2014年 06月 30日 ( 2 )

 

ジョーク一発「ブラジルW杯敗戦葬送行進曲」:「A級戦犯はだれだ?」

ショパン葬送行進曲


みなさん、こんにちは。

笑う門には福来る。
あまりの恐怖で笑う他はない。
笑いは本物に限る。
偽笑いは吉本におまかせ。

以下は大人の痛〜いジョークのようなものである。決して信じないでくださいヨ。
本気にしないことが肝心。

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いやはや、昨晩井原氏がテレビで言っていたように、敗戦の理由を詳細に分析しておかなければならない。

そこで、かつて「東京裁判」の時のように、敗戦の首謀者をA級戦犯(=死刑相当)、B級戦犯(禁錮刑)、C級戦犯(禁錮刑)などと分類してみよう。

(あ)まずA級戦犯(=死刑相当)

やはり、一番のA級戦犯(=死刑相当)は、日本強いと煽って、NHKの受信料を奪い取ったNHKと電通。
そして、日本サッカー協会の
大仁(だいに)邦弥
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原博実
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だろう。

試合の実行犯としてのA級戦犯(=死刑相当)は、まったく負の働きをした香川真司、そして、ザルディフェンスの内田、吉田、今野の4人だろう。

(い)B級戦犯(禁錮刑)

次のB級戦犯(禁錮刑)は、体調が悪かったにも関わらずゴリ押し出場した本田圭佑と大チャンスを外しまくった大久保。そして、主将としてほとんど目立った活躍の出来なかった長谷部。

(う)C級戦犯(禁錮刑)

C級戦犯(禁錮刑)は、本田といっしょにほら吹きまくった長友。
そして、すこしもゴールを守れなかった川島。

(え)戦犯認定なし

その他大勢。



とまあ、こんな感じでしょうナア。

この会長(慶応サッカー部、慶応って強かったことは一度もなかったと思うが)の悪役ヅラがそもそも日本サッカーの「顔」となっている。ひょっとして、初代「慶応ボーイ」の「クライス」じゃないだろうナア?

いやはや、なでしこジャパンと較べても、もはや明るい材料全くなし。
ドツボにはまってしまった日本代表である。

いやはや、世も末ですナ。


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  by kikidoblog | 2014-06-30 19:55 | ジョーク一発

はや、次期日本代表監督アギーレ就任!?:佐々木則夫監督はどうなった?

みなさん、こんにちは。

いやはや、あまりに多くのことが起きすぎてETの手も借りたいほどである。

9月まで慎重に次期監督を選ぶと言っていた会長さん、帰国するやいなや時期監督就任のニュースが飛び込んできた。予想通りの展開で、メキシコ人の「黒い噂」(つまり、八百長疑惑)のアギーレ監督とな。

早すぎる。

これでロシアももはや予選敗退決定ですナ。以下のものである。一応メモしておこう。
【サッカー】日本代表新監督にハビエル・アギーレ氏の就任決定 マルカ紙報道 契約は4年、7月下旬に来日正式契約

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次期日本代表監督に元メキシコ代表監督のハビエル・アギーレ氏が就任することが決定したと、スペイン紙『マルカ』が報じている。契約は4年で、7月下旬に来日し正式契約を結ぶとしている。

アギーレ氏は1958年12月1日生まれ、メキシコ国籍の55歳。両親がスペイン・バスク地方からの移民で、『マルカ』も“バスク人”と紹介している。

代表監督としては2002年と2010年のW杯でメキシコ代表を指揮。いずれも決勝トーナメントに進出させている。2010年大会後はサラゴサを指揮。2012年からはエスパニョールを率いていたが、今年5月に退任を発表していた。

エスパニョール指揮官を退任直後から日本代表監督への就任が噂されていたが、同紙によると、他国からのオファーはすべて断った模様で、日本代表監督への就任を決意したとしている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140630-00136912-gekisaka-socc 

