2chから拾って来た岡潔博士の文章4:「風変わりな憲法 1969年5月」

(つづき)

(え)
風変わりな憲法 1969年5月

※九段会館で講演が行われました。靖国神社近くに位置し、二・二六事件で戒厳司令部が置かれた建物ですが、 東日本大震災のため現在は閉館しています。
http://www.youtube.com/watch?v=CwyCfzsp7H8


このような風変わりな、敢えて憲法とは言いません、文章を、私あまり読んだことがない。(割れんばかりの拍手)

新日本国憲法の前文というのが中学校の社会科の教科書の、多分中級、二年位と思いますが、後に付いてた。読んでみた。
そうしますとね、あそこに何と書いてあるかというと
「利己主義で悪かったな、利己主義のどこが悪いのだ」
と書いてある。
いくら何でも、そりゃあ日本とアメリカと違いますが、どうせアメリカから示唆受けたんでしょう。
いくらアメリカ人でも「利己主義のどこが悪い」っていうのは如何にも変だから、それで段々様子を聞いたんですが、これはイギリスに向かっての独立宣言の時の文章がお手本になっています。
だから植民地アメリカの人達が、英本国のあまりの仕方に腹を立てて「利己主義のどこが悪いんだ」とそういう啖呵を切った。これでやっとわかった。

それとそっくり内容的には取って来て、そして日本国新憲法の前文としたんです。
この、日本は千三百年、仏教の理屈でやって来ました。
それ以前は、大体、日本民族になってから三十万年、そういう理屈なしにやってました。
明治までは、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべている広々とした心が自分だと、はっきりこうなってたんです。明治以後、それが大分乱れ始めましたが、五尺の体が自分だとはっきり書いてあるのは日本国新憲法の前文が初めてです。
真の自分といえば、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべてる広々とした心です。
だから自然が喜んでおれば自分は嬉しい、人の世が喜んでおれば自分は嬉しい、一人でもひどく悲しんでいる者があれば自分はひどく悲しい。
これが真の個人という意味です。

で、真の個人というものを諭しても人はまたしても迷って、五尺の体を自分と思いがちだから、それは迷いであると骨折って教えたのが仏教です。
明治まで千三百年そう教えたのですが、明治以後はあまり言わなくなっている。
この、欧米人は物質主義、個人主義ですから。
言わなくなったけれども、それでも善い行いというのは終戦までは、人の為にする行いが善い行いであって、自分の為にする行いは利己主義、利己主義は唾棄すべきものだとなっていたんです。
それを全然ひっくり返して言ったのが日本国新憲法の前文です。(拍手)
風変わりはわかってる、一番始めからしてそんな風だから。

集団が団結を作って生き抜くという、その生きる為の知恵は、人類が最初に得た生きる為の知恵です。
人類はこれによって他動物との生存競争に打ち勝って、ようやく今日まで生き延びることができたのです。
そののち人類は少しは利口になりました。それで口先では割合感心なことを言うことができるようになりました。
しかし、まだまだ野蛮であって、それを実行することができない。
だから今、世界の国々は終戦後の日本一国を除いて、ことごとく国という団結を強固にして、それによって生き続けるということをしようとして必死になっている。
日本だけは決してそういう事をしない。
しないだけじゃない、いやあ、旗も出しゃあしません(祝日に国旗も出そうとしませんの意味)。
それを愛国というのです。愛国といったら変な目で見られる。
一体、どういう国なのかわからない。

愛国について説明します。日本の明治維新ですが、明治維新はどうしてできたかというと、志士達の活動によってできたんです。
もし明治維新ができていなかったら、日本は滅んでいたに決まっています。
大体、戦争なんか要らないとか何とか言いますけど、今度の大敗のような事を日露戦争頃までにやったら、確実に滅んでいたでしょう。
私、大東亜戦争に突入したと聞いた時、「しまった、日本は滅びた」と思いました。
で、暫くぼんやりしていたんですが、やがて起こる「一億同胞、死なば諸共」の声に励まされて、成程それも華々しゅうて良かろうと思っておりました。本当に死ぬつもりだったんです。
それが戦争が終わってみると意外にも生きています、今でも。何故、そういう事になったかというと理由は二つある。
一つは天皇陛下が勅命によって戦争をやめよと言われたこと。
もう一つは、今言いました通り、大敗戦の終わった時、その時期が非常に良かった。
もう少し早くだったら滅んでいたに決まっているんです。

猶、ちなみに言って置きますが、日本は今これからお話して行く、チンプンカンプンわからない憲法を受諾しました。
何の事だかわからない、実に滑稽です。が、こういうものを何故、受諾したかというと、もし憲法を受諾しなかったならば、天皇を戦犯にして処刑すると言われた。
命の恩人を殺すわけには行きませんから、涙を呑んで引き受けたのです。
こういうのを一億の総々意というのですか。社会党、共産党、創価学会、憲法調査会、皆「一億の」といってる。
一億の総意っていって国民投票にさえ問うてないでしょう。
この、日本より半年程前、西独がやはり憲法を変えよと言われた。
その時、進駐軍の治下において国民投票に問うということは、公平な国民の意思を反映することではない。
だから進駐軍治下においては新憲法を作るということは理論上、不可能である。そう言って峻拒したんです。
今、一億国民の総意によって新憲法を受諾したと言っている人達は、事実を曲げるも甚だしいんです!

