてくれている由を聞いた。そしてネルソンが"Dynamical Theories of Brownian Motion"の続編・完結編として1985年に出版した本"Quantum Fluctuations"(Princeton university Press)
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の中に僕の名前をみつけることができた。「なんとかなった」、と胸をなで下ろした僕は初めてネルソンの本に出会った岡山の田舎に戻った。
 こんな数学勉強法もある。やはり、「数学も自由だ」、と思う。

(以下合気道の話に入ったので省略。)


非常に前置きが長くなったが、一番最初に書いた私の疑問とは、このように、保江博士はほとんど本を読んでこなかったにもかかわらず、どうして「数理物理学方法序説」(全9巻)とか、"It Appears!"にあるような優れた論文を書くことが出来たのだろうか?という疑問である。

なぜなら、普通ではあり得ないからである。

特に、最初の本の「合気開眼」で初めて知ったが、では、保江博士はネルソンの本と論文で育ったのはいいが、必死しゃにむに勉強したり研究室にこもって徹夜して論文を書いたのかというと、そうではなかった。そこにはこうあった。合気開眼の50ページ後半から51ページ前半。
 合宿稽古では東京の本部道場の山口清吾師範が指導して下さり、力みのない飄々とした動きで難しい投げ技を素早く放っていく様に大いに感動していた。そんなわけだから、段々と部員の数も増えていき、活発な稽古が和気藹々とした雰囲気で続けられていった。東北大学のように長い歴史を誇る合気道部では、上級生と下級生の間に受け継がれてきた重い伝統や秩序を必死で維持する流れが生まれていたため、そこでの稽古では笑顔などとは無縁。まるで、しかめ面に終始しなければ強くなれないとでもいうかのようにだったのだが、毎回の稽古を指導してくれた木村達雄さんの底抜けに明るい人柄のおかげで名古屋での稽古は本当に楽しかった。おまけに、明晰な頭脳で考え抜いた合理的な技法で裏打ちされていた技だけを基本から丁寧に教えてもらったおかげで、僕自身も驚くほどに合気道の腕も上達していったのだ。
 それに合わせるかのように、博士課程に転入させてもらった高林武彦先生の下でも自由に好きな研究に邁進でき、気がつくとたったの二年間で八篇もの論文を欧米の数理物理学専門誌に掲載してもらえることになっていた。自分でいうのもおこがましいが、この頃の僕は生まれて初めて周囲から文武両道に秀でた逸材というレッテルを貼られるまでに成長できたのだ。全ては、既にこの頃から合気の化身となっていた木村達雄との出会いのたまもの。

つまり、保江博士は、日々合気道を相当にこなしながら、しかも京都大学大学院から名古屋大学に移ってからのたったの2年で8つの優れた歴史的論文を出したのだ。それも大学院生としてしかも自分ひとりの力でだ。

まさに文字通りの「文武両道」である。

世の高校の先生たちよ、これが文武両道の本来の意味であるぞよ。けっして高校に体育と進学があることを文武両道と呼んではならない。それは文武分離の文武分道である。

私が疑問に思ったことがこれなのである。私個人の経験でも、私が周りを見渡してもこういうことができた大学院生は日本ではお目にかかったことがない。非常に例外的なのである。

しかも、その8つの内の後半のいくつかの論文は、かのノーベル化学賞を受けたラルス・オンサーガーのゆらぎの理論の明快なる導出法、および、その拡張であったのだ。
ちょっと前まで専門書1冊読んだだけの、たかが院生が、たったの2年で8つの著名な論文?
と普通なら考えることなのである。だから、私は本当に疑問に思ったわけである。
いったいこの2年で保江博士に何が起こったのか?

ここがどうも本を読んだだけでは分からないことなのである。つまり、このあたりからすでに保江博士の「奇跡」が始まっていたのではないか?と私は考えているわけである。

その後、保江博士にはさらなる幸運が訪れる。それがスイスのジュネーブにポスドクになるまでの話である。奇跡の連続だ。

長くなったので、一旦ここで終わりにして続くにしよう。

(つづく)


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  by Kikidoblog | 2015-01-30 13:19 | 保江邦夫博士

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