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「少女時代」の「少女時代」がすごいって???:いや〜〜、すごい大変身ですナ!?



みなさん、こんにちは。

いや〜〜、偶然見つけたのだが、これは南朝鮮という国の本質を如実に表しているようで面白い。だから、一応メモしておこう。以下のものである。

彼らの「少女時代」はこうだった。田舎の少女が出稼ぎに来る。韓HKの「あまちゃん」と同じストーリー。
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それが次々に大変身。加工されていく。これが韓流「枕営業」らしい。
テヨン
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ジェシカ
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サニー
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ティファニー
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ヒョヨン
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ユリ
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スヨン
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ユナ
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ソヒョン
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それが、しばらくすると、
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そしてすっかり自信をつけて、完全に「過去とおさらば」サ!
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いや〜〜、少女時代って、そういう意味だったんですナ。

まあ、俺にはどうでもいいけどナ。

結局、「韓流」というものはすべてこんな感じ「虚構」なのだヨ。

いやはや、世も末ですナ。
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  by kikidoblog | 2013-07-11 08:43 | 電通コンスピラシー

岡潔「人間の建設」にみる憲法前文の解釈:憲法は人を甘く見ているヨ!

みなさん、こんにちは。

今回は、再び岡潔の話である。今日早速
人間の建設 (新潮文庫)
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という本を読んだので、これについてちょっとメモしておこう。

確かにこの本は小林秀雄との対談集ということだが、そのところどころに岡潔の数学の捉え方、政治や教育への捉え方が記録されていて大変興味深いものである。驚くべきことは、1965年の対談だということである。

私も最近になって、

「基本的に20世紀の自然科学は1960年代に終焉していた」

と考えるようになった。だいたいの基本は生物学であれ、物理学であれ、数学であれ、自然科学の基本は終了してしまったのである。

この実感は分かる人にしかわからないだろうが、私はそう実感するのである。特に、理論物理学はそうである。基本はそれまでに終了し、後は応用物理の一種のようなものにすぎない。

どうやら、岡潔博士は数学もすでにそういう感じだったと実感していたらしい。

さて、今回はこういうことではなく、せっかく世の中は参院選の直前だから、岡潔が日本の政治をどうとらえていたかについてのみ、ここにメモしておこう。この本のたった二箇所だが、実に興味深い観点を披露していた。
岡:日本は、戦後個人主義を取り入れたのだが、個人主義というものは日本国新憲法の前文で考えているような甘いものではない。それに同調して教育まで間違ってしまっている。その結果、現状はひどいことになっている。それに気づいて直してもらいたいと、私は呼びかけています。それを一億の人に呼びかけようと思ったら、続けて呼び続けなければならない。同じ文章で同じことをいって呼びかけても、退屈して読んでくれなくなる。どうすれば比較的読んでくれるだろうかという技巧は数学で使っていることと同じでしょう。数学で未知なるものをできるだけ既知のものに近づけるために書く文章と、いまあちこちに書く文章は、書き方としては同じです。
(以下省略)−−−美的感動について

これは当時の学生運動のことを言っているのだろう。

この時代に学生運動していた残党が、仙谷由人であり、菅直人である。岡の慧眼が良く分かる。岡潔の言った通りの結果を生んだわけですナ。

さて、もう一つはこれ。

小林秀雄が、岡潔に人は若い頃からあまり変わっていませんねというようなことを聞いた時、岡潔はこう答えた。
岡:それは理論の根本でしょうね。実際一人の人というのは不思議なものです。それがわからなければ個人主義もわからないわけです。そういう事実を個人の尊厳と言っているのですね。利己的な行為が尊厳であるかのように新憲法の前文では読めますが、だれが書いたのですかな。書いた連中には個人の存在の深さはわからない。個人の存在の底までわかり、従ってその全体像がわかってはじめて、その人の残した一言一句も本当にわかるわけですね。いまの知識階級のごく少数の人だけでもわかってくれたらよいと思います。個人主義をごく甘くみてしまっているんです。そういう個人というものがわからなければ、もののあわれというものも恐らくわからないでしょうし、もののあわれがわからなければ平和と言ったってむなしい言葉にすぎないでしょう。−−−人間の生き方

その問題となる日本国憲法前文はこれである。
日本国憲法前文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。

一方、明治憲法前文はこれ。
大日本帝国憲法

 朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ踐ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ卽チ朕カ祖宗ノ惠撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ增進シ其ノ懿德良能ヲ發達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼贊ニ依リ與ニ倶ニ國家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履踐シ玆ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
 國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ將來此ノ憲法ノ條章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
 朕ハ我カ臣民ノ權利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範圍内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
 帝國議會ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議會開會ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ
 將來若此ノ憲法ノ或ル條章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ繼統ノ子孫ハ發議ノ權ヲ執リ之ヲ議會ニ付シ議會ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
 朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ爲ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及將來ノ臣民ハ此ノ憲法ニ對シ永遠ニ從順ノ義務ヲ負フヘシ

現代語訳
 朕は、祖宗の功績を受けて万世一系の帝位をふみ、朕の親愛なる臣民はすなわち朕の祖宗が恵み、愛し、慈しみ、養ったところの臣民であることを思い、その幸福を増進し、その立派な徳と生まれながらの才能を発達させることを願い、またその補佐によって、ともに国家の進運を助けてくれることを望む。
 そこで明治十四年十月十二日の勅命を実践し、ここに大いなる憲法を制定して、朕に従ってくれることを示し、朕の子孫および臣民とまたその子孫によって永遠に命令に従い実行してくれることを知らしめる。
 国家を統治する大権は朕がこれを祖宗より受け継ぎ、また子孫へと伝えていくものである。朕および朕の子孫は将来、この憲法の条文に従って政治を行うことを誤ってはならない。
 朕は我が臣民の権利および財産の安全を貴び重んじ、またこれを保護し、この憲法および法律の範囲内においてその享有を完全に確かなものだとしてよいと宣言する。
 帝国議会は明治二十三年をもって召集され、議会開会の時をこの憲法が有効となる期日とする。
 将来、この憲法のある条文を改正する必要が出たときは、朕および朕の子孫はその改正を発議し、これを議会に提出して、議会はこの憲法に定められた要件にしたがってこれを議決するほか、朕の子孫および(そのときの)臣民は決してこれを掻き乱して変えようとすることがあってはならない。
 朕の朝廷に勤めている大臣は朕のためにこの憲法を施行する責任を有し、朕の現在および将来の臣民はこの憲法に対し永遠に従順の義務を負わなければならない。

では、だれが作ったのか?

この人達である。
日本国憲法を生んだ密室の九日間
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問題は、だれが作ったか?と岡が聞いた意味は、日本人であろうが米人であろうがだれがつくろうと構わないが、「個人主義」というものを本当に分かったものが作らないと、ろくなものにならない。そういう意味である。

というわけで、いや、というわけではないが、ここでしばしば私が「憲法改正」ではなく、「新憲法を作れ」と言っているように、私の主張と岡の主張が独立に一致したわけですナ。まったく別々の観点から一致したわけである。

私は「自衛のための銃所持も可能となるように新憲法を作るべきだ」ということだが、岡潔は「個人主義を本当に全うできるような、個人の深みを理解する憲法にしろ」と言っているわけである。

まあ、おれに言わせれば、「真の個人主義を生むためには、殺傷能力のある銃を持ってはじめて個人を自覚するのだ」ということになる。サムライが自分が一人のサムライであることを自覚するのが、剣を持った時だというのと同じことである。そうして、真の個人を見出したものだけが、真の軍隊やら防衛軍を持つことができるのである。

そういうものが分からない人間が武器を持つから、簡単に戦争を起こし、簡単に人を殺めるのである。そういうものだと私は考えている。

実は「ふだん戦争はいやだいやだ。まっぴらごめん」なんて言っている人間がいざ戦争になれば、我を忘れてもっとも残虐な人間に変わるものなのである。現実は何事も逆なのだ。普段から銃の危険性に熟知している人間は、そうやすやす人を殺めたりするものではない。そういうことを知らないから刀を振り回すのである。

簡単に死ぬ人というのは、自分がその瞬間まで死ぬなんて一瞬足りとも考えない。だから、死ぬ。むしろ何があっても自分だけは死なないと思っている。だから、簡単に死ぬ。自分だけは病気にならないと思っている。だから不摂生をして病気になる。そういうものだ。

もし明日自分が死ぬと覚悟していれば、あるいは、何かの拍子にいつも死の淵にあると考えていれば、そういう人は事前にそれを回避しようとする。だから、そういう人は無駄な死を避けることができる。そして、明日死ぬかもしれないと思うから、今を充実させようと思う。その結果、ガンジーの言葉のように、「明日死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ」という発想が出てくる。

しかし、大半の人はそうは思わない。だから、この夕方に自分が落雷にあって死ぬなどとは一度も考えない。だから落雷で死ぬ。今吸っているタバコで自分がいずれ重病になるとは考えない。だから吸えるし、だから危険な場所にも飛び込める。そんなもんだ。

個人主義とは憲法の前文を書いた連中が思っているような甘っちょろいものではないのだ。

私もまったく賛成ですナ。
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  by kikidoblog | 2013-07-10 15:53 | 岡潔・数学・情緒

こういうシコリアンは本国へ強制送還してもらいましょうか!?

