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グリフィンさんの「集団主義の陰謀」:あなたはどっちの味方?

みなさん、こんにちは。

大半の皆さんは、会社や組織で働いている。そして、いまは冬休みに入り、すばらしい休日を過ごしているにちがいない。私のように、ある意味で一年中休みのようなものであり、ある意味では一年中仕事をしている人間とは大分違う。私には休日はない。なぜなら普通のサラリーマンからすれば一年中休日にしか見えないはずだからである。

さて、そんな休日には、こんなものを見て、この世界のことをちょっとまじめに考えてみるのも良いに違いない。

ちょっと前に、私はここに
分かる人にだけ分かる話:1次元とプリセッションの話
というものをメモしたが、これと実質的にはまったく同じ内容をまったく別の観点から語っている人がいる。以下のものである。これは1時間25分ほどあり、ちょっと長い。日本語訳付きである。この筋では超有名なグリフィンさんの話である。
集団主義者の陰謀 The Collectivist Conspiracy

この地球では、王族を除けば、だれもがお金を稼がないと生活が出来ない。これすなわち「奴隷階級」である。もうちょっとやさしい言い方をすれば「労働者階級」という。そんな奴隷たちに対して、王族や支配者たちは、
いかにして奴隷にこの世界を自分たちが参加しているような気にさせることができるか?
を考え出した。

それが「集団主義」と呼ばれるものだという。

一番有名なものが、民主主義と共産主義である。独裁主義もまた一種の集団主義に過ぎず、民衆が独裁者を選ぶ。一番右が独裁主義であり、一番左もまた極左翼の独裁主義であるという。両方ともに集団主義の一つの形でしかない。そして、両方とも、奴隷階級である民衆の意識を社会へ釘付けにして、ガス抜きするためのものだった。

まあ、そんなふうな考え方をグリフィンさんは紹介している。

何事も自分の目で見、自分の頭で考える。そして自分で判断することである。

中には、考えるな、感じろという輩もいる。
あるいは、宇宙の声を聞け、などというものもいる。
さらには、シナジェティクスを発見せよという人もいる。

しかし、それもまた結局は各人が自分の責任の範囲で判断することになるのは避けられない。

いずれにせよ、奴隷階級がそうやって自分で考えた結果がこの程度の社会だから、それで満足せにゃーなりませんゾ、と奴隷に思い込ませる高級戦術が「集団主義」というものらしですナ。

私は「徒党は組まない、個人主義者」であるが、こういうのは、インディビィジュアリズムというが、どうやら100年以上前に死語となったようである。

そうやって見ると、確かに19世紀の学者はみな個人で研究していたが、20世紀以降になり、学会(ソサエティー)を次々に生み出し、学会に認められない科学者は偽物だというような風潮が生み出されたわけだが、それもまた「集団主義の陰謀」だったということになるだろう。学会で認められた研究者だけに国から莫大な税金が投入される。それ以外はいくら重要で良い研究を行っていても研究費はゼロ。そういう社会になったのである。

集団に認められなければ、実験も真実とはならない。物理法則もまた学会に認められなくては物理法則にならない。こういうことを哲学者ラカンは痛烈に批判し、主張したらしいが、それを自作自演のマッチポンプという形で揶揄したのがアラン・ソーカルという偽ユダヤ人だった。これは俗に「ソーカル問題」といわれた事件だったらしい。しかしながら、グリフィンさんの言う集団主義の陰謀という観点からすれば、あながちラカンという人の主張も無視できない。

またつい先日まで「これは政治判断だ」という言葉そのものに心底快感を感じたのが、ミンス党の政治家たちだったようだが、これぞ「集団主義の陰謀」の最たるものである。全学連や革マル派、日教組、労働組合などの左翼が、こういう言葉に酔いしれたのも頷ける。一種の魔力があるのである。

同様に、「これは社内判断だ」といって、奴隷階級の社員に向って犯罪行為も認めさて実行させようとする経営者や資本家たちもまた「集団主義の陰謀」の最たるものと言えるだろう。

右と左の両サイドをまるでラグビーやサッカーのチームのように戦わせる。これが「集団主義の陰謀」とグリフィンさんが説明しているわけである。がしかし、これは18世紀のバーバリアンイルミナティーの本家アムシェル・ロスチャイルドの行動計画書にそっくりそのまま明文化されていたというから、彼らの慧眼には恐れ入るばかりである。まったく脱帽である。

「集団主義の陰謀」、恐るべし、というやつですナ。

ひょっとしたら、天使と悪魔、神と悪魔の2大マッチもまた「集団主義の陰謀」というやつだったのかもしれないですナ。あなたはどっちの陣営につく?ってナ。

いやはや、世も末ですナ。
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  by KiKidoblog | 2012-12-29 11:59 | コンスピラシー

「バラエティがいじめ助長」:まったくその通り!それが事実だヨ!

みなさん、こんにちは。

いやはや、これはひどい。というのは、やはり「お笑い芸人」という「いじめ芸」で飯食っている連中の頭はひどい。朝鮮芸、在日朝鮮芸。吉本芸といわれるゆえんですナ。

「バラエティがいじめ助長」に水道橋博士が反論

 学校や職場での“いじめ”が取り沙汰されるようになって久しい。今年夏に滋賀県・大津市で起きた中学二年生のいじめ自殺によって、この問題が再度クローズアップされたのは多くの人にとって記憶に新しいところだろう。
 ところで、メディアで「いじめ」が取り上げられる時に必ずと言っていいほど出てくるのが、「人をいじめて、それを嘲笑するようなバラエティ番組がいじめを助長している」という論調で語られる“お笑い芸人叩き”だ。
 こういった意見が的を射ているかどうかはさておき、バラエティ番組に出演している当のお笑い芸人たちにほとんど反論の場が与えられていないのは、いささか不公平なのではないかと思える。
 浅草キッド・水道橋博士は著書『藝人春秋』(文藝春秋/刊)のなかで、この問題に真っ向から切り込んでおり、それは上記のような意見に対する芸人側からの反論だと読み取れる。

 お笑いは、本来、社会に剥き出しに表出している“悪意”や“差別”を大人のように見て見ぬふりをせず、あえて炙り出し、目の前で再現するもの“(本書257~258ページより引用)

 つまり、“悪意”や“差別”といった、古くからメディアによって、その存在すら隠されてきたものを暴き、一種の風刺として演じることこそがお笑いなのであって、「バラエティでの芸人がいじめを助長する」というのは彼らの芸の表面しか見ていないことになる。
 これは、同氏の師匠であるビートたけしの「最近のお笑いはいじめギャグばかりで、子供が真似するからよくないっていうけど、お笑いは昔から予定調和のいじめギャグで笑わせてきたんでさ。そういう言い方ならオイラなんか全部いじめギャグで食ってきたんでね。」(本文より引用)という意見と根を同じくするのではないか。

 しかし、こういった風刺は、テレビの中での“お笑い”のヒエラルキーが低かった昔の話であり、“お笑い”が単なるサブカルチャーの一種からメインカルチャーの位置に登りつめた今、その影響力を考えると彼らのお笑いへの哲学を素通しすることはできないのも事実。
 博士は本書のなかで「たけしさんがやったことは逆説なんだってことに気づかないといけない」とする太田光(爆笑問題)の意見を引用し「バラエティ番組はいじめを助長するのか」という議論とともに、芸人たちはお笑いのあり方を考える時期に来ていることを示唆している。

 本書は、古舘伊知郎(フリーアナウンサー)、堀江貴文(実業家)、甲本ヒロト(ミュージシャン)ら、水道橋博士が長い芸歴のなかで出会った人々の人物伝。

華やかな一面だけでなく、ふと垣間見える彼らの陰の部分にまで切り込んだ同氏の話術や、それを見事に表現する筆力は、読む者を大いに笑わせ、泣かせ、最後には感動させずにはいられないはずだ。
(新刊JP編集部)

世界中どこを見ても、ユダヤジョーク(正確には偽ユダヤジョーク)や在日いじめ芸のない国というのは、いじめが極端に少ないか、まったくない、というのが現実である。

アメリカインディアンも白人が入って来るまでそういう問題はまったくなかった。

本国の英国でいじめを受け、迫害を受けて来た、ピューリタンがアメリカに入植した途端に、アメリカインディアンたちが差別、虐殺、いじめを受け始め、インディアン社会にもまたそういう風潮が入り込んだのである。

