UFO墜落事件はいくつあったのか?:クーパーが省略したこと
「ウィリアム・クーパー講演パート1:宇宙人&UFO問題の起こり」の一番始めで、クーパー氏が、詳細をスキップ、つまり、はしょった部分がある。次の部分である。
「初期の円盤についてすべて触れることははしょりますが、というのも、皆さんが思っている以上にたくさん存在するからであります。初期の円盤(マイクを直して「多少マシになりましたか」)、非常にたくさんの墜落がありました。皆さんが知っている以上に多数のエイリアンの身体の回収がありました。しかし、それはたいしたことではありません。大事なことは、「それが起こった」ということであり、その「数」ではないからです。いくつであったかとか、どこでだったかとか、いくつの身体だったかというようなことに関心のある人々はだれにとっても時間の無駄をさせるだけです。大事なことはそれが起こったということなのです。」
はたしてどのくらいの円盤墜落事件があったのだろうか?
「HISTORY OF CIA COVERT OPERATIONS: The Secret Government」
によれば、以下のようなものであったらしい。
1947年1月から1952年12月までに、少なくとも16基の円盤の破損事故あるいは墜落事故があった。66体のエリアンの内、1体は生存、他65体は死亡。16基中13基はアメリカとメキシコの国境付近で起こり、アリゾナ1、ニューメキシコ11、ネバダ1。残りの3基は、ノルウェー1、メキシコ2。この中には空中爆発したものは含まれていない。UFO目撃事件は無数。
この中で、特に、ニューメキシコ州アズテック(Aztec)で起こったものが2つ。1948年2月13日のアズテックと1948年3月25日のアズテック近郊のハートキャニオン(Hart Canyon)。円盤は直径100フィート(約30m)。17体のエイリアン。そして、問題は、それに混じって「人間の身体のバラバラ死体の数々」。
1949年生存のエイリアンは「EBE(イービー)」と命名。1952年まで生存。
そして翌年の1953年。少なくとも10機以上の円盤の破損事件があった。10機回収。26体の死んだ宇宙人と4体の生きた宇宙人を回収。4体中1体は破損円盤回収中の1時間内に死亡。他は2、3日後死亡。10基中、アリゾナ4、テキサス2、ニューメキシコ1、ルイジアナ1、モンタナ1、南アフリカ1。100ほどの目撃があった。
というわけで、1948年から1953年の6年間に少なくとも26基の円盤墜落事件があり、93体のエイリアンが回収されたということになる。
米国内22:ニューメキシコ12、アリゾナ5、テキサス2、ネバダ1、モンタナ1、ルイジアナ1
海外4:メキシコ2、ノルウェー1、南アフリカ1
この種族は、多くはいわゆる「グレイ」タイプのエイリアンであり、中には「インセクトタイプ(昆虫型)グレイ」もいた。「ロング・ノーズ・グレイ」タイプではなかった。(詳細は不明)
1953年頃、「人間型(human-looking)」エイリアンが米政府に面会。米政府に核兵器破棄を提案。
ところが、この翌年の1954年に地球周回軌道に「ロング・ノーズ・グレイ」タイプの宇宙船団がやってくる。
そして、この種族はアイゼンハワー大統領と面会した。第一回目で1体のエリアンが人質として滞在。「OHKrill」と命名。そして、第二回目の接近遭遇で、密約和平協定を結び、フォーコーナーズ(Four corners)の深部地下基地に住み着いた。16人のエイリアンを密使として残し、後は16人の地球人を連れて母星に旅立った。
とまあ、こんなことが第二次世界大戦直後に起こったらしい。ここからすべてが始まった。
by Kikidoblog | 2009-07-06 15:34 | クーパー