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【超拡散希望】君はこの人を知っているか?「慰安婦バスター」谷山雄二朗を!?

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、ついに我らが日本人に「韓国プロパガンダ・バスター」が現れていた。その名も、谷山雄二朗氏。そして、これまた、安部首相の訪米前に、米国内から谷山氏の作った映画「スコッツボロー・ガールズ」が公開されたという。以下のものである。
『韓国の実情を暴露した映画』が”米国公開”され韓国世論が発狂。内容には全く反論する余地がない模様
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▲ スコッツボロガールズ(Scottsboro Girls)のDVD表紙
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日本軍慰安婦に対する歪曲した主張が盛り込まれた『極右ドキュメンタリー映画』が、安倍晋三総理の訪米期間にアメリカで初めて正式上映される。

問題の映画は、「慰安婦は自発的な売春婦であり、韓国には過去『妓生(キセン)』文化があった。現在も大勢の女性が売春をしている」という悪意的主張などで満たされていて、上映を巡って物議を醸している。

映画『スコッツボロガールズ(Scottsboro Girls)』は28~29日(現地時間)、アメリカのワシントン州エレンズバーグに位置するセントラル・ワシントン大学(Central Washington University)内の学生レクリエーションセンター(320人収容)で上映される予定である。安倍総理が上下院合同演説などのため、アメリカに滞在している時期だ。

この映画は慰安婦問題を扱った英語ドキュメンタリーで、2011年東京都知事選挙に出馬した日本の右翼活動家、谷山雄二朗が昨年9月に製作した。彼は上映期間中に直接この大学を訪問して、講演も行う予定である。

映画の上映はこの大学の日本人講師である、マリコ・オカダ・コリンズ(Mariko Okada-Collins)の招待によるもの。

映画『スコッツボロガールズ』は、慰安婦が日本政府によって強制的に動員されたというのは事実ではなく、金銭を稼ぐために直接志願した売春女性であると強弁する。

特に、慰安婦がまるで韓国の売春文化から始まったかような、『嫌韓論理』に寄り添ったごり押し的主張を展開する。

「韓国には1000年前の高麗時代からSEXを提供する管理売春システムの“妓生(キセン)”があった」とし、「韓国フェミニスト協会によれば、韓国人女性の25人に1人は金銭のために身体を売っている」という事を根拠に挙げている。


SCOTTSBORO GIRLS Trailer - スコッツボロー・ガールズ(予告編)


注目 「韓国による従軍慰安婦のウソを世界に知らせよう」 谷山雄二朗

他にも、多くのジャーナリストとの対談もあるらしい。
櫻井よしこ&谷山 雄二朗 慰安婦の濡れ衣払拭に英語ドキュメンタリーで反撃のキックオフ!!


トニー・ブレアと慰安婦の不都合な真実 [Tony Blair & Comfort Women] 谷山雄二朗

JB Interview "Propangada Republic of China" Michael Yon & Yujiro 谷山雄二朗 Taniyama


いや〜〜、すばらしい。

頑張れ、谷山さん!幸運を祈る。


おまけ:
なんとこの谷山雄二朗さん、あの不正選挙で当選した舛添要一の東京都知事選に出馬していたのである。
30万回再生後NHKに削除された東京都知事候補 谷山雄二朗 政権放送
(日本語より英語スピーチの方が上手ですナ。英語だと、バラク・オバマよりも上手である。)



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  by Kikidoblog | 2015-04-25 18:58 | 人物

坊っちゃんが「坊っちゃんそば」を食べる!:坊っちゃんのモデル弘中又一が通った福助

みなさん、こんにちは。

私も中学生時代には、仲間からよく「井口は坊っちゃんだからな」とよく言われたものだ。たまたまその頃は、父が元気で活躍し、我が家は破竹の勢いでリッチだったからだ。

さて、
夏目漱石
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の小説
坊っちゃん
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といえば、その主人公の坊っちゃんは、私が出た東京理科大学の前進の物理学校出の高校教師ということになっている。

坊つちやん

『坊っちゃん』(ぼっちゃん)は、夏目漱石による日本の中編小説。 1906年(明治39年)、『ホトトギス』第九巻第七号(4月1日発行)の「附録」(別冊ではない)として発表。1907年(明治40年)1月1日発行の『鶉籠(ウズラカゴ)』(春陽堂刊)に収録された。その後は単独で単行本化されているものも多い。

主人公は東京の物理学校(東京理科大学の前身)を卒業したばかりの江戸っ子気質で血気盛んで無鉄砲な新任教師である。漱石が高等師範学校(後の東京高等師範学校)英語嘱託となって赴任を命ぜられ、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で1895年(明治28年)4月から教鞭をとり、1896年(明治29年)4月に熊本の第五高等学校へ赴任するまでの体験を下敷きに、後年書いた小説である。

人物描写が滑稽で、わんぱく坊主のいたずらあり、悪口雑言あり、暴力沙汰あり、痴情のもつれあり、義理人情ありと、他の漱石作品と比べて大衆的であり、漱石の小説の中で最も多くの人に愛読されている作品である[1]。


漱石が、愛媛尋常中学に赴任していた1年間に経験した体験をモデルに小説としたものであるという。

では、そのモデルはいたのか?

というと、それが、弘中又一という、漱石の親友であった。この人である。
弘中又一
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(非常に私に似ている。)


この弘中又一の破天荒な性格とその実話体験を元にして、理科大出の関東の人間に仕立て上げて、坊っちゃんとしたのである。

実際の、弘中又一さんは、こんな経歴だった。
事実は小説よりも奇なり

【略歴を説明しよう】・・・

1873年(明治6年)  夜市(やじ)川の上流に広がるのどかな湯野温泉・山口県都濃郡湯野村第287番地で、
父・弘中伊亮、母・タメの長男として生まれる。
萩藩の重臣・堅田 就政 の旧家臣の家に生まれ、地元の湯野小学校に入学する。
高学年になると、桜田小学校(現在の 戸田小学校)の中等科を卒業。

1890年(明治23年) 京都の同志社普通学校(現在の同志社大学)に入学。
私塾時代の漢文の先生が京都に住居を構えたことから、 慕って京都の学校へ進学した、という説がある。

1894年(明治27年) 同志社普通学校を卒業。柳井小学校代用教員となる。

1895年(明治28年) 5月に、愛媛県松山尋常中学校の英語の教師に赴任する。
そこで、夏目金之助、後の夏目漱石と職場を共にする。

1896年(明治29年) 愛媛尋常中学校東予分校に転任し、その年に徳島県尋常中学校第二分校に転任する。

1900年(明治33年) 埼玉県尋常中学校第二分校(旧制熊谷中学時代)に着任する。

1912年(明治45年) 同志社中学校に転任する

1932年(昭和7年)  同志社中学校を退職する

1938年(昭和13年) 8月6日、京都に住んで数学などの研究をされていましたが、死去する。


弘中又一は、1896年(明治29年)夏目金之助(=後の夏目漱石)とともに愛媛尋常小学校の新任教師として赴任する。そして、1年後に、漱石は熊本の第五高等学校に転任。方や、又一はここ徳島県の尋常中学校第二分校に転任した。

