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ノーベル賞 今日から発表:当たるかトムソン−ロイター君!?

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”研究とは他の誰も見なかったことを見、
他の誰も考えなかったことを考えることである”

−−アルバート・セント=ジェルジ
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みなさん、こんにちは。

いや〜、イグノーベル賞はほぼ毎年日本人の誰かが取得しているが、今日からノーベル賞の発表が行われるらしい。
ノーベル賞 あすから発表
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ノーベル賞の発表が6日から始まり、おととしの京都大学、山中伸弥教授以来の日本人の受賞がなるか、注目されます。

ノーベル賞は、ダイナマイトを発明したスウェーデン人科学者、アルフレッド・ノーベルの遺言に基づいて、1901年に始まった、世界で最も権威のある賞です。
ことしの受賞者の発表は、6日の医学・生理学賞に始まり、7日が物理学賞、8日が化学賞、10日が平和賞と続き、13日に経済学賞が発表されます。
文学賞の日程についてはまだ、明らかになっていませんが、9日になるとみられています。
去年、日本人の受賞はありませんでしたが、おととしは体のさまざまな組織や臓器になるとされる「iPS細胞」の作製に成功した京都大学の山中伸弥教授が医学・生理学賞を受賞しました。
また、4年前には化学賞で鈴木章さんと根岸英一さんの2人が、6年前には物理学賞と化学賞でアメリカ国籍の南部陽一郎さんを含めて合わせて4人の日本人研究者が受賞しています。
これまでにノーベル賞を受賞した日本人研究者は、南部陽一郎さんを含めて19人で、21世紀に入ってからは、日本はアメリカ、イギリスに次いで3番目に、自然科学系の3つの賞の受賞者が多くなっています。
初日の医学・生理学賞の発表は、日本時間の6日の午後6時半ごろの予定で、20人目の日本人のノーベル賞受賞がなるか注目されます。

海外の予想は
ことしのノーベル賞の発表が6日から始まるのを前に、海外でも各賞の有力候補についてさまざまな予想が行われています。
このうち世界的な学術サービス会社が論文の引用回数などをもとに、予想している医学・生理学賞、物理学賞、化学賞、それに経済学賞の4つの賞の有力候補には9か国から27人の研究者の名前が挙げられています。
このうち日本人では、物理学賞で、東京大学の十倉好紀教授が挙げられているほか、化学賞では、韓国科学技術院のユ・リョン(劉龍)教授が候補に名を連ねており、韓国としては、自然科学分野で初めての受賞となるか注目を集めています。
また、イギリスで、政治やスポーツなどさまざまな出来事を対象に賭けをする政府公認の業者、「ブックメーカー」の予想では、文学賞の受賞者として村上春樹さんが軒並みトップになっています。
このうち大手業者の一つでは、村上さんは、ことしの予想が始まった8月から不動の最有力候補で、過去6年間で、4回目の一番人気だということです。
「ブックメーカー」の担当者は、「村上さんはとても人気が高い作家です。ことしかどうかは分かりませんが、やがてノーベル賞を受賞すると多くの人が考えています」と話していました。
このほか、毎年、平和賞の受賞者の予想を行っているノルウェーの「オスロ平和研究所」は、ことしの受賞候補に、戦争の放棄をうたった憲法9条を持ち続ける日本国民を挙げています。

日本人の受賞者
日本人で初めてノーベル賞を受賞したのは、昭和24年の湯川秀樹さんで、それ以降、おととしの山中伸弥さんまで、合わせて19人の日本人が、経済学賞を除く5つの分野でノーベル賞を受賞しています。
このうち、医学・生理学賞はこれまでに2人が受賞しています。
昭和62年に利根川進さんが受賞したあと、おととし、25年ぶりに、体のさまざまな組織や臓器になるとされる「iPS細胞」を作り出すことに成功した山中伸弥さんが受賞しました。
物理学賞と化学賞は受賞者が最も多く、それぞれ7人が受賞しています。
物理学賞は、戦後まもない昭和24年に、湯川秀樹さんが「中間子」という素粒子の存在を予言して、日本人として初めてのノーベル賞を受賞。
その後、昭和40年に朝永振一郎さんが、昭和48年に江崎玲於奈さんが、平成14年には小柴昌俊さんが受賞しました。
そして、6年前の平成20年には、素粒子の理論的な研究で成果を上げた南部陽一郎さんと小林誠さん、それに益川敏英さんの3人が同時に受賞しました。
化学賞は、昭和56年に福井謙一さんが初めて受賞したあと、平成12年から3年連続で、白川英樹さん、野依良治さん、田中耕一さんが受賞しました。
その後、平成20年に下村脩さんが受賞し、4年前には液晶や医薬品など幅広い分野で使われている「クロスカップリング反応」の研究に取り組んだ、鈴木章さんと根岸英一さんが同時に受賞しました。
文学賞は、昭和43年に川端康成さんが、平成6年に大江健三郎さんがそれぞれ受賞し、平和賞は、昭和49年に佐藤栄作元総理大臣が受賞しています。


私は10月13日生まれだから、このノーベル週間に生まれたわけである。だから、別に私はもらうまでもなく、世界中が私の生誕を祝ってくれていると、勝手に解釈しているんですナ。

ところで、その発表の前になると、アメリカのトムソン−ロイターという会社から、もっともノーベル賞を取りそうな人たちがデータ分析から公表される。宝くじもいろんな理論を作って予想してもまったく当たらないというように、このトムソン予測も大方は外れる。

もともとロイターは偽ユダヤ人のシオニストのロイターがCIAの手を借りて作った新聞社である。トムソンもそうだろう。というわけで、いわゆるNWO側のメディアである。


さて、そのトムソンーロイターの予測が出ている。これである。
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http://sciencewatch.com/sites/sw/files/sw-article/media/worlds-most-influential-scientific-minds-2014.pdf

あなたはこの中にいるか?
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小保方さんのSTAP細胞が本当のことであれば、当然、小保方さんもこの中に入ったことだろう。すでに除外された。

さて、私はアラン・ペレルソン博士にノーベル賞をとってもらいたい。以下の人である。
Aiken, Korber and Perelson spotlighted in Thomson Reuters report
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はたしてロイター−トムソン予測は当たるだろうか?

今晩からが見ものですナ。


おまけ:
ノーベル生理医学賞のライブによる発表があった。賞の半分が、脳神経科学分野のジョン・オキーフ博士(USA)と残り半分がメイブリット・モーザー博士(ノルウェー)とエドワルド・I・モーザー博士(ノルウェー)である。
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コングラッチュレーションズ。おめでとうございます!


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  by kikidoblog | 2014-10-06 16:55 | 真の歴史

今日は「停戦記念日」:かのホピ族は「自衛のための戦争」を除いての平和主義だった!

武士の情けとはなんですか?

たとえ敵であっても相手を辱めることはしない。
相手の名誉を重んじるという精神です。



テキサス親父「武士の情け」に感涙!:国を背負って戦った勇者の尊厳は命を掛けて守る!より


みなさん、こんにちは。

今日は「終戦記念日」の8月15日。戦争でお亡くなりになられた方々に黙祷を捧げます。

さて、今日が終戦記念日か、敗戦記念日か、それとも停戦記念日か、ということについてはもう昔に分析済み。一応再掲しておこう。以下のものである。
8月15日は終戦記念日か敗戦記念日か?:戦後の日本は米軍による在日支配の歴史!?
8月15日「終戦か、敗戦か、停戦か」:やはり「新憲法」を作るべきですナ!

まあ、最近はとみに見なくなってしまったが、日本のマスゴミは、相変わらずの嘘捏造の自虐史観の色眼鏡で見るだろう。それも光の三原色()ではなく、色の三原色()の色眼鏡で見るに違いない。創価学会色である。コロンビア人に謝罪するニダ!

そこで、今回は、我が国が太平洋戦争が始まる直前(ビフォー)とその後(アフター)の違いをYouTube番組に残された映像で比較してみたい。

(あ)戦前の日本−戦前の帝都東京
海外「日本は昔から先進国だったんだ」 戦前の東京を映したカラー映像が凄い
今回は、戦前、1935年(昭和10)ごろの日本を映したカラー映像から。

動画には戦前の銀座、丸の内周辺、浅草などの都市の様子がカラーで収められており、
他にも、日本の自動車会社が撮影した新車発表会の様子や国産乗用車の宣伝映画、
個人が撮影したホームビデオなど、貴重な映像がいくつか紹介されています。

教科書では分からない当時の光景は日本人にとっても大変新鮮で興味深いものですが、
外国人にとっても、興味深く、感動的なものであったようです。

Japan of the 1930's_2 color film


Japan of the 1930's_1 color film

簡単に言えば、

江戸時代の日本は、日本全国が日本庭園のようだった。(ペリーの見た江戸は美しかった!!:計算されたペリー来訪
明治維新後から太平洋戦争前までの日本は、首都圏がロンドン、他は京都のようだった。(韓国人「100年前の世界各国の都市を見てみよう」:その勇気は称えるが?クール・ジャパン:英国で100年以上前の日本の写真発見!
太平洋戦争後の日本は、京都や一部を除き、戦前の日本統治下の韓国のようになった。

とまあ、そういうことですナ。


(い)太平洋戦争直後の日本
東京大空襲の記録映像 1945年


東京大空襲 死者数10万人以上 単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大 1945.3.10 KSM
(この死者の中には、数多くの旧東京帝国大学の天才科学者や物理学者たちも含まれていた。もちろん、日本の真の国宝「竹内文書」の4000点や骨董品等もこの時消失した。)

フランク・ロイド - 東京大空襲・最後の爆撃/Frank Lloyd - The Last Bomb(1945)


テキサス親父「武士の情け」に感涙!:国を背負って戦った勇者の尊厳は命を掛けて守る!


(う)戦中・終戦直後の日本【カラー映像】
戦中・終戦直後の日本【カラー映像】




(この番組のナレーションで言っていることは、「適当なので」あまりまともに聞く必要はない。NHKの自虐史観プロジェクトの一貫である。もっともらしい映像といい加減なナレーション、その組み合わせで心理誘導する。これがNHKの洗脳方法である。まあ、いわゆるショックドクトリンの手法ですナ。)


この歴然たる差が、あの昭和天皇の「終戦の詔勅(しょうちょく)」に繋がる。
終戦の詔勅 (玉音放送)


原 文
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朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
 (私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。)

朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 (私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。)

抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
(そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。
 ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。
 なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。)

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
 (私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。
 考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。)

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
( 私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。
 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。
 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。)


(お)終戦後−1950年代の日本
この詔勅に従って、終戦後の怒濤の「闇市時代」が始まった。いわゆる戦後である。
戦後間もない日本のカラー写真 1949年~1950年


1950年代の日本


(*´∀`) ロシアのサイトに掲載された1950年代の日本
そして、朝鮮戦争勃発後が、いわゆる「戦後55年体制」である。それが、最近終了したというわけですナ。

もはや戦後ではない!

