カテゴリ:ボブスレー( 7 )

 

ボブスレーとはこういうスポーツ:100mの速さ×アメフトのパワー×宇宙飛行士の知性

みなさん、こんにちは。

桜の起源の話のついでに、さくらを描いたボブスレーの日本女子チームのことをおまけに出したついでに、そこだけピックアップしておこう。以下のものである。
2010年バンクーバー五輪

大和撫子の桧野真奈美(北斗病院)、浅津この­み(海野ビル)選手のボブスレー。

Bobsleigh Two-woman sled Vancouver 2010【さくらさくら咲く】
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日本女子は、一本目は、48分目から登場。二本目は、1時間1分に登場。
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Two-Woman Bobsleigh - Run 1 and 2 - Complete Event - Vancouver 2010 Winter Olympic Games

三本目は、48分目から登場。四本目は、1時間5分に登場。
Two-Woman Bobsleigh - Run 3 and 4 - Complete Event - Vancouver 2010 Winter Olympic Games


陸上100m選手のスピードとアメフト選手並みの力と宇宙飛行士並みの冷静沈着さと知性がないと、この競技では優勝できない。


頑張れ日本!


ところで、もし韓国で冬季五輪が無理なら、日本はスルーするから、またバンクーバーでやってもらったらどうか?バンクーバーはいいぞ。韓国とカナダで共同開催という手もあるかもナア?



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  by Kikidoblog | 2015-04-14 18:53 | ボブスレー

「マネックス」と聞いたらボブスレー!?:ボブ戦友の松本大さん美女と結婚!?おめでとうございます!

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、「マネックス」の松本大さんが大いなる美人をゲット?以下のものである。
大江キャスター、マネックス松本社長と結婚へ
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「マネックス」と聞いたらボブスレー。

まあ、ほとんどの人は知らないはずである。

日本代表のボブスレーの鉄人パイロットの
鈴木寛さん
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の所属している会社である。
マネックス社長 松本大のつぶやき

皆さん、当社の社員がオリンピックに出場します。来月始まるバンクーバー五輪です。これは凄い!オンライン証券がオリンピックに!これは当社のウェブ&マーケティング部に所属する鈴木寛選手です。ボブスレー4人乗りの日本代表選手として4度目のオリンピック出場を果たします。2人乗りも、未だ最終決定していませんが、恐らく出場できることでしょう。鈴木選手は日本では無敵。日本が出場できさえすれば、それは当社所属の鈴木選手がパイロットを務めるボブスレーなのです。

昨日は兄弟(オリックス証券)の誕生、今日は社員の活動の話と、自らの話が続いて申し訳ありません。でも嬉しいのです♪皆さんも是非応援して下さい。ボブスレー日本代表・鈴木寛・マネックス証券所属、です!4年に一度のオリンピック出場にあやかって、そして恐らく証券界唯一のオリンピック代表にあやかって、当社のお客様の投資成績が飛躍することをお祈りします。そして当社自体も飛躍したいと願います。

ふと自らの周りの外に目を向けると、郵便貯金の預入限度額を引き上げる方向で政府・与党が調整に入ったなどの報道が気になります。そもそもその内容には大きな異論がありますし、なんでこんなニュースがポロッと出るのか、というプロセスにも大いに問題を感じます。が、今日はめでたいオリンピック出場の話にしときましょう。政府に意見の類は、よく考えてからまとめたいと思います。

実は私はこのマネックスの社長さんと10年ほど前に長野で会ったことがある。

その時のものがこれだ。
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検索「井口和基とは?」:ひまな奴もいるものだ?より

日本初の一般人のボブスレー搭乗の時である。鈴木さんがパイロットをし、千葉自動車の社長さんが二番手、三番手がこのマネックスの社長さん、そして最後尾が私であった。一番危険なのは最後尾。私はそこを志願して受け持ったのである。

我々は日本人で選手以外では初めて4人乗りボブに乗った戦友のようなものである。

当時はまだ若手社長だったんだが、いまやすっかり貫禄がついたようですナ。


ご結婚、おめでとうございます!

末永く鈴木寛氏のサポートをよろしくお願いします。
日本のボブスレー、日の丸ボブスレーめざしてサポートよろしくお願いしますゾ!