私も最近まで知らなかったのだが、この徳島県尋常中学校第二分校こそ、阿南市にある、富岡西高校の前進である。以下のものだ。
県立富岡西高等学校

沿革
1896年4月 徳島県尋常中学校第二分校として開校
1901年7月 徳島県立富岡中学校となる
1948年4月 徳島県富岡第一高等学校となる
1949年4月 高等学校再編成により徳島県富岡西高等学校となる 男女共学を実施
1956年4月 徳島県立富岡西高等学校と改称
1996年5月 創立100周年記念式典挙行
所在地 徳島県阿南市富岡町小山18-3

ちなみに、徳島県尋常中第一分校 ⇒ 徳島県脇町中学校 ⇒ 徳島県立脇町高等学校である。

本校の前身校時代
[1879]高知県立脇町中学校開校。
[1880]徳島県立脇町中学校と改称。
[1885]徳島県立脇町・富岡・川島の三中学校を廃止し、徳島中学校に統合する。
徳島県尋常中学校第一分校時代
[1896]徳島県立尋常中学校第一分校として開校。


つまりだ。

坊っちゃんのモデルとなった弘中又一は、ここ阿南市に新しく誕生した中学校の「 徳島県尋常中学校第二分校」の開校とともに愛媛から赴任したのである。

漱石は熊本の五校へ、又一は阿南の富西の前進に赴任したのだ。

この富岡西校は、その後徳島県天下の富西(とみにし)となる。そして、その時代に初めて徳島県にサッカー部を作り出した2校の1つとなった。富西と徳商である。そして、二強時代を築いた。

戦後、この富西サッカー部は、女学校だった富東(富岡東高校)が共学化しライバル校となるに従って、どういうわけか地盤沈下し、今では、学力スポーツともに富東の方が富西の上となってしまったのである。ちなみに、我が息子たちは、長男が富西、次男が富東出身であった。

さて、話を元に戻すと、実はその弘中又一先生が、阿南の尋常中学校第二分校(=富西の前進)で教師をしているころ、あしげく通ったといううどん屋があった。それが、福助というお店である。

それで、戦後の今の代になっても、その福助は坊っちゃんのモデルであった弘中又一がよく食べに来たという記憶を失わないために、なんと「坊っちゃんそば」「坊っちゃんうどん」を作るようになったという。

この話は地元のテレビ局でたまたま放送したのだったが、私は「坊っちゃん」と同じ物理学校(=東理大)出である。だから、一度はその「坊っちゃんそば」を食べてみたいと思っていた。

ところが、たまにその店の前を通るたびに暖簾がなく、休業か、開店休業のような感じだったのである。それゆえ、これまで一度も食べる機会がなかった。

しかし、ごく最近、たまたま阿南の電気屋にMac用の電池を買いに行った帰り道、その店の暖簾に気づいた。そこで、恐る恐る中に入ったというわけだ。そして、ついに

坊っちゃんそばを食った。これである。
坊っちゃんそば
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福助メニュー
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さて、中に入ると、壁にはこんな新聞が貼ってあった。
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まあ、そういうわけで、

山梨甲府の坊っちゃんが、ついに漱石の坊っちゃんが食べた福助で、坊っちゃんそばを食べるに至ったというわけですナ。

たぶん、阿南の人もほとんどこの話は知らなかったに違いない。




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  by Kikidoblog | 2015-03-25 18:18 | 人物

「青い目のサムライ」マイケル・ヨン:米国インテリも中韓反日プロバガンダにノー!

青い目のサムライ
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ジョーク:私がSF作家だったら、13世紀の金髪兵士の物語を描く!?より


みなさん、こんにちは。

陰謀論の世界で「青い目のサムライ」といえば、
ベンジャミン・フルフォードさん
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だが、最近はあまりの小沢一郎びいきや共産支那寄りの軌道修正を行っているようで、だいぶ常軌を逸しつつあるように見える。そんな中もう1人の「青い目のサムライ」が登場してきたようである。それが、
マイケル・ヨンさん
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である。

米共和党のジョージ・ブッシュ政権以来、日本の戦争犯罪、特に、従軍慰安婦問題を8年掛けて研究するという指令を受けたメンバーに入って研究した結果、「日本は100%白」だったということを証明し、衝撃を受けたという。

というのも、そもそもジョージ・ブッシュは基本反日である。だからして、共産支那系の在米中国人による日本の戦争犯罪を暴くべく、そのための証拠を探し出すことが目的だった。だから始まった「反日戦争犯罪暴露プロジェクト」であった。

にも関わらず、米国政府のまとめたあらゆる過去のレポート、手紙、14万件(未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書)を虱潰しに読んでいった結果、日本政府も日本人も、強制連行もなければ、大量殺戮も行わなかったし、ましてや「従軍慰安婦」は存在しなかった。そういう結果を証明してしまったのである。それが以下のものであった。
朗報拡散:ついにUSAが「従軍慰安婦の捏造(妄想)」を完全証明した!

従軍慰安婦の嘘を証明した超有名アメリカ人記者!慰安婦の強制連行は作り話!韓国の捏造を米国メディアが近日公開


それまで、日本人はきらいだったかもしれないマイケル・ヨンさんは、それ以後100%反転した。むしろ、中国の指示にしたがって、動いた結果がこれだったわけだから、そこには何かの隠された理由があるはず。

それが、中国による「反日プロパガンダ」である。

というわけで、幸いにも、生粋の白人の米人マイケル・ヨンさんは、テキサス親父のマラーノさんよろしく、超親日派へと様変わりしてくれたのである。

そんなマイケル・ヨンさん、海外でも至るところで、さまざまの国々のエリート層に向かって、我々日本人の真の姿や真実の歴史を語り、教え、伝えてくれているらしい。

そういうわけで、マイケル・ヨンさんのサイトと最近の話題をメモしておこう。以下のものである。
サイト:Michael Yon JP
グーグルサイト:JP Michael Yon
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【話題】マイケル・ヨン氏「日本について」

タイ国にてイギリス人の友人とランチをした.

今日のランチでは,中国と日本の状況と,それがどのように米国とその他に関係するのかについて話し合った.

良識有る人物と靖国や慰安婦,また中国がたくらんでいることについて話すとき,目から鱗がおちるようにすぐに理解してくれることは興味深い.

多くの場合たった5分から10分で十分だ.例えばたった数分間,いくつかの事実と常識的推論を説明するだけで多くの人々がセックス奴隷の物語についての見解を変える.まるでそれまで暗かった白熱電球が突然ともるように.

IWGリポートやReport49,その他の情報がオンラインで簡単に手に入ること,背後には中国がいて,それらは実際 に日本国憲法九条に関係していていること,なぜなら中国の謀略が進行中であるからと伝える — 人々の目に光 がともる.刃物を預けることなどできない残忍なけだものとして日本をけなしているのだ.

中国は人々が記憶している限りナチスよりも多くの人間を殺害している.ホロコーストと並ぶ,あるいはそれ以上 の大量殺戮は人類史上無い.中国はそれをやってのけた.日本は大量殺戮には一切関与していない.

それらのことを説明すると人々は本質を見るようになる.私は,よく,私の言葉を真に受けるなと言う.ただ注意 深くしていてくれと,そうすればいずれ自分の考えにたどり着くのだ.

