2chから拾って来た岡潔博士の文章3:【新・関西笑談】独立研究者・森田真生さん

(つづき)

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【新・関西笑談】独立研究者・森田真生さん(産経新聞)
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東大を卒業後、大学に所属せず、京都を拠点に在野で数学を研究する28歳がいる。独立研究者、森田真生さん。 講演では脳科学や哲学の世界も行き交いながら、「数学の美しい風景」を語る。 なぜ京都なのか、どうして数学は脳科学、哲学とからまり合うのか。 難解な話をユーモアも交え、分かりやすく「翻訳」してくれる森田さんを訪ねた。(聞き手 徳永潔)

【プロフイル】

もりた・まさお 昭和60年、東京生まれ。2歳から10歳まで米・シカゴで過ごす。 東京大学の工学部、理学部数学科を卒業後、独立。 平成22年に福岡県糸島市で数学道場「懐庵」を開き、 「数学の演奏会」「大人のための数学講座」などユニークな講演活動を各地で展開し、 思想家の内田樹(たつる)氏や人類学者の中沢新一氏らとも対談。 24年春に京都に拠点を構えた。

--起業ですか

森田 当時すごく盛り上がっていた米国のシリコンバレーに行き、 あちこちの会社に連絡して「とにかく今すぐ社長に会わせてくれ」みたいなことを言っていたら、 現地のジェトロ(日本貿易振興機構)のスタッフが「最近迷惑な東大生がいると聞いたがお前のことか。それなら案内してやるよ」と言われて、 あちこち連れて行ってくださったんです。

--うれしい援軍ですね

森田 その中の一人の投資会社の方が、鈴木健さんという人がおもしろい会社を作ろうとしているからと言って紹介してくれた。 鈴木さんは「なめらかな社会とその敵」という本を書いて話題になった人ですが、 実際に会ってみるととにかくものすごい人で、会社の立ち上げを手伝うことになったんです。 その会社のメンバーがみんないわゆる「理系」の世界の人たちで、数学とか物理をやる人は頭でっかちだと思っていたのに、 話をしてみるとイメージと全然違う。 身体性の起源を物理学的に考えたいと言ったり、縄張りの始まりはどういうものかを数学的に研究しているとか言って、 何か面白い。もっと知りたいという思いがどんどん強くなって、工学部に転部したんです。 そこで研究をしていくうちに、どんどん数学そのものへの関心が膨らんできて、 そのときに数学者の岡潔(1901~78)の著作に出合って衝撃を受けた。 数学にこんな世界があったのか。これは人生を懸けるに足るという感じがしたんです。

--数学者の岡潔が研究に没頭した和歌山県紀見村(現橋本市)を訪ねていますね

森田 岡は「数学は情緒の表現だ」と言っていますが、情緒はこの環境で育まれたんだなと実感しました。 大阪から和歌山に入る紀見峠の高台に立つと、正面の遠くに高野山を見晴らすことができる。 山並みや虫の鳴く声、すばらしい景色、環境に囲まれています。 岡は「計算も論理もない数学をしたい」といって周囲を驚かせたのですが、 この山中でまさに計算も論理も超越した数学の喜びに浸っていたのかもしれません。

--岡が言う情緒とは何なのでしょうか

森田 岡は「自然数の1が何であるか数学は何も知らない」と著書で繰り返し書いています。 数学の始まりの数である「1」が何であるのかは議論しなくても、脳の中でありありと分かる。 逆に「1は何か」を数学的には定義できないし、 「1」を説明しようとするあらゆる試みは「1」の直感を頼りにしてしまっています。 だから数学は数学自身によって支えられているのではない。 計算や論理に先だって数学を支えているもの、それは実感であり、情緒であると言っているのです。

