ドクター中松の「戦後70年談話」!?:「日本は負けていない談話」

みなさん、こんにちは。

(阿)
今年は戦後70年という節目だということで、ダマスゴミがあの手この手で国民をだまくらかす作戦に出ているように見える。がしかし、事実に勝るものなし。

仮にある事実をだれも知らなかったとしても、その事実が歴史に現実に起こったことであれば、それは必ずこの宇宙に記録される。だから、その事実の影響は必ず後の世界に現われる。

この思想が、俗にアカシックレコードなどという呼び方をされているものである。

(伊)
さて、そんなことが最近日本にも起こって来たから実に興味深い。

例えば、今や世界中で有名になってしまったが、戦前の日本海軍が建造した「伊400シリーズ」の巨大潜水艦。
「旧日本軍の巨大潜水艦をハワイ沖で発見」:空母型潜水艦「伊400シリーズ」ですナ!

潜特型潜水艦伊-400(伊號第四百型)
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終戦直後にそのどさくさにまぎれて、米軍が撤収し、ハワイ沖で沈没させてしまったり、ビキニ環礁で水爆の餌食になった。

また、日本も米軍に盗まれるよりは自爆した方がましと考えて太平洋上で自爆沈没させたのである。

こんな事実はほんの数年前にはだれも知らなかった。

ところが、まずハワイ沖に沈没した伊401が発見され、最近では日本軍が沈没させた伊402が日本近海で発見された。
大型潜水艦「伊402」か、長崎沖で発見
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 出撃せずに終戦を迎え、米軍に沈められた旧日本海軍の大型潜水艦「伊402」(全長約120メートル)とみられる船体が、長崎県の五島列島沖の海底で見つかった。

 海上保安庁が7月に船影を確認し、日本テレビが今月に入って撮影に成功した。同沖に沈められたことは判明していたが、初めて存在が確認された。

 爆撃機を3機格納できる当時世界最大級の潜水艦の開発は、連合艦隊の司令長官だった山本五十六の発案とされ、米国本土への攻撃に使用する計画があったという。

 同じ型の伊400と伊401は1945年7月に出撃したが、戦闘に参加する前に終戦。同月に完成した伊402は出撃すらしなかった。いずれも終戦後に米軍が接収。伊400と伊401はハワイ沖に沈められ、伊402は46年4月、ほかの潜水艦23隻とともに五島列島沖に沈められた。

この記事では、「米軍が日本近海で沈めた」とあるが、これは真っ赤な嘘。

米軍が沈めたのはすべてハワイ沖かビキニ環礁であって、日本近海で沈められたものは日本海軍が自爆して沈めたのであった。米軍に盗まれることを恐れたためだった。伊400シリーズは計8隻か9隻建造されたから、まだ数隻の伊シリーズが海中に残っているはずである。

(宇)
さて、前置きが非常に長くなってしまったが、この戦前の日本海軍の巨大潜水艦「伊400シリーズ」のように、米軍による「戦後の自虐史観プログラム」のせいで、我々日本人はまったく知らなかった事実がたくさん存在している。

その最大のものは、「日本敗戦」である。つまり、「敗戦記念日」とか「終戦記念日」という言葉に込められた「自虐史観」である。

がしかし、現実は「日本は停戦した」のであって、「負けたのは大本営司令部だけだった」という事実である。

つまり、会社で言えば、会社の経営陣だけが倒産を認めただけで、現実に社員はだれも倒産を認めたわけではなかった。

これが、原爆投下後、そして、玉音放送時の日本国内であった。

昭和20年8月15日に天皇陛下による玉音放送が行われたが、これは「停戦中の日本にあって、例え停戦したのであってもそれをいったんは負けと認め、再出発しようではないか。さもなくば、永遠に日本は停戦状態の混乱が続いてしまう。それは避けたい」というのが、昭和天皇陛下の主旨である。

つまり、8月15日の段階では、日本全国に散らばって国防を担っていた日本軍は、「本土決戦に備えていた」のである。

なぜなら、仮に停戦し、大本営が敗戦協定を結んだとしても、進駐米軍が日本国内で何をするかも分からない。だから、まだ本土で戦争になるかもしれないのである。だから、「本土決戦」の態勢のまま米軍連合軍の進駐を待ったのである。