は真実なのである。


おまけ:
ところで、アセンション系の人やスピリチュアル系のお花畑系の人たちが大好きなホピ族というネイティブインディアンがいる。ところが、そういったお花畑の住人たちが大誤解しているものがある。

それは、ホピ族は戦争大嫌いだが、たった一つだけ許可しているものがある。それが、「自衛のための戦争」である。つまり、ホピ族は、自衛以外の戦争を放棄しているのであって、決してすべての戦争を放棄していたわけではなかった。つまり、「自衛権」も「集団的自衛権」も「自衛のための戦争」も放棄していない。

そんなわけで、日本のアセンション系の人やスピリチュアル系のお花畑系の人たちが、あたかもホピ族が戦争放棄を主張しているかのように言っているのは、やはりそういった左巻きの人たちが、自称、アセンション系の人やスピリチュアル系のお花畑系を名乗って、左翼在日韓国人に有利なように、そして日本人に不利なように、世論構成しようという明確なる意図が見えるのである。
いつも他人の口を借りて、自分の主張を正当化する
その他人が言ってもいないことをあたかも言ったかのように言って、自己主張に繋げる。事大主義者である。だから、ちょーせんじんが関わるとあらゆる人や民族が大混乱を引き起こすのである。間に入ってあること無いこと人に成りきって話すからである。真にこの地球上から消えて欲しい人種である。関わっていいことは何も無い。

だから、100%アセンション系の人やスピリチュアル系のお花畑系の人たちは、在日韓国朝鮮人であることは間違いないだろう。したがって、日本人のような振りをしてアセンションを語る人のサイトやブログ等を読んでも意味がない。

だいたい日本人は一つしか名を持たない。だから、まともな日本人は自分の名を名乗る。さもなくば、そういうサイトはもたない。そういうものだ。

悪いことをする時には他人を名乗る。
韓国人が悪さをする時には、日本人になりすます。

もはや世界中に知れ渡ったザパニーズの手口というわけですナ。


おまけ2:
例のヘブライ大のシロニー教授の解説
ベン=アミー・シロニー教授 「日本の強さの秘密を探るー日本とユダヤの深い関係」ロングバージョン53分

にもあったが、ユダヤ人が困難に陥った時には、日本人は全身全霊で彼らユダヤ人を助けたのだが、どうもその逆はないのである。私個人の経験でも、アメリカ留学中にユダヤ人の教授から親切に教えをこうたという経験はない。思えば、古代アッシリアが古代イスラエルの失われた10支族を捕虜にしてアッシリア捕囚として連れ去ったときも、残った古代ユダの2支族が彼らを助けたという話がまったくないのである。異教徒として見殺しにしたからである。このユダヤ人特有のダブルスタンダードもまた、韓国朝鮮人の「恩を仇で返す」という悪しきダブルスタンダードと似ているのである。それゆえ、どこかに接点があると睨んでいるわけですナ。今度のブラジルワールドカップへ行く途中のフライト時に読んだ、ユダヤ人のマンデルブロー博士の自伝でもやはりそうだった。マンデルブローはフランス政府の全身全霊の最高級の教育システムを受けて育ったのだったが、まったくフランス人にもフランス政府に対するお礼というものがない。むしろ自分が損したことや他のフランス人のおばかぶりばかりが自慢げに書かれている。他民族に対する思いやりや感情移入が欠落しているのである。変わった民族である。シロニー教授にしてもそうで、ユダヤ人のおかげでいったいどれだけの日本人が空襲で犠牲になったかという観点も論点もない。ユダヤ人が犠牲にならなければそれでいいという感じである。事実米軍のB29は明確に神戸のユダヤ人シナゴーク
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は避けて爆撃している。
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いやはや、ユダヤ人(偽ユダヤ人)と朝鮮人(韓国人)いずれも困ったものですナ。方や天才民族、方やキチガイ民族。天才とキチガイは紙一重。とは、よく言ったものですナ。



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  by kikidoblog | 2014-08-15 14:04 | 真の歴史

ユダヤ人学者の見た、広島長崎の原爆投下:「対ナチスのためのものだった!」

みなさん、こんにちは。

今日は「8月6日」。広島に原爆が落とされた日である。

この広島と長崎への原爆
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はどういうふうに、どういう理由で落とされてしまったのか?

今日、偶然にヘブライ大学のシロニー教授によるユダヤ人の見方というものを見つけた。果たして原爆開発の当事者であったユダヤ人の立場では、どうだったか?

それをメモしておこう。以下のものである。
ベン=アミー・シロニー教授 「日本の強さの秘密を探るー日本とユダヤの深い関係」ロングバージョン53分

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原爆でお亡くなりになった方々のご冥福を祈り、黙祷をささげます。

いやはや、もしアインシュタインの時代、欧米に巣食ったイルミナティーの存在を知らなかったとすれば、相当におめでたかった。
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いまでは、2011年の311は、イスラエルのシオニスト首相ネタニヤフがやらせたことはみんな知っている。

はたして、日本人がいつまでも親イスラエルだと思っているとすれば、これまたあまりにおめでたい。

元来日本人は正義を愛する民族である。素晴らしいことややり遂げることが難しいことをやり遂げた人、そういう人には国籍や人種に無関係に賞賛し愛する。

しかしながら、悪いことをする人、不遜な民族、こういう連中にもまた人種や国籍に無関係に嫌悪する。そういう民族でもある。

まだまだ今ひとつ日本人研究が足りないようですナ。
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今日本人が手枷足枷で身動き取れず、隣の韓国人やら中国人の不遜犯罪や攻撃に指を加えて見て見ぬふりしなかればならなくなったのも、たったの22歳で余計な真似してくれたシロタの書いた日本国憲法のせいだったとも言えるのである。つまり、これでは、憲法があまりに理想主義すぎて、日本人が犯罪者のやられっぱなしになってしまうのである。やられっぱなしはイエスキリストだけにしてほしいものだ。

とまあ、いろいろの見方はあり得るが、イスラエルの指導的立場の学者が広めている観点であるからして傾聴に値するものではあるだろうヨ。

いずれにせよ、当時の日本は原爆開発できたのだが、対ナチス、対連合国であれ、原爆開発を放棄したのが日本人。天皇の勅令だった。世界史において日本人としての汚名を残すことは出来ないと。

またユダヤ人の立場ではナチスが先に作ったからというが、実際にナチス・ドイツで原爆関係を指揮したのは、ウェルナー・ハイゼンベルグであった。ハイゼンベルグは、原爆開発をナチス執行部に知られないように最大限の努力をして、原爆開発はしていなかったと証言している。しかし、ユダヤ人のニールス・ボーアはそれが信じられなかった。結局、レオ・シラードを通じてアルバート・アインシュタインにルーズベルト大統領への直訴となったのである。しかし、ルーズベルトも殺される運命であった。が、それを知らなかった。イルミナティーのコマでしかなかったからだ。結局、メーソン33階級のトルーマン大統領に取って代わったわけである。

やぱり日本人とユダヤ人は似て非なるものなのではないかナア。



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  by kikidoblog | 2014-08-06 20:08 | 真の歴史

1941年ヒトラー総統、松岡洋右外相訪独を大歓迎!:真実の歴史がいま蘇る!?

みなさん、こんにちは。

百聞は一見にしかず。

いよいよ「真実の歴史」の映像がこれまたYouTubeに出てくるようになったらしい。以下のものである。実にすごい映像である。

1941年大日本帝国の松岡洋右外相のドイツ帝国訪問のものである。
海外「俺達は嘘の歴史を教わった」 日独の蜜月を伝える貴重映像に外国人衝撃
映像は1941年に、当時の外務大臣であった松岡洋右が、
ドイツ、イタリア、ソビエト連邦を歴訪した際にベルリンで撮影されたもので、
ベルリン市民の熱狂的な歓迎を受ける様子が紹介されています。

Hitler and Germany Welcome Japan's Foreign Minister 1/2


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大変貴重な映像に、外国人からは様々なコメントが寄せられていました。

Part2はこちら   リクエストありがとうございましたm(__)m
Hitler and Germany Welcome Japan's Foreign Minister 2/2


■ これはまた素晴らしく貴重な映像だな~。
  投稿してくれて本当にありがとう。 アメリカ
  ■ この映像凄いなぁ!! この2カ国の盟友関係がずっと続くといいね!! アメリカ
■ 彼らは世界を征服し、他の国を従えさせることを夢見ていた。
  4年で連合国に倒される結末を迎えるわけだけどね。 タイ→これまた誤解の大嘘。松岡さんが何をしにドイツに行ったのかは後述。
■ 友達が2ヶ国しかないと、これくらい熱狂しちゃうもんなんだろうねw カナダ→第一次大戦敗戦で疲弊しきったドイツに無償の資金援助を行ったのが当時の日本。これを日本がドイツを作ったという言い方がされることもある。今の中国と韓国を資金援助したのが日本だったのとまったく同じこと。今も昔も日本はいい意味のお人好し。英米は一銭も援助しないから。
■ 当時の日本も国家社会主義的な国だったわけ? フィンランド→日本は天皇制。天皇制は社会主義国でも共産主義国でもない。
■ 日本とドイツの美しい友情が見れてよかった。 フィリピン
■ こんな歴史的な映像は他に観たことないぞ! アメリカ 
■ 素晴らしい映像だ。ようやく日独をいたずらに悪く描いてない映像を目に出来た。
  俺は歴史の授業で、アメリカのプロパガンダを聞くのにうんざりしてたんだ。
  もちろん日本とドイツは悪いことだってやっただろうさ。
  だけど正直、歴史的に観たらアメリカとイギリスのほうが差別的な国だろ。
  何でアメリカとイギリスだけが讃えられてるのか。
  それは、2カ国が自分たちの好きなように歴史を作ってるからだ。 アメリカ
   ■ 戦争に勝った者が歴史を書くわけだから。
     この世界には、WW2以前にだってホロコーストの事例はあったんだ。
     だけど連合軍は、過去に例を見ない戦争犯罪としてプロパガンダに利用した。
     誰もアメリカで起った日系人強制収容所とかについては何も言わないだろ。
     戦争は地獄だ。どちらかが正しいなんてことはない。
     戦争に加わった国、全てが悪事を行ってるんだ。 アメリカ
■ 誰が正しいのか。
  残念だけどそれはいつだって、勝者が決めるものだからね。 ドイツ
■ 俺、当時のドイツはアジア人が嫌いなのかと思ってたよ。 マレーシア
■ 同盟国として日本を選ぶ……。負けて当然だわな……。 ブラジル→ブラジルに渡った韓国人の意見だナ。日本を選んだのではない。日本がドイツを復興させたのである。
   ■ 日本は同盟国として素晴らしい働きをしただろ。 デンマーク
   ■ 日本は枢軸国の中で一番最後に降伏したんだよ。
     だって日本はドイツとイタリアよりも強かったから。
     日本を降伏させるために、原爆まで使う必要があったんだ。 アメリカ  
      ■ 連合国は対日本より対ドイツにもっと力を入れてたからでしょ。 国籍不明→アホか?日本と連合国が戦った広さと場所を考えろ。ドイツと連合国は欧州とアフリカのみ。日本はインドとアジア全土からオーストラリアまでの広範囲だ。
■ 日本以上にドイツに友好的だった同盟国は今も昔もなかった!
  紙の上だけじゃない、本物の友情が2カ国にはあったんだ。 
ドイツ→全く正しい。日本人は人種や文化や宗教でみない。この世界への価値貢献度で見る。だからアフリカの黒人マラソン選手でもインド人の物理学者でもその価値に応じて人を賞賛する。そういう国。逆に反日や不遜犯罪者には厳しくしつけする厳しい国。
■ どうして日本人をアーリア人種として見てたのかが分からないんだよなぁ。
  ヤマト民族は東洋のアーリア人だって見なし方をしたりさ。
  それでアメリカ人のことは「劣等」って思ってたんでしょ??? アメリカ→米人は劣等ではなっく、鬼畜と考えた。怪物くんだよ。褒め言葉さ。
■ 当時のドイツは、全ての人種に対して差別的だったわけじゃないんだな。
  自分たちのイデオロギーを取り入れてくれる国なら迎え入れてたんだ。 アメリカ
■ ドイツは日本も他のアジアも一掃するつもりだったと思うけどね。
  結局その地域の人たちは、アーリア人種ではないんだから。
  単に日本を利用してただけ。そして日本はその事に気付かなかった。 アメリカ→こいつの洗脳は深い。ヒトラーの「わが闘争」を読んでいないな。ヒトラーは日本人を非常に高く評価していた。ましてやヒトラー時代のずっと前の欧州は「ジャポニズム」のブームがあった。やはりバーガーばかり食っているとバカになるんだな。
■ 混乱してるぜ。 アーリア人至上主義だったっていうなら、
  枢軸側が勝った時、ドイツはは日本をどうするつもりだったんだろ? カナダ  →ヒトラーは遺伝的にユダヤ人だったことが証明済み。ユダヤ人はセミであってアーリア人ではない。
■ 歴史的な瞬間を今こうして目にすることが出来るとはね。 ホンジュラス
■ ホント何でこの2カ国が同盟したんだろうなぁ。
  当時のドイツって、白人至上主義を標榜してたはずなのに。 アメリカ 
□ こんな過去があるのに、ネオナチがアジア人を迫害してるのは何でだ? ドイツ
   ■ だって彼らに本当の思想なんてないもん。 ニュージーランド
   ■ ヤツらは何かを学んで行動を起こしてるわけじゃない。
     当時のドイツはアジアよりもロシアに対して敵意を抱いてたんだ。
     なのにネオナチはロシアにいるんだよ。ハハ。 国籍不明 →ネオナチはアングロサクソン系の偽ユダヤが作ったもの。悪魔主義者の別名にすぎない。ナチスとは異なる。イスラムとアルカイーダが全く違うのと同じ。
      □ ああ、俺は単に皮肉を言っただけなんだ。
        今までここドイツで、外国人を排斥する残念なヤツらを見てきた。
        外国人たって、単なる学生や旅行者なのにな ドイツ
■ 偉大な国日本。あの国の歴史を見るに、彼らは不屈の民だね。 エクアドル
■ オーッ、これ凄いなぁ。
  ドイツ人でも日本人でもないのに、ちょっと嬉しくなっちゃったよ :)
  実際のところ、真実ってものは勝者が握るものなんだ!!!
  ドイツと日本は、連合国側が描いているようなモンスターではない。
  そのことに世界中が気づき始めてるぞ!!!!
  南米からのメッセージでした。 イギリス在住    
■ 日本とドイツは負けて当然の国だった! マレーシア→日本がマレーシアのオランダを駆逐し、学校を建てマレー語の教育を授けたことを忘れたのか?日本がなければ、君らはいまだに裸の奴隷だよ。そのほうが良ければ今からでも元に戻すよ。
■ 当時のドイツと大日本帝国。
  この2カ国の関係は、多文化主義の究極の形とも思えるね。 シンガポール
■ 俺はドイツと日本を支持する。欧米列強なんか倒して欲しかったね。 スリランカ
■ 話す時は何語を使ってたんだろ。通訳者を通してたのかな。 フィリピン→当時の外相クラスはドイツ語が話せた。今と違って天才級の秀才しか国家公務員になれなかったのだ。
■ 日本がドイツに愛されていた理由の1つは、日本には多くの空母があったからだな。
  当時強力な海軍を保有していた国は、唯一日本とアメリカだけだったから。 カナダ→そうじゃない。日本が無償の資金援助を何十年も続けたからだよ。戦後の中国と韓国は日本のODAや資金援助や技術援助によって発展できたが、それをまったく感謝しなかったが、当時のドイツはこの映像のように最大級で謝意を示したというだけのことさ。
■ 誰かが日本とドイツの「戦争犯罪」をちゃんと調べれば、
  すべてでっち上げられたものだってことが分かるのに。
  ドイツと日本が立ち上がる日はいったいいつなんだ? アメリカ→アメリカ人は、イギリスの貴族が米人をいまだに植民地の子とみなしている事実を知るべきだ。つまり、英国貴族王族が諸悪の根源。
■ ロシアがこの狂乱の渦から世界を救ってくれた。 リトアニア→アホか。こいつも洗脳が深い。フィンランドとリトアニアが独立できたのは、日本が日露戦争でロシアに勝ったからだ。そんなことも知らないのか。
■ 今じゃ日本とドイツは、世界一発展した国になってるじゃないか。 +23 ドイツ(?)→この映像にある自動車はすべてドイツが開発したベンツやポルシェ。これが戦後の自動車時代の基礎になった。
■ 学校がこの映像を歴史の授業で観せてくれたことなんか一度もなかった。
  俺は基本ナチスは、アーリア人種と見做さない人たちを憎悪していたのかと思ってた。
  その解釈じゃ、なぜドイツと日本が同盟を組んだのかを一生理解出来なかったと思う。
  だけど今、俺たちが学んだ歴史は嘘だったんだってことが分かった。
  歴史はおそらく、勝者によって書かれるものなんだろう。

