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地位が人の寿命を決めるのだ!:大栗博司博士vs私の場合

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、これは面白い。なにせ対比にすれば実に面白いのでメモしておこう。これは、けっして私が個人的恨みつらみがあったり、ルサンチマンや妬みなどがあったり、個人的目的でそうするのではないことを了解してほしい。決して悪意ではない。そうではなく、あくまで若い人たちにこの世界の現実を知って欲しいからである。

(あ)さて、先日、「職業には貴賎がある」ということや「人間の寿命は地位で決まっている」ということをメモした。
医療においては「唾液、精液、体液は血液と一緒!」だってヨ、エッチ産業のみなさんヨ!

まあ、普通の人、それも分子生物学の素養がない人には、初耳だろうが、生物学的にこれは真実であることがすでにだいぶ前からわかっているのである。
ゲノムが語る23の物語

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(ついでに付け加えておくと、「血液型で性格が決まる」というのは(遺伝学的に)本当だという根拠が書いているヨ。)
謎の遺跡「ウィングメーカー」とは何か?6:ネルダ博士インタビュー
昔のブログから:「アット・ホーム・ダッドは一番短命なの?」


ヘンリー・キッシンジャーもブレジンスキーもロックフェラーもロスチャイルドもエリザベス女王もみんな長生きである。おそらくこの御仁も長生きするはずであろう。
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(い)というわけで、同じ職業、つまり同じ理論物理学者だが、地位がまったく異なる例をメモしておこう。もちろん、私ともう一人の理論物理学者である。

ここでこの人を取り上げる理由は特にない。あくまで、私と同様にかなりその世界では知られた有名なブログを書いていて、その記事内容が手に入りやすいという理由からである。要するに、だれでも見ることができ、私とその人のものを見比べることができるだろうからである。そういうことにすぎない。

そういう理由で、素粒子の有名な理論物理学者である
大栗博司博士

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(実は私はこの御仁をまだ無名の頃から知っている。なぜなら私が1986年に米国に留学して2年後くらいにこの御仁が留学してきたからである。当時から論文を読んで研究内容は周知していたんですナ。しかし、あれから30年近く。いやはや経済的社会的には天と地の差がついたようですナ。)
を取り上げるのである。サイトはこれである。
大栗博司のブログ


まず、学問的には「理論物理学者」だが、社会的には、つまりオフィシャルには「主夫」の人。つまり、私の場合。私の寿命は理論的には社会最下層である。そういうはずである。せいぜい人生50年。

一方、学問的には同じく「理論物理学者」だが、社会的には「アメリカの有名大学教授」の大栗博士の場合は、おそらく寿命は最上級。だから、最低でも70〜80年は生きるだろう。事実、理論物理学者で大学に職を持っている、それも有名大学に職を持っている物理学者の寿命は非常に長い。だいたい90歳くらいまで生きている。あまり人種には無関係のようである。

(う)さて、そこでこの大栗博士の最近の活動
クェーサー 50周年記念
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(これみんな皆さんの税金からですヨ。)
や食生活は奥さんのブログ
ローズ家の台所
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思いがけないお客様
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で見ることができる。

旦那様は素粒子の世界的権威として世界中を公演旅行。奥様は旦那様が帰宅すると専業主婦として素晴らしい食事で待ち受ける。

これが社会的地位が最も高い人達の生活である。特に大栗一家が特別というわけではない。だいたいがそんな感じの生活ですナ。

(え)一方、アットホーム理論物理学者の私の方の食事はというと、こんなもの。
自家製の干し柿
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(勝負あったナ。いや〜〜、まいった。)


(お)まあ、そういうわけで、「公然の秘密」というやつだが、人間(特に男性)の寿命は遺伝とかもあるが何よりも地位によって決まっているらしいというわけである。

事実、私の白血球は非常に少ない。だから普通の人なら病気にかかりやすいレベルなのである。医者によれば、ちょっと小太りくらいの方が白血球が増え、その分長生きできるらしい。

いずれにせよ、大事なことは血中コルチゾールを増やさないことである。

このためには、地位の高い職につくことはもちろんだが、ストレスを貯めないことなのである。

だれしも最初から一番高い職はありつけないから、そこに行きやすい場所。鶏頭牛尾。そういうことになる。

人の下に就くことが一番のストレスになる。大企業で上につけなければ、独立して自分がボスになる。まあ、そういうことである。


さて、最後になぜ数ある理論物理学者でも素粒子物理の人物を選んだか?
というと、それは、素粒子物理の世界ほど無駄なものはないからである。ウリナラ・ファンタジーに引けを取らない、ほとんど数学ファンタジーの世界にすぎないからである。にもかからわず、まるで一国の政治家たちのような生活をしているのである。だから、この世界に何も生み出さない。何も発展させない。そして、いま現在の世界のていたらくを生んだのである。

素粒子物理は人類にとって害悪以外の何ものでもない。

まあ、そういうわけで、そういう人たちの優雅な生活を普通の人たちは知っておくべきだろうと考えたからである。

まあ、そういうわけサ。

世も末ですナ。

灯台守になりたいといったアインシュタインもびっくりの世界なんですナ。


俺にはどうでもいいがネ。


おまけ:
『超弦理論入門』
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こんなありきたりの下らん結論を出すために我々は年何兆円もの研究予算を素粒子のために工面させられてきたんでしょうか?俺なら「空間は幻想だった」という下らん結論を出す前に「素粒子理論は幻想だった」という結論をだすはずだがネ。
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  by kikidoblog | 2013-09-13 13:45 | 人物

海上自衛隊の“歌姫” 三宅由佳莉さんのデビューアルバムがクラシック部門で初登場1位

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、これはすばらしい。

ここでも以前
自衛官が歌う、名曲の数々!:各部隊に「歌姫」がいた!?

Time To Say Goodbye
でメモした三宅由佳莉三等海曹が、音楽会にメジャーデビューとか。以下のものである。
【動画】海上自衛隊の“歌姫” 三宅由佳莉さんのデビューアルバムがクラシック部門で初登場1位

この1週間に販売されたCDのランキングが発表され、「海上自衛隊の歌姫」と呼ばれて話題となっている女性自衛官、三宅由佳莉さんのデビューアルバムがクラシック部門で初登場1位となりました。
 音楽ソフトの売れ行きを調査しているオリコンは1日までの1週間に販売された音楽CDのランキングを発表しました。
 それによりますと海上自衛隊・東京音楽隊に所属するソプラノ歌手、三宅由佳莉さんのデビューアルバム『祈り〜未来への歌声』がおよそ6000枚を売り上げ、ランキング初登場でクラシック部門の1位となりました。
 大学で声楽を学んだ三宅さんは自衛官として採用された後、海上自衛隊の東京音楽隊に初めて歌手として配属されました。
 東日本大震災の被災者への応援歌として歌ったオリジナル曲がインターネットの動画投稿サイトで人気を集め、「海上自衛隊の歌姫」と呼ばれています。
 オリコンによりますとデビューアルバムがランキング初登場で部門別の1位になるのは珍しいということです。
 海上幕僚監部広報室では「このCDを通じて震災の被災者に少しでも前に進む勇気を持ってもらうとともに、海上自衛隊について身近に感じてもらいたい」と話しています。

海上自衛隊東京音楽隊 三宅由佳莉 - 『祈り~未来への歌声』紹介映像


【音楽】 「祈り」~海上自衛隊音楽隊

村上なぎさ三等海曹
自衛官が歌う いきものがかり『YELL』
もデビューして欲しいナア!
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  by kikidoblog | 2013-09-03 19:44 | 人物

日本の底力「巨大カブト出動中!」:ビーファイターカブトを”本当に”作った男!

