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「アフリカでエボラ終了宣言!」?:信じる信じないはあなた次第です!?

みなさん、こんにちは。

超驚きのニュース到来。しかもWHO発表という。以下のものである。
エボラ熱、セネガルなどで拡大終了宣言へ WHO
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 【ミラノ=原克彦】世界保健機関(WHO)は17日にもセネガルで、順調ならナイジェリアも20日にエボラ出血熱の感染拡大終了を宣言する。感染者と接触した人の追跡調査の結果、最長潜伏期間の2倍に当たる42日間が過ぎても新規感染者が出なかったためだ。12日までの集計で、セネガルは感染者1人のみで死者はなし。ナイジェリアは20人が感染、死者は8人だった。

 WHOによるとナイジェリアでは2カ所で感染が広がったが、ラゴスではすべての接触者、ポートハーコートでも98%を追跡した。同国内の患者全員について感染経路をたどることができ、「すべてが最初にリベリアから渡航してウイルスを持ち込んだ人物にさかのぼることがわかった」(WHO)としている。

 WHOは加盟国に対し、感染者と接触した人を21日にわたり経過観察措置を施すよう勧告している。観察の対象には防護服を着用する医療従事者らも含む。そのうえで逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(RT―PCR)法と呼ばれる検査で陰性を確認する。

さて、米国には失業に悩むアクターがたくさんいる。だからそういう連中は金のためならどんな役でもするらしい。

そういう連中が、ボストンテロ自作自演のクライムアクターをしたのは記憶に新しい。(ボストンテロでブログ内検索)

どうも米国内に連行されたアフリカ人患者や発病したという患者の映像を見る限り、あまりにも不審なものが多い。例えば、これなんかそうだ。
空前のエボラバブル崩壊
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私がここですでにエボラウィルスはインフルエンザウィルスを1000個合体させただけのウィルスだということをメモしたが、感染の仕方はインフルに似ているが、1000倍重くなっているから、空気感染はしにくい。インフルと同じ増殖の仕方をするわけである。だから、タミフルやファビピラビルが効くはずである。

ビル・ゲイツはエボラワクチンを大量生産して全世界に売りまくる計画だったというが、元の木阿弥。もはやその必要もないようである、もしこのWHOの発表が真実であればだが。

ところで、恐ろしいのは、どうやらエボラがついに「恐怖の国」韓国へ行ったというニュースである。
【緊急速報】エボラ出血熱、韓国でも発生か!!!? これは早く渡航制限しないとヤバイ!!!


韓国人は日本人にエボラを染せば、そやつは英雄視されるという精神風土にある。エボラ爆弾である。売春婦にエボラ感染者を仕込ませて、日本国内の女衒に売る。そして、韓国人売春婦を通じて日本人に感染させる。

こうなると、どうなるか?

たぶんこういう感じになる。
うわ〜〜〜!ヘルプミー!助けて〜〜!
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恐怖のジョーク一発!:韓国人のレイプマネキンがエボラ出血熱マネキンになる日!


即刻、「日韓断交」、韓国との交易は停止すべきだろう。


いやはや、世も末ですナ。



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  by kikidoblog | 2014-10-17 15:20 | バイオコンスピラシー

「司馬史観」以上の「ねず史観」2:戦後日本は「しょうゆ組」に乗っ取られたらしい!

(つづき)

昭和12(1937)年、日本は、日独伊三国同盟を締結しました。
海外「俺達は嘘の歴史を教わった」 日独の蜜月を伝える貴重映像に外国人衝撃
映像は1941年に、当時の外務大臣であった松岡洋右が、
ドイツ、イタリア、ソビエト連邦を歴訪した際にベルリンで撮影されたもので、
ベルリン市民の熱狂的な歓迎を受ける様子が紹介されています。

Hitler and Germany Welcome Japan's Foreign Minister 1/2

これに対し、当時軍務局長だった井上は、
米内光政海軍大臣
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山本五十六海軍次官
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永野修身軍令部総長
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らとともに猛烈と反対しました。

昭和12年とえいば、日華事変の最中です。
そして日華事変を背後で操っているのは、米英です。
けれど、だからといって、この時代にドイツと手を結ぶということは、米英と真正面から対峙することになるのです。
だから反対したのです。

当時の新聞などの論調は
「日独伊三国同盟は集団防衛であり、我が国の国益に適う」
拙注:これが戦前の朝日新聞が吹聴しアジったこと。戦前戦中戦後と朝日新聞はずっとアカヒ新聞だった!
というものでした。
けれど井上は、
「集団防衛というけれど、日本にドイツからどれだけの援助があるのか。またできるのか。強い国と仲良くしていかなけりゃならんのに、アメリカとも仲が悪くなるし、イギリスとも悪くなる。一方で、ドイツからは何等の恩恵もこうむらない。日本にとって何のメリットもなく、得するのはドイツだけです」
と述べています。

振り返ってみれば、井上大将の先見性の方があたっていたといえようかと思います。
けれど当時、三国同盟に反対する井上のもとには、「斬奸状」「宣言」などの奉書が送りつけられ、まさに国賊扱いでした。(拙注:こういうことの手口から戦前戦中戦後と朝鮮人が動いたことが明白。連中はずっと「韓国していた」のだナ。)いまならさしづめ、マスコミから総攻撃を受け、ネットで悪口やら誹謗中傷やらをめいっぱい受けるようなものです。
三国同盟に反対する米内、山本、井上は、「海軍左派の三羽烏」とまで揶揄されています。

昭和15(1940)年、支那方面艦隊参謀長兼第三艦隊参謀長となっていた井上に、事件が起こりました。
上海の共同租界で、私服の日本人憲兵が支那人の強盗に襲われ殺害されたのです。
陸軍はこれを口実に国際法規を無視して、一個大隊を租界に進入させようとしました。

これに対し井上は、
「強引に租界に入ろうとする者は、たとえ日本陸軍でも敵とみなして撃滅せよ」
と命令しました。
上海海軍特別陸戦隊は、陸軍の行進と対峙し、押し問答の末、陸軍が引き下がっています。

結果からみれば、陸軍の判断の方が正しかったのかもしれません。
外国人一人を殺害したら、支那人1万人が報復攻撃される。
そのくらいの実力行為があってはじめて「侮れない相手国」と看做される。支那社会というのは、そういう社会だからです。
実際、支那に駐屯していた欧米白人諸国は、ぜんぶそうやって自国民の安全を図ってきています。
おかげで、いまだに支那人社会では、現実に植民地支配をしていた欧米に対しては、なんら苦情の申し立てがされません。
支那の社会では、何十万人が殺害されようが、いま自分が生残っていればそれで良いのです。
そして生残るためには、あえて危ない橋は渡らない。
これが彼らのマインドです。

けれど、その一方で、本当の意味での平和と繁栄を築くためには、そういう支那人的わがままには一切妥協せず、どこまでも正しい道を貫いて行くという努力が必要であることも事実です。
そして、いまを生きる私たちにとって必要なことは、そのどちらの判断が正しかったかという評価ではなくて、そういう見解の相違がかつてあったのだという事実から、私たちが何を学び、そこからどういう未来を建設していくかにあろうかと思います。

昭和16(1941)年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃の日、井上大将はカロリン諸島のトラック島で第四艦隊旗艦
鹿島
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艦上にいました。
そして艦の無線で、「トラトラトラ」を傍受しています。
通信参謀だった飯田秀雄中佐が井上に、「おめでとうございます」と言って電報を届けたのだけれど、そのとき井上は、
「何がめでたいだバカヤロー!」
と物凄い剣幕で怒鳴ったといいます。
飯田中佐は、そのときは何故自分が怒鳴られたのかわからなかったけれど、本土に帰還し、焼け野原となった東京を見たときはじめて、井上の「バカヤロー」の意味を理解できたそうです。

