神に近づくには「素領域」と波長を合わせればいい!:唯物論は唯心論の一部だった!

愛の歌

スターチャイルドの時代!?:ブラジルの天才少女ヤスミンちゃんの歌声!


みなさん、こんにちは。

我が家の朝は結構早い。私が奥さんより先に起きて奥さんのための弁当やお茶の準備、また自分の朝食などをするからである。もちろん、ゴミ出し、缶や不燃物の収集の日も早朝にそういうものは外の置き場へ運び出す。

ここ最近の朝空は日の出の時間が大分遅くなり午前7時近くになった。だから、早朝はまだ暗い。一昨日、昨日の月と星はまさにどこぞの国旗
e0171614_8104752.png
のものであった。今朝は月と星の間が大分離れた。

徐々に日の出に近くなり空が明るくなると、空が青くなってくるが、最近気になるのは、随分遠くの方で朝からジェット機が3機ほどケムトレイルを撒いているのである。何年か前、特に2011年3月11日以前にはこの上空を朝からケムトレイルを撒いていたことからすれば、ずっと南下した方角である。おそらく、高知をずっと超えた九州の方角だろう。

というわけで、私個人は、どうやら九州より南の沖縄あたりが今後の人工地震の中心地、つまりターゲットになっている可能性を心配しているわけですナ。まあ、沖縄の反日反米の共産主義者の鮮人支那人の自業自得だろうが、その道連れになる無知の人たちは可哀想である。しかし、今度はもう少しまともな知性の人として生まれ変わってナ、という他はない。

そんなことを彷彿させるほど、最近では九州以南の地震が多い。要注意であろう。


さて、横道に逸れた前置きが長くなってしまったが、最近保江邦夫先生からお送りいただいた先生の最新のご著書二冊を読んだが実に興味深いものだった。その2冊とはこれである。
ついに、愛の宇宙方程式が解けました: 神様に溺愛される人の法則
e0171614_1511320.jpg
(私の名前も登場する!)
神に近づくには波長を合わせればいい!
e0171614_8293795.jpg


(あ)「ついに、愛の宇宙方程式が解けました」

この本は湯川秀樹博士の「素領域の理論」の後継者である保江邦夫博士が、自身の過去の人生を振り返って、つまり理論物理学者として「保江方程式」が頭に突如として浮かび、それを基にして「保江の確率変分学」を生み出すまでの経験と同時に合気道の探求者として「愛魂」の真髄を開眼するまでの武道家としての経験を詳細に分析しなおして、かの「愛の宇宙方程式」
宇宙=愛

e0171614_20161863.jpg

保江家元の「愛の宇宙方程式」は「宇宙=愛」だった!:愛は宇宙原理だった!?
を解くことができた。では、いかにそれを解いたかという物理の本であった。すなわち、唯心論物理学の本であった。

ところで、あまり詳しくない人やここをはじめて呼んだ人のためにコメントすると、「唯心論物理学」とは、保江邦夫博士の盟友であるこれまた同じく京大理論物理の出身者、しかもその京大物理理論の学友の中でも最高の知性の持ち主と恐れられた中込照明(なかごみてるあき)博士が提唱し始めた正真正銘の数理理論物理学のことである。

つまり、普通の理論物理学では、数学的には単なる集合論。そしてその集合の要素として物質を基に取る。つまり、素粒子を(あるいは量子を)基にして宇宙は量子の集合体であると定義して理論を始める。これを保江博士は単純に標語的にその本質だけを抜き取って
宇宙=量子
と書いた。これが20世紀の量子物理の世界のことである。

これに対して、中込博士は物質(=量子)よりもっともっと根本的な概念である「量子モナド」を定義した。この「量子モナド」とは、まだ物質になるか霊魂や魂や情報という別の存在に分岐する前の素材のようなものである。