お幸せに!



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  by kikidoblog | 2014-09-16 20:34 | ボブスレー

ついに「日の丸ボブスレー」が完成!:みんなで応援しよう「国産ボブ」、期待していますヨ!

ボブスレーってこんな乗り物
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ボブスレー


みなさん、こんにちは。

だいぶ前に
検索「井口和基とは?」:ひまな奴もいるものだ?
にメモしたように、日本で最初に科学的にボブスレーを研究し、国産ボブスレーを作る道を探索するために、
「ボブスレー工学研究会」
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なる研究会のために立ち上がったのは、私と石井和男さん(現ボブスレー代表監督)と石井孝雄さんであった。最初に石井和男さんが私にメールをくれ、それから私が知人の石井孝雄さんにメールし、いろいろお願いしてみて、東大の航空流体力学の大御所の東博士に頼んで、初代研究会の代表になってもらったのである。それが2006年頃のことである。

ちなみに、東先生とは、あの札幌五輪の時の笠屋選手たちの
日の丸飛行隊
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の時に、「スキージャンプ工学研究会」を立ち上げて、それを指揮していろいろ科学的に研究した東大教授の愛弟子の工学博士である。
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ジェット機のように、両手を後ろに広げるという、このジャンプ姿勢を生み出した人物ですナ。ちなみに、東博士は琵琶湖の「鳥人大会」の審査員もしておられた。

偉業を達成するときには、必ずその背後で人知れず科学的に研究する人達がいる。そういうことが必須なのだ。というのが、私個人の思想である。

それ以来、ボブスレーに計測器を乗せて走ったり、全重量を測りに吊るして重心を調べたり、いろいろと試行錯誤をして、前回の2010年バンクーバー冬季五輪に参加したのだった。そして、男女共に絶好調を維持した。残念ながら男子は二回目で転倒して初の上位入賞を逃したが、女子はその名を歴史に刻んだのであった。

(これは「世界で最も美しいボブスレー」と言われた。)


あれから3年とちょっと。

ついに国産のボブスレーが誕生した。そして、それに日本代表が乗る。以下のものである。
走れ!下町ボブスレー、ソチへ町工場の夢
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来年2月に開幕するソチ五輪を目指し、東京都大田区の町工場が結集して開発した初の国産そり「下町ボブスレー」の2号機が完成し、8日に同区内で開かれた記者会見でお披露目された。

 2号機の部品加工と組み立てには、区内の約60社が無償で協力。昨年製作した1号機より全長を短くして軽量化も図り、スタート時の押し出しやすさを追求したほか、走行時の振動を吸収するように工夫した。11月以降の男子2人乗りの国際大会で好成績を収めれば、選手とともに五輪に出場できる。

 開発計画の中心メンバーで金属加工会社社長の細貝淳一さん(47)は「町工場の夢をのせて、何とかソチ五輪に出したい」。そりを操縦するパイロットの鈴木寛選手(39)も「下町ボブスレーで早々に五輪の出場権をとりたい」と決意を新たにした。(2013年10月8日15時22分 読売新聞)

鈴木選手がんばれ!期待していますよ。

この鈴木選手が、私が日本の歴史上初の一般人試乗の時のパイロットだったのである。私はもっとも危険な最後尾に乗った。手と足で踏ん張るだけで、シートベルトはない。斜度90度の壁から平地に落ちるたびに、尻が持ち上がる。この超絶スリルを味わった理論物理学者は私のみでしょうナ。
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(何を隠そう。私は、日本で最初の公式ボブスレーに乗った一般人3人の1人で、日本で4人乗りボブスレーに一番最初に乗った理論物理学者である。一番危険な最後尾を選択。尻が持ち上がる怖さは何とも言えないものがあった。最高時速120km。斜度90度。パイロットは今年で10連覇の強者の鈴木さん。)

最大斜度のカーブでは、猛烈な遠心力がかかる。特に頭に加わる。だから首がヘルメットの重さも加わった形で、股間に押しつぶされそうになるわけですナ。くしゃっとなるわけだヨ。だから、相当に身体を鍛えていないと、まず首がへし折れる。そして、腰が潰れる。

この私ですら、無事帰還した後、一ヶ月ほど首に違和感を感じたほどである。

また、右左とターンするたびに、頭がボディーの両側のエッジに叩きつけられる。だから、ヘルメットなしでは、頭蓋骨が陥没する。平地でも常に左右のエッジに頭がゴツンゴツンとぶつかるのである。

もっともこの地上で宇宙飛行に近いのがこのボブスレーである。氷上のF1とはよく言ったものである。

ザッツ、ボブスレー!