我が国でもそうで、朝鮮半島で互いにいじめあい、殺し合ってきた朝鮮民族の一部が入って来るようになって、日本社会でもいじめや残虐行為が蔓延って来たようである。

どの国にもちょっとしたからかいのようなものはあっただろうが、陰湿ないじめ、大津市で起こった2件の弱いものいじめの残虐行為のようなものは、人種問題を除いては理解不能である。基本的に、大陸の人種は残虐である。

だから、日本もそろそろ自衛のために正当防衛のためには、銃刀法を改正する時期にきているヨ、というのが、私個人の考え方である。これは現実のどこの国でもそうだし、宇宙を飛び回っているエイリアンたちの社会でもそうである。

いずれにせよ、吉本芸の人たちは、アメリカのユダヤ人芸人たちと同じで、その母体と成る社会を混乱の最中に持ち込むのがお役目だという、NWOシオニストの信じる「ユダヤ議定書」や「世界人間牧場化計画」と呼ばれるものの一翼を立派に担っているのである。

彼ら悪魔主義者たちが信じる「悪は善」をさながらに実証しているわけである。

人前で他人をののしり、ぶん殴ることを「芸」だと「無芸を芸」、「犯罪を芸術」と自称しているからである。

かつて、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなど、いわゆるファーストフード店のなかった社会では、肥満は非常にめずらしいものだった。それが、そういう文化が伝播した途端に、その社会は「肥満社会」に変貌を遂げて行った。

これがアメリカだけならそうではないという可能性もあるが、わざわざ統計をとるまでもなく、ファーストフード店の進出と普及とほぼ時を同じくして肥満社会に変わって行った様を見れば、それが本当に因果関係のある直接の原因であるということになるだろう。

アメリカの次は日本、欧州、東南アジア、韓国、中国など、マクドナルドの普及流行とともに、肥満が全世界に拡散したのはまぎれもない事実である。

これもまた、「300人委員会」による「世界人間牧場化計画」呼ばれたものの中にある計画の1つである。人類を肥満にして早死にさせ、人口を激減させるための計画だという話である。彼らの目標は「人生50年」。人が50歳くらいになればぽっくり死ぬ、そういう人種に進化適応させたいということらしいナ。

これと同じで、「いじめ芸が蔓延るところ、いじめが絶えない」。これは事実であろう。なぜならそもそもいじめが起こらないところでは、いじめという概念自体が存在しないのだから、いじめが芸に吸い上げられることがあり得ないからである。そして逆にいじめのある場所ではそれを面白いと思っていじめ芸にする「馬鹿者」が現われるから、それを芸だと錯覚するもっと馬鹿が現われる。そしてそれを真似て実践するもっと馬鹿が現われる。ここに無限サイクルが生まれる。

これを吉本芸人たちは、「いじめが絶えないから、吉本いじめ芸が流行る」と逆に本末転倒に解釈したということのようですナ。

大阪でいじめが深刻なのはこれが原因である。もっとも大阪ではヤクザ芸(やくざを真似する芸)やひったり芸(ひったくり犯罪を真似る芸)というような、犯罪芸も後を絶たない。これを「犯罪は文化だ」と在日は考えるというわけですナ。本当に困ったやつらだ。

仮にいじめ芸が芸足り得るのは、そのいじめられる側が社会の一般人や弱者ではなく、犯罪者であったり、社会の権威と称される権力者であるというような場合である。これがチャーリー・チャップリンの喜劇の神髄である。

浮浪者がとあることで大富豪と入れ替わるとか、社会の弱者が何かの場面で逆に社会の権力をたしなめる、いじめる。ここに芸としてのウィット(wit)が入って来る。普通ではまったくあり得ない状況がそこにあるからである。だからだれもがこころから笑うことができる。だが、相手が自分より弱者を上から目線でいじめるのであれば、これはいじめ芸以外の何ものでもないのは明らかだろう。

私個人は、かねてから思っていることだが、「仕事だ(芸だ、映画だ、作品だ)」というたいそうな持ってぶった言い方であろうが、「やっていることが犯罪なら即刻逮捕すべきだ」と考える。「ヤクザ映画だからヤクザ行為が行われたのであれば、それもまた犯罪だ」と見なすべきだと考える。なぜなら、そうしないと、作品だ、仕事ですから、といって、実際にレイプしたり、殴ったり、怪我をさせたりというようなことがまかり通るからである。町中で犯罪行為を行ったとしても、これは仕事ですからといいわけすればそれでその犯罪が見逃されてしまうからである。

我々一般人の場合には、母親が娘をしつけのために、あるいは、かっとなり殴ったとしても家庭内暴力として逮捕されている人たちも出ているほどである。日本人であれば、自分の子供をぶん殴れは逮捕されるが、朝鮮人は日本人を凌辱しようが、映画ですからと言えば、見逃されるというのでは、お粗末である。これがないから、犯罪もののAVがなくならず、悪の資金源の温床になるばかりだということなのである。

吉本のいじめ芸もいじめ芸人もまったくこれと同じことである。例外は認めない。弱いものいじめ芸は則逮捕。これが自然なことだろうヨ。

ナマポの吉本芸人はちっとも「アセンション」しませんナア〜〜? なぜ〜〜?

謎である。連中が崇拝する関に分析してもらえ。


おまけ:
ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説スペシャル2012冬(その5)より
全米が涙した武士道精神 麒麟 川島

1932年、80年前の話である。アメリカ、ロサンゼルスでオリンピックが行われた。

そのロサンゼルスオリンピックに馬術で出場した城戸俊三という選手がいた。馬術は今とルールが全く異なっていた。競技はレース形式で行われ、山や谷、障害物を置いた22マイル(35km)の距離を走り、先着順に順位が決まるというものであった。

※愛馬 久軍号と城戸俊三少佐。
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※:城戸俊三氏。陸軍騎兵隊の少佐であった。
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この時、城戸が連れて行った愛馬は久軍号。19歳の馬である。馬の年を人間に換算するには5~6倍する。久軍は人間でいえば100歳近い高齢であった。当時は空輸もできないので船で太平洋を渡り、ロスアンゼルスに行った。

レースが始まり下馬評では、アメリカに到着しただけでも奇跡だと言って笑われていた。しかし、スタートしたら久軍は後続を引き離してぶっちぎりの1位であった。途中で失速することもなく、最後の障害を残すのみとなった城戸と久軍。

ところが、ここで久軍の体力が限界を迎える。全身から汗を吹きだし、息も絶え絶えになってしまった。もう気力だけで走っている状態になった。ゴール間近で観客は大声援を送っているが、城戸だけは久軍の状態を把握していた。

最後の障害をジャンプしたらゴール後に久軍が死んでしまうだろうことが城戸にはわかった。日本代表として国家を背負って出場している責任と、愛馬のどちらをとるか城戸は迷ったが、次の瞬間、馬から降りた。

疑問に思う審査員と観客。久軍は横に立った城戸に頭をうずめて何度もお辞儀をし、謝っているように見えた。その光景を見て、観客は馬を守るために城戸がリタイアした情況を理解した。棄権なので、城戸はメダルをもらうことなく日本に帰国した。

その2年後、1934年にアメリカ人道協会がロスアンゼルス郊外のリバーサイド郡にあるルビドー山の友情の橋付近に、城戸を讃える記念碑を建立した。

そこには「情けは武士の道」と日本語の縦書きで書かれている。

※リバーサイド郡ルビドー山の友情の橋に取り付けられた記念プレート。
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※プレートの位置。引用元:Frickr 付近の写真5枚あり。
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リバーサイド郡ルビドー山の友情の橋の遠景。美しい風景です。別カット。
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この後、太平洋戦争が勃発するがアメリカにとって敵国である日本を讃える石碑が撤去されそうになったが、城戸と久軍には罪は無いということで、アメリカ人道協会は撤去を行わなかった。

情けによって建てられた石碑が、情けによって守られたのである。

この石碑は今も残っている。

信じるか信じないかはあなた次第です。

世界の人々の心を捉えた愛馬物語 城戸俊三選手 JOCサイト内にある記事。
城戸俊三と久軍号 北海道大学馬術部の記事。プレートの書き起こし、翻訳あり。
Today in Riverside 今日のリバーサイド。英語。友情の橋の記事あり。

吉本でもできるじゃね〜〜か! いじめ芸よりはこういうことをやれヨ。
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  by KiKidoblog | 2012-12-29 10:33 | マスゴミ

日本人はアセンションした!?:あなたはアセンションできましたか?

