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「龍馬の黒幕」:「サカモトサン ニッポン ヲ センタク シマショウ」

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「政治の世界では、何事も偶然に起こるということはない。もし何かが起こったならば、それは前もって、そうなるように謀られていたのだ。」


フランクリン・D・ルーズベルト第32代米国大統領

なぜ反ロスチャイルドなのか(7)-宗教と秘密結社と戦争-より)



みなさん、こんにちは。

今回は、ちょっと話題を日本の歴史に変えよう。

私はかねてから個人的に「明治維新」や「戦国時代」の舞台裏に欧米列強の植民地支配の”暗部とのつながり”があると興味を持って来ているが、要するに、日本の「戦国時代」や「明治維新」も当時の世界支配を行っていたはずの欧米列強の白人国家の世界戦略の一貫でしかなかったのではないか、ということである。それゆえ、どこかに当時の欧米列強の世界戦略とのつながりを証明する「何か」があったはずであろう、というようなことに興味を持っている。

例えば、「フランシスコ・ザビエル」
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は、イエズス会から派遣されたエージェントであったわけだから、ザビエルが九州を中心に日本で行ったことには、そのエージェント工作の目的が垣間見えるはずである。イエズス会はいわゆるフリーメーソンの先祖となったテンプル騎士団のカソリック版であったと言われているように、カソリックの布教活動の表向きの名目で渡来し布教するが、一方で裏の目的である植民地支配と不平等貿易のフロント部隊であったわけである。

例えば、この辺の片鱗は、芥川龍之介の「さまよえる猶太人」などを読めば、分かるはずである。

それゆえ、いわゆる天下人を生む「戦国時代」の武将たち、武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの背後にいたはずの西洋人やそのエージェントであった日本人武将に非常に興味を持つのである。

徳川家康が豊臣家を滅ぼした後当時の豊臣方に重臣たちをみたら大半が首から十字架を下げていたキリシタン大名だったということからも、欧州列強の関わりの大きさを物語っていたわけだからである。またその家康側にも「按針さん」と呼ばれた三浦按針こと、ウィリアム・アダムスというイギリス人が来ていたわけである。例えば、ウィキペディアにはこうある。

『日本漂着、家康の引見
1600年4月29日(慶長5年3月16日)、リーフデ号は豊後の臼杵に漂着した。自力では上陸できなかった乗組員は、臼杵城主太田一吉の出した小舟でようやく日本の土を踏んだ。太田は長崎奉行の寺沢広高に通報。寺沢はアダムスらを拘束し、船内に積まれていた大砲や火縄銃、弾薬といった武器を没収したのち、大坂城の豊臣秀頼に指示を仰いだ。この間にイエズス会の宣教師達が訪れ、オランダ人やイギリス人を即刻処刑するように要求している。結局、五大老首座の徳川家康が指示し、重体で身動きの取れない船長ヤコブ・クワッケルナックに代わり、アダムスとヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、メルキオール・ファン・サントフォールトらを大坂に護送させ、併せて船も回航させた。5月12日(慶長5年3月30日)、家康は初めて彼らを引見する。イエズス会士の注進でリーフデ号を海賊船だと思い込んでいた家康は、路程や航海の目的、オランダやイギリスなど新教国とポルトガル・スペインら旧教国との紛争を臆せず説明するアダムスとヤン=ヨーステンを気に入って誤解を解いた。しばらく乗組員達を投獄したものの、執拗に処刑を要求する宣教師らを黙殺した家康は、幾度かにわたって引見を繰り返したのちに釈放し、城地である江戸に招く。』

このように、日本人の背後でイギリス対スペインの対立が日本の分水嶺であった関ヶ原、大阪冬夏の陣をもたらしたといえるはずである。しかしながら、日本の歴史書や日本の歴史小説にはそういう観点、つまり、「欧米白人の陰謀」という視点欠如しているのである(もちろん、断片的な事象としては歴史の教科書にも載っている)。まるで日本人だけで「国取りゲーム」をしていたかのように描かれている。しかし、実際には、欧州から武器弾薬が見事に届けられ、槍部隊より鉄砲部隊の陣営が日本支配に成功したわけである。

では、日本人の近代革命、文明開化の心のよりどころとなっている、「明治維新」にも同様の事があったはずである。

このことに個人的に非常に関心を持っていたが、お恥ずかしながら、私は昨日までこの問題を取り上げてすでに何冊も本や小説にしていた人がいるということを知らなかった。一応、「陰謀暴露論者」の故太田龍氏が「明治天皇の謎」についてはいろいろな本を取り上げて、「現在の天皇家は偽物の可能性がある」というような話は知っていたが、明治維新の雄である坂本龍馬こそ欧米列強のエージェントそのものであったということを取り上げた人がいると初めて知ったのである。

それは、加治将一氏
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という人である。この作家にはすでにたくさんの本があるようである。
龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン
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あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン
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幕末 維新の暗号
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似たような本に
坂本龍馬とフリーメーソン―明治維新の礎を築いた英雄は秘密結社のエージェントだった!!
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(坂本龍馬のこの手の所作、右手を懐に隠して写真を撮る動作は、エージェントのサインということらしい。これについては豚インフルエンザ予防接種プログラムの理由とは何か? by David Rothscum 1が興味深い。この中にあるノバルティスの社長さんとビンラディンの顔がそっくりなのは個人的には気になるが。)

この作家の本をまだ読んではいないのだが、その内容をレポートした番組の解説を見つけたので、それを今回はここにも紹介しておこう。

歴史ミステリー龍馬の黒幕
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『「亀山社中が設立されたのは1865年5月。そのわずか3ヶ月後の8月に大量の武器を事もなく輸入している」…アメリカで長くビジネスマンとして活動していた加治氏は、これを「ビジネスの常識としてありえないこと」だと断言する。
値段交渉から、在庫確認、税関、運搬、決済方法に至るまで細かな段取りを要する商談を、飛行機もメールもない時代にこんなにも短期間でトントン拍子にできるはずがない、と言うのだ。亀山社中設立は周到に準備されたものだった、莫大な資金と情報量を持った黒幕が、龍馬をダミーにして行ったものだと。一体、その人物は誰なのか?
…加治氏は、及川光博を長崎の丘の上に立つ洒落た洋館へと案内する。一体の胸像を指して言った。「この男が、龍馬の黒幕です」。

その人物とは、トーマス・ブレイク・グラバー
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長崎の観光名所旧グラバー住宅の主といえばピンと来る人も多いかもしれない。当代随一の商人である。彼は、龍馬の中に何かを嗅ぎ取り、自らのダミーに据えた。その理由とは?そして、彼が目指していたものは?・・そこには、静謐な中にも燃えたぎる熱き人間ドラマが秘められていた! グラバー邸の天井裏に作られた隠し部屋で、グラバーは、龍馬に囁く… 「サカモトサン ニッポン(日本) ヲ センタク(洗濯) シマショウ」 龍馬28歳、グラバー25歳、二人の出会いにより日本の歴史が大きく動きはじめた!』

このことは、最初のフランクリン・ルーズベルト大統領の言葉を彷彿させる。

同じ時期の歴史小説家には有名な司馬遼太郎氏があったが、その「司馬史観」に対し「加治史観」とも呼べるかもしれない。どちらがより現実的だと思うかどうかは、あくまで我々読者一人一人の判断ということになるだろう。いずれにせよ、こういうふうな歴史研究を行う人々がもっと現れる事を期待したい。

  by Kikidoblog | 2010-01-25 14:14 | 真の歴史

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