2014年 10月 08日 ( 2 )

 

今年のノーベル化学賞は、「超解像度蛍光顕微鏡の発明」へ

みなさん、こんにちは。

今年のノーベル化学賞は、超解像度蛍光顕微鏡の発明で、以下の3人に行った。
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  by kikidoblog | 2014-10-08 18:56 | 真の歴史

名古屋の時代!?:ノーベル賞の秘訣は「経済の豊かさと精神の自由」だろうナア!

光のまち阿南
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(阿南市の牛岐城跡公園の夏祭りにて)


みなさん、こんにちは。

昨夜は日本はノーベル物理学賞同時3人受賞のニュース。私はジョギングして帰ってから、リアルタイムでストックホルムのライブ映像を見ていたから、赤崎、天野、中村さんの3人受賞はすぐに分かった。
号外ノーベル物理学賞は日本人3人へ:青色発光ダイオードの発明に!おめでとう!
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今回は一昨日と違って、日本のマスゴミもストックホルムのノーベル賞財団のライブ放送を見ていたと見えて、すぐにニュース報道した。

さて、今では私は生命の物理学的基礎理論に集中しているが、もともとは物性理論物理学で出発した。最初に就職した企業の住友セメントでは、アモルファス薄膜の製造実験を当時の電総研で行った経験もある。広域の発光ダイオードを作ってパネル照明を目指した。だから、物性関係には非常に詳しい。

そんな私が昨日の我が国のマスゴミさん、そしてノーベル財団の、「青色発光ダイオード」のノーベル物理学賞受賞の発表を聞いて、まず私が最初に思ったことは、
あれ〜〜西澤潤一さんはどうなった?
というものだ。まるで、赤色発光ダイオード、緑色発光ダイオードの発明は、すでにノーベル賞を授与したかのようなものだったからである。
西澤潤一
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業績[編集]
主な業績として次のものが挙げられる。
PINダイオードの開発
静電誘導型トランジスタの開発
静電誘導サイリスタの開発
イオン注入法の開発
半導体材料の完全結晶育成法の開発
アバランシェフォトダイオードの開発
半導体レーザーの発明(1957年 日本国特許出願)・開発
高輝度発光ダイオード(の開発
GI型光ファイバーの開発
通信用光ファイバーの提案
分子振動、格子振動(フォノン)を利用したテラヘルツ波発生の提案(1963年)
テラヘルツ波による癌診断、がん治療の提案(2000年)


そこで、今回はこれをメモしておこう。

私は1996年に理化学研究所の基礎特研を任期満了してここ阿南に引っ越してきた。
徳島阿南1年目-1996年

この頃、四国についても阿南については右も左も知らなかったが、当時中村修二博士が「青色発光ダイオードの実用化」に成功したばかりの頃で、日経サイエンスにそれに関する記事が出ていた。

その頃、私はたびたび日経サイエンスの読者欄に記事を出していたので、その編集長だった松尾氏から、阿南に居るんだったら、中村さんを紹介するから一度あって見たらと推薦してくれたのである。そこで、一度中村さんとお会いしましょうということになって、中村さんとアポをとって、1996年の夏に日亜化学に見学に行ったのである。もちろん、松尾さんは私が中村さんと会えば、日亜化学でとってもらえるかもしれないよということであった。

私は自転車で日亜化学に行って、中村さんと会った。中村さんは当時はその青色発光ダイオードの部門の開発責任者だったと思う。私は当時理研で自費出版した「3セクター分立の概念」を一部進呈し、後はその当時までにやっていた研究論文の別刷りをいくつか一部ずつあげたのである。

私は日亜化学でまずは中村さんだけと会って見学できるのだろうと思っていたから、たぶん緑のポロシャツに半パンだった。が、最初にその部門の重役(現社長)の人とその下あたりの四宮という人と3人と会ったのである。名刺をもらったことを覚えている。

中村さんが自分の上司と仲が悪いというのは、ずっと後になって中村さんの著書から知ったのだったが、その頃は私はそんなことはまったく知らなかった。

私は、「僕はアメリカのユタ大でPhDをとって、いまはDNAの電子論を研究しています。やはりアメリカの大学や科学界は一番ですね」というようなことをいうと、即座に逆にその頃の中村さんから、「アメリカではいい思いがない。アメリカなんかだめだ」という言葉が出てた。まあ、そんなことを言わないで、拙著「3セクター分立の概念」で、アメリカと日本の科学技術の差や大学の差についてまとめたから、一度読んでみてください。そして、中村さんには「やはり研究はアメリカの方が日本よりずっと上ですよ。アメリカに行くことをオススメします」というような話をしたのであった。

その後、実際に研究室を案内してくれ、最後に青色発光ダイオードを応用した信号機の実施風景を見せてくれたのである。これが1996年の夏である。

この後、ここ徳島が世界に先駆けてどんどん信号機に青色発光ダイオード(実際にはかなり緑に近い)を道路に設置していったのである。

さて、その当時「色、色、色発光ダイオード」はすでに新幹線の表示などで使われていた。だから、後は「色発光ダイオード」だということになっていたのである。

では、それをだれが実用化に成功したか?