みなさん、こんにちは。

いよいよ新政権安倍内閣が誕生した。
1970年代の高度成長期に作られた負の遺産をメンテナンスし直さないと、実際に物理的に大変なことになると以前にメモしたが、そういう必要最低限のことを必要最低限にこなし、東大の研究者に見るように、たった論文1本公表するために普通の人が家一軒買えるような過剰な研究費を削減すること。はたしてこれができるかどうかであろう。科学技術基本法の庇護の下、科学研究費を湯水のように浪費して来た日本の大学人に猛省を促したい。

さて、この間、私はいわゆる「アセンション系」、「スピリチュアル系」や「陰謀論系」のサイトがこの選挙の前後でどんなふうに変化するのだろうかと観察していたのである。

あなたはアセンションできましたか? 次元上昇しましたか? 何かの陰謀を目撃しましたか?

私個人は全部ノーであった。

(あ)まずアセンションに関しては、以前メモしたように、これは結果として自己欺瞞の習慣を導く。常に自分をなだめすかせるということの繰り返しになる。騙されても騙されても、いやこれはまだこれから起こるのだ。というような心理状態が醸成される。そうやってますます洗脳が強化されていくことになるようである。

一方、アセンション話を送りつけている、自称チャネラー・ビジネスマン/ウーマンたちは、彼らの予言した「マヤ予言の地球最後の日」が来なかったことに対してどういうのだろうか?と見ていると、予想通り「世界は変わりました。あなたがたは新しい時代に入りました」というようなことを言い出した。さすがである。なかなか良い根性していますナ。

そしてこういったチャネラー情報を利用してそれなりの自分のビジネスをしている人たちは、基本的にこれまで民主党支持者であり、今回は小沢信者であったという感じである。だから、国内政治に関しては非常に残念な思いにかられているようである。

ちょっとメモすれば、ちょっと前、いわゆるインターネットが出来た頃、「ディジタル・ディバイド」という言葉が流行った。これは、パソコンを駆使して情報を自由自在に得ることが可能な人々とそうではない人々の間で収入やビジネスで大きく隔たりが生まれたという社会現象を言った。実は、今回の自民党の圧勝は、この「ディジタル・ディバイド」の問題を抜いては理解不能だろうと思う。

いわゆる「有名ブロガー」と呼ばれる方々、インタ−ネットで上のようなさまざまなサイトを運営している人々は、おそらくこれが理解できていなかった。それに「日本人特有のメンタリティー」が輪をかけたのだろう。

インターネットで素人が有名になり、日に何万かのサイトヒットなどがあると、日本人全員が見ているような気になってしまうのである。だから、世の中にちょこっとあるそういったサイトがいっせいに日本未来支持などと言えば,日本全体がそこへ動くなどと錯覚してしまうのである。こういうような、「ちょっとできるとぜんぶ出来るかのように思う」、「ちょっと有名になると、みんなが知っていると思う」というようなメンタリティーが、ドゥンガの言った「日本人特有のメンタリティー」というものである。

かつて中田英寿選手は、現役時代ナカタネットというものを運営していたが(今もあるのだろうが)、彼がワールドカップで戦っている時には、たった1時間で100万人単位、日に1000万人以上が見たと言われている。こういうものが、真に有名ブログにあたる。世界のナカタの一言一言に一喜一憂するのである。

それに対して、有名ブログというのは、多くても数千から数万にすぎない。そして、そのほとんどがその信者だから、実際にはその1/10〜1/100程度、すなわちせいぜい100〜1000人程度が見ているに過ぎないのだ。

私は2chが出来たころからそこがどういうものか知っているが、私が観察したところでは、各スレッドにはほんの2,3人が張り付いて、ハンドルネームを駆使して煽るというのが当時から現在も行われているようである。だから多数がいろんな意見を言っているように見えても実際には仕事人(=工作員)が1人で適当にやっているようである。かつて私自身自分のBBS掲示板を運営していたから、いわゆる荒らしが来た時にどういうふうにやるか観察していたわけである。まあ、そんなところだったナ。

こんな程度だから、いくら有名ブログと人から言われたとしても、それはその筋の好き者の間のお話に過ぎないというわけである。可哀想だが、それが我々一般人の限界である。

そこで、最初の「ディジタル・ディバイド」の問題に関係する。一言で言えば、今回地方で自民党に投票した大人は大半がこの「ディジタル・ディバイド」の下層に入る。つまり、パソコンを使わない人々、テレビしか見ない人々。さらには携帯電話すら使わない人々。そんな人々が投票したのである。

なぜか?

前にメモしたように、こういった人々は、前回泣く泣く民主党に入れたのだった。それは「子供手当や授業料免除」など、マニュフェストに良いことがたくさん書かれていたからであった。そして、地方は経済的にも人口的にも「空白の20年」で喘ぎに喘いでいた。だから、民主党に期待したのであった。ところが、その民主党は地方にまったく見向きもしない。見ているのはお隣の国ばかり。さすがにこれではまずいということになったわけである。そこで先祖返りしただけなのである。

この人々はパソコンや携帯などほとんど使わない(使えない)から、こういった草の根の人々の意見がどうかということは、おそらく、私のこのサイト以外ではほとんど目に出来なかったに違いない。ましてや地方の老人たちの動向など、インターネット上ではまったく存在しないに等しかったのである。

ここで、ちょっと昔の話をメモすると、私はアメリカ留学前に留学資金を貯めるために、夏の総選挙で中尾栄一(故人)さんの選挙事務所で一夏働いたことがある。1日働いて5000円の日当。それでも留学前には貴重であった。ちなみに、たまたま私の留学前に総選挙が始まり、これまたたまたまそういうバイトがあると知ったからやっただけで、私個人はその候補とはまったくの無関係だったのである。

そこで早朝から晩まで、雑役係として何でもしたが、一番大変だったのは、はがきの宛名書きであった。1枚50円のはがきにそれぞれ名前を書く。それも連絡の度に毎回書く。バイトもスタッフも総動員で手分けしてやるのである。あとは、山のように積み上げられた酒樽や酒瓶ケースの運搬や移動だった。溜まればどこかの倉庫に入れ替える。こんな生活を投票までやったわけだ。ちなみに、その時の女子大生ウグイス嬢の日当は10万円。普通のウグイス嬢は数万円であった。バブル全盛期である。これはまだ中選挙区制の時の話である。

さて、問題はどうやって選挙で投票数を予測するかということである。実はこれが選挙事務所のもっとも大事な仕事なのだ。しかし、実はこうした選挙事務所で働いたことがないサラリーマンにはこれがまったく理解できていない。人は勝手に自由気ままに投票していると思っているからである。

これは、今は知らないが、当時は「個人票」(当時、個票と呼ばれた)を支持者に配布するのである。国会議員の選挙事務所にはその家来というか、協力者たちがいる。地方の議員さんたちだが、彼らが自分の選挙区を分割して分担するのである。そこで、その分担地域の有権者がどれだけこの「個票」に名前を書いて返送してくれるかを見て総得票数を計算するのである。この個票は、「私はあなたを支持します。投票日に確実にあなたに投票します」の意思表示なのである。だから最重要なのである。

私は連絡係として秘書の乗っていたRX-7を貸りて、この個票をあそこへもっていけ、あっちへ持って行けという支持に従って、当時の山梨の津々浦々を回ったのであった。配布と回収を行ったのである。RX-7に乗って有名国会議員の秘書気分を味わったものである。

まあ、というわけで、選挙の投票日のかなり前には、すでにどの程度がその候補に投票するかはもう分かっているのである。そしてあそこが危ないという地区へは総動員で個票を獲得するのである。

マスゴミが出口調査などやろうがやるまいが、選挙事務所ではすでに把握しているのである。これが日本の選挙というものである。地方の政治というのはこういう投票スタイルなのである。

はっきり言って、投票日にはもう結果は分かっているのである。だから、地方はあっという間に結果が判明するのである。出口調査など、個票の通りに動くかどうかをチェックする程度のものに過ぎないのである。

都市の人、知ってましたか? もちろん、知らなかっただろう。私もやるまでまったく知らなかったから当然である。

とまあ、30年くらい昔の記憶ですまないが、日本の選挙とはそういうものなのである。だから、支持者や有権者10万人にはがき1枚出すにも、500万円もかかるのである。そこで小選挙区制にしよう。政党補助金をやろうという話になったわけだ。そうすれば、政治家は自腹を切らずにすむ。巧妙ですナ。

日本人の金で日本人を切る。巧妙な手法はロスチャイルド手法と呼ばれるものである。だれがそんな知恵つけちゃったのかねえ?


