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「真の教育、研究水準の向上につながる大学改革とは」:玉井氏と藤城氏の対談より

みなさん、こんにちは。

さて、日本政府の「必殺仕置き人」による「仕分け」がほぼ終了したようである。その際、我々のように直接その利権に絡んでいないものはともかく、利権構造にどっぷり浸っている人々は、悲喜ともどもある感慨を持った事だろうと思う。

ところで、昨日紹介した記事の中で、私個人の観点に非常に近いものを財務官僚の藤城氏の意見に見たので、その中で特に面白いと私が思う部分だけ、玉井氏とのやり取りの中から取り出しておこう。ちょっと長いがだいたい以下の部分。ぜひ自分で読んで考えてみるべきだろう。いずれにせよ、財務官僚は”本気”だということははっきりと分かるだろう。

●財務官僚から大学の研究者への真摯な意見
第7回「真の教育、研究水準の向上につながる大学改革とは」

●運営費交付金について
『玉井克哉 (RIETIファカルティフェロー/東京大学先端科学技術研究センター教授):
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まず、運営費交付金は、国立大学に合わせて1兆2000億ぐらい投入されていますが、大学の現場にいると、もっと資金がほしいという声が強いわけです。一見足りていそうなところでも、これ以上必要ないとはなかなか言わないという習性があります。もちろん、実際に資金に困っているところもあります。そのような立場から見れば、財政当局は、めったやたらに財布の紐を締めることばかり考えている、けしからんという声も強いわけです。そこで、そのあたりを踏まえて、まずは、全体の大枠、概略的なことから現在の財政情勢についてお伺いしたいと思います。

藤城 眞 (財務省 主税局 税制第三課長/前財務省主計局主計官 (文部科学担当)):
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財務省は、とかく予算を切ることを主眼にしていると思われていますが、金を切っても施策が駄目になってしまっては意味がありません。教育をよくすることは、誰が見ても疑いのない目標です。ただし、教育に投じられる資金が、適切に、効率的・効果的に使われているのか、このことを問うことが大切です。

『藤城:
総枠を増やすことについては、一部の先生方から、とにかく教育予算をGDPの5%まで拡大してほしいという類の主張が出ていました。しかし、重々申し上げていますが、児童生徒1人当たりで見ると、日本は他の主要先進国と較べて遜色ない規模の教育予算をかけているのです。日本のマクロの教育予算のGDP比が3.5%で低いといわれますが、それは少子化のなかで、総人口に占める子供の割合が他の諸国よりも少ないからです。実際、わが国の子供の割合は、OECDの平均値の0.7倍です。このため、マクロのGDP比も、5%の0.7倍である3.5%になっているというのが事実なのです。

1人当たり教育予算は、どこの国もドングリの背比べでそれほど違いがないのですが、そうしたなかで、仮に日本の教育予算のGDP比を3.5%から5%に引き上げると、1人当たりの教育予算は他の国々の1.4倍になります。しかし、日本だけが他の国々の1.4倍まで突出しなければならない理由は何なのでしょう? このことを論理的に説明してくれた人は、1人もいません。また、教育予算は、8割が人件費です。子供が大きく減り続ける中で、教育組織を4割増しにするのでしょうか。そもそも「予算を増やして何に使うのですか?」と聞いても、具体的な増額内容も、積算もはっきりしないのが実態です。

結局、予算を増やしたいという思いや、教育は重要だといった精神論ばかりが前面に出てきますが、これで増額を認めていたら、日本の財政は爆発してしまいます。結局、この議論で欠けているのは、予算を増やすには財源が必要になるというシンプルな事実です。よく気楽に、「よそから予算を持ってくればいい」と言われますが、そうであれば、「何を削るのか」、「歳出のなかの優先順位をどう考えるのか」という議論になります。「道路を削ればいい」と言う方がいますが、それであれば、国民的な理解を得ることが必要です。ただ、そもそも教育予算のGDP比を5%にするには、7兆円!を超えるお金が必要です。でも、7兆円の予算を捻出するには、公共事業をゼロにしても足りません。

●大学の機能別分化について
『藤城:
そうです。二期が終了した段階で、先ほど話したようなことが完璧にクリアされているなら、それに越したことはありません。ただし、やはりある程度のペースというものも必要と思います。最近もある大学の学長と話をしたのですが、「この4年でかなり改革をやってきました」という話でしたが、おそらく4年という時間は、それなりに短い時間なのでしょう。しかし、一期で6年間、二期で12年間。12年間かけて改革していくというのでは、悠長でしょう。民間企業なら、12年間かけて問題を改善していては、潰れてしまいます。それなりにドラスティックなこともしなければなりませんが、そういうプレッシャーは大学にかかっているのでしょうか。

運営費交付金の1%削減がプレッシャーになっているのかもしれませんが、若干の疑問も感じています。「1%削減がいかに大変か」、「削減の結果、末端の研究資金が大きく削られている」などと関係者はしきりに訴えますが、なぜ、マイナス1%で末端がそれほど削られなければならないのか。「効率化」のメカニズムを各大学によく分析していただきたいと思います。その上で、第二期においては、いままでの一律削減ではなく、教育や研究のメリットを具体的に評価しながら、それに合わせてお金を配っていくことを始めなければなりません。具体的に研究に関しては、その相対的な位置づけを分野別に判断し、研究力の高いところにお金を集中して、研究力の低いところでは、お金は徐々に削減していくということです。

教育に関しては、必ずしも教育の水準は明らかではないかもしれませんが、大学ごとに、具体的に、こういう人材をこのように育成していきたいという目標を明確にして、それにどの程度合致した教育ができたかを事後評価しながらお金を配るなどということも考えられます。』

●評価について
『玉井:
その話でいえば、具体的になりますが、たとえば次の中期計画6年間のあいだに、この人はどういうことをやっているのか、あるいは、この学科は全体としてどういうことをやっているのか、その中で、人件費を含めてこれだけ国費が投入されているけれども、こういうことだからそれに見合うだけのものがあるのだということを説明してかかれ、ということになるのでしょうか。

藤城:
個々人とまで言いませんが、やはり学部なり、学科なりが、どういうことを目指しているのかは、少なくとも説明してもらう必要があると思います。そもそも研究力も弱く、教育目標もしっかりしていない、そういうところに漫然とお金を突っ込むことは限界です。それを黙認するのであれば、第一期と変わりません。評価もせずに、運営費交付金を薄切り1%で削減し、あとは大学内で配分するだけになります。しかし、それで全員共倒れというのであれば、やはり、中での相対的な重要性を評価しなければならなくなります。適切な優先順位を設け、それが低いところは別の生き方を考えてもらい、浮いた予算を、今度は優先順位の高いところに回していくことをやらなければならないと思います。

●大学のガバナンスの問題点
『玉井:
いまの話は、個々の大学のガバナンスのあり方にも反映されると思います。さまざまなところで指摘されるのは、教授たちが投票して、得票数の多い人が学長になり、その人が理事長として経営のトップにもなるという仕組みで本当に大学はやっていけるのか、ということです。どれほどの名医であっても、自分の身体を切って病巣を摘出するということはできないでしょう。そういう場合は必ず他人に頼むということになります。したがって、外部の人が経営者として入る、それに対して学問的に説明責任を果たす人というのはまた別にいる、その代表が学長だといえます。たとえば私立大学の場合、理事長職と学長職は分かれているところが多いでしょう。ところが、国立大学では学長即ち理事長ということになっている。

学長と理事長を分離する体制がすべての国立大学に一律に必要かどうかは別にして、少なくとも、理事長即学長という仕組みをすべてに当てはめるべきではない。体制の自由度というようなものも必要なのではないか、そういう議論もあると思います。

藤城:
全く同感です。よく企業と大学は違うと言われますが、組織論的に見れば、企業と大学は、基本的なあり方で、それほど変わらないところも多いと思います。 従業員の投票で社長を決める会社がこの世にないように、当然、社長は株主なり、その組織のステークホルダーに対する責任を経営者として負っているわけです。国立大学であれば、寄託者は国(納税者)かもしれませんので(私立大学であれば、大学の創設者、あるいは寄贈した人かもしれませんが)、彼らを向いて仕事をする必要があります。ところが、従業員が選んだ社長となれば、はたして株主を見て仕事をするかどうか。もちろん、株主しか見ていないのも弊害があるかもしれませんから、これは相対的な問題ですが、少なくとも現状は、トップが従業員を気にするようなバイアスがかかる恐れのある組織になっていると思います。立派な経営を行っている学長もいらっしゃいますが、システムとして、常にそのようであるのかどうか。外部評議員も入れていますが、では、どの程度、彼らの意見は反映されているのか。

したがって、理事長と学長が、それぞれの責任範囲を明確にするという意味でも、両者を分離するのは1つの考え方です。それが仮に難しければ、学長が、従業員のみならず、株主たる国民を見て運営を行うというバランスを担保する仕組みが必要です。特に、そのことは、トップが大学自体のあり方を変える改革を求められる場合に、重要となるでしょう。』