B-fighter kabuto 「GET READY!NEO BEETMACHINE!


みなさん、こんにちは。

西洋人種と西洋文明に巣食ったレプトイド型地球人はやることなすことが破壊的。そこには人間としての情緒もなければ、感情もない。また、何かを生み出す根性もない。ローマ帝国のネロ、カリギュラ、現代のアメリカ帝国のブッシュなど、こんな連中を見ても、彼らが特に知性が高いわけでもない。こういう連中が上につけば「バカ殿様」やバカ将軍になりかねないというわけである。

さて、そんな連中とは180度逆、あるいは、90度直交しているのが、こういう人であろう。

どうやら、最近、カブトムシやクワガタの巨大メカを実際に作ってしまったという日本人がいた。その名も高橋均さんである。偶然これをみつけたので、今回はこれをメモしておこう。以下のものである。
http://kabutom.com/
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実際の映像


giant beetle robot


The robot of a big beetle.  「巨大カブトムシロボット」


いや〜〜、すごいの一言。

「iPS細胞」研究もいいが、そういう西洋のイルミナチックな研究ばかりではなく、こういった真に実用的な工学研究にももっと金を投入すべきですナ。こういうものが進化すれば、震災で瓦礫だらけになった場所でも人命救助ができる。さまざまな活躍の場が現れるに違いない。

頭の中はもっと柔らかにしなやかになるべきであろう。

固いのはカブトの甲冑だけにしてもらいたいものですナ。


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  by kikidoblog | 2013-08-30 09:09 | 人物

フェルメールはフリーメーソンだったか?:完璧なる「透視図法」、きっと写真を目指したんだナア!?

みなさん、こんにちは。

先日、高知のよさこい祭りに行った折、ちょうど「フェルメール展」をやっていたので、それも見てきた。

フェルメールといえば、このよさこい祭りの衣装のような女性の絵が有名である。
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展示場にあった絵は、すべてコピーされたものだったが、いくつか非常に興味深いことも理解できたので、それをメモしておこう。

(あ)顕微鏡の発明者レーウェンフックとフェルメールは知古だった。
ナビゲーターは、写真の生物学者福岡伸一博士だった。この人は、どうやら生物学の幕開けを行ったレーウェンフックの顕微鏡の発明、これからフェルメールにたどり着いたらしい。フェルメールとレーウェンフックは同い年で、同じ町に生まれた。そこで、この二人の接点があったかどうかを福岡博士は調査した。その結果はイエスであった。

(い)それを証明する絵がこれ。
天文学者
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地理学者
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問題は、この二人のモデルが同一人物だということ。どうやらこれがレーウェンフックではないかということである。なぜなら、レーウェンフックの肖像画はこれ。
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年齢は違うが、そっくりである。

(う)フェルメールの目指したもの:「透視図法」
そうなると、フェルメールは顕微鏡の発明者のレーウェンフックの科学知識を得ていたはずである。だから、いろいろ教えてもらったはずなのである。もともとフェルメールは父親から宿泊宿を遺産としてもらっていた。そして趣味のような形で画家としても絵を書いていた。それが講じて絵をかいたらしいが、あまり売れなかった。しかし、当時これまた科学者の間で誕生しつつあった、「遠近法」や「透視図法」に興味を感じ、徹底的にこの作風で絵を書いたのである。

私が感じたこととは、どうやらフェルメールは我々がいう「写真」として絵を書いていたらしいということである。だから、ごく普通の身の回りの知人などを絵に書いていた。そして、まるで写真のように正確な3d画像の絵を書いた。

私が携帯のカメラで実験したところ、人物の顔を認知する正方形の型がフェルメールの絵に感応して、正確にフェルメールの絵の中の登場人物の顔を検知したのである。これは、フェルメールの透視図法が我々のカメラ並みに正確だということを意味している。

(え)フェルメールはフリーメーソンか?
問題は、フェルメールの絵の床の模様である。白黒のチェッカーボード
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は、フリーメーソンの特有のものである。また、地理学者は「コンパス」を手にしているし、天文学者は「天球図」を手にしている。これらもフリーメーソン特有のシンボルである。

はたしてフェルメールはフリーメーソンだったのだろうか?

いずれにせよ、フェルメールは47歳で死去。まったく絵が売れず、奥さんは借金返済のために全部売りに出してしまったという。その奥さんも56歳で死去。

ゴッホもそうだったが、真の画家というの死後になって陽の目を見るらしいですナ。

フェルメールがすごいなんて今言っている我々はフェルメールが当時どういう気持で書いていたかとか、どういう経済状況で書いていたかなど、こういう問題はまったく知る由もない。

それにしても、フェルメールの「透視図法」は完璧であったヨ。

私は今は近眼で左右の視力に大幅に差がある。だから、若干の「視差」と「ピンぼけの差」がでる。どういうわけか、この視差とピントのずれのおかげで、フェルメールの一部がメガネ着用の3D映画のように「飛び出て見えた」のである。
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  by kikidoblog | 2013-08-13 23:26 | 人物

「字は体を表す」:政治家の「書」にみる人となり!?「お前が言うな」だナ?

鉄舟屏風
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みなさん、こんにちは。

インターネットもスマホ時代に入ると、あまりに多くの人が情報を流すので、どれが重要でどれが重要でないか、どれが本物でどれが偽物か、なかなか判別できなくなりつつある。

「目は口ほどに物を言う」という言葉のように、これまた「文は人なり、書は人なり」という言葉や「字は体を表す」という言葉のとおり、書にはその書いている人の心持ちや教養の程度、そういうものが現れ出る。

さて、そこで、偶然インターネットの中で見つかった宝物のような写真をここにもメモしておこう。

まずは、安倍晋三首相の「書」
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次は、何かと話題の麻生太郎さんの「書」
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次は、在日疑惑や整形疑惑と何かの疑惑のつきまとう、福島瑞穂さんの「書」
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ちなみに、書の達人でもあった「無刀流」のサムライ、
山岡鉄舟先生
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の書となると、こんな感じ。
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せっかく山岡鉄舟先生の書の話が出たついでに、昔の拙掲示板や拙ブログでメモした話をここにも再掲しておこう。こんな話である。これは、故柘植俊一さんの「反秀才論」にある話である。
”借金取りもうぐいすの声”の山岡鉄舟先生の”書”発見のニュース

しばらく前に私が紹介した、柘植俊一氏の「反秀才論」の話に、明治維新の「反秀才」、山岡鉄舟先生の”書”の話があった。
「【232】 人間の本物:山岡鉄舟のバカ話、借金とりも鴬の声 2004/03/22(Mon) 16:56」
http://bbsi1.otd.co.jp/essayKI/bbs_plain?base=232&range=1

柘植先生が、鉄舟先生の馬鹿話のエピソードの一つとしてあげたものである。つまり、当時借金に苦しむ鉄舟先生が、『借金取りもうぐいすの声』と借金の肩代わりのために書いたとされている”書”のことである。ちと再録すれば、以下のようなエピソードである。

「その間の話で鉄舟は金貸村松某から千円を借金した。貸してから数日後、金貸しは証文なしで貸したのが心細くなったのであろう。改めてこれを請求した。鉄舟はウンといって、得意の達筆で、

なくて七癖、わたしのくせは、借りりゃ返すがいやになる

と書きその横に、

右の癖之有り候間、証文にての借用金は一切出来申さず候。貰の事は少々出来申す可く存候

と書き、これが証文なり、といって渡した。
 村松某は愕然としたが、どうにもならずそれを貰って帰ったところ、ある人がその文句といい、書といい素晴らしいどころではない。是非千円で譲ってくれ、といったので急に惜しくなり、これを表装して床の間に掛けておいた。その後、鉄舟が千円を返そうとしたところ、この証文を返すのが惜しさにどうしても受取らなかったので、鉄舟はさらに何枚か揮嚢して手渡したそうである。」

