カテゴリ:真の歴史( 86 )

 

ヘンリー・S・ストークス氏の講演:ボーズ「日本はアジアの希望の光です。」

みなさん、こんにちは。

今日が天皇誕生日であったことを忘れていた。ミンス党のことを書くと精神がなんか汚れたように感じる。アセンションにはほど遠くなるように感じるから面白い。

さて、そこで、ねずさんが天皇誕生日に合わせて、実に興味深い「元ニューヨークタイムズ東京支社長であるヘンリー・S・ストークス氏が行った講演」を紹介してくれていたので、真の歴史とはこういうものだったのだということをアメリカ人でさえよく知っているという証明のために、ここにもメモしておこう。ちょっと長い。
ヘンリー・S・ストークス氏の講演
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Henry Stokes
Japan as “the Light of Hope in Asia”
 
皆様、こんばんは。ヘンリー・ストークスです。
本日は皆様の前で、お話しの機会を頂き光栄です。

このシンポジウムは1952年の日本とインドの国交樹立60周年を記念して開催されております。
このような歴史的な瞬間を皆様と共にできることをたいへん光栄に存じます。

ことに20世紀で最も驚くべき展開は、500年続いた植民地支配、その禍が終焉を迎えたことにあります。

白人による支配が霧散してしまいました。
誰もがまったく予想しなかったことです。


1930年代末に「インドの独立はいつになるか」と問われたネルーは、「70年代には実現するかもしれない」と答えました。
つまりそれは、「私の亡き後に」という意味です。

ところが1940年代初頭には、インド人たちの間に独立の気運が突如として高まりました。
なぜ独立の気運が高まったのでしょうか。

答えは簡単です。
第二次大戦が勃発し白人の植民地支配500年のドラマに出現した新興勢力が、白人の植民地支配に痛烈な打撃を与えたからです。
 
その新興勢力こそ、日本でした。
 
インド独立のタイムテーブルは、ネルーの「70年代に達成できるかもしれない」というものから、一気に第二次世界大戦の終焉時へと短縮されたのです。

ここで、歴史の時間を20世紀から17世紀初頭まで少しもどしてみましょう。

インドでは、イギリスが1600年に東インド会社を設立し、植民地支配に着手しました。
イギリスはマドラス(1637年)ボンベイ(1661年) カルカッタ(1690年)に東インド会社を進出させました。

イギリスの侵略は、プラッシーの戦い(1764年)、マイソール戦争(1799年)、シーク戦争(1845年)
と続き、1857年から59年にかけては、反イギリス民族闘争で 有名な「セポイの乱」が起こりました。

こうしてイギリスがインドを抑圧支配する中で、1868年、日本で明治維新が起こりました。
ほぼ同じころに、インドでは独立のために戦った歴史的な人物が生まれています。

1869年にはマハトマ・ガンジーが生まれ、
1897年には、チャンドラ・ボースが誕生しています。

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1877年、イギリスが直接インド全土を統治するインド帝国が成立し、ビクトリア女王が「インド皇帝」として即位しました。

つまり、ボースはイギリスのインド植民地支配の絶頂期に誕生したのです。


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ボースは今でもインドで「ネタージ」と呼ばれています。
ネタージとは「偉大な指導者」という意味です。

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日本の支援を得て、ボースはINAを結成しました。
Indian National Army インド国民軍です。

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非暴力主義でイギリスの植民地支配と戦ったガンジーと 対照的に、ボースは司令官として戦闘を率いました。

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1943年5月16日、ボースは来日し、嶋田海軍大臣、永野軍令部総長、重光外務大臣などと面会し、その上で、東條英機首相と会談しました。

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ボースは日比谷公会堂で講演しました。
そのメッセージは当時のアジアの人々の気持ちを代弁していました。

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「私が小学校に通い始めた頃に、アジア人の国が世界の巨人・白人帝国のロシアと戦いました。」
「このアジアの国はロシアを大敗させました。 そしてその国こそが、日本だったのです。」

「このニュースがインド全土に伝わると、興奮の波がインド全土を覆いました。」
「インドのいたるところで、旅順攻撃や、奉天大会戦、 日本海海戦の勇壮な話が、沸き立っていました。」
「インドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を素直に慕いました。」

「親たちが競って、元帥や大将の写真を手に入れようとしましたが、できませんでした。」
「その代わりに市場から日本製の品物を買ってきて、 家に飾りました。」

ボースは「日本はアジアの希望の光です。」とハッキリ語っています。

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ボースはこう続けます。
「このたび日本はインドの仇敵のイギリスに宣戦しました。」
「日本はインド人に、独立のための千載一遇の機会を与えてくれました。
われわれはそのことを自覚し、心から日本に 感謝しています。」

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「ひと度この機会を逃せば、今後100年以上にわたりこのような機会が訪れることはないでしょう。」
「勝利はわれわれのものであり、インドが念願の独立を果たすと確信しています。」

重要なのは、言葉より行動でした。
ビクトリア女王が「インド帝国」皇帝に即位して66年目にあたる1943年10月、自由インド仮政府が樹立されました。

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シンガポールでの大会で、ボースは満場の拍手をもって、仮政府首班に推挙されました。
ボースは「チャロ・デリー」 つまり「デリーへ!」と、 進撃を宣言し、人々はその メッセージを掲げて行進 しました。

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祖国インドへ向けた歴史的な進撃の開始でした。
インド国民軍INAの将兵は日本軍とともに、インド・ビルマ国境を越え、インパールを目指し「チャロ・デ リー!」と雄叫びをあげ、進撃しました。

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「われらの国旗を、レッド・フォートに掲げよ」
そう言ってボースは将兵たちを激励しました。

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自由インド仮政府は、日本とともに、イギリス、アメリカに対して宣戦布告をしました。

同年(1943年)11月5日より6日間にわたって、東京で大東亜会議が開催されました。
これは人類の長い歴史において「有色人種によって行われた最初のサミット」となりました。

東條首相、満州国の張景恵国務総理、中国南京政権の汪兆銘行政院長、フィリピンのラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、タイのピブン首相代理であるワイワイタヤコン殿下の首脳が一堂に会し、ボースはインド代表を務めました。

今日、日本の多くの学者が大東亜会議は日本軍部が「占領地の傀儡」を集めて行った国内向け宣伝だったと唱えています。
しかし、そのようなことを言う日本人こそ、日本の魂を売る外国の傀儡というべきです

会議では大東亜共同宣言が満場一致で採択されました。
ボースは「この宣言がアジア諸国民のみならず、全世界の被抑圧民族のための憲章としようではないか」と訴えました。

ボースは、日本は「全世界の有色民族の希望の光だ」と宣言しました。

この500年の世界史は、白人の欧米キリスト教諸国が、有色民族の国々を植民地支配した壮大なドラマでした。

そのなかにあって、日本は前例のない国でした。
第一次世界大戦の後のパリ講和会議で、日本は人種差別の撤廃を提案したのです。

会議では各国首脳が、国際連盟の創設を含めた大戦後の国際体制づくりについて協議しました。

人種差別撤廃提案が提出されると、白豪主義のオーストラリアのヒューズ首相は、「署名を拒否して帰国する」と言って退室しました。

議長であるアメリカのウィルソン大統領は「本件は平静に 取り扱うべき問題だ」と、日本に提案の撤回を求めました。

日本で外務大臣も務めた日本代表団の牧野伸顕男爵は、ウィルソン議長に従わず採決を求めました。
イギリス、アメリカ、ポーランド、ブラジル、ルーマニアなどが反対しましたが、出席16カ国中11カ国の小国が 賛成し、圧倒的多数で可決されました。

あろうことかウィルソン大統領は「全会一致でない」として、この採決を無効としました

牧野は多数決採択を求めましたが、議長のウィルソン大統領は「本件のごとき重大な案件は従来から全会一致、少なくとも反対者なきによって議事を進める」と採択を無視したのでした。

人種差別撤廃提案が11対5の圧倒的多数で可決したにもかかわらず、ウィルソン大統領はこの議決を葬ったのです。
今日の文明世界ではありえないことです。
いまアメリカの大統領は黒人ですが、そのようなことは当時は全く考えら れないことでした。

日本人も白人ではなく有色民族です。
同じ有色民族として誇りある日本人は白人の植民地支配を看過することができ なかったのです。

ここでインドネシアについても触れておきましょう。
インドネシアの植民地支配は、1596年にオランダが艦隊をインドネシアに派遣したことに始まります。

オランダの350年以上に及ぶ植民地支配に終止符が打たれたのは、1942年の日本軍の進攻によるものでした。
オランダ軍は、わずか7日で降伏してしまいました。

インドネシアには、「白馬に跨る英雄が率いる神兵がやってきて、インドネシアの独立を援けてくれるという伝説」がありました。

日本軍の進攻は、伝説の神兵の到来を思わせました。
日本兵は、神話の軍隊であったのです。

ジョージ・カナヘレは「日本軍政とインドネシア独立」という著書で、次の4点を掲げています。
1 オランダ語、英語の使用を禁止。
これにより公用語としてインドネシア語が普及した。

2 インドネシア青年に軍事訓練を施した。
これにより青年が厳しい規律や忍耐、勇猛心を植え付けられた。

3 オランダ人を一掃し、インドネシア人に高い地位を与え能力と責任感を身につけさせた。

4 ジャワにプートラ(民族結集組織)やホーコーカイ(奉公会)の本部を置き、全国に支部を作り、組織運営の方法を教えた。


日本は第二次大戦でアジアの国々を侵略したとされますが、どうして侵略する国が、侵略された国の青年に軍事教練を施すのでしょうか?

彼らの精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が結集する組織を全国につくり、近代組織の経営方法を教えることがありますか?