『藤城:
給料を半分というような極端な話をすると、皆抵抗しますが、退職不補充や現給で昇給停止、他大学の学科との併任とか、工夫はあると思うのです。民間では、さまざまな工夫をして、厳しい状況を抜け出そうとしています。大学もそれぐらいの覚悟が求められています。「それでは、30年かけてやります」などと言うわけにはいきません。「大学を世界トップ水準にしたい」という話の一方で、リストラは30年かけてと言うのでしょうか。本当にやりたいと思ったらやる、やる権限がないのなら、権限を付与する制度改革を行うと、次はそういう話になるでしょう。

玉井:
標語的に言えば、5年で世界トップ水準にしたい、しかしリストラは30年かかってやりたい、だから5年間で予算を倍にしてほしい、そういう話は通用しないということでしょうね。

●国立大学法人化の問題点
『玉井:
それから、教育と研究とを、機能的に分けるということになれば、ある教員が終身雇用で定年までそこの大学にいるとすると、機能的に少しずれが生じてくるのではないでしょうか。
私自身のことを考えても、研究能力が高い時期とそうではない時期というのは当然あると思います。研究能力が落ちたあとでも教育者としてはやっていけるかもしれない、むしろ練度が増すだけ教育者としてのスキルは上がるかもしれない、しかし第一線で死ぬまで世界一の研究者としてやっていくというのは、本当にアインシュタインのような人だけでしょう。とすると、世界最先端の研究をやる組織だということであれば、逆に人材の流動性というものがあるのが当然でしょう。ところがかれこれ30年ぐらい所属している人がたくさんいるというのは、そもそもそれだけで説明責任を果たせないのではないかという考えもあると思うのですが、如何でしょうか。

藤城:
財審の資料にも、はっきり教育と研究の接続において、柔軟な組織、学生と教官の円滑な大学間移動が大事だということを書きました。その心は、たとえば一旦自分は教育を中心にやろうと思って入ったけれど、やっているうちに研究をしたくなってきた学生もいるだろうし、あるいは研究でやって来たけれども、やっぱり後進の教育を中心におきたいという先生もいると思います。ポイント・オブ・ノー・リターンはないわけで、方向転換しようと思ったときに変えられる、自分の生き方なり自分の目指す方向をチョイスできるように、できる限り自由であるべきだと考えたのです。

教育系が中心の大学だとか、研究が中心の大学だといって、いったん入ったものの、そうではないところに行きたい学生たちには、いつでも転学できるような構造が大事だと思います。もちろん、大学に入ってから東大へ移りたくなったから、必ず行かせてくれというわけにはいかないわけで、試験などを受けて転学するということだとは思いますが(笑)。教員側でも、同じです。』

●評価の問題点
『玉井:
いい加減な評価で皆が疲れ、しかも結果が現状維持になるというのは、最悪ですね。

藤城:
そうなると今の一律削減と同じになるから、本当の意味で皆さんはオールジャパンの研究水準を上げたいと思っているのですか? 自分の大学を、向上心をもって高めたいと思っているのですか? という質問に戻ってしまうわけです。 では、こうした目標はどのようにクリアできるのでしょう。みなさん自由にやって、その中からポコンと急にノーベル賞が出てくるのであれば、「よかったですね、出るか出ないかはサイコロ振るようなものだから」と、それでいいなら、それだけの話です。』

『玉井:
財務省、あるいは文部科学省も含めて、霞ヶ関の方々は学問のことを知らないから駄目だということを大学人はよく言うわけですが、それなら自分でいいやり方を考えて、代案として何か出したらどうか、ということですか。

藤城:代案を出していただきたいです。それから霞ヶ関は、学問の深いところや大学のしきたりには疎いかもしれませんが、大学の成果なり教育をよくするための人間行動、学部間で意見の違う人たちをどのようにして調整するかというテクニックなどは、むしろよくわかっているかもしれません。 往々にして、議論がレッテル張りに堕してしまって、「役人だから」とか、「知らないくせに」とか言われますが、何の解決にもなりません。大学のことは大学人が一番わかっているのであれば、その学問の奥義に基づいて、どういうメカニズムが大学に必要なのかを提案してくれればいいわけです。

とにかくお金を増やしてくれ、根拠は不明確だが予算も倍だというのであれば、われわれは言葉もありません。改革に手をつけず、いまあるものを倍にしろと言っているだけに聞こえます。私は聞きたいのです。予算を倍にして、具体的に何をしたいのですか? 大学の教員数を増やすのか? 給料や研究費を増やすのか? それで高等教育がよくなるのですか? 給料を増やしたり、人数を増やしてよくなるのであれば、それほど簡単なことはない。しかし、生物学的に考えても、いまの倍にすればよくなるなどということは、単純には分からないことでしょう。』

『玉井:
それで、大学が変革を果たし、大きく枠組みを変えてみたところ、いまの資金配分のままでも大いに効果があがったということでれば、それならもうちょっと増やせばさらに効果がありそうだ、だったら道路特定財源が浮いた分を1000億円くらい回してもいいかな、ということはあり得るでしょうか。

藤城:
他を削減してでも、資源を追加投入することの効果が見えるなら、議論の俎上にのぼるでしょう。つまり、現状を変えてアウトプット効率が良くなるとして、もう少し増やせば、ここまでできるということが説明できればということなのです。その結果、外部性が高まったり、新産業があちこちで起こってくるとなれば、もっと投資したほうがいいとなるでしょう。いまは、まさに、ベネフィットが判然としないままに、とにかくコストだけ倍にしてくれという要求になっています。そして、「なぜ?」と問えば、「人材立国だから」とか、「教育立国だから」とか、抽象論で、言葉だけ踊っています。よく意味が分かりません。結局埒があかないので、「それでは、大学を国民はどう評価しているのか」という最初の質問に戻るわけです。大学というと、みな敬意は表しますが、「それでは、大学のために消費税を1%(=2.5兆円)上げてください」と言われれば、おそらく困惑するのではないでしょうか。』
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  by Kikidoblog | 2009-11-30 12:10 | 真の歴史

日本の科学技術にも「政権交代」が必要!

みなさん、こんにちは。

いやはや、
「ノーベル賞学者の反論」への反論:脳天気さにもほどがある!
民主党の「必殺仕置き人」、科学予算に切り込む!どんどん切り刻め!
などで紹介したようなお話が、今や日本全国、いや全世界の注目の的になってきているようである。まあ、私にはどうでも良い話なのだが、一応歴史的事実として(つまり、そういう時代を生き抜いている人間の生き証人として)、好対照な記事を以下にいくつか取り上げておこう。


●高野解説
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スパコンで"世界一"になるとはどういうことか? ── 現行の「京速計算機」開発事業は見直して当然

”「自分、乃至は、自分の属する組織が、税金を無駄に使い、世界の第2位から瞬く間に第6位などという体たらくな状況に転落させてしまっておきながら、この転落の原因には目をつぶって、次世代スパコンの見直しは『我が国の科学技術の進歩を阻害し、国益を大きく損なう』などというのは、それこそ『臍で茶が沸く』ほど可笑しないいがかりなのである。いいかえると、そもそも既に『あなた方』によって『我が国の科学技術の進歩は阻害され、国益を大きく損ねてしまっている』のである」”

●頭を使えば3800万円で世界一になれるという例
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<スパコン>長崎大の浜田助教、3800万円で日本一の速度達成 安くても作れ、事業仕分けにも一石?

”浜田助教らは「スパコンは高額をかけて構築するのが主流。全く逆の発想で挑戦しよう」と、ゲーム機などに使われ、秋葉原の電気街でも売られている、コンピューターグラフィックス向け中央演算処理装置(GPU)を組み合わせたスパコン製作に挑戦した。

「何度もあきらめかけた」というが、3年かけてGPU380基を並列に作動させることに成功。メーカーからの購入分だけでは足りず、実際に秋葉原でGPUを調達した。開発費は約3800万円。一般的には10億~100億円ほどかかるというから、破格の安さだ。そしてこのスパコンで、毎秒158兆回の計算ができる「演算速度日本一」を達成した。

26日の記者会見で事業仕分けについて問われた浜田助教は「計算機資源は科学技術の生命線。スパコンをたくさん持っているかどうかは国力にもつながる」と指摘。一方「高額をかける現在のやり方がいいとは言えない。このスパコンなら、同じ金額で10~100倍の計算機資源を得られる」と胸を張った。”

●現場の若手研究者、宮川剛氏による証言
ムダを減らすことはできないだろうか

"・単年度予算の制度が巨額のムダを生む
・輸入する場合、日本では間で輸入業者さんが高額のマージンを取る
・お古になった高額機器を全国レベルでオークションにかけるべき
・高額機器・高額設備は、できるだけ共同使用するべき
・機関間の共同利用・共同研究を行いやすくするシステム・制度を拡充するべき
・各種の研究費の申請書・報告書に記載する情報には重複する部分・内容がたいへん多い一方で、それぞれの書類のフォーマットが大幅に異なっていることがムダ
・研究費の報告書は、大幅削減か廃止すべき
・研究費の種目について、たくさん申請書・報告書を書かなければならずムダ
・「出来レース」の研究費の公募は廃止すべき
・大学図書館で紙媒体の雑誌を購読するのはできるだけやめる"