今日の読売新聞記事:「鳥取の旧家で山岡鉄舟の直筆発見」
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040427i501.htm
によると、上の柘植の話に出て来た、鉄舟先生の”書”の一部が発見された、というのである。私もさすがに実際には鉄舟先生の直筆は一切見たことがなかったので、これは実に素晴らしい大発見であると私は思う。実際に写真を見てみると、本当に素晴らしい!の一語である。ぜひ皆さんにも見て欲しい筆である。(とはいうものの、なんて書いてあるのか、まだ読めないそうである。)

鉄舟先生のところに借金取りに行けば、こんな”書”を”ただ”でくれたのである。これでは、”借金取りもうぐいすにならざるを得ない”であろう、というものである。酒の肴にと沢庵をもっていった、という話も頷ける。

これほどの人物であればこそ、西郷隆盛も認め、勝海舟が生涯に渡って嫉妬しつづけ、鉄舟の功績を一人占めしようと目論んだ、というのも頷けるというものである。

山岡鉄舟、実に面白い人物である。今後の鉄舟研究を待とう。

要するに、当時鉄舟先生は、幕末の維新の志士のひとりとして明治政府からそれなりの年金をもらって生活していたのだが、維新直後の幕臣たちの老後や将来のために自分の金は全部つぎ込んでいた。あんぱんもこの努力から生まれた。静岡にお茶栽培を促したのも鉄舟先生だった。職を失った江戸幕府の武士たちを静岡に移住させて、そこで今で言えば年金生活のような形で過ごすようにした。その結果、静岡移住武士たちはただでお金をもらうだけでは申し訳ないと思って、お茶栽培を考えだし、農業に従事することになったのである。これが静岡のお茶のルーツだという。

そういう感じで、鉄舟先生にはまったく金がなかった。貧乏であった。そこへ借金取りがやってきた。たいていは鉄舟先生といっしょになって酒盛りしていい話を聞いたと大喜びして帰る。帰るとふと何しに来たか思い出して、また次の日に取り立てに行く。こうして、じゃ、これでどうだと鉄舟先生が書を書く。それも「借金取りの歌」を書にして渡す。すると、それが高く売れる。こうして借金取りは満足して帰ったという話である。

ところで、上の鉄舟の書の発見のニュースは、私の「柘植の「反秀才論」を読み解く」のどこかにある。
風吹鳥桕樹 樹下即門前
桕=ぶな

この「ブナ、桕」ではなく「かしわ、柏」だろうという解釈である。

さて、最近も時々、鉄舟先生の書が発見されるようである。例えば、以下のもの。
鉄舟の書を温泉で発見

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山岡鉄舟の法要がありました。
今も売れている鉄舟先生の書

翻って、我々物理学者の字はというと、「エイリアンの文字」のようなものですナ。たいていは、「小学生の字のようなもの」である。中には「鶏の足あと」のようなものもある。私のような理論物理学者になるともっとひどい。もはや字の体をなしていない。

「だれも瑞穂を責めることはできない」

というやつですナ。

やはり、「字は体を表す」は本当のようですナ。
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  by kikidoblog | 2013-08-02 17:07 | 人物

岡潔 「人とは何かの発見」:いまこそ岡潔博士の言葉に耳を貸そう!

みなさん、こんにちは。

今回も岡潔博士の生前の講演をメモしておこう。「人とは何かの発見」という1972年に東京で行われた講演である。以下のものである。
岡潔 「人とは何かの発見」の解説
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この中で、特に印象に残る部分だけ、私の独断と偏見で取り上げてメモしておこう。あとはご自分でどうぞ。

(あ)まず、岡潔博士は「生物と無生物をどのように捉えていたか?」
【 1】 生物と無生物

 とも角、人とか自分とか云うものは一体何だろうと云うような事が、先ず問題になりますね。ところが自然科学はこう云ってます。自然科学と云う学問は有りませんが、あそこで皆、色々働いて得た知識、これは使えるものはできるだけ使うのがよい、そう云う事は云えます。

 わたし達、今から20億年前と習いましたが、地球上に単細胞生物が出た。今は50億年前と云ってる様ですが、これはどっちだって大して変りゃしませんが、この単細胞生物ですがね、西洋人はそれが出るまでの自然、地球などと云うものは全く無生物だと思っている。そうして、そう思って説明しようとした。で、無生物、この物理とか化学とかを作っていって、いよいよ生物となった時、単細胞生物に出会いますね。

 この単細胞生物がどうして現われたと説明するかと云う、大問題に出会いますね。こんな事始めから明らかなんですね。やって見なくたっていつかそこへぶち当るに決まっている。無生物から生物が生れるなんて説明できやせんに決まっている。欧米人どうしたかと云うと、説明つかんもんだから、他の星から飛んで来たんだろう、それで止めているんです。

ここで、岡潔が「自然科学と云う学問は有りませんが」という意味は、自然科学は「学問」というほど(つまり、数学のような厳密精密科学)のものではなく、単なる「思想」だという意味ですナ。

これなど、本当に岡潔の思考法を端的に表しているといえるだろう。岡潔は、「物事のその本質を見抜き、それを一言で語る」、これを繰り返して数学を行ったのである。だから、常に「物事の核心は何か?」、これを突き詰めることが第一。余計な説明や言い訳などいらん、というやり方である。真に「学究」である。

だから、ギリシャに端を発した「自然科学」は、まさにそのギリシャに端を発した一つの「哲学思想」にすぎない。そう言っているわけだ。だから比較検証や物的証拠に基づく、あるいは現実な証明に基づく「学問」とは違う。そう言っているということですナ。

私が知るかぎり、世界でも我が国でもここまではっきりと「自然科学は単なる思想にすぎない」と明言した人は、岡潔博士のみである。

おそらく、こういう観点にたどり着いたのは、日本の禅の高僧であった道元禅師の「正法眼蔵」を学んだことから来たらしい。日本人必読書であるという。


(い)次に、岡潔博士は、かつて湯川秀樹は「老荘思想」に基いて、西洋科学と東洋科学の比較をし、そこから素粒子論に革命を導いたことが知られているが、これと似て、またまったく独立に、「老子の自然学」との対比で、西洋自然学の欠陥を指摘している。

つまり、西洋人は「生物と無生物」を区別するが、自然はそういう区別はしないという考え方である。
【 2】 老子の自然学

 物理とか化学とか無生物と云うものを、そんな風に見て来たんだったら、生物学のこの一番核心はこの単細胞生物と云う、その頃、まだビールスと云うもの分ってなかったからビールスでもかまいません、単細胞生物と云うものが、いかにして無生物ばかりのところへ出たかと云う事が学問の核心であるべきです。
 が、そこを、他の星から来たんだろうと逃げてしまってる。それなら同じ事です。その星に於いて、どうして単細胞生物が最初出たか、又、他の星から来たって逃げたって、今度は、またその星に於いてとなるからいつ迄たったって、これじゃ逃避であって問題が解決せん。無生物から生物が出たとするのがそもそも無理なんです。間違いなんです。
 実際不安定な素粒子、見てごらんなさい。生れて来て、又、消えていって了っている。無生物とは見えない。東洋では自然を無生物だなどと思ってやしない。これは直感なんでしょうね。老子の自然学と云うものは、自然は無生物だと思ってやしませんし、日本の古事記だって国は神が生んだとして、生物と無生物との間に区別を置いていない。これが正しいでしょう。これは直感でしょう。欧米人だけが無生物だと思うらしいですね。
 欧米人は無生物から生物が生れる、と、無生物が生物を生む、つまり、体が心を作ると云う風にしか思えない。それから五感で分らないものはないとしか思えない。この二つの非常な間違いを始めから持っているんですね。