みなさん、こんにちは。

TBSやウジテレビ、電通NHK,そして朝鮮朝日、さらには中韓毎日などなど、いまや中央のマスゴミは完璧なまでに「5識」しかない朝鮮民族の独壇場の様相を呈している。もはや暴走状態である。

一方、意外や意外、地方のローカル放送局、それも各市町村のケーブルテレビなどで作っている民放の健全なこと。一昔前の古き良きNHKのようである。地元の子供達や地元の学校の公式戦など大手メディアでは何の価値もないとしか見えないものだけを報道する。小学生の少年野球大会、中学生のバスケやサッカー大会、どこかで見た子どもたちの熱戦が繰り広げられている。それをレポートするのも地元の青年。どこにもタレントはいない。それがいいのである。

さて、そんな中央のメディアは豊富な(一説には25兆円/年ともいわれる)パチンコマネーのおかげで、完全に在日朝鮮人の巣窟と相成った。そもそも各社には朝鮮系メディアがマンツーマンディフェンスで張り付いているから、いつしかそれが合体したのかもしれないが、もはやどっちが日本でどっちが朝鮮かすら区別できない。そんな状況のようである。

そんなことを彷彿させるものが、これ。
本気で毎日新聞グループは潰れて良いのでは

先月
カジノ?いらないよ
でカジノについて取り上げましたが、

【 ■ セガサミー、韓国合弁企業がカジノ施設を取得】
 セガサミーホールディングスは7月1日、同社と韓国においてカジノの運営、ホテル、スパ等の経営を行うParadise Co., Ltd.によって設立された合弁会社PARADISE SEGASAMMY Co., Ltd.が、仁川国際空港隣接の国際業務地域(IBC-1)でParadise Groupが運営しているカジノ施設「Paradise Casino Incheon」を同日付けで取得したことを発表した。

 PARADISE SEGASAMMYはIBC-1において、カジノを含む複合型リゾート施設の開発、運営を計画。今回の「Paradise Casino Incheon」の取得は、2016年に予定されている本施設の開業に先立つもので、「Paradise Casino Incheon」のライセンスを活用した上で施設規模を拡張し、韓国において初となるカジノ併設の大規模複合リゾート施設を開発するとしている。
(2013年7月2日) 月刊グリーンべると

こうしてパチンコ業界は着々と
日本でのカジノ合法化に備えて動いているようです。
きちんと暴力団や悪徳業者が関与できないようにして
徹底的に管理できるのなら良いかもしれませんが、
維新の会などが主張するような
都市部の一角でやるような形は治安等の維持も難しくなります。
島や砂漠のど真ん中に有名なカジノがあるのは偶然ではありません。

そしてそのカジノに対して日本ではこうした在日マネーが
真っ先に入り込もうとしていますし、
カジノ合法化を通してパチンコという非合法賭博を合法化させよう
というのも彼らの狙いの一つです。

(以下省略)

この最後の方に2,3面白いものがある。

1つは、「隠れ民主党」の話。選挙では「民主党」と銘打つとまずいと思って、「無所属」で出ているが、実態はまったくかわらないという「元民主党議員」の名前が出ていることである。だから、こういう連中は当選すれば、また「民主党」に集結する。

これを「選挙のための無所属プレイ」という。そういうのはこんな連中だという。
山崎泰(維新の会、元民主)
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高井たかし(民主党の前衆院議員)
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坂口岳洋(山梨)
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植松恵美子(香川選挙区)
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(基本的に、これらの人は、目のベースラインがつり上がっているというとこですナ。「ハンベーダー」かもしれないゾ。)

いやはや、困った連中である。

さて、もっと面白いのは一番最後のこの話。「在日は武器」という話題。

つまり、昨今では、冒頭で見たように、大手マスゴミには「在日特権」があるらしい。言い換えれば、「在日指定枠」なるものがあるというのである。(ちなみに、どうやら日本の大学にもこれがあるらしい。これが本当かどうかを私個人はリサーチ中である。さもなくば、細野モナ男が、京大法学部卒などちゃんちゃらおかしい。入れるはずがない。)
在日は武器。
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そして、そういう在日君が大手各社の新聞社の記者になると、結局どんな仕事をするようになるか?

結局、行き着く先は、「反日記者」に直行便。

これを物語るものが、これ。
2006年9月28日 佐賀県知事による質疑応答 (1/2)

この中で、毎日新聞記者を銘打って、たいへんのんきな質問をしているのが、この”謎の”人物。
毎日新聞・朴鐘珠記者に励ましの電話を!
話題沸騰!! 毎日新聞佐賀支局の朴鐘珠記者の名詞を極秘入手!!
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毎日新聞 佐賀支局
朴鐘珠(ばく ちょんじゅ)

〒840-0811(佐賀支局)
佐賀市大財1−7−11
TEL:(0952)23-8108 FAX:(0952)26-1284
携帯:(090)1851-0369
E-Mail:mail@parkchongju.com

「天皇が来る意味って?」 毎日記者発言ネットで騒動

私個人は、この事件はまったく知らなかったのだが、7年ほど前にあったようである。

こういう人物がそのうち国会議員になろうとしたりするからたちが悪いのである。

問題が生じる前に、こういう反日行為を行った連中は即座に「日本版FBI」を作って、

「ハワー、ユー、ドゥーイング?(やあ、元気かい?)」

と毎日挨拶に行ってもらうのがいいのかもしれないですナ。

おそらく、もっといいのは、誰かに殺害されてしまう前に本国に強制送還して身柄を確保してやることだろうヨ。日本人にもいろんな恐ろしいやつがいるからナ。
だから、俺は

「日本政府よ、はやく銃刀法改正しろ」

と言っているわけですナ。さもなくば、日本は守れない。

それにしても、「在日天国、日本」ですナ。

うらやましいかぎりだ。きっと本国朝鮮人もそうおもっているにちがいないゾ。
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  by kikidoblog | 2013-07-09 16:31 | 反日・在日の陰謀

岡潔 「人とは何かの発見」:いまこそ岡潔博士の言葉に耳を貸そう!

みなさん、こんにちは。

今回も岡潔博士の生前の講演をメモしておこう。「人とは何かの発見」という1972年に東京で行われた講演である。以下のものである。
岡潔 「人とは何かの発見」の解説
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この中で、特に印象に残る部分だけ、私の独断と偏見で取り上げてメモしておこう。あとはご自分でどうぞ。

(あ)まず、岡潔博士は「生物と無生物をどのように捉えていたか?」
【 1】 生物と無生物

 とも角、人とか自分とか云うものは一体何だろうと云うような事が、先ず問題になりますね。ところが自然科学はこう云ってます。自然科学と云う学問は有りませんが、あそこで皆、色々働いて得た知識、これは使えるものはできるだけ使うのがよい、そう云う事は云えます。

 わたし達、今から20億年前と習いましたが、地球上に単細胞生物が出た。今は50億年前と云ってる様ですが、これはどっちだって大して変りゃしませんが、この単細胞生物ですがね、西洋人はそれが出るまでの自然、地球などと云うものは全く無生物だと思っている。そうして、そう思って説明しようとした。で、無生物、この物理とか化学とかを作っていって、いよいよ生物となった時、単細胞生物に出会いますね。

 この単細胞生物がどうして現われたと説明するかと云う、大問題に出会いますね。こんな事始めから明らかなんですね。やって見なくたっていつかそこへぶち当るに決まっている。無生物から生物が生れるなんて説明できやせんに決まっている。欧米人どうしたかと云うと、説明つかんもんだから、他の星から飛んで来たんだろう、それで止めているんです。

