2011年 07月 19日 ( 2 )

 

なでしこジャパンW杯初優勝おめでとう2:「なでしこは一日にしてならず」」

タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である---デットマール・クラマー

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みなさん、こんにちは。

今は台風6号のせいでこちらは停電したり回復したり、30mの強風の暴風雨にさらされている。

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(どうやらここ徳島阿南直撃コースですナ! この風向きでは福島の風が朝鮮半島へも駆け巡りそうである。)


さて、次は今回の「なでしこジャパン」につながった歴史をメモしておこう。大半は私のその昔の「KiKIdoblog」にメモしておいたものである。この中からいくつかピックアップしておこう。

これらを見れば、「世界ランク4位」、「ワールドカップ優勝」も決してまぐれでも、夢物語でもなかったことが分かるはずである。今の「なでしこジャパン」の快進撃はすでに数年前には出ていたからである。

まずはデットマール・クラマーさんの言葉:
試合で勝った者には友人が集まってくる。新しい友人もできる。本当に友人が必要なのは、敗れたときであり敗れたほうである。私は敗れた者を訪れよう

にあるように、優勝した時には「凱旋」という言葉を使うとか何とか、さも自分が優勝したかのようなしたり顔をして、今度はなでしこジャパンにあやかったり、便乗して番組のネタにしたり、金儲けしようという輩が必ずたくさん出て来るはずである。あるいは、今後そういう「なでしこジャパン」の選手を連れ回してそのおこぼれにあずかろうというような輩もたくさん出て来るはずである。しかし、そういう「外野」にはくれぐれも用心し、自分を見失わないで欲しいと思う。なぜなら、かつての日本代表にも(海外の有名選手でも)そうやってダメになってしまった選手がたくさんいたからである。

さて、私はここ最近、数年前から非常に急成長してきた「なでしこジャパン」のサッカーをずっと見て来ている。2006年には以下のものを書いていた。この5年前には、すでに今の「なでしこジャパン」の「なでしこサッカー」が出来ていたのである。
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しかしながら、それから1年ほどのこの頃の沢選手はおそらくかなりの曲がり角に立っていた。本人も非常につらい時期を過ごしていたはずである。というのも、この時代の沢選手は典型的な「厄病神」だったからである。
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しかしそれから北京オリンピック出場権をかけたアジアカップの戦いで、見事出場権を獲得した。
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この時代には、すでに私は「男子サッカーは進歩が低迷しているのに、女子サッカーの進歩が著しい理由は何か」を問題にしていたのである。未だに男子サッカー界はこれを本気で考えている気配はないが。

そしてアジア杯初優勝。
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そうして北京オリンピック。反町ジャパンはあえなく敗退したが、「なでしこジャパン」=「佐々木なでしこジャパン」は何とか決勝トーナメントに進出した。
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そして準決勝で今回同様に優勝候補のアメリカ世界ランク1位と対戦した。しかし良い勝負だったが惜しい敗戦。
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この試合は確かにアメリカに負けたのだが、非常に大きな手応えをつかんだはずである。この北京リンピックの活躍で、「なでしこジャパン」はそのサッカーの質とその方向性に関してこのまま進めば良いという、確信をつかんだはずなのである。以下のものを見れば、今回の「なでしこジャパン」のすべてがすでにここで出ていたことが分かるはずである。

北京オリンピック 名場面 なでしこジャパン 全ゴール


そして今回は東日本大震災という未曾有の被害(まあイスラエルの裏社会による人工災害だったのだが)が日本を襲った。これが選手たちに「不退転の決意」をもたらしたのだろうと思う。こうして「なでしこジャパン」の優勝という歴史的偉業に結びついたのであろう。

歴史、偉業というものは、後からみると、すべてがまさにそのための布石や伏線であったかのように見えるものである。決勝のアメリカ戦では、私はアメリカの監督が金髪ショートにしていた、ラピノー選手を替えてくれたことがなでしこ勝利への最高のプレゼントだったと思う。サッカーの監督というのは、往々にしてあることだが、試合のプレッシャーに負けると、普通の精神状態ではなくなり、いつもはしないような不可解な選手交代を行って自滅するということがある。これをアメリカのスンダーゲ監督