この「老子の自然学」とは、こんなものらしい。解説者の横山氏がこう書いている。
その「老子の自然学」を次に挙げてみます。

 「先ず天地開闢(てんちかいびゃく)のはじめ、無(む)に息(そく)が現れる。そうすると生(せい)が生まれる。次に生が生たるを失わないで、命(めい)が生まれる。更に生が生たる命が命たるを失わないで、悟(ご)が生まれる」

 これが極めてシンプルではあるが、ダーウィンの進化論とは全く趣きを異にする「老子の自然学」といわれるものです。
ここで、「無」とは、仏教では「空」。「息」とは振動のようなもの、最近では「波動」という言葉にあたる。次に「生」とは、「無生物」のこと。「命」とは、「動植物」のこと。「悟」とは、東洋の理想である「聖人」のこと。

つまり、老子はこう言っているということになる。
この宇宙では、最初に無から始まり、息(波動)が生まれる。次に「生(無生物=物質)」が生まれる。そして「命(動植物)」が生まれる。そして最後に「悟(聖人=覚醒者)」が生まれる。

無→息→生→命→悟→

したがって、東洋人が「生命」という意味は、「生」=「無生物」と「命」=「生き物」=「生物」の両方をいっしょに生命=ライフ(life)と考えているという意味である。そして、岡潔博士は、「これが直感にあって正しい」と言っていたというわけである。


(う)次は「造化(ぞうか)」という言葉が出てくるもの。この「造化」とは、万物を創造するものの意味だが、これはいわゆる西洋人のいう「万物の創造主」=「神」というものと区別するために、わざわざ「造化」と呼ぶことにしていたようである。
【 3】 造化の冥助

 で、20億年前に、50億年前かも知れませんが、単細胞生物が地上に現われた。この単細胞生物が進化して人になったんですね。身体だけ見てみましても、人の身体は非常に数多くの細胞から成っている。その細胞の配列は、実に精緻を極めたものです。単細胞がこんな生物、身体に進化した。これ実に不思議ですね。
 あなた方は、人が、自分でここ迄向上したんだと思いますか? そんな事思えんでしょう。造化が向上させてくれたんだとしか思えないでしょう。造化が単細胞を向上させて人の身体にまで持って来たんです。
 じゃあ、そうして一旦人と云うものが出来てしまったら、後は造化の手を放れて、自分だけでやれるか。振り返って見ますと、赤ん坊が生れる時、最初は母の胎内に単細胞として現われますね。それが細胞分裂を起して、そして人の身体になるんですね。これは、人が自分の力でやってるんでしょうか? そんな事思える人ないでしょう。やっぱり造化にやってもらっている。
 だから一旦、人になってのちも、絶えず造化によって人の五体を作ってもらっている。こう考えた方がずっとよく分るでしょう? 人がやってるなんてとても思われやしないでしょう。じゃあ、そうして、ちゃんとした身体を備えた人になれば、後は自分でやっているでしょうか。

この後半部分が実に面白い発想である。

我々がいわゆる「進化」というものを信ずれば、そしてもしそれをこの宇宙の「造化」がやったと思えるだろう。だったら、人が受精卵からかえって徐々に人の形になり、それが出産を経て、人として生まれ、さらにそれが成人になり、人の一生を終える。これもまた、人がやっているというよりは、「造化がやっている」と捉えるほうが理にかなっている。そういう主張である。

実は、ここが日本人と外人のもっとも基本的な世界認識の差なのである。

よく我々日本人には「生かせてもらっている」というような感じの言葉を言う人がいたり、言わないまでも、そう思うというのがだいたいの人はその意味を理解できる。ところが、西洋人にはまったくこういう感性がないのである。

日本人は、「人はこの宇宙に生かせてもらっている」という主張は実に自然に聞こえるが、西洋人はこれが理解できないのである。おそらく、「うまみ」や「和食の健康食」の問題と同様に、科学的に証明されるまでは信じないだろう。

こういった西洋人独特の特徴が、今の世界の荒廃に導いたという意味合いで、岡潔は批判しているわけですナ。

(え)途中ははしょり、この問題を野球や執筆にたとえている部分がある。次のものである。
【 9】 野球と原稿

 まあ野球なら野球ですが、練習すれば上達すると思っている。練習すれば何故上達するのか、練習するのは人であって、上達、これはするのではなく、させてもらっているんでしょう。する事も有ればしない事も有る。練習すれば必ず上達するとはいかんでしょう。で、云える事は、練習しなかったら上達しないと云う事だけでしょう。
 勉強すれば偉くなると云うのだってそうです。勉強すれば偉くなるとは限らない。勉強しなかったら偉くならないと云うだけです。偉くなる方はどうして偉くなるのか分らないし、偶然偉くなっているんです。そうなってるんです。偉いって一体何がどうなったことか分らないのですけれどね。
 例えば原稿を書いてみると、読んでみると、うまく書けてたりするから偉くなったと云ってるんだけど、その原稿は一体自分が書いているのか造化が書いてくれているのか分りやしません。
 読み直して直す段になって、これは自分がやっているんだと云える。「あなたは何故こうお書きになったのか」と聞かれても答えられやしません。「あなたはどうして、ここをこうお直しになったのか」と聞かれたらこれは答えられる。その辺からハッキリ自分です。

野球がうまくなりたきゃ、サッカーがうまくなりたきゃ、練習するほかはない。だけど、練習したからといっていつもそうそうにうまくなるわけではない。あとは神頼み。造化頼みだろ。結局、うまくなるかどうかは神のみぞ知る。しかし、練習しない限りそれはない。そう言っているわけである。

まったく、その通り。

何事も為せば成る。ならんはならん。

とはいうものの、本当にそれがなるかどうかは、だれにも分からない。この世界とはそんなものだ。そういっているわけである。

あとから見たら、俺はあの時こういう偶然が重なって、今の俺になった。

そう分かるだけだ。そういうものだよ。そういっているわけですナ。実に深い。


(お)そして最後に結論。これを終生、岡潔博士は繰り返し語り続けたのである。
【10】 人類の思い上がり

人はこんなものなんです。それで何よりも皆さんに御相談したいんですがね、今、人類の思い上りは目に余る。このまま捨てておけば千年も経たない内に人類は亡びてしまうだろう。
 実際、造化にそう云う風な人の心があって、そして、ああしよう、こうしようと云う風にするものならば、造化はそんな事しませんが、もしするんだったら、人などと云う悪い動物は一刻も早く亡ぼしてしまわなければ地球上の動物や、植物はひどい目に逢う、実にひどい目に逢うと思うでしょう。
 だから自分の無知無能を知って、このひどい思い上りだけは止めようじゃありませんか、そう提議したい。まず日本人だけがそれを止め、次に世界にそれを提議するのが人類に対する急務だと思う。その為には、自分が如何に無知無能であるかを良く見ればよい。これは大脳前頭葉を使ってやれる。意識を通してやれる。
 自然科学などと威張ってましたが皆間違ってるでしょう。その上に組み上げた一切の文明などと云うものは、有りやしません。この、自然は何故か分らないが、造化は物質に法則あらしめているんです。それだけを知ってそしてその法則を探り、それを組み合わせているのが人類の文明です。全然威張られやしない。
 人がこの思い上りを捨てたら、人は如何に生きるべきかと云う事を、又思い出すだろう。で、これが一番言いたい事だったんです。

