「ノーベル賞学者の反論」への反論:脳天気さにもほどがある!
昨日行われた
「取り返しつかない」ノーベル賞受賞者が仕分け批判
ノーベル賞・フィールズ賞受賞者 による事業仕分けに対する緊急声 明と科学技術予算をめぐる緊急討論会
というものを今日私は拝見させてもらったが、なんともいえない寂しい気分になった。これでは「本当に日本は滅ぶ」のはまず間違いないだろう。もちろん、この意味は、私が彼らノーベル賞学者たちの主張がどうのこうのというのではなく、彼らの現状認識がいかに甘っちょろいものかと思い知らされたからだ。正直、利根川のふてぶてしい顔をぶん殴ってやろうかと思ったよ! 科学政策の必要性の一般論の話とこの15年で80兆円を無駄にした責任の問題(仕分け作業はこっちを問題にしているのだ!)はまったく別次元の問題だろうが!
私は10年ほど前には江崎玲於奈さんとアメリカ物理学会100年祭の時にアトランタで会って話したことがある。そもそも1982年の「物性若手夏の学校」に江崎玲於奈さんを呼んだのは、何を隠そう、この私だ。森さんとは、私がユタ大留学中毎夏長期滞在中の森さんと一度挨拶したこともある。野依さんは私が3年過ごした理研のその後の理事長であるし、スパコンに至っては、千葉幕張にある富士通の計算科学研究センターで勤務していたので、今やスパコン開発が富士通だけとなった現状ではだいたいどんな感じかの察しはつく。
そもそも日本で大学に「計算科学研究センター」という名前でスパコン設置ブームを引き起こしたのは、この私だったのだ。1991年当時国内の民間企業に初めてスパコン計算専用の研究部門として、「計算科学部」という組織が誕生したのは、この私がユタ大から帰国し富士通に入社したからである(帰国そして就職、富士通の2年間)。それが2年のうちに幕張に引っ越して「計算科学研究センター」へと昇格発展していったのだ。この機運が日本の大学に大きな衝撃を与え、大学や国立研究機関にスパコンブームを引き起こし、主要大学にはスパコンが完備されるようになった。その結果として富士通も潤ったのである。もちろん、理研に最初に設置されたスパコンも富士通製である。(もっともこの私は富士通からも大学からもどちらからも何らメリットはもらえなかったが。俺に足向けて寝るなヨ!!)
しかし、スパコン計算とはいってもベクトル型と並列型の2種類があり、ベクトル型の主流を作っていたのは富士通とNECであった。そのベクトル型での計算には独特の作法が必要で、大学の研究者がフォートランでコード(プログラム)を書いてもそのままでは動くことはない。だから、富士通のSE(システムエンジニア)がわざわざフォートランからベクトル型へ翻訳していたわけだ。私も入社直後はこの作業を社員研修させられたが、残念ながらアメリカでMacで育った私にはどうしてもUnix系のシステムが理解できず、難儀したものだ。私の当時の同僚は大半がそういうSEの仕事をこなしていたのだ。これは基本的には今も一緒だろう。これが並列型となればもっと大変な作業が必要となることは明らかだろう。
そういうわけで、今回の討論会の話題のすべてについて私は非常に良く理解できるのだが、やはり何より私が印象づけられたのは、今の日本という社会の現実認識における誤解や温度差だろう。エリート社会、エリート組織にだけ住んでいると、本当の現実というものから遠ざかり、真実が見えなくなる。ノーベル賞学者とて所詮はいっかいの人間。その例に漏れない。
特に、江崎玲於奈さんの話はひどすぎた。私はバブル全盛の1980年代日本が「基礎研究ただ乗り論」華やかなりし頃、江崎さんが「科学技術はおかしい。科学・技術だ」という話は何度も聞いたものだ。あれから30年後の今でもまったく同じ話をしたのだから、さすがに恐れ入った。だれも「江崎先生、その話は30年前に聞きましたよ」と質問しなかったのだから、日本人の健忘症も度を過ぎている。当時江崎さんはIBMワトソン研究所の職員で当時で年収1億円以上をもらっていたのである。
数学者の森重文さんは非常に純粋な意見で、私自身一番印象に残ったが、なにせ数学者こそこの世界で最もたちの悪い(よくいえば、くせのある)人種だということも国民に知らせるべきだった。その点ずるい。ノーベル賞に数学賞がない一番の理由は、アルフレッド・ノーベルに一番手ひどい仕打ちをしたのが数学者だったからだ、というジョークがあるほどである。ポール・エルドスのように「数学者にあらずば人にあらず」と公言してやぶさかでなかった大数学者も多い。もちろん、大半はユダヤ人(俗にいう、偽ユダヤ人)だが、ユダヤ人のゴイム差別の感情とあいまって、しばしばそういう言葉が数学者から出るのである。「果たしてそれが「科学の文化」なんだろうか?」と質問するものもなかった。事実、日本の数学者の大半は一般人は馬鹿だと思っているサ!
