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ザック監督「親善ではなくテストマッチ」:もはやザック監督の「ラストマッチ」!?

みなさん、こんにちは。

最近はザッケローニの顔を見ただけで頭痛がしてくる。もはややる気はゼロ。単に自国のホテル経営のための金稼ぎでやっているにちがいない。

今回、最後の欧州遠征のメンバーが公表されたようだ。しかし、顔ぶれはほぼ不変。これでは、ベルギーやオランダにはまったく歯がたたないだろう。以下のものである。
ザック監督「親善ではなくテストマッチ」

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 日本サッカー協会は7日、今月中旬の日本代表の欧州遠征メンバー23人を発表した。FW香川真司(マンチェスターU)、MF本田圭佑(CSKAモスクワ)、DF長友佑都(インテルミラノ)ら常連組に加え、FW大迫勇也(鹿島)、MF高橋秀人(東京)が復帰を果たした。

 10月の東欧遠征は消化不良の内容で終わっただけに、ザッケローニ監督(60)は「10月の2試合は有効利用できなかった思いが強い。この2試合についてはフレンドリーマッチと呼ばれているが、個人的にはテストマッチという言葉がふさわしいと思う。さまざまな国に自分たちのスピード、プレーの精度が通用するかどうかを分かりにいくためにテストマッチはある。10月の2試合は攻撃のパートで少し不満が残った。守備はまあまあよくできたと思っている。攻撃でインテンシティーやプレーの精度が足りなかったと思う」と話していた。
 [2013年11月7日15時19分]

まるで他人ごとのコメント。これでは勝てない。

だいたい最近はザッケローニの返答が長すぎる。質問数をわざと減らすために、長話をしているのである。誠意を感じない。

返答は短く簡潔に。

これが鉄則である。

すでにザッケローニ解任論がくすぶっている。もちろん、私は「即解任」を望んでいる。
あまりにひどすぎる。欧州組にも危機感はないし、今以上のパフォーマンスを期待できない。
何よりもこのチームには若さが足りない。したがって勢いがない。
もはやお笑いチームの観すらある。

いずれにせよ、今回がザッケローニの最後のチャンスとなるだろう。つまり、ザッケローニ監督自身の「テストマッチ」になってしまったのである。

世界ランク16位から一気に44位程度まで引き下げても、何のお咎め無し。
野球の世界なら即解雇であろうナア。首、首、首。

サッカー界は川淵元チェアマンの薫陶を受けているから、なんかのんびりしていますナア。




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  by kikidoblog | 2013-11-07 17:43 | サッカー&スポーツ

ジョーク「TPPって本当にいるの?」:「日本に引っ越したい」日本の食品価格に衝撃!

みなさん、こんにちは。

以下はジョークのような本当のお話である。

しかし、これが現実の日本の政治経済の話と比較すると、摩訶不思議。
それがジョークのように見えるのである、というわけですナ。


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海外「今すぐ日本に引っ越したい」 日本の食品価格に外国人衝撃

今回は日本の食品価格への海外の反応です。

現在政府がデフレ脱却に力を入れておりますが、
1950年度の値を1とした場合の消費者物価指数は、
1998年をピークに下降し続け、現在は1990年頃と同程度に。
この推移はサラリーマンの平均年収の推移とほぼ比例しており、
日本がまさにデフレスパイラルのまっただ中にいることがうかがえます。

さて、動画では、野菜、肉類、バナナ、食パンなど、
日本のスーパーで買った食品の値段が一つ一つ紹介されています。
相対的に日本の物価は高い、というイメージが海外でもあるようですが、
実際の値段に、多くの外国人は驚きを禁じ得ないようでした。



