武道の極意を突き止めた保江博士:一刀斎の「夢想剣」と「合気」は同一だった!

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、相変わらず保江師匠の本は面白い。実にためになる。やっと以下の本を昨日読み終わったところである。
脳と刀―精神物理学から見た剣術極意と合気
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結論から言うと、この本は歴史的価値がある、ということである。これほど興味深い本はなかなかない。

保江博士は、ご自身の武道の奥義を極めることがその目的であるということだが、結果的に人間の脳の構造や脳の反応、さらには、「精神物理学」の所在を明確にすることに役立ったという感じである。この本のすばらしい内容はこの本で学んでもらうとして、今回は私個人が感じたものだけメモしておこう。

(あ)保江先生の自伝がほしいナア。
私はすでに20冊以上、図書館やアマゾンで手にれることが出来た保江先生の本を読んでいる。が、やはり、そろそろ保江先生のこれまでの人生をまとめた1冊がほしい。そういう感じがするわけですナ。

というのも、保江方程式の発見、合気道への憧憬など個人的な情報と、もちろんそういった全てが関係している精神物理学や合気や愛魂の問題とが混在していて、読むのがかなり大変という場面に出くわしたからである。こうなると、結局、すべての著作をくまなく読んで、相互関係を自分でノート作っていかないとなかなかフォローできない。

ぜひいつか保江邦夫の自伝をよろしくネ。


(い)夢想剣と愛魂は同一だった!
さて、まずこの本は、保江先生がまだシリウスAの周回軌道を回るアシュター船長だった頃の魂を知る前に書かれたものであるということである。

この本の結論からいうと、日本に侍が誕生し、剣の達人が生まれて、その極意に「夢想剣」というものがあり、それが江戸時代に引き継がれて、一刀流の極意になったが、その極意の決めてである「夢想剣」と保江先生が合気道の極意である「合気」=「愛魂」がほぼ同一のものであったということである。これを科学的に証明することがこの本の目的であった。

歴史によれば、伊藤一刀斎が創始した「夢想剣」の極意、それが愛弟子の小野忠明に継がれ、江戸時代の柳生家に伝わった。そして、それが明治以降の近現代に入って、刀を所有できなくなったために、その一刀斎門下生の剣道の流派から、武田惣角という大東流合気柔術が生まれたこと。その門下生の植芝盛平、岡本剛三から合気道が誕生し、世界へ広がった。また、大東流合気柔術の佐川幸義が、「合気」の真髄を植芝盛平から学び取り、それを数学者の木村達雄、および理論物理学者の保江邦夫が受け継ぐ。

とまあ、こういう歴史的流れである。

門人は無数にいたが、それぞれの流派の中で、合気道の極意、剣術の極意の「百選練磨」の域に達したものはごくわずか。一子相伝のようにしてもなかなか伝えることが難しかった。

はたしてその極意とは何だったか?

これがテーマである。

保江先生の発見では、夢想剣の極意と合気道の極意は、歴史的にも一刀流から合気道が生まれたことからも考えて、まったく同じルーツであるということである。

それは、いかように行うか?

というと、それは、
自分の内面から見れば、あたかも夢見心地で、万物を見み、何も考えず、宇宙全体と繋がっているかのようなるという感じ。一方、相手やはたから見れば、自分が阿呆者か夢遊病者の夢見心地のような感じになっているように見える。そういう時に初めて、相対する敵のすべてが読める。動きはスローモーションに見え、相手の繰り出す動きの未来が予測できるようになる。結果として、相手を斬ったり投げ飛ばしたりでき、決して負けることがない。
ということである。

(う)現代の脳科学実験で証明しようと考えた。
そこで、保江邦夫博士は、その「夢想剣」の「夢想」状態であり、合気道の「合気」「愛魂」状態である精神状態を実際に、現代科学の最先端の、筋電図、脳波計、機能MRI(fMRI)、光トポグラフィーなどの手法で、実際に自分の脳と弟子や知人や学生さんたちの協力を得て、彼らの脳を使って、調べてみたという。