この事実は、侵略したのが日本でなかったことを証明しています。
日本はアジアの国々を独立させるために、あらゆる努力を 惜しまなかったのです。


では一体、どこからの独立でしょうか?

もちろん、アジアの国々を侵略していた白人諸国の植民地支配からの独立です。

ジャカルタの中心にムルデカ広場があります。
ムルデカはインドネシア語で「独立」を意味します。
独立の英雄ハッタとスカルノの像とともに高さ37メートルの独立記念塔が立っています。

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地下1階には、独立宣言の実物が納められています。
ハッタとスカルノが直筆でサインをしています。

そこに独立の日が「17-8-‘05」とハッキリ書かれています。
17-8は8月17日の独立の日を示していますが、‘05、05年とはどういう意味でしょうか?

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インドネシア人はイスラム教徒ですからイスラム暦ですが、これはイスラム暦ではありません。ましてやキリスト暦でもありません。
では05年とは、いったい何暦でしょう?


実は’05年は、日本の「皇紀」なのです。

1945年は、日本の「皇紀」では2605年にあたるのです。
初代の天皇である神武天皇が即位して建国をした時から数えた年です。

ハッタとスカルノは日本に感謝して皇紀を採用したのです。
インドネシア独立の生みの親は日本だったのです。
だから二人はインドネシアの独立宣言の独立の日を日本の「天皇の暦」によって祝福したのでした。

皆さん、こうした西欧の500年に及ぶ植民地支配は、世界中で広く認知されたことであります。
私たちは今日、植民地支配の禍の終焉をこうしてここに集い祝福しています。

日本は「日いづる国」です。真に自由なアジアを求めるみなさんで、手を取り合ってゆきましょう。 民主的なアジアの連帯を実現する重要な役割を、日本が果たすことを願っています。

日がまた昇ることを祈りつつ、本日の私の話しを締め括ら せて頂きます。

ご清聴ありがとうございました。
Henry S. Stokes


日本人よ、胸をはれ! 自分たちの歴史に誇りを持とう! 我々の歴史には常に正義が味方していた。恥じることはない。普通に生きよ。何も特別なことをする必要もない。力む必要もない。卑下する必要もない。正々堂々と生きればそれで良し。

とまあ、そういうことをこの歴史は我々に教えてくれていますナ。たまには真の歴史を知るのもいいですナ。


おまけ:
上の講演にあるインドネシアのその後はどうなったか?カンボジアやビルマ(ミャンマー)はどうなったか?という話がここにあったわけである。
「白人は人間ではない」:現代のコペルニクス

欧米人が仕掛ける罠 現代のコペルニクス
欧米人が仕掛ける罠1 2


欧米人が仕掛ける罠2 2

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  by KiKidoblog | 2012-12-23 21:24 | 真の歴史

山中京大教授らに「iPS細胞を開発 」でノーベル医学賞 !

みなさん、こんにちは。

山中伸弥京都大学教授にノーベル生理学賞のニュース。おめでとうございます。
 
山中京大教授らにノーベル医学賞 iPS細胞を開発 2012/10/8 19:31

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【ストックホルム共同】スウェーデンのカロリンスカ研究所は8日、今年のノーベル医学生理学賞を、さまざまな組織の細胞になる能力がある「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」を開発した山中伸弥京都大教授(50)ら2人に授与すると発表した。
 iPS細胞は再生医療への利用が期待され、生命科学研究の一大潮流をつくった日本オリジナルの画期的な成果。開発から6年のスピード受賞となった。
 日本人の受賞は、10年化学賞の鈴木章・北海道大名誉教授と根岸英一・米パデュー大特別教授以来2年ぶり19人目。医学生理学賞は、87年の利根川進・米マサチューセッツ工科大教授以来25年ぶり2人目。
【写真説明】 京都大の山中伸弥教授

ノーベル医学生理学賞に京大・山中伸弥教授(12/10/08)

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  by KiKidoblog | 2012-10-08 20:52 | 真の歴史

米軍、アフガンの洞窟で5000年前の「ヴィマナ」を発見!:伝説は真実だった!?

世界の謎「ヴィマナ」

「ヴィマナ」は自由自在に空を飛ぶ架空の乗り物で、古代インド最古の古典である「リグ・ヴェーダ」、叙事詩「ラーマーヤナ」、そして叙事詩「マハーバーラタ」に登場します。まるで現在の航空機のようにいろいろな形式が存在し、中には大気圏外への航行さえ可能なものもあったそうです。

叙事詩の中では英雄たちが戦争で使用するヴィマナですが、UFOとの類似点が多いので「古代宇宙飛行士説」支持者たちは「古代インドに他の惑星から宇宙飛行士がやってきたのでは」と主張しています。

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人類史に刻まれた、宇宙人の関与が想像できるミステリー10選より


みなさん、こんにちは。

いやー、これはすごい!!

インドの歴史の中で、古代インドには空飛ぶヴィマナテクノロジーというものが存在したといわれている。はたして「ヴィマナ」とはどんなものだったのか? というわけである。

ところが、つい最近、アフガニスタンに侵攻した米陸軍の兵士たちが、アフガニスタンの洞穴を調べているうちに、なんと5000年前の古代から存在したという伝承のあった「ヴィマナ」を発見したというのである。それゆえ、同行した米ジャーナリストは、これは世界史を完全に変革するだろうと昂奮して話している。

興味深いのは、その現物の「ヴィマナ装置」を洞窟から取り出そうとしているうちに、少なくとも8人の米軍兵士の姿が突然”消滅”したというのである。そのため、その「ヴィマナ装置」は空間に浮かんで飛ぶだけではなく、「時間の壁」も扱っているらしいという。

以下のものである。

Secret 5000 Year Old Flying Machine Discovery with Steve Quayle

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What caused the sudden rush of these most powerful leaders of the Western World to go to Afghanistan, this report continues, was to directly view the discovery by US Military scientists of what is described as a “Vimāna” entrapped in a “Time Well”
that has already caused the “disappearance” of at least 8 American Soldiers trying to remove it from the cave it has been hidden in for the past estimated 5,000 years.



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どうやらこれは現物が存在するらしい。是非米軍は全世界に公開すべきだろう。

ここしばらくはこの発見の話で盛り上がりそうである。

というのも、ナチの「空飛ぶ円盤」もヒットラーがナチ兵士を使って、世界中の古今東西の歴史資料を集めさせ、それらをまじめに研究して行くうちに「反重力の原理」を発見したという謎の伝説がある。そして、そのもっとも鍵となったのが、この「古代インドのヴィマナ・テクノロジー」だったといわれているからである。

この話は、最近、ロシア(旧ソ連)の学者たちが研究した、「ナチUFO」の話があるが、それに出ていたのである。以下のものである。
Third Reich - Operation UFO (Nazi Base In Antarctica) Complete Documentary


いやー、おもしろい!


おまけ:
インディアナ・ジョーンズにもナチの探検隊の話がたくさん出て来るのはそれが本当だったからだ。たとえば、最近のこんなもの。
ドイツ:ナチス発見の仏像「隕石」だった
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 【ベルリン篠田航一】ナチス・ドイツが1938年にチベットで発見した仏像が、宇宙から落下した隕石(いんせき)でできていたことが独シュツットガルト大学などの調査で分かった。隕石の仏像は珍しく、米学術誌に発表された。
 この仏像はドイツ語で「アイゼンマン(鉄の男)」と呼ばれ、高さ24センチ、重さ10.6キロ。ナチス親衛隊(SS)のヒムラー隊長の命を受け、アーリア民族の起源を調査していた探検隊がチベットから持ち帰った。11世紀の作とみられ、仏教で幸運の印とされる「卍(まんじ)」が刻まれているため、逆向きのハーケンクロイツ(かぎ十字)をシンボルに掲げたナチスにとって貴重な発見だったという。
 独メディアによると、仏像は個人所有だったが07年に競売に出され、研究者の目に留まった。解析の結果、ニッケルを含む隕石と判明。モンゴルとロシアの国境付近で約1万5000年前に落下した破片とみられる。

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  by KiKidoblog | 2012-10-02 10:49 | 真の歴史

4000年前の中国の「世界地図」が発見された!?:やはり日本は小さかった!

みなさん、こんにちは。

今度はウソのような本当のお話発見。どうやら欧州白人が大航海時代にアメリカ大陸を発見するようになる2500年前、今から4000年前の中国の世界地図が発見されたようである。以下のものである。

Secret 4000 year old Maps of The Ancient World


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比較のために現在の世界地図はこれ。その正確さが分かる。
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ちなみに発見者はこの方、シャーロッテ・リース(Charlotte Harris Rees)さん
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中国生まれの父親が古代中国研究をしていた資料の中から偶然発見されたらしい。


中国人のみなさん、これを見ると、4000年前から日本は無視できるほど小さく描かれていますナ。しかしながら、しっかりと尖閣諸島も日本側に入っていますヨ。

まあ、いずれにせよ、いくら世界地図を正確に描く力があったにせよ、福沢諭吉のいうように、中国人の「中華思想」のために、日本は無視するという心持ちは4000年経っても一向に変わっていなかったということのようですナ。
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  by KiKidoblog | 2012-09-28 20:57 | 真の歴史

8月15日は終戦記念日か敗戦記念日か?:戦後の日本は米軍による在日支配の歴史!?