(い)さて、次元上昇はあったか? 

私個人で言えば、まったくなかった。何も変化なし。もちろんである。まあ、あったと思う人(まあ、そう思いたい人)を否定はしないが、すべては連続的な日常である。

しかしながら、チャネラー情報の提供者たちは、次元上昇したといっているようである。この意味では実にうまい。一級の詐欺師である。騙す人の鉄則は自分自身が騙しているとは思わないことである。騙される方が悪いと思うらしい。オレオレ詐欺の犯罪者たちといっしょである。


(う)最後の「陰謀はあったか?」

どうやらそういったサイトでは、今回の選挙は「不正選挙」であると言っているものが多い。まあ、ほとんどがそうである。この場合にもっとも多いのが、その不正を行ったのは自民党だ。日本未来の票を自民党に入るように細工したのだというものが大半だった。

これに対して、news.u.s.だけは、別の見方をしているようである。確かに「不正選挙」は行われたが、それは、自民の票を第三極に入れることで、漁父の利で民主党が各選挙区で1位に入るように仕込んだというものである。そして、その目撃者の暴露話もあったようである。これである。
【緊急拡散】衆議院選挙で不正開票が行われていたことが発覚!!!!! 自民党が0票になるように仕組まれていた!!!! 在日朝鮮人の民主党が黒幕か!!! 日本維新の会関与の可能性も!!!! 落選した管直人の子分、末松義規へ向けられた数々の真っ黒な疑惑!!!


はたして「不正選挙」はあったのかどうか? 

まあ、民主党の支持者の多かった都市部ではあったかもしれないが、上に述べたように、地方では大半がすでに選挙前に分かっていたことだから、ほぼあり得なかったと私は思う。だいたい候補者の後援会に出歩く老人たちの言葉に耳を傾けていれば、おおよそ結果は投票日の大分前についていたからである。だから、今回は自民が勝つよ、というようなことを言っただけにすぎない。ここで私が個人的に自民に支持しようがしまいが、この結果は今回は変えようがなかったと私は確信している。それほどまでに老人パワー炸裂したのである。「リベンジ・オブ・ナーズ」ならん、「リベンジ・オブ・ディジタル・ディバイド」ですナ。


(え)さて、自民党が勝利して、政権が誕生してみると、マスゴミの姿が何年か前の姿に戻ったから、これまた摩訶不思議である。もっともらしいことを言い、政権のネガティブキャンペーンを張る。「マスゴミが正しく、自民政権は間違っている。」そういうふうなことを言う。

なぜかこの姿は懐かしい感じがする。どこかで見た風景。ずっと昔からそうだった。

何が違うか?

といえば、我々自身が変わったこと? ひょっとしてこれ「アセンション」ちゅうやつかいな?

ミンス政権になって、いわゆる左派という人々がほとんど在日朝鮮人だったことが分かったことである。韓国のエージェントあり、北朝鮮の工作員あり,中共支那のスパイあり、さらにはNWOやCIAのスパイあり、とまあ、こういうことが誰の目にもはっきりと見えたことであった。

もちろん、マスゴミにも大企業にも実体は反日企業であるものがどれかがはっきりしたことである。

電通や博報堂はこれまで米CIAの手先だとは言われていたが、実際には韓国の手先であった。米CIAの手先ロイターや共同でも報道した「韓国産生食物のノロウィルス汚染で輸入禁止処置をした」というニュースを報道しなかった。デレビマスゴミもこれに同調した。結果として、何百人もの日本人が感染発病し、何人もの日本人が死んだ。電通マスゴミやデレビマスゴミが犯罪を犯したのは明白ですナ。

結局、昔からなじみのあった風景、政府vsマスゴミの論戦というのは、実際には日本人vs在日外人というものであった、ということが、実に良く分かったというわけですナ。

やはり、アセンションしたのだろうか? 日本人はアセンションしたのか? 次元上昇したのか?
いやー、実に興味深いところですナ。
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  by KiKidoblog | 2012-12-27 18:55 | マスゴミ

もうすぐサンタがX-37bに乗ってやってくる!?

みなさん、こんにちは。

おそらく明日26日未明までにはNASA無人スーペースシャトルがこの日本を縦断しそうである。
REAL TIME SATELLITE TRACKING

2012年12月25日11時34分の位置
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それにしても速いなあ〜〜! 書いているうちに、もうブラジルだヨ!
人がいないからぶんぶん飛ばせる。

無人パトカーなんていうもの面白いだろうナア。
警官はオフィスのモニター見て追跡する。がんがん飛ばせる。

まあ、NASAの無人スペースシャトルもまあそんな感じなのだろう。

2012年12月26日00時25分の位置
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あっという間だったナ。
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  by KiKidoblog | 2012-12-25 23:47 | 地震・地震予知・噴火

メリークリスマス! "天使の歌声”!:VITASのアベ・マリア他

Vitas-Ave Maria


みなさん、こんにちは。

Merry Christmas! メーリークリスマス。サンタクロースからプレゼントをもらったでしょうか?

クリスマスの日には、さすがに陰謀暴露やアセンション詐欺のお話をするのは気が引ける。そこで、やはり、クリスマスには「クリスタルボイス」のVITASしかないだろうヨ。

”天使の歌声”とはこのことである。もっとも途中から悪魔に変身することもあるが、天使と悪魔、それこそduality(デュアリティー=双対性)のなせる技である。

奉納(デディケーション)
『Dedication』2003

アベマリア
VITAS 2010.03.05 聖母頌 / Ave Maria_Moscow


Vitas in Los Angeles - Ave Maria


Vitas _ AVE MARIA ,Schubert _ with subtile

アリア
VITAS - ARIA

ETの友達
Vitas - Extraterrestrial Friend (Инопланетный друг) 2008

ヴィタス VITAS-『Опера #2/ Opera#2 /オペラno.2』2001デビュー

そして最後に私が好きな「第七元素」

良いクリスマスを!


おまけ:
ヴィタス VITAS-『Lucia Di Lammermoor/ランメルモールのルチア』2006

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  by KiKidoblog | 2012-12-25 17:17 | VITAS

サッカーの話:やはりサッカーは会場で見るべきものだ。特にアップを見よ!

みなさん、こんにちは。

さて、一昨日は、なでしこの皇后杯、INAC神戸vs浦和レディースの試合、昨日は、天皇杯準々決勝、ガンバ大阪vsセレッソ大阪、鹿島vs千葉、横浜マリノスvs名古屋グランパス、柏レイソルvs大宮アルティージャの4試合を見た。もちろんテレビでのことだが、なかなか面白い試合だった。

サッカーの大会というのは、準々決勝、だいたいベスト8くらいがもっとも面白いものなのである。

ここ徳島の高校生サッカーでも、このベスト8レベルになって初めてちょっとサッカーらしくなってくる。あとは、子供サッカーの延長のようなものである。まあ、良い指導者がいないのだからしょうがないのだが、もともと大塚製薬はオロナミンCで大きくなった企業だから、巨人と野球に頭が上がらないのである。サッカー支援はプロ野球への裏切り行為だとスポーツを知らない経営者たちはそう感じてしまうわけだナ。

しかしながら、そんなことはないのであって、サッカーと野球は相乗効果を生み出すことが可能なスポーツなのである。基本的にサッカーは冬のスポーツで、野球は夏のスポーツだからである。

