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ISIS捕虜開放問題、いま勝海舟先生が居れば、きっとこう言うだろう!?

勝海舟
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みなさん、こんにちは。

何かと騒がしい国際情勢の昨今、昔の明治時代に似た雰囲気が出てきて、その時代が懐かしまれる。今を生きている現代人にとって今こそが最も騒がしい時代なんだというふうにどういうわけか考えたがる。しかしながら、何時の時代も激変期というものはある。明治時代は今よりもっと激変の時代だった。なにせ、それまで300年も安泰だった江戸幕府が崩壊し、明治政府に変わったわけである。

この激変期を生き抜いた歴史上の著名人と言えば、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛である。その他に、高杉晋作、伊藤博文、山岡鉄舟などがいた。勝海舟は江戸幕府側の先駆者、西郷隆盛と高杉晋作は倒幕側の先駆者であった。坂本龍馬は日本全体の利を見る逸材だった。また坂本龍馬と勝海舟の名のもとに忘れがちなのが、山岡鉄舟先生である。が、実は勝海舟がやったとされていることのほぼ90%の実際の仕事はこの
山岡鉄舟
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(鉄舟先生が静岡のお茶栽培、明治天皇のかっけを治すためのアンパンの発明に寄与した影の功労者なのである。自分の年金を全部つぎ込み、借金を全部自分の書道の毛筆で返したといわれている。拙著「柘植の反秀才論を読み解く」に詳しい。)
が成し遂げたことである。

勝海舟は晩年数名の女中や妾とともに高額の年金を得ながら余生を送り、自分の年金を静岡で清水の次郎長といっしょに静岡のお茶栽培に全部回して貧乏のうちに早死した山岡鉄舟の成し遂げた偉業を全部自分の美談に加えていった。

そんな勝海舟だったが、勝海舟は若い頃は鉄舟先生同様の逸材だった。咸臨丸に乗ってアメリカサンフランシスコに行ったのである。

そんな矢先で出会った人物や、当時の米国社会の雰囲気を見事に残したものが、勝海舟の
氷川清話
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である。一方、そんな山岡鉄舟先生のおやりになった本当の偉業を記録に残したものが、
岩倉具視
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(この岩倉具視のご子孫が俳優の加山雄三さんである。)
の『正宗鍛刀記』という本である。

さて、そんな勝海舟であったが、当時の世界情勢、特に、当時のアジア状勢は、ちょうど今のISISのアラブ世界のような混沌とした世界であった。状況はまったく今の中東やアフリカと瓜二つなのである。

そういう状況にさらされた当時の明治維新の人たちがどう処理したか?

これこそ今現在の我々日本人や日本の若者たちが学ばなければならないこと、見習わねばならないことなのである。私はそう考える。

そこで、今から13年前のまだスマホもなかった時代の2002年頃に昔の拙掲示板時代にメモした文章をそっくりそのままここに1つ再掲しておこう。以下のものである。
2258
氷川清話の「海外発展」
KI
2002/10/16 18:02
男性 自由業 45歳 O型 徳島県

権兵衛のだんなさん

いやー、だんなの勝海舟の氷川清話の話は面白いねー。それでサ。俺も
氷川清話っていうやつがいったいどんなものか見なくちゃいけねーと
思ってね。図書館行って、そいつを借りてきちまったわけサ。

そして、その中をちょっくら覗いてみると、こいつぁおもしれーノー。
中でも、俺が特に気にいったやつがあったんだが、それをちょっと紹介して
見てーのサ。

それは「海外発展」っていうやつなんだがね。文章は氷川清話を読んでみて
もらいてーのでね。ここでは俺は書かねーのサ。内容をかいつまんでおくと
サ ノー。こんな話なんだ ノー。

勝海舟が咸臨丸(かんりんまる)でアメリカへ行った時の話なんだが、
海外発展というのを考えて見るとサ。日本がやっているのと、欧米がやって
いるのを比較すると、まるで顛倒しているっていう話なのサ。

日本が一番先に出るのは若い売春婦のような女。その次がそれを追っ掛ける
小商人やならず者サ。それからその地方が有望というと中商人が行き、
領事館ができるという話なのサ。だから、その地で外国では日本人という
やつは実にひどい奴らだということになり、評判はすこぶる悪いのサ。
みんな警戒してしまうわけだーね。

ところが、外国のやつらは実に見上げたものサ。最初に海外不毛の地に教法
師が行って伝道すれば、医薬慈善なんかやるんだねー。その一方で、地方
物産や事情を本国に報告すして何々の商売が有利だなんて知らせるわけサ。
今度は、資本力のある富豪が出かける。小商人も行く、女も行く、領事館
が行くというふうなんだなー。だから、外国人は非常にその地方では評判
が良く、たとえごろつきや売春婦の類いが行っても紳士や淑女の扱いを
受けられるというわけサー。

売春婦と言えども軽蔑ばかりしてはだめで、それも善用できるとなりゃー
たいしたものサ。その点、欧米人は実に感心させられるのサ。
もし何かあったら、そんなやつは日本人じゃねーよって言ってりゃ良いのサ。
日本人は公私の区別が付かないから困るわけなのサ。

こんな話があるんだが、さすがに、俺もこの話には妙に納得させられたわけ
サ。


その続きに公私の区別の面白さを言った話があるんだが、俺はこれに興味
を持ってねー。これも書いておこうよねー。

勝海舟が咸臨丸でアメリカへ渡ってすぐに、どういうわけか突然裁判所から
船長として出頭を命じられた。海舟が行ってみると、その理由はこういう
わけなのサ。

2人ほど咸臨丸の船員がいて、街を歩いているうちにアメリカ
人の女に日本の春画を見せて喜んでいたらしい。すると、その御婦人方は
怒って裁判所に訴えたわけサ。それで海舟が呼び出されたのサ。そこで
裁判官は海舟に証拠品を見せて言ったのサ。証拠はこれだ。だから、水兵
2人を処罰すべし。

そこで海舟はその水兵をとっちめてやろうと思って証拠品を持って帰ろうと
すると、いきなりその裁判官は法服を脱ぎ捨てたわけサ。そして言った。
先ほどは職務上非常に厳しい態度に出たことをおわび申す。これは個人的な
ことなのだが、その春画はわいせつだが、非常に珍しいものだ。それは当の
アメリカ女性もえらく感心して、ぜひお金を払うので譲り受けたいと言って
いる。侮辱した水兵にはすまないが、どうか譲ってくれないかっていうわけサ。

そこで、海舟は確かに頭にきたんだが、この公私の区別に非常に感心したわ
けなのサ。今度、海舟がやったことが実に面白いのサ ノー。海舟は、まず
その水兵たちを謹慎処分にして、艦長名義でその裁判官に手紙を書いてやっ
たのサ。お手前の願い出受けたてまつり候。何日何時何分に日本軍艦に出頭
されたしってやったのサ。すると、その夜、2人の裁判官がやってきて、
今日の手紙はあまりにひどい。どうか内分に秘密にしてやってくれって泣き
を入れてきたんだとサ。そこで海舟はその春画をくれてやったんだとサ。
これに海舟はえらく気に入って、馬鹿馬鹿しい話だがアメリカ人の公私の
区別をきちんとやるのは実に感心したんだとサーね。


いやはや、海舟っていうだんなも実に面白しれーやつだったんだねー。
いまだに松茸がどこいったなんて言って騒いでいるくれーの、ちっせい
国とはこの日本。150年前とちっとも変わっていねーみたいなのサ。
松茸は議員バッジをはずしてもらったのか、つけてもらったのかの違い
なのサ。つけてりゃー有罪。はずしてりゃー無罪。これが公私の区別って
いうやつサ。食っちまったのなら、その分2、3日謹慎処分でおわりサーね。
ちっせえ、ちっせーノー。今の日本人はねー。


じゃ、またーね(俺は勝海舟の口調で書いたのサ。)


これを読んですぐに分かるのは、勝海舟の時代の「日本人」と勝海舟先生が呼んだ日本人の行い、その行動パターンがこういうものだった。
1.日本が一番先に出るのは若い売春婦のような女。
2.二番目が売春婦を追っ掛ける小商人やならず者。
3.三番目が中商人。
4.最後が、領事館。
5.その結果、その地で外国では日本人というやつは実にひどい奴らだということになり、評判はすこぶる悪い。

一方、当時の欧米列強国家はというと、
1.最初が海外不毛の地に教法師や伝道師や医薬慈善。同時に地方物産や事情を本国に報告するスパイ活動。
2.二番目が、力のある富豪。
3.三番目が、小商人や女。
4.最後が、領事館。
5.だから、外国人は非常にその地方では評判が良く、たとえごろつきや売春婦の類いが行っても紳士や淑女の扱いを受けられる。

とまあ、これが江戸末期から明治時代初期の世界情勢を見た勝海舟の世界観であった。

はて、今と比べるとどうでしょうか?

たぶん、ほとんど変わっていないはず。そう、まったく変わっていないんですナ。今も日本の外務省や日本の法務省、そして日本の政治家がやっていることはまったく基本的には同じなのである。この認識が大事だ。

つまり、外務省は最初に外国へ悪人や犯罪者や売春婦を送り込んで平然、法務省は外国からくる売春婦や犯罪者を日本国内に一番最初に受け入れる。こういうことをやっている。

だから、ISISに出向く悪徳ジャーナリストがたくさん出るわけである。

では、勝海舟がそういう悪い日本人たちが海外で何かを起こした場合、今回の湯川春菜や後藤健二が起こしたようなことを起こした場合にどうしたか?どうすべきだと勝海舟が言っていたかというと、上に書いたとおりであった。
売春婦と言えども軽蔑ばかりしてはだめで、それも善用できるとなりゃー
たいしたものサ。その点、欧米人は実に感心させられるのサ。
もし何かあったら、そんなやつは日本人じゃねーよって言ってりゃ良いのサ。
日本人は公私の区別が付かないから困るわけなのサ。

つまり、
最初に日本から外国に行った悪い連中や売春婦、こういう連中を軽蔑だけしてはいけない。むしろ良い方に使えるようになればたいしたものだ。その点、欧米人はたいしたものだ。もし何かあったら、そんな連中は日本人じゃないと言えばいいのだ。日本人は公私の区別がつかないから困る。

要するに、勝海舟の主張はこうだ。
日本人には日本政府の言いつけを守らないというものはない。もし言いつけを守らないとすれば、その人物は日本語が分からないのだから日本人ではない。したがって、言いつけを守らなかった後藤健二と湯川春菜は日本人じゃない。だから、日本政府は彼らに対してすることは何もない。また、日本に帰する仕事上で海外に行って、その際に犯罪に巻き込まれた場合には日本政府も善処するが、プライベートな私的な旅行の出来事は全部自己責任だから、政府が公的にすることは何もない。

こういってやればいい。そう勝海舟先生は言っていたのである。

どうだい、いかに明治の偉人たちがどれほど賢かったか解るに違いない。

ちなみに、勝海舟が言った「日本人は〜〜」の日本人の習性と今の韓国人や在日韓国人の習性とまったく同じだということに気が付かないか?そう、実はすでに明治維新の時代から九州にはたくさんの朝鮮人が移り住んできていたのである。だから、戦後の今も、江戸末期も日本の状況は全く同じだったのである。

江戸幕府が純日本人系であって、明治政府の方が九州山口の朝鮮人系だったのである。鮮人がいれば世界のどこでも同じことが災いするのだ。まあ、長くなるからこれはまたいつかにしよう。


おまけ:
外務省、トルコ南部での取材自粛を要請

外務省は30日、シリア国境に近いトルコ南部で取材活動している報道各社の記者らに対し
「不測の事態に巻き込まれる可能性が高く、非常に危険」として、
滞在を控えるよう求める注意喚起を出した。事実上の取材自粛要請といえる。

http://www.sankei.com/politics/news/150130/plt1501300023-n1.html
【悲報】 外務省、ついにブチギレる!!!!!マジかよ!!!!!!!!!