●財務官僚から大学の研究者への真摯な意見
第7回「真の教育、研究水準の向上につながる大学改革とは」

”藤城:
他を削減してでも、資源を追加投入することの効果が見えるなら、議論の俎上にのぼるでしょう。つまり、現状を変えてアウトプット効率が良くなるとして、もう少し増やせば、ここまでできるということが説明できればということなのです。その結果、外部性が高まったり、新産業があちこちで起こってくるとなれば、もっと投資したほうがいいとなるでしょう。いまは、まさに、ベネフィットが判然としないままに、とにかくコストだけ倍にしてくれという要求になっています。そして、「なぜ?」と問えば、「人材立国だから」とか、「教育立国だから」とか、抽象論で、言葉だけ踊っています。よく意味が分かりません。結局埒があかないので、「それでは、大学を国民はどう評価しているのか」という最初の質問に戻るわけです。大学というと、みな敬意は表しますが、「それでは、大学のために消費税を1%(=2.5兆円)上げてください」と言われれば、おそらく困惑するのではないでしょうか。”

●イギリスのネーチャーの干渉
Democratic fallacy

”Perhaps, as one researcher described it, this is "a bad dream" and scientists will wake up in January to find that the government gave the recommendations due consideration before moving forwards. Perhaps, as the process settles into place in the years ahead, researchers will come to see it as an acceptable and surmountable challenge to justify their studies. But, as currently posed, the recommendations risk being the final word in a decision-making process that could have disastrous repercussions for decades to come.”

−−−−−−−−−
(あ)おそらく「高野解説」がもっとも適切な解説である。主張も明確で全く正しい。「『臍で茶が沸く』ほど可笑しないいがかり」という表現はまさにその通りである。だいたいあそこにいたノーベル賞学者の誰一人スパコンを使っている人はいない。理論家は数学者の森重文さんと理論物理学者の小林さんだけ、小林博士は数値計算はしない、「紙と鉛筆だけ」という古典的理論物理学者である。他はみな実験家である。こんな人々にスパコンのことは議論しようがない。

(い)浜田助教の「3800万円スパコン」は実にすばらしい。CPU(中央演算素子)ではなく、GPU(グラフィック演算素子)使ったところがみそ。最近では、PPU(物理計算演算素子)なるものまである。

CPUは一般のプログラムのための演算素子だが、GPUはグラフィックのような大量データを処理する専門用として誕生した演算素子。昔のパソコンにはこのGPUの乗ったグラフィックボードがなかったために、指令とグラフ処理の両方を同じ1つのCPUで処理するために時間がかかった。が、しかし最近のパソコンにはこのグラフィックボードがあるために、普通の指令はCPU、グラフィックはGPUで別々に行う事ができるようになった。だからパソコンが非常にはやく動き、画像もリアルタイムで見る事ができるようになったわけだ。

さらに最近では、3Dゲームオタクが使用する特別のPPUというものまであり、これを使うと、アバターの動きを実際の物理法則に従わせるように計算できるというものである。これにより、アニメのアバターの髪の毛の1本1本のリアルな動きまで計算できるというのである。3Dゲームマニアは、1台のパソコンに8CPU、1GPU、1PPUを搭載している、俗にいう「ゲームパソコン」なるものを所有しているのである。これでもせいぜい30万円くらいのものだ。ちなみにこれは相当に発熱し、冬でも暖房入らずというすぐれもの。夏はたいへんだろうが。こういうアキバ系のオタク文化を知らないと、実際にはどこまで半導体技術が進歩しているか分からないだろう。

おそらく、PPUまで使えば、浜田助教の「3800万円スパコン」よりもっとすぐれたものまで生み出せるのではないだろうか。そんな気がする。

(う)宮川剛氏の提言は非常に価値が高い。私が20数年前に見たときも、国立の電総研(現産総研)の廊下には当時で1億もする装置が使用されずにお払い箱になっていたものである。そんなものはごろごろ転がっていた。研究装置というものは「すぐに古くなる」ものであるからだ。我々一般人は自分のパソコンや電化製品が多少古くなろうが、本当に使えなくなるまで結構しぶとく使うものである。そうしないと、お金がかかるからである。ところが、国立大学や国立研究所の職員は、そうではない。むしろ、どんどん廃棄して、毎年毎年新製品に替えるのだ。

だから、各組織にはびこった、お抱え業者が大喜びするのである。比較的最近理研で1職員と業者(秋葉産業)の間で不祥事があったように、職員と納入業者の間の「もちつもたれつ」の関係は、その昔の政治家とゼネコンの関係とまったく同じなのである。若干規模が違うのが特徴だったが、今や科学技術予算が膨大となったために、まったく同じようなものとなったのである。しかし、こんなことは一般の国民はまったく知らない事なのだ。

研究室に並んだ高額装置のうち、使われるのはいつも最先端のものだけ、ほかの9割は店晒し。まあ、そんな風景はどこの大学でもどこの研究所でもよく見る風景なのである。これは、スパコンとて例外ではない! 最初のスパコンが世界一でなくなり、もう一台新しいスパコンが手に入れば、最初のスパコンはお払い箱になってしまうのである。使う人もいなくなる。一瞬にして数百億年がパーとなる。

ところが、私が2、3年前ネットワーク理論の研究において、我々のパソコンではせいぜい100個から1000個の・の間のネットワークしか計算できないために、10000個以上の・のネットワークの計算のためにどうしてもスパコン計算が必要になったことがあった。そこで我々民間人でもただで計算させてくれるスパコンはないか、といろいろ探して聞いてみたが、すべて「職員でないとだめ」ということでむげに断られた。あるいは、100万円くらいお金を出せという始末である。

どこが「スパコンがないと科学技術が滅ぶ」だよ。「日本の科学技術を殺しているのはてめーらじゃねーか!」と私は言いたい!! ちなみに、こうして我々が非常に苦労して公表したネットワーク理論の論文は、その筋ではかなり引用されるようになっている。いらなくなった「世界31位」のスパコンを廃棄処分するのであれば、「俺にただでくれ!」と私は言いたいのだが、現実はそうは問屋がおろさない。単にむだに廃棄処分されるだけである。不必要になったパソコンの数々ですら、内部情報があるとか、データ処理がどうのこうのとで、結局業者に引き取らせるか、廃棄処分である。いやはや、何たる税金の無駄か! 腹が立ってくるのでこれ以上はやめるが、こういう感じで、さまざまな問題が「科学技術分野」には潜んでいるのである。

多くの普通の日本人は知らないが(だから私はいくつか本に書いたわけだが)、日本の研究者、あるいは日本の大学人は、その昔の「国鉄職員」や「国鉄の組合員」と非常に似ている。「親方日の丸」で自分たちは表舞台に露には出ないで、表には官僚を押し立て、その背後で画策するのである。今回の「必殺仕分け人」、「必殺仕置き人」によって、初めて日本の大学や研究所に存在する日本人の思考様式や行動様式が、初めて国民の目にさらされたのである。私の個人的観察や個人的経験からして、日本の大学人や研究所職員の人々というのは「国鉄職員」の何倍もたちが悪いのである。知識や教育があるだけさらにたちが悪くなるのである。まあ、そういう人々が日本の若者たちを指導してきたのである。いくらお金をかけても世界一になれるはずがなかろう。

(え)財務官僚の藤城氏の意見は非常に明解である。こういう人が本来なら大学に残るべきだろうが、こういう頭脳明晰な日本人は(大学の先生に嫌がられるため)大方別の場所にそうそうと逃げてしまうのである。ここで議論されているような話題は、今から10数年前、国立研究所が独立行政法人化した7年前(2002年)、そして大学が大学法人化した5年前(2004年)にもこの世界では議論があったのである。もっとも大半の日本人はお忘れだろう。問題は、その都度同じような事を話題にして議論するがそのうちうやむやになって忘れ去られるということである。私の「何が科学をつぶすのか?」というのはその頃のものである。だから、「仕分け作業」が終わり、特に何もなければまたすぐに忘れ去られるのだろう。

(お)最後のNatureの記事は、まあ無視していいだろう。イギリス外交の基本ないしは「鉄則」とは、「だれとでも握手する」というものらしい。しかし、これには注釈がつく。「(いつかそいつを滅ぼしたいのだが、その相手が自分より強い今のうちは)だれとでも握手する」というものである。一方、同じような、俗にいう「八方美人外交」、「シャンペン外交」の日本の場合も、「だれとでも握手する」。しかし我々の場合は、「だれとでも(握手しておかないとやられてしまうので、いざという時に助けてもらうために)握手する」という注釈がつく。

だから、イギリス人の場合、記事や文章で「我々のためになること」や「いい事」を言ってくれたからといって、それを文字通りに理解してはならないし、またその必要もない。なぜなら「日本の味方をするにはそれなりの計算というものがかならずある」からである。これが「イギリス外交」である。言い換えれば、今日本が仕分け作業し、無駄を省かれるとネーチャーが困る事、イギリスの科学界が困る事があるためにそういっているというだけに過ぎないかもしれないからである。彼らが心底日本人のことを考えてくれて本当のことをいうなんてことがあるはずないじゃないか! もしそうなら、なぜイギリスのグラクソ・スミスクライン社の新型インフルエンザワクチンには「不妊作用がある免疫補助剤」が満載されているのだろう? 