ここで、岡潔が「自然科学と云う学問は有りませんが」という意味は、自然科学は「学問」というほど(つまり、数学のような厳密精密科学)のものではなく、単なる「思想」だという意味ですナ。

これなど、本当に岡潔の思考法を端的に表しているといえるだろう。岡潔は、「物事のその本質を見抜き、それを一言で語る」、これを繰り返して数学を行ったのである。だから、常に「物事の核心は何か?」、これを突き詰めることが第一。余計な説明や言い訳などいらん、というやり方である。真に「学究」である。

だから、ギリシャに端を発した「自然科学」は、まさにそのギリシャに端を発した一つの「哲学思想」にすぎない。そう言っているわけだ。だから比較検証や物的証拠に基づく、あるいは現実な証明に基づく「学問」とは違う。そう言っているということですナ。

私が知るかぎり、世界でも我が国でもここまではっきりと「自然科学は単なる思想にすぎない」と明言した人は、岡潔博士のみである。

おそらく、こういう観点にたどり着いたのは、日本の禅の高僧であった道元禅師の「正法眼蔵」を学んだことから来たらしい。日本人必読書であるという。


(い)次に、岡潔博士は、かつて湯川秀樹は「老荘思想」に基いて、西洋科学と東洋科学の比較をし、そこから素粒子論に革命を導いたことが知られているが、これと似て、またまったく独立に、「老子の自然学」との対比で、西洋自然学の欠陥を指摘している。

つまり、西洋人は「生物と無生物」を区別するが、自然はそういう区別はしないという考え方である。
【 2】 老子の自然学

 物理とか化学とか無生物と云うものを、そんな風に見て来たんだったら、生物学のこの一番核心はこの単細胞生物と云う、その頃、まだビールスと云うもの分ってなかったからビールスでもかまいません、単細胞生物と云うものが、いかにして無生物ばかりのところへ出たかと云う事が学問の核心であるべきです。
 が、そこを、他の星から来たんだろうと逃げてしまってる。それなら同じ事です。その星に於いて、どうして単細胞生物が最初出たか、又、他の星から来たって逃げたって、今度は、またその星に於いてとなるからいつ迄たったって、これじゃ逃避であって問題が解決せん。無生物から生物が出たとするのがそもそも無理なんです。間違いなんです。
 実際不安定な素粒子、見てごらんなさい。生れて来て、又、消えていって了っている。無生物とは見えない。東洋では自然を無生物だなどと思ってやしない。これは直感なんでしょうね。老子の自然学と云うものは、自然は無生物だと思ってやしませんし、日本の古事記だって国は神が生んだとして、生物と無生物との間に区別を置いていない。これが正しいでしょう。これは直感でしょう。欧米人だけが無生物だと思うらしいですね。
 欧米人は無生物から生物が生れる、と、無生物が生物を生む、つまり、体が心を作ると云う風にしか思えない。それから五感で分らないものはないとしか思えない。この二つの非常な間違いを始めから持っているんですね。

この「老子の自然学」とは、こんなものらしい。解説者の横山氏がこう書いている。
その「老子の自然学」を次に挙げてみます。

 「先ず天地開闢(てんちかいびゃく)のはじめ、無(む)に息(そく)が現れる。そうすると生(せい)が生まれる。次に生が生たるを失わないで、命(めい)が生まれる。更に生が生たる命が命たるを失わないで、悟(ご)が生まれる」

 これが極めてシンプルではあるが、ダーウィンの進化論とは全く趣きを異にする「老子の自然学」といわれるものです。
ここで、「無」とは、仏教では「空」。「息」とは振動のようなもの、最近では「波動」という言葉にあたる。次に「生」とは、「無生物」のこと。「命」とは、「動植物」のこと。「悟」とは、東洋の理想である「聖人」のこと。

つまり、老子はこう言っているということになる。
この宇宙では、最初に無から始まり、息(波動)が生まれる。次に「生(無生物=物質)」が生まれる。そして「命(動植物)」が生まれる。そして最後に「悟(聖人=覚醒者)」が生まれる。

無→息→生→命→悟→

したがって、東洋人が「生命」という意味は、「生」=「無生物」と「命」=「生き物」=「生物」の両方をいっしょに生命=ライフ(life)と考えているという意味である。そして、岡潔博士は、「これが直感にあって正しい」と言っていたというわけである。


(う)次は「造化(ぞうか)」という言葉が出てくるもの。この「造化」とは、万物を創造するものの意味だが、これはいわゆる西洋人のいう「万物の創造主」=「神」というものと区別するために、わざわざ「造化」と呼ぶことにしていたようである。
【 3】 造化の冥助

 で、20億年前に、50億年前かも知れませんが、単細胞生物が地上に現われた。この単細胞生物が進化して人になったんですね。身体だけ見てみましても、人の身体は非常に数多くの細胞から成っている。その細胞の配列は、実に精緻を極めたものです。単細胞がこんな生物、身体に進化した。これ実に不思議ですね。
 あなた方は、人が、自分でここ迄向上したんだと思いますか? そんな事思えんでしょう。造化が向上させてくれたんだとしか思えないでしょう。造化が単細胞を向上させて人の身体にまで持って来たんです。
 じゃあ、そうして一旦人と云うものが出来てしまったら、後は造化の手を放れて、自分だけでやれるか。振り返って見ますと、赤ん坊が生れる時、最初は母の胎内に単細胞として現われますね。それが細胞分裂を起して、そして人の身体になるんですね。これは、人が自分の力でやってるんでしょうか? そんな事思える人ないでしょう。やっぱり造化にやってもらっている。
 だから一旦、人になってのちも、絶えず造化によって人の五体を作ってもらっている。こう考えた方がずっとよく分るでしょう? 人がやってるなんてとても思われやしないでしょう。じゃあ、そうして、ちゃんとした身体を備えた人になれば、後は自分でやっているでしょうか。

この後半部分が実に面白い発想である。

我々がいわゆる「進化」というものを信ずれば、そしてもしそれをこの宇宙の「造化」がやったと思えるだろう。だったら、人が受精卵からかえって徐々に人の形になり、それが出産を経て、人として生まれ、さらにそれが成人になり、人の一生を終える。これもまた、人がやっているというよりは、「造化がやっている」と捉えるほうが理にかなっている。そういう主張である。

実は、ここが日本人と外人のもっとも基本的な世界認識の差なのである。

よく我々日本人には「生かせてもらっている」というような感じの言葉を言う人がいたり、言わないまでも、そう思うというのがだいたいの人はその意味を理解できる。ところが、西洋人にはまったくこういう感性がないのである。

日本人は、「人はこの宇宙に生かせてもらっている」という主張は実に自然に聞こえるが、西洋人はこれが理解できないのである。おそらく、「うまみ」や「和食の健康食」の問題と同様に、科学的に証明されるまでは信じないだろう。

こういった西洋人独特の特徴が、今の世界の荒廃に導いたという意味合いで、岡潔は批判しているわけですナ。

(え)途中ははしょり、この問題を野球や執筆にたとえている部分がある。次のものである。
【 9】 野球と原稿

 まあ野球なら野球ですが、練習すれば上達すると思っている。練習すれば何故上達するのか、練習するのは人であって、上達、これはするのではなく、させてもらっているんでしょう。する事も有ればしない事も有る。練習すれば必ず上達するとはいかんでしょう。で、云える事は、練習しなかったら上達しないと云う事だけでしょう。
 勉強すれば偉くなると云うのだってそうです。勉強すれば偉くなるとは限らない。勉強しなかったら偉くならないと云うだけです。偉くなる方はどうして偉くなるのか分らないし、偶然偉くなっているんです。そうなってるんです。偉いって一体何がどうなったことか分らないのですけれどね。
 例えば原稿を書いてみると、読んでみると、うまく書けてたりするから偉くなったと云ってるんだけど、その原稿は一体自分が書いているのか造化が書いてくれているのか分りやしません。
 読み直して直す段になって、これは自分がやっているんだと云える。「あなたは何故こうお書きになったのか」と聞かれても答えられやしません。「あなたはどうして、ここをこうお直しになったのか」と聞かれたらこれは答えられる。その辺からハッキリ自分です。

野球がうまくなりたきゃ、サッカーがうまくなりたきゃ、練習するほかはない。だけど、練習したからといっていつもそうそうにうまくなるわけではない。あとは神頼み。造化頼みだろ。結局、うまくなるかどうかは神のみぞ知る。しかし、練習しない限りそれはない。そう言っているわけである。