日本代表に乾杯! そして、製作者にありがとう!

はたして、日の丸ボブの初の入賞なるか? 乞うご期待!


おまけ:
一応、昔の拙ブログに書いた、「ボブスレー工学研究会」の設立時の話もメモしておこう。
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  by kikidoblog | 2013-10-08 17:54 | ボブスレー

日本の町工場「ボブスレー」作る!:「できる」と「できた」の違い!

みなさん、こんにちは。

やはり日本には技術があった。これは面白い。
「下町ボブスレー」試作機を公開 町工場の職人技光る
 冬季五輪種目のボブスレーのそりを、東京都大田区の町工場二十数社などの職人技で作り上げる「下町ボブスレー」の試作機が完成し、都内であった国際工作機械見本市で1日、公開された。年内にもテスト走行し、2014年のソチ五輪での採用を目指す。

 ボブスレーのそりは、フェラーリやBMWなどが技術開発を競う「氷上のF1」。下町ボブスレーは、金属加工技術を生かして骨格の溶接部分を減らし、ブレを抑えた。金属加工会社「マテリアル」の細貝淳一社長は「町工場が世界をつかむ夢が、若者にとって魅力になればいい」と話した。

開発した「下町ボブスレー」に試乗する町工場の経営者ら=1日午後、東京都江東区の東京ビッグサイト、上田潤撮影
記事「「下町ボブスレー」試作機を公開 町工場の職人技光る」より
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しかし、非常に残念。どうみても「1人乗りボブスレー」に見える。

ボブスレーには、2人乗りと4人乗りしか存在しないのだ。
検索「井口和基とは?」:ひまな奴もいるものだ?
しかも、電話帳ほどの厚さにもなる作成仕様についての国際ルールがある。見よう見まねで作ってもほとんどはオリンピックの規定外となるのだヨ。

せっかくそこまでの技術がありながら、実用にならない。惜しい。

これが日本の技術者によく見かける難点なのである。

かつて、日本の通産省というところに、工業技術院電子技術総合研究所という国の研究所が存在した。場所は筑波である。今では、それが経済産業省の産業技術総合研究所という形になっている。私はこの産総研の立ち上げの時の諮問会議にずっと外部研究者の1人として立ち会い、おおまかの方針を決めたのであった。若手の表彰制度を提案したのはこの私だったのだ。

さて、その電総研時代でも、当時から「通産省のショーウィンドー」の呼び声高く、「ここには何んでもあり、何んでも実現できる技術がある」という触れ込みであった。

実際、今の日本の太陽電池開発はすべてここから誕生し、日本の大企業に伝播していった。しかしその後劣勢になり、30年の空白時代が生まれ、そして311以降再びリバイバル中というわけである。

当時から、「これもできる。あれもできる。やろうとすれば何でもできる」と自慢する職員ばかりだった。そこで当時私は企業からの留学生として電総研で太陽電池開発の実験を学んでいたのだが、大学院時代に感銘を受けた準結晶発見の研究を思い出し、私が「じゃあ、準周期をもつ薄膜を作ろう。そうすれば、世界初になる。きっとノーベル賞級になるはずだ」というようなことを言ったところ、電総研の幹部職員はだれもその気にならなかった。その直後に、アメリカのマーリン博士がそれを作り、準周期的薄膜の創始者となった。(このきっかけのイスラエルのシェヒトマン博士は昨年ノーベル賞を受賞した。「『準結晶』の発見 2011年ノーベル化学賞解説」

さすがに私も嫌気がさし、「こんなとこじゃ、だめだな」とその後を考えることになるきっかけとなる事件であった。そしてその後、紆余曲折の果てに私はアメリカに幸いにして留学することができたというわけである。