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がやらかしてしまったということである。滅多にない采配ミスである。

結局、この采配によって、アメリカの先取点のロングパスを送った攻守のキーパーソンだったラピノー選手がいなくなり、17番の選手が出て来た。この選手が最後のPK戦で失敗してくれたのである。私はラピノー選手は非常にいやだなと思っていたから、この選手を替えてくれた瞬間にこれで日本が勝てると思った。さすがにPK戦で勝つとは思わなかったが、すべてはこの采配で決まったのである。

歴史というのは一回限りなので(もちろん、タイムマシンで過去に行くというようなことを考えなければ)、どんな采配でもそれが良かったのか悪かったのか、それがミスだったのか、失敗の原因だったのか、こういうことを判断するのは非常に難しい。なぜならミスだったとしても勝利するということもあるからである。この場合は、人はそれをミスとはいわず、むしろ監督の良い采配のおかげと見るのである。しかし、ミス采配で勝つことはあっても、名采配で負けることはない。当然、名采配で負ければ、名采配とはいわないからである。おそらく、アメリカはダントツだったので、多少監督がミス采配したとしてもこれまではそれでも十分に勝利できたのだろう。しかし、均衡した試合では、結局それが命取りになったということである。私はそう見ている。

もし、ラプノー交代がなければ、きっとアメリカが優勝しただろうと私は思うが、ここに歴史は一回限りということが出て、だれも本当にそうなったかどうかは分からないということなのである。ここにサッカーなどその場限りの出来事の場合の難しさがあるというわけですナ。
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  by Kikidoblog | 2011-07-19 14:09 | なでしこジャパン

なでしこジャパンW杯初優勝おめでとう1:「なでしこの先人たち」「サッカーは文化だ」

「ドイツ人にゲルマン魂があるように、君たちにも大和魂がある」
−−デットマール・クラマー

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みなさん、こんにちは。

風雲急を告げてしまったこの日本。この世界。いまここ阿南は台風6号による風雲暴風雨のまっただ中である。

さて、昨日は女子サッカーワールドカップ・ドイツ大会で見事に日本女子が初優勝。このニュースが全世界を駆け巡った。勝利の美酒に酔いしれた人々が多かったにちがいない。サッカーなど全く経験もなく、今もすることもない、にわかサッカー通の人々もサッカーの醍醐味というものを少しは理解できたかもしれませんナ。

普通のニュースや特集はテレビマスゴミの格好の題材なのだろうからそっちで見てもらえば良いだろう。ここでは、あまり普通の人、ド素人が取り上げないような話題だけをメモしておこうと思う。

(あ)「サッカーは少年を大人に、大人を紳士に変えるスポーツだ」という名言は、今の日本サッカーやJリーグの創始者たちの青春時代に日本サッカーの現代的基礎を作り上げた、旧西ドイツのデットマール・クラマーコーチの言葉である。正確には、下のおまけにあるように、
私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年を大人に育て、大人を紳士に育て上げるスポーツだからだ。
というものである。今回の女子サッカーを見て分かるように、今では全世界でサッカーは男女を問わず大人気のスポーツなのである。したがって、今ならクラマーさんもこう言うにちがいない。
私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年少女を大人に育て、大人を紳士淑女に育て上げるスポーツだからだ。


(い)実は日本サッカーの歴史は本当ははるかに古く、それ自体非常に興味深いものがある。実際には、イギリス海軍が日本にやって来た明治初期の時代1873年(明治3年)にすでに日本にはサッカーが伝わっている。英軍で海軍兵学校の講師だったダグラス少佐という人物が暇を見てはサッカーをしていた。それに好奇心で寄ってきた学生たちに広まったのが最初だという。当時の日本人には英国式蹴鞠と見えたという。