この量子モナドなる「抽象的な宇宙の精神」のような存在から、それが物質化したものが量子となり、物質化せずにそのまま留まっているもの、こういうものが同時にこの宇宙に存在していると考えると、20世紀の理論物理学で未解決の量子力学の観測問題やらシュレーディンガーのパラドックスやら因果関係の問題やら知性の問題やら心の存在、果ては霊魂や魂の存在などまで包括的に統一的に数学的に記述可能であるとということを数学的に証明したのである。

まさにブリリアント=明るい=照明な方なのである。今は高知大におられる。

その「量子モナド理論」を保江博士はその創始の段階からお知りだったわけだが、なぜなら共に1970年代後半欧州に留学中だったからである。保江博士はスイスに留学、中込博士はポーランドのコペルニクス大学。かのコペルニクス的転回のコペルニクスの出身地にあるという大学である。そこで「量子モナド理論」を誕生させたというのだった。

最初に保江博士が研究した1960年代の湯川の「素領域の理論」、その後の1970年代後半以降に中込博士が生み出した「量子モナド理論」、その後保江博士がキリスト教や合気道から発見した「愛魂」の力(「唯心論武道」の誕生)などから、最近になってそれらが実は同じことなのではないか、同じものが別の形に見えているだけではなかろうか?そういうことにお気づきになられたのである。

そして、結局、愛の宇宙方程式:宇宙=愛は、湯川の「素領域理論」そのものではないのか、まさに素領域とは量子モナドそのもの、つまり
湯川の「素領域理論」=中込の「量子モナド理論」=保江の「確率変分学」=保江の「愛魂道」
ではないのか?という大発見であった。

つまり、この世界は唯物論(materialism)ではなく唯心論(spiritualism)こそが正しいのである。

その結果、我々が「空間(space)」と呼んでいるものこそ、空虚なものではなく、素領域のぎっしり詰まった詰まり場なのである。

それに向かって、保江博士は幼少期から今に至るまでずっと何かを「つぶやいていた」「叫んでいた」「願っていた」という。

それが自分がいつも幸運に見舞われてきた根本原因だったのではないか?と

宇宙の真空が「空虚な」「空っぽ」な空間だと考えると、そこには何もないから何事も変わらないと思ってしまう。しかしながら、現実には「空虚」「空っぽ」「空間」「真空」に見える部分にもぎっしり「素領域」=「量子モナド」が詰まっている。「エーテル」と言い換えることも出来るが、そういう何かが密集している。

そして、そいつらが聞き耳を立てている。

人間にはロボットとは違って魂と呼ぶべきものが同時に重なって存在する。なぜなら物質の根源、量子の根源は量子モナド=素領域なのだから、人間は素領域=量子モナドでできている。ゆえに、量子になっていないもの、魂の形状の場も人間にはくっついている。

だから、人間の中の量子が願うことは、それが当然ながらいっしょに付着している量子になっていない量子モナド=素領域にも伝達される。素領域は人間としての存在の形を超えて広がっているわけだから、当然素領域間で伝達される。お互いに影響しあう。

素領域の配置や配列が我々見るところの「時空」(space-time)を形成する。自分が素領域である「空間」に願ったことから、そもそもの素領域に自分の魂が影響を及ぼしたわけだから、結局その影響に沿って素領域が再結成再配列しなおす。これがそれまでのタイムラインを変え、新たなる自分の願いを聞き届けるタイムラインに変わる。

つまり、愛魂とはそうやって場を包む。人は宇宙や空間や神社や社や教会で祈り、願う。こういう行為の背後には素領域への働きかけ、言い換えれば、この宇宙なる存在への働きかけがある。

だから、幸運が訪れる。

西洋人には言わなければわかないというが、それはこの素領域でも同じである。「口で言わなければわからない」。単に念じるのでもある程度は叶うが、やっぱり口から念じた方がより素領域に作用する。どうやらそういうことらしいですナ。