寒い真冬にピッチャーが玉を投げれば、あっという間に肩を壊す。だから試合にならない。かじかんだ手でボールを投げることは出来ない。

逆にサッカーは真夏の炎天下の試合をすれば、脱水症状で死の危険すら感じることになる。実際、私(現役時代)も私の息子たちもそのチームメートも、他のどのチームもかならず、真夏の試合では不調をきたしたという経験を持つはずである。それほどまでに真夏の炎天下の試合や練習は身体に悪いのである。まあ、それでも文科省の高校総体もリーグ戦も普通に真夏に試合日程を組むから、みんな仕方なくやっているわけである。私の希望は、夏はナイターにすべきであると思う。

もちろん、野球でも真夏の試合は延々と続くが、甲子園大会がある以上避けて通れない。野球はその昔一種の軍事訓練として生まれたから、真夏にも耐えられるような人間でなければ、戦争に通用しないと考えたからだろう。

さて、そんなサッカーだが、サッカーの試合は出来れば会場でピッチを見るに限る。というのは、前にどこかにメモしたかもしれないが、サッカーの試合というのは、ウォーミングアップ(アップ)から始まっているからである。実際には集合の時から始まっているからである。(もちろん、プロの場合は大会が始まる前から始まっているが。)

だから、若い選手は出来る限り、会場に行って、その片隅からじっと各チームのアップを注意してみなくてはならないのである。

どのチームが先に現われるか?どの選手がうまいか?どの選手がリーダーか?ポジションはどうなっているか?チームのアップ法はどんなことをやっているか?連動して流れるようにアップしているか?声は出ているか?だらだら、ぺちゃくちゃしゃべりながらやっているか?軍隊のようか?素人のようか?監督コーチは何人いるか?ポジションごとのコーチがいるか?選手と監督コーチの雰囲気はどうか?

などなど、こういったことを一気に全体として把握するのである。これを一言、「ムード」というが、各チームのムードを見るのである。

一般に監督は相手チームのこういうところを見て、対戦相手のレベルを把握する。

簡単に言えば、強豪チームほど手がかからない。

リーダーがどなることもない。各選手がそれぞれにチームに連動し、流れるように、アップし始めるのである。かつてのジダンのフランス、ベッケンバウワーの西ドイツがそうだった。

そして、勝つ方の強いチームほどさっと先に現われるのである。

高校サッカーでも会場ではいわゆる場所取りが必要になる。狭いグランドのどこでアップするか、その場所を確保しなければならない。さもなくば敵にとられる。だから、強豪校はたいてい人数が弱小チームの2、3倍もいるにも関わらず、会場に来たらあっという間に着替えて、グランド全体を先に確保して、「悠然と練習し始める」のである。そうやって、相手に試合前から「おまえらなんかおよびではない。勝つのは俺たちだ」という無言のプレッシャーを与えて来るのである。

だから、弱小チームはいつももたもたし準備もおしゃべりしながらちんたらやっているから、ピッチに立つのも遅くなる。そうすると、「すいません、ちょっと練習させてもらってもいいですか?」と対戦チームにお願いしなければならなくなるわけである。そして「いいよ」といって、狭い片隅を開けてくれる。

これでは、勝負はやる前から分かっている、というわけである。

実は、テレビ放映は、サッカーのもっともサッカーらしいこういったことは全部カットされている。先日終わったFIFAワールドカップ(トヨタカップ)のようなビッグイベントの場合は、試合前インタビューとか、1,2時間前からレポーターがピッチ上にいる時に、偶然選手たちのアップ姿が入る程度にすぎないのである。

私はなぜサッカー番組はこのアップシーンを放映しないかいつも不思議でならないのだが、ここに全ての情報が詰まっているのである。

私が高校生の時、西ドイツのベッケンバーワーとミュラーのドイツがワールドカップで優勝した。歴史的天才ヨハン・クライフのオランダを破っての優勝だった。この時の西ドイツはいまのブンデスリーガと違って、バイエルン・ミュンヘン全盛期であった。代表選手の大半がバイエルンの選手であった。ベッケンバウワーもミュラーもヘーネスもGKゼップ・マイヤーもDFシュワルツエンベックもほとんどがバイエルン出身であった。

このチームが日本代表と試合しにやってきたのである。これを国立競技場にチームメートの2人と見に行ったのである。これだな。
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バイエルンメンバー
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対する日本代表
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皇帝ベッケンバウアーより

これを新宿駅で3人で野宿して徹夜して見に行ったのであった。

この試合のハーフタイムの時、サブの大半のメンバーと一人離れて、もくもくとアップする若い金髪の選手がいた。その時には日本人はその選手がだれだったのかだれも知らないまったく無名の選手であった。後半から出場したが、左サイドから同じような突破の繰り返しばかりする選手であった。

それから20年ほどして西ドイツ代表にいたルンメニゲという金髪の選手だったのではないかと思うようになった。が、やはりそうだった。上のメンバーにも入っている。(上のメンバー表をみると、当時19歳とある。若いはずだ。)このルンメニゲ選手こそ1980年代の欧州を代表する有名選手に育ったのだった。
ルンメニゲ:「なんとかなる相手だ」
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というわけで、こういったことは会場にいかなければ絶対に分からないことなのである。
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  by KiKidoblog | 2012-12-24 12:37 | サッカー&スポーツ

ピッチの上ではピッチのことに集中:サンタさんとアセンション話は何か似ているネ!?

マハトマ・ガンジーの名言集

みなさん、こんにちは。

これは私個人の印象だから、興味ない人はスルーを。

−−−−−−−−−

私が幼少期の頃はサンタクロースが子供たちにプレゼントをくれるという話はこの日本ではまだなかったようで、私が幼少期にサンタクロースのプレゼントをもらったという記憶がない。もっとも我が家はまだ非常に貧しく、そんな余裕がまったくなかったからにちがいない。

私の両親はまだ戦後のどさくさに家業から独立したばかりで、自分の事業を始めたばかりだったようで、赤ん坊のためのミルクを買う金もなかった。そして私は重湯をミルク代わりにして育てられたというからである。このことは、私が大分大きくなってから聞いたことだ。

だから、私がサンタクロースのプレゼントというものがあると知ったのは、かなり大きく成長してからだから、子供ながらに他の子供たちが
「サンタさんのプレゼントをもらった」
というような話を聞くと、どことなく違和感を感じたものである。
「へー、そうだったの?」
という感じで、
「こいつ、本当にそんなこと思っているのか?」
という一種の疑念であった。

その後、そういった彼ら自身が
「実はあのサンタさんは、自分のお父さんだった」
とか分かるようになるにつれ、誰しもが
「サンタクロースなんていない。あれはおとぎ話の一種で、大人たちが子供のためにやってくれていることなんだ」
とそれなりに理解し、中高生になり、そして成人を遂げていった。

私の個人的印象では、いわゆる「アセンション」話もこのサンタクロースファンタジーの「大人版」を聞いているように聞こえるのである。

サンタクロース神話を馬鹿にする気はさらさらないが、同様に、アセンション話を馬鹿にする気もさらさらない。しかし、どことなく違和感を感じるというのが私の受ける印象なのである。

このアセンション神話をどうとらえるか? もうすでに勝手にいっちゃっている人々は,「アセンション=死後の世界」とどんどんエスカレートしているようである。仮に「アセンション=死」であったにせよ、どうであれ、もし仮にこれが正しいとしてみよう。

人は死んでアセンションする。生まれ変わり(リインカーネーション)は存在するし、死後の世界も存在するものと、仮定してみよう。我々の魂は永遠である。それが生まれ変わるということが真実だと仮定してみよう。

仮にそれが事実であったとしても、私には「アセンションを学べ」とか、「死後の世界を想像してみよう」とか、「死後に何をすべきか考えよう」というような響きの発想には違和感を感じるのである。

生きているうちに死んだ後のことを考える。

やはりこれは変だ。仮に死ねば死後の世界に行くにせよ、やはり生きているうちは生きているうちにしかできないことをすべきであるということになる。

かつて、量子力学を発見したニールス・ボーア博士は非常にドライな考え方をした。正確には思いだせないが、確かこんなふうなことを言った。
「死後の世界があるにせよ、死は人生の一部ではない。我々は生きている。したがって、我々は今人生の最中にある。ゆえに、死後を考えるのは無意味である。」
ひょっとしたらヴィトゲンシュタインの言葉だったかもしれないが、だれかがこんなことを言っていた(ことは確かだ)。