みなさん、こんにちは。

(あ)日本について
8月15日を「敗戦記念日」と呼ぶべきか、「終戦記念日」と呼ぶべきか、この点については日本の戦後教育では一切あいまいにされてきたために、私自身も比較的最近まであいまいであった。しかしながら、数多くの証言や歴史的事実を調べて行けば、だれでもこれは「日本があえて停戦した結果の終戦でしかなかった」ということは歴史的事実のようである。したがって、やはり「終戦記念日」(あるいは、より厳密には「停戦記念日」)と言うべきである。

この問題については、ドクター中松こと、中松義郎博士の実体験談がもっとも説得力がある。
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ドクター中松「日本の”終戦”」を語る!!:日本は負けていない、停戦したのだ!1
ドクター中松「日本の”終戦”」を語る!!:日本は負けていない、停戦したのだ!2

要するに、日本が平和的に統治していた東南アジアを米国に奪還され、最後に沖縄決戦で沖縄も侵略され、最後の最後の「本土決戦」でアメリカに甚大なる被害を出し、少なくとも痛み分けに持ち込みたいと日本軍が細心の準備をして待っていたのだが、広島長崎の原爆投下により、怖じけずいた当時の日本の政治家たちが、軍人たちの意見や現実の戦闘能力などを無視して、勝手に白旗をあげてしまった。それでしかたなく軍人たちも「停戦せざるを得なくなったのだ」というのが、中松博士の回顧談である。その結果として、日本軍が失った科学技術の数々は計り知れないものがあったというのが歴史的事実だということである。

これに関連して、日本の憲法の問題については、目から鱗の視点で語られたものが、ねずさんの以下の記事である。
二つの日本

連合国統治領日本の国旗
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(日本サッカー代表のユニフォームがどうして青と赤と白なのかの理由はここにある。)

サンフランシスコ講和条約によって、日本が戦争を終結させたのは、昭和27年のことですが、本来であれば、この時点で日本は占領統治を脱したのですから、占領統治のための最高法規である「THE CONSTITUTION OF JAPAN(邦名:日本国憲法)」をも、廃案とすべきものでした。

なぜなら、そもそもこの「THE CONSTITUTION OF JAPAN」は、あくまで占領統治のための基本法規(最高法規)として書かれ、公布されたものであるからです。

実際、戦争を起こしたのは、大日本帝国であったわけで、戦争が終わったとするならば、それは連合国と大日本帝国の戦争が終わったわけであって、連合国と連合国統治領日本が戦争をしていたわけではないからです。

つまり、本来の筋道から言えば、サンフランシスコ講和条約で戦争の終結が宣言された以上、その終結宣言の当事者は大日本帝国だったわけですから、日本はサンフランシスコ講和条約の公布とともに、大日本帝国に戻っていなければおかしいのです。

まったくその通りである。戦後統治の臨時的手段として「日本国憲法」(マッカーサー憲法)ができたわけだから、サンフランシスコ講和条約で「戦争は終わった」となった以上、臨時憲法は破棄される。したがって、戦前の大日本帝国憲法が再び生きるべきだということである。

後の在日朝鮮人の話とも関連するが、ここに戦後日本の「劇場国家」、「演出国家」、「偽造国家」の性格が浮かび上がるのである。要するに、米軍による日本人支配のための手下として重宝されたのが、当時もっとも無学で貧しい朝鮮人民族であった。彼らにしかるべき地位や金を与えることで、この臨時憲法をずっと破棄しないで日本を非支配下の日本のままにおいておきたかったというわけである。そこで、戦後の首相は純粋の日本人は、田中角栄と小渕恵三の2人だけだったという噂が出るほどに、朝鮮系の血筋の政治家が優遇されたというわけである。

(い)中国について
さて、中国に対しては、すでに南京大虐殺は中国共産党とそのシンパのいる朝日新聞が結託して仕組んだ捏造事件だったというのは、歴史的事実となって解明されている。以下のものである。
中国政府は「南京大虐殺」ねつ造責任と「通州大虐殺」の賠償を行え!
秋宵四話:日本にも面白い若者たちがいるようですナ!?
「菅直人はコリア系スパイでは?」:そうかも知れないですナ。
アメノウズメ塾:今の日本は「右を向いても左を向いても真っ暗闇じゃござんせんか」
アジア人よ、目を覚ませ!:「握り拳と握手はできない」マハトマ・ガンジーの言葉

この問題については、当事者の1つであった、「フグ計画」によって中国大陸に集められたユダヤ人たち自身の証言から、南京大虐殺など存在せず、現実に起こったことは、中国人による中国人虐殺であったということである。

この最も有名なものが、以下の「通州事件」である。
支那 通州事件の記録写真を南京大虐殺と捏造.

(これは中国工作員がすぐにクレームをつけるだろう。)

要するに、今のアフガン、リビア、シリアのように、英米に洗脳されて手下となった中国人が偽旗作戦として仕込んだものだったのである。それをあたかも朝日新聞の共産党シンパ(おそらく在日中国系)が、そういう記事を捏造し、それに呼応する形で中国共産党が騒ぎ立てたというわけである。そして賠償金を欲しがった。要するに、マネー欲しさのたわ言だったのである。

この手口を真似たのが、パクリ国家韓国である。「従軍慰安婦問題」の捏造から、テコンドー、柔道、剣道、合気道と日本の何から何までを捏造した歴史を作って、世界中に流布させるという歴史的愚挙を行って来たというわけである。

(う)在日朝鮮人について
日本にどうして朝鮮人が住んでいるのか? いつから? なぜ? どこから来たの?
こういう問題は、日本の戦後の国家首相たちが大半が朝鮮マネーをもらって首相になっているから、文部省は意識的に無視してきたようである。しかし、1990年代のインターネット時代に入り、世界中から続々と昔の貴重な映像や資料の大量暴露の時代となり、徐々にかつ、疾風怒濤の勢いで広がったものである。

その中のもっとも有名な事実が「朝鮮進駐軍」という、在日朝鮮人の愚連隊組織である。これが基になり、ヤクザ、右翼、カルト宗教(後の創価、統一など)、パチンコに分裂して行ったのである。したがって、「朝鮮進駐軍」を知らずして、戦後の日本を語る資格はない。それほどまでに重要な事実なのである。
国民が知らない「日本のイターーイ歴史」の数々:「朝鮮進駐軍」とは何か?

拡散希望:「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな 1
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな 2
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1/2在日のタブー☆朝鮮進駐軍☆について【どうか見てください】1/2

なぜ日本全国の一等地にパチンコ店が目白押しなのか? 我々でも、家一軒買うにも相当の土地代が必要であるのに、他所から来た民族がどうして坪何百万円もするような一等地をこの短い期間に取得できたのか? こういう歴史的事実の根源が「朝鮮進駐軍」だったのである。

要するに、日韓併合により、朝鮮半島は、当時のアジアの最先端国の仲間入りをさせてもらい、日本の統治下、朝鮮人民は日本人と法的に同等になった。しかし、日本が終戦したことにより、朝鮮人も敗戦国民になるのを恐れたために、マッカーサーの進駐軍に泣きつき、進駐軍の仲間入りさせろと圧力をかけた。しかし、米進駐軍からは「そんな馬鹿な」と一蹴されたために、勝手に日本軍からぶんどった制服を来て、「朝鮮進駐軍」なる非合法組織を作り、戦後の帰還作業で混沌としている日本国内を集団で武器を持っていたことを良いことに、集団レイプ、凌辱殺人、強盗強奪、集団リンチ、放火などなど、ありとあらゆる非道なことを行って、土地や店を奪い取ったのが、この「朝鮮進駐軍」というものであったようである。

そして、戦後の大混乱の5年が過ぎ、比較的平和になると、日本の戦後復興に合わせて、パチンコ、精肉焼き肉、土建業、不動産、右翼、左翼、日教組、政治家、カルト宗教、ホテルなどなど、現代に見る日本の風景を作って行ったというわけである。

このように、日本には同時に2つの国が重なっているというわけである。

(え)南北朝鮮について
北朝鮮についてはあまり分からないからここでは無視することにして、南朝鮮について言えば、今のイミョンバク大統領の行動を見ても分かるだろうが、ここでも1年も前から指摘して来た。
「我々はすでに日本を征服している」:日の丸が韓国旗に変わる日は近い?


まあ、簡単に言えば、「在日韓国人と韓国人が結託して日本潰しをすることになっている」ということである。我々日本人の一般人は知らなかったようだが、大分前から連中の間ではそういう暗黙の取り決めがなされていたようである。

同様に、北朝鮮サイドからは、犬猿の仲である韓国人に対して(ちなみに、朝鮮半島は歴史的に日本の統治以外で統一されたことはほとんどなかったために、平壌以北の朝鮮人は南民を下層階級と思って卑下してきた歴史があるようである)、朝鮮総連や朝鮮人学校を通じて、日本国内にカルト組織を生み出し、日本を中から腐らせることを狙ってきたようである。その代表格が創価学会やオウム真理教だったようである。

それゆえ、セックス、映画(スクリーン)、スポーツの3Sビジネスに関して、創価学会の朝鮮人ソン・テチャク(池田大作)が米CIA暗号名ポダムの読売の正力と組んで、力を注いで来たのである。それによって、日本人の若者をアメリカナイズするばかりか、生産性の低い、馬鹿な国民にするためであった。だから、芸能界に創価学会信者や在日朝鮮人が多く、そして優遇されているというわけですナ。

まあ、こうして10年ほど、日本の戦後を研究していると、あまりたいしたことはなかったということが明らかのようである。どの国にもよくある話である。「マイナリティー支配」というものである。

アメリカの開拓時代のマイノリティーインディアン、イロコア族によるインディアン支配。インドのマイナリティーによるインド人支配。アヘン戦争時代の中国のマイナリティ華僑による中国人支配。そして、戦後の在日朝鮮人による日本人支配。

今では、西洋の歴史における伝統の中の伝統的な手口であり、今現在NWOイルミナティーと呼ばれる人々の常套手段の1つですナ。まあ、残念ながら、日本もその例外ではなかったということである。

これにて、戦後の日本史も一件落着。
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  by KiKidoblog | 2012-08-16 12:16 | 真の歴史

