2015年 08月 27日 ( 6 )

 

2chから拾って来た岡潔博士の文章5:「葦牙」「紫の火花」「月影」

(つづき)

葦牙 (あしかび)

(岡潔)
お孫さんがかわいいでしょうって言われたら、私目に角を立てます。
縁あって絶えず一緒に住んでいる。
大切にはしますが、だけどそれだけ。
舞台が終われば、また離れてしまう。
暫くの間しか一緒におられないのだからというので、特別に大切にはしますが、
自分の孫だからかわいいんじゃない。

(質問)
子供を見ておりますと、みなどの子供もかわいい。
と言いますのは、近所の小さな子供がおりますね、
子供は自分の家も他の家も全然区別がないですね。
ところが、大人はどうしてもそういうのをおさえたがる。

(岡潔)
大人が間違っている。

(質問)
それがいけないわけですね。

(岡潔)
ええ。日本なら日本、まあ、日本だけにしないと、他国は遅れていますから。
日本の国が一つの懐かしさと喜びの世界、
そうなるようにと思っていろいろ考えていきゃ、なんにもむつかしいことはない。
政治も教育も。懐かしさと喜びの世界に住んでいるということを物質的に表現する。
そうすりゃあよい。子供が正しい。

(質問)
そういう意味ったらおかしいですが、そういうことで私、
女性の方、出来るだけ早く結婚したらいいと思ってたんです。

(岡潔)
そりゃ大変結構です。(笑)日本人はそんなふうなんです。

(質問)
小さい時の教育を誤ると大きくなってからではちょっと方法が無いということですが、
昔のように国が規制するということも無い現代において、
人間が個々別々で自己本位になっていく現状は、なんとかしなければいけないわけですが、
当面、差し当たって何か一つ指針のようなものがあれば、お示し戴きとうございます。

(岡潔)
第一の心がいけないんですね。
自己中心が一番いけないし、それから、理屈もあまり言っちゃいけない。
第二の心の一番基本的な働きは、心と心が合一することだと言いましたが、
情緒としては、懐かしさという情緒が一番基本になるのです。
第二の心が働かないと、人が懐かしかったり、自然が懐かしかったりしないんですね。
そういう外界が総て懐かしいという、その基本的な働きが著しく弱くなっているんです。
根本を放っておいて、枝葉末節をいろいろやったところで、とても直りはしない。

(岡潔)
ともかく、欧米は間違っている。その真似を止めなきゃいけない。
これを自覚することですね。アメリカの真似をするからいけない。ソビエトの真似だっていけません。
大体、そういう基本的な評価が間違っていてはどうしようもない。

(質問)
そのどうしようもない状態におきまして、葦牙会の指導方針と言いますか、
何か具体的なものはどういうところにあるんでしょうか。

(岡潔)
今日本は間違ってる。欧米の真似は止めなきゃいけないと言っても、なかなか聞きませんね。
なかなか聞かなくても、まあ、ここへ来て下さる方は、聞いてやろうという稀な方ですから、
まあ細々と話でもしていかなきゃ。
三島由紀夫さんのような思い切ったことやっても、感銘は与えるでしょうが、それ以上の効果はないでしょうしね。
全く日本はどうなっていくのかと思いますが......

第二の心が神ですね。もし神々が働いてくれなかったら、日本は滅びるでしょう。
肉体を持ってない第二の心やそれに目覚めた人を神と言ってるんですが、
それ以外だけでは、ここまで悪くなった日本を元へ戻すことは、到底出来ないでしょう。
それくらい悪いんです。

(岡潔)
第二の心の世界というのは、それが欠けると、それを知っている人の目には非常によくわかるんです。
が、それが欠けてる本人の目にはちっともわからんのです。
だからいくら言ったって、聞きやしない。
これに対して、良い方法って、思い当たりませんね。
いろいろ言うんだけど、今日もここで言ったこと、皆さんはどれだけ聞いて下さったか、甚だ疑わしい。
余程日本人の中ではよくわかる方々でしょうが、それでも、どれだけ聞いて下さったかは甚だ疑わしい。
それくらいわかりにくいんです。
年長者の素行見てたり京産大生の作文読んでたりしたら、まるでしょうがないなあ、ちっともわかってないなあと思うんですが、
それをみんな思ったら、もっとやかましく言うでしょうが、思わんのでしょう。

紫の火花 1964年6月

私は答案などによってくわしく研究した結果、
男性は普通、知から情に向って意志が働くが、
女性は逆に情から知に向って意志が働くらしいことを知った。
前者は発散し、後者は心の中に残る。
男女二人合わせると意志が動かなくなり、安定するのかもしれない。

月影 1966年4月

人として一番大切なことは、大脳新皮質に宿る心の珠を磨くことである。
この珠は磨けば磨くほど深い輝きを増して限りがないのである。
この珠がよく光っていれば大脳前頭葉もよく働く。

ではこの珠を磨くためにはどの学科がいちばん適しているかという問題がある。
わたしはそれに対し、それは数学であると答える。その理由を説明しよう。

文芸復興以後の数学史はかなり詳しくわかっている。
ところがそこに出てくる数学者は、多少人格に疑問のある、ただふたりを除いてすべて善人である。
しかもそのふたりとも、その数学のやり方のほうにも疑問がある。
それで数学者は例外なく善人であるといえる。
この事実は、数学科の存在意義の完全ともいうべき裏付けである。

ここに一つ困った問題がある。たいていの数学者は昼は視覚型、夜は聴覚型なのであるが、
したがってたいていの児童もそうだろうと思うのだが、
まれに昼も夜も聴覚型の数学者がいる。
わたしがフランスで会った人たちの中ではジュリヤがそうであった。
彼には主要な論文は二つしかない(論文の数ならば七十以上ある)。
しかし二つとも非常によいのである。

孫のきのみもその母のすがね(私の長女)もこの聴覚型である。
二学期に見たのはこの母がこの子に教えている数学教育で、わたしには実におもしろかった。
以下に述べるのはこのときのありさまから取ったものである。

食物の消化を見ると次の順になっている。
「口に入れる」、咀嚼玩味する、「嚥下する」、消化吸収する。
このうち見落としがちな「口に入れる」と、「嚥下する」とが実に大事であって、
これらに相当するものは、数学する場合には、
「前向きの姿勢をとる」、「真情の裏づけをやろうとする」
である。
聴覚型の児童はこの二つを非常に深くやろうとするため(要領が悪いため)、
てまどって、他の子についてゆけないのである。

すがねは今わたしの私設数学研究所で勉強中である。
わたしはすがねに特別な指導をしてやって、
きのみのほうはすがねに教えてもらうことに決めている。
聴覚型の子には何かそういった工夫が必要だろうと思う。

(算数ができないので先生に呼び出されることもあった当時小学四年生の次女さおりに対し)
さおりのやるのを見ていると、不思議にも少しも数学しているという気がしない。
規則どおりにしなければ×がつけられると思いつめて、びくびくし続けているにすぎない。
ところが、おもしろいことに、間違いのほうに目をつけると、このほうは生彩陸離としている。
初めはおずおず間違うのであるが、だんだん興が乗って、しまいには傍若無人に間違う。
鞍上人なく鞍下馬なしである。
間違いやすいから間違うのではなく、間違えたいから間違うのである。
そうなるとなんだかリズムのようなものさえ感じられる。
生命力は表へは出ようがないから、裏へ出たのであろう。
その表と裏とを変えるのに、私は三月かかったのである。

正法眼蔵

私が『正法眼蔵』を買ったのは満州事変が終わって日支事変がまだ始まっていない頃である。
そしてこれを十数年座右に置いた。そうすると終戦後二年くらいになった。
私は『正法眼蔵』の扉は「心不可得」だと思った。その扉を開く鍵は「生死去来」だと思った。
この鍵ならば私はもう持っている。過去世が懐かしくて仕方がないのである。

ある日私はじっと座って思いをこの「生死去来」の四字に凝し続けていた。
時はどんどん流れていっただろう。
と、突然私は僧たちにかつぎ込まれた。
見るとそこは禅寺の一室、中央に一人の禅師が立ち、左右に僧が列立している。
私はその人が道元禅師であることが直覚的にわかった。

畳を踏んで禅師に近づくと、まるで打たれるような威儀でしばらく顔が上げられなかった。
顔を上げると禅師は私に無言の御説法をして下さった。
無言の御説法というのは不思議なものでそれが続いているうちは私は絶えず不思議な圧力を感じ続けていた。

やがてまた畳を踏んで退き、僧たちにかつぎ出された。
われに返ると私は部屋の畳に座り続けていたのだが、足の裏にはまだ寺院の畳をふんだ感触が残っていた。

以後私は『正法眼蔵』はどこを開いても手に取るようにわかる。
しかしこれは言葉には言えない(絵のような本であるため)。
このことは今日に到っても少しも変わらない。

1960年11月3日

私が皇居で文化勲章をいただいたとき、そのあとでコーヒーを御馳走になった。
私はその席で、
「西洋の文化はインスピレーション型、東洋の文化は情操型だと思います。
これは、いわば花木型と大木型というようなものです。
日本の教育は、大木型の人を育てることを目標にしてほしいと思います」
と申し上げた。そうすると皇太子殿下(今上陛下)は、
「大木型の人を作る教育というのは僕も賛成だな」
と仰せられた。是非皆様にお伝えしておきたいと思う。