  だけど、真実はいつだって、1つなんだ。 +7 アメリカ→その通りさ。戦前戦中戦後にかけて、米国では英国王室貴族の後押しを受けた偽ユダヤ系米人によるハリウッドが情報操作しているわけだ。
(おもしろいので、拙コメントを赤字で入れた。)

それにしても、こういうものをみて分かることは、今現在のどこの国でもまともな歴史教育を行っていないナということである。これがアメリカ(実際には英米)に始まる「愚民化政策」の結果である。ローマ・クラブの「グローバル2000」や「アジェンダ21」や「世界人間牧場化計画」の作戦に世界中がまんまとはまってしまったということだろう。

その結果、自国の真の歴史も知らずに、恩人を悪人呼ばわりするバカ民族だらけになったのである。このマジックが実は大英帝国のお家芸である。そうやってインドを数百年奴隷国家として支配したのである。

さて、最初の映像の話に戻り、この映像は、大日本帝国の松岡洋右外相が、ドイツに渡り、ナチスドイツのヒトラー総統と会談するために行ったものである。

何をしに行ったのか?

もはや我々もあまり知らない歴史である。

日独同盟樹立に行ったのか?あるいは、ヒトラー総統を見に行ったのか?はたしてどうだったのだろうか?

これについて結構面白いものがウィキに出ていたので、それをメモしておこう。以下のものである。
松岡洋右
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松岡 洋右(まつおか ようすけ、1880年(明治13年)3月4日 - 1946年(昭和21年)6月27日)は日本の外交官、政治家。日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に代表的な外交官ないしは外務大臣として関与した。敗戦後、極東国際軍事裁判の公判中に病死。


四国同盟構想とその失敗
ドイツ総統官邸でヒトラーとの会談に臨む松岡
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松岡は世界を、それぞれ「指導国家」が指導する4つのブロック構造(アメリカ、ロシア、西欧、東亜)に分けるべきと考えており[11]、日本・中国・満州国を中核とする東亜ブロック、つまり大東亜共栄圏(この語句自体、松岡がラジオ談話で使ったのが公人の言としては初出)の完成を目指すことを唱えていた。松岡は世界各国がブロックごとに分けられることでナショナリズムを超越し、やがて世界国家に至ると考えていた[12]。この説は満鉄時代からの彼の持論であり、内外の研究者に協力を仰いで研究を進めていた[13]。松岡はこの構想を実現させるためには、各ブロックを形成する他の指導国家と協調する必要があると考えていた。

松岡は外相就任当時、「独逸人ほど信用のできない人種はない」と語っており[14]、ドイツに対して好感を持っていたわけではなかった。しかし就任当初からドイツ・イタリア・日本による三国同盟を唱える陸軍の使者が松岡の元を訪れ、三国同盟を推進するよう働きかけていた[15]。武藤章軍務局長もその一人であり、もし承諾せねば内閣をつぶすまでだと意気込んで松岡の元を訪れた。対談後、武藤は松岡も三国同盟に賛成であるかのように認識していたが、松岡自身は武藤を丸め込んだと考えていた。しかし松岡は自分の議論に酔う悪癖があり、度重なる陸軍の接客と「議論」を行う中で、次第に三国同盟に傾斜していった[15]。

当時ヨーロッパはドイツの軍事力に席巻されており、松岡は遠からず西欧ブロックがドイツの指導の下形成されるであろうと考え、1940年の8月頃から三国同盟案を検討するようになった[16]。一方で当時中国問題を巡って日米・日英関係が悪化していたことも影響した。ドイツはたびたび日中和平の仲介を行うよう松岡に働きかけ、ドイツに対する松岡の心証は改善されていった[17]。陸海軍からの三国同盟推進の動きが活発となる中で、小幡酉吉・松平恒雄・吉田茂といったOB達をふくむ外務省の一部は日独提携に強く反発していた[10]。しかし松岡の方針はなかなか定まらず、推進派の白鳥敏夫外務省顧問(元駐伊大使)は「松岡の三国条約に対する態度はちっともはっきりしない。」といらだちをみせ、辞職をちらつかせて松岡の決断を迫った[10]。松岡はこの時期暴漢に襲われることもあり、外務省顧問を務めていた斎藤良衛は陸軍や右翼の指示によるものであったと考えている[18]。

一方で松岡は伊藤博文の影響もあって昔から親ロシアを唱えており、伊藤門下の親露派の首領を自ら任じていた[18]。松岡はロシアブロックの指導国家ソビエト連邦にパキスタン・インドへの進出を認めることで、その東進を防げると考えていた[19]。松岡は「軍部の主張する三国同盟に乗ったと見せかけ、ドイツが日ソの仲介を買って出れば、軍部の反対を抑えたまま日ソ関係を構築できる」とし、「ドイツを通じてソ連と手を結ぶには、今を置いては好機はない」と語っている[18]。

8月13日、松岡はドイツの使者ハインリヒ・ゲオルク・スターマーと会談し、三国同盟への交渉を本格的に開始した。ドイツの外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップもまたソ連を加えた日独伊ソ四カ国同盟を構想しており、スターマーに託されたリッベントロップのメモでは日ソ関係の仲介が提案されていた[20]。自らの構想と同様の提案に、松岡はドイツ側に好感を抱いた。また松岡は日独の提携はアメリカに脅威を与え、西欧や東亜への介入を防ぐことができると考えるようになった[21]。また条約締結後にアメリカの世論は沸騰するだろうが、日本の真意がわかればアメリカ人の心証は一転するであろうと極めて楽観的であった[14]。以降、一刻も早く同盟を成立させるよう促したドイツや陸軍の運動もあり、松岡は三国同盟成立に邁進することとなった[22]。松岡は極端な秘密主義をとり、交渉は松岡の私邸で行われた。しかも出入りに用心させたため、新聞記者やアメリカ大使館関係者ですら同盟交渉に気づかなかった[23]。
日独伊三国軍事同盟は1940年(昭和15年)9月27日成立した。しかしそののち独ソ関係は急速に悪化し、その情報が日本にも伝えられ、四国連合はおろか、日ソ関係の改善の橋渡しをドイツに期待することもむずかしくなってしまった。これはソビエトが四国連合参加の条件として、多数の領土要求をドイツに出してドイツの怒りを買ったためである。

この状況の急変に直面し、松岡は自ら赴いて外交的駆け引きをすることを決意し、1941年(昭和16年)3月、同盟成立慶祝を名目として独伊を歴訪、アドルフ・ヒトラーとベニート・ムッソリーニの両首脳と首脳会談を行い大歓迎を受け、両国との親睦を深めた。この際、ドイツから、対イギリスへの軍事的圧力の確約を迫られるが、「私は日本の指導者ではないので確約はできない。帰国後貴国の希望を討議する」と巧みにかわしている。往路と帰路の二度モスクワに立ち寄り、帰路の4月13日には日ソ中立条約を電撃的に調印、日本が単独でソビエトとの相互不可侵を確約する外交的成果をあげた。シベリア鉄道で帰京する際には、きわめて異例なことにヨシフ・スターリン首相自らが駅頭で見送り、抱擁しあうという場面があった。この時が松岡外交の全盛期であり、首相の座も狙っていたと言われている。日ソ中立条約締結前、イギリスのチャーチルは松岡宛に「ヒトラー(ドイツ)は近いうちに必ずソ連と戦争状態へ突入する」とMI6情報部から仕入れた情報を手紙として送ったが松岡はこれを無視し日ソ中立条約を締結したとされる。これは後年、極東国際軍事裁判の公判でイギリス側の証拠としてこの手紙が提示され明らかにされた。

というように、この一番最後の状況の1941年の独伊歴訪の際のドイツ訪問の映像が、このYouTube映像である。

ところで、ドイツは第一次世界大戦で敗戦。疲弊に継ぐ疲弊を遂げていた。毎日を生き延びるために、女性という女性は街で娼婦をしなければならなかったというほどひどい状況だった。当時のドイツはすでに欧州の科学大国に名乗りをあげていたが、そのドイツ科学界も衰退を余儀なくされた。

その困窮を救ったのもまた日本人であった。作家の星新一さんの父、星一さんであった。これは以下の本に詳しい。
明治・父・アメリカ
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星一氏は、アメリカへ自費留学し、そこでアメリカの医薬の進歩を痛感した。帰国後、星製薬を作り、当時の大企業に育てた。近代日本の経営者のルーツである。その富で「星薬科大学」を作り、日本に近代的な科学的「製薬業」を根付かせたのである。それが、晩年に「星製薬疑獄事件」というでっち上げ事件によって廃業した。その星一さんは、戦前にドイツと誓約を結んでいた。第一次世界大戦で疲弊したドイツ化学会を救うための資金援助するというものだった。自分の会社が大変な時期であったにもかかわらず、星一はその約束を果たした。最後にはもう会社を失い、お金もなくなったが、自宅を売り払って、ドイツを救ったのである。

戦前の日本はこういう感じで、困窮し疲弊したドイツを経済援助したのである。

今は昔の物語である。

未来は現在の判断にかかっている。現在の判断は過去の歴史や過去の情報にかかっている。だから、誤った歴史を元にすれば、誤った行動が生まれるのである。正しい歴史、真の歴史に基づけば、不必要な誤りを避ける事ができる。真の歴史を知るということは、それほど大事なことなのである。




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  by kikidoblog | 2014-05-20 09:24 | 真の歴史

『KANO(嘉農)』台湾からの「甲子園」:日本統治とはこんな感じだったのだ!