戦争が終わった時、戦前の海軍省は、第二復員省という名称になって、外地からの兵士の復員を専門に扱う省庁となっていました。
この復員省に、ある日、井上が自宅があった三浦半島の名物のミカンを大量に手土産に持ってやってきたそうです。
そして、
「田舎にはこんなものしかありませんが、みんなで食べてください」
と、旧部下に心づかいを見せたという。
この当時は、食べ物もなかなか入手できない困窮の時代です。
その時代に、ミカンは非常に貴重な果物だったのです。

それを井上は、自身も後日、貧困のため栄養失調と胃潰瘍で入院を余儀なくされるほどの生活を送っていながら、貴重なミカンを机に山が出来るくらい、たくさん持参して、みんなに食べてもらっています。
当時復員局員だった
中山定義
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は、
「元の大将中将で、復員局を訪れてかつての部下を労ってくれたのはそれまで一人もいなかった」
と述べています。

そして井上は、昭和50(1975)年に86歳でお亡くなりになるまで、横須賀で隠棲して暮らしました。
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近所の子供達や、軍人時代に懇意にしていた横須賀の料亭の芸者や仲居達に英語を教えていたけれど、
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謝礼を受け取らないので、生活はそうとう厳しかったようです。

軍人恩給の給付が一時凍結されていた際、井上家の経済的な窮状を察した関係者が旧海軍省次官の経歴で文官恩給の給付を受けられるよう取り計ろうとしたけれど、これも
「自分は軍人である」
と拒否しています。
さらに、海上自衛隊が発足した当時、海自の練習艦隊壮行会で、
嶋田繁太郎
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(A級戦犯にもかかわらず命乞して生き延びた。)
が出席して乾杯の音頭をとったと聞いたとき、
「恥知らずにも程がある。人様の前へ顔が出せる立場だと思っているのか」
と周囲が青ざめるほどに激怒したといいます。

(拙注:上の部分はこのことを指しているらしい。)
東京裁判[編集]
終戦後、A級戦犯に指名され、憲兵が身柄拘束の為に高輪の自宅に訪れた際には、英語で「騒ぐな、自分は自殺しない」と言って連行されていった。新聞記者から感想を求められると「腹を切ってお詫び申し上げようと思ったが、ポツダム宣言を忠実に履行せよとの聖旨に沿う為、この日が来るのを心静かに待っていた」と語った。

極東国際軍事裁判では太平洋戦争の対米開戦通告問題につき、「海軍は無通告を主張したことはない」と、元外務大臣東郷茂徳と対立。「われわれは東郷が、われわれの注意によって、まさかああいうばかばかしいことを言おうとは思っておりません。まことに言いにくいのでありますが、彼は外交的手段を使った、すなわち、イカの墨を出して逃げる方法を使った、すなわち、言葉を換えれば、非常に困って、いよいよ自分の抜け道を探すために、とんでもない、普通使えないような脅迫という言葉を使って逃げた」と批判した[11]。

海軍における戦争遂行の最高責任者として死刑は免れない、という予想が大多数を占め、実際に判事の投票では11人中5人が死刑賛成だったが、自己弁護により死刑は免れ、1948年11月12日終身禁固刑判決を受けた。東京裁判での自己弁護はウェブ裁判長が褒めるほど見事なものであった。そのことを憲兵から聞いた嶋田は日記に嬉しかったと記している。終身刑の判決を受けた後、「生きていられる」と言って笑っていたと武藤章が日記に書いている。

1955年仮釈放後赦免される。海上自衛隊の練習艦隊壮行会に出席して挨拶したことがあり、それを聞いた井上成美は「恥知らずにも程がある。人様の前へ顔が出せる立場だと思っているのか」と激怒したという。『昭和天皇独白録』では「嶋田の功績は私も認める」という天皇の発言があり、嶋田について、「知恵があり、見透しがいい」人物としつつ、「部下に対して強硬であったこと」がその不評判の原因だったとしている。


島田繁太郎という人は、大東亜戦争開戦時の海軍大臣だった人です。
要するに井上提督は、自分が軍人として、将官の立場にありながら、多くの部下や民間人を犠牲にした。そのことと真正面から向き合って残りの人生を過ごしたのです。

会社が倒産したとき、その会社の幹部が、多くの社員を犠牲にしたことを恥じ、隠棲生活をした、という話は、あまり聞きません。
井上提督は、開戦当時、第四艦隊司令長官であったけれど、それは大東亜戦争そのものの開戦責任を負うような立場ではありません。
けれど、彼は、多くの若者を犠牲にしたことと、生涯真正面から向き合って過ごしました。

それは、とても辛いことです。
けれど、それをやりとおしたのが、井上成美という人物だったのです。

先日「しょうゆ組」のことを書きました。
しょうゆを飲んで兵役を逃れた卑劣な連中が、戦後は、自分たちの卑劣さを正当化するために戦争反対、戦前、戦中の日本は異常だった、日本は悪い国だと声高に主張しはじめました。
私ははっきりと申し上げたいのです。
そういってきたあなた方こそ、異常で悪い人たちなのですよ」と。


とういうわけで、おソース顔とおしょうゆ顔という言い方があるが、それとはだいぶ違うが、しょうゆの一升瓶を飲むと、一時的に病気になり、仮病を起こして兵役を逃れる。いま在日韓国人がこれを必死でしている。あるいは、道行く罪もない子どもたちの隊列に突っ込んだり、殺傷して韓国への兵役逃れを行っている。これと同じことを戦前行った連中がいたということである。戦前の朝日新聞こそその「しょうゆ組」の代表格であり、戦後は連合軍に媚びへつらい、朝鮮進駐軍をつくって若い女性をレイプ、殺害、陵辱、拷問したり、自虐史観の反日報道に明け暮れた連中の同類だったというわけである。

いまやそういう真実が明るみに出た。

朝日新聞もまた「しょうゆ組」=在日韓国系だったという証である。

とまあ、長くなったが、ねずさんの記事を写真絵本化した。


おまけ:
海軍大将井上成美 ① 『余生に英語塾開く』



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  by kikidoblog | 2014-10-17 09:58 | 人物

「司馬史観」以上の「ねず史観」1:戦後日本は「しょうゆ組」に乗っ取られたらしい!

みなさん、こんにちは。

司馬遼太郎と言えば「司馬史観」。かつて故柘植俊一博士がその著書
反秀才論
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の中で絶賛したものである。

その当時の1970年代から80年代は、いわゆる「受験戦争」「受験地獄」の時代となり、伊丹十三の「家族ゲーム」が描いた時代である。こんな受験一辺倒の時代にあって、戦前の俊雄のような第一級の人物が育つだろうか?、ということを論じたわけである。

我々が目撃した真実の歴史では、「まあ、それなりに育っていた」というところだろう。今回の青色発光ダイオードの発明の中村、赤崎、天野の3人を見ても分かるように、東大にはいなくなったかもしれないが、名古屋大や東北大など他の大学内にそこそこ「反秀才」の居場所があったということになる。

さて、「司馬史観」もさることながら、「ねずさん」こと、小名木善行さんの「小名木史観」ないしは「ねず史観」というのもなかなか捨てがたいものがある。両方基本的な部分は同じであるが、前者は「サムライの最後のほとばしり」「サムライ時代の終焉」を基本にとっているらしいが、後者では「日本人魂」「日本人の心」の不変性を基本にとっている。だから、互いに補完しあう史観ということができる。

さて、司馬史観亡き後のねず史観、今日最近の記事に非常に興味深いものがあったので、今回はこれをここにもメモしておこう。

テーマは井上成美である。この人は以前ここで、私が個人的に調べた故三國連太郎さんの父親は日本海軍の南雲忠一ではなかったかというもの
佐藤浩市さんの祖父、三國連太郎さんの父はだれだったのか?
でメモした人である。(特にこの中で、戦前の日本軍人の顔つきは非常にいい顔をしていたということを強調した。我々の言い方ではハンサム。今風の在日マスゴミ流の言い方ではイケメンであった。私は英語風のハンサムという語の方が適切だと感じる。なぜならハンサムというのは客観的事実をいう言葉だが、イケメンというの主観が入るからである。)