サーカー日本代表次期監督候補のハビエルアギーレ氏のプロフィール(Wikipedia)
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1958年12月1日生まれでメキシコシティ出身の55歳。両親がスペイン・バスク地方出身で、メキシコへの移民の子として生まれたバスク系メキシコ人。愛称は“エル・バスコ(バスク人)”。身長173センチと小柄な人物だ。

現役時代のポジションはミッドフィールダーで、1974年に地元のクラブ・アメリカでデビュー。1980年には、歌手エルトン・ジョンがオーナーを務める北米サッカーリーグのロサンゼルス・アズティックスに移籍。30試合で4得点を決めている。(リーグ、クラブともに現在は消滅)

翌81年には、クラブ・アメリカに復帰し83-84シーズンにはリーグ優勝に貢献し退団。メキシコのアトランテを経て、86-87シーズンにはスペインのオサスナへ移籍。骨折の影響もあって13試合0得点と結果を残せず、翌87-88シーズンからはメキシコのチバスに移籍。6シーズンで181試合17得点を記録し1993年に現役を引退した。

代表選手としてのキャリアも豊富で、1979年のユニバーシアードではメキシコの大学生代表として出場して金メダルを獲得。1983年にはメキシコ代表としてデビューし、1986年に地元メキシコで開催されたW杯にはレギュラーとして出場。準々決勝で西ドイツを相手にPK戦の末敗退した。通算59試合出場14得点。

現役引退後はメキシコ代表のアシスタントコーチを務め、1995-96シーズンに古巣アトランテの監督としてキャリアをスタート。チームを1部に残留させるも、1年で退任。指導者としての勉強をするために2年間スペインへ渡った。

98年にメキシコへ戻ると、パチューカの監督に就任。当時1部と2部を行き来するエレベータークラブだったチームを強化し、99年の前期ステージで初優勝に導く。

2001年にパチューカでの実績を評価されメキシコ代表監督に就任。02年W杯日韓大会の北中米カリブ海予選において、連戦連敗で敗退の危機にあったチームを建て直し、本大会出場に導く。

また、01年に開催されたコパ・アメリカではグループステージでブラジルを破るなど快進撃を見せて決勝に進出。決勝ではホスト国のコロンビアに敗れるも、準優勝という成果を手にした。

翌02年W杯日韓大会では、クロアチア、エクアドル、イタリアと同組ながら1位で決勝トーナメントに進出。ベスト16で米国に2-0で敗れて大会を去った。

W杯後の02-03シーズンからはスペインの古巣オサスナの監督に就任。積極的な若手の起用とアグレッシブなプレースタイルで着実に強化し、04-05シーズンにコパ・デル・レイ準優勝を果たすと、05-06シーズンには4位と躍進を果たして翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

クラブ初のCLでは予選でHSVに敗れたことで本戦進出はならなかったが、UEFAカップではボルドー、レンジャーズ、レバークーゼンといった強豪を次々と撃破。準決勝で同国のセビージャに敗れるも、大きなインパクトを与えた。

そして、06-07シーズンにはオサスナでの実績を買われてアトレティコ・マドリーの監督に抜擢。低迷するチームの再建を託されるも7位に終わる(オフにはエースだったフェルナンド・トーレスをリバプールへ売却するはめに)。

07-08シーズンにはセルヒオ・アグエロやディエゴ・フォルランの活躍もあって4位でチャンピオンズリーグ出場権を獲得するも、翌08-09シーズンには成績不振によって解任された。


南アW杯「最悪の監督」? メキシコ国内で巻き起こった黒い噂
09年4月16日にはメキシコ代表監督に2度目の就任。ゴールドカップのグループステージ第2戦パナマ戦では、後半35分にタッチライン際でプレーするパナマの選手に蹴りを食らわせて退席処分。3試合の出場停止処分を科されるもチームは優勝を果たした。