みなさん、こんにちは。

日本による台湾の統治、当時の台湾人は、「あこがれの甲子園」を憧れていた!台湾で空前の大ヒット作『KANO(嘉農)』。これをメモしておこう。残念ながら、日本上演は来年以降らしい。
日本統治時代に甲子園を目指す台湾人を美しく描いた台湾映画『KANO』が「感動する」と台湾で空前のヒットに
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『KANO(嘉農)』予告トレイラー


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(この練習法はいまでも使えそうですナ。)

【KANO 幕後直擊】人物篇-永瀨正敏

いや〜〜、映画っていいものですナ。

おまけ:
映画の中で一つの伏線になっている、日本人技師、八田與一さんを大澤たかおさんが演じている。台湾に恵みをもたらした日本人。
八田與一(与一)と嘉南地方、嘉義農林学校


國片KANO 大澤隆夫毛遂自薦演出


おまけ2:
【直球對決】KANO電影幕後紀實 PART 1


おまけ3:
実録フィルム写真
嘉義農林 1931年の甲子園の決勝戦

諸羅的榮耀 嘉義大學棒球隊【嘉大棒球隊介紹片】


嘉農與紅葉的光輝年代 - 臺灣的棒球故事




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  by kikidoblog | 2014-04-03 09:59 | 真の歴史

12月13日今日は何の日?:日本軍による南京陥落の日=南京に平和が訪れた日!

みなさん、こんにちは。

今日は何の日か知っているだろうか?

今日12月13日は、「南京陥落」の日である。そして、12月17日が「日本軍南京城入城」の日である。
映画 南京の真実 記録映画編(南京陥落後)


(あ)私が、いわゆる「南京大虐殺が捏造だった」と気がついたのはいつ頃の事だったのだろうか?それほど昔ではなかったと思う。

日本の大和民族が古代イスラエルの失われた10支族であるという研究をしていた、マーヴィン・トケイヤー氏と中丸馨氏の対談で、トケイヤーが「当時の南京には日本政府の建てた河豚計画というものがあって、非常にたくさんのユダヤ人が西洋から逃げて住んでいたが、誰一人南京で日本軍による虐殺はなかったと証言している」という話を読んでからだったのではないかと思う。以下の本である。
日本とユダヤ/魂の隠された絆―日本人の霊力を呼び覚ますユダヤ人の叡智!
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ところで、いまでは、非常に残念なことに、ジュセリーノ的な偽予言者の1人になってしまった「世見の照」さんだが、最近この人が例によって知ったかぶりを発揮して、ちゃんと研究もせず、本も読まずに、「不思議な人から聞いた」といって、「古代ユダヤ」のことでいい加減な言説をまき散らしているようで実に困る。いい迷惑である。古代イスラエルと古代ユダヤはまったく別系統の別物だからである。(古代イスラエルでブログ内検索)

ユダヤもイスラエルも味噌糞にする。この照氏には、なんとなく半島人の鮮人の匂いを感じる今日このごろである。「不思議な人から聞いた」といえば、まじめに勉強しなくてもそれらしきことを語ることができるという意味では非常に都合のいいことば、一種の「呪文」なんでしょうナア。ワンカップ大関片手に講演とか、ふざけてないかいな。

まあそんなアホのことはどうでもいいが、

南京大虐殺の捏造史観というやつは、元朝日新聞社記者の
本多勝一
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と、社会党書記長だった
田邊誠(91歳)
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(一番左)
と朝日新聞社が仕組んだものであるという事実が知られているのである。

私の個人的調査研究では、「江田」、「海江田」とか、「江」の入る苗字をもつ日本人は帰化人ないしは在日が多く、それも中国系が非常に多い。他には、「林」とか多いような気もする。

日本のインテリに共産主義や社会主義に傾倒してしまった、唯物史観の持ち主、いわゆる「科学的社会主義」という思想に毒されてしまったインテリは非常に多い。これらはどちらも共にいわゆる「偽ユダヤ人」が生み出した思想であって、岡潔博士がいう非常に「動物的で邪悪な非人間的思想」なのである。資本主義も共産主義も社会主義も全部東欧のユダヤ人=偽ユダヤ人が発案したものである。

これに西洋古来の伝統の悪魔主義=ルシファー思想なるものがくっついて、3つの世界戦争を引き起こして、古代ユダヤが世界を支配する「ソロモン帝国」樹立に利用しようというために、そういった社会思想が生まれた。ないしは、主流に据えられたのであるというのが真実の西洋史である。これが古代ユダヤに端を発する思想なのである。

こういうものは、我々の日本人の古来からの考え方、すなわち、「共生主義」(人も自然も共に共生しようという思想)や「対等主義」(人種に限りなく、動植物に限りなく、生として命を受けたものは本来みな対等なのだという思想)とは、まったく相容れないものなのである。これが古代イスラエルに端を発する思想なのである。あるいは、古来から日本に土着した思想が後にやってきた大和民族に伝達されたのである。

こういった日本の歴史も西洋の歴史のどちらも知らずに、単に社会主義思想にかぶれて、日本を変える。言い換えれば、「天皇制を崩壊させる」ために社会主義思想や共産主義思想を持ち込んだのが、、いわゆる「左翼」や「革新派」だったということなのである。こういう連中の親玉が田邊誠であった。そしてその手下が本多勝一であったということだろう。こういう連中に陶酔し、薫陶を受けた連中がいまの朝日新聞や毎日新聞や全国津々浦々のマスメディアのお偉方に入り込んでいるというわけである。

だから、今度の「特定秘密保護法」に反対する。反対せざるを得ないのである。

彼らは恐れる。かつて自分が犯した犯罪を。いま非常に恐怖にかられているに違いない。

これに、もし韓国のように、「特定秘密保護法」は過去にさかのぼって施行するという話が出れば、全員有罪であろうということになる。だから、もはや生きた心地がしないに違いない。もちろん、日本人はそういういったん水に流したことまで追求するということはしない。そういう伝統がある。だが、お隣の韓国人や支那人には、遺伝的にそういう気質がある。だから、日本に帰化した在日系の人たちにも同じ気質がある。だから、非常に恐れるのであろう。

いずれにせよ、この田邊誠と本多勝一と当時の朝日新聞社社長は、連中が生きているうちに国会に呼んで証人喚問して徹底的に真実をゲロさせるべきである。まあ、北朝鮮やアメリカのジョージ・ブッシュなら徹底的に拷問して吐かせるだろうヨ。なにせ、北朝鮮にも強制収容所、アメリカにはグアンタナモがあるからナ。ロシアにもあるらしい。日本にも網走刑務所があるか?


(い)さて、前置きが非常に長くなってしまったが、この南京入城にまつわる歴史を、ねずさんが見事にまとめておられるので、それをここにもメモしておこう。以下のものである。本文は長いので、そちらの原文を見てもらおう。ここでは一部のみを掲載する。
【拡散希望】四度あった南京事件

南京城入城式当日の様子

南京の避難民が、日本兵から菓子・煙草の配給を受け、喜んで日本軍万歳を叫んでいるところ。この自然な笑顔を見てください。
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中共がいう南京大虐殺は、ねつ造でしかありませんが、南京には、実際に起こった虐殺事件があります。
これは史実です。
その南京虐殺事件は、以下の4つです。

1 第一次南京事件(大正2(1913)年)
  張勲軍が南京に乱入し、城内の民間人に対して虐殺、強姦、略奪を行った事件
2 第二次南京事件(昭和2(1927)年)
  国民党の国民軍が騙し討ちのような形態で南京に入り込み、城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。
3 第三次南京事件(昭和12(1937)年)
  南京に陣取った国民党軍が、日本軍がやってくるからと城内で虐殺、強姦、略奪を行った事件。
4 第四次南京事件(昭和24(1949)年)
  中共軍が南京を制圧し、資本家らを襲い虐殺、強姦、略奪を行った事件。

(以下省略)
(このヒトモドキは虐殺、強姦、略奪が大好きらしい。この一部が韓国朝鮮半島に潜り込んだのだろうナア。)
12月13日は南京陥落の日
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昭和12(1937)年12月13日、日本陸軍は、南京城を占領しました。

この南京占領に関して、その前後に日本軍による虐殺があったなどというデタラメがまかり通っています。
そこで今日は、実際にあった事実を、順を追ってお話ししてみたいと思います。

南京戦は、「支那事変」の初期に行われた戦闘です。
まず、この「支那事変」について、これを「日中戦争」などと呼んでいる者が左翼や朝鮮系の学者の間に多く見られますが、間違いです。

(以下省略)
通州事件の証言:
現地にいたフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズの証言

=========
私が住んでいた北支の150マイル以内のところに、200名の男女、子供たちが住んでいたが、共産主義者によって殺された。20名はほんの子供のような少女だった。家から連れ出され、焼いたワイヤーで喉をつながれて、村の通りに生きたまま吊り下げられていた。空中にぶらぶらされる拷問である。共産党員は野蛮人のように遠吠えしながら、揺れる身体を銃弾で穴だらけにした。日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供たちの虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。

それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして1日中続いた。日本人の男、女、子供は野獣のような中国兵によって追いつめられていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊ギャングどもに襲い掛かられた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。酷いことには手足を切断され、彼らの同国人が彼らを発見したときには、殆どの場合、男女の区別も付かなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼らの血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。中国兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。

これは通州のことである。古い町だが、中国で最も暗黒なる町の名前として何世紀の後も記されるだろう。この血まみれの事件に380人の日本人が巻き込まれた。しかし120人は逃げおおせた。犯され殺された者の多くは子供であった。この不幸なおびただしい日本人の犠牲者たちは暴行が始まって24時間以内に死んだのだが、責め苦の中で死んでいったのだ。中国人たちは焼けたワイヤーを鼻から喉へと通し、両耳を叩いて鼓膜を破り、彼らの「助けてくれ」との叫びを聞こえなくさせた。目玉を抉り出し、自分の拷問者を見られなくした。アメリカ西部の開拓初期の頃のイロクォイ族もスー族もこんなことまで考案しなかった。(中略)

こういう事件が起こっているときも、その後も、日本帝国に住む6万人の中国人は平和に生活していた。彼らの生命や財産は、日本人たちとの渾然一体となった友好的な社会関係の中で守られていた。私は横浜のチャイナタウンを歩いたことがある。他の町でも遊んでいる中国人の子供を見つけた。
=========
田邊誠と本多勝一と朝日新聞は、この時に中国人ヒトモドキの犠牲者となった日本人の写真を逆に南京大虐殺の証拠写真にしろと捏造したのである。地獄へ落ちろ!バカタレが。)
南京入城前の上海の戦いの時のイギリスの新聞記事:
11月10日、ついに日本軍は、国民党軍を蹴散らして、上海の軍事的脅威を取り除いきました。
このときの英国の新聞です。
=========
国民党軍の撤退によって、上海に居住する数百万の非戦闘員(市民)の危険が非常に小さくなった。
我々は日本軍に感謝すべきである。
=========
国民党軍の大将が
蒋介石
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(この人にそっくりな俳優いるよナ。引っ越しのサカイででてきた男優。)
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だった。

(う)私もこの「南京大虐殺」捏造のことは、ここにだいぶ前からメモしてきている。おそらくこのブログでは一番最初はこれ。
「菅直人はコリア系スパイでは?」:そうかも知れないですナ。

みなさん、こんにちは。

いやはやなんとも、菅直人氏が故市川房枝氏から要注意人物のレッテルを貼られた問題人物であったことはよく知られている。また、菅直人氏が済州島出身の在日朝鮮人ではないかとの論説も数多い。しかし決め手を欠いていた。今日偶然見つけた菅直人総理に関するYouTube番組に実に面白いものがあった。これをメモしておこう。以下のものである。

菅直人の水の飲み方は朝鮮式だ Naoto kan is Korean's SPY

(人間の本性というものはちょっとしたところで現れるものである。)

菅直人はコリア系スパイでは?

(これが事実だとしたら大変なことだ。旧社会党の面々と朝日新聞関係者を国会招致して喚問すべきだろう。田辺氏は何かのエージェントだったということだろう。まさに「南京大虐殺事件」ねつ造・すり込み問題である。)

(以下省略)


とまあ、そんなわけで、12月8日が「真珠湾攻撃の日」という「自虐史観の日」なら、12月13日は「南京陥落=南京に日本軍によって平和が訪れた日」だったという真実の歴史を覚えておくべきだろう。

それにしても、日本人の人の良さは太古からまったく変わっていませんナ。そのおかげでどれほどの民間人が犠牲になったことか?