サッカーは、1863年10月26日イギリスのフリーメーソンズ・タヴァーンというパブでイギリス式のサッカーのルールが誕生したと言われているが、そのわずか10年後に日本へ伝来したのである。それから48年後1921年大正10年に「大日本蹴球協会」が誕生した。これが今の日本サッカー協会の前進である。

そして、日本で最初にサッカー部を作ったのは、東京帝大(東大の前進)や東京高等師範学校(筑波大の前進)であったという。明治の師範学校体育の格好の球技種目としてサッカーが行われたのである。もちろん当時はサッカーという英語ではなく、蹴球と呼ばれていた。しかし、大阪ではすでに1918年に大阪サッカー倶楽部というものが出来ていたという。

今現在サッカーが最もさかんな地域がなぜそうかといえば、東京、横浜、神戸、大阪、広島などには英海軍が寄港し、当時のプレーヤーや指導者が英兵だったからである。日英同盟のおかげである。米軍兵が野球をもたらしたように、英軍兵がサッカーをもたらしたのである。そしてそれが伝わった師範学校(旧制高校や旧帝国大学)のあった地域が今のサッカーどころなのである。

これが今の女子サッカーの大半が神戸や東京やと横浜のクラブにいるという歴史につながっているということなのである。単にスポンサー企業や会社のあるなしというような、そういう見かけ以上のものがあるのである。

(う)第二次世界大戦後、日本はサッカー不毛の地、不毛の時代になった。それは、日英同盟後、日本が徐々に英米に敵対する時代に日本がサッカー不毛の48年を経たように、再び戦後の動乱と経済破綻で低迷時代になる。そこへ東京オリンピックの時代を通じて、再びサッカー熱が高まり、ついにメキシコオリンピックで初の3位という歴史的偉業を達成したわけである。この時代にやって来て、伝説の基礎を作ってくれたのがデットマール・クラマーさん

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だったのである。

Mexico Part1



(え)まあ、簡単に日本のサッカーの歴史を振り返ったが、もし日本が日英同盟を続け、英米と反目することなく進んでいたら、日本サッカーはどうなっていたか?というのは実に興味深い視点である。おそらく、今のブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンのように、かなり早い時期サッカーの強豪国になっていたかもしれない。しかし、一方で、英米や欧州の白人によるアジアの植民地支配は終わらず、今のような世界大会というものは出来なかったかもしれない。いずれの意味においても、日本は世界史においてかなり重要な役割を担ったことだけはまちがいないのである。

こういう深い歴史があってこそ、今回の「なでしこジャパン」のワールドカップ初優勝という偉業につながったと見るべきなのである。「サッカーは文化だ」というのは私がいつも我が家の息子たちに言っていることである。この意味は、サッカーが成長し、うまくなる、強くなるには、1世代、2世代、3世代とかかり、実に時間がかかるということである。「ローマは一日にしてならず」。同様に「なでしこは一日にしてならず」なのである。

おまけ:
日本サッカーの歴史

私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年を大人に育て、大人を紳士に育て上げるスポーツだからだ。

選手一人一人の個性を知らずして、どうしてよい指導ができるんだ。コーチは常に選手と共にあるべきだ

タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフの笛である

試合で勝った者には友人が集まってくる。新しい友人もできる。本当に友人が必要なのは、敗れたときであり敗れたほうである。私は敗れた者を訪れよう

ドイツ人にゲルマン魂があるように、君たちにも大和魂がある

人間は暗い気持ちの時は耳を塞いでしまう。そんな時には、どんな名言も届かない。しかし心を開いている時なら、苦言でも受け入れることが出来る

「Es ist der Geist, der sieht. 物を見るのは精神であり
  Es ist der Geist, der hort. 物を聞くのは精神である
  Das Auge an sich ist blind. 眼そのものは盲目であり
  Das Ohr an sich ist taub. 耳それ自体は聞こえない」


デットマール・クラマー
日本サッカーの父 デッドマール・クラマーの言葉

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  by Kikidoblog | 2011-07-19 12:34 | なでしこジャパン

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