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  by Kikidoblog | 2015-01-31 10:25 | ISIS・ISIL・イスラム国

個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?4

ヒトの双対性

保江邦夫博士「一を知ってすぐに十を知るタイプ」
井口和基博士「十を知ってやっと一を知るタイプ」

保江邦夫博士「幸運の女神に見守られた博士」
井口和基博士「幸運の女神に見放された博士」


(つづき)

ちょっと用事から帰ってきたので、忘れないうちに
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?2
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?3
の続きをメモしておこう。

さて、簡単におさらいをしておくと、
保江先生は東北大の入学まではまったく本を読まなかったのに名門東北大学天文学科へ入学を果たし、東北大学の大学生の間にはたった1冊だけしか本を読まなかったにも関わらず、更に名門の京都大学物理学科の大学院に入学。京都大学ではネルソンの本と論文しか読まなかったのに、当時素粒子論の坂田門下生のいた名古屋大学に転入。そこで合気道部を自ら作り出してそれに没頭しながら、たったの2年で8本の名論文を海外の超一流研究誌に掲載決定(実際にはもう一つあったのだが)
ということだった。

さすがに文武両道の天才であったにせよ、ネルソンの本と論文を読んだだけで、いきなり革命的な論文を矢継ぎ早にお書きになられたというのは、同じ理論物理学者としては、あり得ね〜〜ぞ、というのが私の持った素朴な疑問であった。なぜなら名だたる東大の、私の知っていた理論物理学者でもまったくそういう人はいなかったからである。かなりたくさん論文を出したものでも、2つか3つがいいところ、そしてそのために彼らは日夜研究に没頭して、およそ運動などしている暇はなかったというのが普通だったからである。

そんなわけで、この奇跡的偉業、いや、天才的偉業の真髄は何なのだろうか?

というのが、私が知りたいことなのである。
ひょっとして、合気道をすると知的に覚醒できるのか?頭が良くなるのか?知能が増すのか?
なにかこういうことでもなければ、にわかには信じられないことなのである。

さて、保江先生の話に戻ると、保江博士はどうなったか?
 だが、そうはいってもオーバードクターで溢れかえっていた大学院の状況に変わりはなく、将来に対する展開が開けないままで時間だけが過ぎていく。このままでは、そのうちに学問研究すらあきらめなくてはならなくなる!危機感を感じた僕は、日本を脱出することを考え始め、博士号を修得した先輩を見習って一面識もない欧米の著名な教授達に助手として雇ってくれるように手紙で依頼した。むろん、まだ電子メールなどもなく、外国あての手紙といえばエアメールの時代。手紙が届くのに一週間、うまく読んでくれさらに幸運にも返事を書いてくれるのに二週間、そしてその返事が届くのにもう一週間。合わせて一ヶ月も待たなければならない時代だったのだが、たいていの場合は完全に無視されていつまで待っても返事などはこない。
 考えてもみてくれ。研究で忙しい欧米の著名な物理学者や数学者が、どこの馬の骨かわからないような駆け出しの数理物理学者、しかも極東の島国の男が送ってきたエアメールに目をとおすわけもない。先輩の中には百通以上のエアメールを書いたあげく、一通も返事がこなかった人もいたのだ。万が一返事がきたとしても、たいていはお決まりの文面で断ってくる。
 当然ながら、僕も待ちぼうけをくらわされ続けていた。

私がユタ大学に渡った1980年代後半もまだこういう状況が続いたのである。当時はエアメールで応募したのである。大学院に入学するための応募用紙ははがきで依頼したのである。当時はタイプライターで文章を印字した。

私が当時勤めていた企業を辞めて、それから何とかアメリカの大学院生になりたいと思って大学の応募書類を取り寄せた大学は、シカゴ大学、ユタ大学、ペンシルベニア大学、オレゴン大学などの物理学部だった。すべて当時私が興味を持っていた準周期系の理論を研究している博士のいる大学である。その中でも一番行ければいいなあと思っていたのが、甲元真人博士のいたユタ大学であった。

応募書類には2〜3人の参照人(推薦者)が必要だから、1人は学部の時の卒研の教授、もう1人は大学院の時の教授、そしてもう1人は大学院の時の助教授にお頼みした。この時の指導教官だった中村伝教授とは最初に基礎工学部の数理系専攻として大学院の入試の時の面接では感じよく感じたのだが、その後私が内部留学という形で、物性系専攻の中村教授の研究室で、私が「ブラウン運動の量子力学版をしたい」といった瞬間から、このテーマはいまの保江博士のやったテーマだが、私はこの教授から目を付けられてしまい、「そんな研究をやっても意味がないよ」とさんざん嫌味を言われる始末。すっかりお互いの関係が悪くなってしまった。結局、一から全部別の分野を自分で本を買って読みふける。だれも助けはないという感じでいたずらに5年を過ごしたのだった。保江博士が「ファインマンダイヤグラムの計算は〜〜」と言ったまさにそのファインマンダイヤグラムの計算をその研究室では主に研究していたのだった。修士論文は私も似たようなファインマンダイヤグラムの計算ですませた。

だから、シカゴ大学にはたぶん入るのは難しく、もし自分がアメリカに行ける可能性があるとすれば、ユタ大学だけだろうと思っていたから、あまり相性の良くなかった阪大大学院時代の指導教官だった中村伝教授には、ユタ大学以外の3つの大学院にして、ユタ大のもう一つは甲元先生に頼んだのだった。

案の定、結局中村先生からシカゴ大学用の推薦書が来たので、もうシカゴは行かなくてもいいかと、それを破いて中を見たのであった。それを読むと、なんと
「この人物は問題あるからあまり推薦できない」
と書いてあったのだ。
くそ〜〜!この野郎!
と私は思ったが、一応形式上は、せっかく推薦書を書いていただいたのだからお礼を電話で言ったところ、
シカゴには私の知人や友人がいるので、君が行けなくなるようにしておきました
とお答えになったのである。

これがそれまでサッカーの世界だけしか知らなかった私が、一番最初に経験した日本の学者のいやらしさだった。まあ、もうその教授は死んだからどうでもいいがナ。これが私の持つ日本人理論物理学者の第一印象である。まあ、大抵の人も遠からず近からずである。

だから、なおのこと、私は保江博士のケースは非常に信じがたいのである。

保江博士の居られた研究室にもオーバードクターがたくさんいたとのことだが、私がいたそんな中村伝教授の研究室にも二人オーバードクターがいた。1人は私と公私ともに非常に気があった蛯名邦禎博士であった。

こんな私でもそろそろ大学院の5年目に入った最後の冬だっただろうか、直前に輪講で聞いたジャンコビッチという欧州の研究者の2次元平面内の1成分N粒子系プラズマの熱力学の論文の内容と同時に個人的に学んでいたラフリンの2次元分数量子ホール効果の論文の波動関数の類似に気がついたのである。そこで、1成分プラズマの熱力学の分配関数をいじっていると、なんとそれが見事にラフリン波動関数と一致した。しかも、特定の温度で厳密に解けるということが分かり、それがラフリン関数の規格化が1となるということに等価だということがわかったのである。

その日、研究室は石油ストーブが燃える中、蛯名さんにその話をして、私はそれを論文にする間、蛯名さんはその発想を球面上の別のトポロジーを持つ別の系への拡張を考えた。結局、2つの論文ができたのだったが、その後すぐに私が発見した2次元の電子系の3次の線形応答関数が厳密に求まるという論文と計3つの論文を書き上げたのである。そしてそれらを私と蛯名さんの共著のプレプリントとした。

その後、物理学会で私は2つ話し、蛯名さんは自分のを1つ話したのである。それから、オーバードクターだった蛯名さんが我々のプレプリントをアメリカのニューヨーク州立大学バッファロー校の石原明教授のところへ送った。すると、なんと蛯名さんはポスドクとして採用が決まったのである。

それから、当時彼女だった方とすぐに結婚式を行って、伊丹空港からアメリカに渡った。私は初めて結婚式に招待されたのだったが、実になんとも複雑な気持ちでいたものである。(実は、その後の30年で私にはこういうことが頻繁に起こるようになった。私と関わったものが出世しハッピーな人生を過ごせるようになるのである。これはその序章の始まりだった。)

一方、私はまだ大学院5年目の中途であって、これらの論文が公表されていなかったから、「公表できれば博士をやってもいいが、なければ無理」という指導教授の言葉通り、結局私は大学院を出る羽目になったのである。

それから2年ほどして、蛯名博士は帰国し、すぐに近大物理の非常勤講師、そして神戸大学の助手となられた。その後、ずっと神戸大学の助教授、教授と順調にすばらしい経歴を積み重ねたのである。ちなみに、私の3つ目の論文は、その後私がユタ大学留学中に蛯名さんが神戸大学の同僚たちと表面物理に応用した共著の論文として公表することになった。最初は友人の蛯名さんは私の名前も入れたいとユタまで送ってくれたのだったが、私は何も直接は関わっていないから、私の名前は入れなくてもいいですよといって、彼らが公表したのである。

さて、再び 保江博士の話に戻そう。
 ところが、ある日のこと大学院の事務室から電話があり、どうもこの僕宛に外国から電報が届いたとのこと。
 始めて目にする外国からの電報は、しかし特有の省略単語の羅列でしかなく、何度読んでみてもよくわからない。だが、自分に都合よく解釈していくと、どうも招聘する用意があるのすぐに返事をくれと読めてしまう。送り主は、スイスのジュネーブ大学理論物理学科チャールス・エンツ教授とある。確かに、数カ月前にエアメールで職を求めた相手先のひとつではあった。
 ジュネーブ大学といえば湯川秀樹の中間子論や朝永振一郎のくりこみ理論よりも早い時期に同じ理論を完成させていたにもかかわらず、スイス物理学界の大御所だったパウリによって意図的に隠されてしまったためにノーベル賞を逃してしまった孤高の理論物理学者ステュッケルベルク博士のお膝元。しかも、エンツ先生はパウリが死んだときの助手として、パウリが残した膨大な研究資料を世に出し続けていることでもゆうめいだった。おまけに、そのときの僕は湯川先生が晩年精力的に研究していた素領域理論を数学的に見直す論文を書き上げたばかりだったし、緊張しながら湯川先生の前で親しく解説させていただくこともあった。
 つまり、僕にとっても、かなりデリケートな雰囲気がある因縁の場所。しかし、いい意味でもあるいは悪い意味でも、極東の日本にいては得られない貴重な体験ができるはず。そう思った僕は、すぐ様返事を送った。

ここにまた保江博士の幸運の序章が続く。パウリの最後の助手のエンツ博士が、たった1つ応募していただけの保江博士の下に採用通知を電報で送ったのである。

いや〜〜、実に素晴らしい。

方や、私の場合は、指導教官直々に大学院に入れなくなるようにネガティブの推薦書を送りつけたのだ。

さて、保江先生のその後がさらにおもしろい。
 しばらくして、エンツ教授からエアメールが届き、読み進んでいくうちにはたと困ってしまった。何故なら、用意してくれた助手のポジションに就くためには、日本での博士号にあたるPh. D.の学位取得者でなければならないのだ。助手の採用を求めてくるからには、当然ながら僕が学位を持っているのはあたりまえと思ったエンツ先生は、既にジュネーブ大学の中で話を通してあるから後は身ひとつで九月にジュネーブにきてくれるだけでいいとまで書き添えて下さったのだ。九月といえばあと二ヶ月しかない!しかも、しかもだ。僕はまだ博士号をもらってはいなかった!
 思いあまった僕は、すぐにその手紙を高林武彦先生に見ていただいた。ジュネーブ大学といえば、ステュッケルベルク以外にもヤウホなど世界的な数理物理学の権威がいるところ。随分といいところから話がありましたね。こんなチャンスは望んでも得られません。目を細めながらそう伝えてくれた先生は、日頃から大学に出てくることが少なかったにもかかわらず、毎日のように大学院の事務室に顔を出しながら各方面に働きかけて下さった。そのおかげで、たったの二ヶ月で博士号申請から公聴会に至る複雑怪奇な審査委員会を全て終わらせることができ、ジュネーブに到着したときにはできたてホヤホヤの理学博士となっていたのだ。まさに、前代未聞のこと。

なんてラッキーな御仁だ!