どうして靖国が中国人や韓国人を立腹させるかについての話になると会話は興味深くなる.

実のところ中国のプロパガンダは,日本が死者を呼び起こし戦争に熱狂しようとしていると多くの人に信じさせるほどうまくいっている.

しかし私が神道と神道の神官や他の人々から学んだこと,および靖国は数万ある神社のうちの一つに過ぎないこと, また最も有名な神社というわけでもないことなどを説明すると,次第に人々の目は開かれ,それがあるままの現実を見るようになる.だれも戦争犯罪者を崇拝などしていない.

それからアメリカのために戦った第442部隊について話を進める,彼らは米国軍の歴史上,最も勲章を得た日本人から構成される部隊である.ロサンゼルスにある彼らの聖廟を訪れたこと,そこに祭られた日本人の名前の横には何の階級も書かれていないことについて話す.

神道の精神から全ての死は同等なので階級など必要が無いのだ.死者には犯罪歴や将軍などの上下関係が無い.そこでは単に魂が祭られる.

靖国も同じだ.我々は戦没者を祭る権利がある.日本人にも同じ権利がある.

米憲法修正第1条が信仰の自由を保障していることや,どのように参拝すべきかについて平和な日本人に教えてやる権利は我々にはないと言うことを説明してやると,皆,はっと気がついて納得してくれる.
我々には信仰の自由がある.日本の文化と心の平安のために信仰している平和な日本人に干渉することはない.

たとえ毎日いろいろな国のムスリムたちが互いに虐殺し合っていても,我々の政府はムスリムにモスクに行くななどと言っていない.

私自身は多くのムスリムは平和的であると強く信じている.いろんな国で多くの時間をムスリム達とすごしてきたが 何の問題もなかった.数日前にムスリムとランチをしたくらいだ.実際は一握りの過激なイスラムによって数万の人々が死んでいるのだ.これは否定できない.しかし神道の聖戦や神道ジハードに直面したからと言ってだれも死なない. 我々はムスリムやヒンズー,ユダヤ教徒,その他に対して信仰を捨てろと言うべきではない.それは彼らの自由だ.
彼らの人生だ.

我々の政府は靖国に対してこれ以上なにも言うべきでは無い.

今日,私がイギリスの友達にこう言った.米国大統領がアーリントン墓地に敬意を表すことに対して米国駐在の日本人大使が不満を述べること想像してみろと.

そのような抗議をしたらすぐに数百万のアメリカ人が怒り狂うだろう.我々は日本人の大使に対して自分のことだけを 考えろと言うはずだ.

日本駐在のアメリカ人大使は,実際,そのようなことを言ったのだ.これは大勢の日本人を怒らせた.今,私はなぜ 多くの日本人の友人たちが怒ったのかわかる.それは実際,我々の関与する話ではない.

しかしちょっと離れて見ると,中国は,まるで日本がトラブルメーカーであるかのように見せつけることにに対して素晴 らしい仕事をやってのけている.よくよく見ると日本はトラブルメーカーではないことは明らかだ.

もしも我々がタイの首相に仏教徒が戦争犯罪に関わったので寺院を訪れるべきで無いなどと言えば,世界中のタイ人 が怒るだろう.多くの国籍の仏教徒が怒るだろう.(もっともよく訓練された仏教徒は怒ることもしないだろう.知識が 無いと,かわいそうに思うかもしれないが)

イギリスの友人にこれらのことを説明すると,彼は現状をもっと良く理解してくれた.

一般にアメリカ人や西洋人にそれらについて説明するときのカギとなる点は,背景となる文化について解説することだ. 人々の心を開くのに数時間もかからない.みんな常識的なことを聞く準備もちゃんとできているし,実際,ちゃんと聞いてわかってくれる.

http://michaelyonjp.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html


もうひとりの青い目のサムライ、マイケル・ヨンさんの今後の活躍を期待したい。



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  by Kikidoblog | 2015-03-18 08:21 | 人物

フェリックス・クライン博士の言葉:「孤立者は、あらゆる方向に十分枝を延ばす」

みなさん、こんにちは。

さて、先日メモしたもの
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?
の中に「フェリックス・クラインの言葉」というものをメモしていたが、これは後々のために、そこだけもう一度抜き出して、ここにメモしておこう。以下のものである。

フェリックス・クライン
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「…われわれ大学人は同僚との激しい競争の中で成長するが、それは森の中の木のようなもので、およそ生存しうるためには細いままで上に延びていくほかない;

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これに反してグラスマンのように孤立している人は、あらゆる方向に十分枝を延ばすことができ、人格も研究も調和的に発展させ完成させるのである。… 」

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この言葉は、フェリックス・クライン「19世紀の数学」(共立出版社、1995年)
19世紀の数学
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「昔は良かった」:「19世紀の物理学への回帰」の必要がある!?より)
の177ページにある。


孤立したものが生き残る確率は非常に低く、群生したものが生き残る確率は非常に高い。しかしながら、まれに生き残った孤立したものは非常に大きく成長するが、良く生き残る群生はその成長には限りがある。このことは人間社会にも当てはまる。そういうことである。

これに加えて、もしその住処が広ければ広いほど、その傾向が顕著に増幅される。だから、孤島より大きな島、大きな島国より大陸。生物の住む場所が大きいほど、孤立したものはますます大きく育ち、群生したものもますます大きく育つ。これを生物学では「島の規則」という。

また、大きな生物ほどより遅れて出現する。これは大器晩成の生物版である。これを「コープの法則」という。

大器が育成されるには進化においても個人においても時間がかかり、後になって出てくる。その大きさは住む場所の広さに比例している。

クライン博士の言葉は、まさにこうした生物現象の肝を見事に予見していたといえるだろう。


おまけ:
実は、この人が、有名な「クラインの壺」のクライン博士である。



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  by Kikidoblog | 2015-01-16 09:25 | 人物

もう1人のキヨシ:岡潔博士もすごかったが、伊藤清博士もすごかった!

みなさん、こんにちは。

今回はかなり数理物理的なメモだからして、普通の人には興味ない話だからスルーを。天才数学者の岡潔博士のことはかなりメモしてきたから、今度はもう一人の天才数学者の
伊藤清博士
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のことである。


さて、保江邦夫博士の「確率量子化」の理論の基本は何だといえば、それは「現代確率論」だろうということになる。マルコフ過程からベルンスタイン過程(これには思想上非常に興味深い点がある)へ拡張する中で、量子力学のシュレディンガー方程式を確率論の流儀で再定義したということになる。

そこでのポイントは何だったかというと、これは「確率微分」「確率積分」という概念であった。これらを発展させた人物こそ、伊藤清博士だった。

ところがなんと、いま後から見れば、ちゃんとウィキには書かれていたが、今のいままで私は全く知らなかったのだが、この伊藤清博士は、戦前の当時の大蔵省の内閣主計局というところの官僚であったのである。官僚が確率論を1人で研究し、世界に衝撃を与える偉大な業績を遺されたのであった。

そして、その大蔵官僚が気付いた数学が、戦後の株式市場でもっとも重要となり、すでにノーベル経済学賞を授与されたという、あの
ブラック・ショールズ方程式
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の原型、基礎理論をもたらしたのである。