己の無知の知。思い上がりをやめる。

これしかない。人類の滅亡を止めるには、これよりほかにない。そう岡潔博士は考えていたのである。

まあ、私が付け加えれば、「人類」という部分は、それに「朝鮮人」や「支那人」や「イルミナティー」や「アメリカ人」でも「日本人」でも、なんでもいいから入れ替えてみることができるということである。そのほうが分かりやすいだろう。もちろん、岡潔博士はこういうものを全部ひっくるめて「人類」と言っている。

そして、一番最初に日本人が己の無知を知り、思い上がりをやめよう、といっていた。これが岡潔博士の一番言いたいことだったのである。

いまこそ、謙虚にこの岡潔博士の言葉に耳を貸そうではないか。


おまけ:
ついでに、なぜ私がわざわざここに岡潔博士の思想をメモしているのか?という理由をメモしておこう。

岡博士の言説を見れば分かるように、東洋人の偉大な先駆者たちは、けっしてこの宇宙やその構造を西洋人や西洋の哲学者のようには捉えていなかった。宇宙は「ユニバース(単一宇宙)」とか「マルチバース(多次元宇宙)」とか、「パラレルワールド(平行宇宙)」とか、そういうふうには捉えていなかったのである。

無生物と生命、無から有がどうして生まれるのか? 無生物から生物がどうして生まれるのか?こういう捉え方もしていなかった。むしろ、無と有は不一不二のもの、不可分のものと捉えていたのである。

だから、エイリアンとチャネリングした、エイリアンがこう言っていた、宇宙人に見せられた、などといって、「この多次元宇宙が〜〜」どうたらこうとか、「実はこの宇宙はパラレルワールドなんです」とかいって、チャネラーやら、なにやら言っていたとしても、そこで使われている語句やキーワードが、そういう西洋人そのものの発想から来ているものしかない、そういうものだけで埋め尽くされているとすれば、すべてまやかしにすぎないというわけである。

なぜなら、もし本当にそれがエイリアンの主張であるならば、むしろ東洋思想も西洋思想もすべて超越したもの、人類を超越した思想でなくてはならないはずだからである。いくら普通には理解しがたくとも、その筋の最先端の(まあ、そう自称する)物理学者が作った言葉や概念だけで語られているとすれば、それは恣意的なもの、つまり、だれか工作員が行なっている、一種のキャンペーンだと考えるべきである。そういうことになるわけだ。

西洋人の思考にはかなり制限や欠陥がある。だから、それが一種特有の頭の使い方によって、これまた特有の認識の仕方をしてしまう。3次元でうまく行かなきゃ、4次元だ。それでもだめなら10次元だ。こういう発想は西洋人特有だと岡潔は認識しているのである。

まあ、私が岡潔の思想から類推するに、次元というものは、一種の絵を書く紙のようなものだから、あるいは何かを詰めるボックスのようなものだから、いくらそういうものを増やした所で宇宙を理解することなど無理。むしろ、岡潔の「層の概念」(おそらく、これは禅の思想から来たと考えられる)に基いて宇宙の構造を考えたほうがリアリティーがあるようにみえるのである。

層とは、人間には「10識」あるというような話の時の「識の層」=「認識の多重構造」のようなものをいう。そしていわゆる動物の「五感」から始まり、最後の「宇宙の情」に至る、「層状構造」でできているのだ。そういうふうに宇宙を見る方が「パラレルワールド」やら「マルチバース」だなどというより、よりわかり易く真実に近いのである。

しかしこれまた、ここで、そういうものを西洋人であるスウェーデンボルグやらだれそれの書いた西洋人型思考で「射影」してしまった「宇宙の構造」やら「生まれ変わり(リインカーネーション)」やらに焼き直してしまえば、これまた西洋人の思考の欠点を遺伝することになるわけですナ。

老子や道元など東洋の偉人はそういうふうには見ていなかった。

老子や道元も地球人の一人にすぎない。

だとすれば、エイリアンが教えてくたものであれば、老子の自然学や道元の時の認識、そして西洋人の自然科学者の考え方もすべて超越しないとおかしいのである。

私がスピリチュアルの人のいう、チャネリングの相手の思想がいくら一見もっともらしくとも、それが人が作ったものか、本当にエイリアンが作ったものかを見極めることは実に簡単なことなのである。

大半は西洋人のそのご本人が自分で作ったものを、あたかもあっちの世界の人が教えてくれたかのように言っているにすぎない。つまり、一種の病気なのである。

とまあ、そういうことを知るための一つの前提として、ここに岡潔の思想をメモしていたというわけですナ。

まあ、分かる人にしか分からんだろうがネ。まあ、おれにはどうでもいいことだがナ。
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  by kikidoblog | 2013-07-09 10:49 | 人物

石原慎太郎の歴史的代表質問!:「遺伝子改変作物は絶対に禁止すべきだ!」ともの申す!

みなさん、こんにちは。

何でもそうだが、「書けば癒される」という面がある。そのため、小説であろうが、漫画であろうが、アニメであろうが、ブログであろうが、何であろうが、その作者が自分の日々の鬱憤を書き連ねることで、その鬱憤ストレスをはらすことができる。そういう面が存在する。

だからというわけではなかろうが、なんでもなんでも「戦争は嫌だ」から、反政府的意見を言ったり、だれかに心酔しきってしまい、何でもかんでも小沢マンセーになったり、日々の鬱憤をエイリアンに求めて、宇宙人を「救世主」にしてみたり、何でもかんでもアセンション話や霊魂に結びつけたり、何でもかんでも偽ユダヤ人のロスチャイルドやロックフェラーのせいにしてみたり、何でもかんでも特亜のせいにしてみたりする。そうすると、確かに自分の日々のストレス、この現実社会の不合理や不条理を癒すことができる。

そんなわけで、多くのブログ主にもそういう傾向があるようである。

しかしながら、やはり何事にも一長一短はあるわけだから、それが99%嘘で1%の真実しかなかったとしても、その1%の真実には耳を傾けるべきだろう。仮に90%が真実だが、10%が嘘であったにせよ、その10%のために90%を無視することはフェアーではないに違いない。

実は、これはかつて、東大柔道部出身の柔道家で流体力学の専門家、NASAのエイムズ研究所で長年勤務し、筑波大教授だった、故柘植俊一博士が
反秀才論
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で語った「積分評価」と「微分評価」の違いというものである。物事は微分評価でみないとよろしくないという話である。

ちなみに、この柘植博士は、最近柔道を引退表明した福見友子さんの師匠であった。福見さんは子供の頃、つくばの柘植道場で練習を始めたという話である。

さて、ちょうどそんな例の典型的なものが、昨日の「衆参両院 国家基本政策委員会合同審査会」の党首討論で登場したので、今回はこれをメモしておこう。それは、石原慎太郎氏の代表質問である。今回の石原慎太郎の代表質問は非常に興味深かった。おそらく歴史的なものであると思う。

石原慎太郎さん個人を好き嫌いでみれば、大半が嫌いというだろう。また、石原慎太郎さんを政治的信念や信条でみれば、大半は極右の国粋主義者、戦争大好き人間にみえるからといって、毛嫌いするにちがいない。だから、石原慎太郎の言っていることなどあてになるか、というような見方をするに違いない。

こういう見方を「積分評価」という。物事を総じて足してしまうのである。簡単にいえば、その人の行為を多数決して評価してしまうのである。和をとって見てしまうというやり方である。