おまけ:
2008-01-16-Wed
靖国問題、南京大虐殺、従軍慰安婦、教科書問題 実は朝日新聞記者の捏造が発端

<靖国神社問題はこの様に始まった>

朝日新聞
加藤千洋記者
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(この人もよくもしゃーしゃーとテレビ解説員やっているよね。国会で証人喚問対象ですナ。)

が、昭和60年8月7日、の「中国「日本的愛国心を問題視」」と言う記事
をはじめとする一連の記事で、この年の8月15日予定されていた、中曽根康弘首相の靖国参拝について繰り返し批判をした。

8月15日予定されていた通り、中曽根康弘首相は参拝した。

所が、中国政府はこの時に正式な抗議の姿勢を示していなかった。

社会党の田辺誠書記長らが訪中(8月26日)そして、中国はこの様な暴挙を許して良いのかと吹き込む。

それから、中国の靖国神社参拝批判や抗議が始まった。

朝日新聞加藤千洋記者は、靖国問題火付け記者だそうです。

(以下省略)



おまけ2:
北朝鮮、張成沢氏を処刑 「国家転覆はかった」
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(CNN) 北朝鮮の朝鮮中央通信は13日、金正恩(キムジョンウン)第1書記の叔父、張成沢(チャンソンテク)元国防委員会副委員長が国家転覆をはかった罪で裁判にかけられ、処刑されたと伝えた。
朝鮮中央通信によると、張氏は「あらゆる策謀と卑劣な手段を用いて国家転覆をはかった反逆者」として12日に特別軍事裁判にかけられた。裁判では起訴内容をすべて認めたとされ、直ちに死刑が執行されたという。
同通信は張氏について、党と指導者を裏切った「卑劣な人間のくず」であり、「犬よりひどい」人物と描写している。
張氏の処刑について、北朝鮮情勢に詳しい米ピーターソン国際経済研究所のマーカス・ノランド氏は「驚くべき展開だ」と指摘。「20年にわたって北朝鮮を見てきたが、私が覚えている限り、上層部の処刑が公に発表されたことはなかった。うわさはあったが、今回のような大々的な逮捕や処刑は前代未聞だ」と話している。
米政府高官は、まだ事実関係を確認したわけではないとしながらも、「指導部の1人に対する情け容赦のなさは、北朝鮮と新指導部がいかに国際社会の基準から逸脱しているかを改めて印象付けた」と語った。
張氏は金正恩第1書記の叔母の夫で、最近まで正恩氏に次ぐ北朝鮮のナンバー2とみられていたが、8日の朝鮮労働党政治局会議で国防委員会副委員長などの役職をすべて解任されてい。
普通どこの国でもこうなる。特に北朝鮮が異常ではない。国家反逆罪は死刑相当。こころしてかかれよ、左翼の人たち。もちろん、本多勝一、田邊誠、加藤千洋たちは、こういう覚悟の上でやっているんでしょうナア。




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  by kikidoblog | 2013-12-13 12:11 | 真の歴史

「旧日本軍の巨大潜水艦をハワイ沖で発見」:空母型潜水艦「伊400シリーズ」ですナ!

潜特型潜水艦伊-400(伊號第四百型)
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みなさん、こんにちは。

先日のNASAの秘密文書の話にもあったが、CNNやナショナルジオグラフィックはCIAが作ったものである。もちろん、ロイターもそうである。すでにだいぶ前から非常によく知られた話である。

さて、そんなCNNの今日のニュースが面白い。旧日本軍の巨大潜水艦「伊400号」がハワイオアフ島沖に沈没しているのが発見されたというものである。

この「伊400号」、「伊401号」、「伊402号」というのは、普通の潜水艦を横に2つ並べて合体させて出来たような巨大潜水艦である。そして、その中に飛行機を格納できるという、空母型潜水艦だったのである。

記録のためにメモしておこう。これである。
旧日本軍の巨大潜水艦を発見、ハワイ沖
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(CNN) ハワイ大学の研究所は、第2次世界大戦後の1946年に米海軍によって沈められた旧日本軍の巨大潜水艦「伊400型」が、オアフ島沖の海底に沈んでいるのを発見したと発表した。
伊400型潜水艦は、オアフ島南西沖の深さ約700メートルの海底で8月に発見され、米国務省と日本政府に連絡した後に発表したという。
伊400型潜水艦は全長約120メートル。姉妹艦2隻と合わせて当時としては世界最大の潜水艦だった。燃料補給を行わずに世界のどこへでも到達できる能力を持ち、当初は米本土を攻撃することも想定。800キロあまりの爆弾を搭載できる翼折りたたみ式の水上機3機を格納し、事実上の潜水母艦としての性能を持っていた。
結局米本土攻撃には使われず、限定的に運用されたのみで1945年の終戦を迎えた。
今回見つかったのは、終戦時に米海軍が拿捕した日本の潜水艦5隻の中の1隻で、調査のためハワイに送られていた。しかし第2次大戦後に旧ソ連と米国との緊張が高まる中、伊400型の先進的な技術がソ連海軍の手に渡ることを恐れて、米海軍が沈没させたという。
米海洋大気局(NOAA)の専門家によると、同艦の斬新な設計は、それまで対艦兵器としかみなされていなかった潜水艦の用途を一変させるものだった。「第2次世界大戦後の潜水艦は、この方向で実験と設計の変更が行われ、核の時代の弾道ミサイル発射能力を持った米軍潜水艦に行き着いた」という。

旧日本軍の巨大潜水艦、ハワイ沖で発見
ハワイ大学の研究所は、第2次世界大戦後の1946年に米海軍によって沈められた旧日本軍の巨大潜水艦「伊400型」が、オアフ島沖の海底に沈んでいるのを発見したと発表した

実はこの話はだいぶ前にナショナルジオグラフィックでも番組になっていた。私は偶然テレビで見たが、実に興味深かった。最近YouTubeにも出ているものである。以下のものである。
【HD】日本軍の極秘潜水艦 Japan's Secret Weapon part1

ナショナルジオグラフィック 日本軍の極秘潜水艦 #1


【HD】日本軍の極秘潜水艦 Japan's Secret Weapon part2

(この731部隊の話の部分が「巧妙に仕込まれた罠」ですナ。ナショナルジオグラフィックがCIAと言われる所以がここにある。常に巧妙に米シオニストのプロパガンダを入れておくのである。これを見れば、大半の人間は旧日本軍がこの巨大潜水艦を持って細菌兵器で攻撃するという捏造史観を受け入れてしまうはずである。実際には、日本本土決戦を待っていたのであって、細菌兵器で米本土を攻撃するというのは、シオニストファンタジーにすぎない。ハリウッド仕込みというやつですナ。自分がやりそうなことを相手もするだろうという偽ユダヤ人特有の恐怖心である。)


(ここからどんどん見ることができる。)

この番組の一番最初の映像が「伊400シリーズの破壊シーン」である。これである。
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時は「1946年春」、米海軍の本拠地のハワイオアフ島の沖合。

今回発見されたものは、どうやらこの時の一つということになりそうである。たぶん「伊401」ではないかと思う。

終戦後、米進駐軍に捕獲されたハワイ真珠湾に曳航された。そこですべてを研究チェックされて、最後にオアフ島沖で破壊されたのである。ソ連の手に落ちるのを恐れたとのことである。

もともとこの潜水艦を発案したのが、山本五十六であったという。しばしば日本の歴史捏造プロジェクトを組んでいる在日韓国人左翼が、山本五十六が米軍のスパイであったかのように言うが、もし山本五十六が米軍のスパイであったのであれば、こんな潜水艦を山本五十六が発案して18隻も建造計画を立てる必要はない。山本五十六の死後1年後に9隻になったというのである。こうした歴史的事実に矛盾するのである。

いかにいい加減な謀略史観に基づくかよく分かる。「放射脳」ですナ。朝鮮系の主張は、何でも過去と未来、前後左右が味噌糞になるのである。原因と結果がさかさまになるわけである。

実際に旧日本軍は、まだ戦争に負けていたわけではなかった。これから本土決戦を迎えようと、日本列島でこういう巨大潜水艦を潜らせて米軍を待ちわびていたのである。一応戦争が終わったから、「伊400シリーズ」の潜水艦を降りたのである。だから、敗戦ではなく、やはり終戦ないしは停戦だったというのが本当の歴史なのである。

しかしながら、その戦後のドサクサに紛れて米軍が日本の秘密兵器を根こそぎハワイに持っていった。どうやらそれが本当の歴史的真実だったようですナ。

おまけ:
どうみても敗戦ではなく、終戦ですナ。



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  by kikidoblog | 2013-12-04 13:46 | 真の歴史

「歴史捏造」「自虐史観」にノー!:「自虐史観」の封印を解け!これが真の「覚醒」!

みなさん、こんにちは。

河野洋平と石原信雄の国会証人喚問を要求する!:ひで〜〜売国奴ですナ!」の話のついでに、これもメモしておこう。以下の本である。
日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争

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(ところで、この本の著者の名前が私と似ているが、私はまったく知らない別人。ついでに、バカッターでkazumoto.jpやら何やら似たようなものもあるが、私は2chもバカッターもラインもフェイスブックもしないので、間違いなきように。騙されてはならない。)

内容紹介
■アジアは中国・韓国だけじゃない!

彼らの真実の言葉に涙が溢れるのはなぜだろう。インド、マレーシア、フィリピン、パラオ、台湾……日本軍は、私たちの祖先は、激戦の中で何を遺したか。金田一春彦氏が生前に感激して絶賛した「歴史認識」を辿る旅がついに完結。

■感謝! 賞賛! の声、声、声
日本人よ、自分の国を愛しなさい!

●ラダ・ビノード・パール極東国際軍事裁判判事
「同じ有色人種である日本が、北方の強大なる白人帝国主義ロシヤと戦ってついに勝利を得たという報道は、われわれの心をゆさぶった。(中略)私はインドの独立について思いをいたすようになった」

●S・S・ヤダヴ全インドINA事務局長
「インドの独立には国民軍の国への忠誠心が大きな影響を与えました。しかし我々国民軍を助けてくれたのは日本軍でした。インパールの戦争で6万の日本兵士が我々のために犠牲となってくれたのです。我々インド人は子々孫々までこの日本軍の献身的行為を決して忘れてはいけないし、感謝しなければならないのです」

●グルモハン・シン氏
「日本の兵隊さんは命を張って私たちを戦場から逃がし、戦ってくれました。いまこうして私たちが生きていられるのも、みんな日本の兵隊さんおかげだと思うと感謝の気持ちでいっぱいになります。一生この気持ちは忘れることはできません」

●モヘンドロ・シンハ村長
「日本の兵隊さんは飢えの中でも実に勇敢に戦いました。そしてこの村のあちこちで壮烈な戦死を遂げていきました。この勇ましい行動のすべては、みんなインド独立のための戦いだったのです」

●P・N・レキインド最高裁弁護士
「太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」

(第1章【インド】より)
内容(「BOOK」データベースより)

欧米列強の植民地支配からアジアを開放した日本軍に誇りが持てた

By waka

著者の井上和彦氏は、「これまで私が自分の足で歩き回って見聞きしてきたアジアには、日本のマスコミが声高に叫ぶ”反日”の声も、また学校で教わるような侵略の歴史も、いまもってお目にかかったことがない」という。当時多くのアジアの人々は日本軍を大歓迎し、とりわけ欧米列強の植民地支配に苦しめられてきた東南アジアの人々は、宗主国の軍隊を次々と打ち倒していく日本軍の姿に拍手喝采したというのが事実なのだ。東南アジア諸国では、日本の近代戦争によって独立を勝ち取った喜びや日本軍人に対する敬意と感謝の声を耳にすることが多い。井上氏は、先の戦争を賞賛する声や日本軍人への敬意を完全に黙殺してきた日本のマスメディアに対して怒り、「いまこそ、封印されてきた近現代史の真実を解き明かし、日本人としての自信と誇りを取り戻さなければならない」と主張する。