非常に簡単に言えば、この方程式は、伊藤の確率微分方程式の理論を指数関数の肩の上に乗せたものにすぎない。あるいは、ある関数の対数の確率微分方程式というものである。空間内の粒子のブラウン運動を、対数のブラウン運動と見たというようなものである。というのも、自然の空間は成長しないが、経済は指数関数的に成長するからである。

これほど重要な伊藤清博士の業績をどうやらさらに拡張した数学者がいたらしい。それが、
ポール・マリアヴィン(Paul Malliavin)
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というフランスの数学者である。この人が創始した数学を「マリアヴィン計算」というらしい。

実は、保江邦夫博士の例の「物理数学における微分方程式」
物理数学における微分方程式:保江邦夫

2015年、きっと来る、保江博士のお弟子さん!?:悪魔の「数理物理学方法序説」
の最後の方に、保江博士の業績に対して、このマリアヴィン博士が非常に高く評価したという話が出ていた。恥ずかしながら、私はこのマリアヴィン博士の存在も業績も保江博士の本を読むまでまったく知らなかったのである。

また、保江博士のその本の最後の方に、非線形波動方程式のKdV方程式の話題があったのである。そこでは、連続群論の1例という取り上げ方だったが、そこにラックス・ペア理論が分析されていたのである。無限次元空間における流体として。

私もソリトン理論はさんざん学んできたからよく知っているが、この分野には非線形波動方程式のKdV方程式をシュレディンガー方程式のポテンシャルと見ることができるという、ミウラ変換なるものがある。方や、保江博士は、ブラウン運動する量子とシュレディンガー方程式は等価にできるという手法を発明した学者である。だとすれば、ソリトン方程式の波動をシュレディンガー方程式のポテンシャルと見るなら、ソリトン理論にも保江流のブラウン運動の量子化問題と見ることができるはず。

とまあ、自明な推測をしてちょっと調べたら、やはりあったあったというわけで、なんと九州大学の谷口説男博士がやっていたのである。そこで論文を見ると、こんなものであった。
確率解析の KdV 方程式への応用について
Stochastic Processes and their Applications

そこでさらにもうちょっとこの谷口博士の研究を調べると、ビンゴ!この谷口博士の専門こそが「マリアヴィン計算」であったのである。

よほど保江博士は「マリア様」に好かれていると見え、その好敵手の創始者の名前にもマリア様が付いていたのである。実に面白い。

今のところ、ソリトン方程式とソリトン解そのものにはまだ保江方程式を用いたという研究はないように見える。

ところで、その大権現の伊藤清博士の初期の論文は、英語圏に英語で紹介されるずっと前に終戦時か終戦直後か1942年に日本語で出版されていたものらしい。なんとそういう日本語の、それもカタカナ文の時代の論文が「伊藤清博士生誕100年事業」の一環としてだれでも読むことができるようになっていた。以下のものである。
伊藤清生誕百年記念事業

初期のものの大半が、大蔵省主計局の官僚だったころの研究らしい。

残念ながら、当時の大蔵省はこの研究の偉大さにはその後何十年も気づかなかったものと思われる。


おまけ:
実は、伊藤清博士の確率微分方程式の拡張の方向にはもう一つの方向がある。それが、「確率フラクタル微分方程式」というものを生み出すことである。時空間をフラクタルにした世界の量子のブラウン運動の理論である。この分野の創始者の1人がもちろん、あのマンデルブロー博士であった。どうしてそれが必要かというと、実はブラック・ショールズ方程式にも、保江理論にも弱点があるのだヨ。それは、ウィーナー過程やマルコフ過程やベルンシュタイン過程の大前提に標準分布(正規分布)というガウス型の分布を仮定している。が、この大数の法則からくる結論がフラクタルでは成り立たないのである。
現実的でない2つの仮定[編集]
ブラック-ショールズ方程式は、価格の変化率の分布が正規分布に従うという仮定を置いている。しかし現実の金融商品では必ずしも正規分布が成立しない。例えば、価格変化率の確率過程のマルチンゲール性によっては伊藤の公式は成り立たない。そしてブラック-ショールズ方程式は伊藤の公式を利用して導かれている。よって伊藤の公式が成り立たないとき、ブラックショールズの解は現実世界から乖離する。この方程式を金融実務へ応用することには批判がある。
また、ブラック-ショールズ方程式は現実に成立した市場価格のみを参照情報としている。この式を利用した運用は、いわゆるパッシブ投資法[10]である。つまり、現実の企業活動[11]への評価や予想を織り込んだ長期運用、あるいは市場参加者(投資家)の心理や損益状況、特定投資家が特別な状況に追い込まれていることを逆手にとったアクティブ投資戦略[10]にとっては、その投資戦略があからさまに読み取れて格好の攻撃対象になる可能性がある[12]。
また多くの現実世界の現象にもガウス分布が破れるものがほとんどなのである。ネットワークはスケールフリーなのである。このスケールフリーネットワーク上の量子のブラウン運動を考えると、実はフラクタル微分方程式が現れる。その結果、シュレディンガー方程式は、フラクタル微分シュレディンガー方程式になる。はたしてこういう場合のポテンシャルは?こういう場合の確率分布はいかに?というような問題である。もちろん、それを俺がやりたいところなのだが、この紙面にはもう余白がない。俺には時間がない。だから、だれかにやって欲しいところである。というわけで、一応メモしておいた。若者よ、完成しろ!




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  by Kikidoblog | 2015-01-15 11:23 | 人物

「次世代への今なくして明日はない!」:ついに創価学会にロックオン!?終わりの始まりですナ!

次世代への思いの唄
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 世の中よ道こそなけれ思ひ入る
 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる


藤原俊成


みなさん、こんにちは。

いやはや、最近の徳島新聞でもそう、だますマスコミ=ダマスゴミもそうだ。まるで崩壊寸前の南朝鮮(=韓国)のようである。自分の職から追い出される恐怖からますます反日的ニュース、反日記事に明け暮れている。まったく事実を報道しない。

戦後70年。戦後は終わった。ついに1つの時代の終焉を我々は見ているのだろう。

創価学会の池田大作ことソン・テチャクはもうだいぶ前に死んでいる。統一教会の文鮮明も死んだ。電通の成田章ももうボケた。たぶん死んでいる。

ヤクザ映画の主人公ヤクザを演じた連中もみな死んだ。若山富三郎、安岡力也、高倉健、菅原文太、などなどみな死んだ。

もうやくざなんて時代遅れだ。今では、CIAの格好のターゲットである。事実、主要ヤクザのアメリカに隠されていた膨大な資金が米政府によって凍結。全部オバマのものになった。

つい最近では、在日韓国人の愚連隊「関東連合」と「しばき隊」もCIAのテロリストに昇格した。CIA、NSAでは、何か起これば、即連中を射殺していいことになっているらしい。

というように、「戦後」はとうに終わっているのである。

何度もメモしているように、これからは第三次世界大戦への準備である。別に日本が平和を唱えたところで、韓国と中国は大英帝国の犬であり、コマにすぎない。だから、いずれ日本本土を攻撃してくるのは時間の問題なのだ。

一時、米シオニストのジョセフ・ナイ博士がそういうことを起こさせるべき計画を立てたということが話題になったが、もはや中国と韓国と北朝鮮は、欧米のシオニストの描いたシナリオをはるかに凌ぐ勢いで事大しているのである。

もはやだれも中国南北朝鮮にブレーキを掛けることができない。

これが今の現実である。

それに、在日シナ人と在日南北朝鮮人が行動を共にする。

その結果何が起こるだろうか?