■ 日本の食品ってもっと高いのかと思ってた! スナック類はどうなんだろ? アメリカ
■ スウェーデンのキュウリはもっと大きいよ :P
  でもこっちの食料品は日本より遥かに高いね。しかも消費税は25%だし。
  (その後日本の消費税は5%と聞いて)
  5%って、泣けるほど低いじゃん ;__;  スウェーデン  
   ■ アメリカ中部だと、食品類の消費税は8-9%だよ。  
■ WOW スペインのほうが安いね。
  もちろん収入がかなり低くなってきてるのもあるんだけど。
  だから日本では、相対的に高いって感じなんだろうね。 スペイン
■ 私の経験的に、日本の食料品はだいたいイギリスと同じくらいだと思う。
  もちろん日本特有の材料は日本のほうが安いけどね。
  逆に欧米、特に地中海沿岸に由来するもの(トマト、パスタ、ワイン)は高い。 ドイツ
■ ルーマニアはだいたい日本の半分くらい。お肉もはるかに安いしね。 ルーマニア
■ 俺の国と比べると、超安い!! 
  あれと同じ量買っても、2倍、時には3倍払わなきゃいけない時あるもん。 アメリカ
■ オーストラリアに比べるとかなり安い。
  パンだけはこっちのほうが安いけど。 オーストラリア
■ ビックリした。日本の野菜ってあんな安いんだ! スゴッ! :D
  ちなみに、日本の野菜って言うと、ダイコンってイメージ。 アメリカ
■ カナダに比べると日本の食品はだいぶ安いですよ。 カナダ  
■ WOW! 俺の国と比べると高すぎ!!
  こっちだと3キロのポテトが0.8ドルってとこだもん。 サウジアラビア
■ ここスイスだと、少なくとも日本の2倍は食料品にお金かかる。 スイス
■ だいぶ、だーいぶこっちのほうが高い! えーっ!
  もしこれくらい安かったら毎日でも自分で料理するのに。
  日本だとだいぶ安く買えるんだね!!! アメリカ 
■ 考えるまでもなく、ノルウェーよりも日本のほうが安い。 ノルウェー
■ 値段設定はハンガリーと似てる :/
  商品によってはこっちのほうが高いくらい。バナナとか。
  ちなみに国の最低賃金は時給2~2.5ドルね。  ハンガリー
■ ニューヨークに比べると、日本の食品はだいぶ安く設定されてるね。
  ローソンストア100が近くにあったら、もっと安く済ませられるし。 アメリカ
■ ポテトやっすいなぁ。アメリカだったら4-5ドルは取られるのに。 アメリカ
■ 日本の食品はフィンランドよりも安いみたい :D
  日本でショッピングしてみたいなぁ、本気で! フィンランド  
■ ポーランドよりだいぶ安い。
  私去年2ヶ月日本にいたんだけど、食品の安さはかなり驚きだった。 ポーランド
■ そんな高くないんだね。ルーマニアと比べて、2-30セント高いくらい。
  私ずっと日本の食品ってバカみたいに高いのかと思ってたよ。 ルーマニア 
■ スロベニアに比べると、日本の食品の値段は異常なくらい安い。 スロベニア
■ 日本の食品ってアメリカのものと似てるんだね~。
  そんでもって、日本のほうがはるかに安いです。
  まあひとえにアメリカって言っても地域によるんだけどね。 アメリカ
■ 日本の食品って高いと思ってたけど、そんなことないんだね。
  毎日の食費があれくらい安いなら、今すぐ日本に引っ越したい。 アメリカ
■ ドイツの場合だと、日本とだいたい同じくらいだね。 ドイツ
■ ピーマンとかキュウリがアメリカよりだいぶちっこいな。
  まあ値段自体はこっちのほうが高いけどね! アメリカ 
■ かなり安く手に入るんだね =O
  ニューヨークだと2倍くらいはかかるよ!
  俺食べるの大好きだからかなり羨ましいよw アメリカ
■ パンは同じくらいだけど、基本的にはイギリスよりちょっと安い。 イギリス 
■ 地球上で最も物価が高い国はスイスで決まりみたいだ -___- スイス
■ インドネシアと比べたら、比較にならないくらい高いわw インドネシア
■ オーマイガーッ! 日本の食品ってホント安いな! 信じられね―!
  投稿してくれてありがとう。興味深かったよ。 カナダ
■ オーストラリアの食品よりかなり安いわ。 オーストラリア
■ メキシコのほうが野菜とフルーツはだいぶ安い。肉はこっちのほうが高いね。
  スーパーで買うと野菜もフルーツも日本と同じくらいになっちゃうけど。 メキシコ
■ オランダとは段違いってくらい安いんですけど!!!!! :O オランダ
■ 先月トウキョウに行ってきたけど、思ってたほど高くなくて驚いた。 オーストラリア
■ イタリアで食料品買うより安いじゃん!!! イタリア
■ WOW フィリピンと比べると日本の食品は安いんだね! 
  家を買う時ははこっちのほうがだいぶ安いんだろうけど……。 フィリピン
■ 信じられん。なんて安いんだ!!! 肉なんて驚きの価格じゃん。 アメリカ
■ WOW アメリカの食品もあれくらい安かったらいいのに。 +7 アメリカ

いやはや、この女性って、例のさくらの人だよネ。この人は日本人なのだろうか?

これ以上、外人を日本に呼び込んでどうするつもりなのか?

これ以上物価をわざわざ釣り上げるような真似だけはして欲しくはない。今のままで十分だよ。

自分個人の外人好きは結構なのだが、これ以上日本の良さを過剰広告しないほうがいいんじゃないか?

白人は何でも全部ネコソギする習性があるからナ〜〜?

いずれにせよ、諸外国の外人から見ても、日本の物価のほうが安い。
そんな状況で、わざわざTPPで海外の”高い”食品を輸入する必要があるのかいナ?

どうも関税のために日本の製品が安いというイメージを付けて、海外企業は自国の製品を日本に持ち込みたいのだろう。が、もともと日本の食品は海外と比べて安い。それだけ日本の農家や漁師が努力してきたということの証明である。

にも関わらず、自民党や民主党の政治家たちは自分たち政治家の努力のなさを棚上げして、これ以上、農業や漁業に努力しろというのだろうか?


いやはや、世も末ですナ。




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  by kikidoblog | 2013-11-07 08:12 | マスゴミ

ファミリービジネス9:「クォーツ時計誕生秘話」、水晶の切り方を古賀逸策博士に教えた祖父!

(つづき)

いよいよ私が知る我が家のファミリービジネスの最後の話となった。これはかなり昔には知っている人もいたのかもしれないが、いまではだれも知るものはいない。すでにその時代から2、3世代過ぎ去ってしまったからである。

古賀逸策(こがいっさく)という人をご存じだろうか?
おそらくいまでは普通の人は誰も知らないはずである。

最後として、この古賀博士と我が家にまつわる秘史をメモしておこう。これはいまでは私と私の父親しか知らない話である。



(く)クォーツ時計誕生秘話

まず日本はクォーツ腕時計の誕生の地である。実現したのはセイコーであった。

たとえば、セイコーのこんなHPがある。
クォーツ開発物語

クオーツ(水晶)式の時計とは、水晶の「圧電効果」を時間の標準源として利用した時計のことです。水晶の切片に電気を加えると、目にもとまらぬ速さで規則的に振動します。これを「圧電効果」と呼びます。この振動をもとに正確な1秒を導き出して時を刻むのが、クオーツ式時計です。1880年頃にピエール・キュリーによって発見されたこの「圧電効果」は、第一次世界大戦中に超音波通信などに応用された後、1927年、アメリカのA.W.マリソンによって時計への応用が試みられましたが、当時はとても巨大なものとなり、実用には不向きなものでした。

その後、セイコーが開発した最初のクオーツ時計が、1959年に日本の放送局に納められましたが、それも真空管式の大きなもので、高さ2.1m、幅1.3mと、大きなタンスのようなものでした。

その後1962年に、船体の位置を測定するために正確な時計を求めていた日本の海運会社に向けて、セイコーの船舶用クオーツ時計が開発されました。これは約45cm角の大きさ、重量約30kgとなり、飛躍的に小型軽量化が図られました。

クオーツ時計の小型化に向けて拍車がかかったのは、1964年に東京で開催される国際的な競技大会の公式計時をセイコーが担当することが決まってからでした。「それまでの海外メーカーの競技計時装置よりも一歩進んだものを作ろう。」をスローガンに掲げ、セイコーは、長距離レースの計時用に持ち運びが出来るクオーツ時計の開発を進め、1963年に、「クリスタルクロノメーターQC-951」を開発しました。そのサイズは、縦20cm×横16cm、厚さ7cm、運搬用のケースを含めた総重量がわずか3kgと、容易に持ち運びできるものでした。この時計は、当時12万円5000円という価格で市販もされましたが、高価であるにもかかわらず、とてもよく売れました。

一方で1950年代以降、欧米の複数の時計メーカーが腕時計の高精度化を追求して、従来の機械式腕時計に電子技術を応用した「てんぷ式電子腕時計」、「音叉式電子腕時計」などを発表していました。セイコーもそれらを研究しましたが、いずれも衝撃に弱く、身につける腕時計にはとても適していないという結論に至りました。

そこでセイコーが選択した道は、それらよりも衝撃に強く、数倍も高精度な「クオーツ式」の電子腕時計だったのです。それは、上記の「クリスタルクロノメーター」をさらに腕時計のサイズに収めようという研究であり、おそらくどのメーカーも研究を躊躇したほどの困難なものでした。
小型化への研究を重ね、951(写真上)の改良型「952(写真下)」は、縦・横・厚み共に半分の大きさまで小型になりました。しかし、クオーツ時計の心臓部である「水晶振動子」の小型化と、他の方式よりも要求される「省電力化」が難しい課題でした。セイコーは、この二つの課題を解決するため、最終的には、水晶振動子を自社で開発することによって小型化に成功するとともに、独自の間欠運針型のステップモータを採用することによって省電力化を実現しました。クオーツ時計の特徴である「一秒ずつ動く秒針」は、消費電力を抑えるためのアイデアだったのです。このようにセイコーは様々な課題を乗り越えて、クオーツ腕時計の完成に至ったのでした。

この世界初のクオーツ腕時計は、「クオーツ アストロン」と名付けられ、1969年12月25日、当時の価格で45万円という中型車並みの価格で発売されました。
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すでにスイスの時計メーカーが翌年中にクオーツ腕時計を発売することを予告している中で、この「クオーツ アストロン」の突然の発売は驚きをもって迎えられ、翌日の新聞が大々的に報じるとともに、通信社を通じて世界中にそのニュースが発信されました。

なお、このクオーツ腕時計の開発のために特許権利化した技術を、セイコーが惜しみなく公開したことによって、多くの時計メーカーがセイコーの方式にならってクオーツ腕時計を商品化し、クオーツ腕時計は世界中に普及していきました。


このセイコーのクォーツ(Quartz)というのは、石英の結晶のことである。

それを振動子となるように切開し、それを
音叉
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の代わりにするのである。

時計が小型になればなるほど石英の音叉、すなわち、石英のクォーツ振動子は小型にならなくてならない。

そんな加工技術がセイコーや東大の学者にあっただろうか?
もちろん、そんな技量は電気技術者や大学の学者にあろうはずがない。

当時、セイコーにこの科学技術を伝授したのは、東工大の助教授であった、古賀逸策(こがいっさく)博士だった。この人である。
古賀逸策と水晶振動子

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私達の周りにある多くの電子機器には、水晶振動子と呼ばれる小さな部品が使われています。その実用化に大きく貢献した人が古賀逸策です。古賀は東京帝国大学電気工学科を卒業後、東京市電気研究所の技師を経て、1929 年(昭和 4 年)に東京工業大学の助教授、1939 年(昭和 14 年)に教授となり水晶振動子の研究を続けました。

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 水晶を板状に切り出して交流の電圧を加えると、その寸法に固有の周波数で効率よく電気的な共振が起きて、発振回路に応用することができます。③の青印のように結晶軸に合わせて切り出したXカット、Yカットと呼ばれる切り出し法は当時すでに知られていましたが、温度変化による周波数の変動が大きく、安定した発信器として使用するには、温 度を一定に保つ恒温槽が必要で使い勝手の悪いものでした。温度による周波数の変動は、振動板の切り出し角度によって大きく変わることから、古賀は種々の角度の振動板を多数製作し、また、厚み振動の理論的解析を行うなど研究を進めました。そして 1932 年に③の赤印のような角度、形状で水晶を切り出すRカットと名付けた切り出し法を発明し、温度による周波数の変動が 10-7/℃と、従来のものに比べて二桁も小さい水晶振動子を実現しました。

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また古賀はこの安定な水晶振動子を用いて水晶時計の研究を進め、標準時計の開発も行いました。現在では、水晶振動子は時計(クォーツ時計)のみならずテレビ、携帯電話、通信装置やコンピュータなど多くの電子機器に使われていて、古賀の成果は現代社会を支える技術の一つとなっています。

なんでもそうだが、古事記や日本書紀や新唐記や旧唐記などもそうだろうが、歴史というものは、後の人が昔のことを「適当に」自分に都合よく、自分が知っていることだけにもとづいて書き連ねたものにすぎない。

だから、上の解説を見れば、あたかも古賀逸策博士が自らさまざまな切り出しに成功したかのように読めるだろう。

結果からすれば、それは間違いではなかったのだが、あくまで結果であって原因ではない。
というのは、始めは古賀博士は研磨や切断の方法すら知らなかったからである。

実は私が中高生の頃には、まだ祖母が生きていた。私は小遣い欲しさに年始には毎年通って「あけましておめでとうございます」と婆さんの部屋に通ったのである。そして、婆さんの趣味である囲碁を一局して、「お年玉」(一万円ほど)をくれるのを待って、もらってかえったのである。当時の一万円は大金だった。だから、私は初めて一万円札を見た時にはどぎもを抜かれたものである。だれかに盗まれたり落とさないようにずっとズボンのポケットを抑えて帰ったものだった。

その婆さんが我が家の伝説のように話した話が、この古賀逸策先生の話だった。私も聞いたことがある。のちに私の母親からも何度も自慢話のように又聞きしたものである。現在はもはや半分墓に入った状態である。

その伝説とはこんなものだった。

ある時、この古賀先生が弟子を連れて爺さん婆さんの水晶加工業の会社にやってきた。そして水晶の加工法を学ばせてくれといって、何ヶ月か我が家の爺さんの会社に弟子入りしたのである。

当時も(今も)山梨県甲府の宝石貴金属研磨技術は世界でももっとも進んだ加工技術をもっていた。そこで、そういう話を頼りに、古賀先生は山梨県甲府の宝石貴金属研磨技術を訪ねて回ったらしい。しかしながら、大半の会社からは門前払いを食らったが、元来研究熱心な私の祖父は、いっしょになんとかしましょうということで、古賀博士と一緒になって水晶の微細加工技術を研究したらしい。実際、この爺さまは非常に心根の優しい人だった。

何ヶ月か弟子入りしてついに博士が必要な技術を習得したらしい。そして、大学に戻っていった。
我が家ではそれっきりで元の生活に戻っていた。

それから何十年かして、その古賀先生がテレビのとある番組に出たのである。それは人探しの番組だったようである。そこで、古賀先生は「水晶振動子を切る時に世話になった宝石加工会社の人にお礼を言いたい」というような話をしたらしい。

しかし、当時は祖父はすでに亡くなっていたらしく、代わりに祖母が行けと言われたのだが、自分は恥ずかしくて行けなかった。


とまあ、そんな話である。

これが我が家の秘史、伝説となっている。

そう、日本のクォーツ技術を生み出したものこそ、山梨県甲府の宝石研磨加工の職人技術だったのである。我が家の爺さん井口章だったのである。

知らね〜〜だろ? そんな歴史はネ。しかしこれは事実である。



(了)



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  by kikidoblog | 2013-11-06 17:34 | ファミリービジネス

ファミリービジネス8:「引き割り技術」と「ダイヤモンドカッター」

(つづき)

さらに話は遡る。


(き)原石の「引き割り技術」の確立

さて、水晶の原石やめのうの原石が恐竜の卵のような大きな岩石であることは理解できただろう。こんなものである。
めのう原石
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この写真の原石は半分に真っ二つに割れて、その表面が綺麗に磨かれている。

そもそも、固い岩石をどうやって割るのか?

石を投げて落とし、かち割るのだろうか?

もしそんなふうにして割れば、岩石はバラバラになり、売り物にはならない。売り物になるには、綺麗に真っ二つに割れていなければならないのである。

そこで甲州の宝石加工業者が考えだしたものが、「引き割り」という方法である。

これは、大きな固い鋼鉄製ののこぎりを両側から二人で引きながら、そこに水を流し込み、磨き粉となる砂といっしょにギーコギーコとやって、徐々に切っていったのである。

しかしながら、私の記憶では、材木を二人で切るという時
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のようなノコギリではなく、もっと糸ノコギリ
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の大型のようなものだったと思う。この両側にハンドルがあって、両側から引っ張ることができるもの。そして、歯はノコギリの歯のようなギザギザのあるものではなく、平たい鋼鉄製のものだったと思う。

樹木であれば、ノコギリの歯のようなギザギザのあるものでもいいが、固い岩石相手では、そういうものは不可能。だから、平板状の鋼鉄製の金属歯であった。我が家のどこかにそういうものが残っていたのを見せられた記憶がある。

昔の甲府の宝石加工業者はそういう道具を使って、原石を引き割りしていたのである。

昔はダイヤモンドカッターなど存在しなかった。だから、鋼鉄製の金属の歯で、研磨剤と水と一緒にこすりつけて往復運動をしながら、せっせと石を切ったのである。そして、その歯の上に重しをおいて圧力を増したのである。
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しかし、この方法では、岩石を半分に切るのにはいいが、それをさらに狭い円柱状に何枚も切断するには不便である。時間がかかりすぎる。しかし、大昔の人はそうやってせっせと切断していたらしい。

私の祖父の時代にこれを自動化して、一気に何枚にも切る方法の開発が進められたのである。そして、ついに「引き割りの自動化」が実現した。これによって、めのうの原石を何十枚も一気に切断できるようになったのである。

それが、甲府の宝石加工業者のいうところの「引き割り技術」というものであった。

つまり、糸ノコギリのような構造のものを何枚も平行に並べたものを作り、その柄の部分をモーターの回転部につなぐと、モーターが回転するたびに、ノコギリ部分が往復運動する。そういうものを岩石を固定してその上から引き割るのである。その時に水と研磨剤を常に流しこむ。

この現物は私が子供の頃に見たことがあったが、いまもどこかで使われているかどうかは知らない。

いずれにせよ、この我が家の祖父の時代に誕生した引き割りの技術は当時の世界最先端を行ったものである。これは、人工ダイヤを使った「ダイヤモンドカッター」
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が出てくるまで使われていたのである。

その後はダイヤモンドカッターで引き割りをする時代へと変化したのである。雰囲気を伝えるものとしては、たとえば、こんなものである。
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富士山溶岩ボールができるまでより

我が家に初めてダイヤモンドカッターが来た日のことはちょっと覚えている。こんな感じの小型のものだった。
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しかしながら、これで実際に原石が簡単に切れるのを見てみんな興奮したものである。

さて、このダイヤモンドカッターの歯についているダイヤモンドはいわゆる「人工ダイヤ」のさざれ石である。そういうものを歯の表面に接着して、それでこすって相手を切断する。ダイヤを切る場合もやはりダイヤである。

私が阪大の基礎工学部に入学した頃、阪大基礎工には超高圧研究室というものがあった。そこには、
「ダイヤモンドアンビル」
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http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2009/091210/
という装置を持つ巨大な超高圧実験装置が存在した。

これは
万力
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の二枚の歯の代わりにブリリアンカットのダイヤモンドを使って、それを両側からプレスしてダイヤモンドの間に物質を挟んで一気に押し潰すという、超巨大万力のような装置である。

当時の阪大には世界最大級のこの高圧実験装置があり、人工ダイヤを作りつつあった。間に黒鉛を入れてダイヤモンドアンビルで潰すと、無色透明なダイヤモンドがたくさんできる。こうやって初めて人工ダイヤが誕生したのである。

これをどんどん使える時代になってはじめて、それを使ったダイヤモンドカッターが誕生したのである。


(つづく)



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  by kikidoblog | 2013-11-06 16:35 | ファミリービジネス

ファミリービジネス7:「瑪瑙(めのう)」に色をつけてカラフルにする

(つづき)

さらに古くなる。昨日こっちを書いている最中にサファリが死んだ。そこで後先になってしまったが、もう一度メモし直すことにする。即興でメモしているので、最初のものとは似ても似つかぬ別物になった。


(き)めのうの色

我が家が甲府市の高畑町に住んでいた頃(つまり、1960年代)我が家の庭先には金魚の池があった。だいたい3〜4mほどの直径のものだっただろう。

はたして何のためだったか?

というと、当時は化学者用のシャワー施設のようなものはまだできるずっと前の時代だったために、危険物を顔や体にかぶった時に水洗いできるようにという目的であった。もちろん、私がずっと大きくなって後で知ったことである。

さて、山梨県甲府の伝統的地場産業である宝石加工業者や研磨業者が扱うのは瑪瑙(めのう)という石である。その原石は見かけは単なる大きな石である。あまり原石を見たことはないだろう。巨大な恐竜の卵のようなものである。それを、山の洞窟の中から掘り起こす。

山梨では古来、そうやって山に穴を掘ってこうした原石が出てきたのである。しかし、採掘しつくして私が子供の頃にはすでにブラジルから輸入していたのである。私が小中学生の頃、こういう原石が木箱にぎっしり詰まった箱がブラジルから送られてきたのである。

だいたいこんなものである。
めのう原石
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めのうは大半は乳白色のものである。むかしは、この石を切断して、その面を磨いて、そこに現れる奇妙な縞網様をみて、楽しんだのである。だからそういうものを「置物」として売っていた。我が家の先々代の時代には大半の甲府の宝石加工業者はそういうものを販売したのである。

そういう原石に時に赤や緑や青などの色が付いたものがある。そうなると、当然、そういった自然に出来た色つきのめのうはとても珍重されたのである。こんな感じのものである。
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ところで、無色透明の水晶になる部分は、原石の中央の空洞の部分に結晶成長する。だから、手のひらサイズの水晶が存在するような原石は稀にしか存在しない。非常に大きなものになる。この原石が人間より巨大なものにならなければ、言い換えれば、原石の中央の穴が洞窟のように大きなものにならないと、巨大結晶
水晶原石(ブラジル・コリント産の逸品)
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は手に入らないのである。だから、貴重なものとなる。

このように、色のついた瑪瑙は非常にめずらしいものである。手に入れにくい。だからこそ、人々が欲しがるのである。

そこで、仮に瑪瑙に色を自由自在につけることができたらどうか? 石を染めることが出来れば、いいのではないか?

甲府の宝石加工業者はそういうことを考えた。それが私の祖父の井口章(故人)であった。爺さんは聞くところでは非常に研究熱心で、日夜研究所で実験をした。私の叔父さんの美一(故人)がその研究熱心さを受け継いだ。

この二人で研究して、ついに白い瑪瑙に色を染める方法を編み出したらしい。それが、「めのうを酸で煮沸する」という方法だった。

赤瑪瑙を作るためには、瑪瑙を塩酸で煮沸する。ぐつぐつ煮るのである。
蒼瑪瑙(緑のめのう)を作るためには、瑪瑙を硫酸で煮沸するのである。
それも何日もかけて煮続ける。実に危険極まりない作業である。
素人さんは絶対に真似をしないようにお願いしますヨ。

しかし、甲府の宝石加工業者はこの方法で色をつけることができるようになったのである。人工的に瑪瑙に色をつけることができるという方法を発見したのである。

私が小学生の頃、工場と工場の間の空間に大きなビンがあったのをよく覚えている。近づいてみると、「硫酸」とか「塩酸」とか書かれていた。純度100%の濃硫酸や濃塩酸である。そのビンをさわってみると、熱かった。水面は波打っていまにも飛び出しそうであった。

こういう危険物を大きなフラスコに入れてバーナーで煮ていたのである。作業は危険きわまりない。手順を間違えば、爆発する。先に宝石を入れ、濃硫酸を入れるか、その逆かで爆破するかしないか決まるのである。

時に煮沸した最中に中の石の色具合を見なければならない。煮沸するわけだから、とうぜんガラスのフラスコの横は曇って見えない。しかたなく、ゴム栓を慎重に外して、中を覗きこむ。そんな時に、上から何かの水のしずくや雨水が一滴たれたらどうなるか?もちろん大爆発を起こす。

非常に稀だが、私の父や母が「やられた〜〜」と大きな声で叫びながら、走ってきて、庭先の池に飛び込む。そんな場面を目撃したことがあったのである。まずは池に入って全身の酸を洗い落とし、池の水道の蛇口で顔を洗い流す。

我が家の池はそういうために作られたのであった。

宝石に色を染める。

これもまた山梨の甲府で生まれた技術、我が家の先祖が発見した方法だったのである。

こういう痛ましい努力の結果、みなさんが身に付ける瑪瑙には赤青緑などさまざまな色がついているのである。


私が阪大の大学院で物性物理を学ぶと、私はこういう方法の原理を理解できるようになった。これは物性物理学者が「色中心」と呼ぶ現象である。結晶内に別の原子の不純物を入れると、そこに内部の電子がトラップされて色がつく。そういう現象である。

赤瑪瑙をつくるために塩酸で煮るというのは、石英の内部に塩化物イオン(Cl^-)を混入することに対応するだろう。緑の瑪瑙をつくるために硫酸で煮るというのは、石英の内部に硫化物イオン(SO_4^2-)を混入拡散することに対応するだろう。こういった不純物イオンが色中心を作り、あたかも乳白色の瑪瑙に色がついて見えるというわけである。

今では青色(ブルー)の瑪瑙もあることから、これも何かの酸で似たのだろうか?おそらく、リン酸あたりで煮るのかもしれない。内部にリン酸化物イオン(PO_4^3-)あたりが入ったのだろう。

我が家の爺さんが発明したこの方法によって、我が家もまたさまざまな色のついた瑪瑙を供給できるようになったのである。




(つづく)



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  by kikidoblog | 2013-11-06 14:41 | ファミリービジネス

ファミリービジネス6:「貴石画」と「宝石画」の誕生

みなさん、こんにちは。

今日も昨日のつづきである。山梨県甲府市の宝石研磨業や宝石貴金属店の話である。だから、他の県の人たちにはあまり価値のある話ではないだろう。適当にパスして欲しい。


(つづき)


(か)貴石画と宝石画の誕生

原石を切り刻み、欲しい部分を抜き取ると、その周辺や端っこに大小様々なさざれ石ができる。切った残りカスのようなものだから、尖っていて、危ないものである。窓ガラスを切った後に残るはし切れを思い出せばいいだろう。

インターネット上にはすでに磨かれたものしかないが、雰囲気としてはこんなもの。
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そういうものが無数に誕生するのである。我が家もそういうさざれ石を庭先に捨てていた。

だから、我々当時の子どもたちが庭先でサンダルで遊んだりしていると、たまにそういうさざれ石でざっくりと足裏を切ったものである。それほど鋭利な切れ端だったのである。なにぜ水晶のさざれ石である。

しかしながら、「バレル研磨機」の登場により一気にさざれ石を磨くことができるようになった。そうなると、これまで石のゴミにすぎなかったさざれ石が、今度は売り物になってくる。財産や資源に変わったのである。

今では、インターネット上でパワーストーンだとか、さざれ石だとかいって売り物になっているようだが、そういうものはみなこの「バレル研磨」されたものである。たとえば、こんなものである。
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我が家にもこういうものが無数にそれも自由自在に作れるようになった。それが、私が小学生の時代の1960年代中頃から後半であった。

そうなると、大中小さまざまの大きさのさざれ石、カラフルなさざれ石ができるようになった。たとえば、こんな感じのもの。
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(これらはあくまで今現在のインターネット上で見つけたものである。しかし、私の記憶にあるものとほとんど同じである。)

こうなると、色の三原色(=赤、黄、青)に近い色のさざれ石が得られたことになる。したがって、色のついた石やさざれ石を使って「絵を描く」こともできるはずである。

こういうごく自然な発想で作られるようになったものが「宝石画」あるいは「貴石画」と呼ばれたものである。こんなものである。
☆……宝石画(貴石画)……☆

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我が家ではまさにこういうものを作っていたのである。我が家のものは父の名の実からとって「実宝(じつほう)」のブランド名で取引されたものである。この朱印が入ったものが我が家の製品であった。ところが、のちのちライター屋が我が家の名前と同じものを名乗り始めた。そのZIPPOと命名が重なり、裁判したが、相手を取り下げることが出来なかったという話を覚えている。その当時のジッポーなんていうのはそれほど大きな会社ではなかった。

まだ始めの頃は、細かいさざれ石部分は、磨くことが出来ず、細粉上に砕いた石を使っていた。だから、基本のパーツは比較的大きな石を使っていたのである。それゆえ始めは「貴石画」と呼んでいた。

ちなみに、この貴石画のアイデアは我が家から誕生したものではない。確か私の記憶では、大森さんだったかな(?)、ど忘れしてしまったが、別の会社の業界仲間の老舗が発明したものである。

が、しかし、「バレル研磨」でさざれ石が研磨できるようになると、細粉の代わりにさざれ石を使えるようになった。そうなると、もっと巧妙なことができるようになってきた。

それが、貴石画のモザイク画である。最初にやったのは、我が家の従業員の人だった。名前を忘れてしまったが、県の最優秀賞を取ったものである。こういうレベルになると、今度は「宝石画」とより一般化した名前がつくようになったのである。

たとえば、最近の映像でみれば、こんなものである。
宝石で描いた 名画

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いまではこんなものまであるようだ。
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http://item.rakuten.co.jp/alljewelry/999-gingac-3/

タイでも作られているらしい。
タイの宝石画
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ちなみに、我が家の最大級の宝石画は「富士山」の非常に大きなものだった。普通の富士山と赤富士の二種類があった。たとえば、こんな感じのもの。
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(これらは我が家のものではないが、最初にこういうふうな宝石画を作り出したのである。)


というように、1960年代〜70年代の山梨県甲府の宝石貴金属加工業者や宝石研磨業者の技術が、その後全世界に波及していったのである。その大本が「バレル研磨」技術だったのである。これは日本の山梨県から生まれた技術だったのである。

私が小学生時代には、毎日母親がこの貴石画を作っていた。化学ボンド剤を貴石につけて、額縁の板に貼り付けるのである。そうやって絵を描いていた。父親は、スカラベを磨いていたのである。そんな時代に私は野球に夢中になっていたものである。

これが高度成長時代の山梨県甲府の宝石加工業者の姿だったのである。


おまけ:
「宝石画手づくりセット」
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いまでは、こんなものまである。


(つづく)



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  by kikidoblog | 2013-11-06 13:31 | ファミリービジネス

ファミリービジネス5:「回転ろくろ式研磨機」と「スカラベ」

(つづき)

さらに古くなる。

(お)回転ろくろ式研磨機

私が生まれた昭和32年頃、当時の甲府市の宝石研磨業者は「回転ろくろ式研磨機」を使っていたようである。これは、いわゆる瀬戸物などを作るロクロから応用されたもので、そのロクロの鋼鉄製の円盤に直接宝石を擦りつけて研磨するというものである。

普通の陶芸用のロクロというものは、こんなものである。
http://www.tabitabi-taipei.com/topics/20100120/taiken.php
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こういうロクロの上に粘土を置いて、ロクロを回して回転体を作っていく。
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しかし甲府の研磨業者はこんなふうには使わなかった。この回転部の金属に磨き粉(研磨剤)と水を流し込んで(垂らして)、そこに宝石を突っ込んで回転金属で磨くのである。
職人技紹介
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私が高畑町に住んでいた頃、我が家の工場にはそんなロクロが何台もあり、そのそれぞれに職人さんが張り付いて、ロクロの上で宝石を磨いていたのである。

これは「バレル研磨」法が実現されるまで続いたのである。

金属の棒ににかわのような接着剤で磨きたい面を上にしてたくさんの水晶のさざれを貼り付ける。それを右手に持って、左手で研磨剤の緑色の粘土を握って、それをロクロにすこしずつつけながらその上の緑の場所に研磨する宝石をこすりつける。まさに研磨である。

こういうのが当時の職人技であった。

私が生まれた時には、私が眠っている隣の部屋が工場で、そこで親父たちが日夜研磨していたそうである。

そのためにみんな右手が削れと圧力で変形する。それが職人の勲章であった。

そんな時代に革命をもたらしたのが「バレル研磨機」であったというわけである。
おそらくいまではほとんど目にしなくなったのではないだろうか?


当時1960年代はアフリカがすこし近代化し始めたころである。特にアラブの国々が石油で大分潤ってきた。アフリカ人はイスラム教を信仰する。特にアラブ人にとって、スカラベ(フンコロガシ)は神の使いである。

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http://coquette77.exblog.jp/2489533

日本人の縁起物というものである。だから、スカラベの入ったネックレスや指輪を必需品とする。
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ある時、ユダヤの商人が甲府にやってきた。そして、スカラベを掘った水晶
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(私の記憶にあるもので一番近いのはこんなもの。)
が欲しいと言ってきた。そこで、何社かが集まって商談した。そこで目にしたものはまさにユダヤ商法だったらしい。

がとにかく、そういうスカラベの形をした石をこの回転式ロクロ研磨機で擦っていたのである。これは結構長く続いた商品であったらしい。おかげで我が家はさらに大きく発展していくきっかけを作れたのである。

ところで、上のスカラベの形は何を使って掘ったかというと、これが歯医者さんが使う装置とまったく同じ研磨機であった。歯科医にいくと、ギュイーーーーンという音の出る先が回転する研磨機で歯を削る。あれである。こんなもの。

先に
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ものがついた回転研磨機である。当時我が家にも何台もこういうものがあった。それを使って、歯医者さんが歯を削るようにして、一個一個の宝石の表面にスカラベの絵を描いたのである。



(つづく)



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  by kikidoblog | 2013-11-05 15:19 | ファミリービジネス

ファミリービジネス4:「バレル研磨」の誕生、研磨業を変えた革命技術

(つづき)

昔のことを思い出せるうちにどんどんメモしておこう。というのも、私の父もいまでは86歳をすぎ、いつ逝ってしまっても不思議ではないという年齢に入ったからである。私自身、昔脳梗塞を起こした父の年齢に入っているからでもある。生きている以上、人間だれしも死は避けられないからである。生きているか死んでいるかのいずれかしか存在しないのである。

(え)「バレル研磨」

さて、話はますます昔に遡る。今度は、山梨県の宝石研磨業者がどのようにして水晶や宝石を研磨したかという話である。

一般に「バレル研磨」というものがいまでは一般的である。いまインターネットですぐに見つかるものとしてはこんなものがある。
回転式バレル研磨機
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バレル研磨は当社にお任せください!!
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(これらのメーカーが発明したわけではない!)

原理は非常に単純である。ローリング・ストーンである。川の石は転がって丸くなる。これである。
バレル研磨

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バレル容器に工作物、メディア、コンパウンド、水を入れ、バレルに回転運動や振動を与えて研磨する加工法。回転形バレル、振動形バレル、遠心流動形バレルなどがある。

川の石は上流ではトゲトゲ、ごつごつしている。原石というものはそういうものである。それが下流の石は見事にエッジがとれて丸くなっている。

はたしてこれはどうしてか?

ということで、山梨県の研磨業者たちが目をつけた。山梨県には笛吹川や荒川という大きな川がある。そういう川の石をみて気がついたと言われている。川の石がどのようにして磨かれるのかを真似たのである。

要するに、川の水には大中小さまざまな砂利がある。そうしたものが水に混じっている。こういうものが研磨剤になって、大きな石の表面を削り取る。また上から下に転がり落ちるたびに丸くなる。

工場では川を作れないから、川の代わりが必要である。

そこで考え出されたのが、樽(たる、バレル)である。樽の中に研磨剤と水と磨きたい石の原石を入れる。それをコンベアーの上で回転させる。すると、だんだん中の原石の表面がピカピカに磨かれていく。

こういう原理である。

実は、この方法もまた我が家が宝石研磨業をやっていたころ、県の工業技術試験所のスタッフと共同研究して誕生したものである。したがって、公には山梨県の工業技術研究所で誕生したということになっている。(だから、井口家で特許を取れなかった。そのおかげで、この技術が県外や海外に流出しても賠償を取れなかったのである。山梨県県庁関係者というのは産業を育成するというよりは産業を衰退させることばかりしてきたのである。)

これが1960年代のことである。この研磨剤に前述の六価クロムを使っていたのである。

磨きたいもの(宝石)の大きさや形状に合わせて、研磨剤となる粒子や粉を組み合わせる。この方法によって、それまでは凸凹のある表面をもつ宝石の表面を研磨することは不可能だったのだが、それが自動的にできるようになった。

その結果、甲府の宝石商はながらく産業廃棄物としてしか使い道のなかった、さざれ石(端っこや切れ端のこと、パンの耳にあたる、不要なもの)を捨てていたのが、そういうものを全部根こそぎ研磨することができるようになったのである。
水晶のさざれ
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(昔はさざれをこういうふうにピカピカに磨くことができなかったのである。最初は一個一個を丁寧に手で磨いたのである。それがバレル研磨で一気に全部磨けるようになったのである。山梨県宝飾研磨業者や技術試験所職員の先人に感謝しよう。)


まさに宝石研磨業の革命を担ったものが、この「バレル研磨」という手法だったのである。

私がちょうど小学生の頃、だから、1967年頃にこれが甲府市内の研磨業者に普及しだしたのである。そして、私の祖父や叔父たちが、これをブラジルや韓国など世界に流布していったのである。

こうして、いまでは「バレル研磨」という立派でご大層な名前まで付き、解説サイトまでできているという時代になったというわけである。

これまた「読み人知らずの詩」のようなものである。

我が家はこのバレル研磨機が数十台並んだ工場を持っていた。ちょうど我が家が青葉町に引っ越した頃のことである。このバレル研磨機は最初は丸いバレル(=円柱バレル)を使っていたが、大きなものになると、それが六角柱のバレルになった。

ある時、工場の隣にあった我が家のテラスで野球をしているとたまにボールが工場の屋根に乗る。そこで、梯子を橋のようにして、忍者のように向こう側に飛び移る。そして、ボールを拾ってからまた梯子の橋を渡って戻り、梯子をはずす。そんなことをしたものである。

そんなある日、私の弟が私の真似をして工場の屋根に乗ったのはいいが、屋根を突き破って落っこちた。そして、下でガンガン回っているバレル研磨機の上に落ちたのである。幸い、指を裂傷しただけですんだようだが、命を落とすところだった。

それほど回転中のバレル研磨機は危険なものでもある。

それが1970年代の中頃のことである。




(つづく)



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  by kikidoblog | 2013-11-05 14:29 | ファミリービジネス

ファミリービジネス3:宝石企業団地とレストラン・ダイヤモンド

(つづく)


(う)宝石企業団地の設立

我が家が甲府市の高畑町という場所に引っ越した頃、私は当時の国母小学校に通っていた。

そんな1960年代の甲府の研磨業者は、研磨剤(=磨き粉)として六価クロムの主成分の粉を使っていた。

私の記憶では、いまのセメントの袋
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のようなものに、ぎっしりと緑色の粉が詰まっていた。それに小さい穴をあけて、すこしずつ取り出して、それをビンや箱に入れて、研磨機の横においておく。それを手ですくっては水を流して加えて粘土の状態にする。それを研磨するべき水晶にふりかけてろくろを回して研磨したのである。

今はこんな感じ。
女子の1人暮らしの賃貸ワンルームで彫金アトリエをDIY!【2・完成】
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だから、この研磨剤は甲府の宝石研磨業者にとっては必需品であった。

したがって、研磨剤が溶けた水、すなわち、排水はそのまま近くの川や溝に流していた。

ところが、この研磨剤には六価クロムが入っていることがのちのち分かってきて、それが公害になるという話が持ち上がったのである。つまり、六価クロムの有害性が問題になったのである。だから、これまでのように廃液を川や溝に垂れ流すのはよろしくないのではないかという問題が持ち上がったのである。

しかしながら、これまで通り流し続けても特に苦情もなく、問題もなく、最初はそのままにしていた。業界全体でもこれまでどおりにしていたのである。

ところが他の地方で六価クロム公害というものが騒がれ始め、これはまずいぞということになって、甲府市の研磨業界も何かの策を打たなければならないということになったのである。しかし、どの零細中小企業もそんな最先端の浄化槽を設置する余裕はない。そんな金も土地もないからである。もちろんそんな事の出来る人材もいない。

そこで、私の父がみんなの反対を押し切って、「宝石企業団地」というものを構想した。同じ場所に研磨剤をたくさん使う研磨業社が集まり、その場所に共同の公害設備=浄化槽を作り、そこに廃液を流し浄化された水を川に流す。こういう施設を県の協力を得て実現したのである。そして、ついでにそこに観光客をバスであつめ、即日販売する。

これは比較的県も乗り気で意外にもすんなりと出来上がったように見えた。だがしかし、出来上がると、それまでの立地条件と設立後の立地条件が変わってしまったのである。公務員のご都合主義のために、即日販売もできるよということで誕生した企業団地が、設立後では、企業団地内での販売営業は禁止になったのである。

どうも山梨県というのは歴代こういうことをやる伝統があるようで、今回山梨に帰ったら、甲府駅前の再開発でもまったく同じようなドタキャン騒ぎを引き起こしたそうですナ。よほどのバカが上にいるのだろう。

約束は口約束でも約束。後になってそれはなかったということはあり得ない。ましてや構想段階で契約書に書かれたことを後になって書き換えることは不可能なのである。これができるのは、韓国人くらいのものである。

しかし、そういうふうなことを山梨県の県庁の公務員は頻繁にやっているようである。

というわけで、結局、県の産業の無公害化に成功した「宝石企業団地」という施設ができたにもかかわらず、そこで営業ができない。つまり、そこで実演販売できないというわけである。

こうして、せっかく無公害の工場施設で研磨された水晶宝石ができているのに、そこで営業できないという矛盾に苛まされ、結局ここも衰退していったというわけである。苦肉の策で考えたものが、そうやってみんなが研磨した水晶を販売する場所である。それが、最初の「レストラン・ダイヤモンド」
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だったのである。



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  by kikidoblog | 2013-11-05 13:18 | ファミリービジネス

ファミリービジネス2:昇仙峡「宝石園」「かつては東洋一の水晶宝石博物館」

(つづき)

(い)昇仙峡「宝石園」設立

その昔の山梨県の
昇仙峡
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に行ったことがあれば知っているはずである。そこにはとある「宝石博物館」があっただろう。

洞窟から入り、中に入ると、たくさんの宝石がある。そこには宝石細工する製作者の姿もあった。これが、「宝石博物館」であり、その後「宝石園」と変わり、ついに2007年に閉鎖した場所である。偶然これを紹介するサイトを見つけたので、それもメモしておこう。
(閉鎖)典型的なレトロ珍スポ「昇仙峡 宝石園」【山梨】

【※お知らせ】現在閉鎖している施設です。ご注意ください。大変残念です。楽しい想い出をありがとうございました。

珍スポットの全要素を満たす昇仙峡 宝石園
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かつては東洋一の水晶宝石博物館
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実は、これを設計し、設立したのもまた私の父實であった。宝石研磨業の紹介、制作現場を観光客に見てもらい、現場で即日販売するというアイデアである。これを実現するために、業界のトップとして、私の父親がここを作り出した。それが「宝石園」であった。(おそらく、この経験がのちのちの宝石学校の設立に繋がったのだろう。)

古来、昇仙峡という場所では、かならず水晶や宝石を売っている。この伝統はかなり前から存在した。昇仙峡を見に来て、県産物である水晶を観光客に売る。県の伝統産業である。山梨県の宝石貴金属メーカーにとっては、昇仙峡は非常に大事な場所だったのである。この伝統に即し、さらなる発展を考慮して、宝石博物館を作ったというわけである。

何事も、どんな世界でも、盛者必衰。たけき者も遂にはほろびぬ、である。
バブル崩壊の90年代を経て、やはり不況の波は後継者不足を生み、結局はここも閉鎖になってしまったようである。

「かつては東洋一の水晶宝石博物館」とあるように、ここは非常に人気スポットであった。大きなアンモナイトの化石もここにはあった。それも父が探してきたものである。

しかしながら、この博物館もまた我が家の事業の衰退とともに衰退していったのである。というのも、私が大阪大学の大学院にいた頃、私の父がちょうど今の私の年齢に差し掛かった頃に脳梗塞で倒れ、我が家の事業そのものが存続の危機に瀕死してしまったからである。


(つづく)



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  by kikidoblog | 2013-11-05 12:35 | ファミリービジネス

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