明治維新の真実:「薩長軍は、タリバンだった!?」

みなさん、こんにちは。

今回は、非常に興味深い記事を他人のブログに見つけたので、それらをメモさせてもらおう。以下のものである。
ガイアのつぶやき…その1
ガイアのつぶやき・・・その2

 「もう時間がありません。最後のチャンスのヒントを与えます。あなた方が最初に舵取りを間違えた明治維新を見直すことです。」

 勝てば官軍、負ければ賊軍。
 明治維新から語られてきたこの言葉の真の意味をどれくらいの日本人が自覚してきたでしょうか。
 今では江戸時代の市民社会もかなり見直され、自然と一体化した、士農工商の身分に関係ない共生の「パラダイス社会」だったことも徐々に理解されてきました。その象徴として、江戸市民が身につけていた「江戸仕(思)草」も紹介されてきています。傘かしげ、肩引き、お心肥やし、こぶし腰浮かせ、時泥棒などがその代表的なものです。でもそれは、「形」としてかろうじて伝え残っているもので、大切なことは、その根っこにある、自然も含む一切のものとの共生の生き方、つまり日本人本来の「こころ」「生き様」なのです。これを今では「ヤマトごころ」と言っているわけです。
 つまり江戸時代は、社会を構成する「人づくり」が、講や寺子屋あるいは寄り合い等でシステム的にもキチンと行われていたということです。江戸仕(思)草では、「3才こころ、6才躾、9才言葉、12で文(ふみ)、15理(ことわり)で末決まる」といわれていました。
 言葉というのは、あいさつだけでなく、大人と同様の世辞が自分の言葉でキチンと言えることをいいます。つまり、「おはようございます」に加え、「本日はお暑うございますね」というような人間関係を築く大人の会話力を身につけることを意味します。
 このために幼少時から、意味はわからなくとも古典を丸暗記させることを徹底したわけです。この「日本語(やまとことば)の語彙力」が、その後の学問、教養としてだけでなく、人間力養成の基盤となっていったわけです。
 12才文(ふみ)というのは、12才になれば、両親の代わりに代筆で手紙をかけるということです。さらに15才理(ことわり)というのは、世の中の仕組みをしっかり理解して、店の番台を親の代わりに勤められるようになることなのです。

 このようにして心豊かに何世代も積み重ねられて育まれた50万の市民が暮らす江戸は、まさに人間性豊かで、心温まるパラダイス社会だったに違いありません。ちなみに江戸100万人の残り50万のほとんどは、参勤交代でやってくるお登りの地方侍たちです。歴史的に文書で残っているのは、この武士たちの、いわゆる公的な書物であり、市民の文化は文書として残されなかったのです。
 それを唯一、絵で見せて残しているのが浮世絵と言えます。ところが明治政府は、この江戸を否定して成り立っているのですから、なんと江戸仕草そのものさえも禁止してきたのです。
 この為、戦後に日本を統治したGHQがこの江戸仕草を「解放」したときに、秘かに江戸仕草を伝えていた人たちがお礼にGHQを訪れたほどです。こういう面までも考えてGHQは、二重、三重にマインドコントロールを戦後の日本社会にかけていったわけです。

 ところで、江戸末期に日本を訪れた西欧人たちは、江戸の市民生活を見て、「この世のパラダイス」と手記に書き残したり、母国の家族等に手紙で送っています。彼らが江戸社会をどう感じたのか、訪れた日にち順に追体験的に見ていきましょう。
昔の日本

 もちろん、彼らは旅行の物見遊山で来たわけではありません。欧州を起点とする白人による世界の植民地化前線の東回りと西回りが巡り会う最終局面として、黄金の国・ジパングの植民地化が究極の目的でした。もっとも、彼らも世界金融支配体制者たちに使われる駒に過ぎませんが。
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ペリーの見た江戸は美しかった!!:計算されたペリー来訪

 彼らは航海上、日本に来る前に中国に立ち寄ります。その中国を「ウジ虫を知らずに踏んでしまった気色の悪い気持ち」であると書いています。居住区は汚いし、子どもたちは「ギブ・ミー・マネー」であり、「売られている製品は全てコピー製品であり、吐き気をもよおし、二度と来たくない」、とまで母国の母親に書いた随行員もいます。そこからさらに極東の地である日本に行くわけですから、あまり期待はしなかったと思われます。
 ところが日本に一歩踏み込んだ途端に大讃辞に変わります。まず、船からみる国土が美しい。緑豊かな野山に、綺麗に整備された段々畑や棚田がとけこんでいます。これまでの世界のどこでも見たこともない自然と人工物がシンクロした絵画そのものの立体風景です。
ハイネ「世界周航日本への旅」「日本遠征のグラフィック・シーン」
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 下田あるいは横浜の寒村に着くと、浮世絵で見た色鮮やかな着物を着た健康そうな子どもたちが、「うちにおいでよ~」と手を引きます。その農家に行って見ると、士農工商で一番貧しいはずの農家は、四辺が綺麗に生け垣で仕切られ、その中に小さないながらも見事な日本庭園と色鮮やかな鯉が泳ぐ池があります。家に入れば、土間があり、床の間には綺麗な掛け軸がかけられています。
 当時の欧州では、彼らの階級は「農奴」であり、文字も書けず、何世代も藁葺きの中で雑魚寝生活でした。つまり、世界でもっとも裕福な農民が暮らす国、それが日本だったのです。
 個人宅にもお風呂があり、さらに出される食事にビックリです。なんと陶磁器が使われています。他の国では、このような食器は貴族以上でないと使っていません。しかも海の幸、山の幸に溢れ、自然の風味を最高に活かした世界最高の美味しい健康食です。特に、欧米人さえ見たこともない醤油や味噌など健康に素晴らしい発酵食品を使っています。
 帰り際には、農民であるはずの彼らが書いた掛け軸までプレゼントされます。最下級の農民が芸術的な書道が出来ることに最後までビックリ仰天です。せめてお礼にペンでもと渡そうとすると、頑なに受け取りません。
 そうなのです。これが日本の「おもてなし」であり、日本各地のどこでも日常から旅人たちに振る舞われていた日本人の慣習そのものだったのです。ちなみに私が小さい頃の四国伊予の実家では、このおもてなしをお遍路さんたちに行っていました。

 彼らは、その後陸路で江戸に向かうのですが、街道が綺麗に整備されていることにも驚きます。キチンと歩ける道路が整備されているだけでも、世界広しといえども当時は日本しかありません。しかも街道沿いに旅人のための日陰を提供する松などの樹木が植えられています。さらに一定間隔で宿場町が整備され、飛脚や駕籠(かご)、さらに宿や飲食店なども利用できます。街道がわざと曲がっているかと思えば、遠景に富士山、近景にお城というふうに、ビューポイントを設けるなどの情緒溢れる道造り、町造りを行っています。

 さらに江戸に着くと、まさに人類史上初の大公園都市です。
 中央に江戸城を中心とした大公園があります。それを核心に300の武家屋敷の大公園があり、さらにそのまわりには1500もの寺院等の中公園が配置されています。市民の小さな家にも庭があります。鳥瞰図的に見れば、まさに地球唯一の地上の楽園自然都市です。町造りも合理的にしっかりしていて、大通りの門戸を占めると外部からの侵入は困難で、治安上も安心できます。
 行き交う人々は、江戸仕草の体現者であり、挨拶や話している様子も明るく、そこにいるだけで心温まります。野の鳥さえも人の肩に留まってさえずっています。一番気性の荒々しいと思われる船乗りが集まる船着き場に行ってみると、聞こえてくる言葉は、「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」ばかり。
 彼らは、日本人が自分たちのことを南「蛮」人という意味がよくわかったと手記にも書いています。
 実は、現在のUCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)では、国際関係論で、「19世紀のパリは、江戸を見習って造った」と教えているのです。
 まさに、ゴッホが日本の浮世絵から江戸を学び、そこからヤパン・インプレッション(福沢諭吉が明治政府の意を汲んで「印象派」と意訳。実際は、日本浮世絵派あるいは「日本主義」)が生まれ、世界の市民が解放されて行ったのです。そういう意味でも、日本は世界の「雛形」だったのです。 (拙注:これがいわゆる「ジャポニズム」というもの

 江戸の市民生活の素晴らしさのエピソードとして完全リサイクル有機農法を紹介します。
 現代の都会生活でもアパートやマンションの集合住宅が多いように、江戸でも「長屋」がありました。大家が50両払って代官から営業権を購入します。
 家賃はいりません。さらに「老人」や「病人」が入居人として歓迎されたと言います。住人の仕事は「用をたす」ことだったからです。
 ちなみに、当時、上下水道が完備していたのも、世界で江戸だけです。その下水道に、「トイレ」の排泄物を流すことは厳禁です。それだけ、衛生管理観念も進んでいました。下水道にトイレの排泄物を流すようになったのは、「文明開化」した明治維新以降なのです。欧米化が日本文明を劣化させた一つの例証です。
 長屋で溜められた「うんち」は、郊外の農家が買い取りに来ます。その売り上げが、現代価格で年1000万円ほどになったようです。つまり、それだけ現金を出せた農民も豊かだったのです。
 農家では、それを肥だめで微生物利用による完全有機肥料として活用しました。世界で初の完全有機リサイクル農法だったわけです。老人や病人は、消化力が落ちているので、排泄物の中に「有効成分」が多く、貴重な存在として大事にされたわけです。正月などには、わが子のように住人に大家さんがお餅などを配ったのです。