といえば、それが冒頭の東北大学の西澤潤一博士だったのである。私が阪大の大学院を終えて最初に就職した企業で、東北大学で開催された宝石学会に研究室のみんなで出張した時、その頃、東北大のキャンパスの外で隣接する場所に西澤潤一博士のための「発光ダイオードの研究所」があった。そこを見学したのである。

当時はそれほど西澤潤一博士=発光ダイオード(LED)実用化→ノーベル賞の呼び声が高かったのである。

青色発光ダイオードの前にまずまでは全部西澤潤一博士のグループで実現したのである。
赤の発見 青の発見
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それに協力したのが、たしかスタンレー電子だった。

だから、後は「青色LEDだけだ」ということになっていたのである。青一本に集中できたのである。この意味でも、我が国の西澤潤一博士の功績を無視できないし、無視するのは間違いなのである。

そんなわけで、もし発光ダイオードでノーベル賞を取るのなら、この西澤潤一博士と中村修二博士の2人だろうと考えていたわけである。「赤の発見、青の発見」。少なくとも、1990年代まではそうであった。

ところが、その後、実は青色発光ダイオードの発明には、名古屋大の赤崎グループの仕事も無視できないということが徐々に出てきて、名古屋大の赤崎vs日亜化学の中村の対決という感じになったのである。

この頃は、窒化ガリウムに最初にとりかかった赤崎を押す「赤崎派」と実用化に成功した日亜化学の「中村派」に別れたのである。そして私が知るかぎり、両者の対立は激化し、国立大学vs田舎の民間企業の戦い、特許戦争の色合いが出てきたのである。(名古屋の豊田合成vs阿南の日亜化学の代理戦争の感ありだったのだ!)

ところが、いつしか中村博士は日亜化学から出て、最初はアメリカなんてと言っていたそのアメリカのしかも名門サンタバーバラの教授に栄転した。

その頃から、徐々に大学同志になったのか、赤崎派と中村派の対立が軟化し、わだかまりが消失した。と同時に、赤崎グループの中では、天野博士が無視できないということが明らかになって行ったのである。そして、最近では、この3人で海外の賞を「青色発光ダイオード」で受賞するようになった。と同時に、一方の「赤の発見」の西澤潤一博士の存在が既知の技術として忘れられるようになったのである。

おそらく、ノーベル賞財団も、発光ダイオードでの受賞にすると、西澤潤一と中村修二の2人になるだろうが、そうなると、赤でも西澤潤一以前の人も絡むし、青の場合も含めると、受賞の3人枠を超える。だから、青色に限定すれば、赤崎グループと日亜化学グループで受賞できる。そして、今では、名大の赤崎、天野とUCサンタバーバラの中村で仲も良くなってちょうどよろしい。日亜化学は企業だから除外。

とまあ、こんな按配だったのではなかろうか?と私は想像しているのである。

というわけで、残念無念の西澤先生。残念無念の東北大学。そういうことだろう。

捨てる神あれば拾う神あり。

西澤先生には、120歳くらいまで長生きしてもらって、いつかどこかでノーベル賞を頂いて欲しいものである。

ところで、ひょっとしたら、中村修二博士と飯島澄男博士でノーベル化学賞を受賞という話もあったから、ここで中村修二博士が物理で受賞されたということは、カーボンナノチューブの飯島澄男博士は化学に回ったという可能性もある。そうなれば、今日の化学賞で
飯島澄夫博士
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が受賞という可能性もある。

この場合、また名城大学出身者の受賞ということになるかもしれないですナ。まあ、東北大学出身で、名城大で教授、今は名古屋大というわけだから、東大以外の人がみんな喜ぶだろうナア。

さて、どうして名古屋大か?ということ、どうして名城大か?ということを科学ジャーナリストや科学史家は是非研究すべきである。

私個人は、やはり経済の問題だろうと見ている。名古屋はトヨタのおかげであまり不況に陥った経験がない。戦後復興し、トヨタの街になって以来、名古屋は空白の10年20年もあまり感じること無く、絶好調であった。

また、注目がいつも東大と京大にいって、旧帝国大でありながら、比較的自由にのんびりやれた。「経済的に豊かで発想が自由」これである。かつて戦前の「科学者のための自由な楽園」といわれた理研だけに存在したものが、戦後の大学では名古屋大や名城大のような名古屋の大学だけにはそういうものが育成されたと考えられるのである。

知的な営みにはある程度の経済的保証や環境が必須である。私のように、専業主夫ではいけない。実験装置も買えないし、本を買うこともできないし、それなりの広い研究室もないからである。

しかしながら、いくら経済的に裕福で研究費に恵まれても、東大や京大のように文科省の役人とどっぷりでいつもその時代の世界最先端や流行へのキャッチアップだけでもいけない。ストレスが多すぎても、やることが決まりきって自由がないというのでもまずい。

今の名古屋の大学には、この2つが備わっているということだろう。これを無視してはならない。

ある程度の「経済の豊かさと精神の自由」、この2つが今の名古屋の成功をもたらした張本人なのである。

俺はそう思うナア。羨まし限りだ!俺は研究費0円、収入ゼロだからナア。

だから逆に俺はいつでも小型原爆背負って、反日国に特攻できるわけですナ。

いずれにせよ、今日の化学賞もかなり期待できるんちゃうか、というわけですナ。

それにしても、西澤潤一博士は「41番目のイス」に座ってしまったのだろうか?




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  by kikidoblog | 2014-10-08 09:20 | マスゴミ

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