しかし、ねず氏の元記事には写真がないので、適当にそういうものをつけて、だれがだれだったかをはっきりできるように、補足しておこう。以下のものである。

井上成美提督

几帳面で謹厳実直、まじめ一筋、けれど全力で生きてきた。
誰よりも努力した。
勉強もした。
世界の情勢に通じ、時代を確実に見通す眼も持った。
だからこそ、長いものに巻かれない生一本を貫いた。
遊ぶこともしなかった。
ただ、たまにギターをひくのが唯一の楽しみだった。
かつての日本人には、そんな人がたくさんいました。

そんなひとりに、井上成美(いのうえしげよし)元海軍提督
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がいます。
井上提督は、大東亜の開戦に、断固反対しました。
けれど、国家は開戦への道を進みました。
提督は、全力を尽くして戦いました。
そして終戦。
多くの優秀な部下を失いました。

戦後、彼は、一切の人前に出ることを拒み続けました。
そして贅沢とはほど遠い生活を送りました。
毎年8月15日には、一日中、緑茶以外は摂らずに絶食しました。
ひとり、古びた軍帽を被って、一日部屋で端座して遠い海を眺め、戦死した仲間たちの冥福を祈りました。

井上成美海軍大将は、明治22(1889)年、宮城県仙台市で生まれました。
仙台二中(現:宮城県立仙台第二高等学校)を優秀な成績で卒業し、江田島の海軍兵学校に学びました。
海軍兵学校の入学時の成績は、180名中8番です。
そして卒業時の成績は、2番です。
トップ集団の中で、さらに成績順位が上がったということは、相当な努力をする人であったということです。

兵学校を卒業した井上大将は、練習艦「宗谷」
宗谷のすべて
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(終戦後、宗谷は最初の南極観測船に転用された。)
乗り組みました。
このときの艦長が、後に終戦時の内閣総理大臣を務めた
鈴木貫太郎
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第一分隊長が
山本五十六
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指導官が後の連合艦隊司令長官でフィリピンで殉職した
古賀峯一
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でした。
いま振り返ってみると、まさにそうそうたる豪華メンバーです。

大正4(1915)年に、新造艦であった
「戦艦扶桑
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に分隊長として乗り込んだ井上大将は、翌大正5年に、
海軍大学
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に進学しました。
その後、イタリア駐在武官(昭和2)、海軍大学教官(昭和5)などを勤め、昭和7年には、海軍省の軍務局第一課長に就任しています。

その頃のエピソードがあります。
当時海軍軍令部は「軍令部令及び省部互渉規定改正案」を作ろうとしていたのですが、一課の井上成美課長が、案に真っ向から反対しているというので、海軍大学で一期上の
南雲忠一(後の海軍大将)
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が説得にやってきたのです。
大激論となったそうです。
論戦の果てに、南雲は激昂して、
「お前のような奴は殺してやる!」
と言いました。井上は、
「やるならやれ。死んでも俺の意志は変わらん!」
と、あらかじめ用意してあった遺書を南雲に見せたのだそうです。覚悟の上だったのです。

井上大将は、日頃から南雲大将をとても尊敬していました。
けれど、どんなに尊敬する先輩の説得であっても、イケナイものはイケナイ。
彼は、先輩後輩という「私」ではなく、職務という「公」を優先する男だったのです。

日本人は、論争を好まない民族です。
けれど「公」を背負ったときには、断固争う。同時にどんなに争っても、根底には相手に対する礼と尊敬の念が必ずある。それが日本人です。

昭和8(1933)年11月、井上は
練習戦艦「比叡」
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の艦長に就任しました。
このときの井上艦長の訓示です。
「軍人が平素でも刀剣を帯びるのを許されており、吾々またその服装を誇りにしておるのは、一朝事ある時、その武器で敵を斬り、国を守るという極めて国家的な職分を果たすからである。
国家の命令があって初めて軍人は武器を使用できる。手元に武器があるからと言って自分勝手に人を殺せば、どんな思想信条であろうとただの人殺しである。」


昭和11(1936)年、井上成美提督は、正月に催された横須賀陸海軍の親睦会に出席しました。
このとき、一緒に呑んでいた
憲兵
隊長林少佐(拙注:林清か林耕三かが分からない)が、井上に
「貴公、貴公」
と話しかけました。
これのとき、井上が激昂した話が伝わっています。彼は、
「君は少佐ではないか。私は少将である。少佐のくせに少将を呼ぶのに貴公とは無礼である。海軍では、軍艦で士官が酒に酔って後甲板でくだをまいても、艦長の姿が見えれば、ちゃんと立って敬礼をする。これが軍隊の正しい姿である。君のような礼をわきまえない人間とは酒は飲まん!」

翌日憲兵隊長が謝罪に訪れました。普通ならこれで終わりにするのですが、井上は、
「あとで謝るなら最初からするな!」と相手が謝罪しても、一歩も譲りませんでした。

たかが酒の席のことで、と思われる方もいるかもしれません。
けれど、常住坐臥、常に戦場に心を置くのが武人です。
たとえ酒の席であっても、非礼は非礼として絶対に赦さない。
その厳しさこそが日本の武士の心です。

また階級差で、少佐が少将に「貴公呼ばわりするのは怪しからん」というのは、いささか階級主義、権威主義なのではないかという人がいました。
それも違います。
身に寸鉄を帯びる軍人が、酔ったからといって節度を忘れるようでは、これほど恐ろしいことはありません。
そういう意味で自己に対するどこまでも厳しさを忘れないのが日本の武士であり、帝国軍人であったのです。

憲兵の林少佐も、そのことに気が付いたから、謝ったのです。
井上も「最初からすなっ!」と声を荒げたけれど、気がついた林少佐を、言葉では叱りながら、心で許しています。
そのことに林少佐は気がついたから、井上提督を尊敬するのです。

そういう、「互いに相手の心を察する」という文化が、日本の文化の基本です。だからこそ、互いに人として成長していくことができるのです。

そしてそういう姿勢が、この話の両者にあり、この話を聞く側にも常識として具わっていたからこそ、こうしたエピソードが逸話として活きてくるのです。

昭和10年、井上が横須賀鎮守府の参謀長だった頃のこと、ある艦艇の艦長が、乗員に上陸禁止令を出しましたた。ところが自分は上陸して
水交社
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で飯を食っていました。
そのとき食堂に、井上参謀長が現れました。
彼は艦長に向かって言いました。
「貴艦には上陸禁止令が出ていたはずだが?」
当然艦長は、それを認めます。
すると、「それは艦長命令で出したのか?」
艦長「はい、艦長命令で出しました。」
すると井上の眼がみるみるうちに吊りあがり、
「自分が出した命令を自分で破ってどうする。すぐに戻れ!」と激怒しています。

艦長は、あわてて自艦に戻りました。
すると艦長室の入り口にゴミが置かれていたのだとか。
これは乗組員たちの、ささやかな抵抗です。
上に立つ者こそ、規律を守らなければならない。
でなければ、組織は成り立たないのです。

共産主義の人治主義のもとでは、上に立つ者にはありとあらゆる自由が許容されます。
下の者は、銃を突きつけられて無理やり言うことをきかせられる。
これでは、人として、組織として、人は育ちません。

学校で、先生が生徒に規律を守れ!というなら、まずは先生が率先して規律を守らなきゃならない。
会社で上司が部下に規律を守れ!というなら、まずは上司が率先して手本を示さなければならない。
それは
上杉鷹山
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(米百俵の話で有名)

の師匠だった
細井平洲
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の教えでもあります。


(つづく)


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  by kikidoblog | 2014-10-17 09:52 | 人物

ヤスミンちゃんに弟がいた:エンゾー君4歳。やはり歌がうまかった!

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、ブラジルのヤスミンちゃんになんと4歳の弟がいた。その弟さんも歌が上手。とはいってもまだ4歳だ。以下のものである。
ENZO YAMASHITA( 4 ANOS ) irmãozinho da YASMIN YAMASHITA

おそらくブラジルの日本人社会の中に、こういうちびっ子のど自慢のようなプログラムがたくさんあって、そういう場で何度も歌っていくうちに、ヤスミンちゃんのような子供たちがたくさん育ってきているということだろう。

大人たちは、ブラジル社会の中で日本人が日本の唄を忘れないように、子どもたちに日本の心を伝えて残しておきたい。あるいは、日本の唄を歌うことによって日本を思い出す。こういう目的で開いているのだろう。

いずれにせよ、ブラジルの日本人社会をなんとなく彷彿するようで興味深い。

ところで、私がユタ大にいた頃、ソルトレークには約5000人ほど日系米人がいると言われていた。戦時中の強制キャンプでグレートソルトレークの砂漠に連れて来られて、戦後そのままソルトルトークに留まったということであった。

その日系人は、毎年夏、市内のブディストテンプルで盆踊り大会を開催していたのである。私も一度だけそれに参加したことがあった。日系人の若者はすでに二世、三世だから、現地のアメリカ白人の彼・彼女を釣れているものも多かった。そうした若者や一世のご老人夫婦など自分たちが日本人であるということを忘れないために、盆踊りを行うのであった。これは今も続いているはずである。

ヤスミンさんのブラジル日本人社会も北米に住む日本人社会と非常に似た感じを受ける。

ちなみに、村山談話や河野談話の極悪非道なところは、彼らの近視眼的な日韓世界観のために、ずっと昔に北米や南米に苦労して進出していった日本人や日系人社会へも非常に悪影響を及ぼしただろうということである。

ご迷惑をお掛けし申し訳ない。なんで俺が洋平の起こした不祥事に詫びなければならないのかわからないがナ。

いやはや、日本には本当に困ったヒトモドキ=ハンベーダーがうようよ居るんですナ。



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  by Kikidoblog | 2014-10-15 20:12 | ヤスミン・ヤマシタ

ザッツネイマールショー!2「岩城滉一が100%正しい!」:何が問題だ?

日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう
ーー元名古屋グランパスエイト監督アーセン・ベンゲル
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みなさん、こんにちは。

さて、岩城滉一さんが何人かは知らないが、昔から神奈川あたりの暴走族といえば、神奈川県警が元朝鮮進駐軍のなりすましの成れの果てとすれば、暴走族は在日朝鮮人の不遜な連中というのが相場。日本人には何したってかまわね〜〜という甘えの構造が生んだ戦後の負の遺産の象徴である。

だから、岩城滉一が暴走族=在日、そして同じく在日疑惑のある反町隆史がその岩城滉一の隠し子じゃないかという疑惑すらある。

いくら岩城滉一が在日韓国人であろうが、今回とあるCMの制作発表会か何かで、自由に日本代表に対して放談したからといって、「CM打ち切り」とか、そういうのはちょっと変である。言っていることが間違っていればの話だが、私が見たところ、サッカー日本代表に関しては100%岩城滉一氏の主張が正しい。私はそう思うナ。以下のものである。
【芸能】在日韓国人の俳優・岩城滉一、日本人へのヘイトスピーチで批判殺到・・・「CM打ち切りは決定的。仕事に影響も」

サッカー日本代表を“猿呼ばわり”の岩城滉一に批判殺到! 事務所関係者「あの時止めとけば……」- 日刊サイゾー(2014年10月14日11時00分)
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 嫌な予感が的中してしまった。老いてもなおヤンチャ盛りの岩城滉一の“暴言”が、大問題になっている。

 7日、「メンズビゲン グレーヘア」新CM発表会が開かれ、イメージキャラクターを務める岩城滉一が出席。CMでは、若き日の岩城が映し出されるシーンがあり「昔よりは考えるようになった。昔は『コイツ殴りたい』と思ったらすぐ殴ってたけど、躊躇するようになったね」と語ったまではよかったが、その後、話はあらぬ方に脱線。岩城は突如、サッカー日本代表について話し始め
最近の日本のサッカーを見ていると、“こいつらナニ人なの?”と思う。イタリアの選手とかは見ればイタリア人だなと分かるけど、日本の選手見てると、猿なのか、オランウータンなのか。(髪形なども)真似ばかりして、自分に合っているのかどうかが分かっていない。日本は真似以外のことができない
と大放言したのだ。

 イベント後の囲み会見でも、発言の真意を追及する記者に対して「元はといえば、みなさん(マスコミ)が悪い。ちゃんとニュースを報道しないから」と逆ギレ。「(問題発言について)オレに“なんで?”って聞くってことは、そうは思わないわけ?」と続け、一触即発の空気になったという。

 慌てたスタッフが「そろそろお時間が……」と制止しようにも、岩城は「時間は大丈夫だから」とお構いなし。これには主催者も「発言内容は、あくまで岩城さんの個人的な見解に基づくもの」と困惑しきりだったという。

 岩城に近い関係者が明かす。

「実は最初、イベントのトークショー、囲み取材に事務所側は乗り気じゃなかったんです。理由は『岩城が何を言い出すかわからないから』で、一度は囲み取材は断ったそうです。ところが、PR会社を通じて再度お願いされ渋々OKしたのだとか。一方で岩城さんはノリノリで『俺にしゃべらせろ!』という雰囲気を醸し出していたそうです。その結果がこのザマ。事務所側は『あの時止めとけば……』と後悔しているでしょう」

 現在、ネット上では、岩城が在日韓国人であることから「売国奴」「国に帰れ」など聞くに堪えないバッシングが飛び交っているが、それも元をただせば自分でまいた種。

「せっかくCMのイメージキャラクターに起用されたのに、すぐに打ち切りになることは決定的です。最悪の場合、事務所側に違約金が発生する可能性もあります。テレビの仕事に影響を及ぼすことも考えられますね」(代理店関係者)

 もはや、誰も岩城の暴走を止められないようだ。

人まねといえば、日本では普通に「猿真似」という表現を使ってきたわけだ。だから、今の日本代表が、いつもワールドカップで優勝したチームの真似ばかりして、プレーで真似できなければ、せめて格好でも真似てというムードがあることを評して、「猿真似ばかりして」といって何が悪い。

むしろ、俺は、
いや〜〜、岩城滉一ってサッカーファンだったの?
と逆に感心したほどである。

在日韓国人の岩城滉一であろうが、いまのアジアのサッカーを見ていれば、韓国代表であろうが、日本代表であろうが、中国代表であろうが、みなスペインの猿真似ばかり。これではダメだということを言いたかったに違いない。

つまり、大和魂、ハートだよハート。

ということを言っているわけである。

口だけ番長の本田圭佑や長友佑都などを評していたことは明白である。

俺なんぞは、ザッケローニはもらいすぎた年収4億円返却せよ、この詐欺師マカローニ野郎。二度と日本に来るなと言っている。ましてや、本田圭佑筆頭に、川島などザックジャパンは解散しろと言っているわけである。

ましてや、イカサマ野郎のアギーレ監督には、即刻スペインで自主しろ、逮捕されてしまえと言っているわけですナ。そして、ついでに日本サッカー協会の大仁会長と腹黒博美は、ブラジルの責任取って退陣しろと言ってきたわけですナ。が、いまだに居座っている。俺は文科省にも文句したんだがナ。ことサッカーに関しては超モンスターサポーターなんですゾ、俺は。

いいぞ岩城滉一、もっと言ってやれ!あんたが100%正しい。

1970年代、旧西ドイツがワールドカップ優勝したら、西ドイツサッカーの真似。
1970年代後半、オランダが一世風靡したら、オランダサッカーの真似。
1980年代前半、アルゼンチンがワールドカップ優勝したら、アルゼンチンサッカーの真似。
1980年代後半、イタリアがワールドカップ優勝したら、イタリアサッカーの真似。
1990年代前半、ブラジルが何十年かぶりでワールドカップ優勝したら、ブラジルサッカーの真似。
1990年代後半、ドイツがワールドカップ優勝したら、ドイツサッカーの真似。
2002年日韓ワールドカップでブラジルが優勝したら、ブラジルサッカーの真似。
2006年ドイツワールドカップでイタリアが優勝したら、イタリアサッカーの真似。
2010年南アワールドカップでスペインが初優勝したら、スペインサッカーの真似。
2014年ブラジルワールドカップでドイツが優勝したら、ドイツサッカーの真似。

これじゃ、岩城滉一の言うとおりじゃないか?

今の日本男子サッカーには大和魂もなければ、サムライ魂もない。ましてや「神風特攻隊魂」もない。

相手のシュートから顔を背ける。センタリングを避ける。ヘッドで競るのを怖がる。
「怖いの、痛いの、かい〜〜の」。
こんなプレーばかり。

昔の日本サッカーの方が下手でも迫力があった。特攻隊、神風、疾風怒濤。こういう雰囲気があった。
戦艦ヤマトの大砲のような釜本のシュート、ゼロ戦のように俊足な左サイドウィングの杉山。

「旭日旗」を上げれば、大和魂が出るか?ん、そんなことはない。今の日本代表には「旭日旗」は似合わない。

香川真司のように、相手の拳が顔にあたっただけで脳しんとう?おこちゃまですか?サッカーは格闘技である。それもK1の数倍のスピードでやる格闘技だ。クリスチャン・ロナウドは日に3000回の腹筋を欠かさない。いくら柴崎が良くても、武藤が良くても、ネイマールの切り返しにまったく反応できなかった。

まるで大人と子供だった!

というわけで、この件に関しては、俺は100%岩城滉一を弁護するんですナ。あっぱれ、岩城滉一さん!グッジョブ!

ハーフの嫁さんもらってヘラヘラしているGK川島をぶんなぐってやってくださいよ!昔のように。ご遠慮なく!世界の笑いもの、日本代表の恥だよ、川島は!


おまけ:
今回のように世間的な有名人が日本代表を酷評すればどうしてバッシングに合うかというと、その答えは、今の日本代表こそ、在日韓国人主体の創価学会ジャパンだからである。韓流創価マスゴミ界にあっては、創価ジャパン代表である、ザックジャパン、アキレタジャパンの方が好都合なのである。つまり、そのほうが儲かる、カネになる。

実際、日本サッカー協会のスポンサーのキリン、アディダスジャパン、こういった企業は創価企業として知れ渡っている。こういう企業のCMに日本代表を選ぶ。すると、そのスポンサー(創価企業)のCM料が、信者として個人所得から創価学会に入る。すると、それが地下銀行を通じて、北朝鮮の刈り上げのところに行く。あるいは、一部が民団を通じてクネクネ大統領の韓国へ行く。

まあ、そういう仕組ができちゃっているんですナ。もうどうしようもない国なんだよ、この日本はナ。救いようがない。

ちなみに、雅子の父小和田氏は在日朝鮮人ソン・テチャクこと池田大作の親友だったそうである。あっちの国の人らしいナア。そして、おそらくメーソンか、300人委員会のメンバーであるか、あるいは、あった。

というわけで、創価ジャパンを批判したから、その信者が一般人の振りをして文句をいう。とまあ、そういうことですナ。

本当に、在日韓国朝鮮人を日本から叩き出さないうちは、サッカー日本代表とて日本人の手に取り戻すことはできない。

もちろん、普通の人には、知らぬが花;知らないこと=存在しないこと;である。というわけで、信じる信じないはあなた次第ですというわけですナ。

サッカー界は完全に汚染しきって、腐りきっているナア。

いやはや、世も末ですナ。



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  by kikidoblog | 2014-10-15 17:18 | マスゴミ

ザッツネイマールショー!「横綱サッカーvs十両サッカー」:日本人には「基本に忠実」しかない!

日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう
ーー元名古屋グランパスエイト監督アーセン・ベンゲル
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みなさん、こんにちは。

昨日のサッカー日本代表と王国ブラジルの試合は、シンガポールの球場を満杯にしたが、「まるで台風19号の通過したあとの日本」というような感じだった。

シンクロニシティー。

王者ブラジルの攻撃は、台風19号の繰り出す暴風雨のようだった。ブラジルの疾風怒涛の攻撃が繰り出され、台風が通り過ぎるまで家の中で待機するほかないかのように、日本は自陣奥深くで待機するばかり。

木々の葉っぱは飛び散り、木はあたかも折れんばかり。日本は、ブラジルの暴風の前に精神も折れんばかり、闘争心も消えかかった。

結局、終わってみれば、ネイマールショーの4-0のスコンク負け。実際には、他の選手のシュートが決まっていれば、10-0ほどの大差の試合だった。以下のものである。
Japan vs Brazil 0-4 Neymar 4 Goals (Friendly Match) 2014

(久しぶりのカカも非常に良かったナア!さすがにバロンドール選手だ。ロビーニョも良かった。)

アギーレ日本0-4…屈辱の“選考会”
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<国際親善試合:日本0-4ブラジル>◇14日◇シンガポール国立競技場

 日本(FIFAランク47位)は、ブラジル代表(同6位)に惨敗を喫した。ハビエル・アギーレ監督(55)は、ジャマイカ戦から、FW本田圭佑(28)DF長友佑都(28)ら6人を先発メンバーから入れ替えたが何も出来ず、ブラジルFWネイマール(22)に4ゴールを許した。対ブラジルの国際Aマッチは通算2分け9敗。

 完膚なきまでにたたきのめされた。ネイマールに4点目を決められると、お祭り騒ぎの会場を横目にアギーレ監督はピッチに背を向けた。ベンチに向かいペットボトルを乱暴に手に取る。気持ちを落ち着かせるように、水を飲みほした。今度は、丁寧にボトルを置くと、ひと呼吸して、交代を待つFW柿谷に指示を送った。

 「前半はいい時間帯もあって、同点になってもおかしくないシーンがあった。ただ、2失点目のダメージが大きかった。中盤でのミスが失点につながってしまった」

 ブラジルを恐れていない、はずだった。ボール支配率、シュート数でも上を行かれるのは分かっていた。試合中には何度も、広げた手のひらを上に向け「気持ちを上げろ」とジェスチャーし、必死に選手を励ました。会見で、戦う姿勢が維持できたかと聞かれると「最後まで戦っていた。ガードは下げていない。(ロスタイムを含め)93分間走り続け、戦い続けた。世界最高の選手を前にしても、それはできていた」と語気を強めた。

 中盤でプレスをかければダイレクトでいなされた。クリアボールはことごとくカナリア色のユニホームが拾った。逆に中盤でのわずかなミスが致命傷となった。力量差は圧倒的。それを分かっていながら、屋台骨を支えてきた本田、長友らを外し初先発が3人、名を連ねた。「こういった逆境の中での選手のキャラクターを見たかった。負けて喜ぶことはないが、ロッカールームで力を出し切った姿を見られたのは良かった」。指揮官が手にしたと言った収穫さえも、大敗の後付けに聞こえた。

 今回の敗戦も、アジア杯への選考会と位置づけた。「アジア杯という重要な、責任のある場に挑めるかどうか見たかった。たくさんの結論が見つかった」。目標は来年1月と強がった。だがその言葉がむなしく聞こえるほど、手も足も出ない惨敗だった。【高橋悟史】

いや〜〜、正直「かもがねぎをしょってやってきた」ような試合だった。

驚くべきことは、スタメン6人を入れ替え、ほぼ初陣の補欠メンバーの前半の方が1−0で良かったということである。後半本田圭佑筆頭にザッケローニの遺産を入れてきたが、むしろそのほうがまったくダメだった。ここに香川真司がいたらもっとひどかっただろう。

これはどういうことかというと、世界ランク50位のザッケローニの「ザックジャパン」では世界には立ち向かうことができない。そういうことである。

私はブラジルW杯のずっと前(その2年前)からザッケローニは解任しろ!とメモしてきたから当然である。

本田圭佑や香川真司に見るように、欧州で普通の選手の一人になったものが、あたかもまるでW杯で優勝したかのように日本国内のマスゴミが持ちあげるからである。アジアカップすら優勝できない日本のJリーグの選手では、欧州のチームに入っただけで大喜びするということになる。

電通韓流マスゴミは、韓国人特有のメンタリティーである「事大主義」に毒されているから、結局、日本サッカー界も壊滅したのであろう。

ベンゲル監督が言うように、まずは国内リーグのレベルアップを計ること。これしかない。

Jリーグの各チームのエース級やストライカーが依然としてブラジル人や欧州人で支配されているようでは、日本サッカーは終わりである。いまだに釜本や奥寺のようなゴールゲッターが出てこない。

さて、同じような苦境はかつて日本の水泳界、日本の体操界も経験した。

水泳では、田口選手以来、鈴木大地選手や北島選手が出てくるまでは暗黒の20年であった。

体操でも、かつては王国と言われたが、内村航平選手の世代が出てくるまでは暗黒の20年であった。

では、彼らがどのようにしてその苦境を乗り越えたか?スポーツジャーナリストやJリーグ関係者やサッカー関係者はこぞって研究すべきである。

が、結論から言うと、水泳は自分の体質や特性を活かした「省エネ泳法」の開発。体操は基本に忠実で「美しい体操」を目指したことである。つまり、それぞれの基本に戻って、基本技術の精度を高め、技術向上を目指したこと。それを実現したのは練習しかなかったことである。

水泳選手が頭にペットボトルを乗せたたままトップスピードで泳げる(入江選手)とか、プールの底に鏡を張って自分のフォームを見ながら泳げるようにした(藤井選手)とか、体操の選手が幼少期からトランポリンをやって空中体感を鍛えた(内村選手)とか、正確な技術習得するためのそういう地道で細かい努力が必要だということである。

つまり、「より高度な技術をより美しくできるようにする」という技術革新である。

日本は古来技術の日本であった。それは今もそうである。宗教や精神というようなものより、技術である。

翻って、日本サッカーに関して言えば、一言で言うと、

技術がない!技量不足!下手くそ!

なのである。

一人でフリーでシュートを撃ってもまっすぐに飛ばない。フリーでボレーしても叩きつけられない。フリーでヘッドしてもゴールラインに豪快に叩きつけれない。

パスが弱い。パスがまっすぐいかない。

トラップが大きい。ボールが足に吸い付かない。

基本的なウィングプレーを知らない。センタリングが味方に合わない。

こうしたものがすべて技術である。


なぜこうなってしまうか?

というと、これが私がずっとメモしてきている「子供横綱問題」というものである。

要するに、いまの日本サッカーの育成法だと、完全な格差社会になっているから、良いチームや有名チームほど強い。だから、逆にそういう強豪チームに入った選手は、入る前にはうまいから入れたのだが、入ってから、あまり努力しなくても他のチームに勝てる。

なぜなら、自分以外にももっとうまい選手がチーム内にたくさんいるからである。

したがって、あまり一生懸命のプレーをしなくても勝てる。走り回らなくても勝てる。敵が自滅する。ミスする。そういう感じで育つのである。

結局、自分たちのチームは強いから、気分ばかりが高揚して自意識ばかりが育ち、実際の技術が進歩しない。

例えば、女子サッカーでは、全国の優秀選手はほぼ全員が宮城仙台の常盤木学園がスカウトしてしまう。だから、常盤木学園は決勝でも10−0とかで全国優勝する。

こうなると、選手は適当に手を抜いても勝てる。

男子の場合もJユースのチームは各都道府県内で一番うまい選手を各市町村から青田刈りする。だから、相手のチームにはいい選手がいない。そうなれば、トップチームが1つあるだけだから、試合結果はやる前から分かっているというようなことになる。優勝の常連になる。

こうなると、そういうチームの選手のプレーが雑になる。

相手チームにはちびでヘタでのろい選手しかいないのだから、適当にやっても適当に勝てるということになる。だから、適当にやっても勝てるし、あまり走らなくても勝てるし、適当におもいっきりシュートすれば、キーパー正面に蹴っても相手が取れずに入る。こういうことを繰り返して勝利し、イェーということばかりしながら、成人するわけである。

これではうまくならない。技術が完成しない。

ましてや、我が国の場合では、年齢による輪切りが大きすぎて、いつも戦う相手は同じ年代ばかり。これでは、その年代で早熟な選手が圧倒的に有利になる。子供の場合は、たった1年でも体や体力の差が全く違う。3年も違えば、大人と子供ほどの差になる。だから、いくら下手くそでもちょっと先輩というだけでも結構強豪になるのである。子供ほどそうだ。にもかかわらず、年令による輪切りで戦うのがほとんど。これでは、早熟な選手がスポイルされてしまうのである。

この問題をどうすれば解決できるだろうか?

と私はここ数年考えてきたが、なかなかいいアイデアが浮かばなかった。そこで、私自身が野球をやっていた時代(当時は山梨でもまだサッカーがそれほど知られていなかった。サッカーが小学校に入って来たのは私が小6の頃。)、どうやってうまくなったかということを思い出してみた。すると、良いヒントが見つかった。

私が育った山梨県には、私が子供の頃、夏休みに市町村の少年ソフトボール大会というものを行っていた。これは、非行防止の一貫であって、夏休みに子どもたちに暇を与えると非行に走るものが出るから、子どもたちを目の届くところに置くために、女子はキックボール、男子はソフトボールで、各町内で小3から中3までの年代で代表チームを作る。そして、町村ごとに大会を開いて代表を決め、市大会、そして最後に県大会まで行うというものだった。

私は小3から中3まで毎年ソフトボールの代表として出場していたのである。これは、部活の野球部とかサッカー部とかとは全く別の市町村の大会だから、あくまで地元の大会である。

問題は、このチームが小3(9歳)から中3(15歳)までの混成チームだったということである。私が小3で初めて出て、その時、市大会だっかた県大会まで行ったのだが、この時の私の身長は130cm程度であった。かなり小さかった。私はセカンドをやった。そのチームのセンターの中3の少年は180cm以上の長身だった。最後の本戦出場の試合であがった最後のフライが私の頭上に来たのだが、私がキャッチし勝ったと思ったボールはその上でセンターの少年がキャッチしてくれていた。私がエラーするとまずいと心配したのだろう。

こんな感じの大会だった。が、これが小3から中3までずっと毎年夏どこの市町村にもあったわけである。だから、みんなそこそこに上手になった。指導者は町内会のおじさんにすぎなかったし、ほとんど自分たちで空き地や空きグランドで練習したのである。それが結構良かったんではないかと今思う。

私は日本のサッカー少年にもこういうかなり年齢の垣根を超えた大会が必要なのではないかと思うようになったわけである。

サッカーの場合は、タックルやチャージが許されている。当然、幼い方が負ける。身体能力のない方が圧倒的に不利になる。いくらうまくても体をふっとばされる。そうなれば、終わりである。

私の考えでは、むしろそれがいいのである。小3と中3ではルール上多少ハンデをつけないと、怪我をするから、そういうものは必要だが、やはり大人のような選手といっしょにやってみないと、ユースに入って、かなり天狗になっている子供の鼻をへし折ることはできない。天狗の鼻を子供の頃へし折られない限り、子供の成長は止まる。天狗になったら終わりである。

昨夜の試合で、創価ジャパンの代表、武藤選手が初めて「天狗の鼻」がへし折られた。昨日試合後武藤が泣いていた。号泣である。20過ぎて、プライドがへし折られて号泣?かなり遅い。遅すぎはしませんか?
【コメント集】武藤「実力の差」

 FW武藤嘉紀「ブラジルとの実力の差が浮き彫りになってしまったんで、自分としてもチームとしても、もう一段階レベルアップしたいなと思いました。個人としてもタッチミスだったり、簡単にはたける場面で持ちすぎてしまったりした場面が多かったので、パスだったりドリブルだったりという選択をもっと速くしていきたい。このレベルを体感したので、さらにレベルアップできるように、日々の練習からしっかり取り組んでいきたいです」


まあ、遅すぎ。はっきりいって、これと同じことを12歳前に感じなければ、ベッカムやネイマールやメッシやクリスチャンロナウドのレベルにはいけない。ベッカムもネイマールもメッシもロナウドも14歳にはプロ契約して大人たちといっしょにプレーしてきている。それまではユースで育っている。

早い段階で自分より格上の選手に対してどういうふうに対応するかを学ばせなければ、一向に、世界トップとの格差は縮まらない。壁を乗り越えられない。溝は埋まらない。

というわけですナ。

本田圭佑の「口先弁慶」はだけはなんとかして欲しいものですナ。
昔のK1で試合前にさんざんゴタクだけは抜かすが、1ラウンドでノックアウト負け。そんな選手を彷彿させる。だからぜひ日本サッカーの品位を下げないためにも、口先弁慶だけは止めるべきである。


ところで、前半の日本組のチーム方が後半の本田海外組のチームよりいい試合をしていたんだから、後半のチームより主体になるべきである。特に、塩谷選手は非常に良い。ハーフの嫁さんで浮ついた川島選手でなく、西川選手だったらもっと失点が少なかったはずである。もう川島選手はどこかへ行ってくれ。邪魔以外の何ものでもない!ゴールラインにへばりついているだけじゃ、ニートと同じだ。PKエリア全体をくまなく守るというのがGKの基本中の基本。そういう基本どおりにプレーできるノイアーのような選手にすべきである。

とまあ、結局、「自分たちのサッカー」がどうたらとか、サッカー云々どころか、「サッカーの基本中の基本」通りにプレーすること、簡単にプレーすること、美しくプレーすること、最高の技術でプレーすること、こういったことをかつて西ドイツのクラマーコーチが日本人に教えてくれたはずだったのだが、もはやそれを忘れてしまったようである。

いやはや、世界ランクは相変わらず十両クラス。

日本サッカー協会やJリーグ機構のお偉方さんたちは、本当にそろそろ育成方針を変革していかないと、かつてのアメリカリーグのように消滅するという可能性もあるんですナ。

世も末ですナ。

おまけ:
ブラジル名物記者「川島はブラジルで笑いの種。反応が遅く、常に躊躇」・・・武藤には好印象「常にチャレンジしていた」

ブラジル名物記者「川島はブラジルで笑いの種。反応が遅く、常に躊躇」・・・武藤には好印象「常にチャレンジしていた」


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 以前、私はジーコ氏と日本人選手について話をしたことがある。彼は「日本の選手はイライラすると精神的に非常に脆くなる」と語った。

 さて、この試合を見ると、私は彼の言っていた意味を完璧に理解することが出来た。日本の選手たちは90分を通して怯えているように見えた。彼らは、より懸命に働く必要がある。

 選手個々について、私が話をすることは難しい。しかし、川島永嗣はブラジルでは笑いの種となるだろう。彼のプレーには実に失望した。彼は反応が遅く、常に躊躇しているように見えた。

サッカー川島永嗣が結婚!相手の嫁はコロンビアのハーフ彼女!ミス翌日の報告に2ch驚愕www(日本vsベネズエラ戦の下手なファンブル動画・画像あり)
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さ・げ・ま・ん、さげまんですナ。




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  by kikidoblog | 2014-10-15 09:39 | サッカー&スポーツ

子供の成長は実に早い!:ヤスミンの「白い雪」にみる子供の成長の早さ

みなさん、こんにちは。

我々オヤジ族のように、大人の成長は遅い。というより、大人は衰えるばかりである。

髪の毛も年々白くなる。言葉も頭に入らなくなる。もはや大半の大人は耄碌するばかりで維持することすらままならない。下手をすれば、さっき食べた食事すら忘れる。たったいまやったことすら覚えられない。

あれ〜〜、おれはだ〜〜れ???

ということになりかねない。

それに対して、子供成長は早い。1年で大きく成長する。見違えるほどに成長する。

かのヤスミン・ヤマシタさんも2013年の最初と最後ではまったく違うほどに成長したようである。そんなものを見つけたので、またメモしておこう。

2013年2月頃のヤスミン
YASMIN YAMASHITA

2013年12月頃のヤスミン
YASMIN YAMASHITA - Shiroi Yuki • Jovens Talentos Kids - Raul Gil (07/12/13)


しかしながら、子供は適用力があり、成長も早いがゆえの問題もある。

子供の内に芸能界に入ると、腐った大人に愛嬌をふりまくために、芸能界の垢にすぐ染まる。一旦染まると、その垢が肌から落ちなくなる。なぜなら若いうちはいいが、若者もすぐに成長が止まるからである。

話す時の首振り、アヒル口、気取り、品をつくる、

こうした下品な仕草が一生抜けなくなるのである。

特に何事も12歳までに決まる。

12歳でいい意味でセンスにおいて完成しておかないと、人は大きな成長が望めない。

12歳までに電通で品をつくることを覚えると、もはや一生電通の犬で終わる。

というわけで、12歳までにその分野の基本的センスを磨いておくことが、大器への近道というわけですナ。

日本の芸能界では決して育たない大器。ヤスミンちゃん。がんばれ!

それにしても、天賦の才とはこういうものをいうのだろうナア。


おまけ:
もっと前の子供の時のものもあった。


子供はあっと言う間に成長しますナ。



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  by kikidoblog | 2014-10-14 16:03 | ヤスミン・ヤマシタ

台風19号上陸:私の誕生日を台風でお祝い!?サンクスNWO!

みなさん、こんにちは。

いやはや、今ここ四国は台風19号の暴風雨の真っ最中にある。どうやら台風19号は一旦は勢力を落とし分裂気味だったが勢いを戻して、日本列島を縦断しそうである。くれぐれもご注意を。
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さて、どうして台風19号が復活したか?

どうやら、例によってどこからともなく電磁波が照射されて、台風の精力増強したようである。以下のものである。
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一方、経度170度付近にも例によって電磁波照射があったようで、その辺で台風20号の卵が誕生したようにみえる。
台風20号の卵誕生か?
真ん中下の白い帯の部分の最上部
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ウィングメーカーならぬ、タイフーンメーカーがどこぞにおられるようですナ。

いやはや、せっかくの俺の誕生日がおじゃんだよ。やってくれるね、NWOよ。

いや〜、まいった、まいった。


おまけ:
現在6時半すぎ。ここ阿南は台風19号は過ぎ去ったようである。
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我々は何とかやりすごせた。関西方面に行っているぞ!ご注意を。



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  by kikidoblog | 2014-10-13 15:10 | HAARP・台風・ハリケーン

世界を魅了した空手の「形の部」:相手と戦うのではなく自分と戦う空手

日本ほど素晴らしい国は世界中のどこにもないだろう
ーー元名古屋グランパスエイト監督アーセン・ベンゲル



みなさん、こんにちは。

最近YouTubeで見かけた日本の空手の「形の部」というものをここにもメモしておこう。以下のものである。
世界チャンピオン宇佐美選手の型
Final Female Kata. Rika Usami of Japan. 宇佐美 里香。空手の形


(1/2) Karate Japan vs Italy. Final Female Team Kata. WKF World Karate Championships 2012


相手と組み合う格闘技の空手とは違う、相手と戦わず自分と戦う格闘技の「空手型」という種目も、男子新体操
大学生が演じた新体操が世界で大絶賛
と同じく、ぜひ東京五輪2020の新種目に入ってもらいたいものである。

頑張れ日本!