そうやって、分かった結論は、
愛魂の状態とは、右脳の大脳基底核全体と左脳の前頭葉の一部が活性化していた。

通常、右脳の大脳基底核なる深部脳部位を自分自身の力で発火させることはできないから、合気状態というのは脳科学的見地からも実にまれな事象であるということになったわけである。

(え)合気で不思議なこととは?
一番不思議なのは、保江師範が相手に合気(=愛魂)をかけると、保江師範の脳そのものは、右脳大脳基底核全体が活性化するのだが、合気(=愛魂)をかけられた方の相手は、脳内抑制され、自分の意識として「頭が真っ白」になるように感じ、運動機能が阻害される。実際には、動きが鈍くなる、思考が遅くなる、一瞬身動きできなくなるなどの現象が起こる。

したがって、名人はこの奥義を使うと、相手は「蛇に睨まれた蛙」状態になり、何も出来ずに斬られる。

そこで、実際に保江師範がフルコンタクト空手の師範代と実践したところ、愛魂をかけた状態では連戦連勝。しかし、普通にやると今度は自分が「瞬殺」されたというのである。剣道の場合も実際にやってみると、同じ結果だった。愛魂をかけると、素人の自分でも有段者に勝てるが、愛魂をかけないと、あっという間につきを食らう。

ここで問題は2つ。

一つ目。
この愛魂をかける時、愛魂は物理的には何なのか?脳からオーラのようなものや、電磁波のような、何か物理的存在か未知の存在が相手の脳に作用するのかどうか?という問題。

2つ目。
あるいは、脳の生物学的特性や脳の機能的性質のせいで、何らかの時間の遅れが生じ、結果として愛魂をかける側が優位に立っているのか?という問題。


(お)「0・5秒の遅れ」の問題
実際に、脳の反応には、「0・5秒の遅れ」が存在するという。これは、たとえば、人間は何かの反応を実際に(つまり、物理的に)受けた瞬間からわずか「0・5秒の遅れ」を持ってそれを認識する。言い換えれば、それがなにかを感知するまでに「0・5秒の遅れ」があるということである。

一番卑近な例は、よく「自分は電話がなるのを予感する」というものである。「いま電話がなった」と予感してそのちょっと後に「リリリリリー」と電話が鳴る。こういう経験がある。

がしかし、それは、実際にはいま電話が鳴った瞬間はまだ自分の脳が電話がなったと認知できていないが、「0・5秒の遅れ」て、電話が来たと判断して電話をとるが、その瞬間に今度は自分の脳が、「0・5秒の遅れ」た後を「今」と感じて、最初のものは「0・5秒前」に起こったことかのように認識を捏造するという現象である。

したがって、相手は実際には今蹴りやパンチを打ったとしても、すぐには認識できず、「0・5秒の遅れ」て認識する。ところが、パンチや蹴りは「0・1秒の遅れ」で繰り出されるから、見事にパンチやケリを食らう。こうして、武道ではお互いに常に「0・5秒の遅れ」の世界で試合をしているが、愛魂の精神に入った達人は、ほぼ瞬時に動いているために、ほとんど物理現象が「起こった」瞬間に動けるために、相手を「0・5秒の遅れ」でかわし、その瞬間に「相手の動きが読めた」と感じるという問題である。

合気をかける側が特別の精神状態を作ることで、普通の精神状態で戦う相手に対していつも「0・5秒」先回りするから、相手の動きが見え、相手をかわして相手を斬る。これが「夢想剣」だろうということになる。

(か)「オーラ」の問題
それに対して、実際に合気をかけるとき、合気をかける方の身体から「魂が抜け出て」相手に覆いかぶさって、相手を身動きできなくする。つまり、合気の達人は、「オーラ」を発し、その「オーラ」で相手を包んで身動きできない状態にしてしまった瞬間に斬る。

これが「夢想剣」だというのが第二の見方である。

どうやら保江先生の教え子にオーラが見えるという女性がいて、その女性は合気をかけられた時、オーラが入ってくるのを見て「怖い」と逃げたという話である。

はたしてどちらが現実なのか?