無謀な作戦で多くの日本兵を無駄死にさせたと言われているインパール作戦は、インドでは対英独立戦争として位置づけられている。当時、日本軍はインド独立を支援した解放軍として迎えられたという。当地では、「日本兵士を讃える歌」が今も歌い継がれているし、日本軍の規律も賞賛されているという。「現地の人々は、日本人が軍規粛正で特に婦人暴行が全くなかったことを常に賞賛します。日本軍を追ってここへ来た英印軍は略奪と婦人暴行がひどかったため、規制のとれた日本軍の姿が心に残ったのでしょう。
DVD「自由アジアの栄光」の製作で当地を訪れた著者の知人は、当地の人々の親日ぶりにいたく感動したという。「インタビューしたすべての人が、日本軍について大変良い印象を持っていたんです。『日本の兵隊さんは私たちを守ってくれたんだ』『日本兵は強かった。勇敢だった』『これほど高貴な軍隊は見たことがない』『日本兵はみな親切で、礼儀正しかった』と言っていたんです」。次々と耳にする礼賛の声に、撮影スタッフは戸惑ったという。
また、インドの独立に深く関わった東條英機首相は、今でもインドで高く評価され尊敬を集めているという。2006年3月、カルカッタのチャンドラ・ボース(インド独立の闘士)記念館で「東條英機に感謝する夕べ」が催され、孫娘の東條由布子氏が招待された。先の戦争を”侵略戦争”として糾弾したい日本のマスコミは、こうした事実を一切報道しない。

フィリピンは300年以上にわたるスペインの植民地支配が終焉したとたんに、アメリカが宗主国になった。
米西戦争で多くのフィリピン人が殺され、スペインが去った後、アメリカはフィリピンに英語を強要し、アメリカの植民地にしたという。フィリピン人通訳は、「アメリカはフィリピンを徹底的に弾圧しました。かつて日本の統治を受けた台湾や韓国は、立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本の教育の成果です。ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、人々は鉛筆すら作ることができなかったのです。アメリカが自分たちの作ったものを一方的に売りつけてきたからでした」と言う。著者は、日本統治時代の台湾・韓国における”日本教育”に対する高い評価が、フィリピンにまで届いていたことに驚く。

日本軍による残虐行為とされている「バターン死の行進」については、昭和17年、バターン半島攻略戦に勝利した日本軍は、夥しい数の捕虜を移動させなければならなかったが、その移動は徒歩以外になかった。炎天下の行進の途中に力尽きて息を引き取る者、脱走を試みるなどして銃殺される捕虜など、1200人の米兵と16,000人のフィリピン兵が死亡したが、日本軍は彼らを虐待するために歩かせたのではない。「水筒一つの捕虜に比べ、護送役の日本兵は背嚢を背負い、銃をかついで一緒に歩いた」というのだから。
著者は、フィリピンにおける日米の攻防戦で、部下を置き去りにして逃亡し、敗北の責任を部下に転嫁した最高司令官マッカーサーを非難する。「元気な人間ならどうということない収容所までの距離を歩かせたことが『バターン死の行進』として、後々まで問題になっていく。その悲劇を作った原因は、マッカーサーの状況判断の甘さであった。その自らの罪を、彼は、14軍司令官本間中将を糾弾することで、うやむやにさせたかった。マッカーサーの私的裁判と言うべきマニラ軍事法廷は、どうしても本間雅晴を銃殺刑にさせなければならなかったのである」。東京裁判もマニラ軍事裁判も、この復讐裁判で殺された”戦犯”と呼ばれる戦没者は皆、マッカーサーの虚栄心の犠牲者といってよいだろう、と主張する。

神風特別攻撃隊が誕生したのは、フィリピン決戦だった。サイパンが陥落し、各地で日本軍が敗退を続ける中、劣勢を挽回するには”体当たり攻撃”しかなかった。昭和19年10月25日、比島沖海戦で神風特別攻撃隊は米軍に大損害を与えた。
2000年10月25日、フィリピン・ルソン島で神風特別攻撃隊の戦没者慰霊祭が執り行われた。神風特攻隊は、フィリピンの人々から「英雄」と敬われ、賞賛されている。フィリピン・カミカゼ記念協会の会長は、「当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。神風特攻隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の抵抗だったといえましょう」と述べ、「特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬っていただきたい」と著者に託したという。
特攻隊はその後も各地で米軍に大打撃を与え、大戦果を収めた。「特攻隊は、決して犬死などではなかった。特攻隊を犬死にとしたのは、戦後のGHQによる情報操作と左翼思想家の捏造である。特攻作戦によって大損害を被り、日本民族の底力に恐れをなした米軍が、占領後に特攻作戦の真実を封印し、特攻作戦が”無駄死に”だったと情報操作することで、日本人が再び起ちあがらないようにしたかったのだ」と著者は主張する。

3分の1を読んだところで、抑えられなくなってレビューを書いてしまった。他にパラオ、台湾、マレーシアの話もある。私たちの祖先を心から誇りに思える話ばかりである。井上和彦氏に感謝します。


だいたい最近分かってきたことは、アメリカがなぜ第二次世界大戦に参加したかといえば、結局「バカだったからだ」という結論にならざるを得ない。

かつて「複雑系理論」を創始したスチュアート・カウフマン博士がローズ留学生として1960年代にイギリス留学を果たしたらしいが、最初に英国の教授に言われたのが、
「ようこそ、植民地の子よ」
だったというのである。

これでも分かるように、アメリカ人は英国人にとれば「植民地の子ら」に過ぎないというわけサ。

しかしこれがあながち馬鹿にできないのである。「植民地の子」という意味は、現実世界や西洋世界を何も知らない「田舎者の馬鹿者」という意味だからである。

実際にその通りだったのだ!
マッカーサーやトルーマンの精神年齢はおそらく12歳以下だったにちがいない。

なぜなら、日本が中国大陸に進出した理由こそ、「アジアの平和と資本主義と民主主義を守るため」だったからである。

1917年にロシア革命が起こり、ロシアの王族が残虐に殺害され、共産主義のソ連に変わった。その共産主義ソ連は、レーニンから側近から全部が今では「偽ユダヤ人」や「ユダヤ系」だったと分かっている。

そういう連中が社会主義革命と共産主義を世界にはびこらせるための手段として、ロシア人の共産パルチザンなるものを作り出した。昨今で言えば、アルカイーダのようなものである。実際にはアルカイーダは捏造されたものだから、その前身であるムジャヒディンである。そういうテロ組織を作り、狼藉を働かせて、国々を混乱させる。そうやって国力を落としたところへ、共産主義の本国の本部隊を送り込み一気に支配する。

まず清王朝が1912年に崩壊した。すると、即座に袁世凱が中華民国を宣言した。袁世凱が軍人ではないから軍隊のことは知らない。混乱した状況の中で、悪党の棟梁の蒋介石が軍隊を乗っ取る。

すると、今度は、中国を広大な共産主義の国に変えようと、ユダヤ共産ソ連が工作する。ソ連は、シナ人の共産主義者を育成する。そのために、共産パルチザンが誕生し、ロシア人、中国人、朝鮮人のテロ組織が結成された。これが尼港事件を起こす。その犠牲者が日本の民間人と婦女子であった。

これに味をしめた連中を使って、シナ人に共産主義者の組織を育成する。この中から、中国国防軍という名を借りて、中国ギャングの蒋介石一味と連合する。そして、見かけ上は蒋介石の軍隊に見せかける。

そして、蒋介石が「済南事件」を起こす。これによって被害を受けたのもまた、中国大陸を白人支配の奴隷国家から独立した資本主義の民主国家にしようと努力して必死で働いていた日本人移民たちであった。その子弟や婦女子が虐殺されたのである。

そして、さらに日本軍を戦争に引きずり込み、日本軍の疲弊をもたらすために、「通州事件」を引き起こす。こうしてついに日本は南京争奪作戦に入り、それに勝利して「南京入城」を果たす。

しかし、いつしか日本は太平洋戦争に引きずり込まれ、アジアの独自発展の夢は絶たれる。逆に、混乱した中国支那に共産勢力がはびこり、毛沢東一派が登場する。

こういう中国や朝鮮の共産主義化のダシにされたのが、蒋介石である。結局、共産主義の中国国防軍という味方から退路を絶たれ、前からは日本軍から攻撃され、全滅敗走。最後には「国破れて山河あり」状態で台湾に逃げ込んだ。武田信玄公に敗れ去った時の徳川家康である。

とまあ、大筋ではこんな感じだったようですナ。

つまり、アメリカが「自由と平和と民主主義のため」という大義名分やそういう触れ込みで太平洋戦争に入り込んだわけだが、それより20年以上も前に日本はまったく同じ「自由と平和と民主主義のため」という理由で「日中戦争」と「日露戦争」に引きずり込まれ、最後には「大東亜戦争」に引きずり込まれたのである。

問題は、こういうことの背後で画策したのがすべて、国で言えば「英国人」だった、詳しく言えば、ロスチャイルド家のような「偽ユダヤ人」だったということである。中国人をアヘン麻薬漬けにしたのも英国人。アヘン戦争で中国を崩壊させたのも英国人。インドを300年も奴隷国家、植民地国家にして、カースト制を強化したのもまた英国人。インドネシアを奴隷国家にしたのはオランダ人などなど。アメリカのインディアンを虐殺したのもまた英国人だったのである。

結局、全部いわゆるアングロサクソンの「偽ユダヤ人」の国々だったというわけである。まあ、いまではバビロニア人の子孫だと分かっているがネ。

それに対して、死に物狂いで現地人の有色人種のために自分の命を投げ打ったのが、我々の先祖の日本人。

もし「植民地の子」であるアメリカ人がそういうリアルな歴史を知っていれば、日本に攻撃できるはずがない。そんなことは論理的にできるはずがなかったのである。ところが、英国は今の朴槿恵のように、二枚舌三枚舌を使って、あることないこと嘘ばかりついて、アメリカを太平洋戦争に引きずり込んだ。まんまと英国の罠にかかったというわけですナ。

こういう歴史がリアルであったにもかかわらず、選挙で選ばれた国民の代表が、
靖国神社に参拝に行かない? ハア? 隣国のことを考えて? ハアア〜〜〜?

バカですか?

これは、アメリカ人がアーリントン墓地に行かないというのに匹敵するわけですナ。
もうちょっと、現実を見つめないと天罰を喰らうだろうヨ。

とまあ、そんなことを思い起こさせてくれるような、良本のようである。


正義はゆっくり動く。

これは真実のようですナ。

ところで、こうやって「自虐史観にノー」とか、昔の歴史の真実を暴き、日本軍の名誉回復、日本人の名誉回復したからといって、「戦争を目論んでいる」だとか、「戦争礼賛」だとかという話にはならないことは明白だよナ。事実は事実、歴史は歴史。それだけだ。むしろ戦争抑制に働くのである。こういう本当の歴史を知らなかったから、乃木将軍の日本軍やマッカーサーの米軍のように、簡単に英国イルミナティーの策略に乗せられてしまったわけである。そして、今まさに3つ目の世界戦争に乗せられつつあるわけですナ。韓国人や北朝鮮人や中国人がリアルの歴史を知らないからだ。

結局、利用されてポイ。アルカイーダのように、使用済みにされて後ろから撃たれるというわけサ。

いやはや、地球人はバカですか?

世も末である。




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  by kikidoblog | 2013-10-16 16:43 | 真の歴史

今日は私の誕生日:「清王朝崩壊」から「日本軍南京入城」までの歴史!これが真実!

みなさん、こんにちは。

今日は私の56回目の誕生日。なんと主夫で主夫の寿命の50歳を突破できた数少ない主夫である。

さて、今日偶然面白いものを見つけたので、それをここにもメモしておこう。以下のものである。
2013年10月13日11:00
アメリカ人「南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?」中国人「資料に載ってないから分からない

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元記事:2013年10月13日11:00
アメリカ人「南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?」中国人「資料に載ってないから分からない


【中国ブログ】南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?