まったく、その通り。

何事も為せば成る。ならんはならん。

とはいうものの、本当にそれがなるかどうかは、だれにも分からない。この世界とはそんなものだ。そういっているわけである。

あとから見たら、俺はあの時こういう偶然が重なって、今の俺になった。

そう分かるだけだ。そういうものだよ。そういっているわけですナ。実に深い。


(お)そして最後に結論。これを終生、岡潔博士は繰り返し語り続けたのである。
【10】 人類の思い上がり

人はこんなものなんです。それで何よりも皆さんに御相談したいんですがね、今、人類の思い上りは目に余る。このまま捨てておけば千年も経たない内に人類は亡びてしまうだろう。
 実際、造化にそう云う風な人の心があって、そして、ああしよう、こうしようと云う風にするものならば、造化はそんな事しませんが、もしするんだったら、人などと云う悪い動物は一刻も早く亡ぼしてしまわなければ地球上の動物や、植物はひどい目に逢う、実にひどい目に逢うと思うでしょう。
 だから自分の無知無能を知って、このひどい思い上りだけは止めようじゃありませんか、そう提議したい。まず日本人だけがそれを止め、次に世界にそれを提議するのが人類に対する急務だと思う。その為には、自分が如何に無知無能であるかを良く見ればよい。これは大脳前頭葉を使ってやれる。意識を通してやれる。
 自然科学などと威張ってましたが皆間違ってるでしょう。その上に組み上げた一切の文明などと云うものは、有りやしません。この、自然は何故か分らないが、造化は物質に法則あらしめているんです。それだけを知ってそしてその法則を探り、それを組み合わせているのが人類の文明です。全然威張られやしない。
 人がこの思い上りを捨てたら、人は如何に生きるべきかと云う事を、又思い出すだろう。で、これが一番言いたい事だったんです。

己の無知の知。思い上がりをやめる。

これしかない。人類の滅亡を止めるには、これよりほかにない。そう岡潔博士は考えていたのである。

まあ、私が付け加えれば、「人類」という部分は、それに「朝鮮人」や「支那人」や「イルミナティー」や「アメリカ人」でも「日本人」でも、なんでもいいから入れ替えてみることができるということである。そのほうが分かりやすいだろう。もちろん、岡潔博士はこういうものを全部ひっくるめて「人類」と言っている。

そして、一番最初に日本人が己の無知を知り、思い上がりをやめよう、といっていた。これが岡潔博士の一番言いたいことだったのである。

いまこそ、謙虚にこの岡潔博士の言葉に耳を貸そうではないか。


おまけ:
ついでに、なぜ私がわざわざここに岡潔博士の思想をメモしているのか?という理由をメモしておこう。

岡博士の言説を見れば分かるように、東洋人の偉大な先駆者たちは、けっしてこの宇宙やその構造を西洋人や西洋の哲学者のようには捉えていなかった。宇宙は「ユニバース(単一宇宙)」とか「マルチバース(多次元宇宙)」とか、「パラレルワールド(平行宇宙)」とか、そういうふうには捉えていなかったのである。

無生物と生命、無から有がどうして生まれるのか? 無生物から生物がどうして生まれるのか?こういう捉え方もしていなかった。むしろ、無と有は不一不二のもの、不可分のものと捉えていたのである。

だから、エイリアンとチャネリングした、エイリアンがこう言っていた、宇宙人に見せられた、などといって、「この多次元宇宙が〜〜」どうたらこうとか、「実はこの宇宙はパラレルワールドなんです」とかいって、チャネラーやら、なにやら言っていたとしても、そこで使われている語句やキーワードが、そういう西洋人そのものの発想から来ているものしかない、そういうものだけで埋め尽くされているとすれば、すべてまやかしにすぎないというわけである。

なぜなら、もし本当にそれがエイリアンの主張であるならば、むしろ東洋思想も西洋思想もすべて超越したもの、人類を超越した思想でなくてはならないはずだからである。いくら普通には理解しがたくとも、その筋の最先端の(まあ、そう自称する)物理学者が作った言葉や概念だけで語られているとすれば、それは恣意的なもの、つまり、だれか工作員が行なっている、一種のキャンペーンだと考えるべきである。そういうことになるわけだ。

西洋人の思考にはかなり制限や欠陥がある。だから、それが一種特有の頭の使い方によって、これまた特有の認識の仕方をしてしまう。3次元でうまく行かなきゃ、4次元だ。それでもだめなら10次元だ。こういう発想は西洋人特有だと岡潔は認識しているのである。

まあ、私が岡潔の思想から類推するに、次元というものは、一種の絵を書く紙のようなものだから、あるいは何かを詰めるボックスのようなものだから、いくらそういうものを増やした所で宇宙を理解することなど無理。むしろ、岡潔の「層の概念」(おそらく、これは禅の思想から来たと考えられる)に基いて宇宙の構造を考えたほうがリアリティーがあるようにみえるのである。

層とは、人間には「10識」あるというような話の時の「識の層」=「認識の多重構造」のようなものをいう。そしていわゆる動物の「五感」から始まり、最後の「宇宙の情」に至る、「層状構造」でできているのだ。そういうふうに宇宙を見る方が「パラレルワールド」やら「マルチバース」だなどというより、よりわかり易く真実に近いのである。

しかしこれまた、ここで、そういうものを西洋人であるスウェーデンボルグやらだれそれの書いた西洋人型思考で「射影」してしまった「宇宙の構造」やら「生まれ変わり(リインカーネーション)」やらに焼き直してしまえば、これまた西洋人の思考の欠点を遺伝することになるわけですナ。

老子や道元など東洋の偉人はそういうふうには見ていなかった。

老子や道元も地球人の一人にすぎない。

だとすれば、エイリアンが教えてくたものであれば、老子の自然学や道元の時の認識、そして西洋人の自然科学者の考え方もすべて超越しないとおかしいのである。

私がスピリチュアルの人のいう、チャネリングの相手の思想がいくら一見もっともらしくとも、それが人が作ったものか、本当にエイリアンが作ったものかを見極めることは実に簡単なことなのである。

大半は西洋人のそのご本人が自分で作ったものを、あたかもあっちの世界の人が教えてくれたかのように言っているにすぎない。つまり、一種の病気なのである。

とまあ、そういうことを知るための一つの前提として、ここに岡潔の思想をメモしていたというわけですナ。

まあ、分かる人にしか分からんだろうがネ。まあ、おれにはどうでもいいことだがナ。
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  by kikidoblog | 2013-07-09 10:49 | 人物

岡潔博士の「自然科学観」、「自然科学は間違っている」:いや〜〜、実に鋭い!

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父の言葉
日本人が櫻が好きなのは其の散り際が潔いからである。
−− 岡潔


みなさん、こんにちは。

今回は、日本の世紀の天才数学者、

岡潔(故人)
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のことをメモしておこう。私はこの人のファンである。

というのも、数学者でありながら、自然科学にも独特の思想や観点を持っていたからである。それも、実に挑戦的かつ批判的かつ破壊的観点を持っていた。ここがすばらしい。何事も新規なものはいったんすべてを破壊しない限り生まれない。そこを十二分に理解していたということである。

もちろん、岡潔博士は数学以外のほとんどすべてにも精通していた。特に、仏教思想にも西洋思想にも詳しかった。そんなものは、以下のサイトに詳しい。
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数学者岡潔思想研究会
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岡潔博士は、数学において、たったの10通の論文しか公表していない。しかしながら、この10通は全部続きものであり、全部合わせると電話帳ほどの厚さになる。(もちろん、私は手元に持っている。)そして、そのそれぞれが、あまりに完成度が高く、欧米の偉大な数学者たちも舌を巻くほど、どころか、畏敬の念で、「私にはそんな論文は書けない」と言わせてきたものである。それほどの深さと美しさと簡潔さとを兼ね添えた論文として知られている。
(この岡潔の論文作りの方法すら実に興味深いものだった。コンピュータのない時代に、手書きで、まず日本語で何度も何度もいったん完成したものをまったく新しくはじめから全部書きなおす。それを繰り替えして一番優れたものを、今度はフランス語に書き直す。そしてまた何度も最初から書き直す。こんなことを何年も続けて、やっと1通の論文を書く。まさに書き上げる。パソコンでちょこちょこっと書いてハイ終わりの昨今の学者にはできない芸当である。現代の学者たち、己のインチキを恥じ入ろうではないか。)