で、それはまあよろしい。ともかく日教組、その他の共産主義の先生達のしたことは、明らかに計画的に国の団結を破壊しようとする行為です。
だから私、こんなの憲法違反に決まってると思ってた。ところが一向、皆そう言わん。
私、あまり変な日本国新憲法の前文を掲げてあったから、馬鹿らしくて憲法を見なかった。
だけど国民の団結ぐらい言ってあるだろうと思って、岩波文庫に世界各国の憲法を書いた本がある、それを買って来て日本の憲法を見てみた。
どこにも、ただ一言も、国という団結を固めるという意思が書いてない。
おかしなものだなあ、憲法というのはと思って、他の世界各国のを見てみますと、そうすると各国はことごとく国という団結を固めて生き抜こうという意思を謳っている。
書いてないのは日本一国です!これだけでも国民の総意によるものではない、(進んで受諾はしたが実質的に見て)押し付けられたものであること明らかです。
ともかく国民が団結を作って生きて行くという意思あって、然る後、憲法があるのです。
ところが日本の憲法だけはそれを書いてないのです。

ところで西洋人は大抵、無差別智の働き方が前回りで前頭葉へ働く。
そうしますと、実在性と自己性と二つともが混じってしまう。
こんなん有りもしないもの、有ると思うのです。
それで平等性智が邪智になる、邪智型になる。この邪智型平等性智が理性です。
西洋人が理性といってるものは、ことごとくと言って良いほど邪智型平等性智。
それから東洋人の場合は前回りしません、後回りします、概して後回りします。
後回りして平等性智が働きますと真智態の平等性智が働くか、非常に良ければそうなる。
そうでなければ実在性だけを執する。この時も後回り、前を通りませんから。
前を通れば必ず自己性が入る、邪性が入る。
実在性だけを執すると、そうすると分別智になる。盲目性は入るが、邪性は入りません。
そういう平等性智になる、大抵そうなる。そこで!
前頭葉に働く平等性智が邪智態である者を西洋人と定義します。
前頭葉に働く平等性智が妄智型、或いは真智型である者を東洋人と定義します。
それで東洋人、西洋人が出て来ました。日本人は大抵、東洋人です。

東洋人は大体、どこを使うかということを見ますには、人は生まれて二年五ヵ月、これが童心の季節です。
そこで人の中核できてしまうのです。後は、これに実在性とか自己性とか、これは有りもしないものでしょう。
そういうものを着けて、いわば堅固なガラス瓶へ入れて持って歩く。
で、中核は童心の季節です。この童心の季節で一体、どこを使ってるかと日本人の子供を仔細に見ますと、使ってるのは頭頂葉、大円鏡智。つまり観念です、メロディーを聞くこと。
それと後頭葉。これは心を形に現し、形によって心を知る。特に形によって心を知る。
つまり、頭頂葉の全メロディーの雰囲気のようなもの、これを使ってます。
しかし、前頭葉は使ってません、側頭葉も使ってません。だから、東洋人は頭頂葉と後頭葉とを主として使う。

それで例えば、行為に至るまではどんな風かと言いますと、例えば共産主義革命をしようとします。
そうすると後頭葉において、その雰囲気を充分作る。つまり世の中の悪いことを散々言うて、嫌悪感を催します。
それから共産主義になれば良いような、いろいろ良さそうなことだけを挙げて、充分共産主義的な雰囲気を育む。
これ、小学校からやってるでしょう。共産主義じゃなくても、スパルタ教育の悪い面もそうです。
後頭葉でそれをやる。
しかし頭頂葉は使わない、日本人が無知な理由ですね。
それから側頭葉でメロディーないしは標語に練る。

それで例えば、共産主義色ですね、それを小学校あたりから骨折って拾った共産主義色を標語に練る。
それはもう誠に簡単です。「いざ革命」といえば良い、標語になってる。
「共産主義革命」とそういえば良い、標語になってる。
そして、じっと満を持して時機を待つ。
ここまでは憲法によりますと、これは宗教、それから思想の範囲ですから、全く関与できないんです。
そして時機が来たと見たら、「いざ革命!」といえばいいんでしょう。
そうすると五一五事件の時の如く、二二六事件の時の如く、側頭葉が引き金を引いて前頭葉が運動領へ命令すると、「アッ!」という間に実行に移されて、疾風迅雷、駆けるに暇がない。

これが東洋的な行為に至る動きです。

初めに何か体操のようなことをして、それをいちいち言葉で言い表して、一人一人議論して、さあ一緒に行こうといって勧めて、それから行為するのは西洋型の場合です。
これはこれでジョークならともかく、邪智を使うのでタチが悪い。

しかし東洋型も東洋型で、日本だと、五一五事件の如く、二二六事件の如く行為に移すから恐ろしいんです。
準備は後頭葉で充分謳歌させておいて、側頭葉で標語に練って、その引き金に手をかけたまま待ってれば良い。
悪い意味でのスパルタ教育は引き金を引く寸前、しかし共産主義は引いてしまう。
こうした大脳生理を忘れた日本民族の愚かさがわかるでしょう。
だから、あのような憲法では、とても日本の安全は守ることはできないのです。

そうしますとねえ、誠に都合悪いと思うのは、あんなもん引き受けて、二十何年も何の準備もせずにやって来た政治家なんか、あんなものどうしようもない。
だから、ああいう憲法しか日本にないということは、新秩序は実はないということです。
で、私達は、幸い新秩序がないんだから、新秩序を作りましょう。
大事なのは宗教と思想だけど、宗教活動も思想活動も憲法は何も止めておりません。
非常に都合の良い憲法です。お終い。(拍手)


(つづく)



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  by Kikidoblog | 2015-08-27 14:56 | 岡潔・数学・情緒

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