南京大虐殺に対する日本と中国の認識には一定の溝が存在するようだ。中国側は2―3カ月という期間に30万人の中国人が日本軍によって虐殺されたと主張している。このブログは中国人ブロガーが南京大虐殺が行われていた期間中、中国の軍隊は何処で何をしていたのかという質問に対しての考えを綴ったものである。以下はそのブログより。
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米国人の友人と食事をした際、一つの質問を受けた。

「中国人はずっと、日本人は南京大虐殺で中国人を大量に殺害したと言っている。この大虐殺は2―3カ月もの間続いたと言っているが、その間中国の軍人はどこにいたのか?2カ月も続いていたとすれば、どこにいても駆けつけることができたはずだ。日本軍人はわずかに5000人だったそうだが、中国軍はなぜ南京の市民を守らなかったのか?」

以上が、米国人の友人から受けた質問だ。私はこの質問を聞いて唖然としてしまった。私はこれまでこのような問題について考えたことが無かったし、私の周りの人間も考えたことが無かっただろう。

米国人の友人は私に「当時、共産党や国民党は一体何をしていたのか?」と尋ねてきたが、外国人たちは、これについて、「彼らは旨いものを食っていたに違いない」と言っていた。私はこれに対して、それはあまりにも誇張された考え方だと反論したが、確かに良い質問だと感じ、帰って調べ、後でメールすると答えた。

資料を調べて分かったのは、当時南京に侵攻した日本軍は5000人ではなく6万人であったことと、南京にいたのは多くの売国奴であったということだった。友人からの質問は私を大いに混乱させることとなった。また、私はGoogleで検索したのだが、何の資料も見つけることができなかった。当時、中国軍が何処で何をしていたのか、一切の記述が無いのである。私は友人に対してどのように答えれば良いのだろうか?(編集担当:畠山栄)

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いかに現在のアメリカ人と中国人が馬鹿かよく分かる。

簡単に言えば、いわゆる「南京大虐殺」に至るまでには、20年ほどの重大な歴史的流れがあった。それは、次のようなものである。
明治44(1912)年、清王朝の崩壊

明治44(1912)年1月1日に、南京で孫文(そんぶん)が中華民国臨時政府を樹立

大正5(1916)年、袁世凱(えんせいがい)が、中華帝国を名乗り、初代皇帝に即位

大正6(1917)年、ロシア革命

大正9(1920)年、「尼港事件(にこうじけん)」

昭和3(1928)年5月3日、「済南事件(せいなんじけん)」

昭和12(1937)年7月29日、「通州事件(つうしゅうじけん)」

昭和12(1937)年12月17日、日本軍の「南京入城」

ところが、いつしか「南京大虐殺」を元朝日新聞記者の本多勝一と社会党の田辺が言い出す。そして、それに乗じて、まだインターネットも写真技術もそんなに発展していなかった頃だから、昔の尼港事件や済南事件や通州事件の写真や映像をミックスして「南京大虐殺」を捏造した。

どうやらこれが真実の歴史である。

(あ)「尼港事件」
まず最初に「尼港事件」があった。これはこんな事件であったらしい。
そうした中で、大正9(1920)年に起こったのが「尼港事件(にこうじけん)」です。
「尼港事件」というのは、ロシアのトリャピーチン率いる、ロシア人、朝鮮人、支那人約四千のならず者たちが、共産パルチザンを名乗って、黒竜江(アムール川)の河口にある尼港(現・ニコライエフスク)にいた石田領事以下約七百名余の日本人居留民を虐殺したという事件です。
その様相は、まるで映画バイオハザードでゾンビの大軍に取り囲まれた少数の人間の戦いそのものです。衆寡敵せず、日本人居留民は極めて残虐な方法で全員殺害されています。

済南事件より


(い)「済南事件」
その次に昭和3(1928)年5月3日に「済南事件」が起こった。これは、山東省の済南の場所で南軍の総司令官であった「蒋介石」の軍が引き起こした虐殺事件であった。これは、こういう事件であった。
このとき南軍の総司令が蒋介石です。
蒋介石は、「治安は国民党軍が確実に確保するので、日本は(バリケードを)撤去して欲しい」と日本に要請してきました。
目の前で戦いが行われているのです。
そんな中で、バリケードを取り去るなどということは、軍事的にはあり得ません。
けれど、現場は、中央の指示によってこれを受入れ、5月2日に、バリケードを撤去したのです。

そして事件は起こりました。

ことのおこりは、蒋介石の国民党軍の暴兵が、満州日報取次販売店を襲撃して掠奪を働いたことにはじまりました。
ここで注意したいのは、昨今の支那の反日デモのような「暴徒」ではなく、当時済南であったのは、武器を持った兵であったということです。
武器がなくても、あれだけ暴れ回るのが支那人です。
それが武器を手にしていたら、どうなるか。

暴兵たちは、駆けつけた日本人の巡査にも、多数で暴行を加えました。
知らせを受けた日本陸軍は、急きょ救援部隊を現場に急行させました。
すると支那兵たちは、たちまち遁走し、国民党の兵舎に隠れて、銃撃を加えてきたのです。

やむなく日本軍はこれに応戦しました。
すると今度は、市内のあちこちで、一斉に国民党兵による乱射や掠奪、暴行がはじまったのです。

日本側は、全体の治安維持のために、冷静に国民党軍に停戦を呼びかけました。
現に、そのすこし前の日に、国民党の総統であり、最高司令官である蒋介石みずからが日本軍の司令の前で、「済南の治安は国民党が守る、日本人は一切を国民党に任せて、バリケードも解いてよろしい、安全は自分が保証する」と約束しているのです。

ところが白旗を掲げて停戦を呼びかける日本軍の軍使にさえ、支那兵は銃撃を加え、一方的に射殺しました。
市内全域は、たちまちのうちに修羅場と化し、各所で多数の日本人居留民の男女が、暴兵の手で惨殺されたのです。

この事件で、日本人女性が両腕を帯で後手に縛られたうえ、顔面、胸部、乳房に刺創、助骨折損、陰部には棒をさしこまれ惨殺されていた写真などが現在でも残っています。
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この事件で被害にあった男性は、両手を縛られ地上を引きずられたうえ、頭骨破砕、小脳露出、眼球突出して殺害されていた者、顔面破砕され、両眼を摘出して石をつめられて殺害された者、頭および顔の皮をはがれたうえ、眼球摘出、内臓露出、陰茎切除して殺害されるなど、およそ人間のすることとは到底思えないような残酷さで12名が、凄惨な殺され方をし、その他約四百余名が暴行、強姦、掠奪によって重軽傷を負う被害を受けました。

当時の外務省公電にある公式文書です。
=======
腹部内臓全部露出せるもの、
女の陰部に割木を挿し込みたるもの、
顔面上部を切り落としたるもの、
右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、
全身腐乱し居れるもの各一、
陰茎を切り落とし・・・(以下略)
======

現場を視察した南京駐在武官佐々木到一中佐の手記です。
======
予は病院において偶然其の死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の 極だった。
手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、或いは滅多切りとなし、
婦女は全て陰部に棒が挿入されてある。
或る者は焼 かれて半ば骸骨となってゐた。
焼残りの白足袋で日本婦人たる事がわかったやうな始末である。
我が軍の激昂は其の極に達した。
======

ちなみに上にある女性の写真は、間違いなく済南事件のときの新聞報道写真であり、被害者の女性も日本人、横に立っている男性も間違いなく日本人医師なのですが、いまの中共政府はこの写真を「日本陸軍七三一部隊による人体実験の犠牲者の写真」として流用し、さらに同じ写真を南京事件の支那人被害者として流用し、展示しています。

この蒋介石こそ、第二次世界大戦中に結局台湾に逃げていって初代台湾総統に収まった人物である。簡単にいえば、島流し。悪党の追放である。

(う)「通州事件」
日本は何度も何度も残虐な虐殺によって民間婦女子が被害を受けていたのに、弱腰外交で相手の口車に乗ったばかりにさらにまた大虐殺事件を受けたのである。それが「通州事件」であった。

通州事件」は、1937年7月29日に起こった。中国の北京の西の通州という場所で、日本軍が手薄になった時を見計らって、中国保安隊と学生による前代未聞の民間婦女子の大殺害事件が起こったのである。それを「通州事件」と呼んでいる。

が、しかし、これはほとんど日本でも韓国でも中国でもアメリカでも世界中の普通の歴史書には載っていないらしい。だから、実質上はだれも知らなかった「痛〜〜い歴史」なのである。

その証拠はこれ。
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通州事件から学ぶべきことより。

7月29日は、日本人のみならず、人類史として決して忘れてはならない「通州事件(つうしゅうじけん)」が起こった日です。

事件が発生したのは、昭和12(1937)年7月29日のことです。
ねずブロでこの事件を最初にご紹介したのは、平成21(2009)年6月のことですが、当時この事件について知る人は、限られたごく一部の人たちだけでしたし、事件そのものについても、名前を聞いた事があるくらで、それがいなかる非道行為であったかについてまで知る人は、ほとんど稀という情況でした。

いまは、かなりの人がこの通州事件の惨劇についてご存知のこととなっていますが、消された歴史を暴き、また二度と日本のみならず世界の人類史上繰り返す事があってはならない事件として、この事件は、もっと多くの人に、日本の常識、世界の常識として知っていただかなくてはならない、まだまだ拡散し続けなければならない事件であると思っています。


(え)「南京入城」。
蒋介石や暴徒化した中国人の暴挙によって南京が非常に不安定な状況になったために、ついに日本軍が制圧に向かった。そして、南京に平穏を敷いたのが日本軍の「南京入城」であった。これである。
これが真実、南京入城だ!


南京市民の虐殺などしていないと証言する元日本兵の方々


映画 南京の真実 記録映画編(上海~南京陥落)

この日本の南京入城によってカオス化してしまっていた南京に治安が戻り、平和が訪れた。結果として衛生状態もよくなって人口も増大した。これが真実の歴史である。

なんかどこかで聞いたような話ではないだろうか?

そう、韓半島の韓国併合の歴史とまったく同じなのである。日本が併合した結果、人口が倍増、治安増大、経済発展。しかし、日本の敗戦と同時に歴史が捏造され、すべてを逆にした。

というわけで、最初の米国人の質問に対する答えはこれだ!
アメリカ人「南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた?」
日本人「中国軍がそこら中で日本人の民間婦女子を陵辱虐殺していた。それで、日本軍が征伐に入った。だから、中国軍は女子どもを陵辱虐殺していただけだった。日本軍が入ったら、中国軍はどこかに逃げ去った。捕まえた凶悪犯を見せしめに死刑として射殺しただけだった。」

まあ、そういうわけだヨ。

いやはや、いったいシナ人や韓国人や朝鮮人の脳みそは糞でできているんだろうか?

謎である。

まいったナ〜〜、えらい誕生日になってしまったものですナ。


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  by kikidoblog | 2013-10-13 14:57 | 真の歴史

古代朝鮮半島地域の「建国神話」の数々:建国神話なんていうものは大方嘘だろうヨ。

みなさん、こんにちは。

このところ極東地域の歴史に取り憑かれてしまったが、それぞれの古代の国々の、いわゆる「建国神話」というのも実に興味深い。その民族特有の精神構造が如実に出ているように見えるからである。そこで、いくつか極東地域で有名な古代の国々の「建国神話」をメモしておこう。


(あ)高句麗
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詳細は「東明聖王#建国神話」を参照

『魏書』と『三国史記』によれば、高句麗は紀元前37年に夫余の王族である朱蒙(チュムン)により建てられたとされる。

朱蒙の母は東扶余王の金蛙と出会った際に、黄河の神の娘を自称し遊びに出た先で天の子と出会い軟禁されていたと訴えたが、信用されず東扶余王の元に連れて行かれた。やがて娘は太陽の光を浴びて身篭り、卵を産んだ。金蛙は卵を動物に食べさせたり踏ませたりしようとしたが動物や鳥は卵を守ったため卵を母親へ返し、暖めていると朱蒙が産まれた。朱蒙は子供の頃から非常に弓が上手く(朱蒙は弓の名手の意味)、これを危険視した夫余の人々は朱蒙を殺すよう勧めるが王は拒んだ。その後、馬飼いをしていたが策略によって王を駄馬に乗せ自らは駿馬を手に入れると、夫余の人々は再び朱蒙の殺害を企てるが、危険を察知した母の助言により友と共に脱出して卒本へ至り高句麗を建てたという。


(い)夫余
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『論衡』(『後漢書東夷伝』『魏略』)に
「昔、北夷の索離国があり、王は侍女が妊娠したので殺そうとした。侍女は「以前、空にあった鶏の卵のような霊気が私に降りてきて、身篭りました」と言い、王は騙された。その後、彼女は男子を生んだ。王が命じて豚小屋の中に放置させたが、豚が息を吹き掛けたので死ななかった。次に馬小屋に移させると、馬もまた息を吹き掛けた。それを王は神の仕業だと考え、母に引き取って養わせ、東明と名づけた。東明は長ずると、馬に乗り弓を射ること巧みで、凶暴だったため、王は東明が自分の国を奪うのを恐れ、再び殺そうとした。東明は国を逃れ、南へ走り施掩水にやって来て、弓で川の水面を撃つと、魚や鼈が浮かび上がり、乗ることが出来た、そうして東明は夫余の地に至り、王となった。」という記述がある。