一方、「微分評価」というのは、その人の行為の一つ一つをミクロに見て良いことは良い、悪いことは悪い、というふうに評価するやり方のことである。

だから、もし今回の石原慎太郎の代表質問も「積分評価」で見れば、今回の石原氏の非常に重要な意見があったにもかかわらず、それがスルー(無視)されてしまうに違いないが、「微分評価」で個別に見ていけば、実に重要な発言(質問)を投げかけたということになるだろう。

さて、前置きがだいぶ長くなってしまったが、その代表質問の映像はこれ。本当はその日のうちにメモしたかったが、YouTubeに映像がでるまで待っていたので遅くなった。
【党首討論】~平成25年4月17日衆参両院 国家基本政策委員会合同審査会~

問題のシーンは、36分目である。
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これは、日本の国会で歴史上初めて「モンサントの遺伝子改変作物」の危険性を問題視した代表質問である。

この代表質問で、いわゆる「陰謀論」としてこれまでだれも取り上げなかった、スコットランド人生物学者のアーバッド・プースタイ博士の研究
遺伝子改変食物は人類改変食物か?:その目的は人口削減と人類2種分裂化だとサ!
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を取り上げて、遺伝子改変作物の摂取の危険性を日本の国会の代表質問で、TPPの問題の根本
マネーハンドラー ロックフェラーの完全支配
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に据えて反論したものである。

やったぞ、石原慎太郎さん!グッジョブ!

私の個人的印象では、この石原慎太郎の代表質問に対する脅しとして、三宅島の地震や東北の地震を起こしたのではないかという感じすらするのである。それほどまでに、反TPP」論議の本質として、「遺伝子作物禁止」を取り上げたのは、この石原慎太郎以外にはいないのである。

はたして政府自民党の安倍晋三、麻生太郎内閣が、どれほどまでにこの問題に踏み込むかは今後の動向次第というわけである。

いずれにせよ、ボディーブローのように、「陰謀暴露」論者からの情報が政治家たちの脳裏にも上がりつつあるということだけは確かなようである。

中山成彬議員の歴史的質問に続き、石原慎太郎も歴史的質問を行った。
ちょっとだけ政治家も覚醒してきた観はある。


おまけ:
石原慎太郎のうしろで首振ったりすっとぼけた顔しているのは、この人だった。
元民主党菅直人政権内閣官房副長官、福山哲郎民主党議員
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いったい大学大学院で何を勉強したんでしょうナ? 日本語分かる?
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  by KiKidoblog | 2013-04-18 18:00 | 人物

佐藤浩市さんの祖父、三國連太郎さんの父はだれだったのか?

みなさん、こんにちは。

今回は三國連太郎さんを追悼して、私個人の一種の興味というか、妄想をメモしておこう。だから信じるに足る話ではないから、普通の人はスルーして欲しい。

−−−−−−−−−−−
(あ)まず私が三國連太郎というとすぐに気になるのが、あの端正な顔立ちはどこからきたのだろうか?ということである。西洋人とのハーフのような二枚目の顔と181cmの長身である。あの1920年代でそれほどの体躯の持ち主はそうはいなかったはずである。

そこで、まず三國連太郎さんの経歴を見るとこんなことが書かれている。
三國連太郎
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三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年1月20日 - 2013年4月14日[1])は日本の俳優。本名は佐藤 政雄(さとう まさお)。群馬県太田市生まれ。身長181cm、体重75kg[2]。

母親は16歳で一家が離散し広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公に出され、ここで三國を身籠り追い出されて帰郷した[3]。たまたま静岡県沼津駅で知り合った父親となる人物の仕事先だった群馬県太田市で結婚し三國が生まれた。このため三國は私生児となる。この育ての父親は電気工事の渡り職人で、三國が生後7か月のとき、一家で父親の故郷・静岡県西伊豆に戻った。(以下省略)
この経歴を見て、これはと思う人はほとんどいないはずである。

(い)今もそうだが、広島の呉という場所は日本海軍の本拠地の1つであった。総本山といってもいい場所であった。

三國連太郎さんの母親は、そこへ奉公にいって身籠った。ということは、普通に考えれば、その海軍軍人の子供を身籠ったということになる。つまり、三國連太郎さんは日本海軍の軍人さんの子孫だということになるだろう。

そこで、いったいだれの所に奉公に行ったのか? ということになる。

(う)あまりに昔のことでさすがにインターネットにはそれほどの情報はない。しかし、偶然にも非常に興味深いものを見つけた。以下のものである。
帝国メイド倶楽部直前小ネタ・海軍と女中

 明日はいよいよ帝国メイド倶楽部七ですね。ペーパーはこれから作ります(苦笑)。

 ちょっと調べものがあって、戦前の国勢調査の広島県の記録を借りてきました。詳細な職業別人口が載っていて結構面白く、そういや随分前、半藤一利氏か誰かの座談会での放言をきっかけに「海軍メイドさん事件」とか盛り上がってたなあ、と昔を思い出し、呉市の職業別人口を調べてみました。と言うのも、1920(大正9)年の第1回国勢調査の調査基準は今とかなり異なっているので、「海軍軍人の家にいる家事使用人」を調べることが可能なのです。
 で、1920年の呉市の海軍軍人の家にいると見られる女性家事使用人数の結果は、226人ですね。
 一方、主な雇い主である海軍現役軍人の、おそらく士官かそれに相当する階級と思われる「業主」分類は723人、その扶養家族が1798人、彼らが雇っている女性家事使用人が220人(男の使用人も1人)です。呉の海軍軍人全体の合計は12578人で、うち一般兵と見られる「労務者」分類が8986人(扶養家族・使用人なし・・・当たり前か)、「職員」分類が2869人、扶養家族2826人、使用人6人となっています。
 つまり、家に女中のいる海軍軍人は少数派であったと思われます。士官以上(だろう、多分)の世帯三軒半に一軒しか使用人を置いていないことになりますので。あんまり給料が高くなかったんでしょうね。

 ちなみに、メイドといえばイギリス、なわけですが、1920年当時の呉市にはイギリス人女性2名が住んでいることが判明しました。さて、ここで問題。彼女たちはいかなる仕事に就いていたのでしょうか?

(解答は後刻コメント欄に)

このブログ主の調査を信ずれば、1920年当時、広島県呉市の国勢調査がおこなわれ、当時の家事使用人(いわゆるメイドさん)は、たったの220人しかいなかったのである。したがって、この220人の中に三國連太郎さんの母親も含まれていたと考えられる。

そして、興味深いことは、一般軍人ではないということである。当時、メイドを雇うことができたのは海軍将校に限られていたのである。どうやらこの習慣は日本海軍が当時のドイツ帝国海軍の真似をしたものらしいが、定かではない。

これが、
半藤一利氏か誰かの座談会での放言をきっかけに「海軍メイドさん事件」とか盛り上がってたなあ、
という部分にあたる。

そうなると、三國連太郎さんの父親は呉の海軍将校のだれかだったということになる。

(え)そこで、当時の呉の海軍将校をだれかまとめていないか? 果たしてその海軍将校の中で、三國連太郎さんそっくりの人はいるだろうか? いなければ、この仮説は単なる妄想に終わる。

そんなわけで、いろいろ調べてみると、こんなものを見つけた。
広島の海軍士官

この中の将校の名前と顔を一人ひとり調べてみると、面白いことに数人の将校の顔が、
三國連太郎さん
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と結構似ていることがわかった。以下の人々である。
井上成美
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及川古志郎
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谷口尚真
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今村信次郎
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南雲忠一
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おまけ
秋山真之
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(昔の日本海軍の将校たちは、今で言えば、イケメン。非常に美形の整った顔立ちをしていたようである。凛とした顔つきしかいない。また不思議なことに、鼻が高く細く、小鼻の張りが小さいのである。現代の日本人とはかなり異なった顔立ちで、おそらく現在では関東の人間の顔つきに近い。この意味からも、現代人は、関西などを中心に半島の朝鮮人の遺伝的影響を受けたに違いない。)
その他にはあまり似た感じの将校はいなかった。

この中でなんといっても三國連太郎さんの顔の最大の特徴といえば、眉間のシワだろう。眉間にシワのある顔というのは、日本人には非常に少ない。そしてアゴの割れ同様に、これは遺伝する。

おどろくべきことに、この将校たちの中でただ一人、眉間に大きく深いシワを持つものがいた。それが南雲忠一第一航空艦隊司令長官である。

二人を並べてみよう。
南雲忠一司令官
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三國連太郎さん
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ついでに孫の佐藤浩市さん
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まあ、そういうわけで、この辺りが一番可能性が高いのではないだろうか?