さて、このことを私の言葉で言い直してみる。私は人生と死後の世界をサッカー選手のピッチとその外に例える。サッカー選手は、アセンション系の人のいう魂のようなものだとする。だから、サッカー選手がレギュラーとしてピッチ(=グランド)に立って90分間プレーをすること、これが人生であるとしよう。試合が終わることが1つの人生を終えることだとしよう。

そうすると、サッカー選手が何度も何度も新しい試合に挑むこと、これがその度に生まれ変わって別の新しい人生を生きることに対応するとしよう。サッカー選手は魂を表しているから、何度もピッチである人生に生まれ変わる。サッカー選手(=1つの魂)は、そうやって何度も試合を重ねながら学びを深めて行くと考えよう。

さて、私の経験では、サッカー選手、すなわち現実のサッカー選手に2タイプがあることを知っている。1つのタイプは、ピッチの上ではピッチの上のことだけに集中するタイプ。もう1つは、ピッチの上ではピッチの外のことばかり考えるタイプ。

前者は、ピッチの外ではピッチの外で休息したり、遊んだり、その世界のことに集中したり、次の試合のためにピッチの外でできることに集中する。ところが、後者は、逆にピッチの外に出ると、さっきの試合のことばかり、ピッチの上でこうすればよかったとか、こうすべきだったとか、そんなことばかりして、ピッチの外の世界のことを何もしない。ピッチの外でしか出来ないことをしない。

もちろん、この例は極端な例だが、大方この2つに入るのである。

さて、この2タイプの選手のうちどちらがうまくなるか?

というと、もちろん、だれもが予想するように、前者である。ピッチの上ではピッチの上のゲームに集中する。そしてそこから何かを学ぼうとする。そして試合が終わり、ピッチを去れば、さっきの試合のことは忘れて気持ちを切り替え、反省すべきこと学ぶべきことを今度はできるように、ピッチの外でしかできないことを行う。つまり、ピッチの中ではピッチの上で学び,ピッチの外ではピッチの外で学ぶのである。

ところが、もう1つのタイプはそれができないから、どこにいてもそこでしかできないということを学ぶことがない。それゆえ、成長の機会を逸してしまい、大選手に育たないのである。

よくこんな高校生を見かけるだろう。

練習中になると、今度のテストのことや彼女のことを話しながらパス練習。いつも雑談しながら練習する。しかし、そういう奴に限って、今度は授業中になるとしっかり授業を聴き、勉強するわけでもなく、サッカーの話をしたり、午後の部活の話に夢中になる。こういうやつはどっちもおろそかになり、良い選手にも育たないし、勉強もできない。そんなタイプになることが多い。まあ、私がこれまで観察したり出会ったこういった連中はほとんどがどちらも大成しなかった。

どうも私には、生きているうちに死後の世界がどうのこうの、今自分の人生があるうちに、アセンションがどうのこうのという輩と、こういった不埒なサッカー選手の姿が重なって見えるのである。

生きているうちには生きているうちにしかできないことをする。これでいい。これしかないと私は思うのである。死後のことは死後に考えれば良いわけである。アセンションのことはアセンションした後に考えれば良いわけである。

マハトマガンジーは、
明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。
と言ったが、多くはこのガンジーがインド人だったということを忘れている。

インド人こそ、仏教の始祖であり、同時にリインカーネーション思想(生まれ変わり思想)の発祥の地である。だから、ガンジーが死後の世界や生まれ変わりを知らなかったはずがないのである。なぜならそういうことを信じる文化思想圏に生きていたからである。

にもかかわらず、ガンジーはそう言った。つまり、生きているうちには生きている時にしかできないことをやれと言ったというわけである。

サッカー選手がピッチの上ではピッチの上のことに集中しなければ、試合に勝てないように、我々もまた生きているうちは生きているうちにしなければならないことに集中する。生きているうちは生きているうちにしか出来ないことに全力を尽くす。それでいいんじゃね〜〜?というわけですナ。

これが、ボーアの考えに対する私流の解釈である。

まあ、ついでにつけくわえると、言葉は悪いが、生きているうちにアセンション話を弄する人は、「死に損ないのたわ言」にすぎない、というわけですナ。

(別にアセンションや死後の世界を否定しているわけではないということは、分かるよナ。分からなきゃ−しょうがねーナア〜〜。)
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  by KiKidoblog | 2012-12-23 23:10 | スピリチュアル

ヘンリー・S・ストークス氏の講演:ボーズ「日本はアジアの希望の光です。」

みなさん、こんにちは。

今日が天皇誕生日であったことを忘れていた。ミンス党のことを書くと精神がなんか汚れたように感じる。アセンションにはほど遠くなるように感じるから面白い。

さて、そこで、ねずさんが天皇誕生日に合わせて、実に興味深い「元ニューヨークタイムズ東京支社長であるヘンリー・S・ストークス氏が行った講演」を紹介してくれていたので、真の歴史とはこういうものだったのだということをアメリカ人でさえよく知っているという証明のために、ここにもメモしておこう。ちょっと長い。
ヘンリー・S・ストークス氏の講演
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Henry Stokes
Japan as “the Light of Hope in Asia”
 
皆様、こんばんは。ヘンリー・ストークスです。
本日は皆様の前で、お話しの機会を頂き光栄です。

このシンポジウムは1952年の日本とインドの国交樹立60周年を記念して開催されております。
このような歴史的な瞬間を皆様と共にできることをたいへん光栄に存じます。

ことに20世紀で最も驚くべき展開は、500年続いた植民地支配、その禍が終焉を迎えたことにあります。

白人による支配が霧散してしまいました。
誰もがまったく予想しなかったことです。


1930年代末に「インドの独立はいつになるか」と問われたネルーは、「70年代には実現するかもしれない」と答えました。
つまりそれは、「私の亡き後に」という意味です。

ところが1940年代初頭には、インド人たちの間に独立の気運が突如として高まりました。
なぜ独立の気運が高まったのでしょうか。

答えは簡単です。
第二次大戦が勃発し白人の植民地支配500年のドラマに出現した新興勢力が、白人の植民地支配に痛烈な打撃を与えたからです。
 
その新興勢力こそ、日本でした。
 
インド独立のタイムテーブルは、ネルーの「70年代に達成できるかもしれない」というものから、一気に第二次世界大戦の終焉時へと短縮されたのです。

ここで、歴史の時間を20世紀から17世紀初頭まで少しもどしてみましょう。

インドでは、イギリスが1600年に東インド会社を設立し、植民地支配に着手しました。
イギリスはマドラス(1637年)ボンベイ(1661年) カルカッタ(1690年)に東インド会社を進出させました。

イギリスの侵略は、プラッシーの戦い(1764年)、マイソール戦争(1799年)、シーク戦争(1845年)
と続き、1857年から59年にかけては、反イギリス民族闘争で 有名な「セポイの乱」が起こりました。

こうしてイギリスがインドを抑圧支配する中で、1868年、日本で明治維新が起こりました。
ほぼ同じころに、インドでは独立のために戦った歴史的な人物が生まれています。

1869年にはマハトマ・ガンジーが生まれ、
1897年には、チャンドラ・ボースが誕生しています。

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1877年、イギリスが直接インド全土を統治するインド帝国が成立し、ビクトリア女王が「インド皇帝」として即位しました。

つまり、ボースはイギリスのインド植民地支配の絶頂期に誕生したのです。


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ボースは今でもインドで「ネタージ」と呼ばれています。
ネタージとは「偉大な指導者」という意味です。

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日本の支援を得て、ボースはINAを結成しました。
Indian National Army インド国民軍です。

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非暴力主義でイギリスの植民地支配と戦ったガンジーと 対照的に、ボースは司令官として戦闘を率いました。

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1943年5月16日、ボースは来日し、嶋田海軍大臣、永野軍令部総長、重光外務大臣などと面会し、その上で、東條英機首相と会談しました。

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ボースは日比谷公会堂で講演しました。
そのメッセージは当時のアジアの人々の気持ちを代弁していました。

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「私が小学校に通い始めた頃に、アジア人の国が世界の巨人・白人帝国のロシアと戦いました。」
「このアジアの国はロシアを大敗させました。 そしてその国こそが、日本だったのです。」