陛下(先帝陛下)は「数学はどうしてするの」と御下問になった。
私は「数学は生命を燃焼させて、それを結晶させてつくるのです」とお答え申し上げた。
情熱が創造になるのであって、他のものは道具である。
それで大脳前頭葉は感情、意欲、創造といわれているが、
よい創造が起きるためには感情は熱愛、意欲は不動の意志であるのが望ましいと思う。

東西のハーモニー 1969年5月

後頭葉や頭頂葉から前頭葉へ行く道に二つある。
西洋人は中心前回の一次運動野を経由して行く。東洋人は経由しないで行く。
経由する場合は非常に無明が濃いため、流れが地下に潜ったようになる。
このため西洋人は東洋人に比べあまり無明が心に入らないらしいが、
一方で第二の心が存在するということになかなか気づけない。
東洋人でも大学教授なんか長くやってると、西洋人に似てくる。

「俺が俺が」っちゅうように人より自分を先にして生きていると前頭葉にいる。
この時、前頭葉から頭頂葉に戻ろうとすると、一次運動野はなかなか登れなくて非常に苦労する。
で、登れないならどうすれば良いか。降りたら良い。
東洋人は訓練すれば、一次運動野を経由するルートと経由しないルートとを使い分けられるようになる。
東洋人が頭頂葉から前頭葉へ一次運動野を経由して降りれば、途中で登ろうと頑張っている西洋人と握手できる。
そうすりゃあ、西洋と東洋が本当の意味で融合できる。
僕も面白いと思って、それで早速、今日降りたんです。


とまあ、こんな案配の記事である。なにせ2chの記事だから真偽のほどはあなた次第です、というわけですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-08-27 15:03 | 岡潔・数学・情緒

2chから拾って来た岡潔博士の文章4:「風変わりな憲法 1969年5月」

(つづき)

(え)
風変わりな憲法 1969年5月

※九段会館で講演が行われました。靖国神社近くに位置し、二・二六事件で戒厳司令部が置かれた建物ですが、 東日本大震災のため現在は閉館しています。
http://www.youtube.com/watch?v=CwyCfzsp7H8


このような風変わりな、敢えて憲法とは言いません、文章を、私あまり読んだことがない。(割れんばかりの拍手)

新日本国憲法の前文というのが中学校の社会科の教科書の、多分中級、二年位と思いますが、後に付いてた。読んでみた。
そうしますとね、あそこに何と書いてあるかというと
「利己主義で悪かったな、利己主義のどこが悪いのだ」
と書いてある。
いくら何でも、そりゃあ日本とアメリカと違いますが、どうせアメリカから示唆受けたんでしょう。
いくらアメリカ人でも「利己主義のどこが悪い」っていうのは如何にも変だから、それで段々様子を聞いたんですが、これはイギリスに向かっての独立宣言の時の文章がお手本になっています。
だから植民地アメリカの人達が、英本国のあまりの仕方に腹を立てて「利己主義のどこが悪いんだ」とそういう啖呵を切った。これでやっとわかった。

それとそっくり内容的には取って来て、そして日本国新憲法の前文としたんです。
この、日本は千三百年、仏教の理屈でやって来ました。
それ以前は、大体、日本民族になってから三十万年、そういう理屈なしにやってました。
明治までは、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべている広々とした心が自分だと、はっきりこうなってたんです。明治以後、それが大分乱れ始めましたが、五尺の体が自分だとはっきり書いてあるのは日本国新憲法の前文が初めてです。
真の自分といえば、その中に自然を浮かべ、人の世を浮かべてる広々とした心です。
だから自然が喜んでおれば自分は嬉しい、人の世が喜んでおれば自分は嬉しい、一人でもひどく悲しんでいる者があれば自分はひどく悲しい。
これが真の個人という意味です。

で、真の個人というものを諭しても人はまたしても迷って、五尺の体を自分と思いがちだから、それは迷いであると骨折って教えたのが仏教です。
明治まで千三百年そう教えたのですが、明治以後はあまり言わなくなっている。
この、欧米人は物質主義、個人主義ですから。
言わなくなったけれども、それでも善い行いというのは終戦までは、人の為にする行いが善い行いであって、自分の為にする行いは利己主義、利己主義は唾棄すべきものだとなっていたんです。
それを全然ひっくり返して言ったのが日本国新憲法の前文です。(拍手)
風変わりはわかってる、一番始めからしてそんな風だから。

集団が団結を作って生き抜くという、その生きる為の知恵は、人類が最初に得た生きる為の知恵です。
人類はこれによって他動物との生存競争に打ち勝って、ようやく今日まで生き延びることができたのです。
そののち人類は少しは利口になりました。それで口先では割合感心なことを言うことができるようになりました。
しかし、まだまだ野蛮であって、それを実行することができない。
だから今、世界の国々は終戦後の日本一国を除いて、ことごとく国という団結を強固にして、それによって生き続けるということをしようとして必死になっている。
日本だけは決してそういう事をしない。
しないだけじゃない、いやあ、旗も出しゃあしません(祝日に国旗も出そうとしませんの意味)。
それを愛国というのです。愛国といったら変な目で見られる。
一体、どういう国なのかわからない。

愛国について説明します。日本の明治維新ですが、明治維新はどうしてできたかというと、志士達の活動によってできたんです。
もし明治維新ができていなかったら、日本は滅んでいたに決まっています。
大体、戦争なんか要らないとか何とか言いますけど、今度の大敗のような事を日露戦争頃までにやったら、確実に滅んでいたでしょう。
私、大東亜戦争に突入したと聞いた時、「しまった、日本は滅びた」と思いました。
で、暫くぼんやりしていたんですが、やがて起こる「一億同胞、死なば諸共」の声に励まされて、成程それも華々しゅうて良かろうと思っておりました。本当に死ぬつもりだったんです。
それが戦争が終わってみると意外にも生きています、今でも。何故、そういう事になったかというと理由は二つある。
一つは天皇陛下が勅命によって戦争をやめよと言われたこと。
もう一つは、今言いました通り、大敗戦の終わった時、その時期が非常に良かった。
もう少し早くだったら滅んでいたに決まっているんです。

猶、ちなみに言って置きますが、日本は今これからお話して行く、チンプンカンプンわからない憲法を受諾しました。
何の事だかわからない、実に滑稽です。が、こういうものを何故、受諾したかというと、もし憲法を受諾しなかったならば、天皇を戦犯にして処刑すると言われた。
命の恩人を殺すわけには行きませんから、涙を呑んで引き受けたのです。
こういうのを一億の総々意というのですか。社会党、共産党、創価学会、憲法調査会、皆「一億の」といってる。
一億の総意っていって国民投票にさえ問うてないでしょう。
この、日本より半年程前、西独がやはり憲法を変えよと言われた。
その時、進駐軍の治下において国民投票に問うということは、公平な国民の意思を反映することではない。
だから進駐軍治下においては新憲法を作るということは理論上、不可能である。そう言って峻拒したんです。
今、一億国民の総意によって新憲法を受諾したと言っている人達は、事実を曲げるも甚だしいんです!

で、それはまあよろしい。ともかく日教組、その他の共産主義の先生達のしたことは、明らかに計画的に国の団結を破壊しようとする行為です。
だから私、こんなの憲法違反に決まってると思ってた。ところが一向、皆そう言わん。
私、あまり変な日本国新憲法の前文を掲げてあったから、馬鹿らしくて憲法を見なかった。
だけど国民の団結ぐらい言ってあるだろうと思って、岩波文庫に世界各国の憲法を書いた本がある、それを買って来て日本の憲法を見てみた。
どこにも、ただ一言も、国という団結を固めるという意思が書いてない。
おかしなものだなあ、憲法というのはと思って、他の世界各国のを見てみますと、そうすると各国はことごとく国という団結を固めて生き抜こうという意思を謳っている。
書いてないのは日本一国です!これだけでも国民の総意によるものではない、(進んで受諾はしたが実質的に見て)押し付けられたものであること明らかです。
ともかく国民が団結を作って生きて行くという意思あって、然る後、憲法があるのです。
ところが日本の憲法だけはそれを書いてないのです。

ところで西洋人は大抵、無差別智の働き方が前回りで前頭葉へ働く。
そうしますと、実在性と自己性と二つともが混じってしまう。
こんなん有りもしないもの、有ると思うのです。
それで平等性智が邪智になる、邪智型になる。この邪智型平等性智が理性です。
西洋人が理性といってるものは、ことごとくと言って良いほど邪智型平等性智。
それから東洋人の場合は前回りしません、後回りします、概して後回りします。
後回りして平等性智が働きますと真智態の平等性智が働くか、非常に良ければそうなる。
そうでなければ実在性だけを執する。この時も後回り、前を通りませんから。
前を通れば必ず自己性が入る、邪性が入る。
実在性だけを執すると、そうすると分別智になる。盲目性は入るが、邪性は入りません。
そういう平等性智になる、大抵そうなる。そこで!
前頭葉に働く平等性智が邪智態である者を西洋人と定義します。
前頭葉に働く平等性智が妄智型、或いは真智型である者を東洋人と定義します。
それで東洋人、西洋人が出て来ました。日本人は大抵、東洋人です。