いずれにせよ、血は水よりも濃い。三國連太郎さんのあの威厳のある顔立ちは、海軍将校譲りであった可能性は非常に高いといえるだろう。

果たして真実はいかに。神のみぞ知るというやつでしょうナ。信じないで欲しい。これはあくまで私個人の妄想メモですナ。

かさねて三國連太郎さんのご冥福をお祈りしたい。
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  by KiKidoblog | 2013-04-16 16:45 | 人物

飛鳥昭雄は、モルモン教のエージェントだった!?:いや〜〜、参ったネ。

みなさん、こんにちは。

サイエンス・エンターテイナーの飛鳥昭雄氏、この私も長らく彼のファンの一人なのだが、この間の話の中に「自分が所属するキリスト教会はアメリカにある」という部分があった。どうもそこが引っかかるので、どの教会なんだろうかと調べてみると、どうやらモルモン教会であった。これをメモしておこう。

まず、飛鳥昭雄氏の所属するキリスト教とは、
末日聖徒イエス・キリスト協会
末日聖徒イエス・キリスト教会
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というものらしい。

「末日聖徒イエス・キリスト教会」というから、なんと仰々しい名前なんだと感じたのだが、なんていうことはない。昔の「モルモン教会」のことではないか。何か懐かしいので、ここにメモしておこう。

このモルモン教の聖地はユタ州ソルトレークである。だから、私はユタ大学出身のため、4年間その聖地に住んでいた。初めてアメリカ大陸に宿泊した場所が、ソルトレークのフェアバンクのモーテルだった。私は週末にアメリカに行ってしまったため、大学が休みで、始まるまでの2日間そのモーテルで過ごしたのだった。私は右も左もわからず、大学内でトランク片手に困っている所にちょうど出くわした家族がいた。その家族が帰るついでだからといって、そのモーテルまでわざわざ送ってくれたである。

その家族がモルモン教徒だったかどうか知らないが、一般にモルモン教徒は実に親切な人達である。あまり悪い人はいない。

ユタ大の学部学生の7割〜8割はモルモン教徒である。一方、教える方は、ほとんどいない。大学院生もほとんど他から来ているために、極めてモルモン教徒は少ない。モルモン教徒が100%通う大学は、BYU(ブリガム・ヤング大学)の方である。ソルトレークの隣のプロボーという都市にある。インディージョーンズの教鞭をとる大学がここだと言われている。

かつてモルモン教の宣教師は、白いワイシャツにスラックスと自転車の出で立ちで日本で宣教した。今もそうかどうかは知らないが、だいたいそんな格好をする。ほとんどが白人の都市だから、日本女性の目には、非常にハンサムでかっこ良く見える。いまでいうイケメンに見える。それで日本人信者を獲得したのである。

そうやって海外や日本で宣教師を終えると、モルモン社会でそれなりの功績となり、奨学金がもらえるのである。日本人を何人信者にしたかによって、自分の位が上がり、それなりの称号を得る。そうやって、大学に入る。

私はそういうふうにして日本から帰ってきたモルモンの大学生をたくさん教えた。だから、「あなたは長渕剛のCDもってるかい? 僕は持っているが聴くかい?」とかいろいろ誘われたものである。

すると、今度はプロボーに若い日本人女性がたくさんやって来るようになった。それは、そういうユタの米人宣教師を好きになってユタまで追っかけて来たのであった。そうやって、若い女性がプロボやソルトレークに住み着くようになる。斉藤由貴さんもやってきた。

すると、今度はそういう日本女性を追っかけて日本人男性がたくさんやってくる。日本のモルモン教会で好きになった日本女性信者を追いかけるのである。

私は大学院生だから、遊んでいる暇がないから、必死で週2日の徹夜をしていたという頃のことである。とまあ、そんな1980年代後半であった。そんなモルモン教のソルトレークだから、なぜか懐かしい。

さて、モルモン教徒は、コーヒーを飲まない。飲んではいけないことになっている。コカ・コーラ(コーク)も飲んではいけないことになっている。カフェイン入りは全部ダメということになっている。

しかし、私は、モルモン教徒でも何でもないから、コーヒーは飲むし、コークも飲み放題だった。ソルトレークの有名な喫茶店ロースティングカンパニーの常連だった。週末には必ず行っていた。

そのせいかどうか分からないが、いつしか私はかなり重度のアレルギーを発症したようである。咳が止まらない状態が始まったのである。今思えば、スギ花粉症だったようである。結果的には、それが日本に帰国後にさらにひどくなり、結局企業を出る原因になったのである。まあ、モルモン教の祟というやつですナ。

まあ、だいぶ余計な話が長くなったが、どうやら飛鳥昭雄氏はモルモン教徒ということらしい。そうすると、氏の終末思想やキリスト教徒の話やヘブライ人の話が良く分かる。

要するに、「これから世界は終末に向かうから、モルモン教に入らないと救いはないヨ」と言っているわけである。
飛鳥昭雄ファンクラブ

まあ、普通の言い方をすれば、「飛鳥昭雄はモルモン教のエージェントだ」ということになる。モルモン教は日本の創価学会や統一教会や立正佼成会のように大組織である。だから、金がある。信者も多い。なるほど、なるほど。という感じですナ。

信じるものは救われる、というやつですナ。信じないものは救われない。

きっと私の額には666が印字され、腕には一生とれないバンドを付けられ、体内にはマイクロチップが埋め込まれてしまうのだろう。

世も末ですナ。


おまけ:
飛鳥昭雄さん、ルンルンですナ。
飛鳥昭雄+桜田ファミリア
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なんなんだ、これ??? 鉄郎とメーテルにしか見えないが?
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  by KiKidoblog | 2013-04-02 17:27 | 人物

麻生太郎の「とてつもない日本」:「私は劣等生だった」



みなさん、こんにちは。

先日「「世界が学び続けるとてつもない日本」:正々堂々と生きよう、日本人!」でメモした、「とてつもない日本」というYouTube番組は、現安倍政権の重鎮、
麻生太郎
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とてつもない日本
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という本の「序文」であった。そっくりそのままの文章であった。

そこで、市内のブックオフにあれば読んでみようかと、見に行くと、1冊だけあったので、それを買って読んでみたのである。

結論から先に言うと、意外にも「麻生太郎は人格者だった」という一言に尽きる。考え方が非常に面白い。というより、良い考え方をしている、と言えるだろう。

ある人達が
「〜〜〜はダメなんじゃないか」
というと、麻生氏は
「ほんとにそうだろうか? もっとよく別の面から考えてみると、むしろそれは〜〜〜は何か良い事を意味しているんじゃないか?」
というような考え方や捉え方をする人だということである。