ユダヤ人の別名(姉妹国家)である、イギリス人が、彼らが東洋人は早く滅んで欲しいと思っているその日本人のために、その日本の科学に対して本当のことを言うはずがないではないか。もちろん、個人レベルでは大半のイギリス人はいい人たちで、本当に日本のことも心配している人は多いだろうが、そういう人々のその上の人々はそんなふうには考えていないのである。ここのところを誤っては行けない。イギリスのエリートたちは、早く日本列島から日本人がいなくなればいいと思っていると私は見ている。まあ、そんなわけで、(ロスチャイルドの)イギリスのネーチャーの意見など、適当に聞き流せばいいだろうヨ。

いずれにせよ、今は日本の科学技術システムの中にしみ込んだあらゆる無駄を表面化させ、暴きだし、大掃除するのが一番大事なことなのである。

私自身、学校生活も長かったし、自分の子供たちの進学に合わせてさまざまな先生たちを見てきたが、日本の学校システムでは「上に行くほど先生たちの質が悪くなる」のである。つまり、一番たち悪いのが多いのは大学の先生なのである。もちろんすばらしい人も多いが、大学の中では少数派だろう。ここが欧米とは異なっている。もちろん、この際に基準にしている価値観は私個人の価値観によれば、ということである。だから普通の人はそう思っていないだろうと思う。だから、私はそういう人たち、つまり、私があまり好ましいとは思えないような研究者や大学教授がいる世界にそのままお金をつぎ込んで、命を長らえさせたとしても、それでは今の現状が維持されるだけで、また何年か後に同じ事が生じると私は見ているのである。今の大学人をいったん全部首にして、総入れ替えでもしないと、本当の解決には至らないということである。

まあ、そういうことは現実問題としては日本ではできないはずなのだから、結局はこの国の科学技術は遅かれ早かれ滅ぶ。というより、日本は科学技術が大事だといって日本に科学技術を追随させておけば、アメリカにとってのベトナム問題、ソ連にとってのアフガン問題のように、日本にとっての科学技術問題となり、ずるずると湯水のように金が必要となり、最後には破綻して日本国(の官僚制度)が崩壊する、と見ているのだろう。単に時間の問題なのである。きっとイギリスのネーチャーの真意はそんなところにあるのだろうと思うヨ。

ところで、せっかくだからちょっと付け加えておくと、本当の「スパコン」とは人間の頭脳である。私のつたない個人的研究経験ではあるが、かつて私は「スパコン計算」している研究相手に勝ったことがある。どういうことかといえば、我々が同じ問題を研究している時、相手は「スパコン」で計算して解答を得ようとしている時に、こっちは自分の頭脳からでる直感やアイデアで勝負し、こっちが勝ったということである。

ある時、ある研究者は1万個の原子のモデルをスパコン計算して電子状態の研究をしていたが、こっちは純数学の自由群というアイデアを物理に使って、無限個の原子の場合でも”原理的に”計算できる数学的スキームを開発して勝利した。また、ある問題で非常に複雑な多変数関数の級数展開の係数を求める必要が出た時に、相手がスパコンで数式処理システムを使ってダイレクトに係数を有限次数まで求めた時、私は数学における「ラグランジュの逆定理」なるあまり知られていなかった数学定理をうまく使う事で、無限次数の係数を解析的に(つまり手計算で)求める事ができ、相手に勝利した。

こんなふうに、人が科学計算のある問題でなぜスパコン計算が必要かといえば、それは我々が馬鹿で本当の理論を知らないからである。だから間違った理論で計算するからスパコンが必要となるのである。もし正しい見方や正しい理論が得られたら、スパコンなど必要なく、手計算で同じ答えを出すということも可能なのである。

もし、今の人類がニュートンの法則を知らずに惑星運動を計算するとすれば、きっとスパコン計算しているだろう。ニュートンの法則はスパコン計算などいらずに楕円運動を導くための正しい考え方を微積分学という新しい数学を発明することでできるようにしたわけである。こういうことはしばしば科学の世界で起こる。とまあ、こういうこともあるということをここにはメモしておこう。
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  by Kikidoblog | 2009-11-28 23:55 | 真の歴史

HAARPに地震波か?

みなさん、こんにちは。

久々にHAARPに非常に大きな「地震電波」らしきものが検出されている。今日のものは振幅が非常に大きい。このところ非常に長時間に渡って揺らいでいる変動であったが、その後に今度はこの巨大な地震電波である。要注意が必要だろう。

Fluxgate Magnetometer
青の垂直成分が大きく、赤黒の水平成分が小さいのが、地震電波の特徴。今回のものは、かなり大きな振幅で揺れている。
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Induction Magnetometer
一番下の周波数ゼロに近くにある「白く明るい」部分が地震電波の特徴。まあ、ピンク色に近い部分。
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HAARP VHF Riometer
下の赤い部分がVHF波における電離層の揺らぎ(擾乱)の程度を示す。今回のものは、中央下の赤い部分に非常に強い電離層の擾乱があったことを示している。
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はたしてこの地震電波はどこに来る地震のものだろうか? だいたい地震電波出現から56時間後から1、2週間後に間に地震が起こるようである。いつかどこに来るか分かるようにしたいものだ。
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  by Kikidoblog | 2009-11-27 11:33 | HAARPモニター観察

いよいよ明日オバマ大統領が重大発表するのか?

みなさん、こんにちは。

いやはや日本の大学にいる科学者の「お公家さん」ぶりを見ていると、ほんとに腹が立ってくるので話題を変えよう。

さて、いよいよ明日11月27日がやってくる。ネット上で噂のある「オバマ大統領がETや円盤技術について暴露する」という予想の行われてきた日である(UFO・宇宙人暴露vsNESARA: 過度の期待は禁物だ!)。以下の「2012アセンション」系のブログ主がずっと主張し続けてきたものである。
ふるやの森

この謎の人物のことはほとんど知られていないが、この人が基にしている欧米人は以下の、もっと謎の人々である。こういった人々の生活費を工面したり、ホームページを維持するだけでも結構お金がかかるはずである。いったいだれが彼らの活動を支援しているのだろうか?

デービッド・ウィルコック(David Wilcoc):Divine Cosmos
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マイク・クゥインジー(Mike Quinsey):THE GALACTIC FEDERATION BY MIKE QUINSEY
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(上の「ふるやの森」はこのサイトの日本語版エージェントである。)
ベス・トルットウィン(Beth Trutwin):LightWorkers
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彼らの主張というのは、11月27日(あるいは以降)にアメリカのオバマ大統領が、これまで秘密にされてきた宇宙人問題やUFOテクノロジー問題の極秘事項を暴露するために、世界中で一斉にマスメディアが放映し、人々の目にさらされることになる。その時、ほぼ同時に、世界中の「闇の権力」(われわれがビルダーバーグとか、イルミナティーとか、陰の政府とか、ワンワールド政府とか、いうグループ)が一斉逮捕され、地球上からその権力が奪われる。その時同時に、宇宙から無数の(何百万もの)UFOが飛来し、我々地球人にその姿を現す(デクローキング)。地球政府は「NESARA(ネサラ)」なる、謎の法律を施行し、これまでの悪の権力による地球支配が終わる、というような趣旨のものである。

これが起こるのが明日だというのである。もし本当にそれが起こるのなら、そんなハッピーなことはない。がしかし、今のところその兆候の陰もみじんもないというのが現実である。キッシンジャーもブレジンスキーもブッシュもブレアもサルコジも小泉純一郎もみなさん元気である。

はたして「ふるやの森」の予言通りに事が運ぶのだろうか? マイク・クゥインジーのSaLuSaは実現するのか? UFOは明日地球人にその姿を見せてくれるのか? 実に楽しみなところである。

ところで、私が一番気になるのは、こういった「アセンション系」のホームページのシンボルに数多くの「メーソン的シンボル」
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が仕込まれていることである。アシュター銀河司令部コマンドには「ダビデの星」があるし、ピラミッドやら、メーソンや悪魔主義者の象徴もある。人類が未来へ向けて霊的にアセンションするということと、古代の悪魔主義者のメーソンのシンボルはどうやれば折り合いがつくのだろうか? この辺りが私にはよくわからない。
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いずれにせよ、明日になれば分かるのだろう!?
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  by Kikidoblog | 2009-11-26 21:35 | コンスピラシー

「ノーベル賞学者の反論」への反論:脳天気さにもほどがある!

