2013年 04月 02日 ( 2 )

 

飛鳥昭雄は、モルモン教のエージェントだった!?:いや〜〜、参ったネ。

みなさん、こんにちは。

サイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄氏、この私も長らく彼のファンの一人なのだが、この間の話の中に「自分が所属するキリスト教会はアメリカにある」という部分があった。どうもそこが引っかかるので、どの教会なんだろうかと調べてみると、どうやらモルモン教会であった。これをメモしておこう。

まず、飛鳥昭雄氏の所属するキリスト教とは、
末日聖徒イエス・キリスト協会
末日聖徒イエス・キリスト教会
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というものらしい。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」というから、なんと仰々しい名前なんだと感じたのだが、なんていうことはない。昔の「モルモン教会」のことではないか。何か懐かしいので、ここにメモしておこう。

このモルモン教の聖地はユタ州ソルトレークである。だから、私はユタ大学出身のため、4年間その聖地に住んでいた。初めてアメリカ大陸に宿泊した場所が、ソルトレークのフェアバンクのモーテルだった。私は週末にアメリカに行ってしまったため、大学が休みで、始まるまでの2日間そのモーテルで過ごしたのだった。私は右も左もわからず、大学内でトランク片手に困っている所にちょうど出くわした家族がいた。その家族が帰るついでだからといって、そのモーテルまでわざわざ送ってくれたである。

その家族がモルモン教徒だったかどうか知らないが、一般にモルモン教徒は実に親切な人達である。あまり悪い人はいない。

ユタ大の学部学生の7割〜8割はモルモン教徒である。一方、教える方は、ほとんどいない。大学院生もほとんど他から来ているために、極めてモルモン教徒は少ない。モルモン教徒が100%通う大学は、BYU(ブリガム・ヤング大学)の方である。ソルトレークの隣のプロボーという都市にある。インディージョーンズの教鞭をとる大学がここだと言われている。

かつてモルモン教の宣教師は、白いワイシャツにスラックスと自転車の出で立ちで日本で宣教した。今もそうかどうかは知らないが、だいたいそんな格好をする。ほとんどが白人の都市だから、日本女性の目には、非常にハンサムでかっこ良く見える。いまでいうイケメンに見える。それで日本人信者を獲得したのである。

そうやって海外や日本で宣教師を終えると、モルモン社会でそれなりの功績となり、奨学金がもらえるのである。日本人を何人信者にしたかによって、自分の位が上がり、それなりの称号を得る。そうやって、大学に入る。

私はそういうふうにして日本から帰ってきたモルモンの大学生をたくさん教えた。だから、「あなたは長渕剛のCDもってるかい? 僕は持っているが聴くかい?」とかいろいろ誘われたものである。

すると、今度はプロボーに若い日本人女性がたくさんやって来るようになった。それは、そういうユタの米人宣教師を好きになってユタまで追っかけて来たのであった。そうやって、若い女性がプロボやソルトレークに住み着くようになる。斉藤由貴さんもやってきた。

すると、今度はそういう日本女性を追っかけて日本人男性がたくさんやってくる。日本のモルモン教会で好きになった日本女性信者を追いかけるのである。

私は大学院生だから、遊んでいる暇がないから、必死で週2日の徹夜をしていたという頃のことである。とまあ、そんな1980年代後半であった。そんなモルモン教のソルトレークだから、なぜか懐かしい。

さて、モルモン教徒は、コーヒーを飲まない。飲んではいけないことになっている。コカ・コーラ(コーク)も飲んではいけないことになっている。カフェイン入りは全部ダメということになっている。

しかし、私は、モルモン教徒でも何でもないから、コーヒーは飲むし、コークも飲み放題だった。ソルトレークの有名な喫茶店ロースティングカンパニーの常連だった。週末には必ず行っていた。

そのせいかどうか分からないが、いつしか私はかなり重度のアレルギーを発症したようである。咳が止まらない状態が始まったのである。今思えば、スギ花粉症だったようである。結果的には、それが日本に帰国後にさらにひどくなり、結局企業を出る原因になったのである。まあ、モルモン教の祟というやつですナ。

まあ、だいぶ余計な話が長くなったが、どうやら飛鳥昭雄氏はモルモン教徒ということらしい。そうすると、氏の終末思想やキリスト教徒の話やヘブライ人の話が良く分かる。

要するに、「これから世界は終末に向かうから、モルモン教に入らないと救いはないヨ」と言っているわけである。
飛鳥昭雄ファンクラブ

まあ、普通の言い方をすれば、「飛鳥昭雄はモルモン教のエージェントだ」ということになる。モルモン教は日本の創価学会や統一教会や立正佼成会のように大組織である。だから、金がある。信者も多い。なるほど、なるほど。という感じですナ。

信じるものは救われる、というやつですナ。信じないものは救われない。

きっと私の額には666が印字され、腕には一生とれないバンドを付けられ、体内にはマイクロチップが埋め込まれてしまうのだろう。

世も末ですナ。


おまけ:
飛鳥昭雄さん、ルンルンですナ。
飛鳥昭雄+桜田ファミリア
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なんなんだ、これ??? 鉄郎とメーテルにしか見えないが?
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  by KiKidoblog | 2013-04-02 17:27 | 人物