「このニュースがインド全土に伝わると、興奮の波がインド全土を覆いました。」
「インドのいたるところで、旅順攻撃や、奉天大会戦、 日本海海戦の勇壮な話が、沸き立っていました。」
「インドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将を素直に慕いました。」

「親たちが競って、元帥や大将の写真を手に入れようとしましたが、できませんでした。」
「その代わりに市場から日本製の品物を買ってきて、 家に飾りました。」

ボースは「日本はアジアの希望の光です。」とハッキリ語っています。

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ボースはこう続けます。
「このたび日本はインドの仇敵のイギリスに宣戦しました。」
「日本はインド人に、独立のための千載一遇の機会を与えてくれました。
われわれはそのことを自覚し、心から日本に 感謝しています。」

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「ひと度この機会を逃せば、今後100年以上にわたりこのような機会が訪れることはないでしょう。」
「勝利はわれわれのものであり、インドが念願の独立を果たすと確信しています。」

重要なのは、言葉より行動でした。
ビクトリア女王が「インド帝国」皇帝に即位して66年目にあたる1943年10月、自由インド仮政府が樹立されました。

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シンガポールでの大会で、ボースは満場の拍手をもって、仮政府首班に推挙されました。
ボースは「チャロ・デリー」 つまり「デリーへ!」と、 進撃を宣言し、人々はその メッセージを掲げて行進 しました。

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祖国インドへ向けた歴史的な進撃の開始でした。
インド国民軍INAの将兵は日本軍とともに、インド・ビルマ国境を越え、インパールを目指し「チャロ・デ リー!」と雄叫びをあげ、進撃しました。

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「われらの国旗を、レッド・フォートに掲げよ」
そう言ってボースは将兵たちを激励しました。

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自由インド仮政府は、日本とともに、イギリス、アメリカに対して宣戦布告をしました。

同年(1943年)11月5日より6日間にわたって、東京で大東亜会議が開催されました。
これは人類の長い歴史において「有色人種によって行われた最初のサミット」となりました。

東條首相、満州国の張景恵国務総理、中国南京政権の汪兆銘行政院長、フィリピンのラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、タイのピブン首相代理であるワイワイタヤコン殿下の首脳が一堂に会し、ボースはインド代表を務めました。

今日、日本の多くの学者が大東亜会議は日本軍部が「占領地の傀儡」を集めて行った国内向け宣伝だったと唱えています。
しかし、そのようなことを言う日本人こそ、日本の魂を売る外国の傀儡というべきです

会議では大東亜共同宣言が満場一致で採択されました。
ボースは「この宣言がアジア諸国民のみならず、全世界の被抑圧民族のための憲章としようではないか」と訴えました。

ボースは、日本は「全世界の有色民族の希望の光だ」と宣言しました。

この500年の世界史は、白人の欧米キリスト教諸国が、有色民族の国々を植民地支配した壮大なドラマでした。

そのなかにあって、日本は前例のない国でした。
第一次世界大戦の後のパリ講和会議で、日本は人種差別の撤廃を提案したのです。

会議では各国首脳が、国際連盟の創設を含めた大戦後の国際体制づくりについて協議しました。

人種差別撤廃提案が提出されると、白豪主義のオーストラリアのヒューズ首相は、「署名を拒否して帰国する」と言って退室しました。

議長であるアメリカのウィルソン大統領は「本件は平静に 取り扱うべき問題だ」と、日本に提案の撤回を求めました。

日本で外務大臣も務めた日本代表団の牧野伸顕男爵は、ウィルソン議長に従わず採決を求めました。
イギリス、アメリカ、ポーランド、ブラジル、ルーマニアなどが反対しましたが、出席16カ国中11カ国の小国が 賛成し、圧倒的多数で可決されました。

あろうことかウィルソン大統領は「全会一致でない」として、この採決を無効としました

牧野は多数決採択を求めましたが、議長のウィルソン大統領は「本件のごとき重大な案件は従来から全会一致、少なくとも反対者なきによって議事を進める」と採択を無視したのでした。

人種差別撤廃提案が11対5の圧倒的多数で可決したにもかかわらず、ウィルソン大統領はこの議決を葬ったのです。
今日の文明世界ではありえないことです。
いまアメリカの大統領は黒人ですが、そのようなことは当時は全く考えら れないことでした。

日本人も白人ではなく有色民族です。
同じ有色民族として誇りある日本人は白人の植民地支配を看過することができ なかったのです。

ここでインドネシアについても触れておきましょう。
インドネシアの植民地支配は、1596年にオランダが艦隊をインドネシアに派遣したことに始まります。

オランダの350年以上に及ぶ植民地支配に終止符が打たれたのは、1942年の日本軍の進攻によるものでした。
オランダ軍は、わずか7日で降伏してしまいました。

インドネシアには、「白馬に跨る英雄が率いる神兵がやってきて、インドネシアの独立を援けてくれるという伝説」がありました。

日本軍の進攻は、伝説の神兵の到来を思わせました。
日本兵は、神話の軍隊であったのです。

ジョージ・カナヘレは「日本軍政とインドネシア独立」という著書で、次の4点を掲げています。
1 オランダ語、英語の使用を禁止。
これにより公用語としてインドネシア語が普及した。

2 インドネシア青年に軍事訓練を施した。
これにより青年が厳しい規律や忍耐、勇猛心を植え付けられた。

3 オランダ人を一掃し、インドネシア人に高い地位を与え能力と責任感を身につけさせた。

4 ジャワにプートラ(民族結集組織)やホーコーカイ(奉公会)の本部を置き、全国に支部を作り、組織運営の方法を教えた。


日本は第二次大戦でアジアの国々を侵略したとされますが、どうして侵略する国が、侵略された国の青年に軍事教練を施すのでしょうか?

彼らの精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が結集する組織を全国につくり、近代組織の経営方法を教えることがありますか?

この事実は、侵略したのが日本でなかったことを証明しています。
日本はアジアの国々を独立させるために、あらゆる努力を 惜しまなかったのです。


では一体、どこからの独立でしょうか?

もちろん、アジアの国々を侵略していた白人諸国の植民地支配からの独立です。

ジャカルタの中心にムルデカ広場があります。
ムルデカはインドネシア語で「独立」を意味します。
独立の英雄ハッタとスカルノの像とともに高さ37メートルの独立記念塔が立っています。

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地下1階には、独立宣言の実物が納められています。
ハッタとスカルノが直筆でサインをしています。

そこに独立の日が「17-8-‘05」とハッキリ書かれています。
17-8は8月17日の独立の日を示していますが、‘05、05年とはどういう意味でしょうか?

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インドネシア人はイスラム教徒ですからイスラム暦ですが、これはイスラム暦ではありません。ましてやキリスト暦でもありません。
では05年とは、いったい何暦でしょう?


実は’05年は、日本の「皇紀」なのです。

1945年は、日本の「皇紀」では2605年にあたるのです。
初代の天皇である神武天皇が即位して建国をした時から数えた年です。

ハッタとスカルノは日本に感謝して皇紀を採用したのです。
インドネシア独立の生みの親は日本だったのです。
だから二人はインドネシアの独立宣言の独立の日を日本の「天皇の暦」によって祝福したのでした。

皆さん、こうした西欧の500年に及ぶ植民地支配は、世界中で広く認知されたことであります。
私たちは今日、植民地支配の禍の終焉をこうしてここに集い祝福しています。

日本は「日いづる国」です。真に自由なアジアを求めるみなさんで、手を取り合ってゆきましょう。 民主的なアジアの連帯を実現する重要な役割を、日本が果たすことを願っています。

日がまた昇ることを祈りつつ、本日の私の話しを締め括ら せて頂きます。

ご清聴ありがとうございました。
Henry S. Stokes


日本人よ、胸をはれ! 自分たちの歴史に誇りを持とう! 我々の歴史には常に正義が味方していた。恥じることはない。普通に生きよ。何も特別なことをする必要もない。力む必要もない。卑下する必要もない。正々堂々と生きればそれで良し。

とまあ、そういうことをこの歴史は我々に教えてくれていますナ。たまには真の歴史を知るのもいいですナ。


おまけ:
上の講演にあるインドネシアのその後はどうなったか?カンボジアやビルマ(ミャンマー)はどうなったか?という話がここにあったわけである。
「白人は人間ではない」:現代のコペルニクス