実際に連合軍の代表として米軍が国内進駐してくると、米軍が非常に理知的で平和的友好的態度だったから、徐々に日本軍人が撤収して、天皇陛下のお言葉に従って、軍隊から投降したのである。

その流れの中で、まだ戦闘状態にあった「伊400シリーズ」の水兵さんたちも、横須賀に帰港して、全員艦を降りた。その結果、無傷の「伊400」を米軍が手にして驚き、これは敵に知られたらまずいと思ってハワイに曳航し、ハワイ沖で爆破沈没させたのである。

(江)
このことを如実に物語ったのが、ドクター中松こと中松義郎さんの手記「回想録」である。以下のものであった。
ドクター中松「日本の”終戦”」を語る!!:日本は負けていない、停戦したのだ!1
ドクター中松「日本の”終戦”」を語る!!:日本は負けていない、停戦したのだ!2

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【拡散希望】日本は負けていない!

http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/yushu2011japan.html


(於)
このドクター中松の記憶にある終戦直前の日本海軍や日本軍の状況は実に興味あるものである。が、さらに、「伊400シリーズ」に加えて、新たに、
特攻爆撃機「桜花(おうか)
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の証拠が見つかったという。以下のものである。
特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地の映像を発見…専門家は「衝撃映像だ」 京都、滋賀をまたぐ比叡山中
特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地の映像を発見…専門家は「衝撃映像だ」 京都、滋賀をまたぐ比叡山中 
特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地の映像を発見…専門家は「衝撃映像だ」 京都、滋賀をまたぐ比叡山中

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 終戦間際、旧海軍が開発を進めていた航空機型特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地を撮影した映像が残されていることが18日、明らかになった。さきの大戦の映像や文献を収集している大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」(塾頭、平田崇英氏)が、米国立公文書館で見つけた。地上発射型桜花四三乙型の出撃基地に関する映像は珍しく、専門家は「衝撃的だ」と一様に驚いている。(村上智博)
 映像は7分44秒のモノクロで、基地は滋賀県と京都府にまたがる比叡山(848メートル)で建設途上のものだった。まず、「LAUNCHER」(発射装置)と題し、昭和20年10月23日の撮影だと紹介する。
 映像は米軍が撮影したもので、比叡山の東側、琵琶湖に面した山肌を、比叡山鉄道のケーブルカーで米軍関係者らが登る様子を映し出した。
 やがて、カメラは山頂付近で建設途上だった基地の撮影に移る。搭乗員養成用の練習機を運び上げるレールや丸太、クレーンなどの建築資材が写っていた。
 約800キロの重い弾頭を積んだ桜花は自力で飛び上がれず、陸上からカタパルト(射出機)で発射させる。発射後は搭乗員が操作し、ターボ・ジェットエンジンで、目標に向かう仕組みだ。
 機体をカタパルトに搭載するための装置や、射出方向の琵琶湖に向け、機体を方向転換させるための回転台も映っていた。
 カタパルトの映像の向こうには湖面が映り込む。傾斜のある山肌に隠すように作られた格納庫の入り口も撮影していた。
 7分44秒の間、桜花や練習機の機体そのものは写っていなかった。
 比叡山の訓練基地は、横須賀鎮守府所属の第725海軍航空隊が、大阪湾に襲来する敵艦を水際で迎え撃つ目的で、終戦直前に秘密裏に開発を進めた。搭乗員40人を含む約130人が訓練に参加した。昭和20年8月15日に正式な完成式を行う予定だった。
 旧海軍は本土決戦を想定し、和歌山県田辺市や神奈川県横須賀市、千葉県の房総半島南部や茨城県つくば市、静岡県の熱海峠など、比叡山を含めると最終的には全国約50基のカタパルト設置を目指していた。
 映像撮影後、比叡山の訓練基地は米軍が破壊した。

