2010年 04月 18日 ( 1 )

 

ジャネット・リン:ショートプログラムの誕生物語

みなさん、こんにちは。

今回はまた全く違った話題。

今朝とある番組で女子フィギュアスケーターの安藤美姫選手の番組をやっていた。そこで安藤選手が「自分はジャネット・リンのような選手になりたい。(勝負の)結果よりも記憶に残る選手になりたい。だれもあのときに優勝した選手を覚えていないから。」というような話をしていた。

確かに札幌オリンピックの時の記憶には、何度も何度もジャネット・リンの転倒シーン、というよりしりもちシーンが思い浮かび、ジャネット・リンの苦笑いにも見える笑顔のシーンばかりが記憶に残っている。

現在は映像の世紀、いまではその昔の秘蔵フィルムもYouTubeで見ることが出来る。実にすばらしい時代である。そこで、せっかくの機会だからと、安藤選手が何度も見たというジャネット・リン選手の当時の演技を確かめてみることにした。以下のものである。

ジャネット リン【札幌オリンピック1972】Janet Lynn The Sapporo Olympics

(たぶん篠田正浩監督の「札幌オリンピック
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からの映像だろう)

これを見ると、実はジャネット・リン選手は4分間の演技のうち「たったの一回のしりもち」しかしていなかった。それ以外はほぼ完璧な演技だった。私は当時中学生だったからそれほど真剣に見たわけでもなく、テレビで繰り返される「転倒シーン」が「偽の記憶」として刷り込まれたのであろう。

また、よく見ると、ジャネット・リンは、「転倒したのにかわいらしさで売っている金髪美少女スケーター」という印象を大半の人は持っていただろうが、また当時日本は冬のオリンピックのことも現在ほど人気もなければ知られてはいなかったはずだから、それもいたしかたのない面はある。

しかし、どうやらジャネット・リン選手こそ、当時全米選手権4連覇の大選手であり、アメリカのソニア・ヘニーという戦前の「銀盤の女王」(という言葉を生み出した)大選手の次に現れた、戦後の「銀盤の女王」だったようである。

このアメリカが送り込んだ「銀盤の王女」であるジャネット・リンが、札幌オリンピックという本番で(当時の男子がやっていたような)スピンに入る直前でちょっとバランスをくずして弘法も筆の誤り式にしりもちついたものだから、本人もちょっと驚いてはにかみながら演技したというのがその時の心理に近いものだったのだろう。

実は、当時札幌オリンピック1年前のフランスの世界選手権で、ジャネット・リンはその片鱗を示していた。以下のものである。

Janet Lynn and Trixie Schuba - 1971 Worlds


この大会は入賞もできなかったが、フリー最高演技のジャネット・リンをリンクに上げようと猛烈な観客のアンコールがわき上がっていた。それほどまでに当時としては革命的な高度演技連発のフリーだったわけである。

しかしながら、当時は、コンパルソリーとフリーの「2本立て」であった。しかし、ジャネット・リンはコンパルソリーが得意ではなかった。そこで大幅に減点され、フリーで挽回しても金メダルには届かなかったという歴史が何度もつくられたのである。というのも、1972年当時までコンパルソリーとフリーの配点は50%50%だったからである。

そこで、ジャネット・リンの活躍やファンなどの後押しやジャネット・リンの演技をもっと長く見たいという要望、一方でコンパルソリーは地味だとかつまらないという声が次第に日増しに強くなり、あのジャネット・リンの札幌オリンピックの翌年1973年についにショートプログラムが誕生したのである。その時初めて、コンパルソリー(40%)、ショートプログラムとフリーの3本立てになったようである。

この流れの中でどんどん配点が変わり、1991年についにコンパルソリーが廃止となったというわけである。

つまり、「ジャネット・リンは記憶に残る選手」という意味は文字通りの記憶に残る大選手であったばかりか、歴史にもその名を残す歴史的大選手だったわけである。単に「氷上のスマイル」で可愛らしいから記憶に残ったという選手ではなかったのである。

フィギュアスケートにショートプログラムを誕生させ、コンパルソリーを廃止においやるるきっかけとなった選手だったのである。

Janet Lynn Fluff (Get out your tissues!)

(ジャネット・リン時代から金メダリストが青いコスチューム、銀メダリストが赤いコスチュームというジンクスがあったようだ。このニュースドキュメンタリーの最後に、札幌の金メダリストはトレキシー・シューバ選手でしたよ、とある。)

ようするに、いま現代の浅田真央選手のような存在が、当時のジャネット・リン選手だったのである。いや、浅田真央選手よりもっと可哀想な選手だったのだ。ここを見誤ってはならない。

それにしても昔の世界は良かったナア。
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  by Kikidoblog | 2010-04-18 11:29 | サッカー&スポーツ

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