監督として2度目となる10年W杯南アフリカ大会では、南アフリカ、ウルグアイ、フランスと同組となり2位で決勝Tに進出。ベスト16でアルゼンチンに敗れると、メキシコ国内で批判が殺到。

大会前には、バルセロナでトップデビューを果たしたジョナタン・ドス・サントスを最終メンバーから外し、34歳のジーニャを選出。

大会が始まるとチバスで21得点を挙げてマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決定していたハビエル・エルナンデスをベンチ要員に。代わりに所属チームの無かったギジェルモ・フランコを先発に据えた。

また、アンドレス・グアルダードやハブロ・バレラもベンチに置き、GKにはレギュラーと見なされていたギジェルモ・オチョアを起用せず、37歳のオスカル・ペレスを全試合で起用。

そして、ベスト16のアルゼンチン戦では若手CBのエクトル・モレノを先発から外し、本来右SBのリカルド・オソリオをCBで起用。案の定、2失点目につながる大きなミスを犯した。

さらに、毎試合キャプテンを変えるといった不可解な采配をしたことで、メキシコ国内では論争にまで発展。2つの大手テレビ局「Televisa」と「TV Azteca」の圧力によって先発メンバーをきめていたのではないか?という疑いを持たれた。

戦術面を担当していたはずのアシスタントのマリオ・カリージョについて、はっきりとした役割の説明がなかったことも問題となった。また、アギーレ監督はW杯期間中にプレミアリーグの監督への就任希望を表明したが、正式なオファーは一つもなかったという。

このような騒動から、ESPNの司会者ホセ・ラモン・ディアス氏は「フランス代表のレイモン・ドメネク監督に次いで、今大会で最悪の監督だ」と非難した。


スタイルは「堅守速攻」。ザック監督とは対照的だが…
その後はレアル・サラゴサの監督に就任するも、降格圏から抜け出せず1年も持たずに解任。12年11月からはエスパニョールの監督に就任。今シーズンは31節終了時点で8位と健闘している。

アギーレ監督の得意とするのは「堅守速攻」。全体をコンパクトに保つことでハイプレスをかけ、素早いカウンターで得点を狙うスタイルだ。Jリーグで言えば、手倉森監督が指揮していた昨季までのベガルタ仙台や、昨季前半の大宮アルディージャ、現在のアルビレックス新潟に近い。

だた、アギーレ監督のチームは、守備の面では相手に対して危険なタックルも厭わないほどの圧力をかけることで知られている。

すなわち、アルベルト・ザッケローニ監督とは対照的なスタイルと言えるだろう。実を結んでいるかは別として、この4年間でパスサッカーを標榜し実践してきた日本代表にとって、アギーレ監督はベストな人材なのだろうか?

個人的にはラフプレーは嫌いだが、前述した仙台、大宮、新潟などのアグレッシブなプレースタイルは好きだ。そして、日本はショートカウンターが最も向いていると考えているため、アギーレ監督は適任だと思う。

しかし、それはJFA(日本サッカー協会)がショートパスとポゼッションのサッカーを諦めたということになり、ザッケローニ監督は失敗だったと認めることになる。

思えば、手倉森監督はリオ五輪を目指すU-21代表監督に招聘されていた。そして、このアギーレ監督へのアプローチが事実だとすれば、JFAは日本代表の目指すべきプレースタイルをポゼッションからショートカウンターに切り替えたという結論になるが、果たして…。

“最悪監督”の悪評、TV局との黒い噂も
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140403-00010000-footballc-socc


完全に日本サッカー協会はメキシコマフィアに狙い撃ちされたようですな。朝鮮マフィアvsメキシコマフィアの構図である。メキシコマフィアは恐ろしいぞ。特アの比ではない。

いやはや世も末である。


サッカーに関しては、なぜか私の期待と180度反対方向に進む。

謎である。

日本は、佐々木則夫監督を日本代表監督に推挙すれば、それですむ話なんだがナア。




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  by kikidoblog | 2014-06-30 09:35 | サッカー&スポーツ

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