--数の感覚はどこから来るのでしょうか

森田 脳が「数覚」をどうやって生み出しているのかという研究があります。 ここに1本のペンがある。1本のペンだとすぐ分かる。 2本なら2本、3本なら3本ということを瞬間に分かる能力を認知科学でスービタイゼイションと言いますが、 この能力は3か4で止まってしまう。 だから数字は、漢字の「一」では横棒1本で、「二」は横棒2本、「三」は横棒3本だが、「四」は横棒4本でない。 横棒が4本になると数えなければ分からなくなるからです。 回転すし屋さんでお皿3枚はぱっと見て分かるが、4枚ぐらいになるととたんにあやしくなる。 人間の認知限界はだいたいこの辺にあります。

--おもしろいですね

森田 脳は数学をするために進化してきたわけではないんです。 38億年の生命史のなかで、「36×73」なんて計算をすることはなかった。 いきなり計算をしろといわれて、脳はどうしたかというと、計算するためではない部位を使う。 その結果、情報が混在して、例えば5という数字を思い浮かべるつもりでありながら、 5という数字に伴う空間感覚や時間感覚、 あらゆる具体的感覚が一緒に到来してしまって数字に具体的な質感を感じてしまう。 人間が数字に向いていないことによる副作用でもあるのですが、 逆に言えば、それが岡が言う「数学が実感に支えられている」ということになります。

--岡の研究スタイルは

森田 海外では「Oka」といえば、数学者集団だと信じていた人がいるぐらい、壮大な数学的風景を作り出しました。 岡は生涯で3つの大きな発見をしたと回想していますが、その前に必ず行き詰まったと語っています。 1年、2年ではなく、6、7年も行き詰まった。 さすがに6、7年行き詰まると頭ではやることがなくなるんです。 計算でできることはたかがしれている。理論的にやれることもやり尽くしている。 「やるのは情意であって、知は働きようがない」と岡は言います。 そうすると頭でないどこかが動き出してくる。 岡の数学日記を読むと山に登って花を観察したり、スケッチをしたり、自分の脳よりも大きなところで数学をしている。 数学は脳で閉じていない身体的な行為なのです。

言語は、意識的に表面に現れるものと、無意識的に創出するものとの“二重性”を 持っていますが、数字の概念も記号として視覚的に捉えられるものと、情緒という無意識層との連関としての“二重性”があると言うのは、非常に奥の深いものを感じている。


おまけ:
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 奈良女子大学

プリンストンの高等学術研究所で岡潔の研究成果を講義したカール・ルートヴィヒ・ジーゲルは、20世紀を生きた数学者だが、 前世紀、すなわち「理想を追い求める心」が偏在していた19世紀のドイツの数学の魂を継承する偉大な数学者である。 (第一次世界大戦もそうだが)第二次世界大戦あたりを境にして数学の潮流は大きく変り、 理想を追い求めるというロマンチシズムよりもむしろ抽象性を尊ぶという方向に傾斜したが、 ジーゲルはこれが不満で、抽象的な数学を「空集合の理論」と呼んで軽蔑した。

フランス生まれのアメリカの数学者サージ・ラングが『ディオファントス幾何学』(1962年)という数論幾何の本を出したときのことである。 この本にはかつてジーゲルが証明した定理なども紹介されていたのだが、ジーゲルはこの書物の記述様式を慨嘆し、イギリスの数学者モーデルに宛てて手紙(1964年3月3日付)を書いて、「ラグランジュやガウスなど、数論の偉大な師匠たちが開いた数論の花園に闖入(ちんにゅう)した一匹の豚のようだ」などと酷評した。

「一匹の豚」というのはこの本のことのようでもあり、著者のラングのことのようでもある。ひたすら抽象に向かおうとする数学の新傾向は、数学者の世界にも大きな亀裂を生み出したのである。

昭和33年(1958年)の春、来日したジーゲルは岡潔との面会を強く望み、奈良に岡潔を訪ねていった。 『春雨の曲』に書き留められた回想によると、ジーゲルは「おお、オカ」と言って抱きついて、
「近ごろの数学をどう思うか」
と、いきなり尋ねてきたという。ジーゲルは論文を通じて岡潔を知り、同じ数学の心が共有されている様子を目の当たりにして、心から共感し、共鳴していたのである。


(つづく)



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  by Kikidoblog | 2015-08-27 14:53 | 岡潔・数学・情緒

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