といえば、日本国内の戦争、すなわち内戦である。

そうなれば、日本もアラブのように南北あるいはいくつかの地域で戦争になる。そして、分裂する。

特亜=中国と南北朝鮮はそれを狙っているわけですナ。

というわけで、ついに自衛隊のトップだった、田母神俊雄元幕僚長が政治の檜舞台へと立ち上がったらしい。これである。
【速報】田母神氏が創価学会に【 宣戦布告 】キタ━━━━━(°∀°)━━━━━!!! 在日の嫌がらせにも屈しない姿勢が す ご す ぎ る !!!

田母神俊雄
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ツイッター
田母神俊雄 16時間
この度、田母神俊雄は次世代の党副代表として衆議院選で戦う決心をしました。この2週間「打倒公明」を目指し全力で戦います。皆様方、どうか浄財によるご支援、宜しくお願い致します。口座は現在郵貯銀行だけですが2、3日内に銀行の口座も出来ます。 

田母神俊雄 @toshio_tamogami ・ 23時間
実は公明党と戦うのは、いろいろと嫌がらせを受けるから止めた方がいいと何人かの人たちが強く忠告をしてくれました。
しかし西村氏や次世代の党の方々とも相談し、日本の将来のために戦うことを決意しました。
もし嫌がらせと感じられるものがあった場合には皆様にもすべて連絡したいと思っています。


さて、事大しすぎている創価学会(=在日南北朝鮮人の政党)は、この幕僚長に「脅し」をかけたというのである。身の程知らずにもほどがあるナ。

これで、たぶん、創価学会は「国際テロ組織認定」されたことになる。フランスでは「特定カルト認定済み」である。

もし日本人の創価学会員がいるとすれば、即刻元の日蓮宗に戻ることをお勧めする。創価学会は日蓮宗に破門された宗教カルトにすぎない。また、ジョージ・ブッシュ時代に海外資産の10兆円の損失を起こしたと見られている。全部、ブッシュに盗まれたのだった(リチャード・コシミズの説では)。だから、今は文無しでパチンコ韓国民団の言うがままらしいナア。

ところで、「次世代の党」がなぜ「次世代」になったのか、なぜそういう政党名が出たのかということについては、例のねずさんこと小名木善行さんが見事に説明している。以下のものである。
次世代に希望を
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次世代という言葉で思いつくのが、百人一首の83番に収録された皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい)の歌です。

 世の中よ道こそなけれ思ひ入る
 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる


どの解説本を読んでも、この歌は「濁った世の中に道などない。思いをひそめて山奥に分け入っても、哀れ、鹿が泣いているだけだ」という厭世、遁世の歌であると、解説されています。
全然違います。
和歌は、言いたいことを「直接言わず」、「言外に真意を描く」ものです。
歌に表面的に書かれていることだけを見て、それでわかった気になるのでは、歌を読んだことにならないということは、これまでにも再三繰り返しのべてきたところです。
だからこそ、和歌は、思いやりの文化であり、あらゆる日本文化の原点といわれているのです。

まして作者の藤原俊成は、百人一首の選者である藤原定家の父親で、西行法師と並ぶ平安末期最大の歌人とされた人です。たいへんな英才です。
皇太后の家政機関である皇太后宮大夫・正三位にまで栄達し、六十三歳で出家して法名を「釈阿(しゃくあ)」と名乗り、九十一歳で没するまで精力的に歌集の編纂や歌人の育成に努めた人です。
それだけの人物が、その生涯を代表する作品として提示しているのが、この歌なのです。
表面的な字句だけを読んでわかったような気になるなら、それは作品に対しても日本文化そのものに対しても、失礼というものです。
(以下省略)


まあ、一言で言えば、こうなる。

次世代への今なくして明日はない!

凡人や左巻きの人は、今は過去のためにあると思う。例えば、自分の息子や孫から自分の利益を得ようとする。自分のために子孫を生み育てたのだというふうに考える。だから平気で家族を売る。

逆である。

親は子や孫のために生きるのである。つまり、今は未来のためにある。

昔は良かったなら、そして、今がその昔よりダメになったのなら、未来をその昔よりずっと良くなるように今生きるべきであるということになる。

決して、南北朝鮮人のように、後ろ向きに生きてはならない。

創価学会は、芸能界、電通、国家公務員、地方公務員、マスメディア、ありとあらゆる場所を独占した。それでもレベルが上ったのならいいのだが、すべてが劣化崩壊の危機にある。なぜか?創価学会は朝鮮カルトだったからである。

韓の法則が発動するのだ。


まあ、信じる信じないはあなた次第。結局、自分の頭で考えて選ぶべきだということでしょうナ。


それにしても、元自衛官、肝っ玉が座っていますナ。

田母神さん、いつか秋山真之を生み、日清日ロに勝利した日本海軍を生み出した海軍大学を作ってくれ!

よ・ろ・し・く。よろしく。

田母神さんに幸あれ!

ちなみに、大阪サムハラ神社のお守りが効くらしいですヨ。俺もいつもしていますヨ。



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  by Kikidoblog | 2014-12-02 08:21 | 人物

在特会桜井「ごろつきメディアを呼んだ覚えはない」メディアに対して吠えまくる

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、在特会代表の櫻井さん、橋下大阪市長がやってくる前に暇な報道各社のカメラに向かって辻説法。実に面白い。肝が座っているというのはこういう人のことですナ。

己の地位も名誉も金も何もいらない。欲しいものは日本人の名誉回復である。こういう人は強い。

日本という国にはどこからともなくこういう人が降って湧いてくる。神が降りるんですナ。以下のものである。
在特会桜井「ごろつきメディアを呼んだ覚えはない」メディアに対して吠えまくる


変態毎日の「わいわい事件」、朝鮮日報日本支社のアカヒ新聞の「慰安婦捏造事件」、電通犬エッチKの「報道しない自由で不都合部分をカット事件」。

見事にそれぞれの事件のツボを抑えていますナ。

いや〜〜驚いた。

それにしても、朝鮮人の扱い慣れていますナア。

小渕優子議員も松島みどり議員もこういう調子でやらないと行けませんヨ。

「私はここにゴロツキメディアを呼んだ覚えはない。
NHKなんですか、好き勝手に人の話を切り貼りして〜〜。
え〜〜、だれのお金で生活できているんですか?
熱いでしょ。だから団扇が必要なのよ。
あんたんとこのNHKだって、団扇提供してるじゃないのよ〜〜。」

まあ、こういう名調子でやらないと在日朝鮮人韓国人の「朝鮮脳」には響かない。
「申し訳ない」
なんて誤ったら、自分の非を認めたと逆に解釈するわけだ。

在特会の櫻井氏に弟子入りしたら?すこし敵を知ってからやらないと今の安倍さんのようにはならないですナ。

安倍さんも前回の政権時に調子こいてのこのこ中国に行ったもんだから、そこで毒盛られて体調くずしてからやっと目が覚めたんですナ。中川昭一さんも油断も隙もあった。だから暗殺された。しかも読売のメギツネ越前屋に殺された。

だから、
「ここに殺人組織の読売新聞を呼んだ覚えはないのよ〜〜。出て行きなさい!」
こういう名調子でやらなきゃ、イルミナティーやメーソンや悪魔主義が渦巻く、政治の世界では太刀打ち出来んのよ。

少しはこれに懲りて、勉強して欲しいものですナ。


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  by Kikidoblog | 2014-10-21 19:37 | 人物

「司馬史観」以上の「ねず史観」2:戦後日本は「しょうゆ組」に乗っ取られたらしい!