私もアメリカの大学院に応募する前には、助手の職に応募した。なぜなら、私は学位こそ持っていなかったが、一応は大学院卒で、企業勤務経験もちょっとばかりあり、普通の大卒とは違うと考えたからだ。しかしながら、そこで問題になったのが、保江博士と同様に、博士号取得者かどうかだった。

すぐさまアメリカから届いた返事は、
当大学の助手のポストはPh. D.取得者用のものだから、あなたの場合は正規に大学院に応募しなさい
というものだった。

ましてや、卒業するから、大学のほうで何とかできるように指導教官が手を打ってくれるどころか、私の場合は、論文も出していない出来の悪い大学院生の烙印を押されてしまっていたから、論文がないんだから無理の一言でキックアウトされたのだった。

その後、アメリカに渡って、なんとか最後のドクター論文にまで辿り着いた1988年頃。私はそれから丸1年かけて当時ユタ大学に出回りはじめていたMacIIのワードを使って論文書きを行ったのである。日本ではまだタイプライター主流の時代、すでに全米ではMacの時代に入っていて、まだあまりパソコンに慣れていなかった私は四苦八苦しながらマイクロソフトワードを使い始めたのだった。

いまではみなさんはマッキントッシュとマイクロソフトは全く別の仲の悪いライバル企業だと思っているだろうが、そもそもソフトメーカーであったマイクロソフトはジョブズとウォズニアックが発明したPCであるマッキントッシュのためのワードやゲームを売る零細企業として始まったのだ。だから、図書館に行けば、そういうソフトの入ったディスクを借りてインストールしては使うという繰り返しだったのである。

いまのマイクロソフトになり始めたのは、IBMがユニックス系のパソコンやブック型のPCを売出して、そのためのOSソフトが必要となったからである。この時期から、マイクロソフトはどんどんIBM系列の方に離れていって、それと同時にマッキントッシュの売上が落ちていったのである。そして、ついにジョブズがマッキントッシュを解任されたのだった。

そんな時代の名機であったMacII。これをアメリカの大学教授たちは皆ほしがった。ユタの物理では、サザーランド教授の研究室に隣の部屋だった甲元真人先生との共同として1台があったのである。

さすがに先生たちの作業機を奪うことが出来ないから、私はずっと先にある生物学部の図書室に備えられていた生物学者用のMacIIを使わせてもらったのである。本当に生物学部PC部門の管理人だった先生(名前を忘れたが)には感謝である。結構お金のかかったペーパー代金もぜんぶ「お前はドクター論文書いているんだろ。だから心配しなくていいよ」と言ってくれたのだ。当時も(たぶん今も)ユタ大の先生たちは非常に親切な人が多い(はず)。

さて、また保江博士の話に戻そう。
 だが、こんな大学始まって以来の特例処置が可能だったのは、むろん恩師高林武彦先生のご厚情があったからなのだが、それに加えて博士課程に編入されてから二年間で八篇の論文が欧米の専門誌に正式に受理されていたという異例の実績も大いに考慮されたと聞く。もしそうであるなら、この僕はやはり木村達雄さんに感謝しなければならない。木村さんに出会い、あの屈託のない笑顔でどこまでも真理探求の世界に引き込んでもらったからこそ、大学入試、学部入学、大学院進学、大学院編入のときに四度までも吹いてくれた神風が、果てることなく今回もまたダメな僕を吹き飛ばしてくれたのだから。
 はるか遠いアルプスの麓までも。。。。
 やはり、合気の達人木村達雄は、既に三十年前の当時から合気の化身となっていたに違いない。本人や僕がまるで気がつかないうちに。

保江博士は、見事にたったの二ヶ月でディフェンスまで行き着いて、無事博士号を得た。それも博士号を得る前にはアルプスの麓のジュネーブ大学の助手の職まで得ていたのである。それを
僕には神風が吹いた
と表現した。

さて、また保江博士に話を戻そう。なんとこの後の保江先生がなぜポストを得たかというその理由がまさに神業であった。
 こうしてジュネーブに流れ着いてわかったことは、僕が採用されたのは完全なる運命のいたずらか神様の思し召しかのどちらかであって、決して研究業績が認められてのことではなかったということ。その年に助手として応募してきた数十名の中から正式採用されていたのは、スイス連邦工科大学を出た優秀なスイス人物理学者だったのだ。ところが、既に学内での選考審査も終わり他の応募者にお断りの連絡をした上で、大学当局に受け入れの手紙を指示した直後、そのスイス人の気が変わりアメリカの大学からの誘いを受けることにしたのだそうだ。
 その時点でエンツ教授が大学当局に伺いを立てたところ、一両日中に代替えの採用予定者を用意すればかまわないが、そうできなければこの助手のポジションは今後しばらく使用できなくなる可能性が大とか。エンツ教授が大慌てしていたそのとき、見知らぬ日本人からの職を求めるエアメールが机の上に届いていた。。。。普通ならあり得ないようなことが続いた結果だったのだ、突然に助手として採用する由の国際電報がまいこんできたのは。スイスから遠くはなれていたところにいた僕は、ちょうどそんなドタバタ劇が演じられていることも知らず、木村達雄さんの指導を受けながら一度はあきらめていた合気道への道を歩みだしていたのだ。
 とても、偶然とは思えない。少なくとも、この僕自身には。
 少し後ろめたかったのか、エンツ教授も遠慮がちに接してくれ、ほとんど何も雑用しないで好きな研究に打ち込ませてもらえた。助手の契約は一年間だが、更新していけば僕のような外国人の場合は最大五年まで雇ってもらえるとのことだったので、最初は随分のんびりと暮らし日本人の垢をとことん洗い落とすことができたと思う。初めての就職先としては、学問的にも経済的にもすこぶる恵まれていたのだ。そのおかげで、ジュネーブ市内の小学生を夕方から借りてスイス人が指導していた合気道の道場にも顔を出す余裕もでき、大学以外での知り合いも徐々に増えていく。

(以下、合気道の話になるので省略。)

今思えば、私にもアメリカでポスドクを得るチャンスがたったの一回だけどあった。1990年のはじめにアメリカ東部の名門のペンシルベニア大学からポール・スタインハート教授が準結晶の話をしにはるばるやってきたのだった。ちょうどその頃、私は私のドクター論文をほぼ1年かけて書き終わりつつあった。だから、講演の後で手渡せるように準備して、講演後に名前を名乗って、「いまこんな論文で博士号を取得したんですが、私はあなたのポスドクになりたいんです」と手渡したのである。すると、私の論文を見て、
「君はビルの弟子?よろしい。OKだよ。ただし、今一人、そのポストに来ると言って来ない予定になっていた研究者の日本人がいる。たぶん、そいつは来ないだろう。もし彼が来なければ、君に連絡するよ。」
そういって、我々は満面の笑みで別れたのだった。

ところが、後でメールが届いた。
大変残念だったが、来ないと言っていた日本人が来ることになってしまったんだ。だから君に与えるはずのポスドクのポストはなくなった。あしからず。
そいつが、東大の堂寺知成博士だった。その当時はこのことは誰にもいわなかったが、こいつの顔だけは見たくなかった。本当に迷惑千万のやつだった。スマップの香取そっくりだったなあ。だから、俺は香取慎吾が大嫌い。早く死んで欲しい。

というわけで、私の疑問の答えは、どうやらこんなところではなかろうか?
合気道をすると、知能が高まる(らしい)。
さらに、合気道をすると幸運までもが付いてくる。
ゆえに、若者よ、合気道をしろ。サッカーはだめだヨ。


それにしても、俺もこれほどついていなかったにもかかわらず、よくぞここまでやってきたもんだとは思う。まあ、パーソナリティーの差、心がけの差、といえばそれまでかもしれないが。

どうだい、つくずく、私と保江博士が裏腹な人生だと感じないか?これはあらゆることがちょうど、地と文字、陰陽、白と黒の関係のように、互いに裏腹になっているから、驚くべきことだと思ったというわけですナ。

その後の話はまた別の本を読みきったらメモすることにしよう。


おまけ:
ここで私と保江博士のテーマである「ブラウン運動の量子力学」に関して誤解があるかもしれないからコメントしておくと、お互いに若かりし日の保江博士と私は「ブラウン運動」に関心を持った。しかし、両者はまったく同じことではなかったのである。これまた裏腹だったのである。保江先生はネルソン流の量子力学の「量子力学を古典粒子のブラウン運動とみる」という立場のものである。これに対して言葉が非常似ていて普通の学者にも普通の人にも分からないかもしれないが、私が大学4年次に関心をもった「ブラウン運動の量子力学」というのは、古典力学のブラウン粒子をそのまま量子に変えたらどうなるかというものである。つまり、古典ブラウン粒子と量子力学の等価性を論じるのが保江博士のテーマとすれば、私のテーマは、系の中を動き回る量子そのものがランダムに動く系、つまり、いまで言うところのランダム媒質中の電子の問題だったのである。これは、かなり前にアンダーソン局在の理論となり、当時すでにアンダーソン博士がノーベル賞をとっていた。



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  by Kikidoblog | 2015-01-30 18:13 | 保江邦夫博士

個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?3

ヒトの双対性

保江邦夫博士「ヒトを見たら神様と思え」
井口和基博士「ヒトを見たらヒトモドキと思え」

保江邦夫博士の秘技「ハトホルの神降ろし」
井口和基博士の秘技「奥さんの髪下ろし」

保江邦夫博士の格言「明日できることは今日するな」
井口和基博士の格言「明日死ぬと思って今日生きろ」

保江邦夫博士「物事はいい加減ほどいい」
井口和基博士「物事は徹底的ほどいい」

保江邦夫博士「周りは変わらずとも自分が変わる」
井口和基博士「自分は変わらずとも周りが変わる」


みなさん、こんにちは。

今回は私の個人メモである。普通の人にはどうでもいいことだろうから、無視無視。スルーして欲しい。



いや〜〜、それにしても私、井口和基
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と同じ理論物理学者であり、数理物理学者である保江邦夫博士
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は面白い。何が面白いかといえば、何から何まで私と「裏腹」「相反的」「双対的」だからである。

最近なぜ私が保江邦夫博士の全著作に目を通そうかと考えるようになったかというと、それは、前に
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?2
でメモしたように、私と保江邦夫博士というのは何から何まで逆、裏腹のように見えるからなのである。

その意味で、比較すればするほど絶妙にその裏腹関係が面白いから、いったいどこまでそれが通じるのか、どこかに例外が出てきて、両者が一致する場面があるのか、というようなことを探すためなのである。

さて、そんな我らが天才数理物理学者の保江邦夫博士、この偉大なる博士に関して、私が同じ数理物理学者理論物理学者として、どうしてもわからないことがある。どうしても理解できないことがある。

何か?

というと、保江邦夫博士は
ほとんど本も論文も読まないのに、非常に優れた研究論文を矢継ぎ早に出した!
ということなのである。まさに謎めいている。

前回のメモにもメモしたように、私は図書館で手に入った保江先生の一般本を全部目を通そうと必死で読んでいる。がしかし、かの保江博士というお方はこれまで一度もそういうことがないらしい、ということをそれらの本から知ったのである。

例えば、
「読気開眼」:この寒い冬は保江先生の本を並列読書で乗り切る!?
でメモした、以下のような本である。
合気開眼―ある隠遁者の教え
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(合気道の植芝盛平の合気道をまだ道半ばだと言える人はなかなかいない。)

量子の道草―方程式のある風景
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(昔に数セミに出た記事を集めたこの本はとても素晴らしいゾ!)