■専門家は「衝撃だ」

軍事評論家の兵頭二十八氏の話 「旧日本軍は、ドイツ軍が開発したミサイル兵器『V1』を、コピーしようと、米軍と開発競争を繰り広げた。このミサイル開発は頓挫したが、この過程で、旧日本軍が開発したのが桜花だった。
 戦況が悪化し、本土決戦を目前に、旧海軍は全国各地に基地を作ろうと急いだが、終戦までに本格的に作ったのは比叡山などごくわずかだった。それだけに映像が残っていたのは衝撃的で、希少価値がある。
 桜花は地上から敵艦に気付かれず攻撃する点で、戦後、陸上自衛隊が開発した地対艦誘導弾にも通じる戦術思想が現れている。
 ただ、航続距離が短く母機の一式陸攻が目標に接近せざるを得なかったことから犠牲が大きく、代わって地上発射型の四三乙型が開発された。
 全長約8・2㍍で、ジェット・エンジンを搭載。約100㍍の滑走路からカタパルト(射出機)で離陸し、敵輸送艦船や上陸用支援母艦への体当たりを想定していた。飛行時間は約?分で、約280㌔航続できる設計だった。
 量産準備に入った時点で終戦を迎えたが、この時の設計思想と技術は、現代の地対艦巡航ミサイルの原型となった。訓練基地は、横須賀鎮守府所属の第725海軍航空隊などが建設・配備する計画を立てていた。
 桜花の発射基地をめぐっては、千葉県南房総市下滝田地区(旧三芳村)の知恩院近くに、コンクリート製の滑走路跡が残されているのが知られている。

この映像からも、玉音放送直後の日本国内には、各県庁所在地の都市部は米軍のB29による絨毯爆撃によって破壊されたが、地方に潜んでいた日本軍の秘密基地はほとんど無傷で残っていたのである。

都市部の民間人を犠牲にすることで、日本人および日本軍人の士気を失わせるというのが当時の米軍の作戦である。いま中東で米軍がやっているのがまさにこれである。すべては米軍がはじめて太平洋戦争で学んだことである。それを繰り返しているだけである。

そんなわけで、

現実に終戦後に起こったこととは何か?

というと、結局は、停戦に乗じて無傷で残った日本軍の、つまり、帝国陸海空軍の秘密兵器や秘密基地の破壊であった。そして、あたかも日本は戦争ですべてを失って敗戦したかのように見せるという偽装工作だった。

通常、戦争による敗戦というのは、戦争中に自国内の軍事基地や兵器を破壊されて多数の軍人の死人が出て戦争に負けるというものであろう。

日本の場合は、まだ国内には無傷で完全に戦闘準備態勢にある新型兵器が軒並み米軍を待っていたのである。

ドクター中松はこのことを証言しているのである。

ドクター中松は、最後の東京帝国大卒業生、最後の帝国海軍将校であった。

ドクター中松の言葉は重い。


(加)
翻って、古代イスラエルの失われた10支族の内の「ガド族」由来の伝説が残る日本の帝(みかど)こと天皇家は、どうやら古代からチキンだったらしい。つまり、臆病者家系だったようだ。神官だから戦争は嫌い。できるだけ臣民の犠牲者を出したくはない。そういう気質と伝統を持っていたらしい。

昭和20年8月20日の玉音放送のお言葉にもそれがうかがえる。

しかしながら、時と場合によっては、それが引き金となって大災害や大犠牲者を出す。

天皇陛下が、「歴史に原爆使用を行った不名誉を得たくない」と原爆開発を躊躇しぐずぐずしていたから、ロスアラモスの原爆研究が先に完成してしまったのであり、さらに停戦を躊躇しぐずぐずしていたから、その原爆を広島に落とされたのである。さらにぐずぐずしていたから、今度は2発目を長崎に落とされたのである。

この時、天皇が毅然として、「日本はソ連共産主義のアジア侵入を防ぐために戦ったのであり、いまや極東アジアはソ連共産主義の手に落ちつつあり、北京、平壌、ソウルが最大の拠点だ」と言っておれば、原爆は、北京、平壌、ソウルに落とされたのである。

「愚図(ぐず)」これが、どうやら古代からガド族の習性のようである。俺の研究によれば、そういう結論になる。

上に立つものは「愚図」ではまずい。迅速にことを正確に判断できるものでないと下に就くものは救われない。

そろそろ、天皇家もガド族由来の北朝南朝ではない別の種族、例えば、エフライム族やマナセ族へ移行してもよろしいのではなかろうか?忌部、物部、等、もっと勇敢で知的な族もいるはずである。

とまあ、俺の妄想もどんどん進むほど、忘れられた歴史と現実ほど興味深いものはない。



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  by Kikidoblog | 2015-08-19 10:09 | 人物

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