そして、いま岡潔の業績としてよく知られているのは、その一連の論文の一番初期のもののテーマである。「層」の概念というものである。英語では「sheaf(シーフ)」という。このシーフ理論、または、「層の理論」を作り、それを使って、「多変数複素関数論」というまったく当時手につかなかった世界をほぼ一人で完成してしまったのが、この岡潔博士であった。(あとは、いまだ手付かず。理解できる数学者は皆無に近いと言われている。その意味では宝の山である。)

この一変数(一個の複素数)の場合を完成したのが、かのオイラーであった。複素数(z = x+ iy)という世界を初めて導入し、数学のすべてを作り替えたのであった。

このオイラーの自然な拡張を行ったのである。すると、多変数の複素数を扱うわけだから、さまざまな問題、それもだれも聞いたことも見たこともない状況が、その都度出てくるのである。

普通はそうなると「難しい」、「無理だ」、「時代が早すぎる」とかいって、自分にすぐできることでごまかすのだが、岡潔博士は、そういうことを一切せず、寝ずの集中力で一つ一つそれを切り開いていったのである。

この集中力は「3日寝ずに考えた」とか「時には一週間寝ずに考えた」というレベルである。だから、時に普通の人には「不可解な人物」に見えたのである。精神病院送りになりそうなことも何度もあったという。

そんな感じの真に学究らしい学者であった。

その岡潔博士が生前あらゆる場面で現代物理学に対してきわめて辛辣な意見を持っていたのである。もちろん、当時「夢の原子力」と言われた、当時の最先端のものに対してもそうであった。
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いったい30年足らずで何が分かるだろうか。わけもわからずに原爆を作って落としたに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味が分かってはいまい。

A Happy New Physics! : ハイゼンベルグの不確定性原理も破れた!


さらには、こんな言葉も。
【8】 大宇宙の本体は情である

情がどうして生き生きしているのかということですが、今の自然科学の先端は素粒子論ですね。これも繰り返しいっているんだけど、その素粒子論はどういっているかというと、物質とか質量のない光とか電気とかも、みな素粒子によって構成されている。素粒子には種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することができる。
その不安定な素粒子群は寿命が非常に短く、普通は百億分の一秒くらい。こんなに短命だけれど、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。電子は安定な素粒子の代表的なものです。こういっている。
それで考えてみますに、安定な素粒子だけど、例えば電子の側から見ますと、電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。そうすると安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。
いわば、不安定な素粒子がバケツに水を入れて、それを安定な位置に運ぶ役割のようなことをしているんではなかろうか。そう想像される。バケツの水に相当するものは何であろうか。私はそれが情緒だと思う。
やはり情緒が情緒として決まっているのは、いわばその位置だけであって、内容は絶えず変わっているのである。人の本体は情である。その情は水の如くただ溜まったものではなく、湧き上る泉の如く絶えず新しいものと変っているんだろうと思う。それが自分だろうと思う。これが情緒が生き生きしている理由だと思う。生きているということだろうと思う。
自分がそうであるように、他(ひと)も皆そうである。人類がそうであるように、生物も皆そうである。大宇宙は一つの物ではなく、その本体は情だと思う。情の中には時間も空間もない。だから人の本体も大宇宙の本体にも時間も空間もない。そういうものだと思うんです。

さらには、こんな講演も行なっていたのである。
「自然科学は間違っている」


普通に考えて、これは無視してはならないだろう。ましてや、我々理論物理学者は、いわば「座標や空間」の創始者である岡潔博士がこう言っているのだ。ぜったいにそれに対して、それなりの返答を行わなくてはならないだろう。

言い換えれば、「物理学者に挑戦してきた」わけだから、それを受けなくてはならない。

がしかし、いまのところ、物理学者からはなしのつぶてである。無回答。まあ、逃げの一手。もうだれも岡潔の名は知らないから、黙っておけよ、というところだろうか。

しかしながら、この岡潔博士の「宇宙は情でできている」というのは、いまでは、いわゆる「スピリチュアル系」の人ならすぐにピンとくるはずのものである。それを岡潔博士は遅くとも1970年代には明確に理解していたのである。40年以上前の話である。実に興味深い。

さて、その岡潔博士の観点で、上で赤字にした部分が特に興味深いのである。
「安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。」
「不安定な素粒子がバケツに水を入れて、それを安定な位置に運ぶ役割のようなことをしているんではなかろうか。そう想像される。」
「バケツの水に相当するものは何であろうか。」

つまり、「不安定なものは、なにかを背負ってやってくる」。いわば、安定な物質の間をいきかいするメッセンジャーボーイのようなものだろう、というのである。実に興味深い。

数学の世界では有名なのだが、特に岡潔博士の御存命中ではそうだったらしいが、岡潔博士が「いま」言ったことは、その後何十年か経って「やっぱり本当だった」ということが常だったというのである。数学でも、岡潔博士には証明を(論文に)つける必要のないこと(つまり、書くまでもないこと、もちろんご本人は証明している)であっても、それを読んだ人が「証明をすると、やはり正しかった」ということが頻繁に起こったのである。

だから、「論文数」という意味では、たったの10通しかないのだが、つまり数字上は10でしかないが、その価値は100年分にも相当するというものだったといわけである。こういう人はもちろんめったに現れるものではないが、いわゆる「論文数」や「論文引用数」などの数字では評価できないタイプの典型例なのである。

かの湯川秀樹はどちらかと言えば、物理学の世界では、文系的な人で、物理を文学的に捉えた人である。この湯川秀樹博士も通称「◯の理論」といって、黒板(時空)に◯を書いて、
「素粒子とはこの◯のようなものだ」
といったのであった。

この発想がアメリカのチュウ博士に届き、それが「紐理論」の元祖になった。そしてアメリカのチュウ博士の周りにいた若手たちがクォークの中身は「◯いヒモ」だというアイデアを発展させたという歴史がある。

それに対しても岡潔博士の観点は明解だ。こう言っている。
「自然科学は間違っている」 岡潔著

【 2】 自然科学者の時間空間

自然科学者は自然というものをどういうものだと考えているかということを代りに言ってやって、そして、それを検討するより仕方がない。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。

が、まあよろしい。ともかく初めに時間、空間というものがある、その中に物質というものがあると、こう思っています。
【 3】 五感でわかるもの

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。

それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。そう感じます。

で、そういう物質が自然を作っている。その一部分が自分の肉体である。

ところが、空間といわないで、時間、空間といいました。だから空間の中に物質があって、それが時間と共に変化するということでしょう。だから物質があれば働きが出る。それで自分の肉体とその機能とが自分である。自然科学者はこう思っています。

これはしかし、自然そのものではなくて、自然の極く簡単な模型だと、そう感じます。それで、これに名前をつけて物質的自然と、そういうことにします、のちに要るでしょうから。

【 4】 自然科学と生命現象

ところで、自然のできるだけ簡単な模型を考えて、その中を科学するということは、知ってやってるのだとすれば確かに一つの研究方法に違いない。知らずにやってるんですけど、それでもある結果は出るだろう。そうは思います。しかし、こういう簡単な模型の中だけを調べたのでは、わかるものは物質現象だけで、生命現象はとてもわからないのではあるまいかと、こういう疑いが起こります。それで自然科学に聞いてみましょう。

人は生きている。だから見ようと思えば見える。何故であるか。
自然科学はこれに対して本質的なことは一言も答えない。

余計なことはいっています。視覚器官とか視覚中枢とかいうものがあって、そこに故障があったら見えないという。故障がなかったら何故見えるかは答えない。だから本質的なことは何一つ答えられないのです。

人は立とうと思えば立てる。この時、全身四百いくつの筋肉が突嗟に統一的に働くから立てるのですが、何故こういうことができるのか。
これに対しても自然科学は本質的なことは一言も答えられない。

人の知覚、運動、どれについても本質的なことは一言も答えられない。知覚、運動というのは生命現象の「いろは」でしょう。もすこし突っ込んだものを申しましょう。

人は観念することができる。観念するというのはどういうことをいうのか。
一例として、
哲学することができる。何故か。
自然科学は勿論、一言も答えられない。

人は認識することができる。何故か。
これに対しても一言も答えられない。

人は推理することができる。何故か。
これに対しても一言も答えられない。

それじゃあ一番簡単に、人は感覚することができる。何故か。
これに対してすら自然科学は一言も答えることができない。

【 5】 自然科学の無知

それじゃあ物質現象なら可成りわかるのか。で、聞いてみましょう。

物質は諸法則を常に守って決して背かない。何故か。

これに対しても自然科学は一言も答えられない。だから物質現象のほんの一部分、非常に浅い部分だけしかわからんのです。

で、それでも人類の福祉に役立ってはいます。たとえば医学は自然科学です。可成り人類の福祉に役立ってはいます。しかしながら、医学の人類の福祉に役立つ役立ち方は、何が何だかわからんままに役立っています。