(き)「筋電図」などの科学測定の結果から
保江博士が実際に行ったという現代最先端の脳科学の測定結果は、むしろ、両方をとらえている。ここが実に興味深いところである。「合気開眼」の時代は、まだ筋電図と脳波計のみだった。しかしそれでも、合気をかけると、かならず相手には「0・5秒」遅れてから脳や筋肉が反応するという傾向が測定されている。

と同時に、合気をかけると、本来なら反応してはならないはずの筋肉と運動機能が反応して、抑制されるのである。一瞬麻痺したような状態になる。

したがって、単に「0・5秒の遅れ」だけでは解釈不可能な実験結果が出ているのである。

そこで、もっともフェアな解釈としては、合気をかけると、やはりかける側から「オーラ」のようなものが物理的存在として相手に降り注ぐが、相手の脳や筋肉はそれを認識するのにやはり普通どおりに「0・5秒」遅れて認知する。とまあ、こんなところだろうか?


はたして、この「オーラ」というのか、「合気」の物理的正体は何なのか?

(く)「明鏡止水」「無の境地」「夢想状態」「合気」「愛魂」とは
いわゆる「明鏡止水」の「無の境地」になり、「赤子のような無垢の気持ち」で、相手をお母さんや神様やこの宇宙の愛のようなものとして感じるというような精神状態になると、相手は動きが遅くなり、相手の動きは手に取るように予測でき、結果としていつも自分が勝利することができる。これが「合気」というものらしい。


ところで、俺個人にわからないところというのは、相手を切り捨てるという野蛮な行為を行ってそれに勝つために、たしかに「合気」という精神状態に陥ると有効ということは理解できるのだが、どうしてそういう野蛮な行為を行うために、わざわざ「宇宙と一体化する愛」というような一見矛盾する境地を見出さねばならないのか?ということである。なぜ相手を斬るために自分が宇宙の愛を呼びこむ必要があるのか?

俺にはどうしてもここのところが理解できない。

もし宇宙の愛を受け入れることで合気状態が「生まれ」それによって、相手に秀でるとすれば、どうして、相手が「参りました」となって、双方円満に終わらないのか?という疑問である。戦意喪失するとか、相手が「ハラヒレホレ状態」で「私は誰?」「いま何をしてたの?」みたいな感じにならないのだろうか?

こういう素朴な疑問が生まれるのである。

むしろ、そうなったほうが「合気」や「愛魂」という語彙の意味とはマッチすると思うのだが。実際にはそういうものではないらしい。

(け)ゾーン体験
この本にはいわゆる「ゾーン体験」についても「合気」との兼ね合いで議論されている。ここも実に興味深い。が、どうやら「ゾーン体験」は「合気」とはことなるもののようである。これについては、またいつかにしておこう。


(こ)合気をサッカーに使えるか?
最後についでにメモしておくと、この「合気」をサッカーでも使えないか?ということである。

もし私がサッカーで合気を使える達人だとすると、私がピッチに立ってドリブルすると、私の「合気」の力で、相手は簡単に抜き去ることができる。そして、1人2人3人4人〜10人と抜いていって、最後のキーパーも合気で抜き去ってゴ〜〜〜〜ル!ということになる。

はたしてサッカーで合気は成り立つか?

もしこれができれば、バロンドール間違いなし。

実は、保江博士のいう「合気」ではないが、これに近い感じの選手がいた。それが、ペレである。

また、かつて今の日本代表の長谷部選手が浦和にいてトヨタカップでカカのいたACミランと対戦した時のカカ選手がそうだった。

ペレやメッシやクリスチャンロナウドやカカやネイマールなどの超一流選手がプレーすると、相手の選手が

見とれてしまう

のである。だから、あまり激しくぶつからないし、プレーを見てしまうのである。そして、むしろ、ペレやメッシやロナウドやカカやネイマールといっしょにプレーして良かった、楽しかったと思うようになってしまうのである。

サッカーではしばしばこういうことが起こる。

はたしてこれは合気だろうか?

俺の疑問は尽きない。

今後の研究を待とう。



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  by Kikidoblog | 2015-02-15 13:18 | 保江邦夫博士

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