こんな私の実に個人的経験でもそうだったが、日本の科学技術者には「できる」あるいは「できるはずだ」あるいは「できるだろう」ということ、すなわち、これらはみなひとつの「想像」や「予想」にすぎないが、こういう「見込み」、「想像」、「希望的観測」というものと、実際にそれに「チャレンジすること」、「現実に作ってみる」、「完成させること」との間にかなりあいまいなところがある。

私の観点と経験では、「できる」という仮定の話とそれを「やり遂げた」という実際の結果の話の間には「雲泥の違い」、「天と地の違い」があるのである。

しかしながら、「できる、できる」と言っているうちに、「何かできたかのように錯覚する」というメンタリティーがかなり多くの日本人には見受けられるのである。東大の御用学者、京大の学者などを見てもそうである。大半がそんな感じの人々である。

逆に言えば、「だから競争に負ける」のである。

自分ができると思うのであれば、それに向って粛々と実現を目指せば良いのである。それ以上でも以下でもない。

これと同じことはスポーツの世界にもある。この場合は科学技術者の「できる」の代わりが「なりたい」である。「僕はサッカー日本代表になりたい」あるいは「日本代表になれる」という目標や思い込みである。だれもが若い頃何度もそう思うというようなものである。

ならば粛々と汗水たらし、苦しい思いをしてそれを実現できるように努力すれば良いというだけの話なのだが、往々にして「代表になりたい」、「代表になれば、〜〜できるのに」というような皮算用ばかりして時間を無駄にする。さらには、そういうことを繰り返し言っているうちにあたかもそれが実現してしまったかのように思ってしまうということである。

朝鮮人の「ウソでも100回言えばそれが真実になる」という朱子学的な発想ほどひどくはないが、日本人にもかなりこの朝鮮朱子学の悪影響は知らず知らずのうちに忍び寄っていたのである。

見込みや思い込みとそれをいかに実現するか/したかという結果(=歴史)の話はまったく異なるのである。私は、一応ささやかながらも理論物理学の世界における、みんなが解ければいいなあと思っていたいくつかの問題を実際に解いてみせたという経験があるから、そう言えるというわけである。

なぜなら、そういったささやかな問題であったとしても、実際にそれをやりたいということとやり遂げることの間には雲泥の差があり、やり遂げた後というのは、単にやり遂げたという達成観だけではなく、やり遂げたことによってできなかった人たちよりさらに先を見ることができるという経験を実感したからである。

山の頂上に登りたいということと、実際に山の頂上に登った時の風景は異なる。

とまあ、そういうことである。それが後々「経験の差」という陳腐な言葉の中に秘められた実に「深い事柄」に繋がって行くのである。

いずれにせよ、その町工場の皆さん、ぜひ日本ボブスレー協会や日本ボブスレー監督の石井和男監督と一度ご相談ください。ぜひお願いしたいところですナ。
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  by Kikidoblog | 2012-11-04 10:22 | ボブスレー

検索「井口和基とは?」:ひまな奴もいるものだ?

ボブスレーってこんな乗り物
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みなさん、こんにちは。

今回はちょっと個人的なことをメモしておこう。

最近ときどき「井口和基とは?」とか言うキーワードで検索をかけて来る人がいるが、こういうのを何というべきか。「まあ世間知らず」とでも言っておこうか。あるいは、「怖いもの知らず」とでも言うべきか? まるで「この人だれ?」とでも言うかのように、私を知らない(おそらく、見たことがない)というだけの理由で、自分が高みから見下ろすかのような気分なのだろう。今や世の中の大半は私より年下だろうから、こういう精神状態を見るのは面白い。

そもそも私が我が家のHPを作ったのは、日本にインターネットのアクセスポイントができ始めた1996年の秋である。徳島では一番初期のものである。まだ当時無名のホリエモンがオンザ・エッヂで我が家のHPと同じようなものを作っていた頃のことである。この意味を込めて、わざわざまったく形態を変えずにいるのである。まだ当時は、ヤフーも楽天もブリックスもインターネットショップを始めたばかりの頃である。

だから、私のインターネット歴は非常に長い。

そもそも、私が1986年にユタ大学に留学し、1990年の秋に帰国して次の春に私は富士通に入った。私が入社した部門はこれまで日本企業のどこにもなかった部門で、スーパーコンピュータを必要とさせる需要を生み出すための部門だったのである。そのための計算科学部という新部門設立のために私が餌になって誕生したのである。