ところで、間違った思想の洪水から逃れようとするには、智が要ります。無知なままで福祉に役立ってたところで仕方がない。それで物質現象のほんの一部分しかわからんというのは、完全な無知とほとんど選ぶ所がない。

そして、途中をはしょって、一番最後ではこう言っている。
【 8】 個人主義と物質主義

そうすると人が現実にその中に住んでいる自然は、単に五感でわかるようなものだけではなくて、無差別智が絶えず働いているような自然でなければならない。

ところが無差別智というのは個に働くのです。だから無差別智の働きというと個の世界の現象です。しかし個の世界は二つの個が一面二つであり、一面一つでなければならない。こういう世界です。だから個の世界は数学の使えない世界です。。

これに反して、物質的自然は数学の使える世界です。だから人は物質的自然には住んでいないのです。

物質さえわかれば全てわかるという考え方、間違ってますが、これを物質主義といいます。また肉体とその機能とが自分であると、そういいましたね。肉体とその機能とが自分であるというのも間違いですね。まあ間違ってるとはっきり言えないまでも、自然科学の間違いから来てるということでしょう。これを個人主義というのです。

肉体とその機能とが自分であるというのが個人主義、物質がわかれば皆わかると思うのが物質主義。どうも物質主義、個人主義が間違った思想の基だと、そう思います。

で、自然科学は間違っている。それから仏教はどういうか一応聞きました。この後、自分の目で見、自分の頭で考えて行ってみる。

とまあ、こんな感じのことを考えていた数学者である。

道元の思想を徹底的に追求し、松尾芭蕉を徹底的に追求し、結局、人間には15識までの知覚ががあり、日本人は10識まで、東洋人は9識まで、西洋人は8識まで、そして凡人は6識(=意+5識)、そして動物が5識(視覚(目)、味覚(口)、臭覚(鼻)、聴覚(耳)、触覚(身体))だという結論を得たのであった。

そして、中でも、道元禅師は14識、松尾芭蕉は15識まで行っていたというのである。

最後に、「いかに岡潔博士は覚醒していたか? 」を物語る講演録がある。1970年のものである。
【5】 目覚めた人

第2の心を自分と自覚した人を目覚めた人と云い、そうでない人をねむっている人と云うとよいと思います。目覚めた人のことを仏教では仏、大菩薩と云い、日本では天つ神と云います。中国で聖人と云われている人には目覚めている人が多い様です。又仙人とか神仙とか云われてる人達の中にも、目覚めてる人はいると思います。ギリシャには目覚めてる人は見当たらない。欧米には、キリスト教の中で目覚めた人はいただろうと思いますが、外には目覚めている人は見当らない。

そして、私は最近これらの岡潔博士の言説を読んではじめて、どういうわけで西洋人には秘密結社だとか、宗教だとかに凝り固まってしまう人間ばかりとなるのかということが理解できたというわけですナ。これについてはまたいつかにしよう。

じゃ、目覚めた人とはどんな感じの人か? 人は目覚めた時、どんなふうになるのか?
というと、こうある。
【6】 数学の使えない世界

この、第2の心の世界ですが、二つの第2の心は二つとも云える、一つとも云える。
不一不二と云うんです。不一不二と云ったら二つとは云えない一つとも云えないのですが、この自然と自分とは不一不二、他人と自分とも不一不二、こう云う風。
この第2の心の世界はその要素である第2の心は二つの第2の心が不一不二だと云うのだから数学の使えない世界です。又この世界には自分もなければ、この小さな自分ですよ、五尺の体と云う自分もなければ、空間もなければ時間もない。時はあります。現在、過去、未来、皆あります。それで時の性質、過去の性質、時は過ぎ行くと云う性質はあります。しかし時間と云う量はありません。そんな風ですね。自分もなければ空間もなければ時間もない。その上数学が使えない。物質はここから生まれて来て、又ここへ帰って行っているのだと云う意味になることを、山崎弁栄上人が云って居られる。
そんな風に不一不二だから目覚めた人はこんな風になる。

花を見れば花が笑みかけているかと思い、
鳥を聞けば鳥が話しかけているかと思い、
人が喜んで居れば嬉しく、
人が悲しんで居れば悲しく、
人の為に働くことに無上の幸福を感じ疑いなんか起こらない。

こんな風です。


いずれにせよ、岡潔博士の晩年の著作の出版が欲しい。岡潔博士は、いまでいう「スピ系」の人が知りたいことの根本にすでに到達していたからである。そこに至極の言葉の数々や真理で溢れかえっているのである。


おまけ:
 情緒の濁りはいけない。
 情緒は喜怒哀楽によって濁ります。とくに、人を憎むというようなことをするとひどく濁ります。
 それで、大自然の理法は大自然にまかせてしまいます。そこは人にはやれないし、また、大自然がやってくれるのでまかせておいていいのです。それでは、人はなにをすればいいか。
 その情緒を、できるだけ清くし、美しくし、深くすることです。なかでも深みをつけていく。これが大事です。真・善・美とやり方は分かれていますが、どの道にせよ、畢竟そういうふうにつとめるべきなのです。
 これが人類の向上だと思うのです。



おまけ2:
追記(7月12日)
「数学の世界では有名なのだが、特に岡潔博士の御存命中ではそうだったらしいが、岡潔博士が「いま」言ったことは、その後何十年か経って「やっぱり本当だった」ということが常だったというのである。」の部分に関して一番有名なのは、広中平祐と岡潔のエピソードである。
広中平祐が33歳でコロンビア大学教授に就任が決まったとき、当時未解決の大問題であった代数多様体の特異点解消問題について日本数学会で講演した。その内容は、一般的に考えるのでは問題があまりに難しいから、様々な制限条件を付けた形でまずは研究しようという提案であった。その時、岡潔が立ち上がり、問題を解くためには、広中が提案したように制限をつけていくのではなく、むしろ逆にもっと理想化した難しい問題を設定して、それを解くべきであると言った。その後、広中は制限を外して理想化する形で解き、フィールズ賞の受賞業績となる[7]。

岡潔より

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  by kikidoblog | 2013-07-08 11:50 | 岡潔・数学・情緒

7月7日にあしあな777がサンフランシスコでクラッシュ事故!

みなさん、こんにちは。

7月7日にアシアナ航空のボーイング777が着陸失敗の事故。その映像がYouTubeに出ているようである。

Boeing 777 Crashes While Landing At San Francisco Airport! (Original video)


Exclusive Footage: San Francisco BOEING 777 CRASH | Slow Motio


Plane Crash at San Francisco Airport, Boeing 777


Boeing 777 Crash @ SFO, 2 Killed, FBI Says No Terrorism


ご冥福を祈ります。R. I. P.
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  by kikidoblog | 2013-07-07 13:02 | コンスピラシー

クール・ジャパン:英国で100年以上前の日本の写真発見!

富士山
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私が色補正したもの
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みなさん、こんにちは。

いや〜〜、「昔は良かった」。「昔の日本は良かった。」

それがまたまた証明されたようである。

英国で100年以上前の日本の風景写真が発見され、オークションにかけられたというのである。

あまりに美しいので、ここにもメモしておこう。以下の写真である。
【イギリス反応】〜100年前の日本の写真、イギリスでオークションへ
2013年07月04日18:00

 明治時代の写真家、玉村康三郎がアメリカの出版社の依頼で撮影した写真のアルバムが、イギリスで オークションにかけられました。
 100年以上前の日本の人々の暮らし、さまざまな風景。当時のヨーロッパ人にももちろん珍しかったでしょうが、 現代でも海外の人たちには新鮮に映ることでしょう。
 これらの写真は19世紀に日本への観光客を増やすために写真家、玉村康三郎が撮影した物です。
 日本で最初に観光促進用の写真という物を撮ったのは彼で、それまで鎖国のため情報がなかった日本の 風景を、ヨーロッパの人々は垣間見ることができたのです。