テスラvsアインシュタイン:銀行家に嫌われたものと好かれたもの

みなさん、こんにちは。

さて、最近ニコラ・テスラの再来、エリック・ドラードのサイトを見ていた所、実に興味深い観点があったので、今回はそれをメモしておこう。以下のものである。
http://ericdollard.com/
テスラの研究を再現したただ一人の科学者
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この中に次のサイトがある。
Top 5 Tricks Bankers use to Suppress Tesla
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この中で、19世紀から20世紀初頭にかけて、”飛ぶ鳥を落とす”勢いだった、天才ニコラ・テスラをだれが撃ち落としたか?という話がある。いま現在我々が「陰謀暴露論」や、いわゆる「陰謀論」で問題とする、バンカー(銀行家)の当時の話が出てくるのである。

実は、我々はすでにこれらの金融寡占勢力=銀行家の「チェックメイト」の状況にあるのだが、その最初の事の起こりの時代が、まさにテスラとアインシュタインの時代であった。どうやら、ニコラ・テスラ(1856年7月10日 - 1943年1月7日)とアルバート・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)はある会合で出会っていた。私は初めてみた写真だが、それがこれ。テスラ65歳、アインシュタイン42歳の頃である。
1921年 Schenectadyの魔術師
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Charles Proteus Steinmetz, the Wizard of Schenectady
真ん中の4フィート=120cmの小男が、チャールズ・プロメテウス・スタインメッツという、当時最高の理論物理学者であった。その左隣りが、アインシュタイン、そのすぐ右隣りが、ニコラ・テスラである。ここには当時の世界最高の頭脳が集まっていたらしい。ラングミュアもいる(どれかわからないが、おそらくスタインメッツのすぐ右隣り。)

スタインメッツの名前を知るものは現代ではおそらくほとんどいないだろうが、テスラの交流発電の理論的基礎づけを完成した科学者である。当時世界最高の頭脳の一人にランクされた。現代の電磁気学の大半はこのスタインメッツが完成した計算法の全部焼き直しである。スタインメッツは、膨大な研究論文と著作を残した。それが、
スタインメッツ全集
スタインメッツ―世界最高の電気工学者 (1958年)
いまでは大学図書館の肥やしに過ぎず、いつ除籍処分されるかを待つのみである。いまどき、こんな教科書で勉強するものはどこにもいなし、東大、京大、慶応、スタンフォード、プリンストン、カルテクなどのどこの大学のYouTube講義を見ても、だれも知らないという時代である。みなさん、もはや原典を学んだものはいない。

さて、ところが、ドラードがいうには、ニコラ・テスラの研究のその本質は、当時の科学者たち、特にJ. J. トムソンとC. P. スタインメッツなどによって正しく理解されていたというのである。しかし、その一番むずかしい部分、理解しがたい部分が、ヘビサイドやその後の普通の研究者たちによってカットされると同時に、テスラの研究の危険性のある部分をカットしたいという起業家や銀行家たちによって、見事にテスラとスタインメッツは表舞台から去っていくことになったというのである。それに変わって登場したのが、アルバート・アインシュタインだったという。

上の写真は、ちょうどその頃の入れ替わるちょっと前の会合の時の写真のようである。

これを堺に、テスラは孤独な研究者への道を突き進む。そして、起業家たちから狂人科学者、マッドサイエンティストの汚名を着せられる。逆にアインシュタインは世界最高の頭脳の道を突き進み、人類最高の頭脳ともてはやされたのである。

ここで、テスラが何をし、アインシュタインが何をしたか思い出しておこう。

テスラは、交流発電と無送電線発電を発明した。一方、アインシュタインは、原爆と原子炉を発明した。

はたしてどちらが我々人類のヒーローだろうか? 当然、テスラである。アインシュタインはあくまで軍産複合体のヒーローでしかなかったのである。もう、言うまでもなく、ここを訪れる人なら、いわんとする意味は分かるはずである。

そこで、最後に、ニコラ・テスラとアルバート・アインシュタインの若い頃から晩年までの写真を並列して並べておく。これは私がインターネット上でみつけたものを加工して並べたものである。これを見れば、人生の最盛期と没落期などが一目瞭然である。
青年時代
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無名時代
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壮年時代
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老年時代
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晩年
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このテスラの顔を見ると涙が流れる。

まあ、これで「なぜアインシュタインが舌を出したか?」の意味がわかるだろうヨ。それにはそれなりの意味が隠されていたのだと私は考えている。

いずれにせよ、ドラードもそうだし、テスラもそうだったが、銀行家は戦争だけではなく、科学においても、医学においても、かならず両サイドに資金援助するということなのである。戦争では、体制派も反逆派(や革命派)の両サイド(両陣営)、科学では、旧理論派も新理論派の両サイドを資金援助する。まあ、要するに、自分が儲かればなんでもいいというわけですナ。しかし自分が窮地に追い込まれそうになると、とたんに手のひらを返す。

今も昔も銀行家とはそういう連中らしいヨ。

いやはや、世も末ですナ。
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  by KiKidoblog | 2013-04-02 15:21 | テスラ&ドラード

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