例えば、「ニートも、捨てたもんじゃない」とか、「若者のソフトパワー」とか、「若さは至上か」とか、「「格差感」に騙されていないか?」というような章を見れば分かるだろう。すべて普通では(特にマスゴミは)悪く吹聴するところを、必ずしもそうではないよ、というスタンスの意見をまとめている。

どうやらこの習慣のために、日本では麻生氏は「ひねくれている」とか、「斜に構えている」とか受け取られるらしい。この意味で、麻生氏は日本では悪いイメージを植え付けられてしまっているようである。また、本人は射撃の達人だから、政治家となった今、いつもゴルゴ13のような存在から狙われていることも意識しているにちがいない。だから、一見
ハードボイルド風の出で立ち
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でそれをかわすのも当然といえば当然のことだろうが、こういったこともマスゴミからは真意が理解されないのだろう。

さて、内容に関してはここでメモするつもりはないが、その精神においては、YouTube番組にある「序文」にすべてが語られていると思ってまず間違いはない。

ここでは、我々がまず知ることがない家庭内の話だけをちょっとメモしておこう。

(あ)「私は劣等生だった」
という章によれば、成績は学習院の中等科時代145人中140番だったという。

ところで、どうやら麻生さんは、弟さんがいて、それも極めて優秀な実弟がいるらしい。スポーツも勉学も何から何まで自分より優れている弟がいるという。それで、小さい頃から「弟と比べられて育った」ために、いつもコンプレックスを持っていたようである。この事実はあまり知られていない。まあ、私が知らなかっただけだろうが。

そこで、落第したら下の弟さんに学年まで追い越されかねない。だから、なんとかして落第だけはさけたという。しかしながら、逆にこういう経験が「人間は生まれながらに平等なんて嘘だ」という思想を芽生えさせるきっかけになったようである。

一般に、麻生氏は政治家の家系のプリンスだから、麻生さんが「人間は生まれながらに平等なんて嘘だ」といえば、名家の小倅が何だということになってしまうらしいが、麻生太郎がいう意味は、自分はあまり際立った才能がなかったために非常に苦労したということを言っているらしい。だから、自分は普通の人や普通以下の人の気持ちがよく分かるのだ、という意味で言っているということである。

(い)「義務教育は必要か?」
この短い章は意外に本質的なこと、本質論的なことをとらえている。
「もし中学を義務教育から外せば、どうなるか?」
という根源的な問いかけがある。普通の人はこういう発想はしない。むしろ、高校まで、いっそのこと大学まで義務教育にしたらどうか、という発想をする。

しかしながら、麻生太郎は全く逆の問いかけをする。「早く世に出る」社会であれば、勉強は勉強が好きなもの、学者や官僚になりたいものだけが進む。一方、普通の人は早く世に出る分、自分に対する自覚が早く芽生え、その結果、その道のプロになりやすい。

勉強が好きでもないものに、高校大学へと進学させるものだから、無駄に税金もかかるし、親も負担がたいへんになる。しかも大学モラトリアムでせっかくの技能の逸材になれるものですら、普通のサラリーマンにしかなれずに終わる。それに対して、三浦知良選手のように中卒でブラジルに行ってサッカーのプロになるのもよし、板前さんになるのもよし、中卒で弟子入りして落語家になるのもよし、そういう道を閉ざす結果になっているのではあるまいか、というような発想である。

この発想は面白い。

実際、江戸時代や明治時代に日本文化を西洋がジャポネスクやジャポニズムと呼んで驚いた文化は、この徒弟制度が生んだものである。学校で学ぶことには限界があるが、実際に職人さんから実地に学ぶことには無限の奥深さがある。肌で感じて学ぶことと、本で知識として学ぶことには大いなる差があるのである。

よく麻生太郎氏が
「やはり学者さんだ。学者さんの発想はそこまでだ」
というようなことを言う場面に出会うが、それはこうした背景があると考えるべきだろう。最近でも日銀新総裁の楽観的推測に対してそういう意味合いの批判をした。

一般的な知識、だれでも本を学べばそこに書いてあるというような知識、そういうものから学んだ人間とそうではない現場主義や実地主義で学んだ人間の違いというものを麻生太郎は非常によく理解しているようである。実際、ご自身が「麻生セメント」の社長さんであった。

(う)陰謀史観の欠如
さて、この本の最大の欠陥や欠点があるとすれば、あまりに世界の一面しか見ていないということだろう。いわゆる「陰謀論」や「陰謀暴露論」の知識はゼロである。普通の言い方をすれば「性善説」に彩られているということである。

しかしながら、日本にはイルミナティーもいれば、ユダヤ人起業家もいれば、偽ユダヤ人もいるし、フリーメーソンもいれば、イエズス会もいる。在日朝鮮人もいれば、中韓北の工作員もいる。それも何十万人といる。(いわゆる左翼、右翼、ミンス党、カルト宗教など全部そういったものだ思っても間違いはない。)それ以外にCIAやらKGBやらモサドやらMI6やらもいる。みんな見た目は普通の人である。

こういう人たちのそれぞれの歴史的背景、目的、意図、計画。そしてその結果何をしようとしているのか、これまで何を行ったか、こういった思索が皆無だということである。

例えば、「SARS」が生じた時は怖かったとあるが、その「SARS」を作ったものはだれだったか? どういうルートでだれが持ち込んだのか? 何を目論んでいたか? こういう発想が欠落しているのである。もちろん、いまではSARSはどこかの生物研究所で作られたことが分かっている。豚インフルエンザ、鳥インフルエンザウィルスもそうである。今では、人−鳥ー豚インフルエンザの遺伝子が規則正しく並んでいるウィルスなど自然界には存在し得ないが、そういうものが新型インフルエンザウィルスなのである。

また、「マスコミは政府を批判する」というが、その本質も理解できていないようである。なぜ日本ではマスコミが政府の揚げ足取りをするのか、いつも国の邪魔ばかりするのか、といえば、それは電通を支配しているものが朝鮮人だからである。朝鮮人は、在日、韓国、北朝鮮の三位一体となって世界を支配しようという無謀な戦略を持っているからなのである。もしいわゆる自虐史観でいう、昔の日本がアジアを支配しようとしたという言い方で見るならば、今朝鮮人が目指すものもそれと似た思想なのである。だから、韓国の歴史の教科書には、すべての人類は朝鮮半島から広がったことになっているようである。昔は日本は朝鮮の属国であったらしい。そう書かれた教科書を使っているのである。


テレビ業界、新聞雑誌メディアなどほとんどすべてがすでに朝鮮系に乗っ取られて久しいのである。だから、読売の女性記者が中川昭一氏の酒に毒をもったのである。したがって、朝鮮半島から不法流入してきた在日朝鮮人たちにも不当なほどの優遇制度ができあがっているのだが、それすらマスゴミは報道しないのである。
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(私は世界最高レベルの科学研究雑誌に70ほど研究を公表したが、フリーになってからも40ほど公表したが、一銭足りとも国から生活保護を得たり、研究費すら得るチャンスはない。それが現実だ。俺に2兆円くれたら、空飛ぶ円盤くらい10年以内に作ってやるヨ。こんなクズどもに毎年、2兆数千億円?笑わせるな!)


やはり、この意味では、日本にもJCIAやC科(陰謀研究部門)の設置が必須なのだろう。そしてこういう組織の人間が政治家にアドバイスしない限り、いつでも使い捨てにされて終わりとなる。結果として国民はいつもないがしろにされっぱなしということになるに違いない。

こういう意味では、日本の政治家はもっとしっかりして欲しい、というのが私の偽ざる感想である。

まあ、いずれにしても、麻生太郎さんは日本の中ではかなりユニークな存在であるということだけは確かなようである。
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  by KiKidoblog | 2013-03-25 11:02 | 人物

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