(つづき)

昭和12(1937)年、日本は、日独伊三国同盟を締結しました。
海外「俺達は嘘の歴史を教わった」 日独の蜜月を伝える貴重映像に外国人衝撃
映像は1941年に、当時の外務大臣であった松岡洋右が、
ドイツ、イタリア、ソビエト連邦を歴訪した際にベルリンで撮影されたもので、
ベルリン市民の熱狂的な歓迎を受ける様子が紹介されています。

Hitler and Germany Welcome Japan's Foreign Minister 1/2

これに対し、当時軍務局長だった井上は、
米内光政海軍大臣
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山本五十六海軍次官
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永野修身軍令部総長
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らとともに猛烈と反対しました。

昭和12年とえいば、日華事変の最中です。
そして日華事変を背後で操っているのは、米英です。
けれど、だからといって、この時代にドイツと手を結ぶということは、米英と真正面から対峙することになるのです。
だから反対したのです。

当時の新聞などの論調は
「日独伊三国同盟は集団防衛であり、我が国の国益に適う」
拙注:これが戦前の朝日新聞が吹聴しアジったこと。戦前戦中戦後と朝日新聞はずっとアカヒ新聞だった!
というものでした。
けれど井上は、
「集団防衛というけれど、日本にドイツからどれだけの援助があるのか。またできるのか。強い国と仲良くしていかなけりゃならんのに、アメリカとも仲が悪くなるし、イギリスとも悪くなる。一方で、ドイツからは何等の恩恵もこうむらない。日本にとって何のメリットもなく、得するのはドイツだけです」
と述べています。

振り返ってみれば、井上大将の先見性の方があたっていたといえようかと思います。
けれど当時、三国同盟に反対する井上のもとには、「斬奸状」「宣言」などの奉書が送りつけられ、まさに国賊扱いでした。(拙注:こういうことの手口から戦前戦中戦後と朝鮮人が動いたことが明白。連中はずっと「韓国していた」のだナ。)いまならさしづめ、マスコミから総攻撃を受け、ネットで悪口やら誹謗中傷やらをめいっぱい受けるようなものです。
三国同盟に反対する米内、山本、井上は、「海軍左派の三羽烏」とまで揶揄されています。

昭和15(1940)年、支那方面艦隊参謀長兼第三艦隊参謀長となっていた井上に、事件が起こりました。
上海の共同租界で、私服の日本人憲兵が支那人の強盗に襲われ殺害されたのです。
陸軍はこれを口実に国際法規を無視して、一個大隊を租界に進入させようとしました。

これに対し井上は、
「強引に租界に入ろうとする者は、たとえ日本陸軍でも敵とみなして撃滅せよ」
と命令しました。
上海海軍特別陸戦隊は、陸軍の行進と対峙し、押し問答の末、陸軍が引き下がっています。

結果からみれば、陸軍の判断の方が正しかったのかもしれません。
外国人一人を殺害したら、支那人1万人が報復攻撃される。
そのくらいの実力行為があってはじめて「侮れない相手国」と看做される。支那社会というのは、そういう社会だからです。
実際、支那に駐屯していた欧米白人諸国は、ぜんぶそうやって自国民の安全を図ってきています。
おかげで、いまだに支那人社会では、現実に植民地支配をしていた欧米に対しては、なんら苦情の申し立てがされません。
支那の社会では、何十万人が殺害されようが、いま自分が生残っていればそれで良いのです。
そして生残るためには、あえて危ない橋は渡らない。
これが彼らのマインドです。

けれど、その一方で、本当の意味での平和と繁栄を築くためには、そういう支那人的わがままには一切妥協せず、どこまでも正しい道を貫いて行くという努力が必要であることも事実です。
そして、いまを生きる私たちにとって必要なことは、そのどちらの判断が正しかったかという評価ではなくて、そういう見解の相違がかつてあったのだという事実から、私たちが何を学び、そこからどういう未来を建設していくかにあろうかと思います。

昭和16(1941)年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃の日、井上大将はカロリン諸島のトラック島で第四艦隊旗艦
鹿島
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艦上にいました。
そして艦の無線で、「トラトラトラ」を傍受しています。
通信参謀だった飯田秀雄中佐が井上に、「おめでとうございます」と言って電報を届けたのだけれど、そのとき井上は、
「何がめでたいだバカヤロー!」
と物凄い剣幕で怒鳴ったといいます。
飯田中佐は、そのときは何故自分が怒鳴られたのかわからなかったけれど、本土に帰還し、焼け野原となった東京を見たときはじめて、井上の「バカヤロー」の意味を理解できたそうです。

戦争が終わった時、戦前の海軍省は、第二復員省という名称になって、外地からの兵士の復員を専門に扱う省庁となっていました。
この復員省に、ある日、井上が自宅があった三浦半島の名物のミカンを大量に手土産に持ってやってきたそうです。
そして、
「田舎にはこんなものしかありませんが、みんなで食べてください」
と、旧部下に心づかいを見せたという。
この当時は、食べ物もなかなか入手できない困窮の時代です。
その時代に、ミカンは非常に貴重な果物だったのです。

それを井上は、自身も後日、貧困のため栄養失調と胃潰瘍で入院を余儀なくされるほどの生活を送っていながら、貴重なミカンを机に山が出来るくらい、たくさん持参して、みんなに食べてもらっています。
当時復員局員だった
中山定義
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は、
「元の大将中将で、復員局を訪れてかつての部下を労ってくれたのはそれまで一人もいなかった」
と述べています。

そして井上は、昭和50(1975)年に86歳でお亡くなりになるまで、横須賀で隠棲して暮らしました。
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近所の子供達や、軍人時代に懇意にしていた横須賀の料亭の芸者や仲居達に英語を教えていたけれど、
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謝礼を受け取らないので、生活はそうとう厳しかったようです。

軍人恩給の給付が一時凍結されていた際、井上家の経済的な窮状を察した関係者が旧海軍省次官の経歴で文官恩給の給付を受けられるよう取り計ろうとしたけれど、これも
「自分は軍人である」
と拒否しています。
さらに、海上自衛隊が発足した当時、海自の練習艦隊壮行会で、
嶋田繁太郎
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(A級戦犯にもかかわらず命乞して生き延びた。)
が出席して乾杯の音頭をとったと聞いたとき、
「恥知らずにも程がある。人様の前へ顔が出せる立場だと思っているのか」
と周囲が青ざめるほどに激怒したといいます。