 このような市民のパラダイス国家を運営していたのが、侍たちです。彼らは、武道に励みながら、市民のために誠実にこの国を切り盛りしていました。なにせ300諸藩も、市民も一切江戸幕府に税金を納める必要はありませんでした。
 完璧な地方自治で、経済的にも独立し、幕府も各藩も、自己責任でキチンと運営しなければならなかったのです。組織・制度上からも為政者たちが、エゴの「利権」に走ることなど出来なかったのです。
 しかも彼らは、生まれたときから15才で元服するまで、「武士としてのこころ、躾、言葉、文、理」を、市民以上に藩校などで、専門の講師たちに徹底して訓育されました。優秀なものは、身分にかかわらず、他の藩校や幕府の昌平校などに藩費で留学もできました。この中には、商人や農民の優秀な子どもも選抜されていました。武士になれたのです。このように生まれたときから高度の人間教育を受け、いざというときは命さえ惜しまない世界最高の利他を体現する為政者、それが江戸時代の侍=武士だったのです。
 彼らが存在する限り、これまで植民地化した国々のように、武力で制圧することもできません。軍艦10隻持ってきても、上陸できるのはせいぜい数百人です。万単位の武士の誠の中では身動きもできません。

 この日本をいかに植民地化、つまり金融支配するか。
 それには、無私の「武士道精神」「ヤマトごころ」を徹底的に排除し、個人の「利権」を基礎にする国造りに変えるしかありません。このためには、武士階級、端的にその象徴の「江戸」を完全否定しなければなりません。
 そのために、武士(薩長)でもって武士(江戸)を排除する。これが明治維新の真実です。
 こうして見ると、明治政府が極端な欧米化政策をとった本当の理由が見えてくると思います。彼らは世界金融支配者の裏からの支援を受けて、政権に就きました。世界が称賛してモデルとした江戸のパラダイス社会を徹底して否定するしか彼らの生きる道はなかったのです。
 西郷隆盛と勝海舟の会談で無血江戸入城となったことになっていますが、それはあくまで勝った方の官軍史観でしかありません。実際には、勝海舟は江戸の東側の裏戸をあけて江戸市民を避難させました。店には番頭一人置いて戸を閉めていたと言われています。江戸の周辺は、当時は森林に覆われていました。この森林を利用して逃げ延びたのです。何故なら、「江戸仕草」の体現者たちは、新政府軍の武士たちに老若男女にかかわらず、わかった時点で斬り殺されていったからです。維新以降もこの殺戮は続きました。この「史実」は、明治維新の政府の流れを汲む日本では、未だ歴史のタブーとなっています。
 引き続く、東北での戊申戦争も真実は異常です。震災後、いわき市に講演に行きましたが、東北では、戦争と言えば、大東亜戦争ではなく、いまだに戊辰戦争を指します。なぜでしょうか?
 ヤマトごころ、武士道で育った日本人は、喩(たと)えまがい物の錦の御旗とわかっていても、弓矢を引くことはありません。東北の武士たち、つまり15歳以上の男子は、城に集まり武装解除の準備をしていました。街には姉妹や母、祖母たちしか残っていません。そこに上陸してきた新政府軍たちは、こともあろうに残っていた子女を強姦・陵辱・殺害そして火を放ち廃墟として行ったのです。
 この惨状を知り、死を賭して戦わざれば、もはや武士とは言えません。こうして東北の真の武士たちは、最後の15才の白虎隊まで戦って散華していったのです。この「史実」も日本ではタブーとなっています。しかし、地元の人々のこころを消すことはできません。
 彼ら「官軍」が江戸に帰り、勝った勝ったとはしゃぐのを見て江戸市民は、
 「これで日本も500年とは言わないが、300年は時代を(つまり戦国時代に)遡(さかのぼ)ってしまった。彼らは三代もしないうちに、この国をイギリスやアメリカに経済的に売ってしまうだろう」と影で嘆いていたのです。
 三代後とは、まさに現代です。完璧に世界金融支配体制の忠犬ポチ公として、国民の健康と安全とを犠牲にして、彼らに国民が背に汗して稼いだ日本円(税)を貢ぐ現代の為政者たちの姿を、当時の江戸仕草の体現者たちは予言していたのです。

 ちなみに150年前の浮世絵に、現在のスカイツリーと同じ場所・高さのタワーが描かれています。新聞でも江戸時代の予言と紹介されました。私には、友人の光明氏のような当時の霊能者が、未来の日本を見て、神を憚(はばか)らぬバベルの塔として警告しているとしか思えません。亀戸という地名は、洲が亀の甲羅のようにあるから付けられた地名です。そんな海である砂州の埋め立て地に、世界最高の高層建築物を建てるなど、東京直下型などの地震の想定内として真剣に考えたのでしょうか?
 いずれにせよ、「征服者」であった薩長主体の明治政府は、徹底して江戸を否定しました。世界の自由民主化の原点であった浮世絵の歌川派さえ解消させたのです。つまり、日本のまごころ、ヤマトごころの否定でした。それ故、極端な欧米主義に立脚するしかなかったのです。こうして、欧米人が認めていた「世界のパラダイス・江戸日本社会」を「自己否定」したのです。

 つまり出発当初から進路を誤ってしまったのです。この明治維新の暗黒面をキチンと反省せずして、日本の再生もありえないでしょう。最近でも、明治維新は素晴らしかったが、戦後のGHQの占領政策で日本はダメになった、ときめつけています。これでは、またまた元の木阿弥になってしまいます。
 明治維新の反省が全くないから、ガイアの今回の警告もまったく無視して、世界金融支配体制者に影で操られた明治政府の構造と意図を引き継ぐ現為政者たちが、引き続き原発再稼働の滅びの道をまっしぐらに進んでいるのです。彼らを見ていると、後ろから何ものかに脅されているかのように、既存の原発等利権の維持拡大に顔を暗く引きつらせながら邁進しています。それが世界金融支配体制の中の核エネルギー部門であることは論を待ちません。

 いずれにせよ、とても今生の本来の目的である霊性を向上し、この地球文明を未来の子どもたちのために、5次元社会へ責任持って導くと自覚しているようには見えません。もう彼らの好きなままにさせてはいけません。原発無き、本来の宇宙エネルギーの道へ舵をいますぐ切り替えなければなりません。
 ガイアのレッドカードが目前に迫っています。それは、東海・東南海・南海連動型大地震、それに引き続く富士山噴火、そして壊滅的な東京直下型巨大地震となって現れるでしょう。
 雛形の日本がこの惨状ですから、世界はさらに、巨大火山噴火、核戦争、ウィルス感染等々で現代文明そのものの破滅へとなりかねないでしょう。

 再度問います。
 今我々は、滅びの道を歩んでいるのでしょうか。永久(とわ)の道を歩んでいるのでしょうか。あるいは、まだ引き返せる位置でしょうか。
 3.11フクシマをガイアの警告と認識できたのでしょうか?

 いえ、あなたはどの道を歩みたいのですか?
(画像は、私が付けた。)

まあ、これは、明治維新の話だが、明治維新というものの本質は、英米のアングロサクソン国家、今でいうところの「偽ユダヤ人国家」が、偽ユダヤ人による世界統一政府樹立のために、アジア支配を目論だ時、アジアのまだ残っている最高文化勢力であった、この日本、江戸時代の日本を、金融的にも政治的にも破壊することが目的だったというにすぎない。

そのために、イギリスのロスチャイルドの手下の悪魔主義一派のフリーメーソン所属の、グラバーのような武器商人を薩長に送り込み、江戸支配の緩かった、長崎、薩摩、山口あたりから、南からの攻撃を加えるためのものであったということのようである。

仮にその計画がうまく行かなかった最悪の場合でも、江戸時代の日本は(今の朝鮮半島のように)南北に分裂、うまく行けば、日本を英米の属国化ができる。そして、現実には、それが成功し、江戸時代が終焉した。英米に武器資金援助してもらって、それまでの王権や政権を打破するという、古典的手法である。そういうものにまんまとハマったというのが、明治維新における「この国の真の形」というものである。

その時に、実は本当の天皇家は暗殺されて、南から傍系の天皇家が急遽担ぎ出されて、現代の天皇家に至ったという説もある。これもまた、実に良くある古典的手法であると言えるだろう。

さらに、付け加えると、明治維新は「下級武士の反乱」という言い方がされるが、伊藤博文や東郷とか、実際には、朝鮮からの流民の系列であり、江戸末期に名前を日本人から買って、日本人に成り済ました、という話もあるようである。これまた、さもありなんという話であって、これが事実だったのであれば、これまた、「マイノリティーによる支配」の典型と言えるだろう。

まあ、今のアラブ諸国のようなものである。例えば、
私はアサド大統領を支持します。
などを見れば分かるように、リビアのカダフィ大佐やベネズエラのチャベツ大統領のように、英米から自主自立した独立勢力に対して、「中東の春」とか、「民主化」とか、大義銘文を逆手に取って、実際には、英米の金融寡占勢力の傘下に組み込み、金融、政治、軍事、文化などのあらゆる面から、支配下に組み込むことが、その本来の目的だったということである。

しかしながら、英米支配者の思惑通りになかなか行かず、その都度、予想外の行動に日本人がでるというのが、これまたこれまでの真実の歴史という感じがするのである。

タリバンで例えるなら、無知蒙昧な九州の下層武士タリバンたちに、近代兵器の使い方を教えて、永久に自分たちの武器の輸入者で過ごさせ、日本を経済的にも軍事的にも永久支配を目論んだのは良いが、今度来た時には、日本の下級武士タリバンたちが、もう自前の戦艦や武器を作って待っている。それも英米が作ったもの以上の性能のものまでできる始末。そして、タリバン兵たちが、「人種差別主義撤廃」を叫んで来る。こんな感じだろう。

500年前の戦国時代における、種子島の鉄炮伝来の時もそうだったが、それと同じような事が必ず起き、その都度、予想に反した展開になる。そんな感じのように見えるから、実に不思議である。