やはり空に向かって

「神様〜〜、NWOを地獄へ送ってちょ〜〜〜だい!」

と叫ばないとタイムラインが変化しないらしいナア。

とまあ、そんなことを感じさせる実に興味深い本である。

そして、最後には

ありがとう

というと、やはり運気が変わるという事実が書かれている。

つまり、やっぱり「水にありがとう」というと、水が変わるのである。江本さんが正しかったのだ。
水の伝道師 江本勝さん


まあ、唯物論信者が「水にありがとう」と言っても「何も起こらない」「何も変わらない」のである。これも事実である。しかしながら、それから唯心論者が「水にありがとう」と言っても「何も起こらない」「何も変わらない」ということにはつながらない。むしろ、唯心論者が「水にありがとう」というと、「水は変わる」「何かが起こる」のである。

つまり、唯物論者の信条も唯心論者の信条も共に正しいのだ。

信じる行為が現象を左右する。それが「量子モナド理論」「素領域理論」なのである。唯物論者の高校の先生たちが「水にありがとうと言ったって何も変わらないよ。江本は嘘つきだ」といおうが、それはそれで真実となる。信じないのだから、素領域はそれに感応にないのである。その人が「その現象を信じない」という信じこみ、思い込みを素領域に作用するわけだから、素領域であるこの宇宙は、「何も起こさない」タイムラインを生み出すのだ。

しかし、心底信じれば、結果は変わる。言い換えれば、もはや当然だろうが、
唯物論⊂唯心論
なのである。

良い人生を送りたければ、良い人生になるように、この空間に向かって「ありがとう」と言おう。これが保江博士の「ついに、愛の宇宙方程式:宇宙=愛が解けました」の解であった。

佐久間順平【あ・り・が・と・う・の歌】



(い)「神に近づくには波長を合わせればいい!」

これまた合気道の武道家である山本光輝師範と保江邦夫師範の対談である。しかしながら、饒舌な保江師範にはめずらしくほとんど聞き役に回るほど、この山本光輝師範の体験談は興味深い。

奇跡の連続。

21世紀に日本の武道家の中からイエスのような救世主が現れる

この預言、ポール・ソロモンの預言にもあったが、この救世主こそこの山本光輝さんではなかろうか?

故知花敏彦(ちばなとしひこ)氏によれば、天界はこの地球に12人の救世主を宿したという。そのうち4人が日本人であるという話がある。その1人が知花さんだった。もう1人は知花氏の弟子の上江洲義秀(うえずよしひで)氏。後2人は未知だった。

このまだ知られていなかった2人が、

保江邦夫博士と山本光輝師範

だったのではなかろうか。

たぶん、西洋人の8人の1人は、ナッシム・ハラメイン(アラメイン)博士だろう。

当然ながら、私は12人に入るはずもない。単なる野次馬の1匹である。


さて、この山本光輝さんは書道の大家でもある。そして、アキル文字という古代神代文字を書く。どういうわけか、山本師範がアキル文字で「いろは祝詞」や「ひふみ祝詞」を書いたを書を貼っておき、毎朝それにむかって祝詞を呼んでいると、病気だった人が治癒し、無病元気になるという。

また、その書を青森のりんご園のりんごの樹に貼っておいたら、

なんと台風や嵐の暴風雨に耐え、そこだけはりんごが一個も落ちなかったというのだ。

ここにもまた「唯心論」の世界が垣間見える。

つまり、山本光輝先生の書かれた「魂のこもった祝詞」をりんごの樹の貼ると、ニュートンの法則が破れるのである。

ニュートンの法則は唯物論の理論である。唯心論は唯物論を一部に含むから、当然ニュートンの法則の世界よりずっと広い。だから、別段ニュートンの法則通りにいかないからといってその現象を否定するということにはあたらない。