下の「量子の道草」の最終章「6.数学的補講」の最初のセクションにはこうあった。ここが一番価値ある面白いところ、そしてもっとも重要なところだと私は思う。
1.僕の本棚は空っぽだ

僕の本棚をみる限り読んだ本は少ない。読みたいなと思って買うには買ったが、そのまま10年以上放ってある本がほとんどだ。昔から本を読むのは苦手だ。大学では天文学科に進んだため、教科書のない講義が普通だった。教授たちは自分のノートに沿って黒板を密に埋めていく。おかげでますます本を読まなくなった。結局、読もうと努力した本は卒業までにたった一冊だけだった。萩原雄祐「天体力学」(河出書房)という古い本をたまたま図書館でみつけた。概周期関数から始まるこの本の導入部は僕にとってはまるで初めてみる宝石箱のようだった。そこらに見られる位相数学を基本とした力学の展開は、僕にとってはあまりにも衝撃的だった。これこそ学問だと思った僕は、いつかこのような本を書きたいと考えるようになった
で始まる。つまり、保江先生が若かりし頃に東北大学の天文学科に居られた時のことである。だから、この時期に、保江先生は天体力学のたったの一冊しか読んでいなかったというのだ。あとは、当時の東北大学の素晴らしい数学者の講義ノートだけだったと。

そして、その次にこうあった。
 そのため、大学院では数理物理学をやろうと思い物理学科に転向したのだが、気持ちだけが先走って中身がついてこない。といって、位相数学や力学系の理論を初歩から勉強するほど真面目ではなかったし、こつこつファインマンダイヤグラムを計算する普通の理論物理学をやる気もなかった。同級生は皆修士論文のテーマをみつけて着実に進んでいるように見えた。
 くじけかかった僕は少しの間岡山に帰ってぼんやりと過ごしていた。そんなとき、ふと入った岡山の文左衛門さんの本屋の棚に薄い洋書を見つけた。黄色い表紙にタイプ印刷の粗末な本は確か970円だった。これが僕とE. ネルソン"Dynamical Theories of Brownian Motion(Prinston University Press)"
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との出会いだ。何気なく手にとって開いてみると、中には一応位相数学らしきものもあればヒルベルト空間のようなものもあり、それに力学系や量子力学の話もある。それになんといったって薄くて安い。手ぶらで岡山に戻っていった僕は、軽い気持ちでこの本を買った。
ちなみに、この時のこの本は、その後2000年頃に東大の学者さんたちが輪講か何かで読みながら、テキスト化し、再販されたらしい。それが以下のもの。ただで読めるよ。私も全部コピーしてやっと念願のこの本をなんと35年ぶりに手に入れることができた。
Dynamical Theories of Brownian Motion


それから保江博士が昔を振り返って正直に言う。
 正直に言おう。僕が真面目に読んだのはこの本だけだ。関数解析も作用素半群も、そして偏微分方程式や確率論、さらには量子力学から観測問題まで、すべてはこの本の内容を通して身につけた。何度も読み返しているうちに、英語表現まで真似するようになっていた。測度論のハルモスにいわせれば、著者ネルソンは古き良き時代の東海岸を彷彿させる英語を使い、もっとも簡潔で美しい数学の論文を書く人だ。確かに、その後本屋で偶然みつけた"Topics in Dynamics I: Flows"
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や"Tensor Analysis"
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(どちらもPrinceton University Press)も芸術作品のように映った。

この本との出会い、これが保江先生の人生を決めたのである。
本との出会いが人の人生を決める
なんとロマンチックなことか。

私も正直に言おう。実は、私は誰の本を読んでも一度もそういう経験がない。本で感動したことがないのである。私が大学で一番最初に読んだ英語の本はディラックの
"The Principles of QUANTUM MECHANICS"
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であった。しかしながら、私には保江博士のように、これは宝石箱のようだとか、感動したとか、そういった感動はおろかなんの感銘も受けなかった。むしろ、何度読んでもそこに書かれたこと以上のことを察するということはなかった。これはおそらくサッカーのヘディングであまりに頭を強打してきたことから来ているのかもしれない。が、いまもってこれはそうで、面白い、素晴らしい、優れているとか、そういうことはわかるが、本で感動するということはなかった。

ところが、昨年の夏のブラジルワールドカップで日本の初戦のコートジボワール戦を見に行き、
2014ブラジルW杯
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前半日本が1−0で折り返した時のハーフタイム、不思議なことにこれまで一度も涙を見せたことがない私の両目からじわ〜〜〜と涙であふれたのである。
これまで生きていてよかった。
ここに来られてよかった。
ついに日本もここにこれたんだな。
もちろん、こういう言葉はあとから今つけたものだろうが、こういう気持ちで感動の涙という言葉では表せない何かのために目が潤んだのだった。

そして後半が始まり、ドログバが出場、そしてあのヘッドで同点、目が覚めた、かのように、私の涙も止まって、さらなる応援をしたのであった。

おそらく、その時に私は本当は
俺はあそこに立ちたかった。
ということだったのだろうと思う。やはり、本来ならサッカー選手としてあの場、W杯のピッチに立ちたかった。そうした単純な気持ちから涙が出たのだろう。

私の場合には、残念ながらこういうことしか感動というものを感じたことがない。私が感動するのはこういうものだ。
pele over head kick escape to victory


話を保江先生に戻すと、その後の保江先生の行動が大事である。
 是非ともこの人の論文を読んでみたいと思った僕は、図書館に行かずに数理解析研究所の荒木不二洋先生の研究室を目指した。数理物理学の論文の宝庫でもあるからだ。ご多忙な先生のお邪魔にならない時間に、世界中から集った論文が詰まったキャビネットのイニシャルNのところを開けていただいた。すると出るわ出るわ、僕にとっての大判小判、ネルソンの書いた論文の数々だ。出世作"Analytic Vector"から最新の"Markov Field"まで。少しずつ貸していただいて、その論文を読んでいた頃が懐かしい。多分一番幸せそうな顔をしていたにちがいない。

普通はこういうことをしない。普通の大学院生は、同じような場合に必ず図書館に行く。それでだめなら、しょうがなく専門家のところへ行こうとするはずである。私もそうだった。

しかし、

保江博士はそうでなかった!!!

ここが大事な行動原理なのである。

保江博士のどの本を読んでもそうだったのだが、保江先生は、一番最初に最もその分野のボスやトップや本質を知っているはずの人物のところへ出向くのである。合気道なら合気道の達人に弟子入りする。天文学なら天文学の第一人者から学ぶ。出来なければ場所を変える。この行動原理こそ、保江博士を保江博士にしたものであると思う。また、他の素晴らしい業績を遺された多くの方々に共通の行動原理である。
若者よ、かならずその分野の第一人者から学べ!

実は、ビジネスでもそうなのだ。これは、かつてバックミンスター・フラーが、自分が成功した秘訣として語っていたことだが、
かならず会社なら社長、プロジェクトならプロジェクトリーダー、政治家ならトップの政治家とはなしをつけろ
こういっていた。

同じことは、「成功哲学」のディール・カーネギーも言っていた。米カーネギーホールやカーネギーメロン大学を作った大富豪のカーネギーである。

ところが、普通の人は、必ず最初に受付から入る。会社の受付。役所の受付。大学の受付。こういう場所から行く。すると、こうなる。
当社ではそういうことは承っていません。
当役所ではそういうことは承っていません。
当大学ではそういうことはちょっと〜〜。
ということになって、結局自分の目的は果たせない。それは人類にとってどんなに素晴らしいことであってもそれを理解できない人物に会って拒絶されてそれで終わり。

だから、無理を言っても会社の社長と会え、会社で会わせてくれなければ、その社長の自宅や行きつけの場所で会え、そして直に一対一で話す。これが秘訣だとフラーは言ったのである。

もしそのトップが「あいつは特別だ」と言ってくれたら、すべてが動く。

私は保江博士がどこでこの行動原理を知ったのか知らないが、保江先生のすべてにおいて流れる基調となる行動原理がこれであると思う。これが真髄である。
若者よ、決して遠慮するな!次世代はあなた方の時代なのだから!

さて、再び保江博士の本の話に戻そう。その後はこう続く。
 結局、僕はネルソンの本と論文だけで育った。修士も博士も、最初に出会った"Dynamical Theories of Brownian Motion"の内容を基にして、無事いただくことができたし、外国にいたときもこの同じテーマで院生に博士をとらせた。
 しかし、確率過程に変分学の考えを持ち込んで確率変分学なるものをでっち上げたときは、急に不安で一杯になった。はたしてネルソンの本と論文だけで育った僕の考えが通用するのだろうか。そんなとき、確率論の大家、ストラスブールのメイヤーとパリのマリアヴァンが褒めてくれている由を聞いた。そしてネルソンが"Dynamical Theories of Brownian Motion"の続編・完結編として1985年に出版した本"Quantum Fluctuations"(Princeton university Press)
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の中に僕の名前をみつけることができた。「なんとかなった」、と胸をなで下ろした僕は初めてネルソンの本に出会った岡山の田舎に戻った。
 こんな数学勉強法もある。やはり、「数学も自由だ」、と思う。

(以下合気道の話に入ったので省略。)


非常に前置きが長くなったが、一番最初に書いた私の疑問とは、このように、保江博士はほとんど本を読んでこなかったにもかかわらず、どうして「数理物理学方法序説」(全9巻)とか、"It Appears!"にあるような優れた論文を書くことが出来たのだろうか?という疑問である。

なぜなら、普通ではあり得ないからである。

特に、最初の本の「合気開眼」で初めて知ったが、では、保江博士はネルソンの本と論文で育ったのはいいが、必死しゃにむに勉強したり研究室にこもって徹夜して論文を書いたのかというと、そうではなかった。そこにはこうあった。合気開眼の50ページ後半から51ページ前半。
 合宿稽古では東京の本部道場の山口清吾師範が指導して下さり、力みのない飄々とした動きで難しい投げ技を素早く放っていく様に大いに感動していた。そんなわけだから、段々と部員の数も増えていき、活発な稽古が和気藹々とした雰囲気で続けられていった。東北大学のように長い歴史を誇る合気道部では、上級生と下級生の間に受け継がれてきた重い伝統や秩序を必死で維持する流れが生まれていたため、そこでの稽古では笑顔などとは無縁。まるで、しかめ面に終始しなければ強くなれないとでもいうかのようにだったのだが、毎回の稽古を指導してくれた木村達雄さんの底抜けに明るい人柄のおかげで名古屋での稽古は本当に楽しかった。おまけに、明晰な頭脳で考え抜いた合理的な技法で裏打ちされていた技だけを基本から丁寧に教えてもらったおかげで、僕自身も驚くほどに合気道の腕も上達していったのだ。
 それに合わせるかのように、博士課程に転入させてもらった高林武彦先生の下でも自由に好きな研究に邁進でき、気がつくとたったの二年間で八篇もの論文を欧米の数理物理学専門誌に掲載してもらえることになっていた。自分でいうのもおこがましいが、この頃の僕は生まれて初めて周囲から文武両道に秀でた逸材というレッテルを貼られるまでに成長できたのだ。全ては、既にこの頃から合気の化身となっていた木村達雄との出会いのたまもの。

つまり、保江博士は、日々合気道を相当にこなしながら、しかも京都大学大学院から名古屋大学に移ってからのたったの2年で8つの優れた歴史的論文を出したのだ。それも大学院生としてしかも自分ひとりの力でだ。

まさに文字通りの「文武両道」である。

世の高校の先生たちよ、これが文武両道の本来の意味であるぞよ。けっして高校に体育と進学があることを文武両道と呼んではならない。それは文武分離の文武分道である。

私が疑問に思ったことがこれなのである。私個人の経験でも、私が周りを見渡してもこういうことができた大学院生は日本ではお目にかかったことがない。非常に例外的なのである。

しかも、その8つの内の後半のいくつかの論文は、かのノーベル化学賞を受けたラルス・オンサーガーのゆらぎの理論の明快なる導出法、および、その拡張であったのだ。
ちょっと前まで専門書1冊読んだだけの、たかが院生が、たったの2年で8つの著名な論文?
と普通なら考えることなのである。だから、私は本当に疑問に思ったわけである。
いったいこの2年で保江博士に何が起こったのか?