ついでに付け加えると、第二次世界大戦後は、今度は、ロスチャイルドとMI6の英国ではなく、ロックフェラーとCIAの米国(英国の植民地)によって同じようなことが行われたわけである。つまり、戦後日本は、薩長の下級武士の役割を在日朝鮮人/無学貧乏の最下層の半島人が果たしたのである。それゆえ、明治政府や戦前の官僚の中のいやらしさと戦後の官僚と政治家の中にあるいやらしさが一致しているというわけである。これが、市川房枝が「戦前戦中戦後と貫く棒のごときもの」と言ったものである。明治維新以降、日本は朝鮮人の影響をもろに受けたということである。

ちなみに、一方のソ連はスターリン(偽ユダヤ人)とKGBによる「赤化路線」で、北朝鮮と中国がその罠にかかった。これにより、世界と極東アジアが東西に別れ、冷戦という名のもとに、分裂支配されたというわけである。偽ユダヤ人の思うつぼ。これで、KKKの創始者、アルバート・パイクのアジェンダのその通りの世界戦争計画をひた走ることになったということのようである。残るは、第三次世界大戦のみ。

今回の英エリザベス女王の在位60年記念式典を見れば明白なように、彼らのこの計画への意気込みの強さが分かるはずである。船の上にいた英王室関係者全員が、軍服だったのである。
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1,000-boat Royal 'pageant' ends with musical finale celebrating British colonialism ('wider still and wider shall thy bounds be set', cue NATO) and dictatorship by reptilian bloodline with the cringe-making, arse-licking national anthem
(いつの間にか、ハリーこと、ヘンリー王子もでかくなったナア。)

はたして、今後の展開やいかに? 実に興味深いところである。

いずれにせよ、日本の近代史もまた再考、再編の時期に来ていることだけは確かである。こういうことはまったく想像力や事実認識の欠如した御用学者では無理。そういった日本の御用学者ではない、本当の歴史学者たちの出番と言えるだろうヨ。

おまけ:
あんぱんの開発と日本の発展
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私の知っている、安兵衛と鉄舟の話とはちょっと違うが、非常に興味深い話である。ねずきち氏作。
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  by Kikidoblog | 2012-06-05 11:37 | 真の歴史

「かごめかごめ」:ダビデの星と籠目模様

かごめかごめ



みなさん、こんにちは。

アメノウズメ塾に紹介されていた、童謡「かごめかごめ」の話は実に興味深い。おそらく、そこで引用さていたのは、これだろう。
かごめ かごめ をヘブライ語で解釈する

これをまとめると、こんな感じだろう。
日本の童謡

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かごめ かごめ
籠の中の 鳥は
いついつ 出やる 
夜明けの 晩に
鶴と亀が 滑った
後ろの正面 だあれ?
古代ヘブライ語版

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カゴ・メー カゴ・メー
カグ・ノェ・ナカノ・トリー
イツィ・イツィ・ディユゥー
ヤー・アカ・パニティ
ツル・カメ・スーベシタ
ウーラッシュ・ショーメン・ダラ
古代ヘブライ語の意味

誰が守る? 誰が守る?
堅く安置された物を取り出せ
契約の箱に封じ納められた 神器を取り出せ
神譜をとり 代わるお守りを作った
未開の地に 水をたくさん引いて
水を貯め その地を統治せよ


日本には、大和の時代から「言霊(ことだま)信仰」が伝わっている。私の個人的見解では、日本の古代人が言わんとした「言霊」とは、はるばる古代イスラエルの地からやってきた、ヤー・ウマトの民が、土着の生活の中で失われつつある、古代イスラエルの言葉と宗教と文化を、現地人である古代日本人の言葉に語呂合わせをして、何とかして伝え聞かせようとしたことを意味したのではないか、というものである。

この意味で、日本の古代の神話の中に出て来る、一見意味不明の言葉の数々が、古代ヘブル語で見事に読むことができ、そうすることによって、その意味が見事に蘇るという事実は、こう解釈する他にないからである。

また、物理学にも、日本の「籠目(カゴメ)模様」を象ってできた、「カゴメ格子(kagomé lattice)

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という概念と言葉が残っている。これは、大阪大学の庄司一郎博士
庄司一郎氏(しょうじ・いちろう=大阪大名誉教授、理論物理学)18日午後11時25分、脳内出血のため兵庫県尼崎市の病院で死去、81歳。兵庫県出身。
が提案した、統計物理学の理論における有名な格子モデルである。

私は、それを英訳するときに、ながらくどうして「kagome」ではなく、「kagomé」と記されるのかよくわからなかったが、西洋人、特にユダヤ系(今でいう、偽ユダヤ人)の物理学者たちにとって、「かごめ」の発音よりも「かごめー」と伸ばす方が自分たちにとって、意味ありげであり、なおかつ、心地よい響きを持っていたからに違いない。

この童謡かごめかごめの内容からしても、「契約の箱」、いわゆる「失われたアーク」は、日本に伝わったという可能性が高いのではないかと見える。

特に、「未開の地」にたくさん水を引いて、その地を統治せよ、というあたりは、ここ徳島の剣山あたりの風景
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http://yousakana.com/blog/?p=14984より

を思い起こさせるものである。

古代イスラエルと大和民族の結びつきというものは、もはや伝説ではない。
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  by Kikidoblog | 2012-05-17 13:57 | 真の歴史

「日本人とは何ものか?」:「アメノウズメ塾上級サバイバル編」より

みなさん、こんにちは。

いやー、相変わらず「アメノウズメ塾」は元気のようである。その「上級サバイバル編」から、3つほどメモしておこう。以下のものである。
アメノウズメ塾上級サバイバル編⑩日本人とは何者なのか?①


アメノウズメ塾上級サバイバル編⑪日本人とは何者なのか?②


アメノウズメ塾上級サバイバル編 12 日本人とは何者なのか?③.flv


それにしても、私が10数年前から、いわゆる「陰謀論」や「ミステリー」や「UFOと宇宙人」や「古代イスラエル10支族」などの話を集めて研究調査するようになってから、そして数年前から昔のブログやここでメモするようになってから、と比べると、隔世の観がある。いまでは、アメノウズメやらNews.USやら、多くのサイトがそういうこれまでの「タブー」をタブー視せずに取り上げるようになったからである。

あとは、フリーエネルギーや重力発電などをまじめにそして地道に研究するような科学者たちがたくさん出てくれば、日本も世界も救われることだろう。スーパーストリング理論やらビッグバンやらの研究よりはるかに人類の生存にとって不可欠で重要な研究だからである。超ひも理論やら、超ブレーン理論やらも面白いだろうが、あくまで数学的興味からのものにすぎず、現実世界の、あくまで1つの描像にすぎない。他にもいくらでももっとまともな描像はたくさんあり得るからである。

いまでは、高エネルギー物理学は、原子核や原子力などを扱う、軍事技術世界の軍産複合体の「予算獲得」のためにあるということが分かっている。宇宙の構造を理解するとか、ビッグバンを検証するという大義銘文を言えば、いくらでも膨大なビッグマネーが得られるのである。そして、いまでは、ビッグサイエンスの典型として、大半の国々の国家予算より多くの研究費を受け取る、御用学者集団と化してしまったのである。

こういう科学者集団の世界からみれば、フリーエネルギー発電、重力発電など、「まゆつばもの」に見えるだろうが、その予算レベルで言えば、誤差の範囲内程度というスモールスモールサイエンスに過ぎないのである。しかしながら、最初は飛行機も紙飛行機から始まったように、町工場の中の小型発電機が、将来には、地球規模の重力発電機に変わらないともかぎらないのである。マッキントッシュも最初はガレージから始まったのである。

この意味では、ビッグサイエンスの世界、バイオサイエンス、高エネルギー物理などの世界の科学者は、科学者としての本来の目的やその精神を忘れてしまったと言えるだろう。科学者は、「権威を信じるな」が合い言葉だった。「権威の否定」こそが、科学者のもっとも科学者らしい伝統だったのである。

日本の科学者やインテリたち、普通の教科書通りに成長した人々、こういった人間も、そろそろ「覚醒」して良い頃ではないのだろうか? 私はそう思うが。


おまけ:
アメノウズメ塾上級サバイバル編⑨ 東日本大震災で目覚めたか?②


アメノウズメ塾上級サバイバル編 04 白衣、薬を信じるかは③.flv

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  by Kikidoblog | 2012-05-15 10:21 | 真の歴史

トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」2:いま蘇る鉄砲伝来の真実!