これが契機となり、以後、日本の東大を始めとする国立大学や電総研や物性研や理研などを皮切りに日本全国にいわゆる「計算科学部」という部門は流行したというわけである。

私はぜんそくアレルギーに悩まされたことともう2年でほぼその部門かでき順調なスタートを切ったことから、空気を変えようと和光の理研に移ってそれまでに目標としていたDNAの電子論の構築へ向ったのである。そこで1993〜96年の3年間を過ごしたのである。

この頃、私は頻繁に日経サイエンスの投書欄に個人的意見を送り続けたものである。また、富士通時代から日本の大学研究のあり方や日本社会の構造的問題についての意見を物理学会の有志の主催する雑誌などに投稿し、いまでいうところの「秋入学」の勧めなどをしたのである。
(この頃の論文はここにある。)

ところで、私がユタから帰り、富士通にいた頃、すでに社内ではイントラネットが存在し、社内Eメールなどはやっていたのである。これが1991年〜93年のことである。当然、理研でもイントラネットやインターネットで電子メールをやっていたわけである。ここ徳島に来て個人として使えるようになったのが、冒頭にあげた1996年のことなのである。

この当時は、いまとは全く違って、インターネットに繋ぐにはすべからく本と首っ引きになり、プロバイダー契約からすべてを自分で行わなければならなかったわけである。だから、パソコンを繋げばインターネットができる今の時代とはまったく違っていたのである。しかしそれもほんの16年ほど前のことである。

さて、私が理研にいた頃、その理事長はその2、3年後に文部大臣になる、有馬朗人博士であった。私は1991年に公表した日本社会の問題に関する論文をその頃本にして自費出版したのである。それを理研で有馬博士に直接手渡し、ぜひ読んでくださいと言ったのである。
(この本は、「三セクター分立の概念:日本社会の構造的問題とその解決の方向」というものである。この本のほとんどはすでに有識者たちの潜在意識に常識として組み込まれているから読む必要も買う必要もない。)

その後、有馬博士が文部大臣になった時、「1995年に科学技術基本法」が誕生し、省庁再編があり、科学技術庁と文部省が合体し今の文部科学省になったわけである。そして、その頃から国立大学の法人化、大学の法人化、ポスドク増員の流れが生まれたのである。

この頃に私が物理学会に送ったちょっと長めの論説が
「日本の物理学--明日への展望」に異議あり!:戦後の日本におけるアカデミズムの問題点
である(これは日の目を見ることはなかった)。これは、信州大学のある学者がこれに感銘しそれ以後ずっと掲載し続けてくれているものである。この中の一部はかつてとある受験雑誌の問題に使われたこともある。そこで私ははっきりとこう主張している。
   我々が大学生や大学院生になるときのことを考えて見よう。
すぐに分かることは、第一に日本と欧米における入学時期の違いで
ある。第二に日本と欧米の間で授業構成や単位取得構成がまったく
異なるということである。これらは留学に関するものである。次に
国内で学ぶ場合に関するものとして、第三に指導教官の選択の自由
の問題、第四に教科書の選定とレベルの問題などがある。
   第一の日本と欧米における入学時期の違いの問題を考えて見
よう。日本では4月に入学し、3月に卒業する。欧米では9月に入
学し、6月に卒業する。これを単に文化や伝統の違いとすることも
できる。しかしそれは浅はかである。というのは、この差による我
彼の学生たちの被る時間的、金銭的損失は計り知れないものがある
からである。もし日本の学生が欧米へ留学する場合、4月から9月
まで半年ほどブラブラしていなくてはならない。そして、学生が欧
米の大学を卒業し日本国内で職を得るとき、6月から次年度の4月
まで一年近く失業していなくてはならない。さもなくば、中途採用
しかない。一方、欧米の学生が日本へ留学する場合、日本ではすで
に新学期が始まっているため、やはり6月から次年度の4月まで一
年近く待つか、あるいは途中から始めなくてはならない。このよう
に留学生たちは不当に時間的、金銭的に損させられているのである。
これは明らかに、日本と欧米の学生たちがどの国で学ぶかというと
きに生じる基本的権利を損なうものである。同時に、自国内で学ぶ
学生たちと他国で学ぶ留学生たちとの間の不公平であるといえる。
つまり一個人の学生としての権利が不当に犯されているということ
である。