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私が色補正
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それに対する英国人の反応も興味深い。
~コメント~
viera: こういう素朴な、心に訴えるすばらしい物は大好き。

geoff1: 古い写真を見るのって面白いよね。

lindalou: 日本の昔の田舎の生活が分かる写真、すごく興味ある。

jeanjeannie: アメリカが強引に近代化させたのが、日本という国を大きく変えちゃったんだよ。
多分いい方でなく悪い方に。

beachboy: あるがままの暮らし…googleクラウドで1000年間、保存してもらいたいな。

maggie: 魅力的な写真ばかりだね。オークションでかなり高い値段がつくはずだよ。

TDD: 欧米列強の利権争いが、すべてを変えてしまったんだよ。近代化の代償は大きいし、いいことばかりじゃない。

frjack: 時代が変わっても、価値ある写真だ。

theone: 美しい。実在したとは思えない風景だね。手が届きそうで届かない夢みたいだ。

nickster: すばらしい。

themaster: 1958年にいくつか日本の小さな街に行ったけど、伝統を重んじている印象だった。
住宅や地元の人の服装もそうだし、習慣などを固く守ってるね。北海道では特にそうだった。
1969年に九州に住んだ頃も家はみんな伝統的な家屋で、女性たちは昔ながらの服装だった。

今も私の家の寝室には、畳と布団があるよ。

dani948: 前からずっと日本には行ってみたいと思ってるよ。

sophiechell: すごくきれい! 100年前の写真が、今もちゃんと見られる状態になってるのがすごいよね。

jk: ただただ感心したよ。

peteslough: フォトショップ使ってるよね。

m52: 日本では着物は今でも、行事の時の正装で着てるよ。京都の路地で、華やかな着物の中年女性たちのグループがいた。

mclver3: 親の仕事で、錦帯橋のある岩国市に8年間住んでました。
橋のこともよく覚えてるし、毎年の桜の季節のお祭りも覚えてるよ。
花火を見物したし、焼き鳥や綿あめを食べた。広島の、原爆が落ちた所も行ったことある。

とても悲しいことだから二度と起こってほしくない。

fiona: すてきな写真。日本に行ってみたい。

bob: すごく美しい国だね。

mcb: 日本に行ってみたいけど…美しい場所が現代の不格好なビルとかに変わっちゃってるんじゃないかな。

bog off: これ見て、すごく興味がわいてきた。

weena: きれいだし、静かな感じだよね。こういう時代に生まれたかったな。
現代世界はあくせくしてるし、怖い。

photorepair: 水彩絵の具で色をつけたみたいな写真だね。妙だなあ。

fidoanddaisy: すばらしい。100年前の写真なんて信じられない。時代が変わっても、民族衣装はいいものだね。

john101: 日本の田舎のほうには、都市化されてないそのままの場所がまだまだあるよ。

tolerant-to-a-degree:すごく面白い写真。写っている人の子供たちも、この写真見られるといいね。

dridor: こういう美しい文化や歴史のある国が、欧米列強に影響されて多くのものを失ってしまったのはほんとに残念だ。
でも保存しようという動きがあるのがよかった。

Felis Scoticus:穏やかできれいな写真だね。

sandybrown: すてきな写真だよね。私は日本の浮世絵師、歌麿の絵が好き。
印刷された物を何枚か、うちにも飾ってるよ。

jojojpn: どれもみごとな写真だね!

Kazumoto Iguchi: ちなみに、徳島にはいまもありますから。

ウミガメの里、大浜海岸(ウェルかめ〜〜)
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いや〜〜、日本ていいですナ。
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  by kikidoblog | 2013-07-05 15:03 | アイラブとてつもない日本

「テキサス親父」、南朝鮮に怒る!:頑張れトニー、テキサス親父!

みなさん、こんにちは。

久しぶりに「テキサス親父」の顔を見たら、なんとますます持って元気である。そこで、最近のものを個々にもメモしておこう。以下のものである。

【テキサス親父】テキサス親父は何故日本が好きなの?


字幕【テキサス親父】竹島(独島)問題で「首が飛ぶ」可哀相な生


字幕【テキサス親父】日本が世界に教えた事「日本人の様に振る舞え


字幕【テキサス親父】韓国人達の不可解行動への親父の疑問集


字幕【テキサス親父】野蛮な人食い韓国人とそれを支える化け物シナ


字幕【テキサス親父】日本で無かった略奪の文字をアメリカで発見


字幕【テキサス親父】またも日本を叩くワトソンと偏向豪州メディア


他無数。


頑張れ、「テキサス親父」こと、トニーおじさん。
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  by kikidoblog | 2013-07-05 14:11 | 韓国・ウリナラ・法則

世界が絶賛する”情緒の曲”「さくらさくら」:外人に「情緒」が理解できるのか?


みなさん、こんにちは。

今回は興味深いものを見つけたので、ここにもメモしておこう。

我が国の名曲「さくらさくら」とそれに対する海外の外人の反応である。(これを知ったら、おとなりの韓人は、「さくらさくらは韓国の曲ニダ」といいだすだろうナア。)

以下のものである。
「日本人じゃないのに心に響く」 琴で奏でる日本の伝統歌曲に外国人感激

日本の代表的な歌曲である「さくらさくら」。
作者は不明で、幕末期に子供用の箏の手ほどき曲として作られたものだそうです。
動画では、その「さくらさくら」が琴によって奏でられています。

前述したように作曲されたのはそこまで古い時期ではないのですが、
オペラ「蝶々夫人」にて、プッチーニがこの曲の旋律を用いるなど、
外国人にとっては、あるいは外国人にとっても、
日本的だと感じさせる一曲なのかもしれません。



■ 落ち着くのに同時に元気をもらえるような不思議な感覚になる。 アフガニスタン
■ どうもありがとう。この日本の伝統曲をずっと探してたんだ :D フランス
■ ああっ、この曲覚えてる O_O 
  なぜかポーランド語で覚えることになって驚いたんだよ -_- イギリス
■ 小学6年生の時に合唱用にアレンジされたの歌った……。
  今でも歌詞を覚えてるよ :P アメリカ
■ 日本人じゃないのにこの曲は心に響いてくる。素晴らしい曲 =) スペイン
■ 目を閉じてこの曲を聴いてごらん。
  日本の美しい風景とサクラの柔らかな花びらが瞼に浮かんでくるから。 マレーシア
■ 子供の頃、ママがよく歌ってくれてた。
  ようやく見つけたよ。Terima kasih(ありがとう) マレーシア
■ 私も小学生の時に歌った! :D 今でも歌えちゃうよ :D アメリカ
■ sublime(荘厳・崇高)って日本語でなんて言うんだろ。
  とりあえずsublimeでした! 投稿してくれてarigato +16 フィリピン
■ アメリカの有名なDJがこの曲をサンプリングしてたよ! イギリス  
■ 文句なしに綺麗でうっとりさせられる!
  日本の伝統的な音楽いいよね。凄く深いの。 +26 ドイツ
■ 本当に綺麗だし落ち着くし、優雅だなぁって思う。天国の音色みたい♡ アメリカ
■ アメリカや欧州の文化よりも日本の文化のほうをよりリスペクトしてる。
  素晴らしく綺麗だし、ごまかしがないんだよね。 +47 ポーランド
■ 確かに。日本に比べると欧州の文化ってなんか雑なんだよな。 イギリス 
■ 日本に生まれたわけじゃないけど、日本に恋してる。この曲を含めて日本の全部に!
  いつか日本に"会える"といいなぁ! :) +39 マレーシア
■ 本当にいい曲。日本でも有名な曲だし、俺も耳にしたことあったよ。
  聴いたあと、凄く気分が良くなってることに気づいた。エクセレント。 +27 イギリス
■ この日本の伝統的な音楽を聴いて育ってきたんだ……。ホント綺麗だよね。
  どうか日本がこういった伝統をいつまでも守って、
  人を魅了させる美しい建物や音楽を残して欲しい。 アメリカ
■ 私はずっとオーストラリアに住んでるし、日本人の血が流れてるわけでもない。
  だけどこの曲は何回も聴いたことある!
  たぶん世界中で知られてる曲なんだろうね……。 オーストラリア 
■ 私の誕生日に日本の伝統音楽のCDが欲しいってママとパパに頼んじゃった。
  日本の全部が好きだけど、一番は日本の伝統音楽なの ^^ エストニア
■ 綺麗な曲! 友だちとピアノのデュオを組んで、学校で発表する予定!  
  本当に大好きな曲なんだ~! ^-^ オーストラリア
■ あーっ、私のジュエリーボックス、開くとこの音楽が流れる! カナダ  
■ 日本人とのクォーターであることを誇りに思う。 アメリカ
■ 現在までに作曲された音楽の中で最も美しい曲! 投稿どうもありがとう! ドイツ
■ 俺の人生の最期の瞬間には、こんな音楽が頭の中に流れて欲しい。 +3 アメリカ
■ 綺麗で落ち着く曲だね。まるでサクラの花のように。最高でした。 +3 アメリカ
■ 子供の時にこの曲で踊りを習ったことある。
  大好きな曲だったし、ずっと忘れたことがなかった(60年前のこと)。
  日本人じゃないにしては上手だねって言われたよ。 +50 アメリカ
■ やっぱり音楽は国境を超えますな~。 アメリカ 
■ 西洋(欧州)と東洋(日本)は真逆ってくらい違うよね。
  日本の場合は黒船が来るまで鎖国をしてたから特に独特。 アメリカ   
■ 友達が私の為にピアノでこの曲を弾いてくれたことある! アメリカ
■ 日本が母国だったらって何度思ったことか。
  すべてがこの曲のように美しい国なんだ。どうもありがとう。 チェコ 
■ 3分59秒の間、美しい旅に出ているような感覚になりました。 +14 カナダ