みなさん、こんにちは。

昨日行われた
「取り返しつかない」ノーベル賞受賞者が仕分け批判
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ノーベル賞・フィールズ賞受賞者 による事業仕分けに対する緊急声 明と科学技術予算をめぐる緊急討論会
というものを今日私は拝見させてもらったが、なんともいえない寂しい気分になった。これでは「本当に日本は滅ぶ」のはまず間違いないだろう。もちろん、この意味は、私が彼らノーベル賞学者たちの主張がどうのこうのというのではなく、彼らの現状認識がいかに甘っちょろいものかと思い知らされたからだ。正直、利根川のふてぶてしい顔をぶん殴ってやろうかと思ったよ! 科学政策の必要性の一般論の話とこの15年で80兆円を無駄にした責任の問題(仕分け作業はこっちを問題にしているのだ!)はまったく別次元の問題だろうが!

私は10年ほど前には江崎玲於奈さんとアメリカ物理学会100年祭の時にアトランタで会って話したことがある。そもそも1982年の「物性若手夏の学校」に江崎玲於奈さんを呼んだのは、何を隠そう、この私だ。森さんとは、私がユタ大留学中毎夏長期滞在中の森さんと一度挨拶したこともある。野依さんは私が3年過ごした理研のその後の理事長であるし、スパコンに至っては、千葉幕張にある富士通の計算科学研究センターで勤務していたので、今やスパコン開発が富士通だけとなった現状ではだいたいどんな感じかの察しはつく。

そもそも日本で大学に「計算科学研究センター」という名前でスパコン設置ブームを引き起こしたのは、この私だったのだ。1991年当時国内の民間企業に初めてスパコン計算専用の研究部門として、「計算科学部」という組織が誕生したのは、この私がユタ大から帰国し富士通に入社したからである(帰国そして就職富士通の2年間)。それが2年のうちに幕張に引っ越して「計算科学研究センター」へと昇格発展していったのだ。この機運が日本の大学に大きな衝撃を与え、大学や国立研究機関にスパコンブームを引き起こし、主要大学にはスパコンが完備されるようになった。その結果として富士通も潤ったのである。もちろん、理研に最初に設置されたスパコンも富士通製である。(もっともこの私は富士通からも大学からもどちらからも何らメリットはもらえなかったが。俺に足向けて寝るなヨ!!)

しかし、スパコン計算とはいってもベクトル型と並列型の2種類があり、ベクトル型の主流を作っていたのは富士通とNECであった。そのベクトル型での計算には独特の作法が必要で、大学の研究者がフォートランでコード(プログラム)を書いてもそのままでは動くことはない。だから、富士通のSE(システムエンジニア)がわざわざフォートランからベクトル型へ翻訳していたわけだ。私も入社直後はこの作業を社員研修させられたが、残念ながらアメリカでMacで育った私にはどうしてもUnix系のシステムが理解できず、難儀したものだ。私の当時の同僚は大半がそういうSEの仕事をこなしていたのだ。これは基本的には今も一緒だろう。これが並列型となればもっと大変な作業が必要となることは明らかだろう。

そういうわけで、今回の討論会の話題のすべてについて私は非常に良く理解できるのだが、やはり何より私が印象づけられたのは、今の日本という社会の現実認識における誤解や温度差だろう。エリート社会、エリート組織にだけ住んでいると、本当の現実というものから遠ざかり、真実が見えなくなる。ノーベル賞学者とて所詮はいっかいの人間。その例に漏れない。

特に、江崎玲於奈さんの話はひどすぎた。私はバブル全盛の1980年代日本が「基礎研究ただ乗り論」華やかなりし頃、江崎さんが「科学技術はおかしい。科学・技術だ」という話は何度も聞いたものだ。あれから30年後の今でもまったく同じ話をしたのだから、さすがに恐れ入った。だれも「江崎先生、その話は30年前に聞きましたよ」と質問しなかったのだから、日本人の健忘症も度を過ぎている。当時江崎さんはIBMワトソン研究所の職員で当時で年収1億円以上をもらっていたのである。

数学者の森重文さんは非常に純粋な意見で、私自身一番印象に残ったが、なにせ数学者こそこの世界で最もたちの悪い(よくいえば、くせのある)人種だということも国民に知らせるべきだった。その点ずるい。ノーベル賞に数学賞がない一番の理由は、アルフレッド・ノーベルに一番手ひどい仕打ちをしたのが数学者だったからだ、というジョークがあるほどである。ポール・エルドスのように「数学者にあらずば人にあらず」と公言してやぶさかでなかった大数学者も多い。もちろん、大半はユダヤ人(俗にいう、偽ユダヤ人)だが、ユダヤ人のゴイム差別の感情とあいまって、しばしばそういう言葉が数学者から出るのである。「果たしてそれが「科学の文化」なんだろうか?」と質問するものもなかった。事実、日本の数学者の大半は一般人は馬鹿だと思っているサ!

野依博士に至っては論外である。GDPで科学研究費を比較しようが意味がない。かつて、私は昔のブログに「マイケル・ハドソンの”日本はなぜ借金大国になったか?”」を取り上げたように、日本の借金はすべてアメリカを破産させずにするためであった。その額や天文学的であった。例えば、以下のもの。

表 7.日本の米国に対する資金援助と日本の国債および財政赤字( 単位:兆円 )
年度 日本の国債発行 財政赤字 米国債購入 割合 財政赤字に占める割合
     額     額     
     (a)     (b)    (c)   (c)/(a)  (c)/(b)
1965   0.2    0.5
1970   0.4    0.3    0.4    98%   131%
1975   2.0    7.7   -0.2    -11%   -3%
1980   14.3   16.9   1.0    7%    6%
1981   12.3   16.8   0.8    6%    5%
1982   10.4   17.6   -1.2   -11%   -7%
1983   13.3   18.8   0.3    2%    2%
1984   12.7   17.3   0.5    4%    3%
1985   11.7   15.6   0.1    1%    0%
1986   19.8   16.0   2.5    12%   15%
1987   10.5   12.2   4.8    46%   39%
1988   13.3   9.7    2.0    15%   20%
1989   12.7   11.6   -1.8   -14%   -16%
1990   5.6    6.8   -0.7   -13%   -11%
1991   6.7    -7.8   -0.8   -12%   10%
1992   7.3   -1.5   0.0   -1%   3%
1993   8.1    7.3   3.0    37%   41%
1994   13.6   N.A.   2.7    20%   N.A.
1995   12.6   N.A.   5.7    45%   N.A.

これだけアメリカに援助してさらに日本国内に援助すれば、破綻するのは当然であろう。しかし、野依さんは巧妙にそういう事実は論じない。日本人が文句言われる筋合いはないはずである!

アメリカで科学者の職をとれた日本人は、科学など何も知らない一般の日本人たちが、日本政府がアメリカの言いなりになって天文学的な借金の肩代わり(これも全部イギリスのロスチャイルドに支払う利息のために)をすることに反対してこなかったからだ。つまり、日本がお手本にしているアメリカの科学を根底から支え、救ってきたのは、我々日本人である。日本人のおかげなのだ! だから、日本の国民に足を向けて寝られない。感謝する事はあっても「日本人は科学向きでない」などと非難するいわれはない! 野依さんや利根川さんのように、高圧的に出るのではく、もっと頭を下げて、国民の同情心を引く態度ならまだましだったが、まったく論外の態度であったナア。

私は大学生の頃「科学と私」という、理科大理工で開催されたセミナー合宿に出たが、その時に利根川進さんの師匠であった、渡辺格博士と話したこともある。その時はまだ朝永振一郎博士も健在でちょっと話した。この頃のアメリカは今よりずっと健康的で「自由の国アメリカ」であった。おそらくそれは、アメリカが世界から孤立していた「モンロー主義」時代の名残が残って、世界のことには我関せずの風潮が残っていたからだろう。その頃に利根川さんは欧米に留学したのである。

しかし、現在では、アメリカは、世界の警察官意識から始まりあまりに世界政治に関わりすぎて、アメリカがイギリス化してしまったわけである。もはや「自由の国アメリカ」は存在しない。あったとしてもそれはごく限られた範囲内でのことである。つまり、アメリカのエスタブリッシュメントの利益に背かない範囲でのことである。

こういう時代に、未だにその昔の「古き良きアメリカ神話」健在であるかのようなお話の数々をご開陳されてもリアリティーに欠ける。アフガン、イラクを見よ。あの豊かな国は今どうなった? アルゼンチンやホンジュラスやメキシコを見よ!あの南米の豊かな国々は今どうなった? 全部イギリス・アメリカのせいで内戦状態である。日本とて例外ではないだろう。用なしとなれば、いつ日本がそうならないとも限らないではないか。この辺りの事実認識が「専門馬鹿」と成り果てたノーベル賞学者たちには理解できないのだろう。その昔ナチスに命を狙われたアインシュタインではないが、NWOやイルミナティーに命を狙われたノーベル賞学者にでもなってくれる方がよほど国民のためである。

野依さんの年収が数千万円、利根川さんの年収は軽く1億円を超える。江崎さんは昔はセレブで年収1億円を軽く超えた。サンタバーバラの中村修二博士も今では年収軽く2億円。理研の普通の職員でも年収800万円から上層部では年収1000万円は軽く超えるだろう。大学教授でも年収は軽く1000万円超える。一方で、関東では平均年収が500万円。ここ徳島では平均年収は300万円程度。年収200万円以下で生活している日本人が今では大半である。

こういう事実と彼らの主張との”ギャップ”がどうにも私には気に入らない。これだけ優遇されていて何が他に文句あるというのだろうか? ほんのわずかのお金のためにどれだけの人が自殺し、どれだけの人たちが離婚し、どれだけの人たちが学業をあきらめざるを得ないのか、理解しているのかいナ? ぜひお聞きしたいところである。

我が家では、たまーに外国の研究者やマスコミ人が立ち寄ることがあるが、その際にも、我が家が彼らお客人にお金を要求したことは一度もない。年に一度もそうはないことだから、我が家で毎月セーブして工面したり、私が何とか出費を抑えて工面したりするのだが、柳田博士などいつも公費うんぬんと国のせいにして自腹など切ったことはないのだろうナア。そんな時の私の昼飯は柿2つだ!
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  by Kikidoblog | 2009-11-26 14:11 | 真の歴史

HAARPに地震波か?