(ついでに加えておくと、日本の文部省、そして文部科学省は、外国で取得した学位を日本の学位(最終学歴)とは認めていない。だから、かなりの日本人が欧米の大学で博士になったり、卒業したりしているが、日本に帰国後に企業や大学に入った時、その学位は名誉としては利用されるが、給与体系の中では無視されるのである。これは一般人にはまったく知られていないことである。だから、私の場合も、アメリカのPh.D.であるが、入社した富士通では修士卒の給料だったのである。海外の有名教授の下で学位をとって日本の大学に勤務する人々も、この点は同じであり、その後の昇進が非常に遅れるのである。もっとも嘆かわしいのは東大にあり、海外のノーベル賞級の学者の下でPh. D.になったにも関わらず、ずっと助教授のままでおり、あげくの果てには自分の大学院生が先に教授になって自分の研究室の横に研究室を構えるなどという、喜劇も生まれている。だから、「秋入学」も大事で、それもさることながら、もっと大事なことは、つまり一番最初に行わなければならないことは、文科省は「海外の大学で取得した学位や博士号や単位を認めなくてはならない」ということなのである。つまり、同等に扱え、ということなのである。ましてや、東大より上のランクの大学の学位も認めないなどというのは馬鹿すぎて恐れ入るのである。これをやっているから、「御用学者」が生まれるのである。まあ、みなさんは世間知らず、世界知らずだから、こういうことは知らないだろうが。)

この頃から、大学の秋入学は問題視されていたのだが、つい最近でもいまだに邪魔するものがいる始末である。大学の秋入学とTPPなど何の関係もない。むしろ欧米の中でもっとも話が分かり合えるアカデミズム同士が結束を結ぶことで、よりいっそうの権力者や政治家や財界への牽制ができるようになるのである。

それからしばらく経って、私は徳島に来た。そのころはすでにインターネットを使っていたのである。そこで当時はインターネットを使ってどんなことができるかという論説を岩波の「科学」や日本物理学会誌に送ったのが、以下の論説であった。
「インターネット時代の研究と研究助成はどうあるべきか」、 フォーラム、岩波 科学、第67巻、第8号、577(1997)。*
「インターネット時代の研究と研究助成の在り方」、 会員の声、日本物理学会誌、第52巻、第6号、367(1997)
これも結構当時の日本の科学者にはそれなりの衝撃を与え、在宅勤務やスイミングに通うなどという流行が出たのかもしれない。

そしてこのちょっと後から、東大の松田良一という学者の掲示板「高等教育フォーラム」というものに、非常に多くの意見を乗せ、いくつかのブームを引き起こしたのである。その後、私自身が掲示板というものを使ってみる実験として「Kazumoto's scientific BBS」というものを作ったのである。これは当時ですでに何十万ものアクセスを得た人気サイトになった。その頃私が書き込んだものを集めたものが、このブログのいくつかの本にしたものである。

このサイトはにはあまりに多くの人が見るようになったことやその結果としてあまり人の時間を奪うのもまずいな、と私が考えるようになり、2001年過ぎた頃に閉鎖したのである。その頃、私に意見をくれないか、という誘いが朝日新聞からあり、それで出したものが、
井口和基,「官僚的適性測る一発入試」, 私の視点,朝日新聞,7月14日(土)(2001).
という記事であった。これには当時ノーベル賞を受賞されてすぐの白川博士からも手紙が来て、賛同してもらったものである。

これは私個人の妄想かもしれないが(まあ、しょっていると思われるだろうが)、この意見が出た頃から、「一芸入試」や「AO入試」、そしていわゆる「推薦入試」という形態が日本の大学にも普及し始め、それが後々、高校入試にも普及して現代に至ったというわけである。この結果、いまやどこの地方でも見るように、子供たちはスポーツで大学へ行くこともできる時代になったというわけである。

その後、私はハワイで過ごすチャンスがあり、そこで今でいう「ネットワーク理論」の論文をハワイ大学に毎日通って集めて帰国した。それを勉強し読みふけって、いくつか論文にしたのだが、その頃から、私はこれでは生命は無理だなという結論に達し、それ以後かなり方向性を変えて、「生命の原理」、「生命の物理学的基礎」を作ることをここ数年目指しているというわけである。