ここがどうも本を読んだだけでは分からないことなのである。つまり、このあたりからすでに保江博士の「奇跡」が始まっていたのではないか?と私は考えているわけである。

その後、保江博士にはさらなる幸運が訪れる。それがスイスのジュネーブにポスドクになるまでの話である。奇跡の連続だ。

長くなったので、一旦ここで終わりにして続くにしよう。

(つづく)


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  by Kikidoblog | 2015-01-30 13:19 | 保江邦夫博士

ジョーク「日本は本当に素晴らしい国ですね」:韓国人もびっくり「ISIS遊び」!

在日韓国人捕虜を喜ぶ金正恩と側近
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金正恩「あはは、知ってるか?右の奴はペニス切っちゃってないらしいぞ。」
側近「は〜〜?じゃ、奴は女なんでしょうか?」
金正恩「あはは、左のやつは風俗売春の女衒やってたヤクザらしいぞ。」
側近「じゃあ〜、さすがに白丁の子孫。自業自得か天罰ですな。」
金正恩「真ん中の奴、あいつはイギリス人なんだぞ。」
側近「はあ〜〜、暇な奴も居るもんですな。ははは。」


みなさん、こんにちは。

笑いは百薬の長。
笑う門には福来る。
あまりの恐怖で笑う他はない。
笑いは本物に限る。
偽笑いは吉本におまかせ。

以下は大人の辛ジョークである。決して信じないでくださいヨ。本気にしないことが肝心。

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鮮人とは関わるな!

わざわざ地球の裏側のISISまで出向いて相手の思う壺となった在日韓国人の2人のために、それがいまでは日本全国の若者たちの精神状態までおかしくしてしまったのか?

まさに鮮人は元凶である。

いま高校生の間でこんな「遊び」が流行中だとか。
ISIS遊び
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スレ主韓国人

現在、日本で流行してる遊びだそうです。
すごい…到底理解したくても理解できない…
私がオーバーで敏感に反応してるのですかね?

何処かの韓国人1

>>スレ主
あなたが理解出来れば、それは放射能猿になります。(これを理解出来る人は居ません(泣)ひょっとしてイルベなら可能かも(泣))

何処かの韓国人2

日本人は嫌いだけど、韓国の高校生も似ている。
どこへ行っても狂人が多くて…中高校生には多いです。

何処かの韓国人3

あの人達は市民意識が本当に低いですね。
いくらイルベが虫けらと言っても、一人ぐらいはああしてふざけたアホが居るんですけど、あそこは凄い群れを成して、クソが…
何度見ても日本は自浄作用と言うのが殆ど麻痺した社会に等しい。

(以下省略)

ちなみに、韓国では、日本人の異常行動の原因は福島第一原発崩壊による放射能のせいだということになっている。


いやはや世も末ですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-01-30 08:16 | ジョーク一発

ウジテレビ在日記者現地でやらかす:世界に大迷惑!

みなさん、こんにちは。

鮮人とは関わるな!

これが「韓の法則」発動である。

【緊急】 イスラム国の取材に行ったフジテレビの記者が死亡・・・・・(画像あり)
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あ〜〜あ、やらかしたナア。

世界に大迷惑のウジテレビ。

これが朝鮮人特有の「斜め上目線」「味方を撃つ」という気質。

まあ、この女性もまた在日韓国人だろうが、普段は同胞同志で喧嘩ばかり、縄張り争いばかりしているのに、こういう時だけ異常に同胞意識が出て、いてもたってもいられなくなるらしい。一種の「火病」である。

それがまた周りの大迷惑になる。

まあ、遺伝子の問題、脳の問題だからどうしようもないんですナ。

いずれにせよ、在日韓国人、在日北朝鮮人が、第三次世界大戦を引き起こすトリガーとなる。
どうやらこれはNWOによってだいぶ前から決定済みのことらしい。


いやはや、世も末ですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-01-30 08:01 | ISIS・ISIL・イスラム国

新たなる「東大廃止論」の時代か!?:ISIS参加者に東大出身者のインテリが目白押し!?

みなさん、こんにちは。

いやはや、我々普通の一般人には、ISISのことは謎だらけ。ISISはイスラエル諜報機関の略だから、そりゃ〜〜まずいとクレームが来て、ISILと日本政府は変えたとか。

アルカイーダを作ったのが、米国
アフガニスタンにおける女性の権利
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アメリカ大統領ロナルド・レーガンは、ホワイト・ハウスで祝宴を開き、ムジャヒディン“自由の戦士”に敬意を表した。あらゆるタリバン職員がアメリカ政府に雇われていた時代である1999年に至るまでずっと、国務省はタリバンと友好的な関係を維持し続けていた。過去に女性に対する野蛮な家父長的支配を押しつけ、サウジアラビアでは現在も押しつけ続けている、熱狂的な信者連中と、ワシントンは同盟しているにもかかわらず、アメリカのマスコミは、アフガニスタン女性の解放はアメリカ合州国に任せることができるという矛盾した発想を宣伝している。
CIA
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(ちゃんとCIAって出ているヨ。)
であり、ブレジンスキー直々に出向いたのだった。
ムジャヒディン」という武装民兵勢力を作り出したのが、ズビグニュー・ブレジンスキー博士
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(左がブレジンスキー、右がビンラディン)

「メーデー」、その前夜祭の英王室の結婚式:ビンラディン殺害は「バール神への生け贄」なのか!?

我々が知るビンラディンとは別人であることに注意。↓

国際テロ組織アルカイダの首領ウサマ・ビンラディン
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これと同じように、今現在のISISイスラム国を作ったのはイスラエルのモサドである。わかりやすいものがあったので、これをメモしておこう。以下のものである。
イスラム国トップのバグダディはモサドエージェント(本名サイモンエリオット)説

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まあ、我々真実究明士や陰謀暴露論者たちの間ではすでに周知の事実。実によく知られたことである。つまり、「NWOイルミナティー劇場」。

連中は誰も死んでいないし、すべては出来上がったシナリオどおりに動いているだけ。殺されるのは何も知らない一般人や、何も知らずに利用された過激派の馬鹿な連中だけ。


さて、そんなNWOの戦略に自ら乗る、自ら「飛んで火に入る夏の虫」になろうとするのが、朝鮮脳放射脳の在日南北朝鮮人である西早稲田の住人。

それと、東大やら同志社やら北海道大学やらにいるインテリ学生や学者さん。

オウム真理教の信者のほとんどが大学のインテリ層だったことを思わせる。

そんなことがいよいよ暴露されてきたようですナ。なあ〜〜、俺の言った通りだっただろ!
反日日本人がISISの協力者になっている可能性が指摘される!在日朝鮮、韓国系の反原発、左翼団体、福島瑞穂も関与か?



というわけで、東京大学はもはや国際テロ組織のメンバーの養成所になったようですナ。東大廃止論を唱えているのは私だけだったが、いまではあながち嘘ではないということが誰の目にもわかってきたのではなかろうか?

いったい誰なんだろうな?馬鹿に学歴つける馬鹿は?

馬鹿につける薬はない、

はずなのだが、馬鹿に東大で変な学識をつけてしまう。

もっとも、警察庁の科学捜査官ですら、ISIS画像がホンモノだと言うわけですからナア。まあ、それも当然。なぜなら、今警察庁のトップ
金高雅仁長官
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とナンバー2は共に在日系ですからナア。

どういうわけか、その1人は安部首相の奥さんの実家のグリコ事件で有名になったあの「キツネ目男」とそっくりなんだヨナア。
グリコ森永事件「キツネ目男」
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警察庁No.2塩川実喜夫
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まあ、自分で調べてみよ。

そんなこんなで、もう警察そのものが朝鮮人に支配されちゃったんだよナア。というわけで、いつか警察と自衛隊が内戦するだろうと見ているわけである。マジ〜〜というわけだ。

いやはや、世も末ですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-01-29 14:36 | 反日・在日の陰謀

「夜のボランチ」遠藤保仁選手:「夜のベッドの中盤は俺に任せろ!」夜の出場記録保持者!

みなさん、こんにちは。

いやはや、とうとう創価学会が遠藤保仁選手の切り捨てを始めたようですナ。さすがに、遠藤では創価ジャパンは連戦連敗。ロシアワールドカップ出場も危うい。そうなれば、電通と組んでいる創価の広告収入も減る。

まあ、遅すぎだヨ。

いまだに遠藤、遠藤なんていっているのは、サッカーをしたことがないトウシロウだけ。中高生大学生はもはや遠藤保仁なんぞは馬鹿にしきっている。

お前がいるから若者が出れないってナ。

私は遠藤保仁
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(お前はサッカーより女の方が好きなんだろ?)
がまだ少年の頃、トルシエのワールドユースで補欠だった頃から遠藤保仁を見てきている。当時は、天才
小野伸二
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の影に隠れ、補欠にすぎなかった。幸いというか、運命というか、静岡出身の天才小野伸二が膝の怪我で思わしくなくなり、老化が激しくなったから、その代わりに遠藤保仁が重宝されたのである。

正確に言えば、小野伸二には創造性があったが、遠藤保仁には創造性がない。この1点に尽きる。もしこれを知りたかったら、日本代表に小野伸二を呼んで遠藤保仁と入れ替えてみたら解る。

今の日本代表は、関西代表、西日本代表でしかない。朝鮮語化した大阪弁が公用語である。野球の巨人軍と同じだ。

サッカーは関東のスポーツである。ねちねちした西日本サッカーが世界に通用するはずがね〜〜。一撃必殺、堅守速攻の風林火山サッカーこそ、我が国日本のサッカーに相応しいのである。

変な間を作るからスピーディーでなくなり、バックパスだらけの老人サッカーになる。それが、遠藤保仁のサッカーである。

とまあ、前置きが長くなったが、この遠藤、あっちの面、じゃなかった、エッチの面でも老獪であったらしい。以下のものである。
G大阪・遠藤保仁 「五輪美女密会」だけじゃない意外な夜遊び素顔

アギーレ監督の八百長騒動の裏で昨年末に不倫疑惑が発覚していたサッカー日本代表の遠藤保仁(34)=ガンバ大阪=。
実は番記者たちが「やっと漏れたか」と口をそろえるほど、素顔は肉食系だそうで‥‥。

08年北京五輪のシンクロ日本代表で、現在はモデルでタレントの
青木愛(29)
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(ボランチ好みですナ。)
と遠藤の“深夜5時間密会”を写真付きで報じたのは
女性セブン1月8・15日合併号。
記事によれば、2人は12月中旬、都内の有名もつ鍋店VIPルームでタレントの武井壮らと総勢8人で会食。
深夜0時過ぎに店の前で解散したが、2人は再び店内に消え、そのまま早朝5時まで「延長戦密会」を楽しんだというのだ。
スポーツ紙デスクが話す。

「遠藤は34歳になっても日本代表に招集される実力だけでなく、イクメンぶりでも女性ファンに人気です。
高校時代に初めて交際した同級生と結婚。家事や育児を手伝う2男2女のよきパパですが、
本人が常々『(私生活でもサッカーでも)オンオフの切り替えが大切』と言っているのを実践するように、
素顔は『酒と女と競馬好き』。今回の遊びっぷりも発覚するのが遅すぎたぐらい(笑)」

昨年11月には、美熟女グラドルの
橋本マナミ(30)
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(うわ〜〜、朝鮮顔じゃね〜〜か)
も、遠藤の「果敢な猛攻ぶり」を示唆した。 →試合じゃすこしも突っ込まないのにナ。突っ込む場所間違えんなヨ、遠藤。
バラエティ番組「しゃべくり007」(日本テレビ系)で「有名人に口説かれた」過去をイニシャルトークしたのだが、ガンバ担当記者が話す。