東洋人は大体、どこを使うかということを見ますには、人は生まれて二年五ヵ月、これが童心の季節です。
そこで人の中核できてしまうのです。後は、これに実在性とか自己性とか、これは有りもしないものでしょう。
そういうものを着けて、いわば堅固なガラス瓶へ入れて持って歩く。
で、中核は童心の季節です。この童心の季節で一体、どこを使ってるかと日本人の子供を仔細に見ますと、使ってるのは頭頂葉、大円鏡智。つまり観念です、メロディーを聞くこと。
それと後頭葉。これは心を形に現し、形によって心を知る。特に形によって心を知る。
つまり、頭頂葉の全メロディーの雰囲気のようなもの、これを使ってます。
しかし、前頭葉は使ってません、側頭葉も使ってません。だから、東洋人は頭頂葉と後頭葉とを主として使う。

それで例えば、行為に至るまではどんな風かと言いますと、例えば共産主義革命をしようとします。
そうすると後頭葉において、その雰囲気を充分作る。つまり世の中の悪いことを散々言うて、嫌悪感を催します。
それから共産主義になれば良いような、いろいろ良さそうなことだけを挙げて、充分共産主義的な雰囲気を育む。
これ、小学校からやってるでしょう。共産主義じゃなくても、スパルタ教育の悪い面もそうです。
後頭葉でそれをやる。
しかし頭頂葉は使わない、日本人が無知な理由ですね。
それから側頭葉でメロディーないしは標語に練る。

それで例えば、共産主義色ですね、それを小学校あたりから骨折って拾った共産主義色を標語に練る。
それはもう誠に簡単です。「いざ革命」といえば良い、標語になってる。
「共産主義革命」とそういえば良い、標語になってる。
そして、じっと満を持して時機を待つ。
ここまでは憲法によりますと、これは宗教、それから思想の範囲ですから、全く関与できないんです。
そして時機が来たと見たら、「いざ革命!」といえばいいんでしょう。
そうすると五一五事件の時の如く、二二六事件の時の如く、側頭葉が引き金を引いて前頭葉が運動領へ命令すると、「アッ!」という間に実行に移されて、疾風迅雷、駆けるに暇がない。

これが東洋的な行為に至る動きです。

初めに何か体操のようなことをして、それをいちいち言葉で言い表して、一人一人議論して、さあ一緒に行こうといって勧めて、それから行為するのは西洋型の場合です。
これはこれでジョークならともかく、邪智を使うのでタチが悪い。

しかし東洋型も東洋型で、日本だと、五一五事件の如く、二二六事件の如く行為に移すから恐ろしいんです。
準備は後頭葉で充分謳歌させておいて、側頭葉で標語に練って、その引き金に手をかけたまま待ってれば良い。
悪い意味でのスパルタ教育は引き金を引く寸前、しかし共産主義は引いてしまう。
こうした大脳生理を忘れた日本民族の愚かさがわかるでしょう。
だから、あのような憲法では、とても日本の安全は守ることはできないのです。

そうしますとねえ、誠に都合悪いと思うのは、あんなもん引き受けて、二十何年も何の準備もせずにやって来た政治家なんか、あんなものどうしようもない。
だから、ああいう憲法しか日本にないということは、新秩序は実はないということです。
で、私達は、幸い新秩序がないんだから、新秩序を作りましょう。
大事なのは宗教と思想だけど、宗教活動も思想活動も憲法は何も止めておりません。
非常に都合の良い憲法です。お終い。(拍手)


(つづく)



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  by Kikidoblog | 2015-08-27 14:56 | 岡潔・数学・情緒

2chから拾って来た岡潔博士の文章3:【新・関西笑談】独立研究者・森田真生さん

(つづき)

(う)
【新・関西笑談】独立研究者・森田真生さん(産経新聞)
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東大を卒業後、大学に所属せず、京都を拠点に在野で数学を研究する28歳がいる。独立研究者、森田真生さん。 講演では脳科学や哲学の世界も行き交いながら、「数学の美しい風景」を語る。 なぜ京都なのか、どうして数学は脳科学、哲学とからまり合うのか。 難解な話をユーモアも交え、分かりやすく「翻訳」してくれる森田さんを訪ねた。(聞き手 徳永潔)

【プロフイル】

もりた・まさお 昭和60年、東京生まれ。2歳から10歳まで米・シカゴで過ごす。 東京大学の工学部、理学部数学科を卒業後、独立。 平成22年に福岡県糸島市で数学道場「懐庵」を開き、 「数学の演奏会」「大人のための数学講座」などユニークな講演活動を各地で展開し、 思想家の内田樹(たつる)氏や人類学者の中沢新一氏らとも対談。 24年春に京都に拠点を構えた。

--起業ですか

森田 当時すごく盛り上がっていた米国のシリコンバレーに行き、 あちこちの会社に連絡して「とにかく今すぐ社長に会わせてくれ」みたいなことを言っていたら、 現地のジェトロ(日本貿易振興機構)のスタッフが「最近迷惑な東大生がいると聞いたがお前のことか。それなら案内してやるよ」と言われて、 あちこち連れて行ってくださったんです。

--うれしい援軍ですね

森田 その中の一人の投資会社の方が、鈴木健さんという人がおもしろい会社を作ろうとしているからと言って紹介してくれた。 鈴木さんは「なめらかな社会とその敵」という本を書いて話題になった人ですが、 実際に会ってみるととにかくものすごい人で、会社の立ち上げを手伝うことになったんです。 その会社のメンバーがみんないわゆる「理系」の世界の人たちで、数学とか物理をやる人は頭でっかちだと思っていたのに、 話をしてみるとイメージと全然違う。 身体性の起源を物理学的に考えたいと言ったり、縄張りの始まりはどういうものかを数学的に研究しているとか言って、 何か面白い。もっと知りたいという思いがどんどん強くなって、工学部に転部したんです。 そこで研究をしていくうちに、どんどん数学そのものへの関心が膨らんできて、 そのときに数学者の岡潔(1901~78)の著作に出合って衝撃を受けた。 数学にこんな世界があったのか。これは人生を懸けるに足るという感じがしたんです。

--数学者の岡潔が研究に没頭した和歌山県紀見村(現橋本市)を訪ねていますね

森田 岡は「数学は情緒の表現だ」と言っていますが、情緒はこの環境で育まれたんだなと実感しました。 大阪から和歌山に入る紀見峠の高台に立つと、正面の遠くに高野山を見晴らすことができる。 山並みや虫の鳴く声、すばらしい景色、環境に囲まれています。 岡は「計算も論理もない数学をしたい」といって周囲を驚かせたのですが、 この山中でまさに計算も論理も超越した数学の喜びに浸っていたのかもしれません。

--岡が言う情緒とは何なのでしょうか

森田 岡は「自然数の1が何であるか数学は何も知らない」と著書で繰り返し書いています。 数学の始まりの数である「1」が何であるのかは議論しなくても、脳の中でありありと分かる。 逆に「1は何か」を数学的には定義できないし、 「1」を説明しようとするあらゆる試みは「1」の直感を頼りにしてしまっています。 だから数学は数学自身によって支えられているのではない。 計算や論理に先だって数学を支えているもの、それは実感であり、情緒であると言っているのです。

--数の感覚はどこから来るのでしょうか

森田 脳が「数覚」をどうやって生み出しているのかという研究があります。 ここに1本のペンがある。1本のペンだとすぐ分かる。 2本なら2本、3本なら3本ということを瞬間に分かる能力を認知科学でスービタイゼイションと言いますが、 この能力は3か4で止まってしまう。 だから数字は、漢字の「一」では横棒1本で、「二」は横棒2本、「三」は横棒3本だが、「四」は横棒4本でない。 横棒が4本になると数えなければ分からなくなるからです。 回転すし屋さんでお皿3枚はぱっと見て分かるが、4枚ぐらいになるととたんにあやしくなる。 人間の認知限界はだいたいこの辺にあります。

--おもしろいですね

森田 脳は数学をするために進化してきたわけではないんです。 38億年の生命史のなかで、「36×73」なんて計算をすることはなかった。 いきなり計算をしろといわれて、脳はどうしたかというと、計算するためではない部位を使う。 その結果、情報が混在して、例えば5という数字を思い浮かべるつもりでありながら、 5という数字に伴う空間感覚や時間感覚、 あらゆる具体的感覚が一緒に到来してしまって数字に具体的な質感を感じてしまう。 人間が数字に向いていないことによる副作用でもあるのですが、 逆に言えば、それが岡が言う「数学が実感に支えられている」ということになります。

--岡の研究スタイルは

森田 海外では「Oka」といえば、数学者集団だと信じていた人がいるぐらい、壮大な数学的風景を作り出しました。 岡は生涯で3つの大きな発見をしたと回想していますが、その前に必ず行き詰まったと語っています。 1年、2年ではなく、6、7年も行き詰まった。 さすがに6、7年行き詰まると頭ではやることがなくなるんです。 計算でできることはたかがしれている。理論的にやれることもやり尽くしている。 「やるのは情意であって、知は働きようがない」と岡は言います。 そうすると頭でないどこかが動き出してくる。 岡の数学日記を読むと山に登って花を観察したり、スケッチをしたり、自分の脳よりも大きなところで数学をしている。 数学は脳で閉じていない身体的な行為なのです。