そしてこの頃から、私は掲示板からブログに変えることにして、旧ブログ「KiKidoblog」を持つようになったのである。ここで数年いろいろ書き貯めたが、まずは2001年911、2008年サブプライム崩壊などを観察して行くうちに、いわゆる「陰謀論」というものの真偽、「UFOや宇宙人問題」などを自分の手でインターネットだけでどこまで知ることが可能か、という実験をするようになったのである。

ところが、ある時期にNTTのdoblogは急に閉鎖して使えなくなったために、これを機会に「陰謀論」や「UFOや宇宙人問題」の専門の、この世の怪しい情報ばかり集めたブログを作ってみようかと、このブログを密かに始めたのである。最初は非公開で作っていたが、ある時期に「鳥インフル」が流行った頃にこれはまずいなということで、公開に踏み切ったのだが、案の定、だれかが「阿修羅」に流した為にいっきにこのブログの存在が知られることになったというわけである。それ以後は大方のご想像の通りである。昨年の311でいっきにまた知られることになったのである。

さて、インターネットというものは面白いもので、かつての掲示板に書いた冬のスポーツの話はその後、日本のボブスレーチームの目にとまった。その監督が私に交流を求めて来たため、都内や周辺にいるその筋の専門家に問い合わせて、数年前に
「ボブスレー工学研究会」
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というものが立ち上がったのである。

ここで、ボブスレーは科学的に計測しながら、現代工学技術の粋を使ってやらなくては欧米、特に米露、ドイツ、イギリス、カナダ、スイスなどには太刀打ちできないということを私が主張したわけである。そうして、今では東京の有名私立大学や国立大学にもボブスレー工学を研究する研究室も誕生し、いつの日か「日の丸ボブスレー」を自前の日本製ボブスレーを作るべく研究する時代になったのである。

(何を隠そう。私は、日本で最初の公式ボブスレーに乗った一般人3人の1人で、日本で4人乗りボブスレーに一番最初に乗った理論物理学者である。一番危険な最後尾を選択。尻が持ち上がる怖さは何とも言えないものがあった。最高時速120km。斜度90度。パイロットは今年で10連覇の強者の鈴木さん。)
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この成果が一昨年のバンクーバーオリンピックで出たのである。日本男子は不幸にも2回目に転倒し最下位に転落したが、女子は一世一風靡したのである。
Bobsleigh Two-woman sled Vancouver 2010【さくらさくら咲く】
男子はその直前の大会で何度か入賞。歴史上初めてを繰り替えしたのである。オリンピック本戦でも15位につけ、2回目がよければかなりいいところに付けることができたのである。
Vancouver 2010 Olympic Winter Games,bobsleigh 4-men Japan national team vol.1

また、このバンクーバーの直前になり、読売新聞の記者が私の冬のスポーツの本を読み、どういう観点でウィンタースポーツを見たらいいかということで我が家に来て、いろいろ雑談したのだが、それが基になって生み出されたのが、読売新聞2010年の「超人の科学

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だったのである。

私は金のために生きているのではない。私は必然性のために動く。これらの企画も「必然性」を感じたから無償で協力したのであって、それで飯を食うためではない。私がここで何かをメモするのも何らかの必然性を感じたからそうしているに過ぎないのである。


おまけ:
ちなみに、私は、結婚したら子育ての本を書き、得意になってベスト夫婦賞をもらい、その後離婚。すると、離婚相談の専門家になる、というような輩が大嫌いである。わざわざ女優になって売春婦役をしてみたり、男優になってヤクザ役をするような輩も嫌いだが、何より自分が何かをしたらその都度ご報告するという類いのおこちゃまは、ヒットラーが言った「永久に大人になれない人間」というものである。岡潔博士も言っていたが「自分より相手が先」というのが情緒である。自分が何かを研究したら自分が一番という学者もまた困るのだ。大事なことは人知れずだまって行い、しかるべき時にそれをそれとなく告げればいい。それが情緒というものである。ついでに付け加えると、この意味では私はNPOとかNGOという組織も嫌いである。たいしたこともせずていよく政府にたかっているだけのことだからである。場合によっては、この税金がその背後にいる政治家や得体の知れない連中の懐に入るわけだからである。
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  by KiKidoblog | 2012-02-18 23:31 | ボブスレー