「橋本は番組で口説いてきた相手を『S』の選手でチーム名は『G』、ポジションを『MF』と話したんですが、
『サッカー、ガンバ、中盤』で遠藤とドンピシャ。しかも、口説き文句が『ホテルの部屋を取ってるから』とも明かした。
これはいかにも遠藤が言いそうなセリフですよ。実際、遠藤は関東遠征の際は、
必ずと言っていいほど個人的に予約した東京都心のシティホテルの部屋で羽を伸ばす。
何でも密会する相手は人妻以外が対象で、素性の確かなアイドル系から業界関係者まで幅広いという噂ですよ」

通常ガンバの選手は、アウエー戦の時は当日中に帰阪し翌日軽く練習、翌々日がオフになるという。ガンバ担当記者が続ける。

「ところが遠藤は関東圏での試合だとデーゲームでも帰宅しないから『東京妻がいるんじゃないか?』なんて話まで流れたこともありました。
一度、本人に『東京、好きですね』と聞くと『こっち(大阪)は目立つし‥‥』と返してきました。
最近は駐車場から直接入れる飲食店の情報を、友人でホリプロに所属する浦和レッズの
槙野智章
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(槙野、もろ朝鮮顔だナア。)
から仕入れているらしい」
そんな「東京満喫スタイル」は、日本代表戦や他の仕事でも昔から一貫していたとか。民放スポーツ局デスクが話す。

「代表戦が夜に終わっても基本的に妻帯者の選手は地元に帰宅しますが、
遠藤は横浜や埼玉が試合会場でもまず都内で一泊。対談などでテレビ出演する際も地方チームの選手は地元系列局での収録を希望することが多いんですが、
遠藤は前日から上京してくれることもある。
バラエティ番組のロケでも収録後に一泊し、こちらでホテルを用意することもたびたびです」

遠藤はサッカー界では、「かつてのカズや武田修宏の系譜を継承した貴重な夜の遊び人タイプ」だと、このデスクは強調する。

「それでいて10年のW杯南アフリカ大会には、夫人と長男を呼んでいるように、家庭は円満。
この時の4試合で走行距離がいちばん長かったのは遠藤で、当時の岡田武史監督には『うちの心臓』と評価された。そのスタミナは今も健在ですよ」

この際、チーム内のまとめ役は長谷部誠に任せ、何かと“チキン(臆病者)”とヤユされる
次世代エース候補の香川真司や柿谷曜一朗あたりを「夜の兄貴分」として、精神面から鍛え直してもらってはどうか。 →やめとけ、病気が伝染るだけだゾ!

http://www.asagei.com/31496
Posted on 2015年1月27日 9:56 AM

http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1422224970/


いやはや、やっぱりなというのが俺の感想。

というのは、サッカーには不思議な法則があるからなのだ。

バーやポストに当たったボールがその後はじかれて外にでるか中に入ってネットを揺らすか、その差がなんで決まっているかというと、実は日頃の心がけによって決まる。これがサッカーの鉄則なのである。


つまり、
日頃の心がけの良いチームが勝利する
日頃の心がけの悪いチームは敗退する
のである。

ゴールに入るかどうかは紙一重。その紙一重を左右するのは、保江博士の愛魂の精神ではないが、それに似て、日頃の行いや、日頃の心がけがその紙一重に作用するのである。

これを簡単に「サッカーの神様を味方につける」と表現する。

遠藤のように、オフとオンを切り替えるために、奥さんほったらかしておいて、遠征先で適当に女を呼んでエッチに励む(俺もそんな身分になりたいが)、これじゃ〜〜、サッカーの神様が怒る。

その結果、
遠藤が中田ヒデや小野伸二とやっていた頃の日本代表は世界ランク15位だったものが、中田が去り、小野が去ったら、世界ランク45位。本田が入ったら、世界ランク48位から54位。そして、今度八百長監督のアギーレが来たらもう世界ランク80位以下確定。
である。

というわけで、記録や結果は実に公正である。実に正直だ。

女遊びを覚えた遠藤がいる日本代表がサッカーで勝てるはずがない。

なぜなら、俺はこういうタイプの精神状態をよく知っている。

遠藤のこのタイプは、自分の不甲斐なさやチームメートの不甲斐なさを女に晴らすタイプだからである。これが、おそらく遠藤のいう意味の「オンオフの切り替え」なのだろう。しかしながら、これは女々しい男の習性である。ちなみに、遠藤は監督にもどの選手にも「言わない」選手として有名である。

俺見て〜〜な、男らしい男はこういうやり方はしない。なぜなら、本来なら、チームメートの岡崎や長友や本田や香川がヘマや失敗プレーをやらかしたり、シュートを外した時、その瞬間にそいつに対して、「てめ〜〜、何やっているんだ。ちゃんとやれ〜〜!」と怒るべきこと、怒れば済むこと、だからである。ビンタすれば済むことなのだ。

それが王道である。その代わり、ピッチを出れば、一切忘れて仲良く過ごす。

これが、
ピッチ上のことはピッチ上で済ます。ピッチの外へ持ち出さない
というサッカーの鉄則なのだ。これは世界中のどこのプロチームでも鉄則である。これが、本当の意味での「オンとオフの切り替え」なのである。

これが男の世界だ。

ところが、遠藤保仁はこれを誤解していた。これでは日本は勝てないし、勝てるはずがない。

だから、俺は「遠藤が日本代表出場記録を作っているようではだめだ。早く引退させろ!」と言ってきたわけだが、それが正しかったというわけですナ。

遠藤は、夜のベッドの上でも日本代表出場記録を作っていたわけだ。

夜のベッドの中盤は俺に任せろってナ!


いやはや、遠藤保仁がどこか影があって、老獪な感じがするわけがわかったヨ。子どもたちが可哀想だな。もう人生がない。子供のためにも、謝罪して引退し、みそぎすべきですナ。もっとも、女の問題など俺にはどうでもいいが、ザックジャパン、アギーレジャパンの責任をとって引退すべきである。遠藤ヨ。

お前の下手くそサッカーなんぞ見せられ続けたらたまらんゾ!


おまけ:
ところで、ここにも「勘違いしている馬鹿」がいたヨ。
長谷部、長友が危機感〜「若手の台頭」訴える はてなブックマーク - 長谷部、長友が危機感〜「若手の台頭」訴える
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お前らより体力があってうまい選手は高校レベルにもうようよいる。要は協会が女遊びに励むばかりで若手選手発掘に励まないだけのこと。見どころのある若手はうようよいる。

出てこいっ、若手!
アジア杯で8強に終わった日本代表のMF長谷部誠主将(31=フランクフルト)、DF長友佑都(28=インテル・ミラノ)らが27日、それぞれ欧州に飛び立った。チームをけん引する2選手は1次リーグで敗退したW杯ブラジル大会に続くアジア杯での低迷に危機感を募らせ、若手の突き上げ、個々の決定力向上がなければ、18年W杯出場も危ういとの見解を示した。

危機感でいっぱいだった。惨敗した14年W杯に続き、アジア杯も8強止まり。長谷部は「今回はアジア。余計に情けない」と言った。長友は「このままではアジアでも勝てない。強い覚悟を持たないとW杯出場も危うい」とまで言う。岡田ジャパン時代からチームを引っ張る2人。今の日本に足りないものに「若手の台頭」と声をそろえた。

長谷部 世代交代とか今に始まったことではないけど、若い選手の突き上げがまだまだ足りないと思う

長友 若手が出てこないとまずい。柴崎や武藤が成長して代表のレギュラー争いをして活性化させてほしい

実はA代表の中でも育成世代の低迷が話題に上がっていた。昨年はU―19、U―16が年代別W杯出場を逃した。長谷部は「サッカー界は実力社会。選手としては当然、自分の成長を目指す。でも下の年代で結果が出ないことはA代表の中でも話し合っている。改革につながれば」と言う。若手が伸びればベテラン勢はポジションを追われかねないが、事態はひっ迫している。若手の台頭はむしろ自らの成長を促してくれると信じている。

永遠の課題でもある決定力不足にも言及した。シュート35本で1点に終わったアジア杯準々決勝のUAE戦が象徴する。長谷部は「日本に来る外国人監督は“日本人はうまい。でも戦える選手、ゴールを決める選手がいない”と口をそろえる」と言う。誰もが課題克服のため世界の強豪と環境が厳しい敵地での対戦を熱望するが、実現は難しく特効薬はない。それぞれが所属先で個の力に磨きをかけるしかない。

アジア杯は4戦全て同じ先発。そのうち8人は前回アジア杯でも主力を務め、11人全員がザックジャパン時代からの経験者と若手の台頭に乏しかった。多くの新戦力が活躍して優勝した前回大会とは対照的だ。「改善点はありすぎて…。並大抵の努力では埋められない」と長友。長谷部は「(UAE戦は)全ての選手にチャンスがあった。決められなかった全ての選手の責任。まだ伸びしろは感じている。試合を決める最後の部分。ドイツでも、そこを意識して詰めていきたい」と言った。

アジア杯を教訓に真の強国へ。日本が世界に通じる力をつけるため、長谷部も、長友も努力を重ねながら、自身の定位置が危うくなるほどの突き上げを待っている。

≪苦戦続く若年層≫年代別の日本代表では昨年9月のU―16アジア選手権(タイ)で、日本は準々決勝で韓国に0―2で完敗。5大会ぶりにU―17W杯出場を逃した。昨年10月のU―19アジア選手権(タイ)でも南野(ザルツブルク)を擁した日本は北朝鮮との準々決勝でPK戦の末に敗退。4大会ぶりのU―20W杯出場権を得られず。16年リオデジャネイロ五輪を目指すU―21(現U―22)世代も昨年9月の仁川アジア大会で準々決勝の韓国戦に0―1で敗北を喫するなどアジアで苦戦が続いている。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/01/28/kiji/K20150128009705290.html
2015年1月28日 05:30
まあ、彼ら「海外組」と呼ばれる連中が何を「勘違い」しているかというと、言うまでもないが、「彼らが海外に行けたのは自分にその実力があったから行けたと思っている」ということである。

実はそうではない。日本サッカー協会が電通創価系スポンサー企業とタッグチームを組んで、日本選手のレベルを上げるには海外に行かせる他ないと考えた川縁チェアマンの「日本サッカー100年構想」という誤解(思い違い)に基いて、彼らをスポンサー企業の金銭力で海外に進出させたにすぎなかったのである。

契約にはカネがかかる。そういうものを代替わりするために、欧州のそれぞれの国サッカー界にはたらきかけて、Jリーグの監督にしてやるから1人日本人をプロ選手にしろ、とか、日本代表の監督にしてやるから、ブンデスリーガに香川真司を入れろとか、ザックを日本代表監督にするから本田をミランで取れとか、そういうギブアンドテイク、持ちつ持たれつの関係を日本サッカー協会が長年の間に作ったからである。

そこに今回それを見きったアギーレが突いて来たわけだ。武藤をリーガエスパニューラに入れてやるから監督にしろってナ。

要するに「日本サッカー協会の政治力と金を使って海外組になれただけ」だったのである。長谷部や長友や香川や本田に中田英寿のような実力はない。ちなみに、この中田英寿も創価在日の柴咲コウと恋愛とか、世も末ですナ。

若手を入れたければ、チームを解散し、まったく新しい日本人監督(岡田武史以外の)にして、若手から4年後を見据えた育成チーム、かつてのトルシエジャパンのように、ワールドユースレベルから育成したチームを作らなければならないのである。あるいは、ドイツのように、リーグ優勝を切り札にして、8割は優勝チームから日本代表にするという餌を使って、Jリーグを盛り上げる形で若者にチャンスとやる気を出させる。そういう方法しかないのである。

選手が若手よ出てこいといったって、大国日本に来て小便ちびった田舎国出身監督が来たとしても、結局手っ取り早く計算するには従来路線踏襲というのが落ちである。それがザッケローニであり、アギーレであった。ザックはオシムを踏襲。アギーレはザックを踏襲。だから、いつまでも同じ選手が居座れた。それだけだよ。



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  by Kikidoblog | 2015-01-29 08:21 | サッカー&スポーツ

ミンス党の芳生スターリン有田が「世界の終わり」を導くのか!?