欧米人が仕掛ける罠 現代のコペルニクス
欧米人が仕掛ける罠1 2


欧米人が仕掛ける罠2 2

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  by KiKidoblog | 2012-12-23 21:24 | 真の歴史

3年前与謝野馨氏は言った:「蓮舫さんを評価する人の気が知れないですよ」

みなさん、こんにちは。

いやはや、ミンス党党首にまで立候補しようという威勢のいい蓮舫議員。3年前はどうやらこんなやりとりがあったらしい。

民主党の正体 蓮舫氏の国会における「人間失格」発言より



2分20秒からの与謝野馨氏の蓮舫の発言について

「(新内閣の顔ぶれを見て)蓮舫さん
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以外は、いい顔ぶれだと思いますよ」

蓮舫さんという人は本当に信用できない人だと思ってますよ

「この人のやっぱり言動というのは一貫性もないし、人気とは別にこういう人が日本の政治、やっていいのかなっていう気しますよ。あの、考え方を言ってるんですよ」

「やっぱりこれは、目立ちたい為にいろんな発言をするとか、そういうことが多くて、蓮舫さんを評価する人の気が知れないですよ」

「蓮舫さんが猪口邦子さん
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相手に質問をされたことがあるんですよ。実に女の嫉妬心が出ている、いやらしい質問であったと同時に大変失礼な」

「具体的にですね、結局、問題は『あんたなんかどうせ少子化担当大臣なんかやったって何もできないでしょ』 っていうトーンで、質問しているわけですよ。

「それで、この障害児の話になったわけですよ。 」

「(蓮舫議員は障害児をもつ猪口大臣に)『あなたは障害児を育てている親の気持ちなんか、まったくわからないような人ですからね』って、こう言いやがった。これはとんでもない話なんですよ。」

「猪口さんはじっと耐えて、答弁していましたよ。だけど、その時に蓮舫さんの人間性と言うのを知ったんですよ。これはね、やっぱり言っちゃいけないことなんですよ」

「だから、非常に、非人間的な発言ですよ。」

−−−−−
この質問の後の蓮舫の勝ち誇った態度の質問がこれ。何を誤解したんでしょうナア。蓮舫議員?

この中国人エージェント、謝蓮舫さんはいったい何ものなのでしょうか?

野党になるミンス党、再びこんな時間の無駄を国会で繰り広げるのでしょうナア。
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  by KiKidoblog | 2012-12-23 20:53 | 反日・在日の陰謀

分かる人にだけ分かる話:1次元とプリセッションの話

みなさん、こんにちは。

先日、
時事放談:戦後最大の選挙、自民党の圧勝!しかし「奢れるもの久しからず」の精神を忘れずに!

しかしながら、なんでもかんでもこの数秘術を使ってみてしまうとなると、欧米のどこぞの占い師のような感じになる。これでは、怪しいことばかりになってしまうのである。そして、一種のカルト化するか、精神を病む。

これは、カバラだけではない。同じことはいわゆる「UFO暴露」や「スピリチュアル」にも言える。「アセンション」もそうである。

こういうものが組織化立ち、頭数が増すに連れ、おおよそカルト化する傾向があるようである。なぜなら、彼らは「さまよう子羊たち」にすぎないから、かならず「羊飼い」が侵入して、柵の中に押し込められてしまうからである。

大方こういう動きをするようである。
ここの読者を激減させる話:今回の選挙は自民党しかないヨ!

同様に、ウソと真実、肯定と否定、陰謀と陰謀暴露、科学と非科学、など、こういう相矛盾することを思考する場合も、その筋のトレーニングを受けて来ないとかなり脳にダメージを受けるのである。かのジョン・ナッシュ博士はそれが下で、精神分裂をきたしたという。これは先の「リーマン予想」に出ている。

だから、おやりになるなら実名を使っておやりなさい。もしそれが無理なら、そういうお遊びはお止めなさい。これが私からの忠告である。
など、「B+層は『陰謀系・スピリチュアル系』から出るべきだ」というようなことをメモしておいたが、まさにますますそういう感じを受ける今日この頃である。

「信じるものは救われる」というが、それが裏切られた時には「信じたものは救われない」ことになり、怒りが増大する。

期待が大きすぎれば、裏切られた時の失望感がますます大きくなる。人が恋愛で愛が憎しみに変わるというのもまさにこの心理状態から生まれるのである。

つまり、期待−失望、愛ー憎、右ー左、信−疑、善ー悪などなどは、x座標の正と負の関係と同じだということを意味している。要するに、1次元の思考、同じ土俵に乗っていることなのである。

だから、つねに裏腹の関係がある。期待しないものには失望もない。愛しないものには憎しみもない。右へ進まないものは左へも進まない。物事が過大に増幅されることはない。

また、人が期待することが自分にとっては失望だという正反対の人やへそ曲がりの人には、失望は喜びであり、愛は憎悪にすぎない。右は左、上は下、善は悪、悪は善、神は悪魔、悪魔は神となる。

いうまでもなく、前者は普通のシープル、B層のこと、後者はいわゆるメーソン主義者、カバラ主義者、悪魔主義者、あるいは在日や朝鮮人のメンタリティーを言っている。

私に言わせれば、両者ともに同じ座標の上にいる。座標の名前の付け方が逆。プラスをマイナスと思うか、マイナスをプラスと思うかの違いでしかない。

大事なことは、こういう見方はものごとの一部でしかないということである。

問題は他の座標があるということである。このx座標に垂直のもっと広大な次元が存在するということである。さらにはその両方にすら直交する別の座標すら存在するかもしれないということである。

物事を上のような「二元論」(=「1次元思考」)で捕らえてはいけないというのは、そういう意味である。

かつて
バックミンスター・フラー
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は、「プリセッション=直交運動が大事だ」と説いた。この意味は、善悪、愛憎、信疑、左右、前後、上下などの「1次元」的概念に直交する方向の社会活動が大事だということである。具体的に言えば、こういうことである。

物事を右左、ここでは、右翼や左翼の意味だと理解しよう。この場合、社会全体が右に動けば、右翼は喜ぶ。今度は社会が左に進めば、左翼が喜ぶ。今度は物事を上下、ここでは、上がエリート、下が一般人としよう。この場合、社会が上を尊べば、上が喜び、社会が下を尊べば下が喜ぶ。

こういうものが、1次元的な概念である。個々人が持つ1次元的判断に対して、個人への外力として社会全体の動きがバイアスをかけたときに、各人がそれに反応するのである。これは、ある意味で、磁石に吸い付く鉄粉の動きによく似ている。磁石が社会全体にかかるバイアスである。各個人は鉄粉のようなものと言えるだろう。もちろん精神の内部においての話である。

これでは、かならず誰かが満足すれば、誰かが不満足になるというタイプの動きである。誰かが得をすれば他の誰かが損をする。そこで、社会のだれかが満足や得や利益を得るのではなく、あらゆる人のためになること、そういうことを考えよ、そういう運動をプリセッションと呼ぶと言い出したのが、フラーであった。

1次元であるx座標に直交したy座標の動きなのだから、x座標の上にいるあらゆるものに影響がある。はたしてそんなものは可能か?

そこで、バッキー(フラーの愛称)は、フラードーム、シナジー効果、インテグリティーなど、柔よく豪を制すの言葉のように、やわらかい建築構造を生み出したのである。が、あくまでこれはフラーの仕事、こればかりに取り憑かれるとまた、1次元的になってしまう。

さて、問題は現代においてこのプリセッションは何か?ということである。

スピリチュアル? アセンション? 宇宙人・エイリアン暴露? フリーエネルギー? 陰謀暴露?

確かにこういったものは本来そうした直交座標のものであるべきであった。しかしながら、巧妙にそれを同じx座標に落とし込む。こういうことが起こったようだ。

本来、こういったものは、真−偽という、y座標という別の次元の上に乗っているべきものである。それが、巧妙に信ー疑に変えられ、左右、愛憎と同じ軸に乗せられたと言えるだろう。

こういうことを仕事にしているのが、実はさまざまな組織に侵入したCIAやNWOやシオニストのプロだという話である。

まあ、分かる人には分かる話というわけなのだがナ。
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  by KiKidoblog | 2012-12-23 11:59 | コンスピラシー

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