野依博士に至っては論外である。GDPで科学研究費を比較しようが意味がない。かつて、私は昔のブログに「マイケル・ハドソンの”日本はなぜ借金大国になったか?”」を取り上げたように、日本の借金はすべてアメリカを破産させずにするためであった。その額や天文学的であった。例えば、以下のもの。
表 7.日本の米国に対する資金援助と日本の国債および財政赤字( 単位:兆円 )
年度 日本の国債発行 財政赤字 米国債購入 割合 財政赤字に占める割合
額 額
(a) (b) (c) (c)/(a) (c)/(b)
1965 0.2 0.5
1970 0.4 0.3 0.4 98% 131%
1975 2.0 7.7 -0.2 -11% -3%
1980 14.3 16.9 1.0 7% 6%
1981 12.3 16.8 0.8 6% 5%
1982 10.4 17.6 -1.2 -11% -7%
1983 13.3 18.8 0.3 2% 2%
1984 12.7 17.3 0.5 4% 3%
1985 11.7 15.6 0.1 1% 0%
1986 19.8 16.0 2.5 12% 15%
1987 10.5 12.2 4.8 46% 39%
1988 13.3 9.7 2.0 15% 20%
1989 12.7 11.6 -1.8 -14% -16%
1990 5.6 6.8 -0.7 -13% -11%
1991 6.7 -7.8 -0.8 -12% 10%
1992 7.3 -1.5 0.0 -1% 3%
1993 8.1 7.3 3.0 37% 41%
1994 13.6 N.A. 2.7 20% N.A.
1995 12.6 N.A. 5.7 45% N.A.
これだけアメリカに援助してさらに日本国内に援助すれば、破綻するのは当然であろう。しかし、野依さんは巧妙にそういう事実は論じない。日本人が文句言われる筋合いはないはずである!
アメリカで科学者の職をとれた日本人は、科学など何も知らない一般の日本人たちが、日本政府がアメリカの言いなりになって天文学的な借金の肩代わり(これも全部イギリスのロスチャイルドに支払う利息のために)をすることに反対してこなかったからだ。つまり、日本がお手本にしているアメリカの科学を根底から支え、救ってきたのは、我々日本人である。日本人のおかげなのだ! だから、日本の国民に足を向けて寝られない。感謝する事はあっても「日本人は科学向きでない」などと非難するいわれはない! 野依さんや利根川さんのように、高圧的に出るのではく、もっと頭を下げて、国民の同情心を引く態度ならまだましだったが、まったく論外の態度であったナア。
私は大学生の頃「科学と私」という、理科大理工で開催されたセミナー合宿に出たが、その時に利根川進さんの師匠であった、渡辺格博士と話したこともある。その時はまだ朝永振一郎博士も健在でちょっと話した。この頃のアメリカは今よりずっと健康的で「自由の国アメリカ」であった。おそらくそれは、アメリカが世界から孤立していた「モンロー主義」時代の名残が残って、世界のことには我関せずの風潮が残っていたからだろう。その頃に利根川さんは欧米に留学したのである。
しかし、現在では、アメリカは、世界の警察官意識から始まりあまりに世界政治に関わりすぎて、アメリカがイギリス化してしまったわけである。もはや「自由の国アメリカ」は存在しない。あったとしてもそれはごく限られた範囲内でのことである。つまり、アメリカのエスタブリッシュメントの利益に背かない範囲でのことである。
こういう時代に、未だにその昔の「古き良きアメリカ神話」健在であるかのようなお話の数々をご開陳されてもリアリティーに欠ける。アフガン、イラクを見よ。あの豊かな国は今どうなった? アルゼンチンやホンジュラスやメキシコを見よ!あの南米の豊かな国々は今どうなった? 全部イギリス・アメリカのせいで内戦状態である。日本とて例外ではないだろう。用なしとなれば、いつ日本がそうならないとも限らないではないか。この辺りの事実認識が「専門馬鹿」と成り果てたノーベル賞学者たちには理解できないのだろう。その昔ナチスに命を狙われたアインシュタインではないが、NWOやイルミナティーに命を狙われたノーベル賞学者にでもなってくれる方がよほど国民のためである。
野依さんの年収が数千万円、利根川さんの年収は軽く1億円を超える。江崎さんは昔はセレブで年収1億円を軽く超えた。サンタバーバラの中村修二博士も今では年収軽く2億円。理研の普通の職員でも年収800万円から上層部では年収1000万円は軽く超えるだろう。大学教授でも年収は軽く1000万円超える。一方で、関東では平均年収が500万円。ここ徳島では平均年収は300万円程度。年収200万円以下で生活している日本人が今では大半である。
こういう事実と彼らの主張との”ギャップ”がどうにも私には気に入らない。これだけ優遇されていて何が他に文句あるというのだろうか? ほんのわずかのお金のためにどれだけの人が自殺し、どれだけの人たちが離婚し、どれだけの人たちが学業をあきらめざるを得ないのか、理解しているのかいナ? ぜひお聞きしたいところである。
我が家では、たまーに外国の研究者やマスコミ人が立ち寄ることがあるが、その際にも、我が家が彼らお客人にお金を要求したことは一度もない。年に一度もそうはないことだから、我が家で毎月セーブして工面したり、私が何とか出費を抑えて工面したりするのだが、柳田博士などいつも公費うんぬんと国のせいにして自腹など切ったことはないのだろうナア。そんな時の私の昼飯は柿2つだ!
by Kikidoblog | 2009-11-26 14:11 | 真の歴史