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カテゴリ:真の歴史( 86 )

 

「昨日の敵は今日の友」:アーレイ・バーク大佐の「友情の置き土産」海上自衛隊

みなさん、こんにちは。

我が国には

昨日の敵今日の友

という言葉があるが、特アのいつまでもぐじゅぐじゅねちねちと納豆菌のような歯切れの悪いアジア人と違い、日本人の精神性には超古代から連綿と受け継ぐ、おそらくYAP遺伝子由来の、潔い性質が存在する。

過去より未来、常に未来志向の精神性である。

ある意味忘れっぽいと言えば忘れっぽいのだが、過ぎ去った過去のことよりいまどうするか、これからのために今どうすべきかということを常に考えるのが普通の日本人である。

昨日のどこかの番組でやっていたが、海外の国々の国民では、災害被害があれば、いつまでも打ち拉がれ、災害復興はほとんどままならない。

なぜなら、被災者はその場で泣き叫ぶだけで、いつまでも自分の不幸を呪うばかりで、一考に今何をすべきかを考えないかららしい。特に下手にキリスト教に教化されると、どこかから救世主が来ない限りその現実は変わらないとさえ信じ込むから始末が悪い。救世主を待つより先に己自身が救世主になればいいのである。

特アの朝鮮人や支那人は、災害においては、被災地で盗むことができるめぼしい財産がないかやレイプ狙いの婦女子がいないかどうかだけが目的になり、いかに復興するかには知恵が回らない。

だから、朝鮮、支那、では災害の度に凌辱、虐殺、強姦、盗難、破壊、放火、殺人が乱発し、社会がメチャクチャになる。わやとなる。

だから、そんな国から東京や都市部に外人が旅行者の振りをして入ってくれば、連日若い日本人女性が餌食になり、殺害されるのは当たり前なのである。

ところが、「県警」というような地方警察は相変わらずの脳天気。平和ボケ状態にある。警察は交通警察なんぞはどうでもいいから、凶悪犯罪だけに集中すればいいのである。交通は婦警に特化して任せるべきだ。

だから、いつも後手後手になって、群馬埼玉の連続6人の突然の悲劇が生まれる。だいたい血だらけの刀を持って血だらけで騒いでいるのに、さらに刺されたばかりの人間や殺害されたばかりの人間が中にいたのに救助にも行かず、気違い殺人犯に問答してまるで浅間山の連合赤軍の母さんの説得のような脳天気なことをしている始末だ。殺人現行犯を見ても、容疑者扱い。まるで気違い警察である。どうしようもないですナ。日本のチョン警察はヨ。

いちばん手っ取り早いのは、銃刀法を改正し、家庭内では銃所持を認め、自衛できるようにすることである。こうすれば、力のない老夫婦や若いママでもナイフで刺される前に相手を射殺できるようになる。災害地でも、若い女性や老夫婦が朝鮮人や支那人による略奪や強姦に対して自己防衛できるようになる。

まあ、これがドイツ、アメリカなどの欧米スタイルである。

そろそろ我が国も戦前のように抜本的に銃刀法を見直す時期が来ている。


さて、そんな世界の常識の最中、やっとのことで、安保法制が成立した。


実は、こんな安倍首相や麻生などの脳天気な自民党の政治家の尻に火がつくずっと前から、日米では、正々堂々と日米軍の協力が行われていたのである。そんなことを如実に語るものをいくつかメモしておこう。

ところで、米軍という場合、我が国の自衛隊と違って、アメリカの場合は、我が国の国民にはまったく理解できないほど複雑な構造になっている。この一部は私が20年以上前に拙著「三セクター分立の概念」に書いたことであるが、大半は誤解されている。

アメリカはいまでは3億人を超える人口がある。昔には日本の2倍だったが、いまは3倍である。この人口の中で1000万人未満のエリート層、これが経済、教育、軍事、宗教などのあらゆる分野を支配している。残りはごく一般人である。

この上層部を指して、我々陰謀暴露論者や真実究明士は「NWO」とか「フリーメーソン」とか「シオニスト」とか「悪魔主義者」とか呼んでいるわけである。がしかし、大半の一般人は文化的にはキリスト教プロテスタントの歴史と伝統に従っているのである。まずはこれを誤解してはならない。

だから、たとえ米軍兵士がそういうエリート層の支配下にあるはずの米軍に所属しているからといって、個々の米兵一人一人に至るまでNWOであるとか、シオニストとかということはできないのである。

これが、我が国における在日朝鮮人韓国人問題とはかなり違うのである。ザパニーズ、ハンベーダーの場合は、本国の韓国やら北朝鮮やらがそれぞれ日本支部である民団や朝鮮総連を指示し、今度は民団や朝鮮総連が統一教会や創価学会を指示し、今度は統一教会や創価学会が韓国ウリスト系学校や朝鮮学校に指示し、上意下達で一糸乱れずの精神で徹底的に洗脳されているからである。

だから、朝鮮人の場合には、上から下までほぼ思想統制された狂信的民族の形を呈するが、米軍の場合には、あくまで任務としての遂行と個人としての思想との間にはまったく別問題としての自由が残るのである。

この違いは、欧米社会の「公私の区別」の概念のない我が国やアジア人にはまず理解できないだろう。

簡単に言えば、アメリカの場合は、9時から5時までは軍人だが、それ以外は個人なのである。軍隊内にいてバッジをしていれば軍人だが、バッジを外して軍組織の外にいれば、個人なのである。

これは、勝海舟が咸臨丸でアメリカサンフランシスコに行って最初に驚いたことの1つなのである。アメリカでは大学教授も学校を出れば単なる個人になるが、日本では大学教授は24時間大学教授となってしまう。善し悪しは別として、考え方の違いとしてはそういう違いがあるのである。

学校内でセクハラすればそれは先生の罪だが、電車の中で非番の時に痴漢行為すれば、それは学校の責任ではなく、その個人の責任を問われる。これが欧米列強の考え方である。非番の休日中に行われたバカ教師の責任をどうして学校が責任を問われるのか?アホちゃうか?というのが、欧米人の感覚である。一般社会では、タイトル(地位)はともかく、まずは神の下の個人の責任だろ?というのが、キリスト教の文化圏のインテリの感覚なのである。

この「公私の区別」の感覚が分からないと、なかなか米人の行動、特に、元米軍の司令官とか上層部の大将とかの人物の行動が分からない。

前置きが非常に長くなってしまったが、まずはこれ。

(あ)在日米軍所属の米兵たちが東北大洪水に支援してくれたという話
【画像大量】在日米軍60名、体育館に泊り込み鬼怒川水害のボランティア活動【安保法案山場だったので報道しない自由】
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土嚢を積む
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飲料水用バケツ
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被災者と同じ体育館で寝袋に寝泊まり
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土砂の撤去作業
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他多数。


ありがとう、米兵たち。

(い)ねずさんの「アメリカ海軍提督 アーレイ・バーク」にまつわる話
2011年3月11日東日本大震災の後、「ともだち作戦」で米軍が日本に一番先に乗り込んで来た。この事実にまつわる米軍側の知られざる事実を紹介したものが、ねずさんこと小名木善行さんの最近の記事である。実に興味深い内容があるので、一応ここにもメモしておこう。以下のものである。
トモダチ作戦の背景にあったこと
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東日本大震災のとき、米軍が「トモダチ作戦」と名づけて救助復興支援をしてくれたことは、みなさまご存知のことと思います。
けれど、その「トモダチ作戦」が、60年以上も前に起きたある小さな事件がきっかけになっていたことを、誰も報道しません。

実はこのことは、私も知らなかったことで、昨日ご紹介しました服部剛先生のご著書『教室の感動を実況中継! 先生、日本ってすごいね』を読んで初めて知りました。
そこで今日は、このことをねず式で要約してお届けしたいと思います。

大東亜戦争の終結から5年後の昭和25(1950)年9月のことです。
まだ戦火の傷跡が残る日本に、一人の米国人がやってきました。
米海軍の提督、アーレイ・バーク大将です。

アメリカ海軍提督 アーレイ・バーク
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以下省略。


簡単に言えば、JFKことケネディー大統領が若い頃乗り込んだのが駆逐艦である。潜水艦を上から機雷を投下して沈没させる船である。アーレイ・バークはそういう駆逐艦のトップであったという。そのバークが終戦直後マッカーサーの進駐軍の副長として日本に乗り込んで来た。最初は大の日本人嫌いでジャップ、イエローモンキーとか日本人を蔑称していたが(いまだに在日朝鮮人はこの時の米兵気分で同じことをやっているらしいが、朝鮮進駐軍と言うが)、自分の部屋のある女性担当者との出会いから、徐々に日本人の精神性の高さに触れて考えを改めて行く(一方、朝鮮人にはこれが不可能。まあ、白人とチョン公を比べるのが悪いが)。そして、ついには大の日本人ファンに変わる。そういう話である。

このアーレイ・バーク大佐が戦後の日本に海軍を復活することが一番の独立の決めてだと考えて、海上自衛隊を生み出すために尽力したのだという。そして、ついに我が国に海上自衛隊が誕生した。

それから70年。

東日本大震災の時、
米原子力空母ロナルド・レーガン
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が救援に駆けつけた。

なんとこのモンスター空母の艦長が、このアーレイ・バーク大佐の孫である、
トム・バーク大佐
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だったという。このバーク大佐はヘリコプターで物資輸送を自ら買って出た。

これが、現場にいる実際の米兵たちの心意気である。

ちなみに、今米国で対立しているのは、こういう米兵およびその退役軍人会の大きな米軍の護国組織とほとんどがイスラエル人のユダヤ人のハザールシオニストたちのグローバル起業の経営者やオーナーたちとの対立なのである。

我々陰謀暴露論者はこの偽ユダヤのグローバル起業家たちの中の悪魔主義者であるシオニストをNWOと呼んでいる。この連中はうまいもの食って遊んでいるだけで何もしない。我が国に蔓延った在日チョンどもといっしょである。だから、俺は、昔のハザール(カザール)と韓(ハン)と漢(カン)は、匈奴(キョウド、Xiongnu)で同じ血族ではないかと調べているわけですナ。

そしてさらに我が国にも70年経って海上自衛隊にあの海上自衛隊の歌姫たちが誕生したわけである。
女性自衛官が歌う Time To Say Goodbye


これひとえに、アーレイ・バーク大佐のおかげである。

最近では、在日韓国人に乗っ取られた芸能界の歌姫になるよりは、自衛隊に入って、陸海空のそれぞれの部隊の歌姫になる方が、安定した収入と環境の下で、純粋に人々の支援ができるということで、若い歌手たちの新しい働き場になってきているようである。


(う)日米軍音楽隊の大競演
私はあまり知らなかったのだが、つい最近偶然に見つけたのだったが、日本の自衛隊が創立60周年記念で、アメリカ軍陸軍、海兵隊とフィリピン軍を招待して、60周年を祝うために共演したというものがあった。以下のものである。
[総集編119分] 平成25年度 自衛隊 音楽まつり 日本武道館 防衛大臣も登場


HDノーカット(117分) 平成24年度 自衛隊音楽まつり 日本武道館 2012

昨年のものがこれ。
平成26年度 自衛隊音楽まつり(全編)


【前へ】平成26年度自衛隊音楽まつり [正式フルバージョン]


ところで、パチンコや販売店など在日チョン公が得意になって使っている「軍艦マーチ」。これこそ、
旭日旗
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が海軍旗であった海軍のテーマソング。朝鮮人は馬鹿だからそういう歴史も知らずに使っているわけだ。ほんまにアホちゃうか。ありがとう朝鮮人よ、パチンコのテーマとして海軍を讃えてくれているんだからヨ。
平成24年度自衛隊音楽まつり 行進曲『軍艦』

神奈川自衛隊音楽まつり2013 海上自衛隊横須賀音楽隊 "軍艦マーチ"


【音楽】 行進曲「軍艦」 ~海上自衛隊東京音楽隊~


とまあ、そういうわけで、最後は、東京オリンピックのテーマソングもある。2020年東京五輪はやはり自衛隊音楽隊にやってもらうべきですナ。韓国支配下にある電通仕込みの在日チョン講演団では不可能だろう。せいぜい女衒の秋元(=やくざのフロント)のAKB48手とか、そんな陰毛マラゲンガールのヘタクソなロリコン、首振り、アヒル口(=朝鮮口ともいう)のオンパレードになるからである。

やはり、これですナ。
2020東京五輪エンブレム
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ジョーク一発:「2020東京五輪の新エンブレム」の数々。



おまけ:
ちなみに、マッカーサー元帥とか、マッカーサー将軍とか、バーク大将とか、バーク将軍とか、そういう言い方があるが、実際には、大佐だったり、大尉だったりに過ぎない。これはどうしてかという話は、第73世竹内宿禰である竹内睦泰(むつひろ)さんが説明している。つまり、米軍は実際の称号(大佐とか)の他にそれぞれの任務に応じて大統領が「全権委任」する形で「将軍」の地位を与えるというやり方が行われるのである。適材適所の思想である。
第73世竹内宿禰が語る「明治維新」: 1853年ペリー来航「いざ降参せず日本は!」

大河ドラマ花燃ゆ 吉田松陰と幕末~明治維新を語る① 竹内睦泰




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  by Kikidoblog | 2015-09-22 11:53 | 真の歴史

安倍晋三首相の歴史的な「戦後70年談話」公表:「謝罪続ける宿命にノーを!」

みなさん、こんにちは。

先ほど安倍晋三首相の「戦後70年を記念する談話」=「戦後70年談話」が発表されたようである。一応、ここにもメモしておこう。以下のものである。
戦後70年談話 安倍晋三【速報】【安倍談話】【2015/08/14】 FULL 23:26


戦後70年談話
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首相談話全文

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日

 内閣総理大臣 安倍晋三


あっぱれ、安倍晋三首相。

ますます偉大な政治家になってきたようですナ。これも奥方の霊的覚醒のせいでしょうか?

いや〜〜、面白くなって来ましたヨ。



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  by Kikidoblog | 2015-08-14 20:31 | 真の歴史

憲法記念日に思う:やはりそろそろ世界最古の国家をしらしめす新憲法が必要ですナ!

みなさん、こんにちは。

昨日は憲法記念日の祝日だったが、この「昭和憲法」の最大の弱点についてはもう何年か前にここにメモしておいたので、それを再びここにメモするだけにしておこう。以下のものである。
岡潔「人間の建設」にみる憲法前文の解釈:憲法は人を甘く見ているヨ!
8月15日「終戦か、敗戦か、停戦か」:やはり「新憲法」を作るべきですナ!
自虐史観計画の崩壊!?:あ〜〜、長崎は今日も雨だった!本当は小倉のはずだった。


1965年まだ戦後20年ばかりの頃、当時の論客として代表的な小林秀雄と岡潔博士との対談である。それが「人間の建設」
人間の建設 (新潮文庫)
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というタイトルの本として出版されたのである。

この中で二人はさまざまなテーマを議論し、対決したのだが、中でも「昭和憲法」の最大の思想上の問題点を岡潔が指摘した。

一言で言うと、昭和憲法の「前文」は、ボクシングで負けた選手の敗戦の弁にすぎない。それに対して、明治憲法の「前文」は、天皇陛下と日本国臣民との「シラス国」宣言なのである。

先日のボクシングで言えば、昭和憲法の「前文」は、ボクサーの意に反してセコンドがタオルを投げ入れて試合に負けた試合で、どうして負けたのか分からず困惑しているそのボクサーに対して、タオルを入れたセコンドから「まあまだ次があるから、ここは我慢して頑張れ」と言われて、ボクサーが「ジムのみんなと一丸になってまたやり直し、再び世界戦に臨みたいです」と宣言したというような仮初の宣言文にすぎない、ということである。

それに対して、明治憲法の「前文」は、次のような趣旨のものである。
これまで天皇家と日本国の臣民との間には特に言葉による約束事はなかった。そういう不文律の形式で3000年を生きてきた。ところが西洋列強の侵略行為の最中にあって、明治維新を成し遂げ、西洋時代風の憲法を制定し、野蛮な西洋の帝国主義時代に備えなければならなくなった。そういう時代に天皇が臣民の前にその御姿を現し、臣民と天皇との間の約束事を決める必要に迫られた。そこで、西洋型の「日本国」を作るにあたり、天皇が臣民に対して思う期待や希望や義務や心意気を明文化し、天皇の自分の意思表明を書き連ねたのが、「明治憲法前文」であった。


要するに、過去3000年に渡る天皇と日本国臣民との関係を一応西洋人にも分かる形で明文化し、西洋人にも分かるように人間宣言したものが明治憲法前文であって、その趣旨に即して、天皇自らが臣民に対して希望することがらや守るべきことがらを成文化したものが明治憲法である。

これに対して、昭和憲法は、一般社会にも東洋史にも日本史にもまったく無知な大学院生レベル以下の、シロタという米軍の22歳の女性兵士が約1週間で「作文」した、即席ラーメンのような憲法だったのである。だから、すべて当たり障りなく適当に作成されたのである。

まあ、一言で言えば、当時の米国人は日本人をなめていたのである。たった200年の歴史しかない国が、3000年の歴史を持つ偉大な国の憲法を作ってやったという気になった。それが、終戦直後であった。

しかしながら、戦後70年の先日の安部晋三首相の米議会の特別講演で見るように、米ソ冷戦に勝ち、米国の借金の肩代わりをしてきたのが、我が国日本であった。

また、いま西洋のEUのリーダーとなったドイツが、第一次世界大戦後にドツボの経済状況でどこの戦勝国もろくに金を援助しなかった時代に、正当に資金援助してドイツを再建復興させたのもまた我が国だった。だが、この事実もまた第二次大戦戦後に隠蔽されたのである。米国では、ナチスに裏金を送ったのが、ジョージ・ブッシュの祖父のプレスコット・ブッシュだったが、日本はそういう形ではなく正当なドイツ科学アカデミーやドイツ政府に表から資金援助したのである。結果的にはそれをナチス党が手にしたのである。

いずれにせよ、どういうわけか、我が国の与えた恩を仇で返す国家は後々崩壊しているのである。

古代アッシリアもそうだった。古代イスラエルの失われた10支族を捉え、その恩恵を被ったにもかかわらず恩を仇で返した結果、10支族がそこを去って東進するやいなや崩壊滅亡したのである。この10支族の最終地点が日本であったが、それが天皇家の始まりである3000年前である。ガド族がミカドになった。

やはり日本国憲法にはこの歴史の重みを醸し出す必要がある。明治憲法にはそれがあったが、200年の歴史しかない、ましてやアメリカ人になって半世紀の歴史もないユダヤ系の米人の頭にはそういう思考は皆無なのである。だから、前文にその思想上の軽さが見えるわけである。

我が国は、米国のようなせいぜいニ百数十年の歴史の国家ではない。だから、憲法前文には、神代の時代、神代文字の時代から続く、世界最古の国家なのだという認識をしらす部分が必須なのである。

というわけで、「戦争に負けましたから、今度はみんなと仲良くうまくやります」というようなレベルの左巻き朝鮮人の言いそうな、軽い前文ではなく、もっと真面目な憲法前文が必要なのである。明治憲法は、あくまで日本が西洋型の国家に初めて近代化しての天皇の心意気を記しただけだから、この辺りで、もっと本格的な世界のどこの国々も模範としたくなるような、真の憲法を作成し、世界最古の国家であることを明記するまったく新しい憲法前文を持つ新憲法が必要なのである。

まあ、だれが考えてもそういうことになるわけですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-05-04 14:11 | 真の歴史

安倍晋三首相の歴史的講演(全文):いよいよ世界の第三幕が始まる!?

みなさん、こんにちは。

戦後は終わった!タブーは存在しない。

さて、安倍晋三首相がアメリカで戦後70年の中で歴史的な講演を行った。だれも我が国では、安倍晋三首相がここまで偉大な政治家に成長するとは想像できなかったのではなかろうか?

我々の誰も予想できなかった。

歴史とはそういうものである。未来は預言はできるが、予言はできない。つねに未来と過去との織りなす絡まり合いの中から次なる未来が生まれるからである。

そんな安倍晋三首相の歴史的講演は、決して我が国の反日電通マスゴミでは放送されることはないだろう。だから、その偉業を祝して、ここにメモしておこう。以下のものである。
海外「見事な演説だった」 安倍首相の演説に米議員が総立ちの拍手喝采

Prime Minister Shinzo Abe of Japan's Address to a Joint Meeting of Congress


翻訳全文
安倍総理大臣は日本時間の30日未明、アメリカ議会上下両院の合同会議で、日本の総理大臣として初めて演説しました。演説の全文です。

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議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。民主主義の輝くチャンピオンを大使として送ってくださいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人、寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。デル・フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だとずいぶん言われました。

私の名字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主主義の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星の一つ、ひとつが、倒れた兵士100人分の命を表すと聞いたときに、私を戦慄が襲いました。金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。本当に、ありがとうございました。

戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。みずからに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。焦土と化した日本に、子どもたちの飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。米国がみずからの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。その営為こそが、TPPにほかなりません。しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。経済規模で、世界の4割、貿易額で、世界の3分の1を占める一円に、私たちの子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

実は、いまだから言えることがあります。20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。省みて私が心からよかったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父のことばにあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。日本はオーストラリア、インドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は各段に安定します。日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私たちには、その責任があります。日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外務大臣、中谷防衛大臣と会って、協議をしました。いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。きのう、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に合意をしたのです。

1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。人間一人一人に、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまや私たちに、新しい自己像を与えてくれました。いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。「落ち込んだ時、困った時、目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子どもたちに、支援の手を差し伸べてくれました。私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれました。――希望、です。米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかによい場所にしていこうではありませんか。希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。


ここから、世界の第三幕が始まる。

いや〜〜、楽しみですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-05-01 16:11 | 真の歴史

戦艦長門の軍艦旗が大和ミュージアムにある理由:石坂浩二さんがゲットして寄贈。

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、これは実に興味深い真の歴史である。

戦前の日本海軍の英雄的象徴は、戦艦長門であった。戦艦大和や戦艦武蔵は、戦艦長門をベースにさらに巨大化させたものだったという。戦艦長門とは、以下のものである。
戦艦長門
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この戦艦長門は非常に戦艦らしい美しさから、世界中で大人気であり、プラ模型の定番ともなっている。
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海外「何という美しさだ!」 戦艦『長門』を映した映像に外国人が感動

1920年(大正9年)に竣工した、長門型戦艦の1番艦、「長門」。
戦中は、「大和」と「武蔵」の存在が極秘にされていたこともあり、
姉妹艦の「陸奥」とともに、日本海軍の象徴として親しまれていました。
ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参加し、
日本に帰還した後は、重油不足から特殊警備艦として横須賀港に繋留。
終戦まで生き延びましたが、戦後はアメリカに接収されることに。
1946年7月にビキニ環礁で実施された核実験に標的艦として投入され、
二度の核爆発により浸水が進み、沈没してしまいました。

日本では大和や武蔵などと並んでトップクラスの人気を誇る戦艦ですが、
その美しい姿に、多くの外国人も魅了されていました。

Imperial Japanese Navy Battle Ship "Nagato(長門)"


海外のコメント
■ …………ナガトは2回原子爆弾のダメージを受けてるんだよね。
  1回目はダメージが少なかったんだ。
  だけど、2回目の実験でとうとう…………。 ポーランド
■ この歴史的な艦船を核実験なんかに使いやがって……。
  もし核実験に使わなくても、スクラップにしたんだろうけど。
  どっちにしても軽蔑するわ。 国籍不明
■ これまた貴重な。長門の映像って残されてたんだ。 中国
■ 間違った国と同盟を組まずに原爆もなければ、
  日本はアメリカに勝てたと思うんだけどなぁ :F ポーランド
   ■ それは無理だろ。
     アメリカには日本よりも鋼鉄があったんだから。
     つまり日本以上に艦船を作ることができたわけだ。
     実際に歴史がそれを証明してるし。 アメリカ
■ ナガト級は不思議な運命にあったと思う。
  大日本帝国が所有する戦艦の中で最強の戦艦の1つだったのに、
  どうにも大した戦果をあげることが出来なかった。 アメリカ
■ ナガトはあの荘厳な感じがたまらんよな。 インドネシア
■ 大日本帝国のほとんどの巨大戦艦ってさ、
  本来の力を見せることなく役目を終えちゃってるよね。
  日本としては、空母じゃなくて戦艦に賭けてたんだろうけど。 アメリカ
■ 俺は勇敢に戦った日本の兵士たちを尊敬してる。 アラブ首長国連邦
■ ナガト。戦争を生き残った数少ない日本の戦艦の1つだ。 アメリカ
   ■ そうなんだよね :) なのに核実験なんかに使われてしまった :( カナダ  
      ■ 悲しすぎる。
        今も例えば記念艦として残されていたら……。 台湾
■ ナガトはミッドウェー海戦の時にはフラッグシップじゃなくなってたんだよね。
  ヤマモトはすでにヤマトに移ってしまっていたから。 アメリカ
■ ナガトは大日本帝国海軍連合艦隊の魂であり背骨だった。
  ヤマトは……恐ろしいくらいに巨大だったな。 オーストラリア 
  海外「大和は敵にとって悪夢」 最強の戦艦ランキングで外国人が論争
   ■ うん、でもヤマトは日本のプライドだったんだよ。 国籍不明
■ ヤマトは確かに大日本帝国海軍のプライドだったけど、
  実際には大きな海戦には参加してない。
  唯一のミッションはオキナワ出撃のみじゃん。
  一方でナガトはアメリカと日本のあいだで行われた、
  ほぼすべてのメジャーな海戦に参加してるし、旗艦を何度も務めてた。
  それでもプライドとして認識されていないだなんてね。 カナダ
■ ナガト、何という美しさだ!! +2 ベトナム
   ■ うん、ゴージャスな戦艦だよね ^^ カナダ
■ あんなに美しい戦艦を核実験なんかに使って沈めるとか、
  どうしたらそんな馬鹿げた考えを思いつくんだって感じだよ。 スウェーデン
■ 大日本帝国海軍の中で、一番好きな艦船の1つがナガト!
  悲しいことに、まったく敬意が払われることなく沈められてしまった。
  戦争を生き残った艦船なんだ。博物館船として残すべきだった。 フィリピン
   ■ エンタープライズでさえ博物館船にならなかったからねぇ。
     保存するにはコストがかかり過ぎるんだよ。 ベルギー  
■ 素晴らしい戦艦だよね。みんなもそう思わないかい? 香港
■ あんな終わり方はないだろ。本物の美しさを身に纏った戦艦だったな。 アメリカ 
   ■ 同意。美しい艦船だったよね。
     俺たちの国は、戦利品として残すことも出来ただろうに。 アメリカ
      ■ ナガトを海上自衛隊の旗艦として、あるいは記念艦として残す事を、
        アメリカは日本に許すべきだったんじゃないかと思うね。 アメリカ
■ 大艦巨砲主義の象徴のような存在だった。 香港
■ 大戦中の日本の艦船は時代遅れだったでしょ。
  パイロットや海軍の司令官同様にね。 国籍不明
   ■ 大戦初期、日本は世界で3番目に大きな海軍を持ってた。
     つまりは米英に次いで世界3位の海軍力があったわけだ。
     加えて日本には世界最高水準のパイロットも複数いた。
     日本が敗けたのは、単に十分な戦力を持ててなかっただけだ。 ポルトガル 
       ■ 世界3位の海軍力だったとか大した問題じゃない。敗けは敗け。
         祖国を守ろうとした日本の兵士たちの勇敢さ以外、
         アメリカはすべての面で日本に勝ってたんだから。
         当時の日本が持ってた武器の中で唯一有効だったのは、
         カミカゼくらいだったと俺は思ってる。 国籍不明
■ いわゆるビッグ7(世界七大戦艦)のうちの一隻ですな。 国籍不明    
  (※長門、陸奥、ネルソン、ロドニー、コロラド、メリーランド、ウエストバージニア)
■ この美しい戦艦を残すように上層部を説得しなかった米海軍は残念過ぎる。
  でも多くの日本の戦艦同様、ナガトも大きな戦果はあげられなかったね。
  「海上ホテル」として時間を送り、結局沈んでしまった。 アメリカ
■ 俺も博物館船として残して欲しかった。
  船体に残された傷には、多くの歴史が詰まっていたわけだから。 アメリカ
■ 大日本帝国が所有していた数多くの宝の1つ。それがナガトだった。
  その姿はただただゴージャスだ!! 国籍不明
■ 威風堂々って言葉が似合うな。
  ただ過剰に大き過ぎるようにも見える。 チリ(アメリカ在住)
■ 完成した当時、世界最大の戦艦だったんだよね。
  ナガトとムツはトサ(加賀型戦艦)とアマギ型巡洋戦艦に規模で抜かされたけど。
  でもトサとアマギはワシントン海軍軍縮条約のせいで計画中止になってしまった。
  あの2つの艦船が戦争に参加してたらどうなってたか興味深い! アメリカ
■ この戦艦は核実験にも耐えた……。しかも二度もだ!! カナダ
■ ナガトという偉大な戦艦を造った日本に敬意を表します……。  マレーシア


ふとみると、この最後にこんなメーセージが付いていた。
核実験の標的にされたことに対し、アメリカ人からも怒りの声が多数寄せられていました。

ちなみに、数年前に「開運!なんでも鑑定団」に「長門」の軍艦旗が出品されたのですが、俳優の石坂浩二さんが自費で評価額の1000万円で買い取り、石坂さん曰く、「ふさわしい場所」である呉の大和ミュージアムに寄贈されています。


さて、問題は、これが本当かということである。

結論は、それは事実であった。

この戦艦長門には、艦尾と司令塔に旗が付いている。艦尾の旗は、旭日旗であり、司令塔のところには、司令塔である旗がついていたというが、これが見つかったというのである。

それがこれ。
戦艦長門 軍艦旗
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俳優の石坂浩二さんが、私費1000万円で買い取り、呉の博物館へ寄贈したのである。

そこで、本当に呉の博物館に軍艦旗があるかと調べてみると、やはり軍艦旗が陳列してあった。以下のものである。
大和ミュージアム
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そこを訪れた人のサイトにはこんなものがある。
大和ミュージアム②「戦艦長門 軍艦旗」

私が生まれ育った街に
「大和ミュージアム(広島県呉市)」があります
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その大和ミュージアムに
石坂浩二さん寄贈の
戦艦長門の軍艦旗が展示してあります

戦艦 長門
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「軍艦旗」 もちろん本物。 全て手縫いです。

TV東京系列番組「なんでも鑑定団」
ご存知の方も多いと思います。

そこで アメリカ海軍艦長の娘さんが出品されたものを
石坂浩二さんが購入し、寄贈しました。
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実際にご覧になった方によると
「大和ミュージアムに寄贈したいから」
と 購入をされたようです。
(1000万円だったとか)


というわけで、戦艦長門の軍艦旗は広島呉の大和ミュージアムに大切に保管されている。

石坂浩二さん、グッジョブ!

いや〜〜、俺は一気に石坂浩二さんのファンになりましたヨ。

一方、紳助は金一銭も出さなかったようですナ。

結局、韓の法則発動で、芸能界追放されたわけですナ。きっとあの時500万円払っていれば、その後のタイムラインも変わったかもしれませんナ。



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  by Kikidoblog | 2015-04-22 11:38 | 真の歴史

祝2014年ノーベル物理学賞受賞:「ブロークン・ジャパニーズ・イングリッシュ」が世界を制す!

君が代 Kimigayo - National Anthem of Japan

海外「俺は日本人じゃないのに…」 君が代と『日本』の美しさに外国人が感動


みなさん、こんにちは。



日本時間の昨夜は、赤崎、天野、中村博士らが無事ノーベル物理学賞を受賞したようである。中村修二博士や天野浩博士の世代は、まさに我々昭和20年後半から30年前半の時代生まれの世代である。私も阪大の大学院生だった頃、天野さんは名古屋大で実験を行っていたわけである。

すでにその当時、発見されたテーマでいくつかノーベル賞に輝いた。
量子ホール効果、準結晶、そして青色発光ダイオードである。

ちなみに、1次元準結晶の理論を用いれば、それを半導体に応用して発光ダイオードを作れば、まったく同じ材料でも理論上はあらゆる色のLEDが作れますよ、という論文で私が計算した図がこれだった。
Kazumoto Iguchi, "Electronic Structure of One-Dimensional Quasiperiodic Materials of AB_{1-x}C_{x}", J. Phys. Soc. Jpn. 64, 177-184 (1995).
(Errata), Kazumoto Iguchi, J. Phys. Soc. Jpn. 64, 3124 (1995).
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窒化ガリウム(GaN)、窒化アルミニウム(AlN)の場合では、A=N, B=Ga, C=Alと見て、Ga_xAl_(1-x)Nという構造の半導体を作れば、上の図のようなバンドギャップが得られるということになる。xの値を色々変えれば、それに応じてバンドギャップが変わる。つまり、色が変わる。そういうことである。


そこで、この奇跡的3人同時受賞を祝して、ここにメモしておこう。
赤崎勇教授講演
天野浩教授講演
中村修二教授講演

三人三様の「ブロークン・ジャパニーズ・イングリッシュ」で、いいね、というところですナ。

いくら発音がよく流暢な外人的英語が話せたとしても、その内容がゼロ。あるいは、つまらんジョークしか話さない。そういう外人かぶれ日本人の英語を話す人。こういう連中は、マスゴミではしばしば見かける。

一方、外人には聞き取りにくいかもしれないが、ブロークン・ジャパニーズ・イングリッシュでもノーベル賞級であれば、世界中の人たちが、「この人はいったい何を喋ってんの?」と聞き耳を立てて聞いてくれる。

まさにそんな講演3連発でした。

昔のユタ大物理で聞いた、真木和美博士の講演の英語もすごかったが、この3人の英語もすごい。
しかし、それが世界を制した。

下手くそ英語大いに結構!問題はその中身なんですナ。

いや〜〜、実に面白い。

はたして、聴衆の中のどれだけの人が聞き取れたのだろうか?
真木和美博士の時もそうだったが、私は完璧に聞き取れるから不思議だナア。


最後にもう一度、日本人三人がノーベル物理学賞を受賞したのを祝して、君が代をメモしておこう。
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「君が代の本当の意味」とは?:「シオンの民よ、立ち上がれ!」だった!より


赤崎博士、天野博士、中村博士、ノーベル賞受賞おめでとうございました!

いや〜〜、すばらしい。




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  by Kikidoblog | 2014-12-11 15:44 | 真の歴史

「君が代」の真の歴史2:「君(きみ=き・み)」とは、日本男女の意味だった!


(つづき)

さて、では日本人にとっての「君が代」とは、どういう意味なのでしょうか。
発音は「きみがよ」です。「君」という文字は使っていますが、読みはあくまで和語(大和言葉)の「きみ」です。

この「きみ」の「き」と「み」は、実は、男女を表します。
「き」が男、「み」が女です。
ですから、「おきな(翁)」、「おみな(嫗=女)」と言います。
その男女のいちばん最初の神様が、イザナキ、イザナミの二神です。

ちなみに、イザナキ、イザナミのお二柱の神様の前の神様には、性別がありません。
ですから、最初の男女が、このお二柱の神様となります。
そして「イザナキ」とは、「いざなう男」、「イザナミ」は「いざなう女」という意味の大和言葉です。

そしてこの二柱の神様が結ばれて、日本の国土を産み、そしてさらに風の神・木の神・野の神といった自然にまつわる神々が産まれ、最後にお生まれになられたのが、天照大神、月読命神、須佐之男神の三貴神です。
天照大神は太陽の恵みの神様、月読命神は農業に必要な暦の神様、須佐之男神は眠りと育ちの夜の神様です。

そしてこの天照大御神様からの直系のご子孫が、代々の天皇のお血筋です。これを万世一系といいます。
万世一系の神様のお血筋にある方が、代々天皇となり、そしてその天皇から分かれて派生した血縁者が、日本人、つまり日本の民衆です。

ちなみに、現代人ひとりが誕生するためには、父と母の二人が必要ですが、その父と母が誕生するためには、さらに4人の祖父母が必要です。さらにその祖父母の誕生のためには、8人の曾祖父母が必要になります。
こうして数えますと、700年前(それは鎌倉時代頃ですけれど)には、現代人一人が生まれるために、1億2600万人のご先祖が必要になります。これはいまの日本の人口と同じです。

現代人ひとりが産まれるのに、鎌倉時代に1億2600万人が必要なのです。
ということは、現代人二人のためには、鎌倉時代に2億5200万人の人口が必要になります。
現代人100人のためには、鎌倉時代に100億の人口が必要になります。現代の世界の人口さえも超えてしまいます。
それにそもそも、鎌倉時代の人口は700万人しかいません。
これが何を意味しているかというと、日本人は、誰もが「ご先祖がかぶっている」ということです。どっかで血がつながっているのです。
しかも日本の歴史は、有史以来でも2700年、縄文時代から起算すれば2万年の歴史があります。
日本人は誰もが、ちょっとご先祖をたどれば、必ず親戚同士なのです。

そしてその血筋は、かならず歴代の天皇とつながります。
そしてその天皇は、天照大御神からの直系の血筋として、日本の最高権威にあります。
そしてその最高権威が、日本の民衆を、天皇の宝物、としてくれたのが、日本の国のカタチです。
これを昔は「国体」と言いました。

よく戦時中の書物などに、「国体を守れ」という言葉が出てきますが、その意味は、「天皇が最高権威であり、その最高権威によって民衆が宝物とされる体制を守れ」という意味なのです。
そしてそのために、多くの先輩達が、戦地で尊い命を犠牲にしてくれたし、そのおかげで、いまの私達の命があります。

わが国最高権威の天皇が、わたしたちを「おおみたから」としてくださっている。
そのおかげで、わたしたちは豪族や権力者たちの隷民にならずに済んでいます。
それがわたしたちの国のカタチです。
だからこそ、わたしたちは、わたしたち自身の自由のためにも、わたしたち自身が目を潰されてムチでしばかれる隷民とならずにいるためにも、そういう国のカタチの中心核におわす天皇の存在をありがたく思い感謝する。
天皇がわたしたちを「おおみたから」とし、わたしたちが天皇に感謝する。
それが昔の言い方をしますと「君民一体」の意味です。

そしてその「君民一体」の世を、「千代に八千代」に、つまり千年も万年も未来永劫、さざれ石の巌となって苔のむすまで、みんなで守りぬいていこうじゃないか、それが君が代の歌の意味です。

そして君(きみ)は、男と女でもあります。
その男女が結ばれて、子が産まれ、孫が産まれ、曾孫が産まれ、子孫が繁栄する。
だから「君が代」は、おめでたい賀歌なのです。

「君が代」が戦争の象徴だとか、そんな意味にしか受け取れないというのは、日本に住みながら、日本語の意味を解することができない、哀れな痴れ者でしかありません。
そういう人には、もういちど小学校から勉強をしなおしてきなさいと言いたい。
まして、そのような人に日本の国政を云々するような資格は、まったくありません。

「君が代」は、そういうおめでたい歌であるからこそ、明治時代に国歌として採用になる前までは、一般的な結婚式でのお祝いの定番曲でした。
結婚式の歌としては、「♬高砂やぁ〜、この浦、船に帆をあげてぇ〜」という「高砂」が有名ですが、昔は「君が代」もそれと同じくらい歌われたのです。

そういう歌が、千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれている。
そこに、日本の計り知れない文化の深さがあります。
そしてそういう歌を国歌としているということ自体、すごいことですし、もっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。



さて、君が代の歌詞のことを書きましたので、せっかくですから曲(旋律)のことも書いておこうと思います。
いま歌われている君が代の旋律ができたのは、明治の初めの頃のことです。
その頃横浜の英国大使館に、ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton)という、音楽隊長がいました。

フェントンは、薩摩藩の依頼を受けて、薩摩の青年たちに吹奏楽を教えていました。
薩摩軍楽隊です。
実はこの吹奏楽団が、日本初の西洋式吹奏楽団です。

なにせ楽器といえば、お琴や三味線、和太鼓、和笛くらいしかなかった時代のことです。
言葉も通じない、五線譜も初めて目にするという日本人に、西洋式楽器の指導をされたフェントンは、さぞかしたいへんなご苦労だったことと思います。

ちなみにフェントンが教えた「薩摩軍楽隊」は、明治元年(1871年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展し、これがいまに続く海上自衛隊吹奏楽団に至っています。


そのフェントンが大山巌に、「明治新政府になにか儀礼音楽が必要です」と進言したのが、明治2年(1872年)10月のことです。
「なるほど」とうなづいた大山巌は、数人と相談して、平素、彼自身が愛唱している「薩摩琵琶歌の蓬莱山」に引用されている「君が代」を歌詞として選び、作曲をフェントンに頼みました。

薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」は、薩摩藩でおめでたい席で歌われた定番曲で、歌詞は次のようになっています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めでたやな 
君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に
不老門を立出で 四方の景色を詠むれば
峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ
君が代は千代に八千代に
さざれ石の、巌となりて苔のむすまで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まさに「おめでたい」歌です。

ちなみに「蓬莱山」というのは、道教の神仙思想にある支那の山東半島のはるか東方の海にあるとされている、不老不死の仙人が住む架空の島です。(一説によると日本)
かぐや姫の物語(竹取物語)にも「蓬莱山」は、「東の海に蓬莱という山あり」とされ、そこは不老不死で金銀財宝ざっくざくのたいへんおめでたい島として登場しています。

つまり「鳳来山」の歌は、そんなおめでたい島に住んでいるかのように、美しい景色とおいしい食べ物恵まれ、病気になることもなく、人々が不老不死で、互いの幸せが永久に続きますように、という願いを込めた、たいへんにおめでたい歌というわけです。

そしてこの「おめでたい歌」に引用されているのが、まさに平安時代に誕生した「君が代」であるわけです。

フェントンは早速、この歌に旋律をつけたのですが、出来上がりはイマイチ評判が悪い。
コラール風で、アイルランド民謡ぽかったのだそうです。
ジョン W.フェントンと中村裕庸
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フェントンの君が代


で、明治9(1876)年に、海軍楽長だった中村裕庸が「君が代」楽譜を改訂したいという上申書を海軍軍務局長宛に提出しました。

中村裕庸は、その上申書にこう書いたそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(西洋諸国において)聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに(国歌の)楽譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するに、西洋では大典などの際に、国歌を演奏しているから、日本も国歌を持つべきである、というわけです。

ところがこの上申は、普通に考えるととんでもないことです。
なぜなら、中村裕庸はフェントンの弟子です。
その弟子が、師匠であるフェントンが作曲した君が代はイマイチだから改善したい、と上申したということだからです。

ところが、そこが師匠のフェントンです。
フェントンは、むしろ自分が作曲した君が代よりも、日本が日本文化に適した国歌を、自分たちの手で作曲するということに、逆に深い意義を感じてくれた。
そして、むしろ中村の上申をフォローさえもしてくれたといわれています。
なぜならフェントンは、日本人と親しく接し、日本文化に深く触れるにつれ、日本が好きで好きでどうしようもなく日本を愛するようになっていたのです。

こうして明治政府は、明治13(1880)年、宮内省雅樂課に、君が代の新たな作曲を命じました。
宮内庁雅楽課の奥好義は、フェントンの作曲した作品にさらに改良を加えていきました。

その旋律を、当時最高の雅楽演奏家とされていた一等伶人の林広守が、さらに荘厳しました。

するとこんどは、音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが、「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました。

つまり「君が代」の旋律は、日、英、独の、いわば合作によって生まれた旋律なのです。

その「君が代」について、次のようなエピソードがあります。
日本の代表的作曲家山田耕作氏が、若い頃ドイツに留学していたときのことです。

ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
結果、第一位に選ばれたのが日本の「君が代」だったのです。

理由は、まず曲の素晴らしさがあったことでしょう。
そして君が代の歌詞に込められた古代の日本人の心を知ったとき、まさに「君が代」は賞賛の嵐となったのです。


「君が代」は、平成11(1999)年に、国歌として法制度化されました。
実は、それまで「君が代」は、明治大正昭和にかけても、国歌とする法はなかったのです。

それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。
法があろうがなかろうが、関係ないのです。
幾百年にわたって、多くの人々によって、祝い歌として歌い継がれてきた謡曲が、稀世のメロディを得て、素晴らしい曲となったからです。
法なんてなくても、意味を知れば誰しも自然とこの歌が国歌と思う。それだけのことです。
そして、法があるかないかの問題ではなく、「自然にみんながそう思う」ということが、世の中においてとっても大切なことなのではないかと思います。

♪ 君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  巌(いわお)となりて
  苔(こけ)のむすまで

私は、胸を張って「君が代」こそが我が国歌であると申し上げたいと思います。
そして、それがわからないような無教養な人を、野蛮人として軽蔑します。


※この記事は2012年8月の当ブログの記事をリニューアルしたものです。


ところで、このねずさんの君が代の話と、昨日メモした米白人青年の「日本女性を手込めにしたという武勇伝」のものと比べると、そのトーンや色彩や質、まったく違うことが分かるだろう。日々我々日本人が何を思い何を考えて生きているのかということと日々西洋人が何を思い考えて生きているかということの違いが非常に良く分かるのである。

この差を岡潔博士が「情緒(jocho)の違い」(=a kind of sense of perception, not emotion)と呼んだ。西洋白人には一般に情緒が育たない。これは言語文化遺伝上そうなるように仕込まれているらしい。支那人や韓国人もそうである。

西洋人がこの差に気づくようになるには、もう50、60歳くらいになってのことである。死に瀕する、あるいはもう死ぬ瀬戸際くらいになってやっとなんとなく日本人のだれもが直感的に理解している「情緒」の端くれに気づくらしい。日本学者のドナルド・キーン、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、などなどのように、高齢者になって初めて日本にずっと住みたくなるのである。

これと違って、若くして「日本に住みたがる外人」というのは全く別の理由である。大半が昨日メモした米人のような「下半身事情」つまり生殖器に支配された愚脳のせいである。

さて、そんな例もまたねずさんのブログにあったので、これもここにもメモしておこう。以下のものである。
元米海兵隊員の『アメリカ人の本音』紹介


外人天国、日本の永住権、性病検査、入国審査の問題等が議論されている。



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  by Kikidoblog | 2014-11-10 09:41 | 真の歴史

「君が代」の真の歴史1:「君(きみ=き・み)」とは、日本男女の意味だった!

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「君が代の本当の意味」とは?:「シオンの民よ、立ち上がれ!」だった!より


みなさん、こんにちは。

私は今夏のブラジルワールドカップの日本代表初戦コートジボワール戦に突撃ツアーで参戦、世紀の君が代絶唱してきたことは、以前ここにメモした。
私の2014年ブラジルW杯観戦記2:「君が代」斉唱で、ついに「神が降りた!」

(え)君が代斉唱−−神が降りた!
さて、いよいよ試合開始。そして、ついに日本の国歌斉唱となりました。

すでに私は私のイスの周りのブラジル人サポーターや観客たちに「魔法のことば
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をみせて仲良くなっていましたから、みんな笑顔で我々の国歌斉唱に興味津々の状態でした。右下には、あとで知りましたが、ブラジルの有名サイト管理者の地元の元プロサッカー選手のマシアスさんがいました。彼も我々といっしょに写真を取りました。

いざ国歌斉唱!

前奏がなく、いきなりの国歌斉唱。それで我々はちょっと出遅れました。
妻が撮っていた日本のテレビの放映の録画を昨日見ましたが、やはり国歌斉唱が出遅れたのがはっきり録音されています。

しかし徐々に我々が追いつき、私と私の左横の日本人サポーターの青年と二人で、両手を上げて、もちろん私は「ブラジル国旗のついたタオルと魔法のことば」を掲げて、上を向いて胸を大きく反らしてして絶叫して国歌を歌ったのです。

するとどうでしょう?

いつも息子の学校時代の入学式や卒業式の時の国歌斉唱では声が裏返ったり、あまりいい声で歌ったことがなかったのですが、今回に限り、まるでテノール歌手パヴァロッティの歌声のように、透き通った実にきれいな声で、しかも大音声で歌えたのです。

歌っている途中で、
これは、神が降りたな?
と思いました。自分でもびっくりの歌声でした。隣の日本人青年の声も見事でした。我々二人の声が、昨日みた日本のテレビに録音されています。

日本のテレビでも日本人が国歌を歌った歌声が非常にきれいに聞こえたはずです。そのベースに聞こえる、響き渡った、音痴ではない、歌声が、私と私の左隣りの日本人青年のものです。

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(本田選手と長友選手が我々の大音響に気づいて一瞬こっちの方を見たのが分かります。追記:今見ると、香川真司は君が代ではない何か別の歌を歌っているようですね。)


さて、この我が国の国家、「君が代」について我々は余りに知らなさすぎる。その意味。その成立。その歴史。まったく知られていない。私自身正史と言われるものすらあまり知らない。

今日、ねずさんこと、日本の国士、小名木善行さんのブログにこの君が代の歴史等について非常にすばらしい解説があった。そこで、ここにもそのままメモさせてもらおう。ちょっと長いが一読の価値あり。以下のものである。

君が代のお話
昨日、ねずブロについたコメントです。
左巻が黙ってしまったようです。

 朝日・日教組系の知識人さんと話すと、いつも同じで、
「君が代」の「君」は天皇崇拝だからケシカラン!と。
 こちらとしては、以前、ねずさんのブログで教えて頂いた
「き」と「み」のお話をしてみたり。しかし、いまひとつ伝わらず・・・。
 で、ある日、ふと思い立ちまして、
 与謝野晶子さんの「君死にたまふことなかれ」の「君」は、
 素直に「家族」と捉えるし、反戦歌として賛美しているのに、
 なにゆえ、君が代はの「君」だけは陛下限定か?と問いました。
 相手は黙ってしまい、答えは聞けませんでした。
 彼らはいつもそうですね。



たいせつなことは、右だ左だと対立することではなくて、右も左も日本人としてのたいせつな心を取り戻すということではないかと思っています。
日本のもつ懐の深さは、たかだか生まれて200年やそこらの欧米型個人主義などとは歴史の重さがまるで違うのです。
ですからわたしたちは、堂々とその事実と凄みを思い出すだけで良いのです。
それだけでまっとうな日本人なら、またたくまに戦後の洗脳から解き放たれ、目を覚まします。
そして日本が目を覚ますことを、まさに世界が望んでいるのです。

さて「君が代」については、以前にもねずブロで記事にしましたけれど、今回は以前とはすこし切り口を変えて、ご案内してみたいと思います。
2年前の記事をお読みの方も、今回新らしく読まれる方も、きっとご納得いただけると思います。

また文の途中に、漢字のことをすこし書いています。
それを読むと、なぜ在日の人たちが、わたしたちと異なる感覚を持っているのもがよくわかります。

左巻きの人は「君が代は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言います。じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」は、戦前からのわずか7〜80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です。
よくもまあ、軍国主義の歌だとか、デタラメなことを言えたものです。

「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
いまから1100年も昔の歌集に登場しているのです。
この年に編纂された『古今和歌集』の巻7に「賀歌」の筆頭歌として納められています。

その『古今和歌集』は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら政府の公式歌集です。
万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めています。
つまり、最大みつもれば、1250年前に、すでに詠まれたいた歌なのです。昨日今日の話ではない。

『古今和歌集』には有名なカナ序文がありますが、これは紀貫之(きのつらゆき)が書いたものです。
そして『古今和歌集』巻7「賀歌」の筆頭に、「題しらず、読人しらず」として、

 わが君は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて苔のむすまで

と歌が掲載されています。
この冒頭が「君が代は」ではなく、「わが君は」となっているところは注目です。
「君が代」の初出は、『古今和歌集』ですが、次の『古今和歌六帖』にも、歌い出しは「わが君は」となっています。
ところがその後に編纂された『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』では、歌い出しが「君が代は」となり、以降、ずっと君が代のままです。

実はこのことは、日本文化を考えるうえで、とても大切なことなのです。
というのは、時代は異なりますが、戦時歌謡(軍歌)の「同期の桜」は、知らない人がいないくらい有名な歌ですが、この歌も、作詞が誰なのかわかっていません。
昭和13年に西条八十が「少女倶楽部」に発表した詩が元にはなっているようなのですが、ところがその後、歌詞がさまざまに変化し、また3番、4番なども追加されていって、いまのカタチになっています。
つまり、多くの人が歌っているうちに、歌詞がどんどん補強され、追加され、歌いやすいカタチとなって変化していったのです。

「君が代」の場合も同じで、賀歌、つまりお祝いの席での、めでたい歌として、広く貴族から庶民の間にまで普及していた歌であったからこそ、さまざまなバリエーションが生まれ、その歌いだしも「わが君は」であったり、「君が代は」であったりしていったわけです。

このことは「君が代」が「読人しらず」の歌であることに加えて、和歌がひろく一般庶民の間にも普及していたということを示すと同時に、どれだけ千年前の日本人が一般庶民に至るまで高い教養を持っていたかの証拠でもあります。そんな国、世界中、どこを探したってないです。
和歌が庶民の間にまで普及していたということは、『万葉集』にも、また『古今和歌集』にも、一般庶民の歌とされる数多くの歌が掲載されていることからもあきらかです。

そもそも「和歌を詠む」ということは、相当の言語感覚と、文字を扱う能力がなければできることではありません。
そうではないというのなら、いまこの場で、もみじを題材に、歌を一首詠んでくれ、と言ってやったら良いです。
即興ですぐに詠める人など、おそらくごくわずかです。
ちなみに、大学で国文の和歌を教えている多くの教授さんたちは、和歌を詠むのが実に下手くそです。まるで歌になっていない。
つまり歌の心、言いたいことを隠して、上の句と下の句でその真意を相手に察してもらうという、その文化性を失い、また国文の教授でありながら、日本人としての言語感覚に乏しいからです。日本語は、支那語や英語とは段違いの深みをもっている言葉なのです。

そして、もっと大事なことがあります。
それは、「君が代の歌詞が変化している」ということです。
そしてその変化をもたらしたのは、「間違いなく」日本人の一般庶民であるということです。

なぜ「間違いなく」といえるかといえば、この歌が施政者である貴族の歌とするならば、「わが君は」で良いからです。ご皇室の弥栄を願って貴族たちが国の体制を寿ぐ歌というののなら、歌い出しは「わが君は」であるべきです。
ところがそれが「君が代は」となっているということは、単に君が「わが君」をあらわすだけでなく、賀歌として、「別な意味」にも歌われていたということを示すのです。

では、その「別な意味」とはいったい何でしょうか。
その意味が実は「きみ」にあります。
それが「男と女」です。

漢字で書けば「きみ」は「君」です。
これを音読みの「クン」ではなくて、訓読みで「きみ」と読んでいることがポイントです。

もともと漢字というのは、支那で生まれたものを日本は輸入しているのですけれど、その漢字に、わたしたちの祖先は「訓読み」を充てていたと、私達は教えられています。
けれど、これが実はパラドックスなのです。
そうではなくて、もともと「大和言葉」があり、その「大和言葉」を書きあらわすのに、あとから私達の祖先は漢字を取り入れたのです。順番が逆なのです。訓読みのために漢字を取り入れているのです。

たとえば「民(みん)」という漢字があります。
もともと支那漢字というのは、その字源をたどれば、ろくな意味のないものがほとんどです。
この「民」なども、その筆頭です。

どういう意味かというと、「民」の文字の上にある長四角のところが、実は人間の目を意味します。
ところが目なのに、長四角の中に目玉がありません。
なぜ目玉がないかの理由が、下にある「十」の部分で、これは古代の支那にあった、人の黒目を突いて目を見えなくするための道具です。
針で刺されて目を見えなくされているから□の中に目玉がないのです。

そして「民」の字の左側にある「|」は、城塞都市の塀を表します。
つまり、城塞の塀の内側で、民衆の目を針で突いてつぶして、民衆に無理やり言うことをきかせる。
目の見えない人々は上の人の言うことを聞かなければなりませんから、無理やり服従させられる。つまり隷属させられる。その隷属民のことを「民」という漢字であらわしたのです。
つまり支那漢字でいう「民」とは、隷民、つまり奴隷のことを指します。
奴隷というのは、古今東西、人であって人ではありません。豪族や権力者の私有民、つまり持ち物です。モノであり、所有物です。
そして所有者は、生殺与奪の権を持ちます。モノはいくら殺しても怪我をさせても目を潰しても罪になりません。なぜなら「人」ではないからです。

そしてこのことから派生して、「民」は、民衆から教育を奪うこと、つまり「ものごとを見えなくする」ことの意味にも使われます。
民衆を無教養なバカにしておくことで、有能な者が民から収奪する。
収奪されても収奪されたことがわからないようなアホに民衆を据え置くことが、施政者の徳(利得)だとされたという思想的背景が、この「民」という漢字のもともとの意味になっています。

その「民(みん)」から収奪する人が「君(くん)」です。
「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字ですが、「尹(イン)」というのは、は、「手」と「|」(棒)が組み合わさってできています。
ものの本には、体裁よく、また子供達への教育的配慮から、手に杖を持って口を開けている姿が「君」だから、これは「聖職者」をあらわします、などと説かれています。つまり、モーゼのような立派な姿をイメージさせようと躍起になっていますが、実は、そうではなくて、手にムチを持って「オラオラ、お前たち、働け働け」と、「民」をしばきあげている役人を示します。

奴隷たちが強制労働させられている横で、ムチをもって奴隷たちをしばきあげている人、なんとなくイメージできようかと思いますが、あれが「君」です。もともとの漢字の意味は、そういう意味です。
支那の漢字というのは、ほんとうに、ろくな意味がありません。

その「民」や「君」を私達の祖先は漢字文化として古代にこれを取り入れました。
その前は、神代文字と呼ばれるシュメール文字のような文字が使われていたようですが、渡来仏教の影響で、寺子屋が普及し、いつの間にか漢字が文字の主流になりました。

ただ、わたしたちの祖先の偉いのは、その漢字をただ輸入しただけではなくて、わたしたちの国が持つ文化に、漢字を染めなおしたことです。
それが「訓読み」です。

ですからたとえば「民(みん)」は、目の見えない隷民という意味ですが、わたしたちの祖先はこれに「たみ」という和語(大和言葉)を充てました。
というより「たみ」という大和言葉に、あとから「民」という漢字を充てています。
そして「たみ」というのは何を意味するかといえば、「田んぼではたらくみんな」です。だから「たみ」です。
そこに上下関係や支配と隷属の関係はありません。
みんなが共同する仲間たちです。
そして私達は、いまでも、「民」といえば「田んぼではたらく仲間たち」を語彙としてイメージしています。

ですけれど同じ漢字でも、渡来系の方は、そこに見る文字の意味は被支配層としての「隷民」です。
帰化系といわれる議員のセンセイと、国会でのやりとりをみても、どうにも会話になっていないという印象を強く受けることが多々ありますが、それもそのはずです。彼らは、もとからの日本人と言語感覚が異なるのです。

ちなみに、民主という言葉がありますが、支那文化、あるいはその支那文化だけに染まっていて訓読みをもたない朝鮮文化では、「民」の意味は上にお示しした通りで、「主」は、下の「王」の部分がろうそくの燭台です。そして上にある「丶」が、ろうそくの炎です。
燭台やロウソクは、明るいところでは役に立ちません。
部屋の奥まった暗いところにあって、じっと動かずに、人に「ああせい、こうせい」と命令する。それが「主」です。

つまり支那朝鮮文化では、「民主」とは、「自分は部屋の奥にいて何も動かず、他人に命令ばかりする人が、民衆から教育や視力を奪い、民衆にものを見えないようにしたうえで、民衆から収奪すること」、それが「民主」の意味になります。

一方、日本人は「民主」と聞けば、「田んぼではたらく仲間たち(たみ)が主(あるじ)となる社会の仕組み」、
「田んぼではたらくみんなが、その田んぼの主(あるじ)となる社会体制」をイメージします。
これは日本語に「訓読み」がある、つまり漢字を輸入する以前から、固有の日本文化が根っこにあることに由来します。

同じ「民主」という言葉を口にしていても、その語彙は、支那朝鮮文化圏の人たちと、古来からの日本人では、まるで受け取る感じが違います。
ですから、少年時代に、支那朝鮮文化で育ち、後に帰化した人や、在日となった人達からすれば、「君が代」と聞けば、「民衆をムチでしばきあげて言うことを聞かせる時代」に見えるし、そういうことと戦争を結びつければ、彼らの言語感覚としては、「君が代」の意味は、「民衆が奴隷としてムチでしばかれながら戦場に送られた時代」にしか見えないわけです。

同じ日本語を話し、同じ漢字を使っていても、元になる文化が異なれば、そこから受けるイメージも、まるで違うのです。
これでは会話になるはずがありません。
現実の問題として、
「民主主義」と聞けば「田んぼの仲間たちが主(あるじ)となって主役となる思想や体制」という語感にとらえる日本人と、
「隷民たちの目を潰し、自分はロウソクの燭台のように屋敷の中の奥まったところににて、自分ではなにもしないで、人に指図しながら、人々から収奪する主義」と捉える人々が、同じ国会の中で「民主主義」をめぐって議論しているわけです。議論が噛み合うはずがないのです。


(つづく)



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  by Kikidoblog | 2014-11-10 09:36 | 真の歴史

カチャルスキー博士の死:世紀の天才物理学者は連合赤軍によって殺害された!

みなさん、こんにちは。

さて、連合赤軍によるテルアビブ事件というものを知っているだろうか?

私も当時はまだ少年だったから、あまり記憶になかったが、日本人の連合赤軍がイスラエルのテルアビブ国際空港でマシンガンを乱射して多くの人を殺害した、そういう残虐な事件だったという程度にしか知らなかった。

ある程度の内容は、今ではネット情報で知ることができる。
Red Army - PFLP: Declaration of World War


Fusako Shigenobu Japanese Red Army English Subitiles.


岡本公三
テルアビブ空港乱射事件[編集]
1972年5月30日に奥平剛士・安田安之と共にテルアビブ空港乱射事件を実行し26人を殺害、唯一人逮捕された(奥平、安田は死亡)。このとき、鹿児島大学から放学の懲戒処分をうける。同年7月13日に岡本はイスラエルで裁判にかけられ、職業として「赤軍兵士」を自称した。また陳述のなかでは民間人を殺害したことについて謝罪せず、また「事件は当初は3人ではなく丸岡修を含めた4人で行われる予定であったが、丸岡は途中から別行動を取ったために3人で襲撃を行った」と供述している。

日本赤軍の女帝重信房子


さて、私がなぜこれをメモするか?

というと、実はこの犠牲者の中のイスラエル人のユダヤ人の中に「世紀の天才物理学者」が含まれていたことを知ったからである。

拙著の
オンサーガーの不可逆過程の熱力学
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(これは世界トップレベルの専門書。学生や普通の物理学者では読めても理解できない。)
にあるラルス・オンサーガーはノルウェー人の世紀の天才理論物理学者であった。このオンサーガー理論を基にして、現実の「生命現象の解明」に向けて第一歩を生み出した科学者がいた。多くの人は、科学者も含めて全くご存知ないはずである。私自身も10年前までは知らなかった。

その人物が、アーロン・カチャルスキー(Aharon Katchalsky)博士である。
Aharon Katzir
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私はこの博士のほぼ全部の論文をインターネットで手にしてすでに大半を読んでいる。最初は今もご存命だと思っていた。が、最近はあまり研究をしていないと思って、ある時に読んだ論文に、「彼は殺された」とあった。だから、何かの事件で殺されたか、交通事故で死んだのだろうと思っていた。

ところが、その後、とある論文にもっと詳しく記述されていたことを知ったのである。

それが、1972年5月30日のテルアビブ国際空港における日本赤軍の銃乱射事件の犠牲者だったというものである。

私はだいぶ昔から、生命の理論があるとすれば、それはどこか電磁気学に似たものになるはずである。そして、一番近いものは電気回路理論のようなものだろうという予想をしていた。

ところが、ある時、このカチャルスキー博士こそ、私のそういう予想どおりの理論の構築者であったことを見つけたのである。カチャルスキー博士はお弟子さんの数学者や電気回路理論の専門家といっしょに幾多の論文を書いていたのである。

こんなすごい物理学者があのテルアビブ空港にいた。そして、狂気の日本赤軍の銃撃にあってお亡くなりになったのである。享年58歳。ほぼいまの私と同じくらいの歳である。

今からすれば、こういった日本赤軍、革マル派、全学連、すべてが在日韓国人のものだったのである。だから、当時から日本人に「成りすました」反日活動家や反政府活動家が、日本人の名誉を傷つけるために起こした凶悪事件だったのである。

ところが、こういう活動家の重信房子の娘は安直にして生きているからほんと在日天国ですナ。


さて、このカチャルスキー博士の研究はまたいつかメモすることもあるだろう。たぶん、この博士がご存命だったら、生命の物理学は完成していたのではなかろうか?

カチャルスキー博士のご冥福を祈りたい。



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  by Kikidoblog | 2014-11-02 18:39 | 真の歴史

今年のノーベル化学賞は、「超解像度蛍光顕微鏡の発明」へ

みなさん、こんにちは。

今年のノーベル化学賞は、超解像度蛍光顕微鏡の発明で、以下の3人に行った。
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  by kikidoblog | 2014-10-08 18:56 | 真の歴史

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