(拙注:上の部分はこのことを指しているらしい。)
東京裁判[編集]
終戦後、A級戦犯に指名され、憲兵が身柄拘束の為に高輪の自宅に訪れた際には、英語で「騒ぐな、自分は自殺しない」と言って連行されていった。新聞記者から感想を求められると「腹を切ってお詫び申し上げようと思ったが、ポツダム宣言を忠実に履行せよとの聖旨に沿う為、この日が来るのを心静かに待っていた」と語った。

極東国際軍事裁判では太平洋戦争の対米開戦通告問題につき、「海軍は無通告を主張したことはない」と、元外務大臣東郷茂徳と対立。「われわれは東郷が、われわれの注意によって、まさかああいうばかばかしいことを言おうとは思っておりません。まことに言いにくいのでありますが、彼は外交的手段を使った、すなわち、イカの墨を出して逃げる方法を使った、すなわち、言葉を換えれば、非常に困って、いよいよ自分の抜け道を探すために、とんでもない、普通使えないような脅迫という言葉を使って逃げた」と批判した[11]。

海軍における戦争遂行の最高責任者として死刑は免れない、という予想が大多数を占め、実際に判事の投票では11人中5人が死刑賛成だったが、自己弁護により死刑は免れ、1948年11月12日終身禁固刑判決を受けた。東京裁判での自己弁護はウェブ裁判長が褒めるほど見事なものであった。そのことを憲兵から聞いた嶋田は日記に嬉しかったと記している。終身刑の判決を受けた後、「生きていられる」と言って笑っていたと武藤章が日記に書いている。

1955年仮釈放後赦免される。海上自衛隊の練習艦隊壮行会に出席して挨拶したことがあり、それを聞いた井上成美は「恥知らずにも程がある。人様の前へ顔が出せる立場だと思っているのか」と激怒したという。『昭和天皇独白録』では「嶋田の功績は私も認める」という天皇の発言があり、嶋田について、「知恵があり、見透しがいい」人物としつつ、「部下に対して強硬であったこと」がその不評判の原因だったとしている。


島田繁太郎という人は、大東亜戦争開戦時の海軍大臣だった人です。
要するに井上提督は、自分が軍人として、将官の立場にありながら、多くの部下や民間人を犠牲にした。そのことと真正面から向き合って残りの人生を過ごしたのです。

会社が倒産したとき、その会社の幹部が、多くの社員を犠牲にしたことを恥じ、隠棲生活をした、という話は、あまり聞きません。
井上提督は、開戦当時、第四艦隊司令長官であったけれど、それは大東亜戦争そのものの開戦責任を負うような立場ではありません。
けれど、彼は、多くの若者を犠牲にしたことと、生涯真正面から向き合って過ごしました。

それは、とても辛いことです。
けれど、それをやりとおしたのが、井上成美という人物だったのです。

先日「しょうゆ組」のことを書きました。
しょうゆを飲んで兵役を逃れた卑劣な連中が、戦後は、自分たちの卑劣さを正当化するために戦争反対、戦前、戦中の日本は異常だった、日本は悪い国だと声高に主張しはじめました。
私ははっきりと申し上げたいのです。
そういってきたあなた方こそ、異常で悪い人たちなのですよ」と。


とういうわけで、おソース顔とおしょうゆ顔という言い方があるが、それとはだいぶ違うが、しょうゆの一升瓶を飲むと、一時的に病気になり、仮病を起こして兵役を逃れる。いま在日韓国人がこれを必死でしている。あるいは、道行く罪もない子どもたちの隊列に突っ込んだり、殺傷して韓国への兵役逃れを行っている。これと同じことを戦前行った連中がいたということである。戦前の朝日新聞こそその「しょうゆ組」の代表格であり、戦後は連合軍に媚びへつらい、朝鮮進駐軍をつくって若い女性をレイプ、殺害、陵辱、拷問したり、自虐史観の反日報道に明け暮れた連中の同類だったというわけである。

いまやそういう真実が明るみに出た。

朝日新聞もまた「しょうゆ組」=在日韓国系だったという証である。

とまあ、長くなったが、ねずさんの記事を写真絵本化した。


おまけ:
海軍大将井上成美 ① 『余生に英語塾開く』



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  by kikidoblog | 2014-10-17 09:58 | 人物

「司馬史観」以上の「ねず史観」1:戦後日本は「しょうゆ組」に乗っ取られたらしい!

みなさん、こんにちは。

司馬遼太郎と言えば「司馬史観」。かつて故柘植俊一博士がその著書
反秀才論
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の中で絶賛したものである。

その当時の1970年代から80年代は、いわゆる「受験戦争」「受験地獄」の時代となり、伊丹十三の「家族ゲーム」が描いた時代である。こんな受験一辺倒の時代にあって、戦前の俊雄のような第一級の人物が育つだろうか?、ということを論じたわけである。

我々が目撃した真実の歴史では、「まあ、それなりに育っていた」というところだろう。今回の青色発光ダイオードの発明の中村、赤崎、天野の3人を見ても分かるように、東大にはいなくなったかもしれないが、名古屋大や東北大など他の大学内にそこそこ「反秀才」の居場所があったということになる。

さて、「司馬史観」もさることながら、「ねずさん」こと、小名木善行さんの「小名木史観」ないしは「ねず史観」というのもなかなか捨てがたいものがある。両方基本的な部分は同じであるが、前者は「サムライの最後のほとばしり」「サムライ時代の終焉」を基本にとっているらしいが、後者では「日本人魂」「日本人の心」の不変性を基本にとっている。だから、互いに補完しあう史観ということができる。

さて、司馬史観亡き後のねず史観、今日最近の記事に非常に興味深いものがあったので、今回はこれをここにもメモしておこう。

テーマは井上成美である。この人は以前ここで、私が個人的に調べた故三國連太郎さんの父親は日本海軍の南雲忠一ではなかったかというもの
佐藤浩市さんの祖父、三國連太郎さんの父はだれだったのか?
でメモした人である。(特にこの中で、戦前の日本軍人の顔つきは非常にいい顔をしていたということを強調した。我々の言い方ではハンサム。今風の在日マスゴミ流の言い方ではイケメンであった。私は英語風のハンサムという語の方が適切だと感じる。なぜならハンサムというのは客観的事実をいう言葉だが、イケメンというの主観が入るからである。)

しかし、ねず氏の元記事には写真がないので、適当にそういうものをつけて、だれがだれだったかをはっきりできるように、補足しておこう。以下のものである。

井上成美提督

几帳面で謹厳実直、まじめ一筋、けれど全力で生きてきた。
誰よりも努力した。
勉強もした。
世界の情勢に通じ、時代を確実に見通す眼も持った。
だからこそ、長いものに巻かれない生一本を貫いた。
遊ぶこともしなかった。
ただ、たまにギターをひくのが唯一の楽しみだった。
かつての日本人には、そんな人がたくさんいました。

そんなひとりに、井上成美(いのうえしげよし)元海軍提督
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がいます。
井上提督は、大東亜の開戦に、断固反対しました。
けれど、国家は開戦への道を進みました。
提督は、全力を尽くして戦いました。
そして終戦。
多くの優秀な部下を失いました。