また『魏書』や『三国史記』には、高句麗の始祖朱蒙も夫余の出身であり、衆を率いて夫余から東南に向かって逃れ、建国した話が載っている。
『三国史記』や『三国遺事』には、解夫婁が治めていたがのちに太陽神の解慕漱が天降ってきたので解夫婁は東に退去して別の国(東夫余)を建てたという。


(う)百済
百済の建国神話は『三国史記』百済本紀などの朝鮮史料に様々な話が伝えられているが、いずれも高句麗と同様、扶余の東明神話のバリエーションとなっている[4]。

前漢の鴻嘉3年(前18年)、高句麗の始祖である朱蒙の三子温祚が百済を建国した。温祚の母は卒本扶余の王女であり、北扶余出身の礼氏の子である孺留(高句麗の第2代瑠璃明王)が太子となったため、温祚は南方に逃れ「十済」を起こした。この時、兄である沸流も一緒に南下して海浜に国を起こしたが、のちに自分の国が弟の国より繁栄していないことを恥じて自決した。結局その国も温祚の下に帰属し、百姓を受け容れたので国号は「百済」になったという。また初め百家で海を渡ってきた(百家済家)ので「百済」とした[5]、ともいう。


(え)新羅
どうやら新羅には3つの建国神話が存在するらしい。
朴氏の始祖説話
朴氏初代の朴赫居世
辰韓の六村の長の一人が、蘿井(慶州市塔里面に比定される)の林で馬の嘶くのが聞こえたので近寄ったところ、馬が消えて大きな卵があった。卵を割ると中から幼児が出てきて育て上げたが、10歳を越える頃には人となりが優れていたことから六村の人たちは彼を王位につけた。卵が瓠(ひさご)ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「朴」を姓として名乗った。建国時に腰に瓠をぶら下げて海を渡って来たことから瓠公と称されるようになった倭人が、大輔という役職名の重臣になった。また、瓠公が、瓠を腰にぶら下げて海を渡ってきたことから瓠公と朴赫居世を同定する、またはその同族とする説がある[11]。朴赫居世は紀元前57年に13歳で王位(辰韓の語で王者を表す居西干と称された)に就き、国号を徐那伐とした。また、閼英井(南山の北西麓の羅井に比定される)に龍が現れ、その右脇から生まれた幼女が長じ、容姿端麗にして人徳を備えていたので朴赫居世は王妃に迎えた。当時の人々は赫居世と閼英(アルヨン)とを二聖と称した。

昔氏の始祖説話
昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)
倭国東北一千里のところにある多婆那国の王妃が妊娠ののち7年たって大きな卵を生み、不吉であるとして箱に入れて海に流された。やがて辰韓に流れ着き老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたので、鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした。長じて第2代南解次次雄の娘(阿孝夫人)の女婿となり、のちに王位を譲られた。
多婆那国の比定地
この脱解の出身地である多婆那国は、脱解が船で渡来した人物であることを示す挿話などと併せて、日本列島内の地域に比定されている。比定地は、丹波国[12]、但馬国、肥後国玉名郡などの説がある。『三国遺事』では龍城国とされる。

金氏の始祖説話
金氏始祖の金閼智(第13代味鄒尼師今の7世祖)
脱解尼師今の治世時に、首都金城の西方の始林の地で鶏の鳴き声を聞き、夜明けになって瓠公に調べさせたところ、金色の小箱が木の枝に引っかかっていた。その木の下で白い鶏が鳴いていた。小箱を持ち帰って開くと中から小さな男の子が現れ、容姿が優れていたので脱解尼師今は喜んでこれを育てた。長じて聡明であったので「閼智」(知恵者の意味)と名づけ、金の小箱に入っていたので「金」を姓とした。また、このことに合わせて始林の地を鶏林と改名した。

赫居世神話に現れる六村はのちの新羅六部の前身であると見られており、これらの部と王統がそもそも結びついていないことを示している。また3姓の始祖説話については、それぞれに誕生の形態が異なりながらも姓の由来を説くものであり、3つの有力な集団があって王位を持ちまわっていたということが窺い知れる。これらの始祖説話は紀元前後に繋年されたものではあるが、実際に新羅で姓が用いられるようになったのは6世紀からのことと見られており[13]、後代に整備されたものであるとの可能性もある。いずれにせよ、複数の王統を持つことや、建国初期に倭人勢力との関わりを伝えることなど、高句麗・百済の始祖説話体系とは異なり、新羅の特徴的事象となっている。

新羅についての隣国の記述
日本での伝承
稲飯命(古事記では「稲氷命」と書く)については、『新撰姓氏録』が新羅の祖は鵜草葺不合命の子の稲飯命(神武天皇の兄[14])だとしているが詳細不明[15]である。

天之日矛(日本書紀では天日槍と書く)については、記紀や風土記などに伝承がある。天之日矛は新羅の王子だったが王位を弟の「知古」に譲って自分は継がず、日本に帰化したという。彼は最終的に但馬(兵庫県豊岡周辺)に土着し、三宅連氏の祖先となった。天之日矛の渡来は古事記は応神朝[16]、日本書紀は垂仁朝[17]、風土記は神代[18]のこととし、伴信友は天之日矛から多遅麻毛理までの世代数から計算して天之日矛の渡来は孝霊天皇の時代のことと推定している。いずれにしろ、なぜ新羅風の名前でなく純然たる和風の名前なのかは謎[19]である。

新羅の王族である朴氏・昔氏・金氏の三始祖のうち昔氏の始祖脱解の出生については倭国東北1千里(当時の1里はおよそ500m)という。昔脱解は船で渡った倭人と見られ、その出生地は諸説あって現在の日本の但馬、丹波、肥後のいずれかの地域とされるが、但馬(兵庫県北部)と推定する向きが多い。

中国での伝承
隋書新羅伝によれば、3世紀の中頃、魏の将軍毌丘倹が高句麗を撃破し、高句麗王の位宮(東川王)は沃沮に逃亡した。位宮はその後、高句麗に帰還したが、沃沮に残留した部隊があり、彼らは南下して辰韓の先住者を破り新羅を建国したという。別の伝承によれば、その王はもと百済人で、海から逃げて新羅に入り、ついにその国に王となった。祚を伝えて金真平に至った。その先には百済に附庸していたが、のち百済が高句麗を征するのに因って、高句麗人は戎役に堪えられず、あい率いてこれに帰したので、ついに強盛を致し、因って百済を襲い、迦羅国を附庸とした。


(お)任那
建国神話なし

狭義の任那説
狭義の任那は、任那地域に在った金官国(現代の慶尚南道金海市)を指す[3]。中国及び朝鮮史料の解釈ではこちらの用法が多いが、『日本書紀』では532年に金官国が新羅に征服されてからも、それ以外の地域が相変わらず任那とよばれているから『日本書紀』の用法は後述の「広義の任那」である。

広義の任那説
広義の任那は、任那諸国の汎称である。後述の諸史料のうち日本史料では任那と加羅は区別して用いられ、任那を任那諸国の汎称として用いている。中国及び朝鮮史料の解釈でも、広義では任那諸国全域の総称とする説がある。百済にも新羅にも属さなかった領域=広義の任那の具体的な範囲は、例えば478年の倭王武の上表文にみられる「任那・加羅・秦韓・慕韓」にて推測できる。ここにでてくる四者のうち、任那は上記の「狭義の任那」=金官国(及び金官国を中心とする諸国)。同じく加羅は上記の「狭義の加羅」=大加羅(及び大加羅を中心とする諸国)。秦韓はかつての辰韓12国のうちいまだ新羅に併合されず残存していた諸国、例えば卓淳国や非自本国、啄国など[4]。慕韓はかつての馬韓52国のうちいまだ百済に併合されず残存していた諸国、例えば百済に割譲された任那四県など、にそれぞれ該当する。『日本書紀』ではこれらの総称として任那という地名を使っているが、これらはこの後、徐々に新羅と百済に侵食されていったため、時期によって任那の範囲は段階的に狭まっており、領域が一定しているわけではないので注意が必要である。


(か)加羅(伽耶)
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建国神話なし。

倭国および任那との関連
詳細は「任那」および「任那日本府」を参照

加羅地域にヤマト朝廷から派遣された倭人の軍人・官吏、或いはヤマト朝廷に臣従した在地豪族が、当地で統治権・軍事指揮権・定期的な徴発権を有していたことが有力視されている[13][11][14]。倭国の半島での活動については、『日本書紀』『三国史記』など日本、中国や朝鮮の史書にも記されており、3世紀末の『三国志』魏書東夷伝倭人条には、朝鮮半島における倭国の北限が狗邪韓国(くやかんこく)とある。

また高句麗の広開土王碑について改竄説が否定されたことで[15]、倭が391年に新羅や百済や加羅を臣民としたことがあらためて確認された。高句麗は新羅の要請を受けて、400年に5万の大軍を派遣し、新羅王都にいた倭軍を退却させ、さらに任那・加羅に迫った。ところが任那加羅の安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した[16]。

また、日本列島固有の墓制である前方後円墳が朝鮮半島で多数発見されている[17]。朝鮮半島の前方後円墳はいずれも5世紀後半から6世紀中葉に成立したもので、百済が南遷する前は伽耶の西隣であり、金官伽耶を中心とする政治的領域の最西部であった地域のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった倭系遺物、遺構をともなう[18]。そのほか、新羅・百済・任那で日本産のヒスイ製勾玉が大量に出土(高句麗の旧領では稀)しており、朝鮮半島にはヒスイ(硬玉)の原産地がなく、東アジア地域においても日本とミャンマーに限られること[19]や、化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じであることが判明した[20]ことなど、倭国との交易、半島における倭国の活動などが研究されている。

任那地域については、日本が大陸での影響力を失い任那加羅が百済新羅両国により占領された後も、新羅と百済は倭国に対して任那地域の調を収めていた記録が残っている。

「日本産のヒスイ製勾玉」って、
有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行禱祭。有如意寶珠、其色青、大如雞卵

倭国の真ん中に「阿蘇山」があって、その阿蘇山は火柱を昇らせて天に接し、俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。宝珠(宝玉)を自在に操り、その色は青、大きな鶏卵のようである。

邪馬台国論争:いにしえの昔から日本男子と日本女性はカッコ良かったんだヨ!
のことだよネ。

つまり、勾玉のようなもののこと。
勾玉
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ちなみに、我が井口家は甲州の宝石屋(宝石加工業)がその先祖。甲府には太古から勾玉工場が存在した。だから、きっと邪馬台国の時代から我が先祖は勾玉を作っていたに違いありませんナ。

ところで、
山梨県立宝石美術専門学校山梨県立宝石美術専門学校
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山梨県立宝石美術専門学校(やまなしけんりつ ほうせきびじゅつせんもんがっこう)は、山梨県甲府市の専修学校。設置者は山梨県であり、日本で唯一の装身具(ジュエリー)を取扱う公立系専修学校である。
山梨県の地場産業である宝石装飾の人材育成のために作られた学校であり、卒業生はその後数年の産業経験、ジュエリーマスター認定制度の認定を経て装飾品職人になる。

の設立を提案し、それを実現したのが、我が家のご先祖、つまり、私の祖父と叔父と父親だったんですナ。

なんでもそうだが、今いる連中というものは、創立時のことや、その前がどうだったか、なんていうことは、これっぽっちもご存じない、”後から来た”人間たちにすぎないものサ。このウィキをみれば、まるで山梨県が作ったかのように見えるだろう。が、私の父親たちが何度も必死で陳情した時にさんざん邪魔してくれたのが県の公務員たちだったんだヨ。さんざんいちゃもんをつけて何度も潰そうとした。それを長い時間かけて説得し、やっとのことで実現した。そういうのが本当の歴史だ。私は中高生時代にそれを外目から聞いたり見ていて知っていた。が、そういうことはすべて削除して美味しいところだけを後世に残す。おそらく、建国神話なんていうものはみんなそんなものだろうと俺は思うがネ。


おまけ:
よくわかる日本と朝鮮半島の古代史【学校やNHKでは教えてくれない事実】


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  by kikidoblog | 2013-10-08 11:48 | 真の歴史

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