みなさん、こんにちは。

HAARPに「地震電波」らしきものが検出されている。今日のものは振幅はそれほど大きくないが、非常に長時間に渡って揺らいでいる変動である。

Fluxgate Magnetometer
青の垂直成分が大きく、赤黒の水平成分が小さいのが、地震電波の特徴。今回のものは、かなり長い時間揺れている。
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Induction Magnetometer
右下の、周波数ゼロに近くにある「白く明るい」部分が地震電波の特徴。まあ、ピンク色に近い部分。
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HAARP VHF Riometer」
下の赤い部分がVHF波における電離層の揺らぎ(擾乱)の程度を示すが、今回のものは、右下の赤い部分に非常に強い電離層の擾乱があったことを示している。
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はたしてこの地震電波はどこに来る地震のものだろうか? 今回のものは、地震電波の出現がかなり長時間に渡っているので、かなり特殊な地震かもしれない。だいたい地震電波出現から56時間後から1、2週間後に間に地震が起こるようである。どこに来るか分かれば本当にすばらしいのだが。
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  by Kikidoblog | 2009-11-25 17:19 | HAARPモニター観察

民主党の「必殺仕置き人」、科学予算に切り込む!どんどん切り刻め!

みなさん、こんにちは。

ここ1週間ついに我が家へも新型インフルエンザが到来し、子供が発病、何とか無事平時に戻った。さて、そこでここ最近の話題と言えば、民主党の「必殺仕分け人」の刀が科学技術予算にまで及び、日本の科学者が異例の反論を行っているというところだろう。
例えば、以下のニュース

9大学が仕分け批判、予算削減で「科学立国崩壊」
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(連中は『科学技術で世界一を目指すことに疑問符をつけられた点に関しても、「世界の知の頂点を目指すことを抛擲(ほうてき)する(放り出す)ならば、日本の発展はありえない」と強調』とあるが、いったいあと何年一番を目指せば実現するのかいナ? 戦艦大和はいつ完成するのか? 「護送船団方式」というのはもう死語になったのかもしれないが、日本の科学者世界では未だに「護送船団方式」の亡霊が生きているようである。毎日毎日高級料理ばかり食ってホテル三昧の柳田博士のようなものばかりでは困るだろうに。そんなのが科学者教育ならだれもいらん!!)

や以下のブログなどがその典型であろう。「科学者ロビースト活動」というものである。
大栗博司のブログ(この人物は世の中の良いところしかご存じないようで、今の日本の一般人がどんなに貧しい生活を強いられているかまったくご存知ない。赤絨毯の上を歩くことばかり考えている、俗に「ハリウッド科学者」というものだろう。この人物が渡米した頃の日本は今や昔の話。今や地方は真に第三世界以下である。)
生きるすべ IKIRU-SUBE 柳田充弘ブログ(この人物も自分の恵まれた生活の、さらに上ばかり見て生きておられるようだ。口先だけならだれでも言える。)
吉岡直樹(仮名)のアンテナ(この人たちは論外。別世界の住人である。この人々には一般の日本人のことはどうでも良い話なのだろう。)
こういったものを見れば、日本の科学者さんたちの(もちろん、私も科学者だが彼らとは異なる)「感性」というものがいかなるものであるか、非常に良く分かるだろう。

和歌の万葉の時代、現在の「科学者」に当たるものは、俗にいう「お公家」であった。当時の研究と言えば、歌人になることであった。私個人は、ずっと前からこの「お公家さん」なるもののルーツがどこから来たのか、ということに非常に関心を持ってきているが、未だその本当のルーツを見いだすには至っていない。

まあ、それはともかくとして、現代においても「日本の科学者」というものの特質や特性を非常にうまく表現しているのが「お公家さん」という概念である。西洋人からは、一般に「日本の科学者は職人的だ」という評判がどの分野においてもよくなされるのだが、私個人は「職人さん」というよりはもっと「お公家さん」に近いと考える。日本の科学者を「職人さん」というには、日本の職人さんたちにたいそう失礼千万な話だからだ。日本の科学者で日本の超一流の職人さんに太刀打ちできるほどの人はほとんどいないからである。

こんな「お公家さん」的精神風土の中、そういう科学者文化の中で育った、日本の科学者たちの生息している世界に、おそらく歴史上初めて政治家の大ナタが振り下ろされたのである。そこで、「お公家さん」たちが慌てふためいた、というのがここ最近の騒動であろう。

まあ、日本の科学者世界の話は、私自身は拙著2冊(あるいは4冊)で大分前に論じたから、これまで静観してきた。以下の本である。
三セクター分立の概念(1991、1995出版、2001再販)
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何が科学をつぶすのか?(2002)
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柘植の「反秀才論」を読み解く(上)(2004)
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柘植の「反秀才論」を読み解く(下)(2004)
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もちろん、これらの本はまったく売れていないから、周知の事実とはなっていないが、私の見方は残しているので、参考にして欲しい。こういったたわいない本でも当時は日本のアカデミズムに住む、悪意ある人々から、さまざまな攻撃を受けたものである。中には産総研の中堅職員のように、10年に渡りネット上で悪意ある攻撃をし続けてきたものまでいた。

まあ、私が「職人さん」的というよりは「お公家さん」的と呼ぶ理由はそういうことである。要するに、ものごとを正々堂々と真っ正面から立ち向かう、というのではなく、日本の官僚と同じように、裏で手を回すように、ねちねちと画策するという輩ばかりだからである。

物事というのは、その人の「主張」も大事だが、なによりもっと大事なものはその人の「行動様式」である。「行動」とは「無言の言葉」そのものであり、いくら良いことを言ったとしてもその人物の行動が陰湿であれば、それは割り引いて考えなくてはならない。まあ、そういうことである。

ここ30年ほど私は科学者世界をつぶさに見てきたが、官僚に正々堂々と反論したり、それを本に書いて出版したりというやり方をしたものは、めったにいなかったということである。上の最初のブログのコメントなどを見れば、明らかなように、未だもって科学者の「お公家さん」体質は健在である。非常に興味深い事実である。

ところで、この問題の背後でまず忘れてはならないことは、今の日本人は、流行には敏感だが、すぐにちょっと前のことを忘れるという健忘症がある(もっともこれはずーっと昔からの日本人の習性のようだが)。そのおかげかどうか知らないが、今の日本の科学技術政策、特に科学技術振興政策ができたのは、いつだったか、そういうこともすぐに忘れる。日本に科学技術振興政策ができたのは、1995年の「科学技術基本法」成立の時代に遡る。ちょうど省庁の大編成の時に誕生したのである。この時の文部大臣が有馬朗人氏である。省庁再編後、文部省と科学技術庁が合併して文部科学省となったわけだ。

その1995年から、それまで地方の土建業のために、つまり道路やダムや河川や沿岸などの工事に使われた予算が、そっくりそのまま科学技術分野、特に大学や研究所に回ることとなったのである。もちろん、一部は以前同様に地方の土木建築などにも回されてきたが、大半は大学などのハイテクが存在する都市部へ回されることとなったのである。

その予算規模とは、第1期の5年(2000年まで)で17兆円、第2期の5年(2005年まで)で24兆円、その後もこのペースは続き、第3期の5年(2010年まで)で25兆円程度の予算がついているのである。これらがそっくりそのまま、それまでの地方ではなく、大学が集中している都市部や大都市部に回されたわけである。

まあ、ほとんどの日本人は「馬鹿」だから知らないだろうが(おっと失礼)、「格差社会」という実質的意味は、大学や研究所は大都市にしかなく、その大都市にしか存在しない施設へ巨額投資を行う法律を通したから、巨額が大都市に流れ、地方と首都圏との差が生まれたのである。

東京にはどれだけ大学がある? 数百あるだろう。 一方、ここ徳島には4つしか大学がない。4つしか小粒な大学がないのにどうやって「科学技術研究予算」が回ってくるのだろうか? 大学の規模、ランキング、数の順で予算がつくのであるから、大半は東京、大阪、京都、愛知、宮城、など旧帝国大学の存在する都市部を中心に回ってしまうのである。その予算の定義から明らかなように、東京が「一人勝ち」したのである。これが「格差社会」の知られざる真実なのである。(ちなみに、いつかこうなると私は分かっていたので、そうならないためにはどういう社会構造にしたらいいか、ということを提案したものが、拙著の一番最初の「3セクター分立の概念」という本なのである。この20年間で日本政府と官僚は私の主張と全部真逆をおやりになったというわけだ。)