世界の終わり / 虹色の戦争


みなさん、こんにちは。

いや〜〜、これは痛い。ミンス党のヨシフ・スターリン有田
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ツウィッターで湯川春菜氏と次世代の田母神氏のツーショットを拡散。それをISIS=ISILちゃんが目をつけて、湯川氏を殺害したらしい。これである。
民主党の有田芳生議員が湯川さんの情報をイスラム国へ売ったって本当なの!?

1:Ψ:2015/01/27(火) 22:17:24.89 ID:bFIn+az50.net
そうすると殺人幇助罪で逮捕されるんじゃないの?
本当に湯川さんの個人情報を提供してたのかな?

・有田氏(民主党)
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39:Ψ:2015/01/28(水) 02:10:26.37 ID:YwZ6WMPb0.net
>>10
まじ?知らんかったわ
なんでそんな事したんだろう


5:Ψ:2015/01/27(火) 22:23:10.45 ID:GI2rbBcS0.net
公安ちゃんと仕事してよ。


8:Ψ:2015/01/27(火) 22:23:40.66 ID:zGKGHdvB0.net
>>1
マジレスすると湯川が死刑になるようなデマを流したのさ
有田自身は愛国者気取りの田母神を風評でも流して潰すつもりなんだろうけど

人殺しだからな。有田は


11:Ψ:2015/01/27(火) 22:25:33.42 ID:4txMfmOj0.net
湯川が少しでも生きるためにジャーナリストだと偽ったのに
わざわざ元軍の幹部と仲いいような写真送って追い込むとか完全にテロ幇助だろ

これでテロがCIAの傭兵と勘違いしてるんだから
それに湯川はだいぶ前に殺されてrだろ


14:Ψ:2015/01/27(火) 22:27:58.75 ID:bJsIblQX0.net
つまり有田がツイートしてなかったらイスラム国は湯川さんを認識してなかったってことか。

これはクロだね。アベ憎しでツイートしたら人を殺してしまうとか
どんだけ闇に取り込まれてんだよw
誰か通報したりやw


20:Ψ:2015/01/27(火) 22:34:53.91 ID:zGKGHdvB0.net
>>14
少し違う
有田がいなければ民間軍事会社の責任者というだけ
安江、石田以外に在日のゴミクズがスパイだと言い出して
その在日のゴミクズと日を変えて有田が日本からのスパイだとデマを流したのさ

有田は人殺しだから


15:Ψ:2015/01/27(火) 22:28:13.30 ID:HxnWLQcV0.net
テロリストに情報提供って明らかにテロリスト支援者やん


22:Ψ:2015/01/27(火) 22:37:41.11 ID:YhkLKwZJ0.net
さすがスターリンの名前を継ぐものだけはあるな、ヨシフ!


24:Ψ:2015/01/27(火) 22:41:14.37 ID:zGKGHdvB0.net
ヘイトスピーチをしているとか切り取った編集で捏造したりな
共産党出身の反日有田なんかこんなもんだ。
放置したら国益どころか日本人が死ぬ。


25:Ψ:2015/01/27(火) 22:41:18.76 ID:zJ7MEy+D0.net
写真を見る限り、テロリストは軍の高級幹部と写真に納まる
エージェントだと判断しただろうな

つまり、有田氏がテロ集団に提供した写真が湯川氏殺害の決定打に
なった可能性はきわめて高いと思う


28:Ψ:2015/01/27(火) 22:45:53.73 ID:oRml+M1a0.net
本人はジャーナリストに成り済ましたつもりだったのに
有田のせいでバレて、後藤より先に殺されたのか

これは国会で追及だな
逃げるなよ有田


30:Ψ:2015/01/27(火) 22:49:16.84 ID:vwtDe7p50.net
えっ、アリタはやっぱり、人殺しなんですか。

有田芳生スターリンも、いよいよ外患誘致罪適用のようですナ。

これで日本が第三次世界大戦に巻き込まれたら、まさに朝鮮脳、放射脳のせいですナ。

かつての第二次世界大戦の時に韓国王妃の閔妃(みんび)の放射脳のためにアジアが戦乱に陥ったのと全く同じ。

いずれにせよ、鮮人というのは、斜め上や後ろを撃つからナア。攻撃する方向を間違えるんですナ。というより、そういう脳みそらしいですナ。


いやはや、この地球に鮮人が居る限り、地球は終わり、世界の終わり、である。なぜなら、それが韓の法則発動というものだからであるというわけですナ。

世も末ですナ。世界の終わりですナ。



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  by Kikidoblog | 2015-01-28 17:26 | 反日・在日の陰謀

韓国人の「エアブラジャー」に全世界が注目!:エアブラジャーのルーツは韓国ニダ!

みなさん、こんにちは。

韓国人が100年前の韓国の民族衣装に大変困惑中とか。これである。
韓国人「乳出しチョゴリを外国がどう思うのか本当に怖いですね…」「日本の捏造工作です」 韓国の反応
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スレ主韓国人

非首脳会談(韓国のバラエティ番組)が朝鮮時代の胸の露出の事を話す

朝鮮時代に胸の露出参考資料にキャプチャーされたのが出てきてもともと朝鮮時代の文化について何の説明もなく、次の話題に移りましたね

非首脳会談を面白くて毎週見てるけど、今回は本当にとんでもないですね

大きな問題は、この番組がアジアだけでなく、世界的に人気のある番組なんです

外国人たちがどう思うか本当に怖いですね…


ガセンギ.com
http://goo.gl/r1koFs
http://goo.gl/cw1oNJ


いはやは、平和な韓国、平和ボケの韓国人ですナ。

もはや全世界でこの乳出しチマチョゴリのことは知られている。超有名である。






いや〜〜、さすがに変態の母国。
エアブラジャーのルーツは韓国ニダ!
ですナ。

なんでこんなに素晴らしいものを旧日本軍は禁止したんだ?

韓国は、もう一度エアブラジャーを復活させるべきですナ。


おまけ:
百年前の日本人「朝鮮人は人間よりもケモノに近い」
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『最近朝鮮事情』とは、日韓併合前夜に朝鮮半島を視察した
当時の衆議院議員荒川五郎によって書かれたルポルタージュである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E8%BF%91%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%8B%E6%83%85

・朝鮮人は実に衛生だの病気だの無頓着千万、そこになると悪く言うようだが人間よりか獣に近いと言ってもよいようである。

・大きな棒でなぐられてもシイて痛そうにもせず、あちらに行け邪魔になると追いまくられてもブラリブラリ愚図ついている有様などは、牛に近いと言ってよい。

・朝鮮人の不潔と来たら随分ヒドイ。てんで清潔とか衛生とかいう考えは無いから、如何に不潔な家でも、如何に不潔な所でも一向に平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が交じっていても、更に頓着せずにこれを飲む。実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。

・家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る。その訳は馬糞をまぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいと言うている。

・更に驚くべく信じがたい程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなると言うている。又小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効だと言ってこれを用い、又強壮剤だと言って無病のものでも飲んでいる。いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすというとも聞いている。何と驚かしいことでは無いか。

124 :マンセー名無しさん:2012/04/14(土) 20:40:59.83 ID:rSmsy/aX

世界史最大のミステリーは李氏朝鮮

・暦が無い
・木の加工技術が無い
・染料が無い
・農耕具も無い
・車輪等の運送技術も無い
・四則演算以上の数学もない
・漁業関係の技術も無い
・商店禁止

こんな状態でどうやって文明を維持したのか意味不明すぎる。


125 :マンセー名無しさん:2012/04/24(火) 03:55:25.28 ID:OPAfgZOn
>>124

文明があったという前提が間違ってる。
いよいよ病気が酷くなると、大便を食べる。

314 名前: マンサク(愛媛県) 投稿日:2009/06/11(木) 04:48:08.95 ID:SAL8dFre
最近朝鮮事情 明治39年 荒川五郎

http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010268&VOL_NUM=00000&KOMA=56&ITYPE=0

・濁っている水だろうが、小便や糞が混ざっている水でも平気で飲む。とにかく不潔で、味噌と糞も朝鮮人にとっては一緒だ。
・壁は馬糞を混ぜる。壁が固くなるそうだ。
・驚くべき事に小便で顔を洗う。肌のきめが細かくなるそうだ。
・肺結核や解熱として小便を飲む。
・いよいよ病気が酷くなると、大便を食べる。
・穴で暮らしているから夏は暑く、家の外で寝るが、顔の近くを大便や小便が流れているが、朝鮮人にとっては臭くないらしく、平気で寝る。
・小便壷が家の中にあり、客がいても平気で小便をする。また、痰を吐くときは口の近くに壷を持ってくる。
・雨が降るとこれらの不潔物と雨水が一緒になりすねの上まで浸かり、家の中の物が水に浸るが、洗うという事はしないでそのまま使っている。
・婦人が洗濯をしているので見てみると小便水と見分けの付かない黒い水に洗濯物を揉んだり打ったりしている。
ねずさんによると、この風習がワイ族と呼ばれた所以らしい。ワイの字は、穢の禾を氵に変えた漢字。つまり、汚穢を1文字にしたものらしい。

この風習は欧米のキンゼイ博士によるオーラルセックスが流行るずっと前から、鮮人は女性器や肛門を舐めるのが大好きだという性癖として今も残っている。鮮人の男も女も口と肛門の区別がつかず、いたずらに性病を流行らせているのである。その口で、痰唾を日本人のお茶やラーメンに入れるわけだから、もはやテロ行為であろう。絶対に鮮人の手による物を食ってはならない。いずれ変な虫に脳を食われるのだとか。
韓国人の脳
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  by Kikidoblog | 2015-01-28 14:57 | 韓国・ウリナラ・法則

個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?2

ヒトの双対性

保江邦夫博士「ヒトを見たら神様と思え」
井口和基博士「ヒトを見たらヒトモドキと思え」

保江邦夫博士の秘技「ハトホルの神降ろし」
井口和基博士の秘技「奥さんの髪下ろし」

保江邦夫博士の弟子「無数」
井口和基博士の弟子「皆無」


みなさん、こんにちは。

今回もまた私的メモである。であるからして、普通の人にはどうでもいいことだろうから、無視無視。スルーして欲しい。


最近なぜ私が保江邦夫博士の全著作に目を通そうかと考えるようになったかというと、それは、前に
個人メモ:私と保江博士との「裏腹」なところ→人にも双対性はあったのか!?
でメモしたように、私と保江邦夫博士というのは何から何まで逆、裏腹のように見えるからなのである。その意味で、比較すればするほど絶妙にその裏腹関係が面白いから、いったいどこまでそれが通じるのか、どこかに例外が出てきて、両者が一致する場面があるのか、というようなことを探すためなのである。

さて、「重なりあう」という場合、2種類の重なり方がある。私はそう考えている。

まず第一のものは、普通の重なりあう仕方で、拝む時に両手を合わせるように重なるという場合である。つまり、2つの別のものが同じ場所に重なり合うことである。
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これに対して、もう一つの場合は、祈る時のように両方の手の指をお互いに嵌めこむようにして重なるという仕方である。2つのギア(歯車)が歯を互い違いに組み込んで合う、というような場合である。つまり、2つの別のものが決して同じ場所を占有するのではないが、お互いを補完しあうような形で重なりあうことである。
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(本当は自分の頭で想像して貰えばいいのだが、たぶんわかりにくいので図を用意した。)

実はこれと同じことが人間の行動や趣味趣向の場合にもあるというのが私の理解である。

まず「あの人と合う合わない」「韓国人と日本人は合う合わない」というような場合は前者のようなことを念頭に置く。意見が合う。考え方が合う。好みが合う。こういうものは、すべて両手を重ねるような合い方である。だから、この場合は、意見が対立し始めると同じ場を占めるためにうまくいかないということが起こる。