戦後、彼は、一切の人前に出ることを拒み続けました。
そして贅沢とはほど遠い生活を送りました。
毎年8月15日には、一日中、緑茶以外は摂らずに絶食しました。
ひとり、古びた軍帽を被って、一日部屋で端座して遠い海を眺め、戦死した仲間たちの冥福を祈りました。

井上成美海軍大将は、明治22(1889)年、宮城県仙台市で生まれました。
仙台二中(現:宮城県立仙台第二高等学校)を優秀な成績で卒業し、江田島の海軍兵学校に学びました。
海軍兵学校の入学時の成績は、180名中8番です。
そして卒業時の成績は、2番です。
トップ集団の中で、さらに成績順位が上がったということは、相当な努力をする人であったということです。

兵学校を卒業した井上大将は、練習艦「宗谷」
宗谷のすべて
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(終戦後、宗谷は最初の南極観測船に転用された。)
乗り組みました。
このときの艦長が、後に終戦時の内閣総理大臣を務めた
鈴木貫太郎
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第一分隊長が
山本五十六
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指導官が後の連合艦隊司令長官でフィリピンで殉職した
古賀峯一
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でした。
いま振り返ってみると、まさにそうそうたる豪華メンバーです。

大正4(1915)年に、新造艦であった
「戦艦扶桑
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に分隊長として乗り込んだ井上大将は、翌大正5年に、
海軍大学
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に進学しました。
その後、イタリア駐在武官(昭和2)、海軍大学教官(昭和5)などを勤め、昭和7年には、海軍省の軍務局第一課長に就任しています。

その頃のエピソードがあります。
当時海軍軍令部は「軍令部令及び省部互渉規定改正案」を作ろうとしていたのですが、一課の井上成美課長が、案に真っ向から反対しているというので、海軍大学で一期上の
南雲忠一(後の海軍大将)
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が説得にやってきたのです。
大激論となったそうです。
論戦の果てに、南雲は激昂して、
「お前のような奴は殺してやる!」
と言いました。井上は、
「やるならやれ。死んでも俺の意志は変わらん!」
と、あらかじめ用意してあった遺書を南雲に見せたのだそうです。覚悟の上だったのです。

井上大将は、日頃から南雲大将をとても尊敬していました。
けれど、どんなに尊敬する先輩の説得であっても、イケナイものはイケナイ。
彼は、先輩後輩という「私」ではなく、職務という「公」を優先する男だったのです。

日本人は、論争を好まない民族です。
けれど「公」を背負ったときには、断固争う。同時にどんなに争っても、根底には相手に対する礼と尊敬の念が必ずある。それが日本人です。

昭和8(1933)年11月、井上は
練習戦艦「比叡」
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の艦長に就任しました。
このときの井上艦長の訓示です。
「軍人が平素でも刀剣を帯びるのを許されており、吾々またその服装を誇りにしておるのは、一朝事ある時、その武器で敵を斬り、国を守るという極めて国家的な職分を果たすからである。
国家の命令があって初めて軍人は武器を使用できる。手元に武器があるからと言って自分勝手に人を殺せば、どんな思想信条であろうとただの人殺しである。」


昭和11(1936)年、井上成美提督は、正月に催された横須賀陸海軍の親睦会に出席しました。
このとき、一緒に呑んでいた
憲兵
隊長林少佐(拙注:林清か林耕三かが分からない)が、井上に
「貴公、貴公」
と話しかけました。
これのとき、井上が激昂した話が伝わっています。彼は、
「君は少佐ではないか。私は少将である。少佐のくせに少将を呼ぶのに貴公とは無礼である。海軍では、軍艦で士官が酒に酔って後甲板でくだをまいても、艦長の姿が見えれば、ちゃんと立って敬礼をする。これが軍隊の正しい姿である。君のような礼をわきまえない人間とは酒は飲まん!」

翌日憲兵隊長が謝罪に訪れました。普通ならこれで終わりにするのですが、井上は、
「あとで謝るなら最初からするな!」と相手が謝罪しても、一歩も譲りませんでした。

たかが酒の席のことで、と思われる方もいるかもしれません。
けれど、常住坐臥、常に戦場に心を置くのが武人です。
たとえ酒の席であっても、非礼は非礼として絶対に赦さない。
その厳しさこそが日本の武士の心です。

また階級差で、少佐が少将に「貴公呼ばわりするのは怪しからん」というのは、いささか階級主義、権威主義なのではないかという人がいました。
それも違います。
身に寸鉄を帯びる軍人が、酔ったからといって節度を忘れるようでは、これほど恐ろしいことはありません。
そういう意味で自己に対するどこまでも厳しさを忘れないのが日本の武士であり、帝国軍人であったのです。

憲兵の林少佐も、そのことに気が付いたから、謝ったのです。
井上も「最初からすなっ!」と声を荒げたけれど、気がついた林少佐を、言葉では叱りながら、心で許しています。
そのことに林少佐は気がついたから、井上提督を尊敬するのです。

そういう、「互いに相手の心を察する」という文化が、日本の文化の基本です。だからこそ、互いに人として成長していくことができるのです。

そしてそういう姿勢が、この話の両者にあり、この話を聞く側にも常識として具わっていたからこそ、こうしたエピソードが逸話として活きてくるのです。

昭和10年、井上が横須賀鎮守府の参謀長だった頃のこと、ある艦艇の艦長が、乗員に上陸禁止令を出しましたた。ところが自分は上陸して
水交社
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で飯を食っていました。
そのとき食堂に、井上参謀長が現れました。
彼は艦長に向かって言いました。
「貴艦には上陸禁止令が出ていたはずだが?」
当然艦長は、それを認めます。
すると、「それは艦長命令で出したのか?」
艦長「はい、艦長命令で出しました。」
すると井上の眼がみるみるうちに吊りあがり、
「自分が出した命令を自分で破ってどうする。すぐに戻れ!」と激怒しています。

艦長は、あわてて自艦に戻りました。
すると艦長室の入り口にゴミが置かれていたのだとか。
これは乗組員たちの、ささやかな抵抗です。
上に立つ者こそ、規律を守らなければならない。
でなければ、組織は成り立たないのです。

共産主義の人治主義のもとでは、上に立つ者にはありとあらゆる自由が許容されます。
下の者は、銃を突きつけられて無理やり言うことをきかせられる。
これでは、人として、組織として、人は育ちません。

学校で、先生が生徒に規律を守れ!というなら、まずは先生が率先して規律を守らなきゃならない。
会社で上司が部下に規律を守れ!というなら、まずは上司が率先して手本を示さなければならない。
それは
上杉鷹山
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(米百俵の話で有名)

の師匠だった
細井平洲
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の教えでもあります。


(つづく)


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  by kikidoblog | 2014-10-17 09:52 | 人物

号外ノーベル物理学賞は日本人3人へ:青色発光ダイオードの発明に!おめでとう!

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、今年度のノーベル物理学賞は、青色発光ダイオードの日本人3人だったぞ〜〜!

赤崎勇博士、中村修二博士、天野浩博士たちへ!
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おめでとうございます!



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  by kikidoblog | 2014-10-07 18:51 | 人物

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