私が大学院生であった頃、我々大学院生(まだ「大学院生」という言葉も世間的には知られていなかった時代である)は、学会に参加するのは「自費」であった。自費参加である。教授のお手伝いをしていっしょに発表する場合のみ旅費をいただけた。その教授や助教授や助手たちですら、海外の国際学会に参加するには、数年に一度、あるいは年に1度、それも一番重要そうな国際学会だけを選んで参加したものである。だから、我々はせっせとアルバイトをしてお金を貯めて学会に参加したのである。そういう時代であった。

ところが、今では最初の柳田充弘教授のように、毎週のように世界中の国際学会に公費(国費)で参加できる時代となった。同様に、大学院生の分際でも今では予算が下りて、世界中のどこの国際学会でも参加できるという、大変恵まれた時代なのである。人というのは「慣れより恐わいものはない」とよくいうが、まさしくそれは本当で、科学者といえどもほんのちょっと前のことであったとしても、いつしか昔のことは忘れてしまい、今の豊かな現実に慣れてしまうものなのだ。

現在、日本の大学に職を持つ人々の大半はこの事実を忘れているように見える。ほんの30年前はどうであったか? 20年前はどうだったか?15年前はどうであったか? 昔のことを思い、その初心に帰れば、感謝することはあったとしてもさらに不平不満を口にすることなどできようはずがないと私は思うのだが、連中はそういう人種ではない。この15年で80兆円という国家予算1年分に匹敵する援助を受けてきたにもかかわらず、まだまだ増額が欲しい、削減などもってのほかだというのだから驚く。

「研究を続けられない」…事業仕分けで若手研究者
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(だが、君たちの親は平均年収が軽く1000万円超える高額所得者じゃないか! それに論文一本出版するのに平均1500万円もかけているではないか! 海外渡航も研究費で落とせているではないか! 文句言うことばかり学んじゃいけないヨ! 私のように、自宅にこもってまで研究を続ける覚悟がないのなら、研究者になどなるな!)

どの世界でも、成果において、結果主義である。結果よければすべてよし。これが金銭の流通を伴うプロ世界の掟である。向こう15年で80兆円を使って、せいぜい山中博士の「万能細胞」程度の発明で、その他の日本初の発明は大半が民間企業や零細企業から出たというのであれば、その責任を問われるのは当然であろう。江戸時代なら「切腹」ものである。軍隊なら銃殺。西部劇時代のアメリカなら絞首刑。企業なら社長辞任。しかし、だれも実際には責任をとっていないのだ。

「歴史の法廷に立てるか」野依さん仕分け批判
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(1研究者としての野依博士は偉かったが、行政者としては失格だ!理研の脳科学には2兆円、もう何兆円もの税金を使ってこの程度なのだから、切腹しても足りないのではないか! 本当なら野依一家島送りものだろうヨ!ほんと日本人は唐変木で優しい国民で良かったというものサ。もっとも諸悪の根源はその先代の有馬朗人博士なんだがネ!!)

私など、「またあの馬鹿どもに何兆円もの金が行くのか、と思うと、はらわたが煮えくり返る」思いである。まあ、これが私が日本の科学者世界とは距離を置きたい理由なのである。民主党は、何者も例外なく、「必殺仕置き人」作業を徹底的に続けるべきであろう。日本にいる、本物の科学者たちはだれも国の予算などこれっぽちも当てにはしていないのサ! 

まあ、何度かそういう連中から金をせしめてやろうと努力したがまだ一度たりとも成功したことはない。なぜなら彼ら大学の研究者の大半は全部が官僚的で自分の弟子や「ともだち」でもなければ赤の他人に研究費を恵んでやるというような気骨はみじんもないからである。そりゃー、日本の学者ほど情け容赦ない冷淡な人種はいやーしないサ。そんな連中には一銭たりとも税金など恵んでやらなくて結構なのサ。もちろん中には例外的な人もいるけどサ。

「取り返しつかない」ノーベル賞受賞者が仕分け批判
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ノーベル賞・フィールズ賞受賞者 による事業仕分けに対する緊急声 明と科学技術予算をめぐる緊急討論会
(うそだらけの詐欺師のオバマがノーベル賞。ワクチンに仕込んで人をマインドコントロールするためのマイクロチップ開発者がノーベル賞。利根川さんの免疫学が今では「殺人免疫補助剤(アジュバント)」となってワクチンに仕込まれている時代。もはやだれもノーベル賞なんてありがたがってはいないのサ。この連中はそんなこともご存じないのだろうか? ノーベル賞はイルミナティーの功労賞だと国民はみんな知っているのサ。むしろ、イグノーベル賞の方がずっとましだヨ!! こういう学者馬鹿ばかりとなると、「日本人のため」と言いながら、その日本人がみんな死に絶えてしまい、残ったのは馬鹿学者ばかりという日本になるじゃないかい?)

ついでに、加えておくと、私自身、自分の本を書いた時には、いわゆる「国際金融資本」、「ビルダーバーグ」、「イルミナティー」などのことはまったく知らなかった。日本国内でそれが知られるようになってきたのは、インターネットが誕生した1996年以降だろうから、つい最近まで日本人は何も知らなかったのである。しかし、2001年の911以降、そういう連中が誰であるのか、何者であるのか、ということが徐々に明らかになり、今の「新型インフルエンザ騒動」の”背後”にいる人々もだれであるのか、今ではかなり正確に知られるようになったわけである。

この「NWO」や「イルミナティー」の時代、これまでと同じように科学技術を援助して良いものかどうか、そういう問題が生まれる。最先端のバイオ科学に国が援助しても、それは国民を抹殺する方向に使われる(使われた)のである。少なくとも、東大の河岡義裕博士の例はその一つであろう。また、これほどまでにあからさまに「優生学主義者」が欧米の政治中枢や大学中枢に入っている時代には、バイオ技術の進歩は即そのまま一般人の殺戮兵器になって帰ってくる。日本のある会社では、ハイテク技術として脳にチップを埋め込んだ通信技術を開発しているというが、それはそのまま名もない人々の「マインドコントロール技術」や「人間牧場化計画」につながる。ハイテクになればなるほど、科学技術が進歩すればするほど、今度はそれが人間管理、人間殺戮の首謀者の手に落ちる可能性が増す。昔の原爆などやたらと重い大型爆弾だったから、だれでも運搬できる代物ではなかった。しかし、今のバイオテロ用の細菌やウィルス、あるいは「ケムトレイル」用のエアロゾルであれば、だれでも運搬できるだろう。

そんなわけで、今では、やみくもに科学技術を進歩させることが社会の利益につながるかというと、必ずしもそうは言えないという、実に悩ましい時代に入っているのである。

その昔、手塚治虫が思い描いた21世紀と、今我々が現実に直面している21世紀はあまりに異なっている。しかし、人間というものは、一度成功した経験というものはなかなか捨てがたいという習性がある。だから、科学者たちも似たようなもので、「夢よもう一度」とばかりに昔を懐かしむ。しかし、現実は悪くなるばかりである。私など、個人的には、テレビの「ジン」ではないが、「米百俵の時代」、あるいは「百万石の戦国時代」にでも戻り、もう一度「イルミナティー」の発行する紙幣など使わない、米をお金にしていた「米資本時代」に戻るべきだとすら妄想する今日このごろである。

その昔、私もかなり本格的に「超紐理論」などを学んだが、あんなものは物理としては「まゆつば(トンデモ)」、時間浪費の学問に過ぎないと今では考えている(もちろん、そこで使われている数学には興味深いものがあるが。もちろん、これは私が超紐理論やその論文を理解できないという意味ではないよ)。だから、そこで何が分かろうが、社会に何のインパクトも起こさない。せいぜいSFねたになる程度である。それより「反重力」の研究であれば、実際に「空飛ぶ円盤」が実現できる可能性すらある。事実、スタン・デヨ博士など反重力の原理は「イルミナティー科学者」の世界では周知の事実であるというのである。だから、あれは世界中の頭のいい若者を解くべき社会の大事な問題から目を背けさせるためのロスチャイルド流のジョークに過ぎないのであるとすら思う。そんなものは、世界中の物好きがやっていればよく(事実、才能と時間と金の浪費以外の何ものでもない!「超紐理論」の研究者はよーく冷静に考え直してみるべきだろう!)、我々日本人はもっと現実的なエネルギー問題を解決する諸問題の基礎科学に勢力を向けるべきである。日本は人口が少ないのだから、科学分野全部で勝つことはそもそも不可能。それゆえ、「一極集中」、「少数精鋭」方式しかあり得ないのである。仮に「超紐理論」をやりたい人があれば、大栗さんのように国外でおやりになれば良いのである。だれもそれを阻止するものはいないのだから。
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  by Kikidoblog | 2009-11-24 14:08 | 真の歴史