みなさん、こんにちは。

いやー、マーヴィン・トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」は、非常に面白かった。一応全部読んでみたが、後半最初に日本の種子島の鉄砲伝来物語について詳しく書かれている。なぜなら、日本史に「ポルトガル商人」によって持ち込まれたとある、そのポルトガル人は猶太人であったからである。それゆえ、猶太人社会では、日本に鉄砲を伝えたのが猶太人であったとしても、当時は表立って猶太人とは名乗れなかったため、キリスト教徒の振りをしなければならなかったという。こういう隠れ猶太人クリスチャンをマラーノというが、そのポルトガル人こそ、マラーノのフェルナン・メンデス・ピント

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だったというのである。面白いので、今回はこれについてメモしておこう。

私が持っている、家長三郎博士の「新講日本史」には、この種子島の鉄砲伝来物語はこうある。(1986年アメリカユタ大留学時代に留学中に読もうと思って買ったものである。)
1543年(天文12年)、おそらくは南方の一港からニンポウに向う途中ででもあったろうか、1隻の中国大船(ジャンク)が暴風雨にあって遭難し、南西諸島の一島である種子島(鹿児島県)に漂着した。このジャンクは、倭冦の巨頭であった中国人・王直の経営する船であり、同乗の人びとのうちの2〜3名のポルトガル人貿易商がいて、日本の浜をふんだのであった。このできごとこそ、今日までのところ、詳しい事情のわかっている最初のヨーロッパ人来日であったとみられている。
 こうして、ヨーロッパ世界のさしだしてきた強大な「白い手」は、なかば偶然のきっかけから、しかし本質的には偶然ではなく、この東海の一小国を捕らえたのである。
 このとき、ポルトガル人貿易商は、日本との貿易を本気で意図していたのではなかったから、この漂着事件そのものが直ちに全面的なポルトガルの対日貿易のはじめとはならなかった。だから、この漂着の最大の影響は、あらためていうまでもなく、そのポルトガル人貿易商から島の戦国大名・種子島時尭(ときたか)にもたらされた2挺の鉄砲(種子島銃)の演じた歴史的な役割に求められるべきであろう。

そして注釈として次のものが書かれている。
【種子島銃】 中国製銅銃の輸入は、すでに16世紀初頭にみられるが、ヨーロッパ製鉄銃の輸入は、やはり、種子島銃をはじめとするとみていいだろう。その破壊力は、強力であり、はじめてこの銃の威力を見聞したときの日本人の記録である『鉄炮記』には、「この物一発、銀山をくだくべく、鉄壁をうがつべし。」とある。
 このとき伝来された種子島銃は、2挺だったが、そのうち1挺は、多数の僧兵をかかえていた荘園領主である紀伊国(和歌山県)・根来寺(ねごろじ)に伝えられ、中心的には境の鍛治師たちによって模造品の作製が成功した。やがて、境は、天下統一をねらう戦国大名たちに大量の種子島銃を販売する「死の商人」「死の職人」のまちとなった。もう1挺は、おそらく種子島時尭の財産となっただろうが、やがて、その私蔵品のうち幾挺かは、将軍・足利義晴と管領・細川氏を通じて、近江国(滋賀県)・国友村の鍛治師たちに伝えられて、織田氏・豊臣氏・徳川氏の兵器工場である国友鉄炮の起源をつくった。
 こうして国産化された鉄炮は、すでに16世紀中葉には、「鉄炮の用心」(『万松院殿穴太記』)のための石詰め・二重壁の築城法を生み、出雲自鹿城における毛利氏対尼子氏の合戦において矢傷5:鉄炮傷33という死傷者率を結果し、豊後国(大分県)の大友氏は全軍1万5千のうち1200名の鉄砲隊を動員している(『大友記』)。

こういった記述が、日本史の教科書の普通の記述である。これに対して、実はメンゼス・ピントの手記が当時(ピント死後33年後に)旅行記として出版されたという。これは、西洋世界では、14世紀のマルコポーロの「東方見聞録」以来の著作だったという。その旅行記が「東洋遍歴記

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である。(この本ではピントは猶太人ではなかったと注釈されているが、今では猶太人だったことが定説のようである。)もちろん、猶太人のトケイヤーは英語の本(「メンデス・ピントの旅」)を読んでいる。

さて、ピントはそのときの様子を次のように書いているという。
6人を乗せた、2隻の舟(カヌー)が、岸から漕ぎ寄せた。舷側まで来て、彼ら流に挨拶を交わしたうえで、私たちが乗ったジャンクが、どこから来たのか、たずねた。
 われわれは中国から来たと答え、もし、上陸させてくれるのなら、交易をもとめているといった。6人のうちの1人が、われわれの目の前に広がっている島がタネガシマといい、もし、日本で定められている税金を払うのなら、島主のナウトキンがすぐに許可を与えるといった。

この時の島主ナウトキンというのは、どうやら上の日本史の記述と比べると種子島時尭(ときたか)こと、直時のことらしい。

猶太人メンゼス・ピントは比較的理知的な人物だったが、他の2人の1人のポルトガル人は当時の日本人が「南蛮人」と呼んでいたそのものズバリの人物で、鳥がたくさん生息する場所へ行っては狩猟をして遊んでいたらしい。その1人がディオゴ・ゼイモトというポルトガル人であった。ピントは、こう書いている。
「3人のうちで、ディオゴ・ゼイモトという名の男は、射撃を好み、時々、火縄銃

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を抱えて、出かけた。彼は銃の扱いに長じていた。ある日、彼は多くの種類と、おびただしい数の鳥が生息する沼地を発見して、26羽あまりの野鳥を撃ち落とした。
 日本人は銃というものを、それまで一度も見たことがなかったので、ただちにナウトキンへ報じた。彼はこの報告を聞いて驚き、ゼイモトを招いた。ゼイモトは狩猟をしていた沼地から、すぐにやってきた。」

「私たちは彼が火縄銃を肩からぶら下げて、ナウトキンの前まで進んでくるのを見守った。2人の中国人助手たちが、面前で獲物を降ろして、並べた。
 ナウトキンは昂奮していることを、隠せなかった。その反応を見ていると、日本では銃が的へ向けて発射されるのを、誰も見たことがなかったことが分かった。だから、彼は喜びに浸っていた。そこにいた者は火薬の秘密をだれも知らなかったから、魔法の働きだと思ったことだろう。
 ゼイモトはそこにいた全員が驚嘆して、彼を見つめ、とくにナウトキンが大喜びした。もうこれ以上、詳細に書くことをやめたい。だが、まったく信じられないような出来事だった。
 島主はゼイモトを厚遇して、屋敷に招いて、泊めた。われわれが島を去る時に、ゼイモトは厚遇に感謝するために、火縄銃を島主へ贈った。」

「島主は銃を全中国の富よりも、もっとも高価な、値もつけられないような贈物を貰ったようにして、受け取った。そして、彼に銀で1千ティールを贈った。そのうえで、火薬をどうしたら調合できるのか、教えてくれるように乞うた。というのは、火薬がなければ鉄のスクラップにすぎないことを、知っていたからだった。」

これを見ても分かるように、西洋白人の行動様式は今も昔もほとんど変わっていないということがわかるだろう。スポーツのようにしてどんどん野鳥を殺す。何のためらいもない。それを奴隷状態の中国人を使って手伝わせる。また、相手の素性などおかまいなしだから、相手が大喜びしたり、いろいろ聞くと、相手は何も知らないと勝手に信じ込んで、相手はこれまで銃というものを知らず、はじめて銃をみたというふうに錯覚してしまう。

しかしながら、火縄式鉄炮ははじめてだっただろうが、日本史にあるように、それより先にすでに日本には銅製鉄炮が中国より伝わっている。それより先には、
蒙古襲来(元寇)時代

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にモンゴル人が鉄炮や大砲の祖先にあたる飛び道具を使って九州に攻撃した歴史があったわけだから、日本の武士たちがそういう飛び道具についてまったく無知であったはずがないのである。むしろ、そういう知識があったからこそ、最新式の火縄銃に興味を持ったともいえるのである。

さて、その後のやりとりはこんなものであったようだ。
ゼイモトは承知して、教えた。それからというもの、ナウトキンの楽しみといえば、火縄銃を撃つことだった。島民は島主があまりにも喜んでいるのを見て、早速、その火縄銃を手本にして、同じ銃を製造した。
 その結果、島民の火縄銃に対する飽くことのない好奇心と、銃の需要によって、私たちが5ヶ月半後に島を去るまでに、600挺以上の火縄銃が、島で造られた。
 その後、私が日本を最後に1556年に訪れて、ブンゴ(豊後)王国の首都であるフチュオに滞留した時に、3万挺以上の銃があると、教えられた。私がそんなに短時間で、それほど大量の銃を生産できることに驚くと、商人たち−−高貴で、尊厳に値する人々が、日本列島中に30万挺の火縄銃があり、彼らだけでも琉球を6回往復し、2万5千挺の銃を売った、といった。

これを見ると、一般の日本史では、ポルトガル人が持っていた2挺のうちの1挺が、和歌山から境へいって境の鍛治師たちで模造品が造られ、もう1挺は、のちのち足利義晴や細川氏を通じて、近江につたわり国友村の鍛治師たちによって再現されたことになっているが、どうやらそれはそうではなかった可能性が高い。種子島の島民が、ピントたちが滞在している約半年の間に、オリジナルを真似て600挺以上を造り、日本全国や琉球に売りさばいたというのが真実のようである。

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これからも、当時の日本人が銃についてまったくの無知だったとしたら、そんなことはできないわけであるということが分かる。古来から火薬についてや、鍛治師が鉄の扱いなどを十分に知っていたからこそ、火縄銃という面白い武器が来たことに対して、異常なまでの好奇心の目で見たということだろうと思う。そして、この時に日本で複製され、改造され、さらには、当時のヨーロッパ全土の銃の数より多くの鉄炮が日本国内に存在するようになったのである。
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(「火縄銃  短筒 藍屋与三衛門作」より)

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(「堺鉄砲 火縄銃 摂州住榎並伊兵衛作 山本刃剣蔵」より)

慶長大火縄銃(3m)
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徳川家康の大砲
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(「大仙公園」より)

これが結局、将来の日本の近代化、明治維新につながって行くのだが、一般には、日本人が明治維新を起せた原動力は、識字率の高さ、寺子屋制度、武士制度、天下太平の江戸時代の文化、などがその原因とされている。しかしながら、私個人の印象では、日本には、古来から日本刀に代表される鉄の技術があったこと、そしてそれがポルトガル人ピントによる鉄炮伝来による鉄炮技術ができたこと、こういう鉄炮と刀の技術が、日本の近代化を実現する原動力となったことはまずまちがいないだろうと見る。今でいう科学技術の力が、江戸時代までに日本には潜在的に備わっていたのである。

そしてそれが、西洋近代化の時代に、いわゆる「和魂洋才」として、日本刀と鉄炮からさらに、商船、戦艦、軍艦、零戦、そして戦艦大和などにつながって行ったのである。

さて、再びピントに戻ると、ピントの商売の仕方は、いまもって猶太人商人の典型を物語っているようにみえる。ロイヤル・ダッチ・シェルのサミュエル、現在のジョージ・ソロスなどのユダヤ人商売人、ユダヤ人富豪のやり方である。まあ、簡単にいえば、人の土地に出向いて行って、その地にいるひとのことなどまったく構わず、どんどん自分のものにして、儲けてしまう。そうやっても何とも思わないという、奇妙な精神である。

長くなったので、こういったことについては、またいずれ。
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  by Kikidoblog | 2012-05-12 13:44 | 真の歴史

トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」:「ユダヤ製国家日本、日本製国家イスラエル」の方が良かったか!?