言語は、意識的に表面に現れるものと、無意識的に創出するものとの“二重性”を 持っていますが、数字の概念も記号として視覚的に捉えられるものと、情緒という無意識層との連関としての“二重性”があると言うのは、非常に奥の深いものを感じている。


おまけ:
高瀬正仁「岡潔―数学の詩人」より 奈良女子大学

プリンストンの高等学術研究所で岡潔の研究成果を講義したカール・ルートヴィヒ・ジーゲルは、20世紀を生きた数学者だが、 前世紀、すなわち「理想を追い求める心」が偏在していた19世紀のドイツの数学の魂を継承する偉大な数学者である。 (第一次世界大戦もそうだが)第二次世界大戦あたりを境にして数学の潮流は大きく変り、 理想を追い求めるというロマンチシズムよりもむしろ抽象性を尊ぶという方向に傾斜したが、 ジーゲルはこれが不満で、抽象的な数学を「空集合の理論」と呼んで軽蔑した。

フランス生まれのアメリカの数学者サージ・ラングが『ディオファントス幾何学』(1962年)という数論幾何の本を出したときのことである。 この本にはかつてジーゲルが証明した定理なども紹介されていたのだが、ジーゲルはこの書物の記述様式を慨嘆し、イギリスの数学者モーデルに宛てて手紙(1964年3月3日付)を書いて、「ラグランジュやガウスなど、数論の偉大な師匠たちが開いた数論の花園に闖入(ちんにゅう)した一匹の豚のようだ」などと酷評した。

「一匹の豚」というのはこの本のことのようでもあり、著者のラングのことのようでもある。ひたすら抽象に向かおうとする数学の新傾向は、数学者の世界にも大きな亀裂を生み出したのである。

昭和33年(1958年)の春、来日したジーゲルは岡潔との面会を強く望み、奈良に岡潔を訪ねていった。 『春雨の曲』に書き留められた回想によると、ジーゲルは「おお、オカ」と言って抱きついて、
「近ごろの数学をどう思うか」
と、いきなり尋ねてきたという。ジーゲルは論文を通じて岡潔を知り、同じ数学の心が共有されている様子を目の当たりにして、心から共感し、共鳴していたのである。


(つづく)



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  by Kikidoblog | 2015-08-27 14:53 | 岡潔・数学・情緒

2chから拾って来た岡潔博士の文章2:東海林さだお「岡潔センセイと議論する」

(つづき)

(い)
東海林さだお「岡潔センセイと議論する」
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ボクは数学と聞いただけで、数々のいまわしい思い出が、頭をよぎるのである。
解析Ⅰ、解析Ⅱ、幾何、ああ思い出してもセンリツが背中を走る。
数学の授業が始まって終るまでの、あの重苦しい、長い長い灰色の時間よ。
試験の答案をもらうとき、女生徒に見られぬように、パッと引ったくり、すばやく折りたたみ、
卑屈な笑い浮かべて、教壇から自分の机に戻る足どりの重さよ。
考えてみれば、ボクは、あのころから女のコにモテなかったなァ、
と思い出は、よくない方へ、よくない方へと拡がるばかり。
岡先生は、こともあろうにその数学の先生なのである。
考えれば考えるほど身がすくむ。
編集部の人の話によると、今回は、数学の話ではないという。
岡先生の近況は、数学から離れ、
荒廃する日本の行く末を案じて自宅に道場を建てられ、念仏三昧の毎日を送っておられるという。
今回は、岡先生が、どんなふうに日本の行く末を案じておられるのか、
また、次代のにない手である若者をどうお考えになっておられるのか、
そこのところを、ボクが、若者の代表としてうけたまわってくるという趣向だという。
それではということで、早速、編集の人と二人で岡先生の住む奈良へ電話をかける。

「もしもし、こちら文芸春秋の浸画讀本の者ですが、今回、『にっぼん拝見』という企画で、
東海林という浸画家が、ぜひ先生にお目にかかって、お話うかがわせていただきたいわけなのですが」
「なに?漫画家が?わたしに?……なぜ漫画家がわたしに会う必要があるのです。
漫画家はふざけて書くから会いません。会いたくありません」
「そこを、ぜひなんとか……」
「日本はいま、どういう時だと思いますか?」
「……」日本は、どういう時かと聞かれ、一瞬ちんもく。チト待てよ、たとえば安保の……
「では、さようなら」
ガチャン。
いったい、なにがどうなったのか、ボクは呆然と受話器を見つめるばかり。
だが現代のマスコミというものは、こんなことぐらいで、ひるむものではないのである。
とにかく奈良まで行きましよう、行けば行ったでなんとかなりますよ、ということになってしまうのである。

一月の奈良は、氷るように寒い。
奈良の山を背負った田ンボの中に、岡先生の新居が見えてきた。
文化勲章受賞当時、六畳二間の文化勲章と騒がれた家を引きはらって、
二年ほど前に建てられた白壁の大きな家である。敷地も二百坪はあると思われる。
このへん、坪いくらぐらいするだろうと、俗塵にまみれた漫画家は考える。
ともすれば、ひるむ心にムチ打ち、玄関のベルを押す。
たぶん、お嬢さんと思われる人が出て来て用件を聞き、「しばらくお待ちください」といって引っ込む。
家の中で協議が行なわれているのであろう。緊張の十分。
そして、「お会いするそうです。お上がりください」といわれたときは、
うれしさと、緊張のあまり足がもつれ、よろめくように座敷にころげこんだ。

浸画家といっても、漫画界では一流の、人品いやしからぬ紳士が、ゆったり現われると思いきや、
ヘンなアンチャンみたいのが、赤い背広着てドタドタところげこんできたのであるから、先生としても、さぞビックリされたことと思う。
だが先生は、優しい瞳をして、静かにすわっておられた。
蓬髪、痩躯、鶴のように痩せた、という表現そのままに、先生はキチンと正座されている。ボクも座ぶとんの上にキチンと正座する。
「わたしとしては、漫画家には会いたくないが、東京からわざわざおいでになられたのであるから、
わたしの最近の心境のようなものでしたらお話ししましょう」
といわれる。
早速、メモ帳出してキッとかまえたが、ボクはここ数年、正座というものをしたことがない。
一分とたたないうちに、足がしびれてくる。
足もしびれるが、ボクのズボンは安物なので、ヒザが抜けてしまわないか、それも心配である。シワだって寄る。

先生のお話は、まず日本の防衛論から始まった。
先生のお話は、急に飛躍したり、前後がつながらないことが多いが、
これは、先生の頭脳が、通常人の約二万七千倍も速く回転するせいであると思われる。(この二万七千倍については後述する)
「エー日本は兵力の放棄をうたっておりますが、相手の国が(兵力を)放棄するかどうかを考えていません。
(これでは)いったいどうなりますか」
「そして民族の団結心がない。国を愛していない。みんな自己主張ばかりしています。
そしてみな、物質中心の考え方しかしない。こんな状態が続けば国は亡びます」
「あのォ安保条約に関して先生は……」
「今いうよ」
「ハハーッ」
「安保は存続させるべきです。日本のこんにちの繁栄は、安保があって(米軍に)守ってもらっているからこそ、こうなったのです。
もしこれを放棄して、米国が日本から去れば、中共は必ず攻めてきます。これは自明です。今の日本人は、こんなことさえもわからないのです」
「ハハーッ」
「そして日本は、今や、亡国直前のユダヤと同じです。みんな、儲けることしか考えない。
そして団結心がない。そして国を愛するという気持ちがない。日本は亡びます、十中八九亡びます」
「ハハーッ。亡びます……と」

ここからお請は情緒の問題に急転換する。
お話のあいだ中、ずっと体は左右に揺れ続け、ハイライトを口にくわえるが、火はつけない。
つけないでまたテーブルに置く、またくわえるということをくり返す。
「情緒の元は、すべて頭頂葉にあります」
ボクの足のシビレは限界に来たが、先生は決して、「おたいらに」といってくださらない。
やむなく、先生のスキをみて、ソロソロとヒザをくずしにかかる。
「最近の人間は頭頂葉を使わずに、前頭葉ばかり使っています。
自然科学的なものの考えの元は前頭葉にあります。西洋人は前頭葉ばかり使ってきました。だから物質第一主義となったのです」
この頭頂葉という言葉は、先生のお好きな言葉であるらしく、じつにヒンパンにお話の中に出てくる。
そして「頭頂葉」といわれるたびに頭のテッペンをバシッとたたかれる。
そのありさまは、ほんとにバシッという感じで、先生の腕時計が、そのたびに、カチャカチャと音を立てるほどなのである。
「日本人は、大型景気に浮かれ、借金をしてどんどん設備投資をしています。
借金だから利子を払わなくてはいけません。ですからそのうち、大量倒産時代が必ずやってきます。
そのとき日本人は団結心がないからたちまち亡びてしまいます。それもみな、情緒というものを忘れてしまったからです。
それは、頭頂葉(バシッ、カチャカチャ)を使うことをしないからです」
そうして先生は「国が亡びるのを座視するに忍びず」その対策を、本に書いたり、人にいったりしてきたのであるが誰もわかってくれない。
「日本人は情操を解するただ一つの秀れた国民です。もともと頭頂葉(パシッ、カチャカチャ)の発達した国民です。
それがいつのまにか、こんなことになってしまった。情けないことです。日本はもうすぐ亡びます」
話が佳境にはいり、熱してくると、体の揺れも激しくなり、「頭頂葉」の出てくる頻度も激しくなり、
当然、頭をたたかれる回数も多くなる。バシッ、カチャカチャも多くなる。
しかし、あんなに頭をたたかれては、頭頂葉のために、よくないのではないだろうか。
あるいは、ああして頭頂葉を鍛えておられるのだろうか。

お茶が出、コーヒーが出て、話はどんどん発展する。
「とにかく日本は、いま、亡国寸前です。亡びるのは自明ですから、それまであなたは漫画でも書いていなさい」
「ハイ。そうします」
 お茶を飲みすぎて、ボクの膀胱は、ついに満タンになってしまった。
「あのォ、おトイレは」
「だいたい今の人間は自然科学を重視しすぎます。自然科学で、人間はなにを知りえたでしょうか。
たとえば、今私は坐っている。立とうと思う。そうするとすぐ立てる。これもまた不思議なことです。
全身四百いくつの筋肉が統一的に働いたから立てたのです。
なぜこんなことができるのか。自然科学はなにひとつ教えてくれません」
膀胱をしっかり押さえつけ、シビレる足をなでつつお話を拝聴する。
「今、全学連が騒いでいますが、先生としては……」
「あんなことをしてもなんの役にも立ちません。すべて物質中心主義、自然科学過信がまねいた結果です」
「あのォ、宇宙開発が今盛んに……」
「いくら物質を科学しても、何も得られません。ムダなことです。
宇宙を開発しても人間は幸福になりません。大切なのは心です」

「最近の女性は……」
「最近の女性は、あれはいったいなんですか。性欲まる出しにして尻ふりダンスなどしておる。
まったく情操の世界から逸脱しておる。セックスは種の保存のために必要です。
仏教では親が子を生むのではなく、子が親を選ぶのだといいます。
ですから男女のまじわりは気高く行なわねばなりません」
セックスについて語るのに「気高く」という表現が使われたのでボクは一瞬息をのむ。
「最近の若者の無知ぶりはひどい。わたしはせんだってある女子大生の知力をはかってみましたところ、
わたしの二万七千分の一しかありませんでした。そして最近になって、もう一度はかってみましたら、
さらに、そのときの三十分の一になっていました。これはじつに、合計百万分の一ということです」
(略)
「日本の最近の男女の乱れぶりは亡びる前のアテネに似ています」
先生はここで急に声をひそめ、
「日本の共産主義の若いものは、『歌って踊って恋をして』の方針でやっているらしい。
わたしが最近、親しい僧侶から聞いた話では、
男たちが、若い女性を輪姦して、それで女が喜びを知って共産主義に走るということをしているらしい。
これは、私が相当の地位にある僧侶から聞いた語だから、ウソではないでしょう」
ボクは岡先生の口から輪姦という言葉がとび出してきたのでびっくりしてしまった。
そして、老いたる高名な僧侶と先生が、ヒソヒソと輪姦の話をなさっている場面を、思わず想像してしまったのである。
「それにしても」と先生は続ける。「こんなことをして、ほんとうに日本はどうなるのでしょう。
まちがいなく亡国寸前の姿です。日本はまもなく亡びます。十中八九亡びます」と、
おいとまを告げて玄関に出たわれわれに、さらに先生はこう続けられたのである。
玄関で靴をはく間もボクの心は深い憂いに沈んでいた。どうやら日本はまもなく滅びるらしいのである。
本当に日本はどうなるのだろうか。この非常のときに、漫画など書いてていいのだろうか。
不安が次第につのり、胸がいっぱいになり、ぼくはヨロメくように玄関から退出したのである。(略)

「岡潔センセイと議論する」より 解説(野坂昭如)

岡潔へのインタビュー、というよりその形を借りて、
老先生を肴にした文章/名にし負う狷介孤高偏屈独断の人物を相手に、
その周辺をとびはねているだけの如くみえて、
余人の誰も描き出せなかった岡の人物像を、見事、浮び上らせたのだ。


(つづく)



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  by Kikidoblog | 2015-08-27 14:51 | 岡潔・数学・情緒

2chから拾って来た岡潔博士の文章1:「第一の発見」「第二の発見」「第三の発見」

みなさん、こんにちは。

さて、せっかく岡潔のことをメモしたから、そのついでにちょっとメモを加えておこう。

横山さんの岡潔思想研究会に問題があるとすれば、やはりそれは「ゆっくり」ということかもしれない。

なにせ、研究会で読んで、理解してから文字に起こすわけだから、自分たちが理解できないことやまだその作業中のものは文字にならない。だから、ましてや岡潔の死の直前のもっとも霊的に高いレベルの講演やら著作はまったく手が付けられていない。

また、岡潔は超人的な大数学者である。一般人は岡潔が語る科学や数学にちょっとでも関与すれば理解不能になる。だから、数学者岡潔の思想圏を理解するには、読む方も考える方も岡潔並みでないと不可能なのである。

その点、「俺の本を翻訳するには俺以上の哲学者たれ。さもなくばならん」といったショーペンパウエルの言葉が蘇る。

そんなわけで、横山さんの研究会にはまったく手が付けられずに眠っている文献や資料も山のようにあるらしい。

そういうわけだから、こちらが期待するものが出て来るのを待っていれば、それまでにこっちの方が先にお陀仏かもしれないわけだから、気の短い人間は我慢できないだろうヨ。

そこで、俺は考えた。

ひょっとして、インターネット内でだれか横山さんの資料以外の情報を提供したものがいないのか?

ビンゴ!ピンポ〜〜ン!

あった、あった。なんとかの悪名高き痰壷である2chにあったのである。以下のものである。
岡潔

今回はそんな中の興味深いものをメモしておこう。

(あ)数学上の発見の話
第一の大発見

私は西暦1925年に大学を出て、1929年の春に船でフランスへ向かった。 その途中でシンガポールへ寄ったのである。 私はそのとき二つほど習作はしていたのだが、こんどはライフワークを始めようと思った。 それには数学のどの分野を開拓するかを決めなければならない。 つまり開拓すべき土地が問題なのである。私はそれさえ決めればよいのである。 こんなふうだったのだから、産業界は工業時代から情報産業時代に移ったと聞くとよくわかる。

ソルボンヌ大学(パリ大学)とはどういう所かといえば、授業料は三種類ある。 一つは講義を聞くためのもの、一つは図書館を使うためのもの、一つは学位論文を審査してもらうための手数料である。 人員に制限もなく国籍も問わない。授業料さえ払えばよい。 アメリカ人はずいぶん来ていた。家庭教師を雇うより留学させたほうが安くつくからである。 数学教室は独立した建物になっていた。ロックフェラーの寄付で建てたのである。 アンリ・ポアンカレ研究所という名がつけてあった。

そこには大きな講義室が二つあった。小さいのはずいぶんあったが、いくつあったか知らない。 大きな部屋にはフランスがほこる大数学者たちの名をとって、 一つをエルミットの部屋、一つをダルブーの部屋といった。図書館がついていた。

私が着いたときは、もう夏休みに近かった。 この大学の夏休みは非常にながい。一年が三つにわかれていて、特別講義は毎年変わるのだが、その講義は最後の三分の一だけで、 先生たちは初めの三分の一は文献の準備、 次の三分の一の夏休みにだいたいの研究をすませて、 最後の三分の一でそれを講義しながら書き上げているような気がした。 先生のお弟子が講義の速記をする。それを先生が見て直すべきは直して、毎年本にして出す。 要点だけを抜き出して論文も書くというふうにしているようにみえた。 論文は夏休みがすんでから講義が始まるまでの間に書くのかもしれない。

私はその年度はその図書館の閲覧できる授業料だけを払った。それでもうパリ大学の学生である。

パリ市は城のあとである。その南の入り口にモンスーリーという公園があって、その外側に大学都市がある。 まだ城郭の内側だが、ここだけは自治を許されていて、パリ市は関与しない。 そのいわば国際的自治都市の中に日本会館もある。私はその一室を借りていた。 私のすべきことは、この図書館を相談相手に、この学年中にライフワークのための土地を選ぶことである。

そんなこと、日本でしても同じではないかというかもしれないが、 日本にいてはそれができないし、フランスにおれば易々とできるから全く不思議である。 何しろここは、ギリシャに源を発するラテン文化の流れを真向きに受けている国だから、 ただクラゲのようにポカポカ浮いてさえおれば、流れがおのずから着くべき所へ着けてくれるのである。

これが環境というものである。もちろん地上の影をそう呼んでいるのであって、これは生命のメロディーの影なのである。 彼らはそれを自覚してはいないが、やるのはそれでやっているのである。

論より証拠、だいたいその学年中にはライフワークの土地として、多変数解析函数の分野が見つかった。 それで、次の年には講義を聞くことのための授業料を払った。 そして世話してもらえる先生の家を訪ねた、私はそこで、先生の論文を少なくとも75はもらった。 しかし読んだのは二つだけである。しかもそのうちの一つは、日本で読んでいたのである。 この論文は広島の大学(後に岡が赴任する広島文理科大学、現在の広島大学)の私の部屋の書物棚へ入れておいたのだが、 私がそこを(広島事件等のために)やめた後も、いくら送ってくれといっても送ってくれないのでそのままにしておくと、 原爆で焼けてしまった。
三年目も学位論文の審査のための手数料は払わなかった。習作は日本で二つしていたし、フランスでも二つしたが、 そんなのを審査してもらって学位をもらっても仕方がない。

ではなぜ、留学は二年だのに頼んで三年いたのか、というと、 私はフランス文化をそれほど高く買っていなかったのであるが、これについては後に述べる。 ではなぜかというと、私は芥川の好きな中谷治宇二郎君(「日本先史学序史」の著者)とすっかり気が合ってしまって、 もうしばらく一緒にいたかったからである。 今になってこれが私にたいへん役立ったことがわかる。 私はじっと動かないし、この人はなんだか永遠の旅人という感じである。

ところでそのラテン文化であるが、私にはなんだか、「高い山から谷底見れば瓜や茄子の花盛り」という気がした。 この土地はいわば高原のようなものであって、その山に上る第一着手は、30年近く誰にもわかっていないのである。 十中八九、私にも見いだせないかもしれない。しかし一、二、可能ではないといい切れないふしもある。 よしやってやろう。私にできるかできないかわからないが、私にもできないのに、フランス人にできるはずがなかろう。 こう思ったから、これをやると決めたのである。
ラテン文化は実際は、私が思ったよりずっと底が深かったのであるが、これも日本に帰ってみて初めてわかった。 これも、というのは、この随想でいったかいわなかったか忘れたが、 私はフランスへ来て、初めて日本のよさがはっきりとわかったのであった。

今や私には問題はしぼられて、第一着手の発見が問題である。 私はパリのあらゆる文化をこの発見に役立てようとした。

私は1932年に日本へ帰って、(京大から厄介払いされて)広島の大学へ勤めた。 ずいぶんこの問題の解決の探求の邪魔になるのだが、 (ドイツでなくフランスに)洋行させてもらって、しかも一年延期してもらったのだから仕方がないのである。 そのうち1934年の暮れになった。

ドイツのベンケがトゥルレンに手伝わせて多変数解析函数の分野の文献目録のようなものを出してくれた。 私はそれが手にはいったから、翌1935年の一月二日から、それを持って私の部屋に閉じこもった。
これは私には箱庭のように思える。それを二ヵ月かかって丹念に心に描き上げた。今や困難の全貌は明らかである。 問題はその上へ昇る第一着手を発見することである。

私はくる日もくる日も、学校の私の部屋に閉じこもって、いろいろプランを立てては、うまくいきそうかどうかをみた。 日曜など、電気ストーブにスイッチを入れると石綿(アスベスト)がチンチンチンと鳴って赤くなっていく。 それとともに心楽しくなる。きょうは一日近く自分のものだし、 昨日まで一度もうまくいかなかったということは、きょうもまたうまくいかないということにはならない。 そう思って新しいプランを立てる。日が暮れるころまでにはうまくいかないことがわかる。

そんな日々が三月続いた。私には立てるプランがなくなってしまった。 少しも進展していないし、もうやりようがないし。

私は、これもパリでしばらく非常に親しくしていた中谷宇吉郎さん(理化学研究所所員、人工雪の製作に世界で初めて成功)、 この人は治宇二郎さんの兄さんで寺田先生(物理学者寺田寅彦、東京市生まれ、高知市出身)のお弟子なのであるが、 その人が、北海道へ遊びにこいといってくれたので行った。 そんなことをしている間も、知的にはもうすることがないのであるが、情意は働き続けていたのである。

中谷さんのいる札幌へ着いて、中谷さんの家の裏へ下宿した。 札幌の大学は講師の阿部社長(寺田先生のお弟子で、北海タイムス社長)の部屋を貸してくれた。 私は毎日そこへ行くには行くのであるが、何しろ知的にはもう私にできることはないのだから、 十分もたてば眠くなって、そこのソファに寝てしまう。 そのうわさが北大の理学部中にひろまって、口の悪い吉田洋一さんの奥さんが、嗜眠性脳炎という仇名をつけてしまった。

中谷さんは、「岡さん、札幌は失敗だったね」といった。 この嗜眠性脳炎の時期が、札幌へ来る前から数えて、三月続いた。 そうこうしているうちに九月にはいって、もう広島へ帰らなければならない日が近づいていた。 そうしたある日、中谷さんのお宅で朝食をいただいた後、いつもは一緒に学校へ行くのだが、 その日は妙にじっとしていたくて、一人残って応接室にすわり込んでいた。 二時間近くもそうしていただろうか。

そうするとパッとわかったのである。この種の発見に伴う悦びが、ながく尾を引いた。

疑いは少しも伴わない。私はその後を考えた。これが多変数解析函数についての論文Ⅰになるのであるが、 私には後のⅤまでは大した問題のないことがわかった。

Ⅰを書いたのは翌年の蛙鳴くころである。

第二の大発見

日本の文化の本質を調べてみて、 数学における情操型発見を詳しくお話ししておくことがどのように大切であるかがよくわかって来た。 それで話を少しもとに引きもどしてお話ししよう。

京大数学教室の二年以後の有り様から言おうというのである。 当時の教室の教授は四人で、うち一人は和田先生であったから、残りは三人である。 河合十太郎先生が函数論を、西内貞吉先生が射影幾何学を、園正造先生が代数学及び数論を教えられた。 ほとんどこの先生方の講義しかなかった。 この講義時間数が非常に少なかったということが、この教室らしく教えるには非常に大切なことであった。

私は意識してこの教室に入ったのではない。しかし入ってみるとここも神代の文化を教える所であった。 百花繚乱の花園に遊ぶようである。それでいて私は一日一日目が開けて行くような気がした。 かようにして私は数学研究を始めるための雰囲気を用意してもらったのである。 花が開くためには春の気が必要なのである。

数学研究の初めの頃は、私はインスピレーション型発見ばかりした。 しかしこれは情操型教育の上でインスピレーションを感じていたのである。

初めは、数学は西洋の学問だから、西洋にやり方を学んだことになって、こうなったのだと思う。 だんだん研究に習熟するとともに、東洋本来の型である情操型発見が出るようになった。

私の多変数解析函数の研究には三つの難関があった。 第一論文で突破したものと、第六論文で突破したものと、第七論文で突破したものとである。 そのうち第一論文はインスピレーション型発見、第六論文は(中間の)梓弓型発見、第七論文は情操型発見である。 これらについてお話ししようというのである。

第一論文を書いたときから私はこの第六論文の突破法について色々考えていた。これが研究本体であった。 私はゆるゆる書きながら暗中模索を続けたのであるが、少しもわかって来ないうちに第五論文まで書いてしまった。 いよいよこの難関を何とかして通らねばならぬ。

その頃日本は日支事変の最中で、国民精神総動員のやかましく言われている頃であった。 私は広島の大学をやめて郷里の和歌山県で研究していた。

論文で言って、第五までと第六からとは、問題の型が違うのである。 第五まではそうなることを言えというのであり、第六のものはそんな風に作れというのである。 初めのものは函数論的であり、あとのものは解析学的である。

私は解析学におけるものの作り方を一応しらべた。そんな作り方は何もない。 それで思った。 今の数学の進歩の状態でこの問題を解けというのは、まるで歩いて海を渡れと言うようなものである。

そう思うと急に実際それがやってみたくなった。それでちょうど台風の襲来が予報されていたから、 (広島事件同様家族に無断で)台風下の鳴門の渦を乗り切ってやろうと思った。

それで大阪港から船に乗ったのだが、台風はそれて、まるで春のような海を見せてもらっただけである。

読む本もないままに年が変わって蛍の季節が来た。 当時、もと紀見峠の上にあった私の家は軍用道路になってしまったために、 私は峠を南に下りた麓の所に家を借りて、家内と子どもたち三人とで住んでいたのだが、 毎夜一家総出で蛍を取って来ては裏のコスモスの茂みに放してやり、 昼は毎日(近所の子どもたちにからかわれながら)土に木の枝でかいて、 解析学の諸々の作り方を、もう一度、きちきち調べ直してみた。 そうしているうちにだんだん要求されている作り方の性格がわかってきた。

それで、フレッドホルム型積分方程式論の冒頭の二頁ほどを残して残りを切り捨ててみた。 この切り捨てるという操作がこの際絶対に必要なのである。

そうすると何だか使えるかも知れない、一つのものの作り方が出て来そうに思えたからそうしてみたのであるが、 それを実地に使ってみると果たしてうまく使えた。 難関は突破されたのである。

帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 開戦

こうして研究一本槍の毎日を送っていた潔であったが、1940(昭和15年)の10月に京大から理学博士号を受けた。 これは、金銭的なプラスにはならないが、それまでの研究(第一論文から第五論文まで)が認められたということである。 しかし潔は学位には関心がなく(フランス留学中の時にもそうであった)、もらうことを強く拒否したが、 周りから説得されてしぶしぶ受けたのであった。

第三の大発見

第七論文に移る。私は中谷宇吉郎さんの御厚意で北大理学部から「理学部研究補助を嘱託す」という変わった辞令をもらって札幌市に下宿して、何をしてよいかわからないから、功力教室の人たちに詰将棋を詰めさせたり、ピアノを聞かせたりしていた。

冬の初めだったかと思うが、石炭ストーブのよく燃えている下宿の一室で十時頃まで寝ていると、下宿のおかみさんにあわただしく起こされた。行ってみるとラジオが真珠湾攻撃を放送していた。私は、しまった、日本は亡びたと思った。

そして茫然自失していた。 当時の私の心境を、次のある無名女流作家(横井栄子という歌人)の歌がぴったり言い表している。

窓の灯に うつりて淡く 降る雪を 思ひとだえて われは見ており

しかし、やがて一億同胞死なば諸共の声に励まされて、それもよかろうと思って、数学の研究の中に閉じこもった。そしてある時期から後は、もっぱら次のテーマに没頭した。多変数解析函数の分野における不定域イデアルの研究。このテーマに関して、アンリー・カルタンが一つ非常に重要な結果を出している。しかしほかに誰も研究したことを聞かない。

この研究は非常に面白かった。しかし、どうしても完成できないままで終戦になった。

予想通り完敗したが、意外にも亡びなかったのである。これは一つはキリスト教のお陰であって、今一つは陛下のお陰である。

終戦になると、それまで死なば諸共と言っていた同胞が、こともあろうに食糧の奪い合いを始めた。私は生きていることも死ぬことも出来なくなった。それで存在の地を仏道に求めた。

(戦中から紀見峠に戻っていたが)終戦後第三年目の五月頃、私は光明主義のお別時(別時念仏)に就いた。 五日泊り込みで修行するのである。これが終わってあとの有り様は前に書いたが、最も大切な点であるからもう一度繰り返す。

帰りの京都の市内電車は非常な雑踏であった。私はズック靴をはいて腰掛けていたのだが、前の、立って下駄をはいている人に下駄で足を踏まれた。しかし私は、二つの足が重なり合ったな、くらいにしか思わなかった。お別時まではこの情景を見て、生きるに生きられず死ぬに死なれなかったのである。

日本人は、何となく外界は自分の心の現われと知っているのが本来の型であるから、心をお掃除すれば外の情景が全く変わるのである。

これが情操型研究のよって来る所である。

私は家に帰ると、また研究を始めて、毎日一時間ほどお念仏しながら、心の中に描いておいた不定域イデアルの姿を詳細に見直していった。私の、自分の心の中を見る目は、驚くほどよく見えるようになっている。

そのうち、一次方程式の形式解の局地的存在を言う問題の所に目が留まった。前にはこの一区画を本当に見極めてはいない。

よく見ると、すぐにこの存在が言えた。証明は二頁くらいである。そうすると解きたいと思っていた問題は皆完全に解けた。研究は完成したのである。

私はあくまでも「是心是仏」派らしい。

帯金充利「天上の歌―岡潔の生涯」より 高木貞治との交流

さて、こうして数学的に見れば歴史に名が残るような偉業を成し遂げた潔であったが、その生活は日増しに苦しくなる一方だった。潔は後にある数学者に、
「自分は数学の研究に打ち込んだので(生活の中で数学したのではなく数学の中で生活したので)、
まず田畑がなくなり、次に着る物がなくなり、次に住む家がなくなり、しまいには食う物もなくなった」
と言ったことがあるというが、その「食う物もなくなった」という状態になってきたのである。

それで潔が考えたのは、奨学金のようなものをもらうことであった。 生徒や学生ではないから奨学金というよりも「研究補助」と言う方が当たっているかもしれない。 要するに、潔が1941年から42年にかけて北海道帝国大学に行っていたようなシステムということである。

潔はそれを、当時すでに日本数学会の第一人者であり、世界的にもその名を知られていた高木貞治(1875~1960)に託したのであった。

高木貞治は、その名著『解析概論』とともに多くの理系の人間にその名を知られている。 そして(ドイツ数学を呑み込んでしまった)類体論の創始者として世界中から注目された数学者である (今、日本を代表する数学者を二人上げろと言われたら、百人中百人が高木貞治と岡潔の名を上げるだろう)。

昭和22年の4月18日という日付をもつ高木宛の手紙は非常に重要である。 その中に、前年までの研究で解明されていない問題が二つあることが書かれているからである。 それは、次の二つである。

Prob.E―(局所的に)Riemann面を抽象的に与えて、それを生む正則函数を求めること。

Prob.H―任意のRiemann面を(R)とし、その上の任意の点をP0とする時、
(R)はP0の近傍において、もしそれらを生む正則函数をもつならば必然的性質H'をもつか。

そして、潔はこう言う。

所で、先生に申し上げたいのは、其の本質的な部分は解いて了ったと思った(今でもそう信じて居ますが)
其の瞬間に、正確には翌朝目が覚めました時、何だか自分の一部分が死んで了ったやうな気がして、洞然として秋を感じました。それが其の延長の重要部分が、上に申しました様に、まだ解決されて居ず用意には解けそうもない、と云ふことが分って来ますと、何だか死んだ児が生き返って呉れた様な気がして参りました。 本当に情緒の世界と云ふものは分け入れば分け入る程不思議なものであって、ポアンカレの言葉を借りて申しますと、理智の世界よりは、或は遙に次元が高いのではないかとさへ思はれます。 又此の二つでは主観と客観とが入れ変って居るのではないかとも思はれます。物と物との結びつき方も全く違っていますし、ともかく一方だけを使ふのは、片足で歩く様なものではないかと思ひます。

これほど研究に対する情熱と自信がほとばしり出ている言葉があるだろうか。 これだけのことを成し遂げたというのに、潔の研究はまだまだ続くのである。

この手紙が書かれた翌年の1948(昭和23)年、潔は第七論文をフランスの学術誌「Bulletin de la Societe Mathematique de France」に送り、受理された。 これは、新たな研究の端緒を拓いたということを(高木への手紙にあるように、まだ解明しなければならない点は残っているけれども) フランスに報告したいという潔の気持ちの表われであろう。そもそも潔が論文をフランス語で書くというのも、その問題をフランスで発見したからであるが、その潔がついにその問題を解決してフランスに凱旋したのである (なお、潔は日本語については、「日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、簡潔にいい切ろうとすると、世界でこれほどいいことばはない」と言っている)。

こうして、潔が断行した「勤めをやめて研究に専念する」という生活は確実に実を結んだ。しかし、経済的には完全に行き詰っていた。もはや(ニート生活のままでは)自活の道はなく、(パンのために泣きながら)潔はそれまでかたくなに拒んでいた(奈良女子大学教授という)勤めを始めなければならなくなったのである。


(つづく)



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  by Kikidoblog | 2015-08-27 14:48 | 岡潔・数学・情緒

岡潔「嬰児に学ぶ」:人には第二の心がある。そのふるさとは頭頂葉である。

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父の言葉(My father's words)

日本人が櫻が好きなのは其の散り際が潔いからである。
(The reason why the Japanese people love Sakura is the way of the great grace moment when Sakura's flowers are scatteredly falling by the wind.)
−− 数学者 岡潔(Dr. Kiyoshi Oka, a Great Japanese mathematician)

数学者 岡潔思想研究会


みなさん、こんにちは。

高知の横山さんの主宰する「岡潔思想研究会」。久しぶりに新しい記事が掲載された。

まず横山さんが保存する岡潔のかつての講演のカセットテープを聞いて、それを手書きの文字に起こす。次にそれを右腕の吉井さんが病院で病床にある母親のところへ持って行く。するとそれを読むのを楽しみにし人が読める形にすることを生き甲斐にしている母親がパソコンに打ち込む。少しずつ、少しずつ。すると、今度はその文字データを吉井さんが、研究会のサイトに更新する。こうしてだいたい2〜3ヶ月すると、岡潔思想研究会に新しい記事が載る。

今回のものは、これである。
岡潔 「嬰児(えいじ)に学ぶ」の解説(抜粋)
講演日 :1969年10月26日
於 足利市民会館


今から46年前の講演である。

「嬰児に学ぶ」

とは、どういうことか?

というと、人はだいたい3歳前の記憶がない。つまり、3歳以前の出来事はすべて頭のどこかに記録されているはずなのだが、それを思いだすことができない。

では、1歳過ぎて言葉を話し始め、ちゃんと親や他の者たちの行っていることを見て、しっかり応答しているのは何なのか?