芥川龍之介の「さまよえる猶太人」

みなさん、こんにちは。

今日は話題をこれまでとは全く違う話に変える。それは、芥川龍之介
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の「さまよえる猶太人
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という短編(大正6年5月10日作)である。ここ最近読んだものの中では、もっとも奇妙で面白いものであった。

これは、西洋社会で口承で語られ続けてきたと言われる「謎の人物」のお話である。その人物はヨセフというユダヤ人で、キリストの磔の時代に生きていたが、キリストが磔になる直前にヨセフの家の前を通る際に休憩を求めたが、ヨセフが周りの祭司などを気にしてさっさと行けとばかりに、イエスを冷たくあしらいおっぱらうように小突き回して追い払った。その際にイエスがヨセフに「行けと云うなら、行かぬでもないが、その代り、その方はわしの帰るまで、待って居れよ。」と言ったという。その言葉はヨセフの心の底に焼き付くように残り、いてもたっていられなくなり、イエスの足元にひれ伏してイエスの足に接吻しようとしたが、もう遅く、イエスはゴルゴダの丘に連れ去れて行くところであった。それ以後、ヨセフには呪いがかかり、イエスが再臨するまで死ぬことができず、世界中を旅することになったというのである。そしてこのヨセフを見たというもの、ヨセフと話したというものが、何百年後、そして何百年後に現れて記録に残したのである。

芥川龍之介の研究は、はたしてこのさまよえるユダヤ人のヨセフが日本にも来たことがあったのだろうか、という疑問に答えることであった。それをとうとう見つけたぞ、というのがこの短編である。芥川龍之介は、聖フランシスコ・ザビエル
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が日本に来た頃、ザビエルがヨセフと会ったという記録に行き当たったのである。

『自分は最後の試みとして、両肥及び平戸天草の諸島を遍歴して、古文書の蒐集に従事した結果、偶然手に入れた文禄年間の MSS. 中から、ついに「さまよえる猶太人」に関する伝説を発見する事が出来た。』とある。『この覚え書によると、「さまよえる猶太人」は、平戸から九州の本土へ渡る船の中で、フランシス・ザヴィエルと邂逅した。』という。

はたして「さまよえる猶太人」の出で立ちとはどんなものか? というと、「彼の上衣は紫である。そうして腰まで、ボタンがかかっている。ズボンも同じ色で、やはり見た所古くはないらしい。靴下はまっ白であるが、リンネルか、毛織りか、見当がつかなかった。それから髯も髪も、両方とも白い。手には白い杖を持っていた。」という感じらしい。

「ふらんしす上人さまよえるゆだやびとと問答の事」とはどのようなものだったか?
季節は秋で海面は魚の鱗のようにまたたく昼の海上でイチジクやザクロを積む商船の上であった。3人のヨーロッパ人がいた。ザビエルが祈祷した時、その猶太人も見事に祈祷した。そこでザビエルがいぶかしがって、話しかけると、当時の冒険家のヨーロッパ人と違って、西洋の歴史から何から何までよく知っている。ザビエルとお伴のシメオンイルマンも舌を巻くほどであった。そこで、ザビエルが
「あなたは何者か?」
と聞くと、男は
「私は彷徨える猶太人である」
と答えた。
その後ザビエルとヨセフはさまざまな話をしていくうちに、例のイエスキリストのゴルゴダの丘の磔の話にまで行き着いたというのである。

この「さまよえる猶太人」というのは、現実のユダヤ人の放浪生活を比喩的に著したエピソードのようなものなのか、あるいは、イエスの教えに歯向ってはならないという一種の教えのようなものなのか、あるいは現実の事実のお話なのか、その辺の真偽のほどは分からない。しかし、非常に面白い話である。

芥川龍之介の作品には他にも非常におもしろいものがあるようである。
悪魔
これには、戦国時代の南蛮人が織田信長と会っていかなることをしていたかということが描かれている。
煙草と悪魔
これには、煙草がどのようにして日本に持ち込まれたかかがよく描かれている。この時の悪魔はさまよえる猶太人の中のザビエルのお伴のイルマンであったというのであるから摩訶不思議な話である。
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これらを見ると、西洋人という人種は今も昔もまったく変わらないということだろう。また同時に日本人のお人好しも今も昔も変わらないということである。実に興味深い。これからは再び芥川龍之介の時代なのかも知れない。いずれにせよ、こういう観点は「坂の上の雲」の司馬遼太郎や他の歴史小説家などの日本の文学人たちにはないものである。
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  by Kikidoblog | 2009-11-22 15:36 | 人物

HAARPに地震波か?

みなさん、こんにちは。

HAARPに久々に「地震電波」らしきものが検出されている。今日のものは14日のものと同程度の変動である。

Fluxgate Magnetometer
青の垂直成分が大きく、赤黒の水平成分が小さいのが、地震電波の特徴。
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Induction Magnetometer
右下の、周波数ゼロに近くにある「白く明るい」部分が地震電波の特徴。
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HAARP VHF Riometer
下の赤い部分がVHF波における電離層の揺らぎ(擾乱)の程度を示すが、今回のものは、右下の赤い部分に非常に強い電離層の擾乱があったことを示している。
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はたしてこの地震電波はどこに来る地震のものだろうか? いつかこういうデータからその場所まで特定できるようにあると良いのだが。
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  by Kikidoblog | 2009-11-21 20:42 | HAARPモニター観察

オーロラ研究

みなさん、こんにちは。

昨日に続いて「電離層研究」に続く話題で、今日は「オーロラ研究」の興味深いHPを見つけたのでそれを紹介しておこう。以下のHPである。

南極におけるオーロラ研究
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「オーロラ研究」と言えば、例の「HAARP(High Frequency Active Auroral Research Program)」もまさしく「高周波活性オーロラ研究プログラム」のことである。これが、HAARPの”表向き”の研究テーマである。しかし、米軍内のイルミナティー陣営の運営するものには、必ず裏の目的がある。非常に分かりやすいことに、そういう「裏の目的」とは、「そこで掲げている研究内容のちょうど逆のことをする」ことなのである。

例えば、「平和」の象徴である、鳩山の「鳩」の研究をするとあれば、裏の本当の目的とは、「破壊」の研究をする。事実、欧米の秘密結社の世界では、「鳩」は「破壊」の象徴なのである。もし「インフルエンザの感染防止の研究」が目的とあれば、「インフルエンザの流出拡散の研究」をする。「防衛」が目的とあれば、実際には「攻撃」が本当の目的となる。したがって、表の目的が「オーロラの研究が目的」とあれば、裏の真の目的は「オーロラの破壊研究が目的」となる。

この摩訶不思議なダブルスタンダードが、NWOやワンワールドなどイルミナティー陣営のやり方だとデービッド・アイクは口を酸っぱくして言っている。したがって、この「上下からの圧力」、「ショックドクトリン」により、普通の人はかなり精神分裂症的状況に陥る。雇用されている大半の研究者は、何も知らず平和利用や普通の科学研究だと思っていると、その背後でその知識を悪い方へと転用するもっと上のグループが存在するというわけである。

日本の河岡義裕やアメリカのタウベンバーガーが、インフルエンザの危険性の阻止のために強毒性インフルエンザの研究を行えば、その裏でそれを使って金儲けしながら人類を抹殺する輩が同時に存在する、というわけである。「生物がよく生き抜くためを思って、生物はどうして死んでしまうのかを研究していると、いつの間にか、その知識を使って罪のない人々が殺されてしまう」というわけである。強毒性インフルエンザなどとは何の縁もゆかりもない人々がその餌食となって死ぬ。

まあ、これが、残念ながら「科学技術が平和利用されて世界平和が訪れるというよりは、いつも軍事利用されてますます世界が緊張と混乱のある世界へと日に日に導かれてしまう」という直接の原因である。

初期の原子力研究の知識は、後に原爆や水爆に結びついた。平和利用と軍事利用の何が違うかと言えば、それは単に「パワーの差」というものである。うまく制御して非常にゆっくりと核反応を起こし、発する熱をコントロールして行うものが原子炉であるとするならば、無制御に一気に熱拡散を計るものが核爆弾である。パワーは桁違いである。

「オーロラ研究」とて同じことである。かつての原子力研究と全く同じ道を進みつつある。「オーロラ」の場合も、そのパワーがせいぜいメガワット程度であれば、電離層を破壊することなくその性質を調べることができる。しかし、パワーがギガワット以上になれば、電離層も破壊し穴をあけ、外から太陽風を取り込んで核攻撃と同じことを引き起こすことができる。地下深部を加熱して巨大な地震すら引き起こすことができる。自分は「オーロラの平和利用」や「科学研究」をやっているつもりでも、その仲間の一部にもっと上層からの使者がいれば、科学研究で得られた知識はねこそぎされ、悪用される。自分はオーロラの発光現象を研究したつもりが、今度はそれが自分の脳波コントロールへと悪用される。

とまあ、こんなことが今ではどの科学分野でも見て取れるという時代である。そこで、普通の「オーロラ研究」とはどんなものなのか、見てみるというのも無駄ではないだろう。
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  by Kikidoblog | 2009-11-20 14:14 | HAARP

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