みなさん、こんにちは。

最近、古本屋ブックオフで偶然見つけた本に、以下のものがある。
ユダヤ製国家日本
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これをこのところ読んでいるのだが、実に面白い。我々日本人にとって「西洋は謎である」から、その謎の起源の一部、それも主要な一部分をなしているユダヤ人のことは実に興味深いのである。

この本は、元日本在住のユダヤ人ラビで、現在NY在住のM・トケイヤー

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の本であるが、西洋のユダヤ人である特権と言えば、やはり我々日本人と違って、西洋のユダヤ人社会のコネクションとその語学力、言語力である。したがって、惑星ニビルのゼカリア・シッチン博士同様に、さまざまな言語を話したり、読み書きできる能力には無視できないところがあるわけである。なぜなら、この力によって我々には理解できない情報を手に入れられるからである。

そもそもなぜトケイヤーが日本人に興味を持ったかというのはすでに有名だから説明するまでもないが、昔はとんでもない説、まゆつばもの扱いされた仮説であった、「日猶同祖論」が、今では遺伝子研究によってもある程度真実であることが分かっている。アイデルバーグの研究でわかったように、日本語のカタカナと古代ヘブライ語の文字がほとんど同じであるとか、数千語の共通の単語が日本語の、いわゆる大和言葉に含まれている。今ではこういった証拠は探せばきりがないほど出て来るのである。

むしろ、問題となるのは、猶が先か、日が先かくらいのものである。なぜなら日本には西洋人の歴史の12000年よりはるかに昔からの遺跡や遺物が出るが、西洋ではそれ以前のものではネアンデルタール人のものくらいしかないようだからである。それゆえ、人によっては、日本のムー帝国(アトランティスの一つと見る人もいるようだが)の文明がエジプトに伝わり、それがバビロニアを経て西洋の歴史につながったと考える人まで出て来ているからである。

さて、トケイヤーのこの本は、非常に常識的な、いわゆる表の価値観で書かれたものである。陰謀史観や陰謀論の見方は一切含まれていない。メーソンも悪魔主義も出て来ない。

したがって、日露戦争の時に日本に多額の資金援助を行った、ヤコブ・ヘンリー・シフ

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は敬虔なユダヤ教徒として説明され、ジョン・D・ロックフェラー

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は、WASPの人種差別主義者でユダヤ人差別をするほうだったと説明されている。(もちろん、陰謀史観では、これらは表面的なことで、実際には裏でお仲間だというふうに考えられている。3つの世界戦争を起して、世界帝国を作るという野望の最初が、日露戦争であり、それから第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして第三次世界大戦に続くという、シナリオ、今ではアングロサクソン・ミッションとして知られるストーリーの最中にあると考えられているのである。)

この本の最初に非常に興味深いことは、マッカーサー連合軍の「東京裁判」でA級戦犯として絞首刑にされた東條英機

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は、実際にはユダヤ人社会全体が叙勲し、イスラエルの地に銅像でも建てたいというほどに、ユダヤ人差別に抗した「人道主義者」であったという事実をきちんと指摘している点である。東條英樹はナチスを嫌っていたのである。独伊は白人連合軍だったかもしれないが、日本は直接的なお仲間ではなかったのである。今もそうだが、欧米支配者がかってに「悪の枢軸国の日独伊」というような言い方をして一緒にしただけだったというわけである。日本は第一次世界大戦以前よりずっと前の明治維新の頃から「人道主義」、「人種差別撤廃」を欧米諸国に飲ませようと努力して来たのである。そういう真実の歴史をこのトケイヤーが語っているところである。もちろん、我々日本人の方がそういう事実をまったく知らされずにきたわけである。

それゆえ、日本統治下の国々は、中国であろうが、韓国朝鮮であろうが、基本的には人道主義を主張し尊んできたわけである。トケイヤーがいうには、日本の差別の無さは、当時傑出していて、欧米諸国など比ではないと言っている。その伝統は、おそらく明治維新よりずっと前の江戸時代にできたもので、商人であろうが、武士であろうが、実質的にはほとんど差別がない社会になっていた、その伝統であるとトケイヤーはいう。

そして、何よりもトケイヤーが憤慨するのは、我々日本人が、杉浦千畝

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の「命のビザ」の神話にばかり目を向けて、杉浦のような下っ端官僚の美談に惑わされ、日本という国自体が人道主義の国であり、天皇家から官僚からすべての日本人が、基本的に差別撤廃の人道主義の時代であったという事実を忘れているということなのである。(どうやら、この杉浦千畝の美談もかなり創作が混じっていて、日本の軍人を悪く見立てようという恣意的な意図があるようである。日本軍と官憲=悪、下級文民=善、という単純な図式だったようだ。杉浦が政府からマークされたのは、ロシア人夫人がいたことから、注意を払わざるを得なかったというのが現実であって、杉浦を差別したということではなさそうである。この辺はもっと詳細な研究が必要だろう。いずれにしても、当時杉浦だけがユダヤ人の脱出に協力したというのは真っ赤なウソであったようである。)

その代表格が、東條英機首相であり、安江仙弘大佐

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であり、樋口季一郎大佐

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であったという。彼らはユダヤ人差別をせず、日本という国をあげてユダヤ人迫害に抗して、脱出のために手助けしたというのであり、その事実のために安江仙弘大佐と樋口季一郎大佐の名前は、イスラエルに記念されているというのである。この歴史的流れの中で、杉浦千畝の美談が語られるべきであるというのが、トケイヤーの主張である。

要するに、日本軍は政治上の成り行きでナチスと同盟を結んだが、白人至上主義のナチスを心底嫌っていたというわけである。なぜなら日本はこの地球上で人種差別撤廃のために太平洋戦争を起したからである。

しかし、方や連合軍のダグラス・マッカ−サー元帥

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はきっての人種差別主義者の白人至上主義者だったとトケイヤーは言っている。

さて、日露戦争(「坂の上の雲」には出て来ないが)に巨額の資金を提供したヤコブ・シフは、その功績を讃えられて、日本に招待され明治天皇

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と会見したという。この事実はつい最近まであまり知られていなかったのは、その時の旅行を手記にまとめていたらしいが、それを遺族が未公開にしていたためらしい。それをシフの子孫にトケイヤーがはじめて読む許可を与えられて現物を読んだというのである。この部分は実に興味深い。ぜひ読むことをお勧めする。

この日本訪問の後、シフは日本統治下の韓国にも招待され、当時の疲弊していた韓国を日本がいかに立て直そうとしたかを見てこういったと書かれている。

男たちは裾が長い白衣に、頭の天辺に奇妙な帽子をかぶっている。女性たちは衣で頭からすっぽり覆って歩くので、顔がわからない。

この国には、法律があっても法がない。金さえ払えば、何でもできるというが、日本はこの混乱して腐敗しきった社会を建て直す、困難な仕事に取り組んでいる。


さて、もう1つのストーリーで興味深いのは、いまでいう「ロイヤル・ダッチ・シェル」の創始者であった、マーカス・サミュエル

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である。当時の5ポンド、今の5万円程度のお金を持ってはるばる日本へやってきて、湘南の海岸で貝殻を集め、それを日本人の職人さんに宝石箱や小物入れを作ってもらい、それをイギリスの父親に送り、父親はそれをイギリス人に売って、大儲けした。そして、それがサミュエル商会になり、後々インドネシアで石油を当て、はじめて「タンカー」を発明し、ロックフェラーに対抗する「石油の王様」となった。こうしてイギリスでは差別されて孤独であったユダヤ人少年が日本をベースに大富豪となるという、ジューウィッシュ・ドリームの体現者となったという。

こうしてアジア全体をまたに掛けて大富豪となった、マーカス・サミュエルは、「どうして、それほどまでに、日本が好きなのか?」と聞かれて、こう言っていたという。
中国人には裏表があるが、日本人は正直だ。日本は安定しているが、中国は腐り切っている。日本人は約束を、必ず守る。中国人はいつも変節を繰り返している。したがって日本には未来があるが、中国にはない。

(これを見れば、当時からいまも日本人は全く変わっていない。しかし、日本政府や日本の司法が、裏表があり、変節はなはだしく、腐敗し切っているのは、在日系が巣食ったことに起因するというのは、明白だろうヨ。遺伝子の問題だな。日本人は差別しないが、彼らはする。困ったことですナ。)

とまあ、こんなふうな話が満載の本である。後半は、日本の武士道に影響を受けた、青い目のサムライが、イスラエルを建国したという話である。(ついでに書いておくと、核爆弾で311や福島第一原発崩壊を起したイスラエルのモサドやネタニヤフは、日本人に対する恩義をお忘れのようですナ。)

いずれにせよ、「ユダヤ製国家日本」というタイトルよりは「ユダヤ製国家日本、日本製国家イスラエル」の方が良かったのではないかと私は感じる。2006年発行の本である。続きはまたいつか。
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  by KiKidoblog | 2012-05-10 11:34 | 真の歴史

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