岡潔博士は、

これこそ「第二の心」だ

というわけである。

西洋人は、それを「潜在意識」として組み込まれるのだという風に矮小化して理解せざるを得ないが、そんなものじゃない。最初に人は「第二の心」から始まって、そこに「第一の心」が宿り始める。これが「自我」である。

つまり、脳がそれまで宇宙的に自我を持たずに活動していたが、前頭葉が育まれると徐々に自我や自意識が活動する。そして、いつしかその「第一の心」である自我だけが「精神」なのだというふうに考えてしまう。

これが西洋人の最大の特徴であり、同時に最大の欠点なのだ。

大事なことは、「第二の心」であるところの座、すなわち「頭頂葉」なのだ。

人にとってのアンテナの宿る場所。それが頭頂葉である。

日本人が最も発達させて来たのが、この頭頂葉の働きである。一方、朝鮮人や支那人や西洋人がもっとも使わなくなってしまったものもまたこの頭頂葉なのである。

彼らは「第二の心」の母である頭頂葉の活動を殺し、「第一の心」である自我の座「前頭葉」だけを異様に発達させた。

これが西洋の個人主義の座であり、思考の座である。が同時に、「木を見て森を見ない」という局所的思考に陥る原因を生む座でもある。

とまあ、そんなことを岡潔博士は生前何年も何年も国内のいろんな場所で講演した。

中でも、前頭葉の働きの最大の成果が我々の専門分野である「物理学」であるのだが、なんと岡潔博士は
「物理学はまったく100%間違っている」

とおっしゃられた。

だれも反論できない。なにせ、岡潔博士であらせられるぞ、頭が高い。普通の学者や凡学者は無視するしかない。

とまあ、そんなわけで、どういう意味で「物理学は間違っている」のかは、岡潔博士の主張から察して欲しい。以下のものである。
【8】 茫然自失のはずの物理学

これで物質は不生不滅であるという古来の観念は破れた。また物質を持って第一原因とするという理由もなくなった。にもかかわらず、他の自然科学は旧態依然としている。じゃあ物理学はどうかっていえば、物理学者は何よりも時間空間の全体を考えてるから、一体、素粒子はどこから生まれてきて、どこへ消えていくのだろうと不思議がって、茫然自失してるというのは本当でしょう。

本当は自然科学は救いようもない間違いを発見したということを知らない。どうすれば学説をごまかすことができるだろうかと、それに専念している。もうそれに専念しだしてから大分になります。如何にごまかすかったって、こんなん駄目ですよ。早く間違いを認めなければ。

それじゃあ一体素粒子はどこから生まれてきて、どこへ消えていってるのか。これについては先程挙げました山﨑弁栄(やまざきべんね)上人の「無辺光」の大円鏡智の章に答えが書いてあります。「素粒子は第2の心の世界から生まれてきて、また第2の心の世界へ帰っていっているのである」と。人の真の自分は第2の心、第2の心は不死です。大体、この、物質がそこから生まれてきて、またそこへ帰っていくくらいの不死です。

猶、自然科学が法則を充たすというのも嘘ですよ。山﨑弁栄(やまざきべんね)上人は、あの方は数々の奇跡を行なってられる。奇跡というものが本当にあるということと、自然科学が法則を充たす、即ち学問であるということとは両立しない。ところが釈尊やキリスト(は奇跡を行なった。しかし、)法則を充たすということが実験できると思いますか。できるはずない。

そしたら一握り。で、あれは昨日もそうだった、一昨日もそうだった、その1つ前もそうだった。だから今日もそうだろうというのと同じこと。つまり生きる為の知恵という。生きる為の知恵という、それも物質現象に限られてるというものならば、猿はそんなもの持ってます。人が自然科学を持っているということと、猿とはなんら区別のつけようがない。

人は道徳を持ってるから猿と違うのです。価値判断を間違ってしまっている。猿と同じです!生きる為の知恵です! しかも物質現象に限る! 今までそうだったから、多分、今日もそうだろうと思ってる。山﨑弁栄上人のような方が突如としておいでにならないとどうしていい切れる。まして神仏(かみほとけ)は無量にいますよ!誰一人来たってそうはならん。

ところで、この中に登場する「山﨑弁栄上人」とは、明治大正時代の最高の超能力者であった。
山崎弁栄記念館
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その生涯と宗教芸術
 山崎弁栄上人(1859~1920)は、日本近代における最高の宗教思想家である。また、みずからの不断の宗教的実践を通じて、その宗教体験の世界は限りなく深められていった。そして、その深奥の宗教体験がそのまま宗教的世界観を創造的に展開していった。まさに上人は近代において活躍した希有ともいえる偉大な宗教的天才であった。
 また上人は、芸術的な才能にもめぐまれ、仏画や書等において無尽に豊かに宗教芸術世界を開いていった。


さすがにこう言われると我々物理学者は身も蓋もない。しかしながら、それは事実である。今の物理学は間違っている!

なぜか?

それは岡潔博士が聞く質問に対して答えられないからである。
それじゃあ一体素粒子はどこから生まれてきて、どこへ消えていってるのか。

答えよ、ホーキング!ブライアン・グリーン!エド・ウィッテン!

それに対して、我が国の山崎弁栄上人はこう答えた。
「素粒子は第2の心の世界から生まれてきて、また第2の心の世界へ帰っていっているのである」

聞いたか、ホーキング!ブライアン・グリーン!エド・ウィッテン!

つまり、前頭葉ができる以前の生命は「第二の心」とともに生きている。そういう世界とリンクしている。物質も単細胞生命も嬰児もみなこの宇宙と「第二の心」を通じて生きている。

ところが、情報処理の座である前頭葉が発達すると、短期的記憶、短期的処理、短期的思想、すなわち、個人としての思考、すなわち、個人主義が生まれた。

だから、西洋人には第二の心の世界は見えない。

ゆえに、下等生物やら高等生物やらを精神=自我のあるなしで判断して来た。かつて黒人は痛みを感じないから人間ではないと白人が言った。日本人は英語が分からないから人間にあらずと考えた。

これじゃああ〜〜、ダメなんだよ!


だから、西洋白人はダメなんだ!

とまあ、そう岡潔博士は分析した。

その結論がこれだ。
【10】 成壊(じょうえ)の劫(こう)

ところで、今いいました通り、世界は火の燃え盛ってるような世相です。これを詳しくいいますと、第1の心の世界は欲界と釈尊はいってる。欲界には「成壊の劫」というものがあって、避け難い。成は「なる」、壊は「くずれる」です。成の時期には何でもできていく。しかしながら、どんなに営々と作り上げていっても、壊の時期が始まるとどんどん壊こわれていく。

今、西洋文明は壊の時期に入ったのです。その1つの現れが世界を覆うている大学問題です。大学の壊れ方は、理屈なしに壊れていってるでしょう。あれが壊の始まりです。やがて国も滅び去り、人も滅び去る。これが壊の時期。欲界にいるものは皆そうなると釈尊はいってるんです。

だから放って置きゃあ、人類の滅亡まで間がないんです。さっき火の燃え盛ってる世相でいったんでもわかるでしょう。だから放って置きゃあ 壊の時期、これはもう全滅です、人類ね。その始まりが大学問題。あんな風な壊れ方で壊れると、俄然、こんな壊れ方で日本の大学が壊れると思ってなかったでしょう。これは欲界の壊の時期、西洋文明の崩壊です。放って置きゃ、人類滅亡する。
【11】 日本文明を起こそう

どうすりゃいいかというと、西洋文明の代りに日本文明を起こそう。西洋文明は言葉でいえる文明です。日本文明は言葉でいえない文明です。心の世界の文明です。言葉でいえない文明、無形の文明です。本当は日本は前から無形の文明があるんですよ。無形の文化が高い為に、中国から、インドから、西洋から、アメリカから、有形の文化を易々と取り入れたんです。

今度は本当にそれを表に出して、無形の文化、無形の文明、日本文明を作らなければならない。そうなるに決まってるんですが、それはこの地球上においてそうなるのか、数万光年か、もっと隔たった他の星においてそうなるのか、それはわかりません。私は同じ地球においてそうしたいと思う。その為には取りあえず、燃え盛っているこの火を消して、人類を全滅から救わなきゃいけない。そのあと無形の日本文明を起こすべきです。善、中心でなきゃいけません。

人が如何に生くべきかということですが、人の本当の自分は第2の心、即ち真心です。人がその真心を傾け尽くすに足る程の目標を捜しだして、これに真心を傾け尽くすということが真の生き方でしょう。その真心を傾け尽くすに足るものとして、この西洋文明はもうどうしても滅びる、その代りに日本文明を起こそうじゃないかといってる。

同じくば、この地球において起こそうじゃないかといってる。歴史に残したいですよ。他の星へ起こしたら歴史に残らんのです。男子一生の快事にやっぱり書いてもらいたいですね。それだったら人類を滅亡から救う。


実に単純明快。しかし、これが46年前の主張であるぞよ。

世見の人とか、昨今のスピ系の人なんていうのはすべて4番煎じでしかない。

さて、興味深いのは、岡潔博士のこの言葉。
そうなるに決まってるんですが、それはこの地球上においてそうなるのか、数万光年か、もっと隔たった他の星においてそうなるのか、それはわかりません。


はて?どうやってそれを知ったのか?

やはり岡潔博士は、ときどき木内鶴彦さんのように宇宙や時空を飛び回っていたとしか考えられない。

いや〜〜、岡潔博士は興味深い。

岡潔思想研究会の今後の記事を期待したい。



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  by Kikidoblog | 2015-08-27 12:12 | 岡潔・数学・情緒

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