(あ)これが我々日本人が「情緒」と呼ぶものである。「さくらさくら」は日本的情緒の曲なのである。

かつて数学者の岡潔博士は「情緒は日本人だけのもの」と言っていた。
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そして「情操教育」、つまり「情緒を育てる教育」がとても大事だと言っていた。(岡潔でブログ内検索)
「日本の科学者は”怠け者”だ」

また今ではこんなサイトもある。
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岡潔 「情と日本人」の解説
「情と日本人」 岡潔著 於 奈良自宅
1972年3月12日

【1】 日本人は情の人である

今日初めて聞かれる方もあるかも知れませんが、その方にとっては関係ないことだけど、そうじゃない方もおられる。で、そうでない方に対して、今日また同じことを繰り返そうと思う。
どういうことかというと、日本人は「情」の人である。人としてそれが正しいんです。そうであるということが非常に大事だのに、少しもそれを自覚していない。
日本人は情の人であるということを自覚するということが、今非常にしなければならないことであると本当に分って、本当にそう思うようになってもらいたいと思うんです。つまり、言葉でいえば「日本人は情の人である」だけなんです。そういえば成程と思う。これは日本人だからだと思いますが、しかし、それから先が進まないんですね。
大阪へ行って淀川を見る。これはひどい、これではいけないと直ぐ公害を思うんだけど、川が見えなくなるとけろりと忘れてしまう。そんな風な分り方ではさっぱりことは進展しない。で、そうじゃないようにしようと思う。
そうすると、結局同じことを繰り返し繰り返しいうことになってしまう。そうする他はない。それで今日も同じことを繰り返していおうと思うんです。
【8】 大宇宙の本体は情である

情がどうして生き生きしているのかということですが、今の自然科学の先端は素粒子論ですね。これも繰り返しいっているんだけど、その素粒子論はどういっているかというと、物質とか質量のない光とか電気とかも、みな素粒子によって構成されている。素粒子には種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することができる。
その不安定な素粒子群は寿命が非常に短く、普通は百億分の一秒くらい。こんなに短命だけれど、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。電子は安定な素粒子の代表的なものです。こういっている。
それで考えてみますに、安定な素粒子だけど、例えば電子の側から見ますと、電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。そうすると安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。
いわば、不安定な素粒子がバケツに水を入れて、それを安定な位置に運ぶ役割のようなことをしているんではなかろうか。そう想像される。バケツの水に相当するものは何であろうか。私はそれが情緒だと思う。
やはり情緒が情緒として決まっているのは、いわばその位置だけであって、内容は絶えず変わっているのである。人の本体は情である。その情は水の如くただ溜まったものではなく、湧き上る泉の如く絶えず新しいものと変っているんだろうと思う。それが自分だろうと思う。これが情緒が生き生きしている理由だと思う。生きているということだろうと思う。
自分がそうであるように、他(ひと)も皆そうである。人類がそうであるように、生物も皆そうである。大宇宙は一つの物ではなく、その本体は情だと思う。情の中には時間も空間もない。だから人の本体も大宇宙の本体にも時間も空間もない。そういうものだと思うんです。


(い)また、古代ヘブル語の解釈も存在する。
古代イスラエル国歌(君が代)vs現代イスラエル国歌

さくら さくら


さくら さくら   隠れた 隠れた
やよいの空は   唯一の神 迫害された 耐えて
見わたす限り   死ぬ 犠牲として
かすみか雲か   くじ引きにされ 取り上げられて
匂いぞ出ずる   素晴らしい 計画
いざや いざや   神の救い 神の救い
見にゆかん    捧げ物 決める

(う)ところで、つい最近まで「うまみ」という概念は西洋人にはまったく理解されなかった。長らく「旨味なんて日本人だけが感じる妄想だよ」というような扱いを受けたのである。ところが西洋人学者が「旨味の科学的証拠を発見した」のである。
日本料理の「UMAMI(うま味)」世界のトップシェフたち大注目!発見された5番目の味成分

すると、今度は180度態度が転換され、世界中が独自のうまみ発見競争と相成ってしまった。いわば、「旨味の乱獲」、「旨味の特許取得戦争勃発」なのである。困ったものである。

日本人だけが「寿司」の味を知っていた。日本人のどこぞのバカがそれを外人に食わせる。最初は馬鹿にされているが、それが「健康にイイと科学的に証明される」。すると途端に世界中のマグロが高級魚として外人の金持ちに乱獲されてしまう。ネコソギされる。

そうなると、我々本家本元の日本人は、キハダマグロだとか、「なんちゃってマグロ」を食うしかなくなる。というわけですナ。馬鹿げている。たいてい海外で日本料理を開いて金儲けに走るのは、日本的情緒を知らない在日朝鮮人であると言う相場になっている。

「寿司」、「うまみ」、。。。

(え)そんなわけで、ひょっとすると、今のところ「情緒」というのものは、日本人だけが理解できる精神世界ということになっているが、そのうち、外人も「俺、情緒が理解できます」なんていう人間がでてきて、「情緒乱獲」、「情緒取得特許戦争勃発」なんていう時代が来るかもしれないですナ。

ちなみに、この「日本人独特の精神性は日本人の脳の性質から来る」ということがだいぶ前に分かっている。日本語の性質が他の言語とまったく異なるからである。したがって、日本語に流暢になるにつれ、「情緒いいですネ」なんておっしゃる外人さんが増えてくるという可能性は捨てきれない。

こういう話は1970年代後半に出版された、角田忠信博士の「日本人の脳」に詳しい。
日本人の脳―脳の働きと東西の文化
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私はこの本の初版を大学生時代に読んだが、その後の私の人生にもっとも強く影響した本である。真に名著の名にふさわしい。というより、重要な本である。そして、すでにこの本で発見されたことは、その後の何十年もの研究で「古典」となっている。

日本語にはそれほどまでに不可思議な力が存在するのである。

「情緒」

これこそ、宗教よりさらに重要な人間的ファクターなのである。ぜひ世界中の人たちが身につけて欲しいものである。
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  by kikidoblog | 2013-07-05 08:37 | アイラブとてつもない日本

今日は何の日?:アメリカ合衆国独立記念日。

今日はアメリカの独立記念日のためお休みします。

2012 Fourth Of July Fireworks Display, Honolulu, HAWAII


みなさん、こんにちは。

今日「7月4日」は米国の独立記念日である。

この日は全米でいっせいに「花火が打ち上げられる」のである。

何時頃から花火を打ち上げるようになったのか、私は知らない。

しかし、20数年前に米国ユタに留学していた時も、山の上からソルトレイクのダウンタウンで打ち上げられた花火を眺めたものである。

また、何年か前には、アメリカのホノルルのアラモアナショッピングセンターで打ち上がる花火を見た。ものすごい人出で、およそ足を踏み入れる場所もないほどに賑わっていた。
Honolulu Festival 2012

とにかく、ビーチも公園も道路もどこもかしこも超満員になるのである。

なぜか懐かしいナア。ハワイはいいナア。

「民衆の、民衆による、民衆のため」の国、アメリカ合衆国の独立に乾杯!

はやく国民の手に取り戻して欲しい。


まあ、そういうわけで、

今夜は家で

「線香花火でも打ち上げるか」
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おまけ:
ニューヨークもすごい。
July 4th 2010 Macy*s Fireworks Finale NYC

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  by kikidoblog | 2013-07-04 08:14 | アイデア・雑多

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