ボブスレーの歴史:ソリから”氷上のF1”へ

みなさん、こんにちは。

昨日、私がボブスレーのことをちょっと紹介したついでに、もうすこしボブスレーの話題。今日、非常に昔のボブスレーの姿とはどういうものか? と調べていたら、興味深いサイトを見つけたので、それを紹介しておこう。以下のものである。

Bobsled

これによると、ボブスレーの歴史は100年ほどあるようだ。この中を見て行くと、ボブスレーが、いわゆるソリからどのようにボブスレーに進化してきたかが分かる。一番最初のものは以下のような姿で、まだソリの姿がそのまま残っていた。

一番初期-1920年代 この時代のボブスレーは今と同様に2つのひもで引っ張る方式。
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1930年代 どういうわけか、この時代のボブスレーには車のハンドルのように操縦する。
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1960年代 この時代にフロントカバーが誕生する。
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1980年代 この時代にフロントカバーとサイドカバーが合体して、今のボブスレーの原型になる。
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ここまでは、このサイトにあったが、ここから先は以下のものにある。

1990年代
Team USA Bobsleigh
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ドイツチーム
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スイスチーム
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2000年代
Team USA Bobsleigh
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ドイツチーム
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このボブスレーの形状の進化をたどると、日本チームのボブスレーは、1990年代後半型だろうということがわかる。

このことをもっと分かりやすく説明するために、日本の新幹線の「鉄道写真集」に非常に良い例があったので、それを使うと、以下のようになるだろう。

一番最初のボブスレーは、こんなものに対応する。
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それが、1990年代のボブスレーに対応するものは、
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のようなものになり、これが今の日本代表の乗るボブスレーにあたる。

それが、現在のトップチームでは、
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のようになり、それが今後は
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のように形状が進化して行くだろうということである。

だれか、日本代表のボブスレーに投資してくれるものが現れると非常にありがたいのだが。
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  by Kikidoblog | 2010-02-25 20:28 | ボブスレー

”氷上のF1”:世界の強豪国のボブスレーたち

みなさん、こんにちは。

私は少しばかりボブスレー日本代表と関わりがあるので(ボブスレー ネット検索から始まった)、今回は冬季オリンピックの真っ最中の今、ボブスレーランキング上位の国々のボブスレーと日本代表のボブスレーがどんなものか、どんな違いが見た目にあるか、ちょっと紹介しておこう。おそらく、ボブスレーという競技をまったく知らなかったとしても、ボブスレーを見れば、どこが強そうか、一目瞭然だろう。

まずは日本代表のボブスレー(ソルトレイク以来、10数年遅れのドイツ払い下げのボブスレーをチューンナップして戦っている。ボブスレー開発費は150万円に過ぎない。)
ボブスレー鈴木・小林組は22位 男子2人乗り
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今回オリンピック2連覇したドイツ代表のボブスレー(BMWがバックアップ)
Formula One on ice
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Formula One on ice
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スイス代表
Bobsleigh - Day 12
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Bobsleigh - Day 9
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イタリア代表(フェラーリのF1の高度技術がバックアップ)今回計量で軽すぎで失格
Formula One on ice
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trino2006
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アメリカ代表(NASAのテクノロジーが全面的にバックアップ)
Bobsleigh and Skeleton World Cup Day 12
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Bobsleigh and Skeleton World Cup Day 12
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カナダ代表
Bobsleigh and Skeleton World Cup Day 6
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イギリス代表(英国空軍がバックアップ)
Bobsleigh
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イギリス空軍のボブスレー
RAF Sports Board Photo Gallery
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吉沢こずもさん試乗のボブスレー。これの方が日本代表のものより速そうだ。
クールランニング!!
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もうすぐ4人乗りボブスレーが始まるが、ぜひ日本代表は完走し、順位を1つでも上げて欲しいものだ。

日本もNASDAやトヨタやホンダがバックアップしてくれるといいのだが!?
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  by Kikidoblog | 2010-02-24 23:29 | ボブスレー

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