もう一つの場合は、あまりお目にかからないから分からないだろうが、私はこの噛み合う形の裏腹な合い方をしているのが、私と私の奥さんの場合であると思っている。多分具体例をあげないとイメージ出来ないだろう。

私と奥さんは、ふたりともアンパンが大好きである。しかし、私は中のアンの部分が好き、奥さんは外のパンの部分が好き。だから、かならず分け合うことができる。私も妻もモチが好き。しかし、私は白いモチが好きだが、妻は色のつくモチが好き、だからよもぎモチは妻が、白餅は私がいただく。だから、取り合いにならない。食パンなら私は中、妻はミミが好き。これまた取り合いにならない。料理をすれば、奥さんは作るほうが好き、私は後片付けが好き。だから、分業できる。私はあまり寝なくても問題ないが、妻は寝ないとダメ。だから、奥さんが寝ている間読書や研究ができる。これまた問題なし。

というふうにしてありとあらゆることがすべて裏腹。これは私と私の奥さんの関係である。これまで一度もこういう関係の人を我が家をおいては見たことがない。しかしながら、本来、男と女というものは、そういうものであった。すべてが陰と陽の裏腹なものだったのである。私はそう思う。

「裏腹」「真逆」と、ここで私が言っている意味はこういうことである。

ところが、私が保江博士の研究論文や著作の本を見れば見るほど、読めば読むほど、私と保江博士の関係ももまた、私と奥さんの関係のように、すべてが裏腹なのである。だから、興味をもったわけである。

例えば、Aで始まってBで終わる一本の紐があったとしよう。そして端をつまむとしよう。それを見ている2人の人間がいるとすれば、2つの可能性に対して2人の人間がいるのだから、計4通りの可能性が生まれる。どちらもAをつかむか、どちらもBを取るか、AさんがA、BさんがBをつかむか、AさんがB、BさんがAをつかむの4通りである。だから、こういう場合には、普通かならず両者が同じものを興味を持つということが往々にして起こるはずなのである。

ところが、私と私の奥さん、私と保江博士はいつもつかむほうが逆になるのである。裏腹なのだ。そもそも、どちらかがその紐に関心を持たなければ、そういう問題は起こらない。例えば、私と妻のどちらかがアンパンが嫌いというような場合。あるいは、私が理論物理学者で保江博士が数学者というような場合。

そこで、私と保江博士の場合はどうか?と私は本をいろいろ読みつつそういう部分をピックアップもしているのである。

例えば、私も保江博士も理論物理学者だが、保江博士は素粒子論、私は統計力学熱力学。補完しあう。同様に、私も保江博士もディラックやシュレディンガーの仕事に非常に関心をもつ。しかし、保江博士はどちらに対しても初期の基本の方に関心を持つが、私の場合は、彼らの晩年の研究に関心をもつ。

ディラックに対しては保江博士は初期のディラック方程式に関心を持つが、私は晩年の場の理論の無限大の困難に関心を持つ。シュレディンガーに対しては、保江博士は初期のシュレディンガー方程式の導出に関心を持ったが、私は晩年のシュレディンガーの「生命とは何か?」に関心を持つ。

つまり、保江博士は彼らがしたことやできたことに関心を持つが、私は彼らがしなかったことやできなかったことに関心をもつ。だから互いに補完しあう。

数理科学、数理物理学に対する認識もお互いの著書で述べられたことを比べても全く裏腹だった。

保江博士は「理論物理学は理論物理学者にはできず、本当の進歩は数理物理学者だけが成し遂げた」と見ている。ところが、私は「数理物理学者は数学者に近く、本当の物理学は理論物理学者でなければ無理だ」と。つまり、保江博士は「理論物理は糞だ」というのに対し、私は「数理物理は糞だ」と考える。我々はどちらも理論物理学者であり、同じような教育を受けてきている。が、そういう裏腹の認識をとっている。

物理のやり方もどうやら根本的に裏腹である。

保江博士の場合は、根本原理は1つ。真の根本原理を見つけれさえすれば、後はそれをこの宇宙自然界ひいては霊界までも含めてすべてを理解できるはずだと考えている。ところが、私の場合は、おそらく根本原理は無数。あらゆる問題にはそれに相応しい解き方があり、宇宙を理解する場合にはそれに相応しい、霊界を理解するにはこれまたそれに相応しい考え方があるはずだと考えている。ともに、霊界にも関心を持っているのである。

物理の理解の仕方も裏腹である。

保江博士の場合は、理論を掘り下げ、理論のより基礎、より根本の疑問を解けば、それが本当の理解に繋がると考える。しかし、私は、理論の正しさやその理解が正しいかは、これまでにないものへの応用ができて初めて分かるのだという考え方である。これまた裏腹なのである。

まあ卑近な例で料理を取り上げれば、料理を作る場合も、美味しい料理を作るには、良い素材、料理法、いい組み合わせで料理することが大事だというような考え方が保江博士のものである。これに対して、美味しい料理を作るには、調理器具まで含めて見事な後片付けが行われた清潔なキッチンでなければ不可能だというような考え方が私のものである。

別の言い方をすれば、問題が分かればもう100%解けたに等しいと考えるのが保江博士のものだとすれば、問題は100%解けてみないと分からない、問題提起と問題解決はまったく次元が違うのだというのが私のものである。

とまあ、こんなふうに体験から教育から、すべてが真逆の裏腹だと私は感じるのである。

まとめるとこんな感じか?
ヒトの双対性2

保江邦夫博士「リッチな片親の下に生まれる」
井口和基博士「非常にプアな両親の下に生まれる」

保江邦夫博士「大学までスポーツせず軟弱だったが、大学から合気道に励む」
井口和基博士「大学までサッカーのエースだったが、大学からスポーツから離れる」

保江邦夫博士「球技は嫌いだが、武道の達人」
井口和基博士「球技の達人だが、武道は嫌い」

保江邦夫博士の受験「すべてAO入試」
井口和基博士の受験「すべて厳しい試験の一発勝負」

保江邦夫博士の大学院生活「大学院を渡り歩くがたくさんのいい指導者に恵まれる」
井口和基博士の大学院生活「大学院を渡り歩くがあまりいい指導者に恵まれず」

保江邦夫博士の物理観「数理物理こそ最上のもので、理論物理は糞」
井口和基博士の物理観「理論物理こそ最上のもので、数理物理は糞」

保江邦夫博士「欧州フランス的なアバンギャルドな抽象数学的アプローチが好み」
井口和基博士「欧州アングロサクソン的な古臭い具体的実証的アプローチが好み」

保江邦夫博士の物理「確率的取り扱い」「量子力学的」
井口和基博士の物理「決定論的取り扱い」「古典力学的」

保江邦夫博士の物理「関数解析的」「抽象空間」
井口和基博士の物理「代数解析的」「現実空間」

保江邦夫博士の脳理論観「量子脳理論ですべて解決、ほとんど終了」
井口和基博士の脳理論観「時期尚早、量子脳理論など無意味、時間の無駄」

保江邦夫博士「家も地位もお金もクレジットカードもマイカーもある大学教授」
井口和基博士「家も地位もお金もクレジットカードもマイカーもない主夫」

保江邦夫博士「たくさんの売れる本の著者」
井口和基博士「たくさんの売れない本の著者」

保江邦夫博士「ブログ持たず」
井口和基博士「ブログ持つ」

保江邦夫博士の格言「明日できることは今日するな」
井口和基博士の格言「明日死ぬと思って今日生きろ」

保江邦夫博士「物事はいい加減ほどいい」
井口和基博士「物事は徹底的ほどいい」

保江邦夫博士「愛魂の達人」
井口和基博士「憎魂の達人」

保江邦夫博士「臨死体験あり」
井口和基博士「臨死体験なし」

保江邦夫博士「世界一周経験あり」
井口和基博士「世界一周経験なし、しかし、その程度は家の周辺を走っている」

保江邦夫博士「グローバルに生き、ローカルに考えよ」
井口和基博士「ローカルに生き、グローバルに考えよ」

保江邦夫博士の本の作り方「人前で話すのが得意、話してから書く」
井口和基博士の本の作り方「人前で話すのが苦手、話すように書く」

保江邦夫博士「女性と魂を重ね合わせるのが好き」
井口和基博士「女性と体を重ね合わせるのが好き」

更に追加。

保江邦夫博士「人に可愛がられるタイプ」
井口和基博士「人に恐わがられるタイプ」

保江邦夫博士「先生に好かれたタイプ」
井口和基博士「先生に嫌われたタイプ」

保江邦夫博士「常に偉大な先生に入門するタイプ」
井口和基博士「常に我が道を行くタイプ」

保江邦夫博士「他人より自分が大事」
井口和基博士「自分より他人が大事」

保江邦夫博士「自分の研究がとても重要だ」
井口和基博士「自分の研究などどうでも良い」

保江邦夫博士「他人からご好意をもらい自分が得して、自分が成功していくタイプ」
井口和基博士「他人に好意を注ぎ自分は損して、他人を成功させるタイプ」

保江邦夫博士「周りは変わらずとも自分が変わる」
井口和基博士「自分は変わらずとも周りが変わる」

保江邦夫博士「女の子二人」
井口和基博士「男の子二人」

保江邦夫博士「お金に縁がある」
井口和基博士「お金に縁がない」

などなど永遠に続く。

たぶん、

保江邦夫博士「93歳までの長命」
井口和基博士「比較的短命」


いや〜、これまで私が出会った研究者や理論物理学者の中でこれほどまでに興味や関心の方向は一致するが、見事なまでに裏腹人生のお方には出会ったことがない。実に面白い。

ところが、昨年の4月28日に我々はヒカルランドで対談した。それも2日にわたって延々18時間も。いったいどんな話だったのやら?どういうわけか、俺は自分の話したことをまったく覚えていない。記憶喪失か?

というわけで、私の保江先生の本の読書がまだまだ続くのであった。


おまけ:
ところで、今知ったのだが、保江邦夫博士の研究のさきがけとなったエドワード・ネルソン先生のご著書が、インターネット上に無料配布されている。以下のものである。
Dynamical Theories of Brownian Motion
だれか翻訳しないか?

おまけ2:
もう一つ。馬小屋で生まれたイエス・キリストが結局生まれた馬小屋のような洞窟の中で息を引き取ったというように、あるいは、狼に育てられた子供が一旦は人間社会で育ちそれなりの知恵をつけたとしても、最終的にはやはり森へ帰ったように、人というのは自分が生まれ落ちた場所、生まれ育った場所に戻るのではないか、という予想を私は持っている。私自身が、それほど恵まれていない環境でもなんとも感じることなく、平然と生活できているというのは、実は私が生まれた家が非常に貧しい両親の下に非常に狭く、また隣が作業場だったために非常にうるさい家だったからではないかと思う。そのせいか、私はまったく騒音が気にならない。どんな場所でも読書できる。自分が生まれた場所はどんな家だったか、3歳までにどんな家庭環境で過ごしたかというのは、幼児忘却でいずれ思い出せなくなるが、結局、自立して今いる自分が住んでいる場所というのは、生まれた状況に非常に似ているのではなかろうか?私は無一文の家に生まれ、今も無一文である。それでも特に何も感じない。やはり「三つ子の魂百までも」はこういう意味で真実だろうナア。保江博士の場合は、公務員の父親のもと普通の生活をしている場所に生まれた。片親だから母の愛は受けられなかったという状況である。したがって、結局、いまのリッチな生活を求めたのも最初に生まれた場に戻っただけ。愛魂や愛を求めるというのは、結局「失われた母の愛」を求めて、「母を訪ねて3千里」だった可能性が高いのではなかろうか。おそらく、保江博士にとっての「マリア様」はお母さんなのである。



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  by Kikidoblog | 2015-01-28 09:45 | 保江邦夫博士

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