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  by kikidoblog | 2014-10-12 21:23 | アイラブとてつもない日本

ジョーク一発:「マイナス×マイナス=プラス」「プラス×プラス=プラス」

みなさん、こんにちは。


笑いは百薬の長。
笑う門には福来る。
あまりの恐怖で笑う他はない。
笑いは本物に限る。
偽笑いや偽情報は吉本におまかせ。

以下はジョークである。本気にしないことが肝心。

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(あ)マイナス×マイナス=プラス

2つの負の数を掛けあわせれば、その数は正となる。

そんな2つの事件があった。

まずは、高校野球のレジェンドである名門PL学園野球部が廃部の危機にあるというものである。以下のものである。
桑田&清原ショック…PL野球部が廃部危機、部員受け入れ停止へ
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 PL、廃部危機!! 春3度、夏4度の全国制覇を誇る高校野球の名門、PL学園(大阪)の野球部が新年度の部員の受け入れを停止することが10日、明らかになった。昨年4月から事実上の監督不在が続いており、この日までに野球部員の保護者に通達した。甲子園を何度も沸かせたPL学園はこのまま、廃部への道をたどるのか…。

 まさに激震だ。桑田、清原、立浪、前田…。球界を代表する多くのスターを輩出し、甲子園を沸かせてきたPL学園野球部の歴史が幕を閉じるかもしれない。来年度の新規野球部員の受け入れ停止を学校法人ピーエル学園理事会が決めたことが、明らかになった。

 関係者によると、理事長と野球部監督を兼任する正井一真校長(67)の連名で書かれた文面が、郵送で部員の保護者に届いたという。部員受け入れ停止の理由について「監督の適任者選任を目指してきたものの得るに至らず、十分な指導ができていないことは慚愧(ざんき)に堪えません」などと説明。来年度の入学を希望していた中学3年生の保護者に断りを入れた。

 輝かしい実績を誇るPL学園だが、2001年に部員によるいじめが発覚。部の伝統である寮内での付け人制度を見直し、再出発を図ったが、その後も不祥事を起こした。昨年2月、部員による暴力事件が発覚。6カ月間の対外試合停止処分が下り、同4月に当時の監督が辞任した。

 母体のPL教団は1970年代から甲子園出場時にはアルプス席で人文字を作るなど、教団の広告塔として野球部を支えてきた。複数の関係者によると、ここ数年で教団内の体制が変わり、トラブル続きの野球部に対して厳しい姿勢で臨むようになっていた。プロ野球に進んだ多くのOBや保護者からは監督擁立を求める声が相次いだが、学校側は教団を信仰していることを条件としたため難航。野球経験のない正井校長がユニホームを着てベンチ入りし、選手がサインを出す異例の状況が続いていた。

 実質的な指揮官不在ながら、今夏は大阪大会決勝まで進出(大阪桐蔭に1-9で敗退)。新チームも今秋の大阪大会で準優勝(決勝で大阪桐蔭に4-11で敗戦)し、18日から始まる近畿大会(京都・わかさスタジアム)出場が決定。春夏連続出場した09年以来、6年ぶりの甲子園出場が見えてきたところでの衝撃だ。

 現在の部員については卒業まで活動を続けるが、新規部員の受け入れを停止すれば、廃部危機に直面する。逆転のPL、桑田・清原のKKフィーバー、松坂(現メッツ)を擁する横浜との延長十七回の死闘など幾多の名勝負を聖地に刻んできた名門が、このまま終焉(しゅうえん)を迎えるのか。甲子園歴代2位タイの96勝を記録している伝統校が、揺れている。

 このたび、学校法人ピーエル学園理事会は平成27年度の高等学校硬式野球部新規部員の受け入れを停止することにいたしましたので、その経緯についてご説明させていただきます。

 既にご存じの通り、硬式野球部は、監督の適任者選任を目指してきたものの得るに至らず昨年度から中学校高等学校校長が監督を務め、コーチ陣の指導のもとにクラブ活動を続けてまいりました。

 野球というスポーツを通じて、PL学園でしかできない信仰指導、人間教育ができるように努めてまいりましたが、適任者不在のまま、十分な指導ができていないことは慚愧に堪えません。


一方、もうひとつのマイナスとは、甲子園の名門PL学園出身の野球界の英雄伝説であったはずの清原和博が、いまやまったく面影ない人生を歩んでいるという話。これである。
清原和博氏 自宅差し押さえでウィークリーマンション転々か
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 10月初めのある夕方、東京・新宿の高級ウィークリーマンションのロビーに現われた1メートル88センチ、体重推定120キロの巨体は、居合わせた人々の目を釘付けにした。肌寒さを覚える秋半ばでもTシャツに短パン、黒光りする肌--清原和博氏(47)その人だった。
 「手ぶらで、近所のコンビニにでも出かけるようなラフなスタイルでした。右足からはタトゥーものぞいていました。あまりの威圧感に後ずさりした」(目撃者)
 このマンションは1泊からの利用もできるホテル兼用タイプ。高級さが売りで、ウィークリー賃料はどの部屋も10万円は優に超える。豪華な部屋では40万円以上かかるものもある。
 「清原さんの姿は最近たびたび見られます。“離婚後、ここでひとり暮らしを始めたのか”“知り合いのところに転がり込んでいるのでは”と噂です」(別の目撃者)
 清原氏は9月22日、妻・亜希さん(45)との離婚を発表。その半年前から亜希さんは2人の子供を連れて渋谷区内の自宅億ションを飛び出していた。


マイナスのPL学園×マイナスの清原和博

イコール 

借金地獄の清原を監督の成り手のいないPL学園の監督にしたら

どうだというジョーク。

野球しかできない男に職がない。腐って薬に手を出し、嫁さんにも逃げられ、地元岸和田からも拒絶される。一方、PL学園もまた選手の暴力事件の不祥事続きでもはやPLの監督したらキャリアアップできない。

というわけで、暴力生徒には番長の清原こそ適材適所に違いない。

これで清原は初心に戻って出直せるし、元伝説の英雄の指導を受けられるPLは再び野球の名門になるにちがいない。

清原が監督になれば、その昔は投げる不動産屋といわれた桑田真澄もコーチでお手伝いできるに違いない。

どうでしょうか?

こんなアイデアは?

まあ、ジョークですヨ、本気にしないことが肝心。


(い)プラス×プラス=プラス
世界のナカータがまた世界のレジェンドに!

南アワールドカップ敗退とともにサッカーの現役選手を引退し、自分探しの旅を続けたサッカー界の伝説、私同様に山梨県出身のサッカー選手である、
中田英寿選手
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がまたひとつ英雄伝を付け加えたというニュース。以下のものである。
nakata.net
アジア人で初受賞!中田英寿氏に新たな勲章、「ゴールデン・フット・アワード」授賞式に出席
中田英寿氏に新たな勲章、「ゴールデン・フット・アワード」授賞式に出席

 ゴールデン・フット・アワード2014の授賞式が10日、モナコで行われ、元日本代表の中田英寿氏が出席した。

 ゴールデン・フット・アワードは2003年に設立された賞で、メディア、ファン投票によって選出された29歳以上の現役選手1名と、サッカー界の歴史に貢献した引退選手に贈られる「オール・タイム・レジェンド」を選出。中田氏はアジア人で初受賞した。中田氏の他には、元アメリカ女子代表のミアーハム氏が女性では初の表彰を受けている。
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授賞式には隣にご夫人の姿も
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ファンの声

28: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/10/11(土) 17:09:28.87 ID:AfM4r6md0.net
彼女が柴咲コウだからなぁ
アンチ憤死w

43: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/10/11(土) 17:37:10.65 ID:U0IEKAb70.net
もう腐るほど金稼いだし引退後の中田の人生はただの道楽だろ
羨ましい

85: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/10/11(土) 19:51:14.48 ID:CCoDza840.net
先駆者だからな
中田の活躍に影響受けたのは日本人だけじゃない

95: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2014/10/11(土) 20:54:39.81 ID:chCgS+Pm0.net
サッカー好きなら中田をバカにするとかありえない
U17、U19、オリンピック、ワールドカップ
全ての大会でゴールを決めてる偉人
日本でこれ以上の選手は絶対出てこない


こっちは、

プラス×プラス=プラス

のケースですナ。



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  by kikidoblog | 2014-10-12 16:58 | ジョーク一発

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