実に明快である。

保江邦夫博士の大発見、「唯心論⊃唯物論」は、実に明快にいわゆる物理的解釈と唯心論的解釈の違いを説明するのである。

そんな実に興味深い話が目白押しの本である。


(う)「道(どう)」と「日々刷新」

最近まで私は保江邦夫博士のこれまでのご著書の数々を集めてずっと読んできた。武道の合気道の愛魂開眼の話から、湯川の素領域理論から始まって確率変分学や確率制御理論で量子力学を再構築する話、および保江博士の数学の師匠であった伊藤清博士の確率学の話やネルソン博士の確率運動学の話など。ほぼすべて学んできた。あまりに膨大であるために、まだまだ全部読み切ったとは言えないし、現在進行中でもあるが、一つここに来てわかってきたことがある。

それは、かつてキリスト者たちが「日々刷新」と言ってきたことと、我が国の武道家たちが「道の教え」と呼んできたものとの関係についてである。

この両者はほぼ同じではないか?

これが私が最近理解したことだ。

逆説的に日本の武道の誕生しなかった人種というと、アジアでは朝鮮人と支那人である。朝鮮はこれほど日本に近かったが武道も武士道も誕生しなかった。いまウリナラファンタジーで捏造しているが、それは単に「羨ましい」からだけだという。

欧州でもカソリックのドイツで騎士道は誕生したが、他の国々では騎士道は誕生しなかった。

なぜか?

イエスの教えの中に「日々刷新」という言葉があるらしいが、私はながらく、この意味は「一昨日より昨日、昨日より今日、今日より明日自分自身が新しい発見をすること」というようなものだろうと考えてきた。

一方、我が国の武士道やさまざまな芸術などにおける「道」という思想は、「一芸を一生に渡って続けていきながら自分の武芸芸術を高めること」というような意味で捉えていた。

しかしながら、クリスチャンの大学で教鞭をとり、合気道を教え、物理学を教えるという保江博士のご著書の全体の流れをみると、どうやら保江先生(や山本光輝先生や他の合気道の師範たち)がやっていることこそ、まさしく「道」なのではないか、ということだった。

つまり、1冊1冊本を書きながら、前にあの本で書いたことは間違っていた、実はこういうことだったんよ、という感じで新たなる本で自分の最近の理解を説明する。あるいは、本に書かなくとも、自分の道場でお弟子さん達にそうやって日々新たに自分の極めた精神や技術や思想を語る。

こういうことが「道」であろう。

その意味では、まさに「道場」とは「道を語る場」という意味である。他の武道の道場は知らないが、少なくとも、合気道の世界では、そういう感じに見える。

一方、クリスチャンのカソリックの荒修行は、まさに日本の合気道の練習風景と似ていると言える。

道場で稽古する様はまさに「日々刷新」であろう。

神道でも神様の前、天の前で相撲を取る。柔よく剛を制すのごとく、小粒な人が大柄な力自慢を投げ飛ばす。そういうふうにして日常的、つまり物理的な現象を打ち破るような異常な結果を見て、はじめてそこに神様がいると確信するわけだ。

火の上を修験道者たちが火渡りをする。これまた非日常的な現象である。奇跡に見える。奇跡的な現象=物理的ではない現象が現実に起こるのを見て、目撃して、はじめて人は物質だけではないことを知る。

こういうことを確認する作業として、人は合気道を選び、カソリックの荒行を選び、神道の相撲を選ぶ。

そういうふうに理解できないだろうか?たぶんこれは正しい。

つまり、日々刷新とは己の修行を通じてこの世界は「唯物論⊂唯心論」であることを確かめる作業のことである。

もし日本人の関取でこのことを心底理解した力士がいたとすれば、その力士は小粒であろうが、大きな300kgの力士を簡単に投げ飛ばすことができるはずであろう。そういう力士は立派な二子山のような横綱になるのではないか。そして、人はそこに神の存在を見るはずである。なぜなら物理学的にはあり得ない現象を見るわけだから。

いや〜〜、実に素晴らしい世界ですナ。

いきものがかり 「ありがとう」




e0171614_11282166.gif

[PR]

  by Kikidoblog | 2015-12-09 10:19 | スピリチュアル

<< 外人が衝撃「やっぱり日本はとて... ガンバ大阪に「韓の法則発動」と... >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE