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コピっとやれし!中園ミホさん!:捏造の手口はウリナラファンタジーそのもの!?

みなさん、こんにちは。

ちょっと前に
「花子とアンナカ」:朝ドラ花子の本名が安中、ASKAの薬物がアンナカだった!
の中で、「最初にメモしたように、この人の作品の作り方には非常に特徴、それも韓国人的メンタリティーがでているから、それについては、後々にするが、」とか、「この後半の人物に関してはまた後々にして、」とか、メモしていたが、今回は忘れない内にこれをメモしておこう。

結論から先に言うと、この中園ミホという脚本家のやり方は、いわゆる韓国人のよくやる「ウリナラファンタジー」の手法と同じものだ、ということである。

中園ミホの経歴では、この人は広告代理店(たぶん電通)時代に、脚本講座(これもたぶん電通のもの)で勉強したとある。
中園ミホ
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中園 ミホ(なかぞの ミホ、1959年7月16日 - )は、日本の女性脚本家。東京都中野区出身。
本名は中園 美保(読み同じ)。日本大学芸術学部卒。2010年度から日本大学芸術学部客員教授を務める。
大学卒業後、広告代理店に入社。社の同僚がシナリオ講座に申し込んだものの行けなくなったため、その代わりとしてノートをとるため、シナリオ講座に参加した。

ここで習得した技法、これがウリナラファンタジーの方法だったと考えられる。そして、その後これを使って、有名脚本家になったのだろうということになる。

はて?韓国人はどうやって「ウリナラファンタジー」を作るのか?
はて?中国人はどうやって「アルアルファンタジー」を作るのか?

というと、これが以前
人類正史が記されたオーパーツ「竹内文書」:倭国は日本じゃなく朝鮮のことだった!
にメモしておいた、「三国志」の著者であった、支那人の陳寿(ちんじゅ)のやり方そのものなのである。つまり、以下の部分の手法である。
さて、その陳寿はこう書いていたという。
倭人の記事の筋書きは全部間違っているから、倭人の記事から実態を得ることはできない。仮に倭人の記事にある倭国の方へ向かって行ったとしても、倭人の記事にある倭国を見ることができない。だから、倭人の記事には罪がないのである。
倭人の記事は、架空の倭国をもって朝鮮と同じものとみなし、実在している朝鮮を陰の存在にした。だから、倭人の記事と韓の記事とは、文章全体が裏腹の関係において一致している。

これと同じことを「スタップ細胞」でやってしまったのが、理研の小保方晴子とボスの笹井博士。これである。
おまけ:
ちょっとジョークとして追加しておこう。上の
倭人の記事の筋書きは全部間違っているから、倭人の記事から実態を得ることはできない。仮に倭人の記事にある倭国の方へ向かって行ったとしても、倭人の記事にある倭国を見ることができない。だから、倭人の記事には罪がないのである。
の部分の「倭人」の部分をすべて「STAP細胞」としてみよう。すると、こうなる。
STAP細胞の記事の筋書きは全部間違っているから、STAP細胞の記事から実態を得ることはできない。仮にSTAP細胞の記事にあるSTAP細胞の方へ向かって行ったとしても、STAP細胞の記事にあるSTAP細胞を見ることができない。だから、STAP細胞の記事には罪がないのである。
まさに小保方さんと彼女を弁護する弁護士の意見と一致する。つまり、半島人特有のメンタリティーですナ。

同様に、もう一つの
倭人の記事は、架空の倭国をもって朝鮮と同じものとみなし、実在している朝鮮を陰の存在にした。だから、倭人の記事と韓の記事とは、文章全体が裏腹の関係において一致している。
も、「倭人」の部分をすべて「STAP細胞」として、「朝鮮」を「ES細胞」と変えると、こうなる。
STAP細胞の記事は、架空のSTAP細胞をもってES細胞と同じものとみなし、実在しているES細胞を陰の存在にした。だから、STAP細胞の記事とES細胞の記事とは、文章全体が裏腹の関係において一致している。
いや〜〜面白い。まさにそういう趣旨の論文でしたナ。

つまり、この手法は、次のようなものである。
(1)実在している歴史・人物・固有名詞等を「ひな形」にして、それを貸借対照法のようにして、左右に欄(コラム=列)をつくり、すべて真逆に置き換えていく。
(2)そして、モデルを左にとったとすると、右の欄には、また別のものから良さそうな名前をとってきて貼り付ける。
(3)そして、左右の関係はすべて「裏腹」=「真逆」の関係にする。
そういう手法である。

これであなたも立派な脚本家である。ウリナラファンタジー作家になれるにちがいない。

左欄に「ES細胞」、右欄に架空の「スタップ細胞」をもってきて、ES細胞のストーリーを全部真逆にして、実在するES細胞を影に変えて、存在しないはずのスタップ細胞を実在化する。こうやれば、小保方−笹井論文が誕生するのである。

同様に、今度は、左欄に実在した村岡花子をとり、右欄に実在しない安東花子をとる。そして、実在の村岡花子は非常にしっかりしたクリスチャンの父親だったために、良い教育をということで女学校に入れた本当の歴史をすべて逆転して、そこへ西洋の名作、モンゴメリの『赤毛のアン』の「アン」のストーリーを入れ込む。

なぜなら実在の村岡花子、旧姓「安中はな」は、元々「敬虔なクリスチャン一家」にその洗礼を受けて生まれたのである。以下のもの。
村岡花子
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生い立ち[編集]
山梨県甲府市の安中逸平・てつ夫妻の長女として生まれる。本名は村岡 はな(むらおか はな)、旧姓:安中(あんなか[1][2])クリスチャンである父の希望により、2歳でカナダ・メソジスト派の甲府教会において小林光泰牧師より幼児洗礼を受ける。父の逸平は駿府(静岡県)の小さな茶商の家に生まれ、茶の行商中にカナダ・メソジスト派教会に出入りするようになり、熱心なクリスチャンとなる。布教の流れで甲府に移り住み、そこで出会ったてつと結婚してその実家に住むようになる。教会での交流で新しい文化の影響を受けた逸平は、利発な長女のはなに過剰なほどの期待をかけた。

常識にとらわれず商売そっちのけで理想を追い求める逸平は、妻の実家や親戚と揉め事が絶えず、はなが5歳の時にしがらみを断って一家で上京し、南品川で葉茶屋を営むようになる。城南尋常小学校に通うはなは、心象風景を短歌で表現し句作をして詠んでは楽しむ幼少期を過ごした。その頃、社会主義活動に加わった逸平は特に教育の機会均等を訴え、娘の才能を伸ばすべく奔走し、1903年(明治36年)、学校創設者との信仰上の繋がりから、10歳のはなを東洋英和女学校に給費生としての編入学を実現させる。一方、家族の生活は困窮しており、8人きょうだいのうち高い教育を受けたのは長女のはなのみで、他の弟妹は次女と三女を残して皆養子や奉公などで家を出されている。はなの入学は、弟妹たちの犠牲の上に成されたものであった。
花の場合は、父親が宗教家兼社会運動家のクリスチャンだったために、そのつながりで東洋英和女学校に入学できたのである。

すべてはこんな按配である。

これがウリナラファンタジー作家の手口であると考えられるわけですナ。


ところで、問題なのは、最近の韓犬

NHKは、どうして日本人を汚く演出するのか?どうして薄汚く描くのか?

ということである。

なぜ?

もちろん、その理由は、国際的に世界中で見られることになるNHKの番組で、日本人のイメージ悪化を狙っているからである。「ディスカウント・ジャパン=日本人の評価を下げる運動」だからである。もちろん、これはフリーメーソン(=シオニスト)の差金した悪知恵である。

問題は、それが事実だったら仕方ないが、それが事実でないから困る。

特に、中園ミホはなぜ我々甲州=山梨の人間を汚く描くのか?
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ということであろう。

私は山梨甲府生まれの生粋の甲州人である。

中園ミホにいう。そういう姑息なことはやめておけ。警告する。

この中園ミホが無視したのは、あるいは、知らなかったのは、山梨は温泉のメッカ、また河川のメッカだということである。山梨ほど清流に恵まれた場所はないのである。

つまり、山梨ではただで風呂に入ることが出来た。ただで川で水浴できた。自由に川で顔を洗うことが出来たのである。

山梨には、荒川、油川、笛吹川などたくさんの大きな川がある。だから、武田信玄の時代には、洪水に悩まされたわけである。それを信玄堤によって防波堤を作って以来、川の氾濫がなくなった。

私も田舎の小川の水でいつも顔を洗っている風景を見ていた。私自身、小川で顔を洗ったり、清流の水の飲んだりしたものである。昔は、川で泳ぎの練習をしたのである。

公害で汚れるようになるずっと前の日本であれば、なおさらである。

したがって、甲州の人間が、中園ミホの描いたような、薄汚れた顔で人前に出ることはなかったし、その必要もなかったのである。

つまり、これまた中園ミホは「日本を韓国のように描いた」のである。つまり、左の欄に「きれいな日本」、右の欄に「汚い韓国」をおいて、それを逆さまにしたのである。

この私の主張を見事に証明するものが、最近現れた。以下のものである。
【100年前の日本!】  ロシア人「20世紀初頭に撮影された日本人庶民の生活の様子をご覧下さい」 【画像25枚】

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(ほか多数)
同じ頃の韓国はこれ。
韓国人「100年前の世界各国の都市を見てみよう」:その勇気は称えるが?
アジア人よ、目を覚ませ!:「握り拳と握手はできない」マハトマ・ガンジーの言葉
(「鐘の音が聞こえてますか」ジョークのような本当の話より)
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これを見れば一目瞭然。顔の汚い日本人や汚い格好をしている日本人はどこにもいない。どんなに貧しくとも、日本人は昔から「身綺麗」にしていたのである。河川の発達した日本では、小川や清流や湧き水など、あるいは井戸水をつかって、いつも清潔にできたのである。

なぜなら、私の苗字「井口」は、昔から家に「井戸」があり、ご近所に井戸を使わせていた家なのである。私の母親の実家の農家には、共同の流れっぱなしの湧き水場があった。ここでその近辺の村人は炊事洗濯をしていた。

なぜ井戸を自宅に所有したり、近所の人達と湧き水場で炊事洗濯出来た山梨の人間の顔が汚いのだろうか?そんなことはまったくなかったのである。ましてやクリスチャンだった村岡花子の父親が真っ黒の顔をしていたはずがないのである。

てっ、そんなこた〜〜、ね〜〜ずら。

コピっとやれし!中園ミホさん!

っていうとこですナ。

捏造ミホですナ。

私は、ちょっと前には「やまとなでしこのオウスケのような人」と紹介されていたらしいのだがナア。大変残念ですナ。



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  by kikidoblog | 2014-05-31 11:28 | 人物

あなたはこうやって拉致される!?:アイムレディー、オア、ノットレディー?

【閲覧注意】以下には結構気持ち悪い映像が含まれていますゾ!
子供さんや心の弱い人やドラエモンには見せられないよ!

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みなさん、こんにちは。

いま日本では、北朝鮮拉致問題の進展に日本の「韓流マスゴミ」が釘付けのようである。しかしながら、北朝鮮拉致は所詮地球内のお話。行く先は北朝鮮か、韓国の田舎かどちらかにすぎない。

北朝鮮の拉致の場合は、頭から麻の袋に詰め込まれて船に乗せられるという噂であった。新潟の海岸を歩いていると、一見日本人のような東洋人の男が数人歩いていて、すれ違いざまにすっぽりと麻袋を被せる。そしてきゅっと紐を縛って、はい一巻の終わり。

だから、

一人で海岸を歩くな!特に若い女性は。

と、かつて沿岸部の街の父親は、口をすっぱくしてそう言っていたらしい。

脳天気に一人で夜に海岸を歩くような女性は時として北朝鮮の工作員の格好の餌食になったのである。

ところが、同じ拉致問題でもエイリアンによる拉致ほど怖いものはない。

良いエイリアンなら、「円盤搭乗記」のように、まるで浦島太郎の亀さんに乗って「竜宮城へ行ってみれば、天にも登る美しさ」で事足りるかもしれない。

が、悪いエイリアンに拉致されたら即、連中の餌として食われるか、あるいは、生体材料にされてしまうか、あるいは、生物実験のモルモット代わりにさせられてしまうのである。

それでも、
「I'm ready! Take me the space!」
と言える人はそうはいないだろう。

さて、エイリアンが人間を拉致する場合、いったいどういう感じで拉致されてしまうのか?それがなかなかわからなかった。

最近、そういう場面を記録したYouTube映像が現れた。

たまたま家族旅行中にビデオを回していたのだが、その一家が全員あっという間にエイリアンに拉致された。そういう場面が写っていた。そういうビデオが公開されたらしい。

その理由は、その親族が、自分の家族が帰ってこないので、捜査のためにも公開することにしたからだというのである。以下のものである。
Alien Abduction Of Family Caught On Camera


これは凄い!エイリアンに拉致された家族の衝撃映像が公開されました。

拉致された場所はここだ!
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旅行中も夫婦で喧嘩ばかりするオーストラリア人家族。喧嘩に忙しく、自分たちが宇宙人に狙われていたことも気づかない。

北朝鮮人に狙われていることも気づかなかった拉致被害者、韓国人に狙われていることも気づかない対馬の住民、中国支那人に狙われていることも気づかない沖縄県民のようなものである。

いい宇宙人は事前にテレパシーで交信してくる。いきなりっということはないらしい。

一方、悪い宇宙人は、い・き・な・り、襲うらしい。

どこぞの半島人と同じである。

早く銃刀法改正し、先取自衛、正当防衛で自衛出来る国になるべきである。憲法改正はその後である。問題の後先を間違えるのが、平和ボケの日本人なのである。

まあ、憲法改正であろうが、国民がアイムレディーといえる状態にならないとできないだろう。まるで、憲法改正はどこかの宇宙人の国へ連れ去られるように感じる人間ばかりだからだ。

ところが、イルミナティーNWOのシオニストが言っているように、戦争を起こすのは実に簡単なのである。ウクライナのように、どっちかの国がもう一方をいきなり攻撃すればいいからである。だから、いわゆる「偽旗作戦」というものが成り立つのである。両方に仲間を仕込んでドンパチさせるのである。

こうなってからの憲法改正が、ちょっと前に麻生さんが「ナチスの例に学べ」と警鐘を鳴らした場合である。

いわゆる、「ショック・ドクトリンの手法」というものである。右へ触れさせたければ、いったん左へ揺らし一気に右へ持っていく。平和ボケしている行き過ぎたところに、攻撃させるのである。驚いた国民は、予想以上に過激な憲法を作る。

そうやって、本来なら自衛だけですむものが、一気に完全に全体主義に変わって、戦争状態に入るのである。

こうならないためにも銃刀法改正が急務なのである。

いま韓流政治家がやっていることは逆である。なぜなら、いずれ偽旗作戦を起こして、日本を韓国系が牛耳る全体主義国家にしたいからである。

さて、そんな話はいまここではどうでもいいが、ウィングメーカーの予言
A Happy New Prediction!:仏人超能力者30年前に911、オバマ、2012を予言!

ところが、ウィングメーカーの予言によれば、2011年に天の川銀河の外から天の川銀河に来訪した、未知の種族が地球を発見し、その翌年に地球を来訪する。そして支配するというのであった。なぜなら彼らには銀河系の法律など無関係だからという。
にある、この銀河の外から来訪した未知のエイリアンのニュータイプが地球を見つけるといっていたのが、たしか2011年。すでに3年経った。

いよいよ、未知のエイリアンによる地球人拉致被害の時代に入ったのだろうか?

このタイプに対しては、アイムノットレディーですナ。

くわばら、くわばら。


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  by kikidoblog | 2014-05-30 19:43 | ミステリー

「キャプテン翼の神技」を持つサムライジャパン:我が日本代表はかなり手強いぞ!?

Road to World Cup 2014 Episode 1 キャプテン翼 Ep 1


みなさん、こんにちは。

キャプテン翼の超絶技を実際にやってみる。

そんなYouTube番組を見つけたから、ここにもメモしておこう。今回の日本代表になった選手たちの技である。以下のものである。
「反動蹴速迅砲(はんどうしゅうそくじんほう) 」
中村憲剛選手と大久保選手(2014日本代表)

Jリーグ×キャプテン翼 #2反動蹴速迅砲(はんどうしゅうそくじんほう) Captain Tsubasa super shot
いや〜〜、まぐれとはいえすごい。

「ツインシュート」
扇原選手と山口螢選手(2014日本代表)

Jリーグ×キャプテン翼 #3 ツインシュート Captain Tsubasa super shot
あまりに凄すぎて、一瞬避けてしまったヨ。

「カミソリシュート」
太田宏介選手と石川選手
Jリーグ×キャプテン翼 #1カミソリシュート Captain Tsubasa super shot
いや〜〜、太田選手。ザック、この選手をなぜ招集しなかった?

いや〜〜、Jリーグの技術力は高い。本当はすごいJリーグのいぶし銀たち。

キャプテン翼くんの技を持つ日本代表、「サムライジャパン」。
ブラジルワールドカップでもこういう技を見せてくれ!

さもなくば、宝の持ち腐れですナ。



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  by kikidoblog | 2014-05-29 21:10 | サッカー&スポーツ

ちょっと怖い!?グーグルストリートビュー:UFOも写るんです!?

バシッ
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みなさん、こんにちは。

ストリートビューに関してもう一つメモしておこう。以下のものである。
ちょっと怖い!?グーグルストリートビューがとらえたヤバイ瞬間<画像集>

歩道で出産
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詰まった、困った人たち
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UFO
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くつろぐエイリアン
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(ほか多数)

こんな映像は、みんなこいつが撮っていたのである。
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いやはや、360度超高解像度映像カメラ。

それにしても、ストリートカメラはよく盗まれませんナ。



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  by kikidoblog | 2014-05-29 13:18 | アイデア・雑多

ストリートビューが大進化遂げていた!:なぜか「アカシックレコード」に似ている!?

ストリートビュー
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みなさん、こんにちは。

このところ、「宇宙は不連続」ということを個人的にメモしてきた。以下のものである。
(2) 「宇宙は不連続」と考えた人たち:リーマン、湯川、岡潔、グロタンディーク、保江。
(1) 湯川秀樹の「素領域の理論」を完成した男、保江邦夫博士:2つの「大どんでん返し」!?

この(1)の方の最後にこう書いていた。
こう考えると、
空間の中に素粒子がある
という考え方から、
素領域の内部自由度の中に素粒子がある
というような考え方に裏返しになるわけである。ある意味、我々の見る世界は、素領域の内部自由度の作る世界という感じになる。

プチ博士のユミット宇宙観というものは、どうもこんな感じのものだろうと私は想像する。
この部分の「宇宙の素領域の内部自由度の中に素粒子がある。つまり、我々の住む世界は素領域の中の内部世界なのだ」という発想をどうやってイメージするかということを理解するのに都合がいいものがある。実はそれが「グーグルアース」なのである。その中のグーグルストリートビューなのである。

もうグーグルアースは何度か更新してしまい、最初のグーグルアースとはかなりシステムが違ってしまったのだが、一番最初の世代のグーグルアースには、もちろん「グーグルストリートビュー」は存在しなかった。その次の世代にグーグルストリートビューが付き始めた。たしか2009年頃のものである。

グーグルアースからストリートビューに入る時、天界に何か丸いつぶつぶの球の一群が出てきて、その中のどれかをクリックすると、その中に入ってストリート世界が見えてくる。こんなものだった。
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いまのバージョンではもう一気にストリートへジャンプするから、その中間の丸い球状のものは見ることは出来ない。

私が思うに、湯川秀樹博士のいう「素領域」の「丸」とは、この「球」のようなものだろうと思う。そして、上にメモしたように、我々の世界はその内部空間に存在する。この球がつぶつぶに存在する場所。それが我々が「時空間」として認識する「この宇宙の本当の姿」だろうと考えるのである。

だから、私はこのデザインを考えたグーグルの技術者は非常に「良いセンス」を持っていたと思う。が、いまはこれを端折っている。

さて、今回はこれを探している内に、グーグルに関して面白いことを発見したので、それメモしておこう。まあ、ジョークのようなものだと思って欲しい。

(あ)グーグル・ストリートビューカメラの進化
まず、私が最初にストリートビューについてメモしたのは、昔のブログにおいてだった。参考までに再掲しておこう。これである。
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この最後の画像にあったように、2009年頃のストリートビューカーは、こんなものだった。
2009年頃、プリウス
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ところが、今日いろいろみて気づいたのは、すでに最近のものははるかに進化している。まずこんなもの
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になり、それが最近ではこういう奴に替わった。
インプレッサ
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さらには、こんな奴もあった。
大学やモールなど車の入れない場所用
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山岳地帯用、登山用
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ストリート富士山登頂
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さて、こんなものもあったヨ。
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というわけで、ストリートビューは我々の現実世界をコンピュータの中の「仮想世界」として、スーパーコンピュータサーバーの半導体素子の中のメモリに記録するわけである。これをギガヘルツの横波電磁波を通じて行っている。

この仕組は、この現実世界は我々の体験や経験を通じて、いつもこの宇宙のどこぞのメモリに記憶されるという、いわゆる「アカシックレコード」の仕組みとよく似ている感じがするわけですナ。

はたして、どうやって通信しているのか?

ストリートビューは電磁波でインターネットを経由してコンピュータのサーバーに行くわけである。

いったいどういう仕組でアカシック・レコードできるのか?

いや〜〜、面白い。が、いまだ謎である。



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  by kikidoblog | 2014-05-29 12:59 | アイデア・雑多

「宇宙は不連続」と考えた人たち:リーマン、湯川、岡潔、グロタンディーク、保江。

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空間の計量というものは、先見的な形式を持つわけではありません。が、しかし、相互作用の性質に帰すべきものであります。たとえば、距離という古典的概念、すなわちユークリッドの計量というものは、剛体が存在するという仮定の下でのみその正当性が保証されるものなのです。

−−リーマン(1892年)


みなさん、こんにちは。

今回は物理学者のメモである。普通の人には理解できそうもないからスルーを。時間の無駄である。

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何でもすぐに忘れてしまう、忘れっぽい私のことだ。「後々書く」とか、「後でまた」とか、言っていてもいつそれに舞い戻るかまったく見当つかない。だから、今回は忘れない内に、例の湯川秀樹博士の「素領域の理論」
湯川秀樹の「素領域の理論」を完成した男、保江邦夫博士:2つの「大どんでん返し」!?
に関するものをメモしておこう。

まず、湯川秀樹の「素領域の理論」
Atomistics and the Divisibility of Space and Time
をかなり一般的な形で、一応完成させたのが、保江邦夫博士だった。その論文はこれだった。
(1)Derivation of Relativistic Wave Equations in the Theory of Elementary Domains
(2)A new approach to the theory of elementary domains

この2つの内の(2)のものに、ゲオルグ・バーンハート・リーマンの、かの有名なリーマンの言葉が引用されている。それが、現代語に直すと、最初のものである。

この言葉は、リーマンがこれから、いま我々が知る「リーマン幾何学」をこれから本で紹介していくという、その最初に出てくる言葉らしい。このリーマンの教科書もいまインターネットで無料ダウンロードできる。いい時代になったものである。これである。
Bernhard Riemann's Gesammelte mathematische Werke und Wissenschaftlicher Nachlass (1876)
もっとも19世紀のドイツ語だから、相当にドイツ語が読めないと無理かもしれない。

要するに、リーマンは、「曲がった空間がどうたらこうたら〜〜」と言う前に、「この世界に空間がどういうものだと理解できたものはいない」ということを言いたかったのである。ユークリッドの「空間」というものは、剛体=堅い物体の存在なくしてありえね〜〜ヨと言ったわけである。

当たり前である。

数直線というものは、「物差し(=メジャー)」になる竹や金属版のようなものがあって、初めてその上に「目盛り」を、数学の数直線の近似物として印字して、それによって初めて計量(=距離を測ること)できるからである。

リーマンはそれを実によく理解していたのである。

そこから、もし物差しが剛体ではなかったらどうなりますか?

というような問いかけによって、ぐにゃ〜〜と曲がるようなものの上で「目盛り」を乗せたらどういう幾何学になるかを、あくまで「一つの例として」幾何学を構築したのであった。これが、いま「リーマン幾何学」と我々が呼ぶものである。

そして、アインシュタイン博士が、これを使って、「一般相対性理論」を作るために利用した。

いくら素粒子の最先端といおうが、素粒子理論家がすごいといおうが、一般相対性理論の素のリーマン幾何学は、ユークリッドの剛体ではないが、今度はゴムのような物体を念頭においている。ゴムは、剛体のように固くはないが、伸びたり縮んだりはできるものの、ゴムが切れたり、消滅したりということはありえない。

そういうわけで、いくらリーマンの幾何学がユークリッドのものよりフレキシブルになったとはいえ、所詮は「曲がる物差し」でしかない。

ところで、我々物性理論物理学者は、剛体は原子の共有結合でできていること、ゴムは高分子ファイバーのファンデルワールス力で結合していることを知っている。つまり、金属の物差しやゴムの曲がる物差しの中が「つぶつぶ」のものや「ファイバー」でできていることを知っている。もちろんリーマンは知らなかった。

もしいまリーマンがいたら何を考えただろうか?

おそらく、曲がるゴムの物差しではなく、「水や流体のような物差し」、あるいは、「気体のような物差し」、さらには「かげろうのような物差し」、あるいは「煙のような物差し」をさえ考えたのではなかろうか?

つまり、計量となる「物差し」自体がつぶつぶでできている。そんなものを考えたに違いない。

これが湯川秀樹博士や保江邦夫博士の想像した「素領域」というものである。エレメンタリードメインである。

よくアセンション系やスピリチュアル系や宇宙人系の人たちやチャネラーというような人たちが「この世界は10次元でできています」などと得意気に恥知らずにいうが、それはあくまでユークリッドの2500年前の発想にすぎない。

だから、こういう人を見ると、「ああ、人間の発想だな、こりゃ〜〜」と俺はすぐに見破れるのである。同じ人間でも、我々理論物理学者がもっと先に行っているからである。まだ
「宇宙は情でできている」(岡潔)とか、
「宇宙は離散的である」(グロタンディーク)とか、
「宇宙は双子宇宙です」(プチ)とか、
言ってくれれば、「おっと、それはおもしれ〜〜ぞ」という気にさせてくれるのである。まだ
「宇宙は愛で満ちています」(バシャール)
というスピリチュアルの方が真実味を感じるのである。

さて、この現実の宇宙がどういうものか?ということについて、宇宙についてはまったく無知だったが(もっとも誰も知らないからどうでもいいが)、数学の立場からとことん突き詰めた猛者がいた。それが、アレキサンダー・グロタンディークであった。
数学者の孤独な冒険―数学と自己の発見への旅 (収穫と蒔いた種と)
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この本の83ページにこう書いている。
この状況では、今世紀はじめ、アインシュタインの相対性理論が出現したときにあらわれていた状況と非常に近いように思われます。そこには、突然の、解決できないように思える矛盾によって具現化された、さらに明白な概念上の行き詰まりがありました。(中略)

数学上の観点からすると、アインシュタインの新しい考えは月並みなものでした。逆に、物理空間についての私たちのもつ概念の観点からすれば、これは深い変革であり、突然「異なった環境に置かれる」という状態でした。2400年前にユークリッドによってひき出された物理空間の数学的モデル、そして地上および星の力学的現象を叙述するためのに古来以来すべての物理学者、天文学者(ニュートンを含む)によって力学の必要性のためにそのまま引き継がれてきたもの以来の最初の大きな変革でした。(中略)

。。。幾何学にとってもっとも基本的な概念、つまり空間という概念(そして「多様体」という概念)、すなわち幾何学的存在が生きている「」そのものについて私たちの持つ概念を覆すに至りました。

空間の新しい概念(一種の「一般化された空間」ですが、そこでは「空間」を作っていると考えられる点は多かれ少なかれ消えてしまっています)は、その実体において、アインシュタインが物理学に導入した概念とはまったく似ていません(アインシュタインの概念の方は、数学者にとって度外れなものでは全くありません)。これに対して、シュレディンガーによって発見された量子力学との比較が可能です。(中略)
そして昔の、人を安心させる粒子に取って替わったこれらの「確率の雲」が私に想起させるものは、強情な想像力がしがみついている、想像上の「点」を取り囲むために、影のうすい幻のように、トポスに充満している、捉えがたい「開近傍」なのです。。。。

この19節の脚注の中で、最初にあげたリーマンの文章を高く評価している部分がある。
もう15年あるいは20年になると思いますが、リーマンの全作品からなるささやかな本を紐解いていたとき、「通りすがりに」なされている彼の指摘に心を打たれました。そこで彼はつぎのような考察をしています。空間の究極的構造は「離散的」であること、私たちが空間に関して作っている「連続的」表現はおそらくより複雑な現実の(結局のところは、たぶん過度な)単純化となっていること、人間の精神にとって、「連続」は「不連続」よりずっと把握しやすいこと、したがって、それは不連続を理解するための「近似」として役立っているということがあり得るということです。これは、物理空間のユークリッド・モデルがまだ一度も問題に付されたことがなかった時期での、一数学者の口から出た驚くほど洞察力のある指摘だと思います。。。。
こうも言っている。
要約すると、期待される革新(これが再び起こるものとして。。。)は、物理学者からよりも、むしろ物理学の大問題によく通じている、根っからの数学者からやってくるだろうと私は予測しています。だがとくに、問題の核心を把握するためには、「哲学的に開かれた心」を持っている人物が必要でしょう。この問題の核心は、技術的な性質のものでは全くなく、「自然についての哲学」の基本問題だからです。

グロタンディークの言わんとする意味が分かるだろうか?

「物理学者からよりも、むしろ物理学の大問題によく通じている、根っからの数学者からやってくる」

たぶん、京大の望月新一博士だな。俺が思うに。他にできそうな奴はいない。


私はこの「数学者の孤独な冒険」が翻訳出版されてから事あるたびに読み直してきているが、なにせ「グロタンディークの数学」の部分が理解できないために、いまだに行ったり来たりしてきているというわけである。まさにブラウン運動である。いまだにはっきりと理解できないでいる。

しかしながら、最近になってやっと、少なくとも、湯川秀樹、岡潔、グロタンディーク、そしてかのリーマン、こういった人たちは同じ問題を見つめていたということだけは理解できるようになったというわけですナ。そして、保江邦夫博士もそうだ。

「空間の点(・)」ではないものでできている「空間のようなもの」

これはなにか?

これを知りたいのである。

保江博士の「素領域の上のブラウン運動」の理論は、空間の各点の上には、統計的アンサンブルがある。各点はそういうアンサンブルと見なければならない。そういう見方である。これは、岡潔博士の「位置だけが重要である」という発想
安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。
と同じ感じのものである。そして、グロタンディークのいうところの
そして昔の、人を安心させる粒子に取って替わったこれらの「確率の雲」が私に想起させるものは、強情な想像力がしがみついている、想像上の「点」を取り囲むために、影のうすい幻のように、トポスに充満している、捉えがたい「開近傍」なのです。。。。

「トポスに充満している、捉えがたい「開近傍」」

いったいこれは何なのだろうか?

とまあ、そういうわけで、我々理論物理学者や数学者を侮ってもらっては困るのだ。我々は「次元」というものの考え方のかなり多様なアイデアを発見しているのである。

さらには、分数次元、フラクタル次元、こういうものまである。

ついでにメモしておくと、上でメモしたユークリッドの次元は、「数の並びの方向」の意味にすぎない。だから、数の集合のように、うまく序列がつくということが前提である。しかし、その序列は大きさで決めただけである。

つまり、お金持ち度を測るのに、預金残高で序列を付けるとか、偏差値一本槍でランクを付けるとかこういうものが、ユークリッドの次元の思想である。

しかし、それ以外に代数的に次元を作る。これが分数次元やフラクタル次元というものである。この場合は複雑度や入れ子構造の発達度の具合で序列を付けるわけである。つまり、頭の練れ具合でランクを付ける。こういう感じの次元である。だから、こういう次元は、「10次元です」というようなものとは異なる。むしろ、エントロピーのようなものに近い。情報エントロピーもその一つである。

場所ごとにそういう類の次元を貼り付ける。

どうもグロタンディークの思想はそういう感じのものに感じるのである。

いやはや、いまだに真理への道は遠い。



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  by kikidoblog | 2014-05-28 18:55 | 保江邦夫博士

なでしこジャパン、アジア杯初優勝、豪州の二連覇STOP:川澄選手の笑顔光る!

みなさん、こんにちは。

昨夜のなでしこジャパンvsオーストラリア戦、実に面白かった。これである。
なでしこジャパン初優勝 女子アジアカップ決勝 ハイライト 【日本×オーストラリア】


双方独自の色を見せ、スピードと個の力で得点しようとするオーストラリアに対し、和の力でお互いのカバーリングで守り、ワンチャンスに掛けるナデシコジャパンであった。

白豪主義の伝統を持つ大陸だから、オーストラリア人の白人は、基本的に虐殺によって駆逐したアボリジニなどの先住民くらいしか有色人種は存在しなかった。だから、そういう伝統の下にいまのオーストラリアができている。

したがって、基本、オーストラリア人にとって自分たち西洋人の血筋を持つ白人以外の優秀な民族をみたことがない。そういう環境下で子どもたちが成長する。勉強しかり、スポーツ然り、なんでもそうである。サッカーもそうである。オーストラリアでは白人系オーストラリア人よりすぐれた黄色人種はいない。

だから、身体が小さく、敏捷性に富み、自分たちよりサッカーがうまい東洋の有色人種である日本人を見ると、ぜったいに自分たちが勝って当然だという感情が先に来る。

ところが、実際に試合をやっていくと、身体が小さくどうみても歩の悪そうななでしこジャパンの方がゲーム支配し、徐々に相手を追い詰めていく様は、350年間奴隷支配したインドネシアのオランダ人をたったの7日間の戦いで降伏させた日本軍の姿にダブって見えるから面白い。

小粒だがスピードと小回りで、相手の大型ディフェンダーをきりきりまいさせる、中島選手と川澄選手はまるで豪州のイギリス製メッサーシュミットをきりきりまいさせたゼロ戦のようであった。

日本のゼロ戦が、両サイドを電撃突破。そういう雰囲気があった。

歴史は繰り返される。そんな雰囲気が出ていたのである。

そして、ついに作戦総司令官の山本五十六元帥のように、司令塔の宮間選手からのコーナーキックのサインプレーで戦艦宇津木選手から繰り出されたセンタリングにボンバー岩清水がヘッドで合わせる。そして、無敵艦隊のオーストラリアの要塞をついに撃破。
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とまあ、そんな感じの試合だったんですナ。

というわけで、負けた豪州の白人選手たちは、

どうして負けたのか分からない?なぜ?
なんであんなちっちぇ〜〜連中に負けたの?
ブサイク女集団に負けたの〜〜?
自分たちのほうが、顔でも背でもなんでも勝っていたのに〜〜?

というようなことを考えるらしい。

西洋世界は人を内面から見ない。大半が外面から見る。そういう文化圏である。だから、日本のなでしこの選手たちが内面的に非常に練れて成熟した百戦錬磨の猛者達揃いだとはけっして理解できないのである。

その証拠がこれ。
【アジア杯 決勝】初優勝 川澄のインタビュー オーストラリア戦 なでしこジャパン W杯最終予選 20140525
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ますます光輝きを増す川澄選手、ますます可愛くきれいになってきましたネ。

頑張れ、川澄選手!

頑張れ、なでしこジャパン!

いや〜〜、いいものを見せてもらいました。

どうもありがとう。お疲れ様でした。

来年のW杯もいい結果が出ることを祈るのみ。



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  by kikidoblog | 2014-05-26 20:46 | サッカー&スポーツ

帰ってきたワンジェサン!:あのワンジェサン舞踏団映像が復活した!?謎ですナ。

みなさん、こんにちは。

北朝鮮と言えば、「喜び組」。しかし、その「喜び組」はいつしか、世界最高レベルの舞踏集団「ワンジェサン民族団」に進化した。そのワンジェサンに関して、例のナンバー2の逮捕粛清の時期にインターネット上ではすべて消去されていた。だから、このブログ内でもワンジェサンの映像をメモしたが、以後一切みることができなかったのである。

ところが、今日偶然、それが復活していたことを発見した。以下のものである。
Wangjaesan Art Troupe Music and Dance Performance 2011

ちなみに、北朝鮮の人は、普通の日本式のお辞儀しかしませんナ。
コンスは「韓国」お辞儀ですゾ!ぜったい真似してはいけません。
海外でコンスなんぞしたら、韓国人と間違えられてろくなことになりませんヨ。

コクリョ、高句麗、美人の産地。

いやはや、いったいこの1年の間に何が起こっていたのだろうか?



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  by kikidoblog | 2014-05-26 19:11 | 北朝鮮・高句麗

湯川秀樹の「素領域の理論」を完成した男、保江邦夫博士:2つの「大どんでん返し」!?

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

松尾芭蕉「奥の細道」より
天才もひれ伏す大天才の共通点、それは常人には決して見えない「景色」が見えていることのようだ。

「週刊現代」2013年4月20日号より


みなさん、こんにちは。

最近、例の保江邦夫博士から2冊本を頂いた。一つは、
量子力学と最適制御理論
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もう一つは「It Appears!」という、保江博士の1993年までの物理学の論文集(非売品)である。ありがとうございました。

(あ)前者は、いわゆる朝永振一郎流やファインマン流やちまたに溢れかえる量子力学の教科書とはまったく異なる立場から、量子力学を再構成したという、「ネルソン−保江の確率場の量子化」の量子力学の教科書である。世界でもおそらくこの立場で書かれた量子力学の教科書はこれしかない!

この立場の量子力学は、普通の量子力学の立場からすれば、それと比較すれば、「裏返し」になる。量子力学の普通の見方では、量子には不確定性があり、観測に制限が加わる。そういうふうに見る。ところが、ネルソン−保江博士の見方では、逆転し、波動関数は、粒子を制御するための「制御関数」なのだという、大どんでん返しが起こるのだ。

つまり、普通では、この宇宙は不確実だから、量子も不確実、だから量子には不確定性原理が作用し、量子の世界は厳密な観測が不可能なのだと思う。だから、量子の運動を記述するためには、粒子の確率的記述が必要になり、波動関数が必要になるというように考える。

ところが、保江流に考えると、いや物事は本当は逆なんだよ。この宇宙は絶大なる力を持っている。その宇宙は粒子を完全制御しようとしている。それが波動関数であって、その波動関数を制御関数としてみれば、おのずと量子の軌道が記述できる。しかしながら、量子はこの宇宙の時空世界でブラウン運動を行うため、その結果としてでてるくるものがシュレディンガー方程式なのだ。つまり、量子の観測不確定性は、この宇宙の性質から直接生まれているものなんだ、というふうに考える。

おどろくべきことに、数学的には、この両者は全く等価なのである。そういう話である。

(い)もう一つの「It Appears! in Voyage to Quantum Mechanics and Probability」は、保江邦夫博士のもっともアクティブな時代の物理学基礎論の論文集である。紫玉の名作揃い。ちまたの素粒子物理学者の世界とはこれまたちっと桁違いの毛色の違いを見せている。

本当にこういう物理学者が日本にいて心から尊敬の念と誇りを感じるものである。

保江博士の指導者は、湯川秀樹(=ノーベル物理学賞受賞)、伊藤清(確率微分の創始者=ノーベル経済学賞受賞のマイロン・ショールズの元ネタ)の京都学派;坂田昌一の弟子の高林武彦、豊田利之の名古屋学派;武田暁の東北学派;梅澤博臣、高橋康の東大学派(後の北米)、さらには、ウォルフガング・パウリの愛弟子エンツ(Enz)のスイス・ジュネーブ学派、アメリカのエドワード・ネルソンなどのプリンストン学派などであった。彼らから直接指導ないしは薫陶を受け、共同研究ないしは独自に研究して誕生したのが、その論文選集にある論文である。

驚き、桃の木、サンショの木。私などほとんど独学。強いて言えば、ユタのサザーランドくらいのものである。

(う)さて、今回のこの中にある、湯川秀樹博士の有名な「素領域の理論」の拡張及び完成の論文についてメモしておこう。たったの2つある。

湯川秀樹博士は、「丸の理論」というもので有名。長らく私はそれが「素領域の理論」と思っていた。ところが、保江博士の一つ目の論文を読んで、それから湯川博士の原論文
Atomistics and the Divisibility of Space and Time
Field Theory of Elementary Domains and Particles. I
Field Theory of Elementary Domains and Particles. II
を読んでみると、私の理解がまったく誤りだったと知ったのである。

湯川博士の晩年の最初では、湯川博士は
「素粒子は時空間に広がった丸い有限の領域を占めるもの」
と考えた。そして、そういう拡張された粒子が時空間内(特に、ミンコフスキー空間内)を運動すると考えた。これがアメリカのチューに伝わって、靴紐理論となり、さらには、南部陽一郎博士のひも理論、そして超ひも理論の原型になった。

ところが、さらに湯川博士の晩年の後半、死の直前では、この思想が裏返される。大どんでん返しが起こったのである。この時、湯川博士は、
「この宇宙はつぶつぶの素領域でできている。その上を移り変わる励起のようなもの。それが素粒子だ。」
という考え方に移っていったのである。

これを松尾芭蕉の言葉「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という言葉で表現したのであった。

これまで、私はこの両者を味噌糞にしていたというわけですナ。

ところで、岡潔博士の思想の中で、人類史上最も知性的に高次のレベルの認識は、14〜15識まであって、その最高位の15識に到達した唯一の人物、それが松尾芭蕉だと繰り返し述べていた。そして、次の14識は道元。日本人が12〜9識。西洋人の大哲学者が8識。常人は6識。動物は5識(=いわゆる、視覚、聴覚、味覚、嗅覚(きゆうかく)、触覚の五感のこと)だと分類した。

私はこの岡潔のいう、松尾芭蕉がなぜ15識に至ったと見たのだろうか?ということがあまりよくわからなかったが、おそらく松尾芭蕉の「奥の細道」の中で見ることのできる感性のことだろうと思う。中でも「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。。。」の感性が最高級なのだろうと思うようになったわけである。

湯川秀樹もそれに気づいていた。

つまり、「月日」というのは、「我々の知るこの時空世界」という意味だから、その中で「みな旅人なり」とみるという感性のことである。

湯川博士は、それがこの宇宙の真実と仮定して、理論物理を構築しようとしたのである。そういうことになる。

同様に、大数学者の岡潔博士も
自然科学は間違っている
岡潔博士の「自然科学観」、「自然科学は間違っている」:いや〜〜、実に鋭い!
の中で、まったく独立に同じようなことを言っていたのである。こういっている。
【8】 大宇宙の本体は情である

情がどうして生き生きしているのかということですが、今の自然科学の先端は素粒子論ですね。これも繰り返しいっているんだけど、その素粒子論はどういっているかというと、物質とか質量のない光とか電気とかも、みな素粒子によって構成されている。素粒子には種類が多い。しかし、これを安定な素粒子群と不安定な素粒子群とに大別することができる。
その不安定な素粒子群は寿命が非常に短く、普通は百億分の一秒くらい。こんなに短命だけれど、非常に速く走っているから、生涯の間には一億個の電子を歴訪する。電子は安定な素粒子の代表的なものです。こういっている。
それで考えてみますに、安定な素粒子だけど、例えば電子の側から見ますと、電子は絶えず不安定な素粒子の訪問を受けている。そうすると安定しているのは位置だけであって、内容は多分絶えず変っている。そう想像される。
いわば、不安定な素粒子がバケツに水を入れて、それを安定な位置に運ぶ役割のようなことをしているんではなかろうか。そう想像される。バケツの水に相当するものは何であろうか。私はそれが情緒だと思う。
やはり情緒が情緒として決まっているのは、いわばその位置だけであって、内容は絶えず変わっているのである。人の本体は情である。その情は水の如くただ溜まったものではなく、湧き上る泉の如く絶えず新しいものと変っているんだろうと思う。それが自分だろうと思う。これが情緒が生き生きしている理由だと思う。生きているということだろうと思う。
自分がそうであるように、他(ひと)も皆そうである。人類がそうであるように、生物も皆そうである。大宇宙は一つの物ではなく、その本体は情だと思う。情の中には時間も空間もない。だから人の本体も大宇宙の本体にも時間も空間もない。そういうものだと思うんです。
【 2】 自然科学者の時間空間

自然科学者は自然というものをどういうものだと考えているかということを代りに言ってやって、そして、それを検討するより仕方がない。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。

が、まあよろしい。ともかく初めに時間、空間というものがある、その中に物質というものがあると、こう思っています。
【 3】 五感でわかるもの

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。

それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。そう感じます。

で、そういう物質が自然を作っている。その一部分が自分の肉体である。

ところが、空間といわないで、時間、空間といいました。だから空間の中に物質があって、それが時間と共に変化するということでしょう。だから物質があれば働きが出る。それで自分の肉体とその機能とが自分である。自然科学者はこう思っています。

これはしかし、自然そのものではなくて、自然の極く簡単な模型だと、そう感じます。それで、これに名前をつけて物質的自然と、そういうことにします、のちに要るでしょうから。

「情」としての宇宙世界=宇宙の素領域

つまり、宇宙は愛=情というようなものがつぶつぶにつまっている。そのつぶの励起状態がつぶからつぶにブラウン運動する。その時、その情としての素領域に「どのような性質を含ませるか」によって、現れる励起状態の性質が決まる。

だから、今存在する、すなわち、いままでに発見された素粒子を記述できるに十分な素領域を定義できれば、素粒子理論が完成するのだ。

これが湯川秀樹博士の「素領域の理論」の思想圏であった。

そして、湯川秀樹博士の死の直前にそれが完成した。それを行ったのが、保江邦夫博士と豊田利之博士だった。保江博士のこの論文は、湯川秀樹博士の高弟の豊田利之博士の手によって手渡されたという。それを手にした湯川秀樹博士は病院のベッドに横たわっていたが、その枕元に置かれた論文を見て以後、片時もその論文を胸で両手で抱いたまま離さなかったというらしい。

「これだ、私がしたかったことは〜〜」

そういって涙したのだという。

(え)さて、この両手に抱かれた論文がこれだった。
Derivation of Relativistic Wave Equations in the Theory of Elementary Domains
A new approach to the theory of elementary domains

こんな驚くべき研究を行った偉大な博士が、岡山のノートルダム清心女子大にいる。物理学部はなく、女性だけで、弟子もいない。

文科省は何やってんの?

東大京大名大東北大や基礎物理学研究所や理化学研究所の若い院生を保江博士の院生にして、さらに膨大な予算をつけて率先して発展させなきゃいかんのじゃないかいな?偉大な先生がご存命中に。知の遺産の継承者を即刻増やさなければならないのでは?

小保方さんのとぼけた細胞より、ずっと重要度の高い研究テーマですナ。

いやはや、灯台下暗し、とはよく言ったものである。

(お)最後にこの2つの論文を私が読んで感じたことは以下のものである。これもついでにメモしておこう。

まず全体を眺めてみてもその雰囲気は、かの朝永振一郎博士の論文を彷彿させる。実に”私好みの”すっきりした論文。

量子力学と最適制御理論の論文が一冊の本になったようにこのそれぞれの論文がみな一冊の本になるべきだろうという気がする。

特に、湯川博士の素領域の理論の拡張の2つの論文は本になるべきテーマ。というのも、2つめの論文中に、C*代数の話があるが、この代数は物性では1980年代に量子ホール効果が発見されて以来常識の一つ。Alain Connesのnoncommutative geometryという本はまさにこの湯川−保江博士の理論にうってつけの土台を提供しているように思う。

実は、私は素領域の理論の考え方は、現代数学者の代数的数論、あるいは、数論幾何学という分野の巨匠のアレクサンダー・グロタンディークという数学者の思想と非常に通じるものがあり、20数年前からずっと少しずつ勉強していた。

グロタンディークは
自分は物理でアインシュタインがやったのと匹敵する革命を数学で起こした
と言っていた。が、その真意はまだだれも理解できずにいるという偉大な数学者。その状況に頭にきてアルプス山中に引きこもってしまったというユダヤ人学者。まだ現存。

幸いなことに、最近この人の思想的後継者が現れた。それが京都大学の数理解析研にいる天才、望月新一博士。

数というものから数の集合というこれまた素朴な概念が生まれ、それから数直線という素朴な概念が生まれたわけだが、それから線や面や空間という我々物理学者の考える、そして前提にする時空間認識が生まれたわけ。

ところが、そういう素朴な数の概念をより厳密かつ高度に再構成しようとすると(というのも、微分幾何ではそうしないとうまくいかないことが生じるらしいので、具体的には例のリーマン予想を解くために)集合という概念を超える必要、むしろ、集合を使えない場合が出てくる。そういうものを定義しようとして、グロタンディークが生み出したものが、カテゴリーとカテゴリー理論という数学概念。日本語では圏と圏論と言っている。京大にはこの筋の専門家が多い。

この思想を私はずっと気にし続けてきたが、例の湯川博士の素領域の思想はどこかこのカテゴリーに似ているところがあるように感じる。

そのグロタンディークの思想圏の欧州の後継者の一人がアラン・コンヌ(上述の人)でその人の行った、一つのグロタンディークの思想の実現が、その「非可換幾何学」というもので、そこではC*代数が非常に重要になるわけ。

一方、統計物理学では、1980年代後半から1990年代になって組み紐理論(Knot Theory)というものが、可積分系という統計物理の分野と結び付いたが、これが、またC*代数を駆使するような分野になった。

ところが、保江博士の、豊田−保江の論文には、すでにC*代数を使って、素領域の思想から場の理論を導くという感じ。だから、実に面白いと感じる。

私が興味を持っていたことがみな繋がる可能性を見たからだ。また、フランスの覚醒理論物理学者のプチ博士のウンモ星人による宇宙理論の思想
ジャン・ピエール・プチ博士の「宇宙人ユミット文明」
とも湯川博士の素領域の考え方はよくマッチしているわけである。おそらくまったく等価なものだろう。

我々物性物理学者的理解では、おそらくもっとも似たものは、スピン空間というものだろう。スピン空間にはいわゆる座標は無関係の内部自由度の空間に存在する。が、それが、それぞれの場所の原子に張り付いている(というか張りつけられている)。ある原子と別の原子のスピン−スピン相互作用はスピン空間を通じて行われるが、現実には我々の住む空間の場所に現れる。スピンは別々の場所の各原子に張りついているが、スピン空間内ではいつでも原点を一致させて並べることが出来る。すると、各スピンの先端の軌道をスピン空間の中で比べることや軌道を追うことができる。これがスピン空間の中で我々がスピンの運動を通じて、時間と場所を定義することになる。

湯川博士の素領域の思想とは、
時空間の素としての素領域 → 固体物質の素としての原子
時空間の素領域の励起としての素粒子 → 固体物質の原子の励起としての素励起(スピン波)
との対応、こういうものに非常に似ているように思える。一方、スピンは内部自由度。だから、この空間内に存在するものではない。同様に、素粒子は素領域の内部自由度とすれば、この素領域のある空間に存在するものではないことになる。

こう考えると、
空間の中に素粒子がある
という考え方から、
素領域の内部自由度の中に素粒子がある
というような考え方に裏返しになるわけである。ある意味、我々の見る世界は、素領域の内部自由度の作る世界という感じになる。

プチ博士のユミット宇宙観というものは、どうもこんな感じのものだろうと私は想像する。

いずれにしても、湯川博士や保江博士の思想は、いずれまた物理の中心問題として復活する日が来るように思われる。実に重要な発想。

まあそういうわけで、東大、京大、名大などでちゃんとした物理の学生さんたちに伝達されるとすばらしいと思う。


とまあ、こういう次第ですナ。長くなったから、この関連はまたいつか。



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  by kikidoblog | 2014-05-26 10:22 | 保江邦夫博士

「花子とアンナカ」:朝ドラ花子の本名が安中、ASKAの薬物がアンナカだった!

みなさん、こんにちは。

今日は真夏のような一日だった。さて、いま韓犬エッチKでやっている、「花子とアン」。これについては2,3非常に奇妙な話を見つけたのだが、というより、気がついたのだが、脚本家の中園ミホという謎の脚本家の経歴をウィキで見ていて、ふと気がついた。これである。
中園ミホ
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中園 ミホ(なかぞの ミホ、1959年7月16日 - )は、日本の女性脚本家。東京都中野区出身。
本名は中園 美保(読み同じ)。日本大学芸術学部卒。2010年度から日本大学芸術学部客員教授を務める。
大学卒業後、広告代理店に入社。社の同僚がシナリオ講座に申し込んだものの行けなくなったため、その代わりとしてノートをとるため、シナリオ講座に参加した。1年3ヶ月で広告代理店を退職したのち、コピーライター、四柱推命の占い師などの職業を経験。偶然知り合った脚本家の田中陽造の清書係に就く。その後、同じく脚本家の桃井章と知り合い、桃井の妻を世話するなど懇意になり、これらをきっかけにシナリオライターとなる。
特にこの部分
人物[編集]
・中園自身は広告代理店退職後、24歳で占い師に弟子入りし、中学生の頃覚えた四柱推命の腕を認められ、有名政治家や企業のトップも占ったことで、人間の表面で見せる立派な顔より裏側のほころびの方がチャーミングだと気づき、人間の見方を覚えたといい、このときの経験が脚本家に生かされていると語っている。[3]

・「取材力の中園ミホ」と称されるように、マーケティングリサーチが得意な書き手の1人であり[4]、『ハケンの品格』の脚本を書くにあたっても数多くの派遣社員の実態を取材したため、派遣社員の実態に同情的である。2007年11月12日に放送されたNHKスペシャル『1000人にきく ハケンの本音』にゲスト出演した際には、同じくゲスト出演し、隣に座っていた奥谷禮子の「派遣社員は幸せである」との、派遣社員の実情を無視した断定的意見に対し、「この(座席)間に大きな川が流れている(=埋め難い見解の相違がある)ように思える」と述べた。

・本人いわく、「自分はなまけものだから、全部脚本書いてやろうと思わないです」。実際、大部分を中園が書いているものの、他の脚本家が1、2話書いているドラマが多い。

・『やまとなでしこ』での神野桜子の人生観は、中園本人の考え方と相通じるところが多いという。
中園は「権力にすり寄らず、自分の足で立ち、自分の考えで動く人」[5]をいい女と考え、「女性たちの生の声を聞き、それを描いて、彼女たちを応援する」[6]ためにドラマを執筆していると語っている。
代々木ゼミナールの人気数学講師の岡本寛は小学校時代の同級生であり、自身の代表作『やまとなでしこ』の中原欧介役(演:堤真一)は彼をモデルにしているという。また中原の台詞に使われた公式、証明、定理などは岡本が監修。

この後半の人物に関してはまた後々にして、最初の部分からすれば、電通失業後にいきなり占い師で生き延びるとある。こういうふうに当座の「しのぎ」という感覚で仕事を見るのは、韓国系が非常に多い。たぶん、在日系の人なのだろう。

さて、その中園さんの「花子とアン」をいまやっているが、その花子の話にはこうある。
花子とアン

『赤毛のアン』に代表されるモンゴメリなどの英米児童文学の日本語訳版を著し、明治から昭和の混乱期に翻訳家として活躍した村岡花子の半生を描いたテレビドラマである[3]。
村岡恵理(花子の孫)『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』[4]を原案に、フィクションストーリー[注 1]として中園ミホの書き下ろし脚本にて制作[5]。本作では実在の村岡花子を主人公のモデルとしながらも、彼女と『赤毛のアン』の主人公アンとを重ね合わせ、随所に『赤毛のアン』を彷彿とさせる場面を散りばめるといった脚色がなされている[6]。(以下省略)

最初にメモしたように、この人の作品の作り方には非常に特徴、それも韓国人的メンタリティーがでているから、それについては、後々にするが、この花子のモデルとなった(というより、名義貸しの対象となった)私同様山梨県出身の村岡花子さんのことである。これと、最近ちまたで話題の麻薬王「シャブアンドアスカ」のASKAの話である。このまったく一見無関係な話になんと実に面白い名称が出ていたのである。今回はこれをメモしておこう。

実は、この主人公花子のモデルの村岡花子の本名は、韓犬HKでは「安東花子」となっているが
村岡花子

生い立ち[編集]
山梨県甲府市の安中逸平・てつ夫妻の長女として生まれる。本名は村岡 はな(むらおか はな)、旧姓:安中(あんなか[1][2])。クリスチャンである父の希望により、2歳でカナダ・メソジスト派の甲府教会において小林光泰牧師より幼児洗礼を受ける。父の逸平は駿府(静岡県)の小さな茶商の家に生まれ、茶の行商中にカナダ・メソジスト派教会に出入りするようになり、熱心なクリスチャンとなる。布教の流れで甲府に移り住み、そこで出会ったてつと結婚してその実家に住むようになる。教会での交流で新しい文化の影響を受けた逸平は、利発な長女のはなに過剰なほどの期待をかけた。

常識にとらわれず商売そっちのけで理想を追い求める逸平は、妻の実家や親戚と揉め事が絶えず、はなが5歳の時にしがらみを断って一家で上京し、南品川で葉茶屋を営むようになる。城南尋常小学校に通うはなは、心象風景を短歌で表現し句作をして詠んでは楽しむ幼少期を過ごした。その頃、社会主義活動に加わった逸平は特に教育の機会均等を訴え、娘の才能を伸ばすべく奔走し、1903年(明治36年)、学校創設者との信仰上の繋がりから、10歳のはなを東洋英和女学校に給費生としての編入学を実現させる。一方、家族の生活は困窮しており、8人きょうだいのうち高い教育を受けたのは長女のはなのみで、他の弟妹は次女と三女を残して皆養子や奉公などで家を出されている。はなの入学は、弟妹たちの犠牲の上に成されたものであった。
によれば、「安中(あんなか)はな」であった。つまり、苗字が「あんなか」だったのである。

安中=アンナカ

我々にはどうでもいいわけだから、実話を忠実に従ったドラマという触れ込みで脚本化したわけだから、普通なら主人公の名前は、「安中花」となったはずであろう。それをわざわざ「あんどう」=「安東花」と変えたのである。

実は、このアスカの犯罪記事にあるように、どうやら電通やマスゴミにとって実によく知られたもので、「悪いイメージ」の代名詞だったらしい。これを韓犬エッチKは知っていた。
ASKA容疑者逮捕の余波続く…相棒・CHAGEにネット上で同情集まる
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 覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕された人気デュオ「CHAGE and ASKA」のASKA容疑者(本名・宮崎重明=56)が、容疑を認める供述を始めたことが23日に分かった。当初は「暴力団員から譲り受けたが、覚せい剤ではなくアンナカ(興奮鎮痛剤)だと思っていた」と否認していたASKA容疑者だが、一転して「覚せい剤を使ったことがある」と供述。当局は週明けにも同法違反(使用)の疑いで再逮捕する方針を固めている。
 「週刊文春」(文藝春秋)で薬物疑惑が報じられてから一貫して強気に否定していたASKA容疑者。だが、尿検査や毛髪検査で陽性反応が検出され、愛人宅のゴミ袋から押収された精液付きのティッシュからも覚せい剤の反応が見つかった。自宅から使い残しの粉末や合成麻薬MDMAが発見されたこともあり、もはや言い逃れはできないと観念したようだ。

(以下省略)

つまり、「安中」という苗字は、NHKにとって暴力団の資金源である「アンナカ」を思い出させてしまう。だから、非常にまずい。どうやら脚本家の中園ミホもそう思ったのだろう。そんなわけで、どうやら「安中」から「安東」に変えたのである。

NHKが何かを作ると、それを汚すかのように、NHKにとってまずい事件が起こる。

在日韓国系の脚本家の朝ドラ「安中」物語の時に限って、在日韓国系歌手の「アンナカ」薬物事件が起こる。

朝ドラのタイトルは、「花子とアンナカ」に変えたほうが良さそうですナ。

まさに「韓の法則」の発動である。

いやはや、これまた仏像の仏罰というやつですナ。

くわばら、くわばら。

それにしても、最近気がついたんだが、NHKBSの女性ニュースキャスターたち、みんな「目がつり上がっている」んだが、これはなぜかいナ?みんな在日朝鮮人ってことかいナ?確かに簡単な漢字を読み間違えたりニュアンスが違ったりするものばかりなんだがナ。



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  by kikidoblog | 2014-05-24 22:36 | マスゴミ

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